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●軍拡煽る「防衛大綱」を批判する  【山口大学教授・元『軍事民論』編集長】 纐纈厚




■菅政権下の安全保障政策
10年8月27日、菅首相から諮問を受けた「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」は、報告書「『平和創造国家』を目指して」を公表した。それは従来と異なったキーワードが導入され、内容自体も極めて刺激的なトーンで貫かれている。
そこに盛られた内容で着目して置くべきは、以下の三点であろう。すなわち、第一に「基盤的防衛力」構想から「動的抑止力」への転換、第二に「国際公共空間」を射程に据えた自衛隊戦力の「継ぎ目のない対応能力」の確立、第三に「米軍との共同作戦基盤」の強化である。これらを一口に要約すれば、日米新同盟路線をアジア・太平洋版NATOの中軸に据えることで、アジア地域への覇権主義の貫徹を狙うことにあろう。
第一の「動的抑止力」の発想は、相手の軍事力に直接的に対応して軍拡を誘引する危険性を孕むものである。かつての「基盤的防衛力」構想が、周辺諸国の対日警戒論に配慮して日本独自の基準において防衛力を設定することで、徒に軍拡競争に参加しないことを誓約したものであった。それは、平和憲法を堅持する日本が採用するギリギリの選択であった。その箍(たが)を外そうとするのである。これでは周辺諸国に際限のない警戒心を与えるだけでなく、軍拡競争を煽る結果となろう。
第二の「国際公共空間」の用語によって、自衛隊の行動範囲を飛躍的に拡充する根拠を得ようとするものである。日本の政策次第では、全世界が言うところの「国際公共空間」とカウントされ、自衛隊の海外派兵に正当性を用意することになる。つまり、自衛隊戦力がシームレス(継ぎ目のない)に展開するのである。これまで言うならば、点から点の移動であったものが、面を設定し、そこに濃密な軍事力のプレゼンスを行使しようというのである。そこでは中国をはじめ、周辺諸国との緊張関係が恒常的に派生するメカニズムが成立する。
そうした内容を受ける形で、より実践的な形態をもって第三の「米軍との共同作戦基盤」が構築されることになる。それは、従来の米軍との横の連携に加えて、それ以上に日米両軍の縦の関係をも充実させようとするものだ。縦の関係とは、日米両軍が、ある意味で融合しつつ、統合運用されることが、従来以上に実質化することである。換言すれば、自衛隊とアメリカ軍の切れ目がなくなり、一体化することである。少なくとも、近い将来の方向性として、そうした論理構成の中で両軍が再編統合されていくこを示唆している。

