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●日米安保体制をどのように克服するか 【非暴力平和隊 日本共同代表】 君島東彦



君島東彦(キミジマ アキヒコ):国際反核法律家協会理事。また日本国憲法の平和主義を捉え直し て「する平和・しない平和」を提唱し「NGOの平和構築が平和憲法を具体化する」 として非暴力平和隊に参加、国際理事、日本共同代表を務める。立命館大学教授。/非暴力平和隊:地域紛争を非暴力で解決するために活動をしている国際NGO。


■はじめに
 民主党の鳩山政権は、日米安保体制を規定する米国の国務省、国防総省、日本の外務省、防衛省の4者を動かすことができず、普天間基地移設問題は振り出しにもどった。日米安保体制はこのように堅固であり、手強い。われわれは日米安保体制をどのように克服しうるだろうか。これは端的にいえば、軍事力の均衡と抑止に依存するわれわれの安全保障観、軍事力行使による秩序維持というわれわれの思考の惰性、そしてそれを前提とする社会システム、経済システムをいかに克服するか、ということになるだろう。これは巨大な課題であり、短期的な単純な方法などない。長期にわたる粘り強い、多角的なアプローチが必要である。本稿は不十分ながらもラフなスケッチを描き、克服の方向性を模索するものである。

■日米安保の原点
 戦後世界秩序はやはりパックス・アメリカーナと表現すべきであろう。米国は第2次大戦直後、連合国=国際連合(The United Nations)による世界秩序維持を構想したが、連合国が分裂・対峙して冷戦に突入すると、大西洋におけるNATO、太平洋における日米安保という二つの軍事同盟を要とするパックス・アメリカーナをつくり上げた。パックス・アメリカーナをつくるにあたって、米国は、当初、枢軸国を武装解除したが、冷戦ゆえに直ちに政策を変更し、枢軸国を再軍備させ、NATOおよび日米安保という軍事同盟に組み込んだ。また同時に、枢軸国を占領統治するために駐留した米軍は、枢軸国の占領統治終了後もそのま
ま駐留を続けた。そのため、第二次大戦終結以来これまで、枢軸国(ドイツ、イタリア、日本)に多くの米軍基地が存在し続けている。NATOおよび日米安保は、もともと冷戦を戦うための軍事同盟であるが、ソ連との冷戦が終わったあとも、新しい存在理由を主張して(同盟を再定義して)存続した。日米安保は冷戦後むしろ強化されている。また、90年代末から、枢軸国の軍事力の国際的復権が見られる。

■勢力均衡、覇権から立憲主義へ
 米国の国際政治学者アイケンベリーは、国際秩序形成の動因として、勢力均衡、覇権、立憲主義の3つの理念型を挙げている。アジア太平洋における日米安保は、覇権と勢力均衡に基づく秩序である。それは米国の覇権を基礎として、東アジアにおける軍事力バランスを意識した秩序である。われわれにとっては、日米安保の「覇権と勢力均衡に基づく秩序」としての性格を克服し、日米安保を立憲主義に服させることが課題である。日米安保を立憲主義に服させるとは、具体的には、第一に、米国の軍事力、日本の軍事力をそれぞれ国内の法、政治、文化で規制するということであり、第二に、日米の軍事力を東アジアにおけるレジーム、制度等によって規制するということである。立憲主義的秩序においては、軍事力をゼロにすることは困難であるにせよ、その極小化が目標であり、また軍事力行使をルール、法、制度等によって徹底的に規制することが追求される。ここで日本国憲法の平和主義の規範で日米安保を抑制することの重要性が改めて再確認される。

■共通の安全保障、安全保障レジーム、安全保障共同体
 アジア太平洋地域において日米安保体制をどのように克服するか検討するにあたって、大西洋地域における経験は参考になる。本稿は、ヨーロッパの冷戦終結に寄与したものとして、3つのものに注目したい。
 第一に、70年代から継続・発展してきたヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)およびCSCEプロセス。75年にヘルシンキで開催されたCSCE参加国(35カ国)首脳会議で最終合意書(ヘルシンキ宣言)が採択され、これがその後のヨーロッパを大きく変えた。ヘルシンキ宣言によって軍事的信頼醸成措置が導入され、軍事的対峙が大幅に克服された。また、CSCEプロセスとして、ヨーロッパ諸国の多国間安全保障対話が進行した。
 第二に、82年に発表されたパルメ委員会(軍縮と安全保障問題に関する独立委員会)の報告書『共通の安全保障』。パルメ委員会報告書は、共通の安全保障の原理として、次の6つの原理を掲げている。すなわち、「すべての国は安全への正当な権利を有する」「軍事力は国家間の紛争を解決する正当な道具ではない」「国の政策を表明するときには自制が肝要である」「安全保障は軍事的優位によっては達成されない」「共通の安全保障のためには、軍備削減および質的制限が必要である」「軍縮交渉と政治的事件との『関連づけ』は避けるべきである」。そして報告書は、これらの原理にもとづいて、東西間の軍事的対峙、戦争準備を克服するための政策提言をしている。この安全保障の新思考が冷戦終結を準備した側面がある。
 第三に、米国の国際政治学者カール・ドイッチュが50年代に提唱した安全保障共同体の理論。ドイッチュが大西洋地域──北アメリカ、ヨーロッパ──の数多くの事例研究にもとづいて提唱した安全保障共同体の理論は、冷戦後、アドラーとバーネットによる研究によって再び注目されるにいたった。安全保障共同体とは、平和的変更によって社会問題を解決しうるという共同体意識を持った人々の集団であり、戦争のような暴力行使が考えられない地域、不戦共同体である。そして、安全保障共同体形成の条件としてドイッチュが挙げるのは、価値の融和性、相互コミュニケーション、相互予測可能性である。
 いずれにしても、ヨーロッパにおいては、西側諸国と東側諸国の双方を包み込む包括的なレジーム、枠組みをつくる努力がなされ、それによって冷戦構造──軍事的対峙、戦争準備──は克服されたといえる。それではアジア太平洋地域においてはどうか。アジア太平洋地域では、CSCEに近い安全保障レジームとして、ASEAN地域フォーラム(ARF)がある。ARFはこの地域における最も包括的な安全保障レジームであり、互いに緊張関係にある諸国を包み込んでいる。ARFの進展は極めて緩慢であり、予防外交や軍事的信頼醸成措置の領域に踏み込む段階にはいたっていないが、それでもなおこのような安全保障レジームの活性化を追求すべきであろう。また、北朝鮮の核開発問題を契機に始まった六者協議も安全保障レジームの一種である。これらのレジームを発展させて、この地域に安全保障共同体──不戦共同体──を形成することが長期的な課題である。
 最後に、この地域の軍事的対峙、戦争準備を克服するという課題に対する、市民社会・NGOに関与について触れておきたい。コフィ・アナン前国連事務総長のよびかけに応えて始まったNGOのプロジェクト「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ」(GPPACと略称される)が03年から行なわれているが、その一環として東北アジア各地域の平和NGOが東京に集まり、東北アジア地域における武力紛争予防について議論を深め、05年2月、武力紛争予防のための行動
計画─GPPAC東北アジア地域アクション・アジェンダ(東京アジェンダ)─を作成した。この東京アジェンダは、日米安保体制の克服の方向性を的確に示すものとなっている。

