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【巻頭言】絶対に許すな!戦争への道 中北龍太郎

安保法制懇報告

5月15日、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は、集団的自衛権の行使を容認すべきだという提言を柱にした報告書を安倍首相に出しました。集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が直接攻撃されてないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利とされています。この報告書が出て以降、集団的自衛権の問題は今や政治の最大の争点になっています。報告書の要点を紹介しておきます。
「日本の安全保障環境がより一層厳しさを増し、日米軍事協力の一層の強化が不可欠になっており、日本の安全を維持するために憲法解釈の変更が必要になっている」として、二つの憲法解釈を提案しています。一つは、「9条は、日本が当事国である国際紛争の解決のために武力を行使することを禁止したものであって、個別的か集団的かを問わず自衛のための武力行使を禁じていないし、国際法上合法な活動への憲法上の制約はない」(全面容認論)。もう一つは、「『(自衛のための)措置は、必要最小限度の範囲にとどまるべき』であるというこれまでの政府の憲法解釈に立ったとしても、『必要最小限度』の中に集団的自衛権の行使も含まれ、外国に対する武力攻撃が日本の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときに限定的に集団的自衛権を行使することは許される」(限定容認論)というものです。そして、「こうした憲法解釈の変更は、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正は必要ではない」として解釈改憲をすすめています。
同じ日の記者会見で、安倍首相は集団的自衛権の行使容認に向けた与党協議に入ることを表明しました。安保法制懇は安倍が自らの意にそう人物ばかり集めてつくった私的諮問機関ですから、結論ははじめから決まっており、まさに絵にかいたような出来レースでした。
安倍首相は、与党協議を重ねて年内に、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を閣議決定することをめざしています。こんなにも急いでいるのは、日米間の軍事協力・分担を取り決めた「日米防衛協力のための指針」を年内に改定するという既定のスケジュールに間に合わせるためです。自衛隊が海外で米軍と肩を並べて戦うための「指針」にするために閣議決定を急いでいるのです。それと並行して、今秋の臨時国会や来年の通常国会で、戦争する国づくりのための軍事法の制定を狙っています。




限定容認論のワナ

安倍首相は記者会見で報告書の憲法解釈について、「全面容認論はとらない」とし、「自国の安全を全うするために必要最小限度の自衛の措置は許容されるという従来の政府の基本的な立場を踏まえた考え方だ。」という理由をあげて、限定容認論を支持すると表明しました。
果たして、限定容認論は、集団的自衛権の行使を限定するものなのでしょうか。「日本の安全に重大な影響を及ぼす可能性」という限定要件は、余りにも広くばくぜんとし過ぎており、行使のブレーキどころかアクセルになりかねません。報告書は、この要件を判断する際の事情として、日米同盟の信頼が損なわれ得るかをあげています。アメリカからの戦争への協力要請に対し、日本政府はこれまで、日米同盟の信頼維持を最優先し、一度もNOと言ったことがありません。そんな政府が戦争協力を拒否するようなことは想像さえできません。しかも、9条は行使を禁じているという憲法上の歯止めをはずせば、集団的自衛権の行使はその時々の政治判断でどこまでも広がっていくことになります。
限定するといってもそれは名ばかりであり、それは戦争には至る危険はないと錯覚させる詐術です。限定容認論は、行使容認に反対する多数世論を切り崩すための危険なワナなのです。




