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『九条の改正わらい言う議員 このちんぴらに負けてたまるか』−6/24辺見庸講演会報告 古橋雅夫(関西共同行動)

 去る6月24日、中之島公会堂1階から3階までをも埋め尽くす千七百人の聴衆を前にして、辺見さんは3時間近くの講演をノンストップでやりきった。2年前の3月、仙台での講演中に脳出血で倒れ、その後結腸ガンの大手術が続いた辺見さんは、再び講演を開始。今年4月の東京に始まり、次が今回の大阪講演であった。「大阪」と書いたが、辺見さんは「京都講演を楽しみにしていた」と繰り返した。それは京都講演を直前にしての病魔であったからである。そしてこの講演実行委員会は、京都の「ものを云う人びと」の会が急遽、会場を中之島公会堂に決めた瞬間に始まり、そこでの精力的な情宣活動に引きずられるように僕も含め、関西共同行動の面々は、当日の会場運営をピークにして動いた。
「言論に命を賭ける」ということはどういうことだろう。実際辺見さんは健康を害した。天皇制国家主義・民族排外主義・日米安保を主軸にした産軍複合体・・・相反するようでいながら国粋主義とグローバリゼーションは互いの利害を共有し宗教と貧困を糧に背後霊のように立ちはだかっている。辺見さんは言う「組織でなく個人だ。連帯でなく想像力だ。それぞれの持ち場で。おのれの指先からの一滴の血を流し、一歩でいいから一線を超えろ」と。僕は辺見さんの一言一句をかみしめるようにして聞いた。
「関東軍73部隊の悪行は知られているが、手術台を前にして恐怖におののく中国人の生体解剖を可能にしたのは、医者ではなく「舌を出しながらだまして安心させた」看護婦であった。しかし看護婦はその意味を問い直すことはない。なぜか。日本のイラク戦争への加担や憲法九条の改正を前にして、日々の生活の中で我々は同じ事をしていないか。ルーチン化されているがゆえの無自覚さを越えるためには『潜思』しなければならぬ」と辺見さんは、いくつかの言葉を駆使しながら問いかけた。そして「とりわけマスコミが状況に加担しているという自覚のなさは、この看護婦と同じく『人間としての恥辱』『明示的でない罪』に対する認識のなさの点で一緒。『クソ蝿』だ」と、激しく怒りを露わにした。
かつて小田実さんが話したこと「ナチスのファシズムを告発する時、強制収容所行きの列車に載せられるユダヤ人は皆切符代を払った。そして徴収する人がいたことを思え。我々はナチスではなかったかも知れないが、切符を切ってはいなかったか?」という話を思い出した。言い換えれば「君は反戦の側に立つというが、真にそうである事を証明せよ」と、つまり「血の一滴を流してみろ」という告発だ。居心地の悪い落ち着かない感情に襲われた。
「憲法改悪にどこまでも反対する」という講演会の題目は、「護憲」と一線をかくす。敗戦によりアメリカの前線基地化した日本は、「戦争放棄」をいいつつ朝鮮戦争をだしにして戦後復興を可能に出来た。「どうしようもない九条であっても、なし崩し的な改憲は許さない」という辺見さんは、同時に第一章第一条にある「象徴天皇制」規定に対し、「総意に基づくというが、私の総意はない」と。天皇制批判がはばかれるジャーナリズムにあって、一人血を吐く辺見さんの身を削る告発だ。病んだ体をおして壇上に立つ辺見さんは「ウミウシのようになっても発言を止めないぞ」と自らに檄を飛ばした。単に拍手するだけでは終わらせない講演であった。
この講演会はむろん成功裏に終わった。そして幾ばくかのお金を残して実行委は解散した。辺見さんのメッセージは、主催した面々に何がしか次なる行動を要求せざるを得ない。そしてそれに応えるつもりだ。どこまでも憲法改悪に反対する。(表題は歌人 岩田正さん作。〈駄作〉ともいうべき歌に込められた怒りを共有するとして、講演の中で辺見さんが紹介した。)

関西共同行動ニュース No41