■米国の軍事力の規制
 覇権国米国の軍事力の規制はわれわれにとっても重要な課題である。米国の軍事力、米軍の行動の規制については、次のようなアプローチを考えることができる。
 米国は09年現在で国外に716の米軍基地を置いており、これらの基地が米国のグローバルな軍事力行使を支えている。同時にこれらの基地は、基地のまわりの人々に直接的および構造的暴力を引き起こしており、基地撤廃を求める運動、米国の軍事力を規制しようとする動きが全世界的に存在している。
 パックス・アメリカーナというインフォーマルな帝国においては、米国の有権者だけが選挙によって米国の軍事力行使の規制にかかわることができ、他国の市民は制度的な規制の手段を持たない。米国の軍事力、米軍の行動の規制は、第一には米国大統領および米国議会の権限、任務であり、したがって米国の有権者の任務である。米軍の行動の影響をうける他国の市民は、自分が所属する国家の政府を通じて、米国政府に意思表示をしうる可能性があるが、インフォーマルな帝国において《帝国中枢》と《周辺》の統治エリートの連携が成立していることが多く、《周辺》の市民の意思は無視されることが多い。それゆえ、他国の市民はNGOのようなかたちで米国の市民と連携し、米軍の行動を問題にし、その規制を追求する道筋が重要になってくる。米国の市民、メディア、世論が他国の市民の問題提起を受けとめ、米国議会がそれと連動すると、米国の軍事力、米軍の行動を規制しうる可能性がある。
 03年、米国によるイラク攻撃が始まった数週間後にジャカルタで開かれた国際反戦会議において、世界中の米軍基地反対運動が連携するというアイディアが生まれた。このアイディアは04年の世界社会フォーラムにおいて結実し、「外国軍基地撤廃国際ネットワーク」が組織された。このネットワークは07年3月にエクアドルで国際会議を開いて、つながりを深めた。さらに、09年2月27日から3月2日にかけて、ワシントンDCで「帝国抜きの安全保障──外国軍軍事基地に関する全国会議」が開催され、米国の平和運動と世界の米軍基地反対運動の連携が成立した。今後、この連携がどれだけ米国の政策に影響を与えることができるか注目される。
 09年現在で国外に716もある米軍基地をどうするべきか、米国の軍事専門家の間でも見解が分かれている。一方の極に「米国の要塞化」という主張がある。この考え方によれば、軍事技術の進歩ゆえに、海外基地から撤退して、「対岸からの均衡」戦略をとったほうがよい、また、海外基地は米国の同盟国にとってさほど拡大抑止の役割を果たしていないという。他方の極には「古典的パックス・アメリカーナ」の考え方がある。冷戦期と同じく現在でも、世界の米軍基地──前方展開──は世界秩序維持にとって重要だとする。これらの両極の中間に、海外基地の限定的削減を主張する見解や、ラムズフェルド=ウォルフォウィッツの「国防変革」(トランスフォーメーション)──機動性の重視──の主張などがある。
 国防総省は、QDR(4年ごとの国防見直し)10年版を見るかぎり、海外基地を大幅に縮小するつもりはないようである。しかし、わたしは、米国の軍事戦略からみても、沖縄の米軍基地──とりわけ海兵隊の基地──は縮小、撤去しうると考えている。日本政府を通じて米国政府を動かす道筋に加えて──日本政府が日本の市民の声を代弁しないことが多いが──、沖縄を含む世界の米軍基地反対運動と米国の平和運動が連携して、米国メディア、米国議会、米国大統領を動かす道筋を追求するべきであろう。

■おわりに
 最後に今後の検討課題に触れておきたい。第一に、米国の軍事力について検討する場合、いわゆる軍産複合体──米国経済における軍事経済の比率の高さ──の問題を無視することはできない。米国の経済システムの問題に取り組まないわけにはいかないであろう。そして、米国経済の軍民転換──軍需産業の民需産業への転換──が大きな課題としてある。第二に、米軍およびNATO・日米安保の同盟軍は、グローバル資本主義の守護者としての性格を持っているのであって、グローバル資本主義を規制することも、日米安保体制を克服する課題と関連しているのである。


関西共同行動ニュース No54