集会・行動案内 TOP
 
「9条世界会議・関西」奮闘記 松岡幹雄(とめよう改憲!おおさかネットワーク事務局)

大阪で開催した第10回「許すな!憲法改悪・全国交流集会」で、川崎哲さんが、「9条世界会議」について「壮大な成功に終わるか、壮大な失敗に終わるかどちらか」と語っていたことを鮮明に覚えている。成果も大きいがリスクも大きい。そんな「9条世界会議」がにわかに現実味を帯びてきたのが全国交流集会も終わり一息ついていた頃だ。
当初は、「市民運動の立場から協力できることをしていこう」という気持ちで事務局を引き受けた。5月には、はやくも実行委員会が立ち上がった。最初の約半年間は、学習や企画の検討、大枠のプランの検討とまだどこか「のどかな雰囲気」が漂う実行委員会であった。ところが、状況はしだいに変化していく。「ノーベル平和賞受賞者が大阪に来ない!?」という連絡。その次は、知事選が飛び込んできた。こんなはずじゃない、と思ってももう後戻りはできない。忙しいという言葉が適当ではない超多忙な日々が続いていった。
幸いなことに企画、広報、組織・財政、新世代と4つの委員会・部会がそれぞれ立ち上がり、実行委員会の協力関係もいいことが救いだった。
■「幕張が大変なことになっている!」
5月4日、「幕張が大変なことになっている」事務局スタッフから一報が入った。急遽、現地の高田さんに連絡を入れ状況を聞いた。電話口から周囲の緊張感が伝わってくる。鳥肌が立つのを感じた。その予兆は、大阪でもあった。5月3日毎日新聞でベアテさんのインタビュー記事が掲載され、「9条世界会議・関西」の紹介が少し載っただけで30件を超える問い合わせが入っていたからだ。舞洲アリーナは、7000人の集客キャパがあり、滅多なことで溢れることはないだろうと思ったが、急ぎ第2会場と第3会場の手配を取った。5日は、早朝からの準備、昼前には沢山のスタッフが集まった。すべて順調に準備が進んでいるかに思えた。ところが、夕刻、舞台上に設置された横幕を見て驚いた。「小さい!」「小さすぎる!!」みんなも口には出さないがかなり「まずい」と思っている。「作り直そう」と決断したのが夜の9時。郵政ユニオンの仲間にキンコーズに当たってもらった。連帯労組や社民党にも連絡と取ってみた。やはり無理だった。事務局スタッフの藪田さんに事情を説明すると、「できるかもしれませんよ。連絡してみましょうか」と教職員組合の知人に連絡を取ってくれた。その方は、帰省先から大阪へ帰ってこられたばかりだった。そこから徹夜の作業が始まった。6日当日の朝、巨大な横幕ができあがっていた。感謝の言葉を失うほど見事な出来映えだった。しばらくして、初対面のその方にご挨拶し御礼を言った。
いよいよ開場の時間がきた。すでに入り口周辺は人で溢れていた。12時には、用意していた6000部のプログラムが無くなった。「なにかの間違いでしょ」スタッフにプログラムを探してもらったが本当に無くなっていた。当日、参加協力券無しで入場された人が約2500人。いままでの憲法集会にはない広がりを感じた人も多かったことだろう。
最後に、これからの課題について少しふれさせてもらう。
国内の「護憲運動」も、これまでのように一国的な視点ではなく、アジアや世界の平和構築に具体的に結びつく視点を持った運動づくりが必要だと思う。9条を守るためだけの運動から、9条の精神を生かし、平和を構築する運動へ、より豊かな憲法運動をめざすことが求められていると思う。
また、今回の「9条世界会議・関西」は、これまでにないネットワークの広がりをつくりだした。しかし、日本実行委員会のような立場の違いを乗り越えた結集は関西では実現できなかった。運動の経過や対立を乗り越え9条護憲の一点で手をつなげられないものだろうか。これが二つ目の課題である。
とめようネットは、第2回総会をへて、「9条意見広告運動」と「9条世界会議」二つの運動課題を全力で取り組んできた。私たちは、今後どういうスタンスで運動を広げるのか、よく討論になるところだ。私は、すべての「護憲勢力」が協力しあえる関係をつくる必要があると思っている。過去の経過や立場の違う憲法・平和団体が結集するには、接着剤が必要だ。その役割を私たちとめようネットが担う必要があると思っている。
私たち自身の節々の活動をすすめ、自前の大衆的な基盤をひろげ第2回「9条世界会議」の準備をしっかり整えていきたい。



関西共同行動ニュース No47