■「新安保防衛懇報告書」から「新防衛大綱」へ
もう少し報告書に盛られた安全保障論を概観しておこう。その内容が、10年12月9日に公表された「防衛計画の大綱」(以下、「防衛大綱」)の基本内容を示しているからである。
最初に指摘しておくべきは、「はじめに」に示された新たな軍事同盟構想である。「新たな脅威や多様な事態」では、地域紛争、破綻国家、大量破壊兵器の拡散、海賊などを「新たな脅威」と位置づけ、これに対応する戦略と同盟関係の再検討を急ぐべきだと言う。また、「新興国の台頭によるパワーバランスの世界的、地域的変化を考えれば、日本を巡る安全保障環境は重要な変動期に入ったと言える」とする文言からは、中国の台頭を視野に入れ、新冷戦構造の先鋭化を意識しつつ、これへの対応としての日米連携を強調する。
「日本を巡る安全保障環境は重要な変動期に入った」とする認識を日米双方政府及び国民が共有することによって、両国は中国という新たな共通の「脅威」を設定、すなわち、これへの対処策を日米同盟強化のなかで達成しようと言うのである。脅威論の設定と言う冷戦思考の再来である。歴史を繙(ひもと)けば、戦後史に限っても対中脅威論から対ソ脅威論、さらには対北朝鮮脅威論から再び対中国脅威論である。常にライバルを設定することで同盟関係を強化し、戦争発動の機会を常態化する古典的な発想である。
そこでは戦争・暴力に訴えることで事態を最終的に解決しようとする思考停止状態への道筋が透けて見える。これこそ、愚考の繰り返しに歯止めをかける平和憲法、取り分け第9条の理念を愚弄するものである。
さらに、「日本の安全保障政策と防衛政策をタブーなく再検討し、承継すべきは承継し、見直すべきは見直す」なる文面からは、明らかに現行憲法の縛りから解放されて集団的自衛権への踏み込み、国連常任理事国入り、自衛隊の「自衛軍」さらには「国防軍」への認知取り付け、核武装や航空母艦保有を含め、あらゆる正面装備体系の見直し、武器輸出禁止原則の廃棄を想定しているとしか読めない。武器輸出解禁問題については、民主党が連立を打診している社会民主党が一貫して反対していることもあって、一時は棚上げ状態となっているが、近い将来において解禁が強行される可能性は大きい。そうした背景に、既に日本版軍産複合体の形成が着実に進んでいることが指摘できる。
 さらに大変に気になる記述がある。それは、「平時と有事の中間領域」(第一章第二節)など新機軸の突き出しが目立つことだ。尖閣諸島をめぐる中国との軋轢など対中国軍事力対応の意図からか、「平時と有事(=戦時)」の区別の曖昧化、さらには同一化への踏み込みが推し進められようとする気配が濃厚である。
 ある意味で民主社会と軍事社会との違いは、平時と有事(=戦時)の区分が、誰の目に明かであることである。ここに来て「平時と有事の中間領域」を設定しようとするのは、民主社会と軍事社会の区分を取り払い、平時から民主社会の原理を抑制し、いつでも軍事社会に容易に転換できる態勢を整えておこうという意図が見え隠れする。
 換言すれば平時と有事(=戦時)の曖昧化は、結局のところ、この国の社会が軍事の論理で管理・統制されることを意味する。とりわけ、昨今のように中国脅威論や北朝鮮脅威論が活発に俎上に挙げられる状況では、極めて安直に軍事の論理が、全ての生活空間のなかに浸透し、これに個人ベースで拒絶することは困難となる。戦前における、このような「中間領域」は戦後の歴史学では「準戦時状態」や「準戦時体制」と呼んでいるが、まさしく「平時の戦時化」が図られようとしているのである。
■顕在化する軍事大国化への衝動
 日本はいまや、BRICs(=ブラジル、ロシア、インド、中国)の台頭に象徴される世界的パワーバランスの変化に翻弄されつつある、という危機意識がメディアを通じて流布されている。そこでは国力の相対的低下著しいアメリカとの共同のなかでBRICsと当座は並走しつつ、現在の既得権益を保守しようとする試みが語られる。
 要するに、ライバルの出現を過大視することを通して、日米同盟の強化の流れのなかで日本の軍事大国化への衝動を隠そうとしない。中国の経済的軍事的伸張や北朝鮮の冒険主義を好機として捉え、これに対応すると称して一気に軍事大国への階段を駆け昇ろうとしているのである。
 報告書のなかで「平和創造国家」日本との自己規定が示されるが、その中身は防衛力の積極的活用を提言することで、従来の基盤的防衛力構想を時代遅れとするのである。“軍事大国中国”に「平和創造国家」日本で対応するという文言は、表面上温和な表現ながら、基盤的防衛力に換えて「動的抑止力」という名の無限の軍拡を用意する。質の悪いレトリックである。
 同様のレトリックは、「多層的な安全保障協力」なる文言に示される。ASEAN地域フォーラム(ARF)の重要性を強調しつつ、ASEAN+3、東アジアサミット、日中韓サミット、日米韓、日米豪の協力関係を基礎とし、“地域的多層的安全保障体”の形成を主張する。要するに、新たな安保戦略、新たな日米同盟政策の展開を集団的自衛権の行使と日米同盟の拡大を通してアジア地域の覇権を堅持し、とりわけ東アジア地域においては日米を中心とする“東アジア秩序”あるいは“東アジア共栄圏”を構築し、ここに独占的な地位を占めようとするものだ。
 これだけではないが、特に以上で指摘した文言に孕まれた内容は、この度公表された「防衛大綱」に遺漏なく散りばめられている。非常に単純化して言えば、報告書も防衛大綱も、限りなく留めなく軍拡と戦争・紛争を念頭に据えた危険なスタンスと言える。それでは、平和秩序や平和関係を展望することは不可能である。
いま、私たちに求められているのは、過剰反応ではなく冷静な対応と、北朝鮮をも取り込んだ東アジア平和共同体の模索の重要性を繰り返し議論を深めていくことだ。そこでは、平和共存の一つの選択肢としてのアジア版“UN”(“AN=Asian Union”)構想はどこまで現実的選択なのかを真剣に議論を尽くしていくことであろう。
もはや日本と中国は、経済的に切っても切れない深い関係を取り結んでいる。両国の共存関係は、一時的な軋轢や反発が生じたとしても大局的に見れば経済的同盟国とも言える立場にある。そのことは日中の国民は肌で熟知しているし、経済関係者だけでなく政府関係者も痛いほど理解しているはずだ。
それにも拘わらず、アメリカを思わんばかりに本物の平和友好を口に出来ないでいる。北朝鮮問題も東アジア平和秩序の形成や平和共同体の構築という展望のなかで、「アジア共通の家」(Asian Common House)の同居人として受け入れる度量が、日本(人)にも求められている。徒に軍拡に走ることなく、徹底した平和主義のなかで、それこそ新しいアジアを紡ぎだしていく時である。


関西共同行動ニュース No55