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●【巻頭言】 安保を断罪する 【関西共同行動】 中北龍太郎

 安保は、アメリカが日本の人的・物的能力を世界軍事戦略と国益のために利用するための装置にほかなりません。そして、醜悪なまでに肥大化した安保は、さまざまな罪過をまき散らし続けています。今号では、この間私たちが取り組んできた沖縄基地問題の根本にある安保、その本質的問題点を暴き断罪します。

◆旧安保条約の本質的問題点◆
 1952年4月28日発効の旧安保条約は、前年9月8日サンフランシスコで講和条約の署名と同じ日に署名されました。日本独立を決定づけた講和条約の署名がオペラハウスでにぎにぎしく行われたのに対し、旧安保のそれは、事前に国民に知らされないまま、米軍兵舎の中で吉田茂首相一人でひっそりと行われました。講和条約は西側陣営だけとの片面的なもので、そうであるが故に、条約を結べば外国軍隊の駐留を認める条項が組まれていました。この条約が旧安保条約で、米軍の排他的な駐留を定めました。このように講和条約と旧安保条約はいわばセットの関係で、日本の主権回復は米軍の駐留と引き換えだったのです。これにより、駐留軍と名前は変わったものの、占領軍が独立後も日本に居座ることになりました。この在日米軍基地の目的は「極東の安全」を図ること、つまりアメリカのアジア軍事戦略の展開にありました。しかも、旧安保条約には日本が再軍備する約束も交わされていました。日本再軍備の動きは、旧安保条約以前からスタートしていました。朝鮮戦争下の50年、GHQが日本政府に警察予備隊の創設命令を出したことがその出発点となりました。平和憲法を生み出した「東洋のスイスたれ」といった非軍事化政策から日本を反共の防波堤にするという逆コースが、再軍備強要の元凶でした。警察予備隊づくりのトップにいたコワルスキー大佐は自ら、「時代のおおうそで人類の政治史上最大の成果といえる憲法が犯されようとしている。」と記しています。警察予備隊は、徹頭徹尾対米依存の軍事組織で、指揮訓練マニュアル、武器までも米軍丸抱えでした。この持って生まれた米軍丸抱え体質は、その後成長した自衛隊のDNAになっています。自衛隊の米軍に対する従属性は、アメリカが示した旧安保条約の当初案にあった「急迫の事態の時、日本軍は米軍の統一指令の下に置かれる」との規定が、条約には明文化されなかったものの、旧安保条約とセットで発効した在日米軍の特権を保障するための行政協定(現行の地位協定の前身)において、「必要な協同措置」という柔らかな表現で盛り込まれました。今日の米軍主導の日米共同作戦態勢は、この統一指令部構想が原点になっています。



●吉田茂は死後、アメリカと《対等》に渡り合った人物として、佐藤栄作の指示により67年10月31日に戦後(そして唯一の)国葬とされた。


◆安保改定から冷戦下の共同作戦体制へ◆
 60年に改定された現行の新安保条約は新たに、自衛隊と米軍が日本と在日米軍を共同防衛することを定めました。この新設の日米共同作戦に関する5条によって、54年発足以降戦力を整えてきた自衛隊は、より深く米軍事戦略に組み込まれていくことになりました。新安保条約は、この5条と極東の安全のための米軍基地の貸与を定めた6条の2本柱で構成されています。この「極東」の範囲については政府がくり返し、フィリピン以北の日本とその周辺であると説明してきました。新安保の下で、軍事・安保経費の倍々ゲームが続けられ、自衛隊はアジアから軍事大国化を懸念されるまでに増強されました。それと並行して、米ソ冷戦下、日本はベトナム戦争への協力を通じて西側陣営に組み込まれていきました。そして、潜水艦による核攻撃のための海洋支配をめぐる米ソ核軍拡競争が激化し、その動きが日本周辺をもおおうようになった78年、日米両国で旧ガイドライン(「日米防衛協力のための指針」)が結ばれました。ガイドラインは初めて日米共同防衛の具体的な協力内容を定めるもので、自衛隊幹部によって「安保に魂が入った」と評価されました。しかもガイドラインは、共同作戦の範囲を極東有事にまで広げました。かくして、安保は、日本防衛ではなく、ソ連との対決ためのものになっていきました。

◆安保再定義―グローバル安保へ◆
 冷戦が終わり対ソ対決型の安保体制に意味がなくなり、細川連立政権が多角的安全保障協力構想を打ち出したことから、アメリカは、同盟漂流への危機感をつのらせていました。折から朝鮮半島危機が差し迫り、アメリカは、第2次朝鮮戦争に備えて日本に協力要請をしましたが、日本にはそれに応える態勢はありませんでした。このことが決定的な要因となって、アメリカは安保の見直しに踏み切りました。そのキィーパースンになったのがクリントン政権の国防次官補ジョセフ・ナイでした。冷戦後の安保活用の基本方針を示したナイ・リポートは、アメリカの太平洋安全保障政策、地球規模の戦略目的の基盤として、安保を再定義しました。96年の日米安保共同宣言は、ひたすらアジア太平洋と地球規模での日米同盟をうたいあげました。条約の5、6条をはるかに逸脱した共同宣言によって、安保は世界大に拡大し、グローバル安保へと変質しました。こうして、安保は改定なきまま実質的に変更された、ないしは日米同盟の名による安保を超えた安保に基づかない軍事協力が公然化されました。そのいずれと評価するにしろ、日米軍事同盟は、冷戦時代に幼虫からさなぎへ、そして冷戦後蛾へと変態を遂げました。そしてその後、新ガイドラインで共同宣言の方針が具体化され、新ガイドラインに基づいて有事法制が整備され、自衛隊の海外派兵、米軍再編―日米軍事一体化が着々と進められていきました。こうした動きによって、日本は米軍の最前線基地・戦略拠点と化し、共に戦う体制づくりが完成へと向かっています。安保再定義の下で、日本は対米追従路線をどんどん強め、米国依存症をますます深めています。こうした軍事動向の下で、永田町に巣食う安保翼賛体制は、2大政党制の機能不全でかえって一層加速し改憲大連合へ向かう気配を漂わせています。遠からず集団的自衛権行使の解禁と改憲に踏みこむのではないかと、深く憂慮されます。

◆有害無益の安保を乗り越えよう◆
 安保は、日本防衛ではなく、米国の戦争に協力するための軍事同盟です。この真実は、疑う余地なくはっきりと浮かび上がってきました。また戦争は、米軍への戦争協力によって日本に波及して起きることも、公然の秘密となっています。こうした有事の際には、自衛隊は米軍の指揮下に入ることになります。安保は、自衛隊を世界有数の軍隊へ増強させたうえで、米軍の補完戦力として有効活用される運命に置きました。また、安保は、対米従属の地位協定や思いやり予算で在日米軍の特権を保障し、核の傘・核密約等で米核戦略に日本を組み込み、構造的暴力としての米軍基地による様ざまな被害を周辺住民に強いています。今ほど、平和憲法をいかし、草の根からの抵抗の民主主義で、諸悪の根源=安保を乗り越えていくことが求められている秋はありません。





関西共同行動ニュース No54