集会・行動案内 TOP
 
【巻頭言】自民党改憲案を斬る!(1)▼「主権回復の日」と改憲の深い関係を暴く 中北龍太郎


1 はじめに
改憲策動はやむことなく続いています。自民党は「参院選で憲法改正を打ち出す」との方針を固めつつあります。この方針は、参院選後改憲の動きを加速するという改憲プランに沿ったものです。
改憲の先兵・維新の会は党大会で、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。」といった改憲綱領を承認しました。橋下徹共同代表は「改憲勢力が3分の2を形成することも重要な参院選のテーマだ」と述べています。石原慎太郎共同代表は朝日新聞のインタビューで「日本は強力な軍事国家になるべきだ。経済を蘇生させるには防衛産業が一番いい。核武装を議論することもこれからの選択肢だ」と語っています。
参院選後自民党と維新の会が改憲タッグを組んで96条改憲を強行するシナリオも次第にリアルになってきています。このように、改憲暴走の動きはエスカレートし、改憲の危機はますます深まっています。
危機が深化し、また自民党が12年に公表した「日本国憲法改正草案」(新改憲案)は05年の自民「新憲法草案」(05年案)よりもはるかに国家主義的で反動化しているにもかかわらず、新改憲案に対する批判の言説は05年案に対するよりもトーンダウンしています。これ自体ピンチです。
そこで、反改憲運動を盛り上げていくために、新改憲案に対する逐条批判を本誌面で連載することにします。今回は、「主権回復式典と改憲との深いつながりを暴く」を切り口に、新改憲案の前文の問題点を明らかにします。この問題提起が5月にもたれる反改憲の各種集会・行動にいささかでも役立ち、7月の参院選への備えになればと願っています。

2 主権回復式典と改憲
(2‐1) 自主憲法制定論とは?
新改憲案が公表されたのは12年4月27日です。この日は、サンフランシスコ講和条約(講和条約)が発効し、日本が米国の占領から脱して独立した52年4月28日から60年目の日の前日でした。このタイミングが選ばれたのは、「真の独立国になったこの日を機会に憲法改正をしっかりやろうじゃないかという自民党の考え方」(保利耕輔自民党憲法改正推進本部長)によるものでした。
また、保利は自民党の機関誌で、現行憲法に対して「連合国による戦後の占領政策を色濃く反映し」たものと批判し、他方、新改憲案について「日本にふさわしい、日本らしい」憲法案だと自讃しています。現行憲法は占領軍によって押し付けられた占領憲法だから、自主的に日本の国柄にあった憲法を制定しなければならないという自主憲法制定論は、改憲を推し進めている自民党と右翼勢力の支配的見解で、保利発言もこの見解にもとづくものです。こうした自主憲法制定論は、戦前の天皇制国家体制とその戦争政策を美化し、それを否定した新憲法の制定をはじめとする戦後民主改革は日本の弱体化政策だとする反動的な歴史観に立っています。これが改憲策動の根っこにあるイデオロギーの一つです。こうした歴史観と並んで、後で述べるとおり、対米従属がもう一つの改憲イデオロギーになっています。

(2‐2) 問題だらけの講和条約
条約発効から60年の昨年、自民党は、野党であったため政府主催の「主権回復式典」を実現できず、そこで衆院選政策集に「政府主催で13年4月28日に主権回復式典を開催する」と明記しました。自民党は政権復帰後公約どおり、式典の開催にこぎつけました。しかし、主権回復を実現したとされる講和条約は、真に記念に値するものだったでしょうか。
ポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏し占領下におかれた日本が主権を回復するためには、戦争相手国との間で戦争の終結や最終的な平和の回復のための講和を結ぶことが必要でした。51年9月8日に調印された講和条約の発効によって、日本は形式的には独立することになりました。だがしかし、条約にはその後の日本を「何よりもダメな日本」へ貶める深刻な問題点が山盛りで、真に独立したといえるのかは疑問だらけでした。
問題点の第1は、全面講和ではなく、単独講和だったという点です。講和条約を結ぶ相手国が全交戦国の場合は全面講和、単独講和は一部の国とだけの場合です。米国も占領当初は、米ソ協調を前提とした全面講和の方針をとっていました。ところが、米国は、東西冷戦が強まる中で次第に方針を転じ、50年6月に朝鮮戦争がぼっ発するや一気に、占領終結後も米軍が基地を維持し、日本をソ連・中国などに対抗する反共同盟国に仕立てあげるために、単独講和を急ぎました。西側陣営のみとの単独講和(調印国は48カ国)は、冷戦の論理に立つ米国が日本に押し付けたものだったのです。
単独講和は、丸山眞男らの平和問題談話会が公表した「講和問題に関する声明」で予言したとおりの禍根をもたらしました。声明の1節を引用しておきます。「われわれを相対立する二つの陣営の一方に身を投じ、…他方との間に、単に依然たる戦争状態を残すにとどまらず、更にこれとの間に不幸なる敵対関係を生み出し、総じて世界的対立を激化せしめるであろう」。講和条約は平和のためではなく、他国に対する戦争のためのものだったのです。
第2の問題点は、講和条約は旧日米安保条約(旧安保)とセットだったという点です。米英中のポツダム宣言には「日本に平和的・民主的政府が樹立された段階での占領軍撤退」が明記され、講和条約も占領軍の撤退を定めていました。しかし条約の条文には、「協定に基づく外国軍の駐留を妨げない」という但書きが付け加えられました。この但書きは、旧安保の締結を講和条約調印の条件にしていた米国の意向に沿ったものでした。こうして、米軍基地の継続を定めた旧安保が講和条約と同じ日に調印されることになりました。このように、講和と安保とは抱き合わせだったのです。
講和・安保は日本の対米従属・属国化の起点となり、全面講和による軍事基地のない非武装中立の日本の実現を遠ざけ、対外的自主独立の道を閉ざしました。世論も、独立は形式的なものだと受けとめていました(52年5月の朝日新聞の世論調査では、「講和ができたので日本も独立国になったと考えるか」という質問に、肯定の回答は41%に過ぎませんでした)。

