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●なぜ、私は原発に反対するのか  5月3日 熊取京大原子炉実験所研究室にてインタビュー
【京都大学原子炉実験所・助教】 小出裕章



■原子力発電の危険性

 原発というのはウランを核分裂させてエネルギーを取り出す機械です。問題はウランを核分裂させる時の量が途方もない量だということです。例えばヒロシマ原爆というのもウランを核分裂させたわけですが、使用したウランは八百グラムです。ところが、原発は、今日では発電量百万キロワットというのが標準になっているのですが、原発一基を一年間運転させるために、一トンのウランを核分裂させている。原発はヒロシマ原爆の優に千発分を超えるウランを核分裂させる機械なのです。

 ウランを核分裂させると出来るのは、核分裂生成物いわゆる死の灰です。原発は人間が使うようになった機械の内最悪というか、言葉に表せないほど膨大な危険を内包している機械なのです。そのことは、原子力を推進する人たちも初めから知っていた。そして万一事故が起きてその大量の核分裂生成物というものが表に出るようになったら、悲惨なことになるということは、誰が考えても当たり前のことだったわけです。それで、彼らがやったことは二つあります。

 一つは「原子力損害賠償法(原賠法)」というものを作った。そして事故が起きても電力会社を免責するという条項を入れて初めて、国は電力会社を原発に引き入れることに成功するわけです。電力会社は、もともと「事故が起きたら全てを補償しろ」と言われたら、いくら資力があっても購いきれない。ところが、原賠法だと一応上限が千二百億円ということになっている。今回の被害というものは何十兆円、あるいは何百兆円に達する程の被害で、電力会社が補償できる道理もない。そうなることがみんな分かっていたから原賠法という、この資本主義社会の中では超異常な法律を作って、電力会社を免責して原発に引きこむということをまずやった。

 二番目にやったことは、「原発は都会に建てない」ということです。今日本には54基の原発がありますが、東京湾、大阪湾、伊勢湾には一つもない。過疎地に押しつけて、長い送電線を引いて電気を都会に送るということをやってきた。

 このように原発は、もう全部初めから危険だということを承知でやってきた。その無理というか、いつか事故が起きれば破綻するということがわかっていたわけで、それが今回の福島の事故で明らかになってしまった。


■金もうけの道具=原発

 これほどの事故が起きても、日本という国が原発をあきらめないのはなぜか、それには理由があります。

 一つには電力会社というのは電気事業法で守られていて、原発をやればやるだけ儲かるという仕組みがあるからです。結果、原発に三菱・日立・東芝という日本の産業の屋台骨を背負うような企業が、群がって利益を得ようとして、そのために原発の生産ラインを作って、そこに技術者・労働者を張り付けるという体制を作ってしまった。一度そうなったら止まれないということで原発はここまで来た。でももういかんせん日本の中で、発電所は余り過ぎているし、原発はとてつもなく費用がかかり過ぎるので、電力会社もこれ以上は原発を抱え込めない事態になってきている。

 90年ぐらいまでは、毎年二基の原発ができてきたけれども、それ以降は毎年一基さえもできない時期に入って、原発の凋落は決定的だった。それでは原子力産業は困るので、今は、中国やインド、あるいは東南アジアに原発を押し付けて生き延びを図るという時代になっているわけです。

■原発と核の関係性

 結局日本の国内ではもう原発の時代は終わりだと私は思っているのですが、それでも国としては原発を絶対あきらめない理由がもう一つあって、それは「原子力」と私たちが聞かされているものは、いわゆる「核」と一体だということです。

 例えば「ニュークリヤー・ウェポン」という英単語は「核兵器」と訳します。しかし「ニュークリヤー・パワープラント」を訳す時には「原発」と訳して、同じ「ニュークリヤー」という単語が、ある場合には「核」、ある場合には「原子力」と訳して使い分ける。あたかもその二つが違うものであるかのように日本政府はずっと宣伝を続けてきた結果、多くの日本人は「核と原子力は違うものだ」と思い込まされているわけです。けれども、技術には「軍事」と「平和」の区別はない。

 「ニュークリヤー・ディベロップメント」の訳語も同じような操作が行われています。「ディベロップメント」とは「開発」ということですから、では「「ニュークリヤー・ディベロップメント」とは一体何かというと、例えばそれをイラン、イラク、朝鮮民主主義人民共和国がやるということになると、日本のマスコミ、あるいは政府はこぞってそれを「核開発」と訳して「とんでもない悪いことをしている」と宣伝する。では日本が同じ「ニュークリヤー・ディベロップメント」をやるときに何と訳すかというと「原子力開発」と訳す。そしてそれは「文明国として必須のものでこれからも日本は大いに推進します」というようなことを言う。このように「ニュークリヤー・ディベロップメント」もそれをやる国によって、あたかもまったく違うものであるかのように訳し分けて、そしてその宣伝を大々的にマスコミを使って流す。そうすると日本人はその宣伝に乗っかってしまって、「日本という国は良い国で、どんどんやってもよい」が、「他の国が同じことをやったら悪いことであって、経済的に、ある場合には軍事的にも制裁をしなければいけない」というようなとんでもないことになっていく。



