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●青木雅彦さんを追悼する

ある反戦平和活動家の死 「ハーフオプション」提起、元塾講師



青木雅彦さんの消息が途絶えたため、京都の友人が兵庫篠山市の実家を訪ねたところ、彼はすでに昨年3月亡くなっていた。姉さんが亡くなったため、京都から実家に戻りその後は一人暮らしだった。
ご近所の話だと、昨年3月路上で倒れ、通行人の通報で病院へ搬送さたが間もなく息を引き取った。死因は不明、何らかの病に侵されていたと思われる。身内も看取ることもなく孤独な死だった。遺体は神戸の妹さんが引き取り荼毘にふされた。
実家は昨年末取り壊され、家財は処分され今は更地になっている。
彼は「脱軍備・キャッチピース」(トマホークの配備を許すな!全国運動の後身)の運営委員を務めホームページを担当したこともある。語学力とパソコンで各種サイトに内外の軍事情報を発信し続けた。『劣化ウラン弾―湾岸戦争で何が行われたか』(日本評論社)が出版されたが、彼がラムゼー・クラーク氏らの原文を見つけ、共同翻訳されたものだった。
京大工学部の学生時代から反戦平和運動に関わり、83年に、反戦ドタバタ会議を設立した。
有事法制が問題になった頃、労組や市民団体の学習会講師など気軽に応じてくれた。
90年代始め、十年で軍事費を半減する「ハーフオプション」を提起し論議を呼んだ。「国際貢献」に端を発し、1920年代の軍事費半減を前例としたが、論議は軌道に乗ったとは言えなかった。村山政権の自衛隊認知、「平和基本法」などの動向の中で原則論派に論難される形となった。
しかし彼はその後も様々な方策で軍事費の削減を訴え続けた。彼を惜しみ、4月10日には親しかった人たちで「偲ぶ会」が京都で開催された。

記・和田喜太郎
関西共同行動ニュース No50