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【巻頭言】安部政権の改憲暴走をとめよう!中北龍太郎

はじめに

昨年12月安倍首相・政権は、次から次へと戦争する国づくりの動きを進めました。6日、民主主義と人権破壊のうえに戦争する国をつくる特定秘密保護法(秘密法)を強行可決。17日には、自衛隊を盾から矛に変える「国家安全保障戦略」を発表。26日侵略戦争と戦死賛美の靖国参拝。そして27日は、仲井真沖縄県知事に辺野古新基地建設のための埋め立て申請を承認させました。
これらに続いて安倍政権は今年、集団的自衛権行使を核にした解釈・立法改憲を強行して、戦争する国づくりの動きを一気に飛躍させようとしています。その手順は、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の行使容認の答申を手始めに、行使容認の閣議決定、臨時国会に国家安全保障基本法案を提出、秘密保護法施行、日米新ガイドライン合意で締めるというものです。
憲法9条は、政府によって空洞化され続けてきましたが、それでも市民の抵抗で、「9条は集団的自衛権の行使を禁じている」という政府見解を維持させてきました。この憲法解釈が歯止めとなって、日本は戦後一度も戦争で殺し合いをしませんでした。安倍政権によってこの平和保障の歯止めが外されたならば、海外での武力行使、戦争への道が開かれ、日本は戦争する国へ大転換を遂げてしまいます。

秘密法と集団的自衛権の深い関係

秘密法は、集団的自衛権の行使容認と密接に関係しており、軍事法としての側面を持っています。また、自民党改憲草案の軍事機密保持条項を先取りする立法改憲の最初の1歩でもあります。
秘密法制定の動きが始まったのは、2007年8月締結の「日米軍事情報包括保護協定」で、日本がアメリカに対して、日米共同作戦の遂行に必要な軍事情報共有のための秘密保護体制の強化を約束したことからです。
秘密法と同じ臨時国会で成立した国家安全保障会議(日本版NSC)設置法で作られたNSCは、首相独裁を制服組トップが支えるトップダウン型の戦争指導機関で、海外戦争を遂行する格好の組織になっています。NSCで秘密裏に対外開戦を決定し、秘密法を盾に戦争計画を隠し、極秘のうちに戦争計画を実行に移す、これが安倍首相が唱えていた秘密法・NSC法一体論の真相です。
秘密から戦争が起きてきました。この歴史は、日本におけるうその大本営発表による侵略戦争、アメリカにおけるトンキン湾事件のでっちあげによるベトナム戦争の全面化、でたらめな大量破壊兵器保有情報によるイラク攻撃で証明されています。秘密法がある限り、この不幸な歴史がくり返されることになります。
また、「秘密報道で国が危機に陥る」という秘密法の本質をあからさまにした石破発言からも明らかなように、秘密法の存在自体が 国防のためには報道・人権規制は当然とする考え方を社会にまん延させ、ひいては軍事機密を守ることを最優先する論理を社会に拡散させることになります。



集団的自衛権行使は戦争への道

集団的自衛権(自国と密接な関係にある他国に対して第三者による攻撃があった場合武力で排除する権利)は、個別的自衛権(自国の攻撃に対して武力で排除する権利)とは全く異なり、他衛を意味しています。集団的自衛権の行使は違憲であるというというのが、これまでの一貫した政府見解で、国会でも政府は同じ答弁を無数にくり返し
てきました。
ところが、安倍首相は、従来から一貫して、この政府見解に異を唱えてきました。例えば、「集団的自衛権行使違憲論は、日本が禁治産者であるということを宣言するような極めて恥ずかしい政府見解だ。私は、9条いかんにかかわらず、集団的自衛権は行使できると思います」、「軍事同盟というのは“血の同盟”です。双務性を高めるということは、具体的には集団的自衛権の行使だと思います」と主張してきました。集団的自衛権の行使容認は、安倍首相の持論であり、年来の悲願でした。その実現に向けいよいよ乗り出そうという訳です。
そのお膳立てするのが、安倍首相が容認・合憲論者ばかりを集めて自らの肝いりでつくった安保法制懇です。その名称「安全保障の法的基盤の再構築」は集団的自衛権の行使を合憲化することとイコールであり、その名称からも行使容認のための機関であることは明らかです。北岡伸一座長代理が豪語するように、安保法制懇はいつでも「法理的な禁止を全面的に解く」報告書を出せる状況にあり、後は安倍首相の政治判断待ちになっています。答申後与党協議を経て行使容認の閣議決定をするという算段です。
この閣議決定は日本を戦争する国に変える戦後最悪の解釈改憲です。行使容認は、他国の戦争に参戦し、米軍と肩を並べて戦い、他国の兵士に銃口を向ける戦争への道を開くことを意味します。
閣議決定後に上程される予定の国家安全保障基本法案は、集団的自衛権行使をできるようにし、海外で武力行使を行う道を開くための法案です。
こうした解釈・立法改憲をとめなければ、戦争はもうすぐそこにやってきます。

