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●悪法から改憲への危険な連鎖を断とう!【関西共同行動】中北龍太郎

■戦後レジーム脱却のための悪法
 昨年臨時国会で強行された教育基本法と自衛隊法の改悪は、憲法の外堀を埋め改憲への布石を打つ、許しがたい歴史的暴挙でした。継続審議となった改憲のための国民投票法案については、すでに自公民三党間でわずかの調整項目を残すだけで概ね合意を形成し、憲法施行六十周年記念日までに成立させるという方針が強まっています。安倍政権は、美しい国へ―戦後レジームの脱却をスローガンに、教育基本法と自衛隊法の改悪をホップ、国民投票法制定をステップに、改憲=戦後平和・民主主義の終焉と新たな戦争国家の形成へ一気にジャンプしようとしています。
 教育基本法制定は、教育勅語を金科玉条とする戦前教育のレジームからの脱却を志したものでした。戦前の教育は戦争に勝つための兵士・労働者を育てることを目的とした富国強兵政策のための国家事業とされ、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と説く教育勅語は、教育における忠君愛国、戦死のススメの聖典として侵略戦争を支えてきたのです。
 こうした戦前レジームから、個の尊厳を原点に人格の完成を目的とした人間中心の教育へ、教育を国家事業から市民の自主的事業へと大転換したのが教育基本法だったのです。
 教育基本法改悪は、この戦後レジームを再逆転し、再び国家が《道徳の教師》として国家公認の“愛国モデル”を押しつける上位下達の強制教育を全うするためにほかなりません。また、学校を国定の愛国心教育の発信センターにして愛国万歳ムードを社会全体に浸透させることも狙われています。小泉内閣の文科大臣だった河村建夫の「(教育基本法改正は)平成の教育勅語を念頭に議論する」という発言がなんとも象徴的です。

■悪法から改憲への危険な連鎖
 戦後改革によって誕生した憲法と教育基本法は車の両輪です。憲法にうたわれた個の尊厳、教育の自由の原理と教育基本法の理念とは一体のものですし、憲法のめざす平和・民主・人権の社会を実現するために教育基本法が制定されたのです。
 教育を国家精神統制法へねじ曲げる教育基本法改悪は、戦争のために命を投げ捨てる国民づくりにほかならず、それは戦争のための体制づくりとしての9条改憲とセットになっています。このように、二つの法改悪は、心と体の両面から戦争する国を作ろうとするものなのです。
 また、一方の車輪の損傷が他方の車輪に悪影響を及ぼすように、教育基本法改悪はそれと一対となっている憲法改悪の決定的な一里塚となることは必至です。
 教育基本法改悪とともに、新設された海外派兵を本務とする防衛省は、海外派兵の拡大と遠征軍としての自衛隊の飛躍的強化を進めるための基盤であり、その既成事実の積み重ねが改憲への軍事的圧力となることは避けられません。
 悪法製造メーカーと化した国会から次々と製造される悪法が、憲法の死に至る病根を作り出しているのです。戦後平和と民主主義を殺して他の国の市民を殺す国に転げ落ちようとしている今、悪法から改憲に至る危険な連鎖を断ち切る市民民主主義の底力が問われています。

■平和憲法は世界遺産の価値
 改憲の足音がヒタヒタと迫ってくる中、憲法の前文+九条=平和憲法の大いなる価値を再確認する声が広がっています。例えば、「爆笑問題」の太田光は、「日本国憲法の九条は、とくに世界遺産に匹敵する」と語っています。私たちも改めて、平和憲法の意味を市民の目線でしっかりかみしめておかなければなりません。
 九条は、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認の平和三原則を決めています。平和三原則を本にして平和な国をつくる、これが九条の核心です。この心を明らかにしたのが憲法前文です。前文一項は、二度と政府が戦争を起こさないようにするために憲法を制定したと強調しています。(立憲平和主義)。前文二項は、永遠平和のために武力によらない平和を築くという方針を高らかに宣言しています。そして前文二項の最後の段落は、世界の市民が日本政府の引き起こす戦争によって脅かされることのない平和的生存権を有していることを確認しています。前文三項では、戦争のない状態としての平和(消極的平和)の維持にとどまらず、紛争や戦争の原因ともなる「専制と隷従、圧迫と偏狭」を元から断つことによって平和を確実なものとするとともに、人権の保障された抑圧のない民主的な社会を建設して積極的平和を実現するために努力していくことを明らかにしています。
 九条の平和三原則は、前文で唱えられた立憲平和主義、平和的生存権、武力によらない平和構築、積極的平和の実現などの原理原則と目的を具体化し達成するために定立されたのです。

■人類英知の結晶=平和憲法を守る
 考古学では、農耕社会とともに戦争が始まったという説が有力です。人を殺し傷つけ、物を奪い壊し、環境・文化を根こそぎ破壊する戦争は、どう考えても悪のはずです。にもかかわらず、戦争の現実と正戦・聖戦論が悪循環をくり返し戦争が地球上を覆ってきました。しかしながら、人類の平和力は地表の戦争の現実に抗して地下水脈のように蓄えられてきたことも事実です。
 古くは、キリスト教のシャーローム(平和)、インドのアヒンサー(不殺生)、仏教の兵戈無用(軍隊と武器は無用)、アメリカ先住民の平和の象徴としての「大いなる平和の樹」、聖徳太子の十七条憲法の和の思想などです。近代ヨーロッパでは、カントは「永遠平和のために」で、常備軍の全廃、世界共和国にいたるまでの過渡期における国際連合の設立と国際法の制定を訴えました。アメリカでは、戦争非合法化運動が大きく盛り上がった歴史があります。日本では、自由民権運動家の中江兆民や植木枝盛による軍備と戦争の全廃や世界政府機構の設置の提唱、内村鑑三の非戦論、石橋湛山の植民地放棄=小国主義など、もう一つの日本のあり方をくっきりと照らし出した平和論が数多く展開されました。
 国際的な戦争違法化の動きは、ハーグ陸戦法規、国際連盟の発足、不戦条約、国際連合となって結実しました。平和憲法は、長い歴史の中で蓄積されてきた人類の平和力が母体となり、第二次大戦終結後の平和への希求と理想が燃えたぎり、原爆による人類共滅の恐怖感が広がり、冷戦が表面化する以前の時代状況が産婆役となって誕生しました。
 同族間で殺しあうのは人間だけです。しかも、戦争は人類の歴史の中でほんのわずかの間だけのことです。戦争は、人間が人為的に作り出したものである以上、きっとなくせるはずです。人類の英知の結晶としての平和憲法は、戦争をなくすための最も確かな世界遺産に値する価値を有しています。永遠平和のために平和憲法を失ってはならない、権力者たちによって再び日本を「戦争をする国」にさせてはならない。平和と崇高にかけて闘いぬきましょう!

関西共同行動ニュース No43