集会・行動案内 TOP
 

●普天間基地返還撤去闘争の中で 復帰38年ウチナーとヤマトのかかわりを考える 講師 金城馨さん(関西沖縄文庫)
第一回 関西共同行動学習討論会報告 【関西共同行動】  山本将嗣

 迷走の末の「辺野古」回帰と日米合意の強行。沖縄では「差別だ」との怒りが高まっている。それは、ただ政府や支配層に対する怒りとしてとらえるだけではなく、本土の民衆の有り様、運動の現状としても考える必要がある。自らの闘いの弱さ・問題点を克服していくために、6月22日、関西沖縄文庫の金城馨さんを講師に迎えて、学習討論会を開催した。
 金城さんは淡々と語る。
『こういった場所には20年ぶり。30年前は、一緒にやるということが連帯だと思い込んでいた。その後、沖縄と日本の状況の違いから、どのように日本人と関わっていったらいいのか、多くの疑問を抱くようになった。
 小学生5年の時に初めて差別を受けた。そのことが私の沖縄人の運動の原点になっている。「沖縄出身です」と自己紹介をしたとき、教室がざわめいた。差別を通して、沖縄と日本の違いを日本人が教えてくれた。その時から、その差別から逃れるために、日本人になろうとした。
 出身の尼崎北高校では解放教育が盛んだった。先生からは、「疑うことから始まる。教科書を信じるな」と教えられた。部落ゼミや差別問題研究会に関わったが、日本人に迎合していく自分を感じていた。自分の差別性を薄めるために、運動していたように思う。ある時、定時制高校の先輩がそれとなく語った。「部落・朝鮮人のことより、沖縄のことをやれ」と・・・
 そして、沖縄人の自立と主体性の確立をめざしていた関西沖縄解放同盟(準備会)に参加するようになる。
 沖縄は琉球王国という独立国であった。401年前の薩摩藩による侵略、131年前は明治政府による琉球処分で日本に占領された。サンフランシスコ条約で日本は独立し、沖縄は占領下へ。それを許したのは 日本国だけではなく日本人である。沖縄を生贄にして、日本は繁栄した。
 復帰運動には、復帰したら基地がなくなるという幻想があった。何故そう思ったのだろうか。現実は逆だった。米軍基地の75%が沖縄に押し付けられた。
 差別と支配は一体であり、それは構造的である。
 沖縄人は賃金差別やアパートの賃貸契約でも差別を強いられ、犯罪や自殺する仲間が増えた。75年、「沖縄青少年は団結しよう、生活と権利を守ろう、沖縄の文化と自然を守ろう」をスローガンに、「がじゅまるの会」を結成した。差別をはね返し、誇りを取り戻そうと内に外に向けて訴えていった。それはエイサーとしてあらわれた。第一義的には自己防衛として存在し、第二義的には社会変革もめざす二つが内包していた。そのうちに、外部に対してのエネルギーによって、自己防衛が機能しなくなった。どのように外部と接点を持てばいいのか・・・次第に閉鎖的になった。自己防衛を優先した結果にすぎない。
 95年の少女暴行事件をきっかけに、大阪の地でも運動が起ころうとした。「沖縄と連帯しよう!少女の痛みをわかち合おう!」という言葉があった。この言い方に不満だった。沖縄と連帯できていなかったから、こうなったのではないのか。たとえば5・15平和行進に参加して、「連帯してきた!」と、元気になって帰ってくる日本人。この基地の実態を見ていながら、何故日本人は元気なのか?日本人とのズレが大きくなっていた時期だった。
 自分たちの足元で基地をなくす闘いをしっかりとやることでしか連帯はできないはずだ。それぞれの立場を明確にしないといけない。連帯という言葉を軽々しく政治的に使うことはできない。
 連帯を拒否したと言われたが、それは違う。理解や連帯は同化と迎合を生み出していた。連帯の中に逃げ込む。表面的な連帯を免罪符として、差別・支配構造を固定化していく。連帯の裏にある同化と差別と闘っていた。
 普天間基地の県外移設の流れが、再び沖縄に帰ってきた。沖縄では、「移設がどうして沖縄の中なのか?もうこれ以上待てない。安保は日本の責任なのだから、基地は本土で引き取ってもらうしかない」との声が広がっている。いま、沖縄の民衆から幻想が消え、日本及び日本人がよく見えている。「日本は沖縄の支配者である。これは差別である」と堂々と語りはじめた。
 どこまで日本から自立できるのか?なぜ、日本に怯えるのか?国連は自己決定権を保障している。それは安保より優先するはずである。
 脱植民地主義と沖縄の自立運動という、新しい流れが動き出したのである。いま、日本人はだれと連帯しているのか?』(発言要旨)
 こうした金城さんの提起に、参加者から「沖縄の人たちは、着実に主体を確立している。反対に私たち(日本)に主体が確立されていない。本土移設議論から逃げ続けているのではないか」「沖縄では自分たちを支配しているものが見えてきた。その支配者は私たちである。逆に私たちは、私たちを支配しているものが見えているのか」・・・などの発言が続いた。
 5月17日の世論調査で、辺野古への移設方針に対して、約束違反:61%、そうは思わない:29%だったのが、管政権誕生後の6月10日では、辺野古への移設方針に対して、評価する:49%、評価しない:26%とガラリと変わる。そして、ワールドカップ、消費税、参議院選挙の渦の中に、「普天間」が消えていく。
 日米同盟・抑止力は捨てたくない。でも近くに基地は来てほしくない。沖縄に任せておけばいいというのが、日本(人)の本音だと思う
私たちにとって、連帯とは何か。同化と迎合、ましてや利用主義であってはならない。違いを認め、それぞれの立場で、責任を果たしていくことが必要である。日本が、私たちの運動の弱さが、沖縄の人々に痛苦を押し付けているのだから、沖縄の人々の「本土移設」要求から逃げることはできない。基地の「本土移設」が本質的解決にならないことはわかっている。本質的解決をなかなか果たせない私たちの問題として、この問いかけに向き合う必要があるのではないか。




関西共同行動ニュース No54