(2‐3) 沖縄とアジアの切り捨て
第3は、沖縄、奄美、小笠原は、講和条約により米国の施政権下に組み入れられたという問題点です。沖縄では、講和条約発効の翌年から銃剣とブルドーザーによる土地強奪・基地建設が強行されました。現在も県民に塗炭の苦しみを強いる基地問題の元凶は講和・安保体制に外なりません。沖縄では4・28は「屈辱の日」以外の何ものでもありません。
第4は、戦後補償をはじめ戦後処理問題をなおざりにした講和だったという問題点です。日本軍国主義の被害をもっとも深刻に受けた中国・韓国・北朝鮮は講和条約から排除されていました。また、米国は、日本の経済復興を優先し、戦後処理にひたすら「寛大な講和」をめざしていました。その結果、人道的視点からの戦後処理は軽視され、戦争犠牲者への補償は切り捨てられました。戦後補償の遂行は、日本がアジア諸国から、自立した平和国家として信頼されるようになるために不可欠の前提でした。しかし、戦後処理はネグレクトされ、その結果日本は対米依存を強めることになりました。
こうした問題を抱えた講和条約を祝う儀式は、日本の対米従属、沖縄の基地問題やアジアに対する戦後補償問題の切り捨てを正当化することになります。また、この式典は改憲策動と密接に連動しています。そのことは、「4月28日を主権回復記念日にする議員連盟」設立趣意書の「主権回復した際に、本来なら直ちに自主憲法の制定と国防軍の創設は、主権国家として最優先手順であった。」との一説からも明らかです。

3 対米従属と戦前回帰の憲法への転換
(3‐1) 対米従属と新改憲案
日本国憲法の前文は、憲法の基本原理である主権在民、人権尊重、平和主義を宣言し、こうした憲法を制定するに至った歴史的由来を確認し、そしてこの憲法が近代憲法の大原則である立憲主義に立つことを明らかにしています。ところが、この前文は、改憲論者から目の敵にされ、9条とともに最大の攻撃対象になってきました。新改憲案の前文は、日本国憲法の基本原理を踏みにじり、侵略戦争に対する歴史認識を欠落させ、近代憲法の鉄則ともいうべき立憲主義を否定する前近代的なものになっています。
新改憲案は、非暴力平和主義の憲法を戦争のための憲法に変えようとしています(前号参照)。それは前文の全面的書きかえにも表れています。
日本国憲法の前文には9条の精神・目的がキッチリと書きこまれています。まず、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し…この憲法を確定する。」と、憲法制定の目的が過去の侵略戦争への反省に立って、二度と政府による戦争を起こさせないことにあることを明確にしています。そして、「日本国民は、恒久の平和を念願し、…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と、武力によらない平和をめざす9条のよって立つ基本精神を明らかにしています。そのうえで、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」として、市民が政府に対して平和を脅かす一切の政策をやめさせる権利、すなわち平和的生存権を保障して、全世界の市民の連帯で戦争と構造的暴力のない世界平和を達成することが市民の権利であることを明らかにしています。
これに対し、新改憲案前文は、平和的生存権をはじめ非暴力平和主義の規定を全面的にカットしています。こうした前文の書きかえは、9条の改憲とセットになっています。米国は講和・安保発効以降、憲法9条を邪魔物扱いをするようになり、9条改憲の圧力をかけてきました。9条改憲の最大の震源地は米国でした。保守政権もこのころから、米国の外圧を利用して、自主憲法制定の声をあげるようになりました。改憲の動きは当初から、対米自主と対米従属のジレンマを抱えていたのです。
講和・安保以降今日まで、やむことなき米軍基地の強化、自衛隊の増強そして日米軍事一体化などの安保強化によって、日本は軍事的に対米従属を深めていきました。自衛隊は今や米軍の1部隊といっていいほどに米軍に従属する存在になってしまっています。安保の強化に比例して、改憲案の内容は、自衛隊の明記だけから、新改憲案のように、米国と共に戦争をするものへと対米従属度は格段に深化しています。
9条改憲は、平和憲法と安保との矛盾を平和憲法の抹殺によって解消するものであり、そうなれば安保体制は絶対化されることになります。その結果、憲法による戦争への歯止めが失われ、日本の米国の戦争への参加・協力は極限にまで進み、日本は戦争への道をひた走ることになります。

