集会・行動案内 TOP
 
●ソマリア問題とは何か

【社会新報ローマ通信員】 茜ケ久保徹郎

■ソマリア沖の海賊
海賊対策として日本もソマリア沖に自衛艦を派遣した。ソマリアはアフリカの東海岸で紅海の出入り口を押さえる、アフリカの角と呼ばれている地域にある日本にはほとんど知られていない国である。



■ソマリアの歴史
現在ソマリアと呼ばれている地域の歴史は古く、古代エジプトの記録にもみられ、紀元2、3世紀にはエチオピアの領土であった。その後アラブの進出によりサルタン領となり、ペルシャから来たシーア派により回教徒化したが、言葉はアラブ語にはならなかった。
13世紀に入ると北部ソマリアの農民と遊牧民がソマリア南部に移住し住み着いた。
その後ほぼ平和な時代が続いたが、18世紀の植民地獲得競争の時代に入るとソマリアは1886年に北部がイギリス、1892年に南部がイタリア、最北部がフランスの植民地となった。
1898年から1920年かけて、詩人モハメッド・アブヅラ・ハッサの指導の下で植民地解放の戦いが行われたが、イギリス空軍による爆撃により、一般住民を含む多数の被害者を出し解放運動は挫折した。
第二次大戦後の1960年、旧イタリア領と英領を併せてソマリア共和国として独立、1977年には仏領がジブチ共和国として独立した。
1964年、77年の二回、ソマリアはエチオピアに戦争を仕掛けた。回教国ソマリアとキリスト教国エチオピアであったが、戦いの理由は宗教ではなく、19世紀に半ばに英国が引いた国境線のエチオピア側にソマリア人が多く住んでいたことが原因で、現在もアフリカで多発している内戦などと同じく、アフリカを植民地としたヨーロッパの国々の植民地政策による勝手な線引きが原因となっている。
1969年にはシアド・バール将軍がクーデタにより大統領の座に着くが、80年代に入ると反政府勢力がゲリラ戦をはじめ、91年にはバールが追放されたが、その後も部族間の抗争が続き、同じ年に旧英領ソマリアが分離を宣言しますます混乱を深めた。
2004年には連邦議会と臨時代理大統領が選ばれ、平和に向かうかと思われたが、臨時政府のメンバーである部族代表が政府に従わず何も出来なかった。
部族代表はちょうど日本の戦国時代の大名のように、自分の領土を守り広げるために戦っている。
そのための数多くの和平会談が持たれたが、またすぐに戦いが始まってしまう。
2006年の夏にはイラン、リビア、サウジアラビアなどに支持を受けたと見られる回教徒の軍隊組織が住民の支持を受けて戦国大名をモガディシオから追い出し、中南部ソマリアを支配下に置く。
その後イスラム軍事勢力の進撃を止め、国際的に承認されている臨時政府の崩壊を防ぐために、ウガンダ、イエメン、ケニアの支持を受けたエチオピアが軍事介入するが、臨時政府は首都を捨て、250キロほど離れたバイドアに逃げる。
2006年半ばには、イスラム勢力は圧政により支配地区にある程度の平穏さをもたらせ、物価が下がり港や空港が再開された。
2006年12月に国連は第1725号決議により、政府への武器禁輸を解除し、国際監視軍の編成を許可した。その直後にイスラム勢力と政府軍の戦闘が始まり、エチオピア軍の介入により政府軍は首都に進駐した。
2007年1月には米軍がエチオピア軍支援のために軍事介入、アルカイダがいるとして南部の村を爆撃し、多くの住民の死者を出して国連やEUから非難された。
2008年6月にはソマリア政府、反政府勢力、エチオピアの間で戦闘行為の中止と国際監視軍の駐留、エチオピア軍の引き上げの協定が結ばれた。
2008年12月19日、臨時政府の首相が、国際的な経済援助がなく平和の実現は不可能だとして辞任した。



■ソマリアの海賊
内戦が続き、経済が疲弊したソマリアで、唯一の産業は『海賊』である。最近2年間で『海賊業』に従事するものは50人ほどから2000人にまで増えているとの国連の調査報告もある。テレビや車、コンピュータなどを買えるのは彼らだけであり、子供をヨーロッパに留学させているものもある。最近は高速ボートや高性能な武器の提供など『海賊業』に投資するものも現れ、組織化が進んでいる。それに対し各国から派遣された艦船は、それぞれが勝手に行動しているので、海賊たちの脅威になっていない。
海賊は海岸の小さな港を根拠地にしており、南部の高名な海賊であるアブヅル・ハッサンは350人の配下を持ち、2008年には30隻の船を襲った。
『不死身』のあだ名を持つシャムン・インダブールは「15分間で襲撃を終わらせる」と豪語しており、艦橋に一番乗りしたものはジープと若い妻をもらえるが、人を殺すと『名誉の法則』に違反するので何ももらえないそうである。
最近はアルカイダが進出してきているとの情報もあり、現在の海賊を殲滅する作戦を強行すると、ビジネス海賊ではなく、テロ化する恐れが大きい。
唯一の解決法は軍事力の使用ではなく、経済的に自立できるような援助を行い、ソマリア国民が自信と尊厳を回復することであろう。そしてこれは日本が得意とする分野である。


関西共同行動ニュース No50