『虐殺の地南京から平和発信の地南京へ!新しい記念館(平和の船)の出航!』 山内小夜子(大谷派僧侶)
二〇〇七年一二月一三日、南京大虐殺七〇周年の日。中国・南京では、大規模に拡張一新した「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(以下、南京大虐殺記念館)」が、リニューアルオープンしました。
南京大虐殺記念館は、一九八二年の教科書問題など日本の歴史認識に疑問をもった南京市民の要請もあり、戦後四〇年を記念して一九八五年八月に開館しました。その後、断続的に拡張されていましたが、二〇〇五年一二月一三日に今回の大規模な拡張工事が始まりました。敷地面積は二.二ヘクタールから七.四ヘクタールに、展示面積も八〇〇平方メートルから六〇〇〇平方メートルに一挙に拡大しました。
南京七〇周年にあたり、日本各地から多数の訪中団が追悼行事に参加しました。私たちの「南京大虐殺七〇周年平和法要及び南京記念館新館落成記念友好訪中団」は、「真宗大谷派平和法要友好訪中団」、「浄土真宗本願寺派滋賀教区同朋運動現地研修友好訪中団」、「福善寺「鸞」の会合唱団友好訪中団」、「東史郎さんの南京裁判を支える会友好訪中団(団長・中北龍太郎)」の合同の訪中団で総勢二九名が参加。
一二月一三日午前八時から、今回の拡張工事で新しく造られた「追悼広場」で、南京大虐殺事件の幸存者(生存者)と遺族ら参列のもと、中日両国の僧侶により「国際和平法要」が営まれました。
同日十時から、展示館前広場で開催された「「追悼南京大虐殺三〇万人同胞遇難七〇周年および新記念館完成の落成記念式典」には、拡張された敷地内を一杯に埋め尽くす人々が参加しました。報道によると中国人が八万人、日本から四〇〇人。特に中国の若者の参加が多かったように思います。午後に一般公開された展示資料館を見学しようと、続々と人の波がとぎれませんでした。
この拡張工事の最中にも、一九体の遺骨が発見されています。記念館自体が虐殺の埋葬地に建てられていて、まるで「墓標」のように感じます。その遺骨は、専門家の鑑定により当時の犠牲者であることが判明。建物の中央付近で見つかった遺骨をそのまま埋めてしまわずに、掘り起こされたままの形で見られるように、そして、今まで光のあたらなかった遺骨に光があたるようと吹き抜け構造に、建物の設計の一部を変更したとお聞きしました。
新しくなった記念館は、当時の歴史を芸術作品やモニュメント、建物の構造で伝えようとする大規模で画期的なものでした。記念館全体が「平和の船」の形をしていて、過去から未来へ、戦争から平和へ、「虐殺の地・南京から平和を発信する地・南京」へと漕ぎだそうというメッセージを感じました。
また今回訪問して驚いたことの一つが、民間の歴史資料館が設立されたことです。二〇〇六年十一月に完成したという「南京民間抗日戦争史料陳列館」(呉先斌館長)の「民間」の文字がとても新鮮に感じました。呉館長は設立した理由を「戦争の歴史は、民間(民衆)が経験した歴史として伝えられていく事が大切で、民間は民間としての歴史の伝え方がある」と語られ、びっくりしました。「怨みを次の世代に残すためにつくった資料館ではありません。民衆にとって戦争とは何かを考えるための史料陳列館。日本の若者と戦争について語り合いたい」と。
対照的な規模のちがう二つの戦争記念館。それぞれの場で、歴史に向き合い、そこから学ぼうとしている人たちがそこにいました。南京を訪問される方は、ぜひとも二つの記念館の訪問をおすすめします。
帰国して、新聞に「南京占領七十年・虐殺記念館が再開館。市民殺到、邦人に投石も ・・反日感情の根深さも・・」(京都新聞)と報道されていて驚きました。まず「占領」という時代錯誤の見出しに、そして「投石」と「反日感情」という言葉に。
八万人の中国の参加者と日本から四〇〇人の参加。十年前は追悼の場に日本人が同席することはなかったのです。私たちは、八万人の群衆の中、時間に追われながらも、式典に参加し、記念館の庭や資料館の展示をていねいに見てまわり、夕方には青年たちが計画した平和キャンドル行進に参加して、それぞれが持っていたロウソクを集めて「和平」という大きな文字を作りました。
「投石」されてもおかしくないような歴史を持ちながら、七十年の追悼の行事に参加でき、その場を共にできたと感じていただけに、私自身の実感と報道とのギャップに絶句しました。報道した方は、あの場で何を見ておられていたのかと。
「反日感情」という言葉であらわされることがらの、その背後には南京市民の一人ひとりの家族の歴史があります。反・日本ではないのです。戦争や暴力に反対しているのです。そして、侵略戦争に反省のない日本に不信と憤懣やり方ない思いを持っているのだと思うのです。日本で語られる「反日」という言葉の薄っぺらさを感じます。実際に現地で歴史を学び、そこで人と交流することの大切さを実感しました。
今年は北京でオリンピックが開催され、中国も大きく変わっていくことでしょう。これからも、民間の小さな交流の場を大切にしていきたいと思っています。
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