(3‐2) 戦前回帰の新改憲案
対米従属と反動的な歴史観が改憲策動推進のイデオロギーになっています。安倍首相が最も尊敬する政治家で祖父にあたる岸信介は「大東亜戦争」を指導したA級戦犯の一人ですが、安倍の改憲論や歴史観は改憲策動の「創始者」の一人である岸に深く影響されています。岸―安倍ら自主憲法制定論者は、太平洋戦争は日本と米国との対抗の歴史の一コマであり、その延長線上で行われた戦後民主改革は日本敵対政策の一環であり、日本を無力化することが狙いであったととらえています。こうした歴史観からは、戦後民主改革の最大の成果の一つである日本国憲法は占領権力による押し付け憲法であり、許し難い存在だということになります。これが自主憲法制定論の立ち位置です。
このような歴史観に立って作られた新改憲案は、その前文からしてすでに、憲法としてあるまじきとんでもない規定のオンパレードになっています。とりあえず、天皇制国家論、立憲主義の否定、人権蹂躙の3点を取りあげます。
@ 天皇制国家論―「日本国は、…天皇を戴(いただ)く国家」と定義されています。こうした復古調の定義からも、グローバル化が進む中で天皇制を国民統合の中心軸に位置付け直すという改憲の意図が透けて見えます。本文における天皇の元首化や天皇の公的行為の明文化はそれを具現化したものです。また、国旗・国歌や元号の定めは、天皇制による国民統合、国民に対する愛国心の強制を狙っています。憲法における天皇制の強化は、主権在民、人権尊重、立憲主義と全く相容れません。
A 立憲主義の形骸化―日本国憲法の前文の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるもの」という宣言は、市民が人権と自由を享受することを目的に社会契約を結んで国家を形成し、自らの自然権を政府に託すという、近代憲法の根幹にある社会契約の原理を表わしています。社会契約の原理と立憲主義とは不可分の関係にあります。立憲主義とは、市民が、市民の人権と自由のために社会契約を結んで憲法を作って、政府に権力を授権するとともに、権力を制限するという近代憲法の基本原理・鉄則です。ところが、新改憲案の前文は、「国民の厳粛な信託」という宣言をカットし、それに代えて、国家を天皇を戴く民族共同体とする国家観を打ち出し、「国と郷土を…自ら守り」とか「我々の国家を末永く子孫に継承」などと、市民の天皇制国家への忠誠義務を強調しています。こうした民族共同体論は、近代憲法の鉄則である立憲主義を真っ向から否定するものに外なりません。改憲によって、憲法の意味は、平和と人権を守るための権力制限規範から、天皇制国家への忠誠を尽くさせるための市民の義務規範に転換することになります。
B 人権蹂躙―日本国憲法では、市民は人権の担い手であり、常に個人として尊重される存在です。ところが、新改憲案の前文にあっては、国家が市民に対する義務を設定するために憲法を利用しようという意図が露骨に表れています。しかも、この義務は天皇といった超越的存在との関係で基礎づけられています。こうした前文と、新改憲案本文で、人権制限の根拠が「公共の福祉」よりもはるかに広範な人権制限を可能にする「公益及び公の秩序」に変えられ、また随所で人権の制限が行われている点、新改憲案の解説書で人権思想の核心である天賦人権思想が否定されている点とは根っこのところでつながっています。日本国憲法における個の尊重、人間の尊厳から、国家、天皇制の絶対視への転換を図る改憲が、人権を根こそぎ破壊することは必至です。

 こうした戦前回帰型の国家主義的内容と対米従属型の9条改憲とがセットで、自主憲法制定の名で、米国の後押しを受けまた対米従属を深化させながら、推し進められようとしています。しかし、対米自主と対米従属との矛盾はいずれ改憲への桎梏となるでしょう。また、改憲による天皇制軍事国家の台頭や近代憲法からの逸脱は、世界から日本が孤立する事態を招くでしょう。改憲は決して希望への道ではなく、地獄への道です。


◆自民党改憲草案(2012)前文
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。






関西共同行動ニュース No62