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●新聞意見広告運動への思い 原田恵子(止めよう改憲!意見広告事務局)

2008年5月3日の毎日新聞大阪本社版に、9条改憲反対の声を意見広告として掲載することが出来た。4月17日締め切り日には、名前掲載可、不可も合わせると1075名の個人、79団体が参加した。
国会では、高齢者医療や年金問題をはじめとする社会不安に焦点があてられ、報道もさかんに書き立てるが、憲法9条改悪の動きが消えた訳ではない。いつ噴火してもおかしくない活火山のように、たえず、機会を伺っている憲法審査会の存在がある。近い将来、国民投票が行われた場合、平和を望み戦争を拒否する人々が多いことを知っておいてもらうことが重要になってくる。意見広告運動の果たす大きな役割だと思っている。
私が、この運動に熱心に取り組んだのには、二つの理由があった。
一つは、20年以上前、岡山で戦争体験者の講演があり、そこで知り合ったMさんの言葉が今も忘れられない。ニューギニアで負傷しオーストラリア軍によって俘虜になり、カウラ収容所に入れられた。そこでは、虐待もなく、強制労働もなかった。しかし、「生きて虜囚の辱めを受けず」と教育されていた日本兵たちには、生きている安堵感と後ろめたさからくる不安が交錯し、複雑な心境だったそうだ。自分が俘虜になったとわかれば家族が村八分にされると思い、ほとんどの兵たちは本名を名乗らなかったそうだ。
収容人数が増加し、移転問題を切っ掛けに暴動を起こし、脱走しようと呼びかけるものがでてきた。武器も無く8月の厳寒の荒れ地で脱走しても成功の見込みなどなく、このままの生活が良いとほとんどは思っていた。班単位で生活していたので、どうするかは、各班の投票で決定する事になった。結果は、決行となった。ほとんどが意外な結果に驚いた。Mさんは、「本心は嫌なのに、卑怯者とおもわれるのが嫌で、どうせ、結果は否決されるに決まっているから自分ぐらい決行と書いても大丈夫だろう」という人が多かったと言った。決起は自殺行為であった。せっかく助かった命を捨てる愚かな行為だった。「どんな時でも命を大切にし、間違ったことにはNOと言える勇気を持て。」と教えてくれた。
戦争体験の語り部として活動し、故人となられたMさんの声が励ましとなって、意見広告運動に全力を注いだ。
あと一つは、市民運動など無関心で、むしろ敬遠していた友人に参加してもらえたことだ。自分の子どもを守りたいと勇気をだして実名で参加してくれた。彼女は3日当日朝から新聞を買いに駅まででかけ、子どもたちに自分の名前を示し、親としての責任だと話したそうだ。
来年こそ、こんな人たちがたくさん参加してもらえたらと願っている。




関西共同行動ニュース No47