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■フランス・ニースでのG20反対集会に参加して
国境を越えた連帯ヨーロッパ・フランスの民衆運動 【関西共同行動】星川洋史

10月30日、「戦争あかん!基地いらん!2011関西のつどい」と雨の中のデモが終わり、京橋での交流会もそこそこに、関西空港に向かった。30年代をしのぐ大恐慌の危機を迎えつつあるヨーロッパ、南仏カンヌでのG20サミット(11月3、4日)に反対する行動(11月2日、ニース)への参加、フランスの反資本主義新党(NPA)、左翼労働組合SUD(ソリダリティー)との交流のためだった。メンバーは全日建関西生コン支部、全港湾大阪支部、管理職ユニオン・関西の組合員や、革命21、関西共同行動の仲間や私を含む10名だった。
カンヌはサミットを前に戒厳令状態ということで、10月2日の反対集会場は、ニースの中心部に近い広場だった。9月16日のさよなら原発集会が行われた明治公園よりは少し狭い感じだ。会場では、統一集会のようなものはなく、それぞれのグループが思い思いの場所をとりそれぞれに集会や打ち合わせなどをしているようだった。フランス語はもちろんのこと英語すらおぼつかない私には詳しいことは判らないが、デモ出発の出口近くで、一番広い場所でやっているのはATTACで、トラック4台くらいに巨大なスピーカーや看板を乗せての集会だった。我々も、我々よりも前にフランス入りをしていた杉村昌昭さんとフランスに住んでいる呂さんがアタックの旗を持ち、全日建連帯の旗や関西共同行動ののぼりもかかげてここに参加した。そのすぐ横ではフランス最大の労組・共産党系のCGTもトラック2台くらいの舞台で集会をやっていた。



フランスだけでなくイタリアやスペインなど南ヨーロッパの人たちもグループで参加していたようだ。SUDやNPAの人たちはATTACの中にも周辺にも旗やプラカードを持って参加していた。パリでのNPAとの交流のため、NPAの旗を持っている若者にピエール・ルッセさんのことを訪ねに分け入ったが、若者たちは「判らない」といい、そばにいた中年近い男性が「ピエールのことなら電話も判る。あなたのことは聞いている」と親切に、きれいな英語で教えてくれた。私はてっきりフランスの仲間だと思っていたが、後でバングラデシュのアジア社会フォーラムに参加した寺本さんから、ドイツのATTACのメンバーから「ニースで星川に会って話した」といっていたと聞き、「ドイツの人たちもあの中にいたのか」とヨーロッパの運動の国境を越えた有り様をいまさらながら感じさせられた。デモの出発時になっても、集会場が満杯だとは感じられなかったので、呂さんにたずねたところ「慣れた人たちは、デモ出発の時間待ちなどもったいないので、すぐ出発できる時間に会場に着こうとするのだ」と教えてくれた。デモの先頭はATTACだった。参加総数は2万人だとデモの途中で教えられた。
集会中もデモの中でも我々の漢字の旗を見つけて、マスコミの人が「インタビューして良いか」と寄ってきた。どこかのテレビ局の女性は、我々が大阪から来たと判ると「ウチも大阪の事務所におったんや」と大阪弁でおどけながらなつかしそうにインタビューしていった。大阪に住んでいたという会ったこともない参加者もなつかしそうに我々と話しながらデモをした。
おおこれがフランスデモか。道路は両方向とも解放され、デモ中は路面電車も通らなかった。途中でガード上を走る国鉄の電車の運転手はみんな長い警笛を鳴らして「連帯」を表明して過ぎていった。
しかし、デモコースのデモ隊への解放は、デモ隊と市民の分断の意味もあるという人もいた。大きな辻々には、ガラス張り大きな衝立を張り、その陰には乱闘服の警官が列をなし、腰を落として構えていた。デモの最後尾から少し離れて、ガス銃なのか普通の銃なのかを構えた警官隊が隊伍を組んでいた。SUDも相当な人数の独自隊列を造っていた。デモの最後尾はNPAの隊列で、若者たちは、電柱や壁に「原発反対」のステッカーを張り巡らせながら解放されて歩いていたが、回りを守るように中高年のがっしりした部隊がスクラムを組んで行進していた。後ろから来る銃を持った警官隊への対応、デモ隊からの不測の事態にも対応するためと後で聞いた。カンヌのATTACのメンバーは「カンヌでは警察がしつこくつきまといどうにもならないので早々にニースに来てすっきりした」といっていた。フランスでもやはり闘いの環境は厳しいのだと知らされた。
その後行われたG20サミットでは、ギリシャ、イタリアなどヨーロッパをはじめ迫り来る資本主義の危機を乗り切るために、労働者民衆への低賃金・重税の押しつけ、新自由主義の攻撃の一層の強化が合意され、野田首相も労働者市民の犠牲で財政危機を乗り越えるために消費税増税をなんと外交の場で公約した。パリでのNPAとの交流でピエール・ルッセさんは「ヨーロッパでは、資本主義は歴史的危機を迎えている。しかしそれは左翼の側、主体が前進していることを意味しない。左翼も重大な困難をかかえている」と話した。それは、また日本にもあてはまることである。NPAやSUDとの交流も意義深いものだった。今回は紙面の都合がつかない。またいずれかの機会に報告したい。




■編集後記
資本主義と商品経済の拡張の果てに、どこにも「外部」が存在しなくなり、スペクタクル的で投機的な金融とテクノロジーのむなしい「発展」が世界を覆い、われわれが「モノ」を生産すればするほど、われわれの生が貧しくなり、権力は警察的な監視のネットワークの中で、外部ではなく内部の「敵」を新たに作り上げつつ、それを叩くことで単純化された社会をコントロールしている(A・ヤッペ)…という見解に深く共感し、そうした社会に抵抗を試みる。今年も忙しい1年が始まる(古橋)





関西共同行動ニュース No58