■核兵器のための原発

 原爆を開発した米国の「マンハッタン計画」に、そうした背景のすべてのルーツがあります。ヒロシマに落とされた原爆はウランで出来ていました。ただ天然のウランには核分裂性のウランが0.7%しかありませんので、そのままでは爆発させることはできない。マンハッタン計画では、天然のウランの中に存在する0.7%の核分裂性ウランをとにかく集める作業をやったわけです。それは同位体濃縮という困難な作業を行って核分裂性のウランだけを集めたのですが、それは「濃縮」と呼ばれています。原爆を作るためにはこの「濃縮」という作業が必要なのです。

 それから、もう一つの原爆があります。それはナガサキ原爆です。ナガサキ原爆はプルトニウムで出来ていました。プルトニウムは自然界にはなく、人間が作り出した物質です。「核分裂を起こさない方のウランに中性子という素粒子をぶつけるとプルトニウムが出来る」ということを物理学者が発見し、そのプルトニウムもまた核分裂性のウランと同じように核分裂することを見つけて、そのことを米国政府に教えます。それで米国政府はプルトニウムを作ることにした。

 このプルトニウムを作る目的で、核分裂をしないウランに中性子をぶつける作業をするために考えられたのが「原子炉」です。日本人は「原子炉」というと何か発電に使う機械であるかのように思いますがそうではありません。もともとはプルトニウムを作りたくて作った装置です。その原子炉の中でプルトニウムが生み出されます。次に生み出されたプルトニウムを分離して単体として得るのが「再処理」という作業です。そうしてプルトニウムを得て原爆を作ることにした。ですからプルトニウム型の原爆を作るための必須の技術が、「原子炉」と「再処理」です。つまりマンハッタン計画で原爆を作るために必須の技術として開発したのが、「ウラン濃縮」と「原子炉」と「再処理」なわけです。



 国連の常任理事国は米国・ロシア・イギリス・フランス・中国の五カ国です。どうしてその五カ国が常任理事国としていられるかというと、かつての第二次世界大戦の戦勝国であったということはもちろんそうですが、もう一つは核兵器を持っているということです。ですからその五つの常任理事国は、すべて「ウラン濃縮」「原子炉」「再処理」という三つの技術を持っている国です。

 世界には原爆を作った国が他にもいくつかあります。インド、パキスタンは実際に核を爆発させて見せたし、イスラエルも持っているとほとんどの人は思っている。南アフリカも以前作ったと言っている。朝鮮民主主義人民共和国も作った、爆発させたと言っています。でもインドという国は、「原子炉」と「再処理」の技術を持っていますが、「ウラン濃縮」の技術は持っていません。パキスタンは「ウラン濃縮」の技術は持っているけれども「原子炉」と「再処理」技術は持っていません。イスラエルは「原子炉」と「再処理」は持っているけれども「ウラン濃縮」は持っていない。南アフリカは「ウラン濃縮」は持っているけれども「原子炉」と「再処理」は持っていない・・・というようにつまり三つの技術を全部持っている国は、国連常任理事国の五カ国の外に、非核兵器保有国と言われる国として一国だけあります。それが日本です。日本という国は、「原子力の平和利用」というようなことを標榜しながら、核兵器を作る三つの中心技術を「平和利用」と言いながら懐に入れてしまったとてつもなく特殊な国になっています。

■原発推進政策の軍事目的

 それはもちろん国家の意思としてやってきたわけで、去年の秋、NHKが「核を求めた日本」という番組を放映しました。その内容は、敗戦から立ち上がっていく過程で、「日本が二等国から這い上がるためには核兵器を作る能力を持たなければいけない」と考え、ドイツに働きかけた内幕を暴露した番組でした。日本が、平和利用を標榜しながら「核兵器を作る能力をとにかく手に入れたい」ということで原子力開発を推し進めてきたことを暴露した番組でした。まさにそういう歴史をたどってきたわけで、日本は今までも核兵器を作りたかったし、これからも「核兵器を作ることで国際社会の中での発言力を持とう」と考えているのだろうと思います。

