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「慰安婦」問題の20年、今こそ 日本政府の勇気ある決断を求めます
【日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク】 ぱんちょんじゃ



■11年12月14日、ソウルの日本大使館前水曜デモが一〇〇〇回を迎えた。
この日を迎えるまでにはなんとしても解決したい、もうこれ以上被害者を日本大使館前に立たせることはできない、そんな覚悟で始まった11年。20年前の91年8月14日は故金学順さんが日本軍「慰安婦」であったことを被害者として初めて名のりでた日だった。沖縄でペ・ポンギさんがひっそりと亡くなったのも同年10月のことだった。
20年前に初めて開催された日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議が、昨年8月に第10回目を迎え、ソウルで開催された。日本からは宋神道さんが、タイからはノ・スボクさんが参加された。お二人とも90歳に手が届く。日本の敗戦で「慰安婦」生活から逃れられたものの、異国の地にうち捨てられ、故郷に帰ることすらかなわなかった。現地の男性と結婚、70年の歳月は彼女から朝鮮語を奪ったが、「アリラン」の歌は最後まで忘れなかった。タイに戻ってまもなく、11月14日ノ・スボクさんの訃報が届いた。韓国の生存被害者は63人となった。

■韓国水曜デモ一〇〇〇回アクション、 世界に広がった!
一〇〇〇回アクション連帯行動は韓国(30都市)と日本(14都市)そして全世界(29都市)へと広がった。12月14日正午、ソウル日本大使館前水曜デモに二〇〇〇人が集まった。司会は俳優の権海孝(クォン・ヘヒョ)さん。オープニングの彼の表情に笑顔はなかった。声には怒りがこもっていた。「私はこの日を迎えて、よかったのか、嬉しいのか、悲しいのか、やりきれないのか、わからない・・・」参加者の思いを代弁していた。これで最後にしようという決心を繰り返しながら20年間、一〇〇〇回、何ひとつ成果を残せず、ソウルの凍える寒さの中、私たちはまたハルモ二たちをこの場に立たせた。
しかし、何も変わらなかったというのは違う。何より変わったのは被害者だった。名前を出すのも、顔を出すのも恥ずかしいとためらい、ただ泣きくずれた被害者は、堂々と日本政府の責任を問い、この歴史を再び繰り返させまいと声をあげはじめた。被害者としてではなく、歴史の証言者として、平和運動家として。
一〇〇〇回を記念して日本大使館前に建てられた「平和の碑」は、連れ去られた頃の被害者の姿を表す少女の像だ。像には影がある。像の足元のタイルをはがし、新たに設置された影は年老いた、今現在の被害者たちの姿と、過ぎ去った歳月を表現している。少女の肩には平和への祈りと希望を表す小鳥が止まっている。
日本でも同時刻、東京の外務省前に一三〇〇人が集まり、外務省を人間の鎖で囲んだ。宋神道さんが車椅子で参加、外務省を一周し、マイクで叫ぶ。「解決するまで死んでも死にきれない、心は負けない」
大阪扇町公園では夕方からキャンドルナイトコンサートが開催された。仕事帰りの人々や青年、学生ら五〇〇人が集まる中でのコンサート。夜空にキャンドルの灯りが一〇〇〇の文字となって灯る頃、みんなの心はひとつになった。元気を出して、希望を失わず、ここからまたはじめようという決意とともに全員で「水曜デモの歌」を歌った。
様々な出会いと別れが交差し、困難な中にも希望を見出しながら20年という区切りの年が過ぎ去った。



■憲法裁判所の違憲決定を受けて
韓国政府が動いた!
昨年8月30日、韓国憲法裁判所は日本軍「慰安婦」問題を解決するために韓国政府が外交努力をしないことは、違憲行為であるとの決定を下した。即ち「慰安婦」問題が65年の日韓協定で解決済みという解釈について両国間に相違(紛争)があるにもかかわらず、韓国政府が具体的な措置をとってこなかったのは、被害者の基本権を侵害する違憲行為であるというものだ。韓国政府はこれを受けて9月以降数次にわたって日本政府に対して公式に協議の申し入れを行なってきたが、日本政府は二国間協定で法的に解決済みであると繰り返してきた。
12月18日、李明博大統領が来日、日韓首脳会談の席で李大統領は「慰安婦」問題の解決に向けて協力を求めたが、野田首相から返ってきたのは「二国間協定で解決済み」であり、平和碑を撤去せよという抗議だった。これに対して李大統領が「誠意のある措置がなければ第2、第3の像が建つ」と応酬した。野田首相は「人道的努力に知恵を絞る」と答えたが、「人道的」とは加害者が被害者に使うべき言葉ではなく、また、被害者が受け入れられるのは法的解決をおいてほかにない。
韓国政府は今年1月末、与党セヌリ党(旧ハンナラ党)内にタスクフォースを設置し、国会としても憲裁裁判所の決定を受け入れ、問題解決のために努力していくことを明らかにした。また、日韓請求権協定3条にもとづき、日本が協議に応じない場合の「仲裁委員会」構成に向けて、仲裁委員の候補選びや関連資料の準備も進めている。今年4月に国会議員選挙、12月には大統領選挙を控え、「慰安婦」問題に対する韓国政府の対応が注目されるなかでの対応である。
日本政府にとって日韓首脳会談で一歩も前に進まなかった両国の経済問題や安全保障問題を前に進めるためにも「二国間協定で解決済み」を繰り返すだけでは外交破綻を招く。民主党は野党時代、自ら「戦時性的強制被害者問題解決促進法」をつくり、10年間にわたって国会に提出し続けてきたことを思い起こして欲しい。まさに法的解決が残されていると認識していたからにほかならない。日本政府は過去の罪から自らを解放するためにも、未来の世代に責任を果たすためにも、今解決に向けて勇気ある一歩を踏み出すべき時だ。そのために残された時間はもうない。








関西共同行動ニュース No59