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■編集後記

 新野田政権とは何か。消費税導入により格差社会を強化・大企業優遇策を推進し、原発再稼働を画策して、排外主義をあおり、「国難」と「日本は一つ」をスローガンにそれを称して「日本再生」をうたい上げる空疎な政権にすぎない。あからさまに今や民主党は新たな「保守政権」であり、かつての自民党と異なる所が無い・・・といったマスコミ報道もあり、それを証明するかのように日経連会長もにこやかに新政権を歓迎する。フクシマはどこに行ったのか。何よりも僕の中で。

 こうした電力事情の不安定さが続けば、企業活動が海外に移転するだろう・・・と暗に原発再稼働への同意を求めるが、いうなればこんな時にこそ「日本の底力」を口にするべきではないのか。そもそもかけがえのない故郷をあの惨状にしたのは誰か。なお事故が収拾せず、放射能を出し続け、かつ被災民の生活再建が見えない中で何が世界陸上か、なにが日本を明るくしたか・・・だ。「復興」とはマイナスからスタートするという覚悟であり、その覚悟なしに「救国」を言おうとするから排外主義に頼らざるを得ないのである。だがそこには「自衛隊」という軍隊の、アメリカという武器シンジケートのわきの下をくすぐるような「復権」が待ち構えていることを忘れてはならない。

 マイナスとは何か。例えば放出された放射能は、燃やしても洗っても埋めてももはや消えることはない。ただ時間と新たな放出と死の灰のこれ以上の生成を止めること以外に未来への展望が無いという現実の了解と、すでにこの地震国内に54基の原発を所持していて、それが経済の発展の基礎を作ったのだといった妄言からの脱却である。そこに自己批判なき経済界にいかなる道徳的期待も持つことはできないという徹底的な抗議である。

 東北の海は世界三大漁場の一つであるという。いわば半永久的に漁が保障された恵みの海であった。にもかかわらず原発立地の見返りである交付金無くしては地域住民は生きていけないという現実に、戦後日本の政治構造の貧困を改めて考える。その意味はいやでも日々食を口にする僕等自身がひしひしと感じていることではないか。そうでないもう一つの世界があったはずだ。

 それはどこか。誰かが見つけてくれるのを待つのか、無いなら取りに行くか。(古橋)


関西共同行動ニュース No57