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イラク戦争十年の検証 【イラク人ジャーナリスト】 アリ・ハシュマダーニ




(アリ・ハシュマダーニさんは、イラクシネマクラブ、イラクジャーナリスト連盟、アラブ写真家連盟所属。07年イラク・ハディーサで米海兵隊がイラク人24人を殺害する事件を迫った映像の一部を担当。中東地域5社の新聞社で特派員として活動。以下は3月22日の「イラク戦争10年検証 in おおさか」での報告をまとめたものです。―文責・星川)

■命がけの取材、弾圧・虐殺つづくイラク
 イラクに対してプレッシャーがかかり、経済封鎖が始まったとき、子どもたちの食べ物がなくなり、病気になっても医療が受けられなくなったことを目の当たりにしました。 そのときわたしはイラクで起こっていることを国内外のメディアに書くようになりました。イラクのことを知らせるため国外の仲間とも協力して情報団体「国際特派員」をつくりました。国外の仲間の協力などありましたが、アメリカは頑固に、わたしたちにも経済封鎖をしてきました。そしてついに戦争にまで至りました。それ以来、わたしは自分の力の足りなさを感じながらカメラをまわし続け、状況を伝えてきました。起こっていた事態があまりにも悲劇的なので、言葉ではなくカメラでしか伝えることができませんでした。
 アメリカ兵は、占領後ジャーナリストを弾圧するようになり、わたしたちが動ける場所がだんだん少なくなりました。そういう中でも、わたしたちはアメリカ兵の裏をかきながら情報収集を行いました。目の前の状況があまりにも悲惨なので、ときにはカメラで撮ることさえできないこともありました。取材のときに、身内がそこに埋まっているだろうと瓦礫を掘り起こしている家族たちと一緒に遺体を探すこともありました。病院での取材中、輸血用の血が足りないときには輸血に応じることもありました。
 アメリカは、わたしたちをサダム・フセインから解放してくれたといっています。イラク人の民主主義のために来たともいっています。サダム・フセインが逮捕されたときわたしたちは思いました。「なザアメリカ人はまだイラクに居るのだろう。なぜイラク人を殺すのだろう」と思いました。アメリカはそのとき、「まだフセインの支持者をやっつけなければいけない」といっていました。04年にはサダム・フセインの周りにいた幹部たちはみな逮捕されました。しかしその後もアメリカのイラク占領もイラク人が殺されることも続きました。
 アメリカは、「イラクの民主主義のためだ。イラクの選挙の見通しが確認されるまで残る」といいました。その頃、アメリカのブレマー(暫定占領当局者)は、臨時政府を決めました。一年間で12人がかわりばんこに大統領になるという。1ヶ月ごとだというのです。そんな国など世界中にないと思います。 こうしてイラクの「民主主義」が始まりました。
 
 ■民主主義のための弾圧・市民虐殺?
 (ここからは、アリ・ハシュマダーニさんが撮った写真をスライドで映しながらの生々しい報告でした)アメリカは、占領後もイラクにとっては貴重な歴史的遺跡や文化財を占領したり隠したりし続けています。インフラも破壊したままで飲料水も欠乏しています。子どもたちが遊ぶときも、葬式のときも「白旗」を揚げなければアメリカ兵に攻撃される危険があります。米軍が塩素ガスタンクを破壊し周辺が被害に遭っています。民間人に対するテロ的な襲撃も行われています。アメリカ兵が病院に押し入ったとき、病院関係者・医者たちが、「医療活動ができなくなる」「アメリカは出て行け」と立ち上がっています。
 わたし(アリ・マシュハダーニさん)は8回逮捕・拘束されました。アメリカは兵による虐殺を撮り続けるからです。逮捕されたとき、足の怪我を理由に足を切断するといわれましたが、断固拒否しました。アメリカは、情報が漏れるのを極端に恐れているのです。情報が漏れないために町をコンクリート塀で封鎖しています。アブグレードの虐待が明らかになってからは、拷問は精神的拷問が中心になりましたが、精神的拷問では足りずに肉体的拷問になることもあります。アメリカ兵は簡単に人を殺しています。自分たちが行った虐殺をイラク人が行ったように見せかけるために、現場にアラビア文字が書かれたものを放置することさえ行っています。
 これらのことが全て「イラクの治安のため」を口実に行われ続けているのです。これが民主主義なのでしょうか。
 (これ以降、アリ・ハシュマダーニさんは、あまりにも悲惨でむごたらしい映像になるのでと、子どもたちや気の弱い人は退場するか目をつむるかを求めて、アメリカ兵による虐待・拷問・虐殺の映像を紹介しました。)

■イラクへの出撃拠点・
在日米軍基地を追いだそう
 世界的な調査、統計で判ったことは、イラクが一番腐敗してしまっているということでした。世界的な人道援助団体やメディアは、イラクのこうした状況を伝える義務がありと思っています。
 こういう、アメリカを見てきた上で日本に願うのは、平和な日本にいるアメリカ兵を早く外に出すことです。わたしたちイラク人は、アメリカが戦争を仕掛けようとしているとき日本がついてくるのはショックでした。日本にある米軍基地は、この戦争と無関係ではありません。日本の基地から、ファルージャでの虐殺を行ったアメリカ兵が飛んできたのです。 そしていまだに自衛隊を人間の盾として使っているように見えます。アメリカは、日本の発展や財産を自分たちのために使っています。
 アジアのどの国も、日本に対して、アメリカが日本で行っているようなことはしないでしょう。アメリカ兵が沖縄で 起こしているような事件のようなことは、日本の隣国はしないでしょう。 日本は、今は平和な国だと、平和な民族だと世界的に知られています。わたしたちはそこを見習いたいと思っています。そのような発展のしかた、平和の作り方に習って頑張っていきたいと思っています。そして、日本がさらに発展していくことを願っています。そして日本は、平和の力でアメリカの武力に勝つことができると思っています。




関西共同行動ニュース No62