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歴史の歯車を逆に回させない  【ジャーナリスト】 由井晶子

1月27日、昨13年、沖縄県下41市長村の首長、議会議長(代理を含む)、県議会議長以下の議員がこぞってオスプレイ配備撤回、普天間飛行場の閉鎖・撤去、県内移設断念を求めて政府に建白書を提出した「東京行動」から満1年を迎えた。
築き上げた「オール沖縄」という、いわば米占領下にあった時からの第3次「島ぐるみ土地(基地)闘争」は、おごりたかぶった巨大与党が、かつてない力で踏みにじって一角を崩した。どんな反対も抵抗も目に入らない傲慢さで、そこのけそこのけ、第2次大戦前のダイニッポンに回帰する勢いで驀進する安倍政権と自民党の暴走をいかに食い止めるか。
辺野古で、地元のお年寄りとともに命を守る会を立ち上げ、基地建設阻止運動の象徴だった故金城祐二さんは「ゾウに挑むアリのようなものだが、われに理あり」と言った。全国注視の名護市長選挙で、全国一早いサクラの満開をいよいよ輝かせた、稲嶺進市長の勝利は、アリがゾウに勝つ、弱者が強者を跳ね返す見本を示してくれた。
「海にも陸にも基地をつくらせない」と宣言した現職市長は、なりふり構わぬ政府・自民党の介入、情けなくもそれに屈服した仲井眞弘多知事の狂奔にもかかわらず、辺野古の新基地建設と引き換えに政府が繰り出す資金でまちづくりをと訴えた新人末松文信前県議を、前回( 10年、1558 票差)を上回る4千票の大差で勝利した。
2年前、あの日のオール沖縄の行動を、決して全的に受け止めてはくれなかった「本土」の多数国民にも、沖縄の強固な「意思」は伝わったのであろう。
昨年12月28、29日に共同通信が実施した全国緊急電話世論調査で、普天間飛行場の辺野古移設に賛成が49・8%、反対の33・6%をかなり上回った。仲井眞知事が政府の辺野古沿岸埋め立て申請を承認した直後で、知事の承認を評価するが過半数の56・4%である。同じ日、琉球新報と沖縄テレビが実施した県内電話世論調査の、辺野古移設支持わずかに15・9%、県外・国外あるいは無条件閉鎖・撤去が計73・5%とあまりにも差があり過ぎた。知事の埋め立て承認を支持しないも61・4%、支持する34・2%を大きく上回り、公約違反だが72・4%にも達していた。
首相官邸の交流サイトフェイスブック、政府公式ページのフォロワー(読者)が沖縄向けに「盗人ですよ」「ゆすりたかりの名人」などと書き込んだ文言が放置されていると報じられ、県民は心を暗くしていた。仲井眞知事が政府・自民党との合作で、普天間の5年以内の運用停止や返還前の基地に自治体の調査を認める協定を日米で検討するなどの「負担軽減」口約束や破格の振興資金支出に喜んで、埋め立て申請承認をした罪は大きい。
名護市長選挙は、沖縄は「カネに転ぶ」という、本土にかねてからあった偏見をみごとに打ち破った。1月後の今年1月25、26日の共同通信世論調査によると、「移設を予定通り進める」が31・7%あるものの、これに反対する市長の「理解が得られるまで移設計画を中断」が42・9%、計画撤廃が17・9%と逆転している。
「何を」という気概が稲嶺側に満ち満ちていた。あっと驚く人々が、「ススム」を応援していた。元自民県連会長・県議会議長の仲里利重氏が自前の車とハンドマイクで毎日街頭演説をしたのは、よく知られる。かつて次善の策として辺野古基地容認・仲井眞知事支持だった経済人、名護・石垣・宮古をはじめ各地にリゾートホテルを持つかりゆしホテルグループの平良朝敬会長が、軍事再編資金に頼らなくとも、平和産業・観光によって、稲嶺市政の経済振興は可能だと熱い支持を寄せ、業界に訴えた。
それにもまして驚いたのは、沖縄に数少ない東大出、米国留学帰りの超エリートとして、占領下の琉球政府官僚、沖縄電力社長、西銘順治保守県政の副知事を歴任、経済界をリードし、沖縄遺族会会長などもつとめて、右派の大物とみなされていた座間味訪彪好氏が、稲嶺陣営の選対本部でにこにこと支援者にチョコレートを配って激励していた姿だ。
市議会では稲嶺市長の与党派15人が党派を超えて団結。野党9人が一部島袋吉和前市長擁立を経て末松陣営に回った。
稲嶺陣営でよく聞いた「保革を問わず」「(基地と引き換えの)交付金は一時、基地は百年」「負の遺産を残さない」「すべては子どもたちの未来のために」。30年近くも絶滅危惧種の沖縄特産島豚「あぐー」の再生に精魂傾けて、全国にも知られるブランドに仕上げた民俗・歴史学者が、選挙のスタッフになるなど、人材の豊富さ。政党・団体などの組織、市民運動、気持ちのある個人が、実に有機的につながっていたこと。明るく勢いのいいこと。過去4度の選挙をずっとみてきた私には、すべて、基地の押し付けを激しく押し返す地域の力が結集されている証のように思われた。比べて、焦る政府が背後に控える建設容認・推進派がこれほど勢いのない選挙もなかった。
名護市長選は、安倍政権の沖縄差別政策に対する反撃であると同時に、仲井眞知事と自民国会議員・沖縄県連の公約違反に審判を下した選挙でもあった。
同時に、4年前の稲嶺進勝利に始まる、基地建設を争点から外し、経済、経済、経済でごまかす補償型基地政策を破たんさせ、名護市だけでなく沖縄全体の自立・自律、自決を目指す変革の意思表明でもあった。オール沖縄をかざして、保守の側からこの変革に参加し、東京行動をリードしてきた翁長雄志那覇市長が、4年前には島袋側に立っていたのが、その敗北を機に急速に変わったのも、私は目の当たりにした。
公明党が、17年前の名護市海域への普天間代替施設建設案をめぐって大田昌秀知事が失脚させられた選挙で初めて自民側に立ち、中央での自公連携が進んだのも、今回沖縄県本部が埋め立て工事承認反対・反基地の姿勢を貫き通したことによって、いわばあるべき姿に戻った。石破茂自民幹事長は、「沖縄で始まった自公協力が沖縄で終わることになる」と危機感を募らせ、公明中央幹部に県本に指令を出すよう強く訴えたと伝えられるが、不発に終わった。自民党・政府は性懲りもなく、この秋の名護市会議員選で辺野古基地容認派を増やす算段や、知事選挙に今回の敗北の教訓を生かす方策を探っているという。
沖縄の、先の戦争体験にもとづく、ふるさとを2度と要塞化させないという決意は国際的にも反響を呼び、10か国百人の有識者が辺野古基地建設反対の生命を寄せてきた。軍事化の道を突き進む政府・自民党を、沖縄では沖縄なりのやり方で阻む闘いが始まる。



関西共同行動ニュース No64