9条の破壊

戦後一度も戦争で他の国の人びとを殺さず殺されることがなかったのは、憲法9条があったからです。侵略戦争の反省から生まれた9条は、再び政府が戦争をひきおこさないようにするため、市民みんなでかけた政府に対するしばりです。戦争をなくし、武力によらず非暴力で平和を達成する、これが平和憲法の原点です。自衛隊発足後こうした原点解釈は遠ざけられてきましたが、それでも9条を支持する世論が大きな力となって、9条は政府の軍拡政策に対する歯止めの役割を果たしてきました。個別的自衛権の行使はできるが、集団的自衛権の行使は禁じられているという9条解釈は、その最大のものでありかつギリギリの一線です。
個別的自衛権とは、自国が他国からの武力攻撃に対し、自国を防衛するための実力行使をする(専守防衛)権利のことです。これまでの政府見解は、日本に対する武力攻撃を発動の要件としてきました。これに対し、他国への武力攻撃に反撃する集団的自衛権(実質は他衛権)の行使は、この発動の要件をみたさないため禁じられているとされてきたのです。
限定容認論は「従来の政府の基本的な立場を踏まえた考え方だ。」という安倍首相の見解は、自衛権発動の要件を満たしているかどうかという決定的な違いを無視して、これまでの政府見解をくつがえすもので、全くでたらめです。行使容認論は、戦争と武力行使の歯止めとしての9条を無きものにし、「戦争はしない」というこの国のかたちを根こそぎ破壊するもので、とんでもない暴論です。

立憲主義の破壊

集団的自衛権の行使は違憲という9条解釈は、歴代内閣が積み上げ、国会での長年の議論を経て定着してきました。憲法の解釈は、内閣がこうしたいと思ったからといって変えられる性格のものではありません。憲法の枠内でどの内閣も動くのでなければ立憲主義は成り立ちません。その時々の内閣がその政策判断で憲法解釈を自由に変えられるなら、立憲主義は崩壊してしまいます。
これまで自民党は、集団的自衛権の行使を主眼にした憲法改正を唱えてきました。しかし、行使反対というのが各種世論調査での多数意見であり、憲法改正の国民投票で過半数の支持を獲得できる確かな見込はありません。そこでなにがなんでも憲法の壁を崩すための手法として登場したのが解釈改憲です。しかし、こうした安倍首相の政治手法は、憲法によるしばりを権力者自らが勝手気ままにはずす脱法行為です。ナチスの手口をまねた解釈改憲(麻生副総理の発言)は、一種のクーデターであり絶対に許されません。




許されない9条平和主義からの脱却

安倍首相が行使容認へ突き進もうとしているその最大の要因はアメリカの圧力です。安倍首相は、これに呼応して、一貫して日米同盟を「血の同盟」にすることをめざしてきました。行使容認によって、日米安保体制は、憲法を超越した存在になってしまいます。
行使容認による危険は計り知れません。実現される一番現実的な事態は、イラク戦争のような戦争で自衛隊が米軍と一緒に戦うことです。また、日本は戦争を始める危険な国になってしまいます。そればかりか、際限のない軍拡競争や偶発的な衝突も招くでしょう。自民党石破幹事長が公言するように、若者や自衛隊が他国民のために血を流すことにもなります。
行使容認によって海外での武力行使を禁ずる憲法解釈が突破されると、国連軍や国連決議に基づく多国籍軍などへの参加も合憲化されるでしょう。そのことは、石破幹事長が集団的安全保障に参加しないとの見解は安倍内閣に限った判断との考えを表明したことでも裏付けられています。
集団的自衛権の行使を核にした軍事優先の政策を積極的平和主義として美化する安倍首相の基本理念は、9条平和主義から脱却し、戦前のような日本を取り戻すことにあります。解釈改憲を許せばその後すぐに、市民を戦争に動員する徴兵制、民主主義を根こそぎ破壊する戒厳令などをもりこんだ明文改憲が押し寄せてくるでしょう。それは、まさに戦争と軍国主義の悪夢の再現であり、日本の破滅の道です。
このように、安倍首相は、「戦争はしない」というこの国のかたちをこわし、集団的自衛権の行使を認め、海外での戦争、他の国への武力行使への道を暴走しています。いま私たちが求められている最も大事なことは、9条と立憲主義の破壊をとめることです。そして、憲法9条をいかして、日本が脅威にならず、近隣諸国と互いに脅威にならない友好関係を築くことです。戦後最悪の政権による最悪の政策を絶対に許さない大きなうねりをつくっていきましょう!



関西共同行動ニュース No65