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『合田悟牧師の逝去を惜しむ』 和田喜太郎(関西共同行動)

 十月五日、東大阪の自由メソジスト源氏ヶ丘教会牧師合田悟さんが、直腸ガンのため入院先の市立病院で亡くなられた。享年七六歳でした。五月には「喜寿を祝う会」が催されたが、その頃は全くお元気だったようです。体調不良のため入院され、既に八年前からガンであることが分かったのですが、僅か一ヶ月の「闘病生活」ののち、私たちの手の届かないところへ旅立たれました。

 十月六日には前夜式、七日には告別式が市内公益社会館で盛大に挙行された。教会関係や様々な運動関係の人々が、第二会場を含めて多数参列され、在りし日の合田さんの業績を偲び、「早すぎる」と惜しまれつつ、みなで最後の見送りをしました。

 合田さんは一九三二年大阪西成区で五人兄弟の三男として生まれ、小学二年のとき事業経営の父親が亡くなる。元看護師の母親がクリスチャンであった影響もあり、十五歳で自ら洗礼をうけ、その後神学校に進み牧師への道を歩まれる。

 五五年、最初の赴任地は神戸愛隣教会だったが、告別式の司会は現在の同教会田中英雄牧師が務められた。六二年に布施足代教会に赴任されるが、生野区に隣接する東大阪は生野区に次いで在日韓国・朝鮮人の多い地域であり、生まれ育った西成区にも雰囲気は共通した。熱心に教会に来る韓国人青年が突然来なくなった。原因はその青年が密航者として逮捕されたことを、その友人から知り衝撃をうける。合田さんが在日外国人人権問題に取り組むきっかけだったという。

私たちが合田さんと出会ったのは、靖国国営法案の動きのなか、地域で初めて反対デモを行った頃だった。同法案の動向と同時に入国管理体制も強化される。告別式では、友人代表桑原重夫牧師の弔辞があったが、保守的なキリスト教世界の現状のなかで、宗派を越えた行動派の盟友だった。合田さん自身の教団改革にも奔走されるが、教会の戦争責任の問題は反靖国や反差別の課題と行動にも関わるものだった。
七六年、東大阪出身の韓国留学生がスパイ容疑で拘束。これらの釈放運動に合田さんは地域ぐるみ運動の中心になって活躍され、現在も活動を続ける「日韓問題を考える会」発足のきっかけとなる。南北和解動向のなかで九六年、「東大阪国際フェスティバル」が開催され合田さんは共同代表を務めるが、以後フェスティバルは恒例化し、NPO国際共生ネットワーク発足に至り、五五ヶ国、約二万が在住する東大阪の外国人の権利を守る諸活動など続けている。
 六九年から東大阪に住み、地域の運動に馴染んできた私にとって、合田さんとの関わりは特別のケースかもしれない。何れにしても様々な運動にとって中心的な存在だった合田さんが亡くなった損失ははかりしれない。

関西共同行動ニュース No48