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●普天間基地移設騒動とは何か 【大田平和総合研究所・所長】  大田昌秀

 沖縄県宜野湾市のど真ん中にある在沖米海兵隊の普天間飛行場の移設問題が混迷を深め、いちだんと騒ぎが拡大している。日米両政府は、移設先と目される沖縄本島北部の名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸部に隣接して建設する予定の滑走路について、今月末にまとめる報告書に、2006年に双方が合意を見たV字型の2本案と、日本側が主張する1本案の双方を併記する方向で最終調整に入ったという。しかもさる5月の日米共同声明では、代替施設の位置、配置、工法の検討を8月末までに完了させるとしていたのを延期して、最終案の決定は、11月の県知事選への影響に配慮して12月以降に先送りすると地元紙に報じられている。
 日米安保(日米同盟)との関連で、日米両政府とも口を開けば、基地を抱える地方自治体の負担を軽減するとともに抑止力の維持に努める、と二律背反的な主張を繰り返して止まない。加えて日米安保は日本国民の生命と財産を守るために国益に適うだけでなく、アジア・太平洋地域の平和と安全を守るためにも不可欠だと強調することも忘れない。
 だが、本土の一部の都道府県(その大半は戦前から軍事基地を抱えていた)を除いては、一切基地を引き受けようとはしない。そのため、国土面積の0・6%しかない狭小な沖縄に、一方的に過重な負担を押し付けて憚らないのだ。いきおい日米安保は、実質的に沖縄を犠牲にして成り立っているといっても過言ではない。こうして沖縄は、さる太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本本土を守るための防波堤にされたあげく、人口の3分の1近くもの尊い人命を犠牲にした。あまつさえ27年もの間、米軍の実質的占領下に置かれた。その間、日本の憲法もアメリカの憲法も適用されないまま基本的人権の保証すらまるでかなわずに復帰を迎えたのである。しかも復帰後も基地を抱える沖縄の事態はほとんど変り映えもせず、今日に至っている。これは、明らかに沖縄に対する差別だとして、多くの県民はいくどとなくその是正を政府に求めてきた。
 しかし、主権国家としての誇りさえ喪失した日本政府は、あたかも従属国のように米政府の言いなりで、いかなる意味でも主体的に自らの主張を展開できずにいる。
 加えて、国会には衆参合わせて722人の国会議員がいるけれど、沖縄代表はわずか9人。したがって、現在問題化している普天間飛行場の閉鎖・返還についても、本土他府県選出の国会議員が真に自らの問題として解決を図らない限り、皮肉にも民主主義の名において沖縄がいつまでも差別され続ける構造となっている。にもかかわらず一部の例外を除いて、本土選出議員の圧倒的多数は、いわゆる「沖縄問題」にたいして何らの痛痒も感じず、対岸の火事視しかできない。
 こうして普天間基地は地域住民から「世界一危険な基地」として危険視されているばかりか、当の米海兵隊自らがいつ事件・事故が起こってもおかしくないと「時限爆弾」視しているにも関わらず、問題の解決は放置されたままいたずらに歳月を重ねるばかり。
 普天間基地を抱える宜野湾市の発表によると、これまで同基地に所属するヘリを含む航空部隊は、沖縄の日本復帰後の30年間に15件の墜落事故を起こし、県内での米兵の死者・行方不明者43人、負傷者5人を出しているほか、2004年8月13日には、同基地所属のCH53大型ヘリが隣接する沖縄国際大学の本館ビルに墜落・炎上し、あわや大惨事に至るところ、奇蹟的に3人のパイロットの負傷にとどまった。ちなみにその他の基地で発生した事件・事故は、沖縄の日本復帰以降だけでも5千件余に及んでいる。





 このような状況下で、沖縄の人々は、日米安保によって生命・財産が守られるどころか、日夜、生命の危険に晒されているのみか、憲法に規定された平和的生存権を、いかなる意味でも享受できずにいる。人間の受忍の限度を超える爆音によって安眠を妨げられ、在沖米海兵隊の実弾演習による環境破壊に加えて過度の爆音によって未熟児や難聴児が生まれるなど、明らかに人体に悪影響を受けている。
 それらの基地公害によって敗戦後、65年間にわたって沖縄の人々が日常生活のあらゆる場面において苦境を強いられてきた事実に一顧も与えることなく、やれ沖縄は基地あるが故に経済的に潤っているなどと言いつのって、あくまで基地を沖縄に固定化しようとする輩(やから)が今以て後を絶たないしまつだ。
 とりわけ政府首脳や高級官僚の間にその種の人間が多い。防衛省の守屋武昌元事務次官などその典型の一人だ。彼は、最近出した自著『「普天間」交渉秘録』(新潮社)の中で、沖縄における基地収入の絶対額の多さに言及して、沖縄の人々が普天間飛行場の代替基地を辺野古に新設するのを拒んでいるのを捉え、自らの非力を顧みずに、やれ沖縄人は二枚舌だなどと非難・攻撃して止まないのだ。そして相も変わらず、お得意の「アメとムチ方式」を駆使して沖縄の人々を屈服させようと図っている。つまり、お金で沖縄の人々の魂を買いあさろうというわけだ。そんなにお金が大事なら、基地をすべて彼の郷里の宮城県に移設して大いに稼げばよかろう。
 現在、基地収入は県民総所得の5%程度を占めるに過ぎない。お金の多寡が問題ではなく、沖縄の反戦地主たちが「命どぅ宝」、「お金は一時、土地は万年」のスローガンを掲げ、祖先から受け継いだかけがえのない土地は「戦争(人殺し)に結び付く軍事基地に使わせるのでなく、人間の幸せにつながる生産の場にしたい」と希求してやまないのは、そもそもそれが沖縄の人々の本来の生き方であり、価値観そのものだからだ。第一、戦争になったら真っ先に基地が攻撃の的になり、すべてを失ってしまうことは、さる沖縄戦で人々がじかに多大の血を流して購った教訓である。
 基地の存在が、政府首脳や高官らが大声で喧伝しているとおり、基地を抱えている地域の経済に文字どおり寄与するのであれば、沖縄は41の市町村中、その半数以上の25の市町村が基地を抱えているので、今頃沖縄は、日本一経済発展してしかるべき地域なはずだ。それなのに、明治の廃藩置県以来ずっと全国一の貧乏県であり続けているのは何故か。失業率にしても全国平均の約2倍に及んでいるのはどうしてなのか。答えてもらいたいものだ。
 沖縄県が過去に実施した調査結果から判断する限りでは、基地が返されて民間が活用するようになると、雇用は10倍も確保できるうえ、所得も場所によっては100倍以上も増えることが判明している。ちなみに県内各市町村の一人当り所得の多い順に見て行くと、一番所得の多い地域は町面積の83%を基地に取られている嘉手納町ではなくて、基地らしい基地はなく、砂糖きびづくりに頼っている北大東島と南大東島がいつも1、2位を争っている実情である。
 現在、巷では、近い将来、民主党と自民党の大連立構想の話が出ていて、それが実現すると普天間基地の辺野古への移設は不可避と言われている。が、果してそうだろうか。血を流さずにそれが実現するとは、到底思えない。血を流すことになれば、やがて日米安保それ自体が崩壊するのは間違いなかろう。





関西共同行動ニュース No54