●沖縄知事選の結果とこれからの課題 【沖縄大学名誉教授】 新崎盛暉
まずは、選挙結果を振り返ることから始めよう。
選挙は、両者の基本的支持層に、中間層、浮動層をどの程度上積みできるかで結果が決まる。両者とも、前回知事選の、仲井真弘多、糸数慶子両者の獲得票を一万二千票程度下回っている。それは、七月参院選に引き続く低投票率の結果である。投票率の低さは、鳩山政権の挫折に対する政治への絶望の表現であった。
沖縄には、辺野古へ回帰した鳩山政権や、それを当然のごとく継承した管政権、傲慢な態度に終始する民主党執行部、ひいては普天間問題は終わったかのようなヤマト・メディアの論調に対する怒りは充満していた。政治への絶望・無関心に流れかねないヤマト総体への怒りを、相対的により多く自陣営に引き寄せたのが仲井間陣営だった。
その中心にいたのが、翁長雄志那覇市長だった。翁長市長は、選対本部長を引き受けることによって仲井真候補を「県外移設」に踏み切らせた。自公の県連や県本部も、ヤマトへの怒り、沖縄ナショナリズムを追い風にしない限り勝ち目はないとみて、仲井真に「県外移設」への方針転換を明確化するよう迫っていたが、決定打は、「県外移設」を主張してきた翁長の選対本部長受諾だった。「県内移設は不可能に近い」などと解説はしても、自らは「県内移設反対」を明確にしようとしなかった仲井真に対して、翁長は、「県内移設反対」の県民大会の共同代表を引き受けるなど、少なくとも政権交代後の言動は一貫していた。
一方、伊波陣営はどうか。
伊波洋一候補は、膨大な米側資料を読み解き、米軍再編の眼目は、グアムのハブ化であり、普天間の戦闘部隊のグアム移転も含意されていると確信していた。伊波のこの認識は、間違ってはいない。辺野古は、米側にとっては取引材料としての既得権の確保に過ぎず、日本側にとっては、米軍基地の沖縄への封じ込め策(基地問題・安保問題の全国的問題化の防止策)であった。だが、伊波の「米軍再編計画それ自体が普天間のグアム移転を含意しており、県内移設は、全く不要」という指摘は、国外移転の主張としての印象を与えた。
また、伊波陣営の一角を占める共産党は、県外移転は全国的運動との連帯を阻害するとして、「無条件撤去」を主張し、県外移転を積極的に主張するか否かで陣営内にも軋みが生じた。
仲井真陣営の理論的司令塔としても采配を振るった翁長雄志は、巧みにこの点を突いた。
たとえば翁長は次のように言う。
「日米両政府へのアプローチを、相手陣営のように反米、反安保で臨むか、われわれのようにウイングを広げて、県民が結束して臨むかが問われた。…我々は『県外』と強く主張しているが、別に『国外』でも構わない。しかし相手陣営は県外とは言っていない。これは県民意志から大きく離れている」(琉球新報十一月二十七日)。水面下では、共産党主導の伊波陣営、「伊波洋一は共産党員」といったネガティブ・キャンペーンも行われていた。
こうして、基地問題・安保問題を沖縄に押し付けて安閑としているヤマト世論に、構造的沖縄差別の上に成立している日米同盟を主体的にとらえなおすことを要求する手段としての「県外移設」は、「日米安保の恩恵を享受するなら、負担も全国民で」という主張にすり替えられ、かすめ取られてしまった。九月の市議選で稲嶺市長派が予想を超えて大勝した名護市でも、伊波は敗れた。保守的立場の「県外移設」派を取り込み切れなかったこともその一因だろう。
差別に対する正当な怒りの表現である「県外移設」という主張を有効な手段として使えなかったことが、われわれの側の最大の敗因ではなかろうか。「県外移設」は、安保を前提とした移設先探しではない。基地・安保問題をよそごとのように考えているヤマトの多数派世論に、基地・安保問題を、身近な問題として、主体的に考えさせる戦術的手段である。知事選は、ゆるぎなき戦略目標を堅持しながら、戦術的には限りなく柔軟で現実的対応を求められるという、現在の状況下における闘いへの教訓を残したといえる。
だが、今回の知事選挙は、稲嶺・大田で争われた知事選とも、仲井間・糸数で争われた知事選とも決定的に違う点がある。かつての知事選は、条件付き基地容認派と、反対派の間でたたかわれた。今回、辺野古移設容認、日米同盟強化という管内閣、民主党政権と同じ主張を掲げていたのは、幸福実現党のみ(獲得票数1万3千余票)である。どんな条件を付けても県内移設では勝てないという底上げされた土俵の上で闘われたということである。わたしたちは、伊波新知事を登場させて、一挙に日米両政府を追い詰めるという歴史的ドラマを実現することはできなかったけれども、一月の名護市長選挙から四月の県民大会に至る過程で積み重ねてきた歴史が後戻りしたわけではない。
さて、選挙に勝った仲井真知事は、上京して、管首相に、「日米合意の見直し、県外移設」を要請した。管首相は、この要請を柳に風と受け流し、「日米合意の履行で、沖縄の負担軽減を図りたい」と答えた。政府は、今なお、かつての条件付き県内移設容認派であり、「県外移設」を主張しても「県内移設反対」を明言しない仲井真知事に期待をかけ、期限切れが迫る沖縄振興特別措置法の扱いと絡めて、知事を取り込もうとしている。十二月十七、十八日の管訪沖も同じことの繰り返しであった。一方、仲井真知事は、「県内移設反対」で共同歩調をとることを求めた稲嶺進名護市長と安里猛宜野湾新市長に対して、同床異夢という言葉を使いながら、答えを曖昧にしている。
だが、構造的差別への怒りを取り込んで勝利した仲井真知事にとっては、再度の条件付き容認への方針転換は、極めて困難である。知事に対して影響力を持つ翁長那覇市長の本気度も試されてくる。日米両政府を取り巻く政治的経済的環境も厳しさを増している。それは不安定で、危機的状況ではあるけれども、我々にとって有利な状況でもある。「基地撤去」とか、「安保廃棄」という戦略目標を、単なるお題目やスローガン化することなく、仲井真県政の後退りを許さない世論の継続的な盛り上げ、民衆の怒りを組織化する現実的で柔軟な闘いの積み重ねが求められている。(本稿は、『関東一坪』への寄稿文と重複する部分があることをお断りしておきたい。)
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