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●住民連絡会・若野代表を追悼する 【泉州沖に空港を作らせない住民連絡会】 根本 博

 6月9日(水曜)小山さんより「若野さんが、入院して手術を受けた。手術後の見舞いに行ったところだ。」との連絡を受けました。
 6月12日(土曜)連絡会ニュース・おにおん143号の編集・発送作業後、阿部さんと共に入院先の熊取の病院に見舞いに行きました。血を吐き、気も失い、もし、犬の散歩中や外出中であったなら、どこかで、倒れて亡くなっていたかもしれないということで、家で倒れたことや手術がとどこおりなく行われたことなど、不幸中の幸いだったことを話していたのが印象的でした。
 昨日から重湯を飲んでおり、自分でトイレにも行っているとのこと。手術後の回復に向かっていることをわたしたちに確信させてくれる話ばかりでした。わたしたちに、今回の作業や記事を提出できないことなどを申し訳なさそうに話すので、そんなこと気にせずに、まずは養生して下さいとの挨拶などを交わしながらの話となりました。話している最中も時折お腹を痛そうにすることはありましたが、1月ぐらいで回復するという若野さんの言葉を疑うこともありませんでした。
ところが、6月14日(月曜)、夕方小山さんより若野さんが亡くなったとの連絡を受けました。この時はその電話そのものが信じられない、一昨日
若野さんと会ったばかり、あの時、まちがいなく、手術の成功と、若野さんの回復を確認できたはずなのに。火曜日にお通夜で、水曜日にお葬式ということで、火曜日のお通夜の式を終わった午後8時頃、やっと棺の中の若野さんと面会することができました。
 若野さんがゼネラル石油の労働組合員として地域の反公害運動団体と一緒に闘っていたことは後になって知るのですが、わたしと若野さんの出会いは小田原事務局長の活躍した80年代前半、泉大津で、泉大津住民の会が立ち上がり、そのメンバーとして若野さんが連絡会会員として活動してからのことです。それまでの住民連絡会には、堺、高石、岸和田、泉佐野の4つの住民の会があり、その集合体として泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会がありました。戸次(べっき)さんや若野さんの中堅と小田原さんをはじめとする若手会員の活発な活動が住民連絡会の新しい1ページを作り出していったところでした。そんな中、国が、空港をつくるための現地事務所開設し、披露パーティーを貝塚福祉センターで行うことになり、住民連絡会として共闘団体と共に、抗議文手渡しの行動を行っていったのです。
 その中で、私も含めた6名が逮捕され、事後に小田原事務局長の逮捕と、植、小田原、根本の3名の起訴攻撃が行われたのです。 この裁判をいかに闘うのかー数々の議論がある中で、裁判闘争を闘うことで、空港反対の闘いもきっちり闘っていくのだと言うことで被告3名と数名の連絡会会員が公判対策部を設置し、その代表として若野さんが裁判闘争の裏方のまとめ役となったのです。運動の全面に立ちながら行動することに違和感のない会員でも、裁判というと、資料を整理したり、調整をしたり、論点の整理など、弁護士とも打ち合わせをしながら行っていかねばならないので、目立たないけれども、多様な調整を行っていかねばならず、仕事を持ちながらも徹夜の議論も行い、そのような中で全体の調整役を担っていったのが、まさに、若野さんなのです。
 第1審の罰金刑の後、佐伯先生が弁護団に加わってくれたとき、抗議文を持参することの正当性について佐伯先生の論構成について、若野さんが自らずっと言い続けてきたとことだと話したこともあり、物事の事態の見極めについて、細かく検討し、十二分に検討した上できっちり行っていく若野さんの存在が高裁無罪判決の要となったのではないかと確信しています。もちろん、弁護団、運動団体の総和が無罪を獲得できたのだと思いますが。
 そうした若野さんも2審後、連絡会の活動の表からちょっと後ずさりする時期もありましたが、活動の一翼を再度担う中、前代表の名渡山さんが倒れる中、代表として活動することになりました。
 イラク派兵の件では、情報公開の全面に起ち、黒塗りの書類を受け取ったり、石垣島・新空港建設問題や辺野古の米軍基地の問題についてもひとつひとつていねいに、時には個人として行政に問題点の指摘や公開質問状を送るなど、意欲的に活動を行ってきました。体調が悪く、寝込む寸前の体にも関わらず、最後の最後まで集会やデモ行進にも参加し、反戦・平和運動に邁進してきました。
 今回の手術時も自分の体よりも、運動への参加と活動を進めていくことへの深い気持ちをまず考えていました。戦時中生まれた世代として反戦平和の観点からも空港に反対し、また、岩波・大江裁判にも関わる中で、戦争する国にするなという熱い思いを抱きながら死ぬまで、死してもなお、戦争反対の声をあげ続けていくと思います。
わたしも、ある意味若野さんの声に励まされながら、若野さんの渇望した平和への一歩を共に歩んでいきたいと思います。




関西共同行動ニュース No54