 福井県には「もんじゅ」という高速増殖炉と言われる特殊な原子炉がありますが、高速増殖炉の運転にはとても難しい技術が必要です。95年に事故を起こして止まってしまって既に16年が経ちますが、日本の政府はそれを再稼働させたいと言っています。16年間も止まっていた機械を動かすなんてことは普通の常識で言ったらあり得ないことだと思いますが、日本の政府はどうしてもそれをやるという。なぜかというと「もんじゅ」は、非常に特殊な役割を持っているからです。

 ナガサキ原爆がそうであるように、核兵器を作るためには核分裂性のプルトニウムが必要です。プルトニウムには、核分裂を起こさないものも存在しています。原爆を作るには、核分裂性のプルトニウムの割合が90%を超える、できれば93%を超えるような核分裂性プルトニウムが望ましいとされています。先ほど「原子炉というのはプルトニウムを生み出すための装置」と説明しましたが、日本で稼働する原発でも原子炉が動いているわけですからプルトニウムがどんどん出来てきています。すでに日本は、日本の原発で出来たプルトニウム45トンを分離して保有しています。それでナガサキ型の原爆を作るとすれば四千発できます。それだけの原爆材料を懐に入れているのですが、実はその日本の原発でできるプルトニウムというのは、核分裂性のプルトニウムの割合が70%しかありません。ですから高性能な原爆は作りにくい。でも高速増殖炉を動かすと、核分裂性のプルトニウムの割合が98%という超優秀な核兵器用のプルトニウムが手に入ることになります。ですから日本が、「超優秀な核兵器を作りたい」と思えば、どうしても高速増殖炉を動かしたい。それが電気を生むようになろうとなるまいとそんなことはどうでもよい。「もんじゅ」は比較的小さな原子炉ですが、それを動かすことが出来れば超優秀な核兵器材料が手に入ります。そのために、どうしても「もんじゅ」の再開をあきらめることができないのだろうと私は思います。

 原子炉というものは「平和利用である」と言われてきましたが、実は違って一番根本には軍事的な理由があるということを分かっていただきたい。

■原発の持つ差別構造

 最初に言いましたが、どうしても都会には原発は建てられないので、過疎地に押し付けた。それが差別の構造の一番だと私は思います。都会が本当に「電気が欲しい」と言って原発を都会に建てるなら、私はそういう選択はあり得ると思う。しかし都会が「電気が欲しいけれどもリスクは嫌だ」と言って、そのリスクだけを過疎地に押し付けることは、私にはどんな理由があっても認められないのです。私は「原発は危険だ」と言い続けてきた人間ですけれども、私の一番の基本的な考え方は、そういう差別の構造の上に立つものは認めないという点です。



■事故後の日本の選択

 私は、事ここまで来たのだから即刻原発は全部止めるべきだと考えています。ところが未だに二六基の原発が動き続けている。そのことにもうなんという国だろうとものすごく驚いている。新聞の世論調査によれば、未だに約半数の人たちが「停電になると困るので原発が必要である」と思っているらしい。何とも私には想像もできない事態です。電気なんか足りようと足りなかろうと、原発だけはあってはならないということが、今回の事故の教訓だと私は思うのですが、その教訓すらも汲み取れないということですね。この国はこれから一体どうなるのだろうと思います。

 私は「脱原発」ではなく、「反原発」です。私には、この途方もない不正を許せないのです。「原子力を進める」ということが許せないので、それを進めている国家、そして巨大産業、電力会社を含めた巨大産業に対して何とか抵抗をしたいと思っているわけです。ですからその巨大な力によって押しつぶされてきた過疎地の人たちと一緒になって、圧倒的な力に対して抵抗したい、私の動機はそれだけです。

 ですから原発を止めた後どんな社会をつくるかなんてことには、実は私は興味がないのです。あえて、「脱原発」に関して一言だけ言うと、今即刻日本中の原発を止めたとしても、電力供給に何の支障もありません。「代替エネルギーをどうするか」という議論は、その後でやればよい。とにかく原発を止めるということをまずやるべきです。

 でも多くの国民は「原発からの電気が今や三割も占めているから、それを止めてしまったら電気が足りなくなる」と脅かされ続けてきて、未だにその宣伝を信じていますが、それがまず偽りです。即刻止めても何にも困らない。先ずは止めて自分たちの未来を考える。それが「脱原発」につながる一つでもあるだろうと私は思います。



◆小出裕章(こいでひろあき)さんプロフィール
京都大学原子炉実験所助教。49年東京都生まれ。72年東北大学工学部原子核工学卒業。74年東北大学研究科原子核工学科修了。74年から現職。伊方原発訴訟住民側証人。著書に『放射能汚染の現実を超えて』、『隠される原子力 核の真実』、共著に『原子力と共存できるか』など




関西共同行動ニュース No56