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『憲法で攻めよう!』 本多立太郎(老人行動隊)

 私は、一九一四年に北海道小樽に生れ、すでに九三歳、垂死の老人です。本来ならばとうにあの世に棲むはずですが、どこをどう間違えたか、まだこうして生きています。お陰で今だ車椅子の世話にもならず、うろうろと一人で歩きまわっています。全身全く言うことを聞かなくなった器官もありますが、幸い足腰は動きますし、食べることも生来口卑しいので、結構大人なみに食べます。まだ、一、二年は保ちそうです。
 しかし、ただ生きるだけでは意味がない。
 猫抱いて日向ぼっこばかりでは、何のために生きているのかということになりますし、寝たきりでは皆さんに迷惑をかけます。やはり終りの日まで、自分のことは自分で出来るように心がけたいと思います。
 年金生活以来、ふとしたことから始めた「戦争体験出前噺」も昨年二月で満二十年、お陰で全国四七都道府県全部を廻りましたし、まあこの辺で終りにしようかと周囲の人々と相談して、一旦打ち切りとしたのですが、これがまた人間一丁先は闇という通り、思いがけないことが起きてしまいました。
 私は、一九六〇年(昭和三五年)、東京の或る金融機関の中間管理職(たしか預金課長)をしていた時ですが、或る小さな新聞記事に「今回の日米安保改定が成立しなければ、アメリカの防衛線はカルフォルニアに後退するだろう」という、一人の米上院議員の談話記事を読み、ふっと思いました。
 アメリカの防衛線がアメリカの西海岸にあって何故悪いのだ。何故朝鮮半島、日本列島、台湾、フィリピンを結ぶ極東最前線にあらねばならないのだ。「これは岸首相が言う『この条約は、軍備を持たない日本のための条約』ではなくて、アメリカの極東戦略に日本を縛りつけるための条約なんだ。こりゃこうしていられない。」友人に電話しましたら「帰りに日比谷へ寄ってみろ」と言います。
雨外套着て、鞄提げて、夕方日比谷公園に行って驚きました。赤旗が林立してインターが流れ、煮え繰り返った熱気でむんむんしています。まさか赤旗の後ろに喰らい付く訳にもいかないのでうろうろしていますと、隅に小さな集団で「声なき声」という横断幕を掲げた市民の集まりがあったので、ひょいと頭を下げて加わりました。
 さあそれからというものは毎日毎日、5時になるとサワと姿を消すものだから、社内に「本多課長は、麻雀よりもっといい遊びを覚えたらしい」などとあやしがられ、噂が流れたほど熱心にデモに通いました。
 日比谷から赤坂、国会をひと廻りしてアメリカ大使館前で渦巻きデモ、田村町大通りからは両手一杯に拡がってフランスデモ、新橋で流れ解散の順路です。途中で右翼が殴りこんできます。角棒に五寸釘を半分打ちこんだのを振り回しながら、女子供の居る我々市民集団に襲ってくる。総評、全学連には逆にやられてしまうから、弱い我々をねらってくる。
 こちらは、幌馬車隊みたいに女子供を中に包んで、敷石をはがしてぶつけて抵抗する。いやはや正に青春の再来の気分でした。毎日上着にカギ裂きを作ったり、ズボン泥だけで帰ったりしましたから、細君は、「亭主はたしか銀行へ通っているはずなのに、何処へ行ってるんだ」と思ったでしょうねえ。でも何も訊かない。そういうしつけは出来ています。
 その時に忘れられない印象があります。毎日列中に一緒になる若い母親が、背に嬰児を背負い、手に四、五歳の坊主をひいて、髪振り乱し汗と泥に塗れて歩いています。思わず「大変ですねえ」と声をかけると、きっとこちらを見上げて叫ぶように「いいえ、だってこの子の為ですもの」と。その声と瞳の印象が忘れられません。正に、この子の為、それがあの三十万の大衆の一致した思いでした。そしてあの六月十五日、東大生樺美智子の死、当時の首相岸信介は、彼女の怨敵に他ならない。
 ところがあろうことか、その岸の孫が政権の座に就いて、祖父と全く同じことをやらかそうとしている。現在は改革と言っていますが、戦前は革新、革新政治家、革新軍人、革新官僚、その先頭に立ったのが当時の商工次官岸信介だった。聖戦完遂、鬼畜米英の道に国民を駆り立てた張本人が、要領よく戦犯をくぐり抜けて、戦後保守政治の第一人者になり、政権の座に就くという、まことに不潔極まりない奴の孫が出てきたのでは、八十九歳だからと寝込んでいては「武士の一分」が立たない、と藤沢周平調になっちゃった訳です。
 それでまたうろうろと出歩き始めた。この六月は北海道北見市、網走、斜里と四日間で八回、その中の一回は土地の中高生主催の集まりというのがあって、これは千回をこえる私の出前噺の中でも初めてという頼もしい彼らでした。後で聞いたのですが、高校生が学校の校長室に呼ばれて「高校生がそういう集まりの主催をするのは如何なものか」と言われたのに対し、「僕らは日本の近現代史を全く教えてもらわないから、自分で真実を知ろうとするのです。どこが悪いのですか」と。
 どうも近頃の子供の方が大人より確りしてますねえ。たしかに教育三法を変え、進んで国のためにと銃を執る青年を作り上げようとしていますが、大人がもっと自信をもって事に当れば、必ず平和憲法は守られます。
 むしろ、憲法を守るというより憲法で攻める、憲法を輸出するということを考えるべきではないでしょうか。私はここ数年、中国を訪れていますが、そこで気付いたのは一般民衆誰も日本に憲法九条のあることを知らない。「そんな立派な法律があるのに、何故自衛隊が有るのですか」と訊かれて詰まっちゃったことがあります。憲法で攻めることを考えましょう。(〇七年七月七日)
関西共同行動ニュース No45