中国包囲網の矛になる自衛隊

安倍首相は、「積極的平和主義」を昨年9月に安全保障政策の新たな看板として打ち出し、「国家安全保障戦略」の基本理念にすえました。世界的に著名な平和研究者であるヨハン・ガルトゥングが、非暴力の方法による暴力・貧困・差別等の構造的暴力のない状態を「積極的平和」と定義し(これに対し、「消極的平和」とは戦争のない状態)、世界で広く定着しました。これに対し、安倍首相の「積極的平和主義」は、積極的に武力を用いて他国に介入するというもので、本来の用法とは真逆です。それは積極的武力行使主義に外なりません。安倍首相の「積極的平和主義」は〈戦争は平和〉であるというに等しくまさに詐欺的語法です。
積極的武力行使主義の実現のために、安倍首相は、法的基盤とともに、軍事的基盤の整備を着々と実行に移しています。これまで、日米安保体制の下、米軍は矛、自衛隊は盾と言われてきました。
安倍首相は、この役割分担を大きく変えようとしています。安倍首相のそんな目論見は、「盾は自衛隊、矛は米軍で、抑止力として十分なのか。攻撃してくださいと米軍に頼むという状況でいいのか」、「中国の海洋進出に対抗するため日・米・豪・印の包囲網の形成が必要だ」といった発言・論文からも裏付けられています。
その一つが、攻撃される前に先制的に、防空レーダーを破壊し、戦闘機の低空侵入や巡航ミサイルなどで敵基地を攻撃する能力の保有です。もう一つが「島しょ防衛(竹島や尖閣諸島などの島々の防衛)」のための水陸両用作戦です。この作戦は、①島しょへの侵攻の兆候をつかむや先に戦闘部隊を緊急展開する、②占領された場合は航空機・艦艇で攻撃し、その後水陸両用部隊が着上陸し奪回作戦を実施するというものです。そのために「殴り込み部隊」といわれる米海兵隊をモデルにした水陸機動隊の新編成や、オスプレイ・水陸両用車の導入が計画されています。この作戦は、尖閣列島など南西諸島における中国との衝突を想定しています。いうまでもなく、敵基地攻撃、水陸両用作戦のいずれも本格的な戦争です。
オバマ政権は現在、対中国を軸にしたアジア・太平洋地域重視の戦略を立てており、同盟国と中国包囲網を形成しようとしています。集団的自衛権行使容認によって、自衛隊は矛になるとともに、日本が中国包囲の前線に位置することになります。
今年3月にも建設着工が予定されている経ヶ岬の米軍Xバンドレーダー基地の電波の到達距離は3、4千kmもあり、北朝鮮だけでなく中国もその監視範囲内であると考えられています。この基地も中国包囲網の一翼を担っているのです。



解釈・立法改憲は究極の憲法破壊

「集団的自衛権の行使は違憲」との政府見解は、「日本には固有の自衛権があり、戦力の保有を禁じている憲法9条の下でも自衛力を保有することは許される。」「自衛権の行使は、日本を防衛するために必要最小限の範囲にとどまるべきで、集団的自衛権の行使はその範囲を超える」という法の論理的解釈にもとづくものです。これは、自衛力を正当化するとともに、それに制約を課すという機能を持っていました。「集団的自衛権の行使も合憲」というのであれば、長年にわたって採り続けてきた解釈のどこが間違いなのかを法律論として説明し、納得のできる合理的な法論理を示すことが最低限必要です。これはゆるがせにできない法治国家の原則です。しかし、合憲論者からは、これまでまともな法的根拠が示されていません。
安倍政権の企てている解釈・立法改憲は、国民投票が必要な憲法改正でしかできないことを違憲の解釈・立法でする憲法破壊、法的クーデターであり、絶対に許されないことです。

安倍改憲は反革命!?

解釈・立法改憲が強行された場合、その次に明文改憲の動きがやってきます。戦争する国を完成し対外戦争を遂行するには、この国のかたちを根本から変える明文改憲がどうしても必要になるからです。(Ⅰ)戦争をする軍隊と国づくり、(Ⅱ) 人権思想と立憲主義の破壊の2本柱から成り立つ自民党改憲草案は、まさにそのために準備されたものです。
この復古的な改憲案のルーツは、敗戦や戦勝国アメリカによる「憲法押し付け」を屈辱ととらえ、日本民族が自ら自主的に憲法を制定して屈辱を晴らすというある種の復しゅう論にあります。言い換えれば、自主憲法制定論は、現行憲法の根幹にある侵略戦争否定の歴史観を再度否定して、侵略戦争をした日本を自己肯定する思想を根っこに持っているということです。自主憲法制定論のバックグランドである「戦後レジームからの脱却」とは、まさに、太平洋戦争の前の時代への逆戻り、戦前レジームへの回帰以外の何ものでもありません。
憲法学界では、大日本帝国憲法の改正手続に則って改正された日本国憲法について、天皇主権の大日本帝国憲法から国民主権を基本とする日本国憲法への改正は憲法改正の限界を超えるものではないかという議論に対し、1945年8月のポツダム宣言受諾により主権の所在が天皇から国民に移行するといった(法的な意味での)革命が生じたのであるから、日本国憲法は新たな主権者となった国民が制定したものだという8月革命説が支持されています。この学説になぞらえていえば、日本国憲法を根本から否定する自主憲法制定論は反革命ということができます。
このように、自主憲法制定論には反米あるいは対米自立の要素がはらまれていますが、それは、一方では、「大東亜戦争肯定論」と五十歩百歩の戦争観を立ち位置にするものであり、他方、改憲論の最大の要である9条改憲の根本的動因は対米従属の日米安保体制にあります。自民党の改憲論は、あまりにも復古的であり、かつまた自主と言いながらどっぷり従属しているといった抜き差しならない自己矛盾を抱えており、それにはおよそ普遍性や大義がありません。
平和・人権・民主の憲法の三原理をやめ、立憲主義から決別し、人類社会が到達した人類普遍の原理からかけ離れて、「天皇を戴く日本は日本」という独自の道に入る明文改憲は、日本の世界からの孤立化を招くことは必定です。
戦後最悪の安倍政権の改憲暴走に対し、改憲暴走を止める戦後最高のうねりをともに創りだしましょう!




関西共同行動ニュース No64