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●米軍再編と神奈川の基地 −原子力空母と第一軍団司令部
 【すべての基地にNO!を・ファイト神奈川】木元茂夫


 昨年12月16日の「神奈川新聞」は、「米軍再編法案‐原子力空母配備も対象」の見出しで、「政府、与党は…関係市町村への交付金制度を柱とする米軍再編推進法案を来年2月に通常国会に提出し、成立を図る方針を確認した。…政府は交付金規模を10年間で最大1千億円とする方向で調整に入った」と報じた。米軍再編も大詰めの段階を迎えようとしている。しかし、全国各地で巻き起こった反対運動は、小泉‐安倍内閣に大きな打撃をあたえ続けている。神奈川での反対運動について、基地の概略を含め簡単に紹介したい。

■横須賀海軍基地と原子力空母配備
 横須賀は一八八四年に横須賀鎮守府が設立されて以来、一世紀を越える基地の街としての歴史をもつ。在日米海軍司令部の建物は、かつての横須賀鎮守府庁舎をそのまま使用している。旧横須賀海軍工廠は、艦船修理部(SRF=Ship RepairFacilities)となり、基地労働者四千三百人を抱えて、空母キティホーク以下11隻の母港艦船のみならず、佐世保基地所属の揚陸艦隊の修理も担当している。原子力空母配備の情報は98年頃からあったが、05年10月、米軍再編中間報告とともに「配備通告」がなされた。日米両政府の強引なやり方に横須賀市議会は全会一致で反対を決議した。しかし、政府の公然隠然たる圧力があり、4月に横須賀市の経済団体が訪米、横須賀市は5月から6月にかけて2回の公聴会を開催したが、市民が充分な発言もできないまま打ち切り。6月13日には麻生外務大臣が横須賀にやってきて、翌14日、蒲谷市長はとうとう「原子力空母容認発言」を行った。
 98年以来活動を続けてきた「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」は、この情勢を受けて、横須賀市内のさまざまな平和団体、労働団体に呼びかけて「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」を発足させた。人口42万の横須賀市には住民投票条例がなく、制定のための直接請求には、有権者数37万の50分の1、最低ラインとして七千百十二名の署名が必要であった。「これをどのくらい上回れるのか」、かすかな不安を感じながらの署名運動のスタートであった。しかし、結果は誰も予想しなかった四万千五百九十一名、有権者の9人に1人は、住民投票が必要だという意思表示をしたのだ。全国に呼びかけたカンパのうち、「ヨコスカ住民投票を支援する市民基金」も年明け早々目標の百万円を達成した。関西からも多くのカンパが寄せられた。この場をお借りしてお礼申し上げたい。「成功させる会」には総額五百万円のカンパが寄せられ、これがビラの全戸配布やポスターを張り巡らすのに大きな力となった。横須賀では、住民投票条例の直接請求を審議する2月市議会に向けて、次の取組みが始まっている。

■キャンプ座間と相模総合補給廠、そして池子米軍住宅
 米陸軍キャンプ座間は、37年に開設された旧陸軍士官学校座間校舎を、米軍が接収したもので、朝鮮戦争では出動する兵士の集結・訓練基地となった。朝鮮戦争の休戦後、横浜にあった在日兵站司令部がここに移転。以後、在日米陸軍司令部として、約千三百人の軍人・軍属が駐屯し、極東地域の兵站補給を司ってきた。座間市と相模原市にまたがり、二百三十四ヘクタールという広大な土地を占有し、巨大な備蓄倉庫である相模補給廠と、積出港である横浜ノースドック、家族住宅である相模原住宅地区、そして、東京六本木の赤坂プレスセンター(ヘリポート)を、管理下においている。
 いわば後方支援基地であるキャンプ座間に、バリバリの戦闘部隊である米陸軍第一軍団の司令部が移転してくる計画が明らかになった時、相模原市と座間市は、市を挙げて反対運動に立ち上がった。戦中派世代は、「陸軍士官学校以来基地の下で70年、もう我慢の限界」と怒りを込めて語った。旧軍の強引な土地買収、戦後相次いだ米兵犯罪、これと向かい合って基地の返還を要求し、実現してきた戦後の60年。第一軍団司令部の移転構想は、「基地強化以外のなにものでもない」と両市は受け止めた。05年10月、説得にやって来た額賀防衛庁長官(当時)と向かい合い、相模原市の小川市長は「戦車に轢かれても阻止する」、座間市の星野市長は「ミサイルが打ち込まれても阻止する」と発言した。ともに保守系の市長である。この地域の「戦争の記憶」が、いまなおいかに強烈なものであるかを集会のたびに感じさせられた。
 市民も「第一軍団を歓迎しない会」を結成し、労働団体とも協力して、キャンプ座間に対する包囲行動やラムズフェルド国防長官宛てのハガキを出す運動などに取り組んだ。両市の反対に、横浜防衛施設局は、53年から使用している司令部の建物を改築しないことを約束し、71年の座間市と横浜防衛施設局が結んだ覚書に「施設部隊(約三百名)の一部使用とし」とあるため、陸上自衛隊の中央即応集団司令部も座間市域は作らず、東京の朝霞駐屯地に仮庁舎を建設し、覚書を結んでいない相模原市域に10年までに建設するという、譲歩案を提示した。しかし、覚書には「横浜防衛施設局長は、キャンプ座間の縮小について最大限の努力をする」とあるため、星野座間市長は「基地の恒久化解消の具体策を示せ」と要求しつづけている。
 米陸軍相模総合補給廠は、38年に開設された旧陸軍の相模造兵廠を、戦後米軍が接収して現在にいたっている。JR相模原駅前という相模原市の一等地に二百十五ヘクタールという巨大な敷地をもっている。朝鮮戦争とベトナム戦争では戦車の修理工場がフル回転をした。現在その修理工場は使用されていないが、朝鮮半島有事に備えてパイプラインセット、病院セット、架橋セットなどが備蓄され、その展開訓練が時折行われる。
 05年10月の「中間報告」で、補給廠北側の野積場‐展開訓練が行われる時以外は使用されていない土地‐に陸上自衛隊の普通科(歩兵)連隊を移駐させることが提案されたが、市の強い反対の前に撤回された。しかし、戦闘指揮訓練センターを米陸軍の予算で作る計画は早晩動き出すかもしれない。そんな中、11月12日には相模補給廠に対する人間の鎖行動が市民団体、労働組合など千八百人の参加で取り組まれた。
 この他にも、池子米軍住宅の追加建設も動き出している。逗子市と横浜市にまたがる旧池子弾薬庫の横浜市域に、七百戸のしかも15階〜17階というこれまでにない高層住宅を建てようとしている。追加建設を2年半前に受け入れた横浜市。しかし、横浜防衛施設局は市民に建設計画の概略すら示さずに、実施設計に入ろうとしている。1月4日、「横浜市民には、あらたな米軍住宅の建設という、市民の生活に大きな影響をあたえる計画に対して、計画の全容の説明を求め、これに対して意見を述べる権利があります。計画に不透明な部分があれば、横浜市も市民も正しい判断はできません。横浜市として、横浜防衛施設局に対して、詳細な説明をもとめ、計画の全容が市民に明らかになるように」とする公開質問状を横浜市民76名の賛同を得て提出した。
 自治体と連携した運動として、あるいは市長の変質を許さない運動として、闘い抜かれたこの2年、米軍再編に反対する神奈川の運動はいよいよ、正念場である。改憲の連鎖を止めよう!
関西共同行動ニュース No43