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福島原発の事実 ―東日本大震災討論会での発言より― 【前福島県知事】 佐藤栄佐久



■ 国から住民への流れを住民から国へ
 わたしは、組織のトップ、たとえば知事などの責任というのは、いざというときにどういう動きをするのかということだと思います。国→都道府県→市町村→住民という行政のベクトルを住民から始まる逆のものにしなければならないと考えてきました。これが私の政治活動のテーマでした。
 99年に制定された地方分権推進のための地方分権一括法に関わってきましたが、そこにはアメばかりでなく市町村の合併推進というムチも含まれていました。この10年間で地方は様変わりしました。わたしはそれには反対しましたが、ここには過疎の問題の解決という問題も含まれていました。合併を選ばなかった多くの村が放射能汚染で避難を余儀なくされていますが、これまでにもこうしたことでの苦労があったのです。
 自民党結党30周年の時、その宣言に「憲法改正」を入れる動きがありました。ハマコウ(浜田幸一)さんや扇(千景)さんが強硬派でした。宮沢(喜一)先生が私と田中秀征君に「その動きをつぶしてこい」といい、努力して入れずにすみました。原発の問題もそうした姿勢で関わってきました。大型店舗の規制もそうです。その結果私が逮捕されることになったのです。知事というのは、住民なり街から見てどうしようもない国からの指示であっても、その下で動かなければならないということが多々あります。
 今一番大事なのは今度の原発事故のような信じられない規模の被害が出てきた中で、今度こそ日本の政治が変わらなければならないということです。私はそれを期待していました。

■ 変えよう!官僚と業界の支配
 ところが菅総理が浜岡原発の再稼働中止を言いだしたころからおかしい状況が起きてきました。福島原発の吉田所長が原子炉冷却のための海水の注入を決断したが菅総理の指示で1時間中断したという問題をめぐって、国会が4、5日もめました。このごたごたの中で原子力安全・保安院が東電のこうした重要問題さえ把握していなかったことが判りました。この頃から菅たたきが始まりました。私も自民党の中で族議員とやり合いましたが、民主党の中にもそうした族がいるのかと思いました。海江田経産大臣の佐賀県への玄海原発再稼働の要請もその現れでしょう。
 04年に美浜原発事故が起こり、十数人の死傷者を出した。それでも関電は責任を問われることなく原発推進発言を続けました。今、再稼働を言える時期ではないことは明らかですが被災地にたいし東電から「節電要請」が来ました。被災地ではしたくても仕事が無い状況で、残業ができれば残業してでも工場を動かしたいと思っています。まともな政治家であればそうしたいと判断するはずです。しかし次に経済産業省から15%節電の指示があり、これには従わないと罰則が付く。そういうことが臆面もなくできる官僚がいるから海江田さんは佐賀に行くわけです。
 事故以前のことですが、原子力安全委員会・保安院は、99年のJCO事件を受けて01年には発足しますが、対して当時福島県内で県民こぞっての検討会をやろうとしている時に「原発の安全宣言」というパンフを双葉町に全戸配布するわけです。そこでは「慎重の上にも慎重を重ね・・・」とあります。つまり、地震が起きても津波がきても電源を喪失しても絶対大丈夫と豪語したわけです。国が主催する公聴会で、九電の「やらせ問題」が発覚しました。日本の警察もそうですが、統治機構総体として破綻しています。全ての統治機構の中に天下りが蔓延しているからです。

■ これからです!
 チェルノブイリ事故の半年後ですが、私は「地方自治体宣言」という声明を発表しました。そこには「原発の事故というものは時空を超えたものだ」と書いたのですが、今度の事故では廃液を海に流しました。日本にそういう自覚が見られない。宣言で言いたかったことは、原発のある地域に住む住民が一番の関係者であるということです。当たり前のことだと思うのですが、しかし現実は今回の事故での避難においても、その避難先が後日最も汚染された地域であることが判明しますが、その事実はスピーディですでに自治体に届いていたにもかかわらず発表しなかったという結果です。許されないことです。日本では情報隠し、官僚の意のままに操作されています。一方、国民の方も「避難民は黙って静かに行動している」と世界からも称賛されました。なぜそうであったのか。それは国民が「国が間違いなく解決してくれる」と信じたからなんです。そのことを逆手にとって国は「どうせ国民は文句を言わない」と判断しているのでしょう。
 いまなお使用済み燃料を捨てるところが無い。原発を抱える地域では世代間の共生は無い。山口県上関町祝島でカヤックに乗って上関建設反対を闘う若者たちに言ったのですが「もし原発が出来れば40年後にはここは廃棄物で一杯になる」と。モンゴルに廃棄物を持っていく計画があるという新聞報道がありました。これは許されないことです。日本の再処理問題についてですが、04年の報告書でも、ある学者が、「数十兆円の再処理費用がかかり、このまま原発を動かしていたらどうしようもなくなる」と警告を発していましたが、左遷されました。いままた復帰の動きがあるようですが、新たに若い研究者の中からも原発の歴史を見直す動きもあります。
 ドイツは10年かけた国民的議論を経て原発中止を決定しました。日本ではたかだか30人ぐらいの委員会の中で議論するだけ、用意された資料にGOサインするだけの会議です。今度の事故を受けて、それも変わるであろうと、いや変わらなければならないと思います。
 「憲法改正」のための小選挙区制で2大政党制が実現した中で、両政党とも原子力推進政策に反対しません。この場に結集されたみなさんが「緑の党」のようなものをつくって「環境問題・原発問題」について論を張るようなことがないと今は、彼らのやりたい放題の状況です。55年に中曽根さんたちがつくった法律の中にさえ「自主」という言葉があります。自主というなら、地元の村長は、自分の頭で考える、考えるということの意味は村民の意見を聞くということです。例えば直接住民投票で聞いて見る―町長としてはその結果に必ずしも従う必要はないのですが―そうしたことをやるべきでしょう。佐賀原発の問題でも、村長が「ちょっと待てよ」と言いだしました。「やらせ問題」が発覚しました。これは私などは幾度も経験した事態ですが、そうした体質の上に大臣がいるわけですから、そこをどう変えていくかということだと思います。これからです。(7/9「自主・平和・民主のための広範な国民連合」主催集会での発言から了解を得て編集しました―星川)


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関西共同行動ニュース No57