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『改憲は、教育からというキョーボー』 6/6斎藤貴男講演会録

―斎藤さんの講演は、教育改革、教育基本法の改悪、構造改革、共謀罪、米軍再編、改憲潮流と多岐にわたりましたが、ページ都合で教育基本法、教育改革に関する発言部分から―

■「お国のために命を差し出せ」
            教育基本法改悪
結論から申しますと、今は戦後初まって以来の大きなターニングポイントで、それももうすでにかなり大きく舵を切りはじめていると思います。ここ一、二年は、それを改める最後のチャンスだと思います。ここで今の権力を持っている人たちが思っている方向に舵を切られてしまうと、半世紀から一世紀は悲惨な状況が国を覆うことになってしまうでしょう。悲惨とはいいますが、それは多くの人たちにとっての悲惨、あるいは恥ずかしいことですが、いわゆる支配層にとっては、これ以上儲かって楽しい世界はないという状況になると思います。戦争と差別と監視といういやなことが日常的なある世の中、簡単に言えばアメリカになるということです。絶えずどこかと戦争している、国内にあってはすさまじい差別があり、差別される最底辺のものは戦争で手柄を立てなければ一生浮かび上がることができない社会です。
それでは日本は今までがすばらしかったかといえばそういうことではありません。ベトナム戦争や朝鮮戦争には協力したし、差別もありました。ただ憲法9条があり、欺瞞的なところもありますが、建前としての目標はあったということです。
教育基本法が変えられようとしています。マスコミなどでは愛国心の問題が取り上げられていますが、それ以外にも「能力」という言葉が五カ所も出てきます。現行法では一カ所だけです。この一カ所もくせ者でして、教育基本法にしても憲法にしても絶対不可侵の真理だとは私は考えていません。「すべての国民は等しくその能力に応じた教育を受けることができる」という条文があります。ここにひっかかります。その「能力に応じて」というけれども、誰がそれを決めるのかということです。そのこと次第で、「あなたは能力があるから教えるが、あなたは能力がないから教えない」ということになる危険がこれまでもあったということです。
ところが今度の自民党の法案では、他にも四カ所「能力」という言葉が出てきます。能力がなければ教育を受ける権利がないといわんばかりの法案になっています。そして「愛国心」の問題です。これはこれで非常に重要です。
私は、右翼的な衛星通信放送のテレビに呼ばれることがありますが、そこでこの件について「愛国心を法律でわざわざ書いて、国民に従わせるというのは、もてない男が好きな女性の周りをうろついて『俺のことを好きになってくれ』とせまるストーカーと同じではないか」といいました、予想に反して、右翼から返ってきたのは罵声ではなく苦笑でした。
教育基本法改悪の目的は、西村真吾が一昨年、超党派の教育基本法改正促進議員連盟の設立総会の挨拶でいった「お国のために命を差し出す人間を作る」という言葉にたどりつきます。「教育基本法で愛国心を定めたら、通知票にも載るのか」とマスコミが小泉首相にたずねたところ、小泉は
「そんなことはない」と答えていました。しかし、国旗・国歌法のときの経験からしても、通知票に載るようになるのは明らかです。自民党が今はそこまでは望んでいないとしても、東京都の日の丸君が代の強制の経過と同じように、各地の教育委員会は絶対に通知表に載せてきます。
■ 少数のエリート、多数の非才・無才
  ゆとり教育
能力に関する問題では、教育基本法の改悪がなされていない今でもすでに能力主義的教育は進んでいます。一連の教育改革の本質は、これもアメリカと同じで「できる子には教えて、できない子には教えない。いいとこの子には教えるが、そうでない子には教えない。積極的にできない子供を作っていく。小さいときから選別をする」ということです。具体的には二〇〇二年の学習指導要領でそれが示されました。ゆとり教育については長い歴史がありますが、今問題にするゆとり教育とは、二〇〇二年の学習指導要領にもとづくゆとり教育のことです。このとき、小・中学校の授業時間・授業内容が私たちの頃と比べて三割削減されました。この青写真は、九〇年代末から文部大臣の私的諮問機関の教育課程審議会が作りました。
■優生学思想にもとづく教育改革
私が取材したところ、右翼政治ゴロと化している小説家で、この審議会の会長の三浦朱門さんは、文部省の公式見解とは違って「日本の平均学力が高かったのは、できもしない落ちこぼれの尻をたたいた結果だ。その分、人手やお金ができない子たちのためにとられた。結果としてエリートが育たなかった。だから日本はこのていたらくだ。平均学力など低い方がいい。非才、無才は勉強などしないで、実直な精神だけ育てばいい。そうすればこの子たちにかかってきたものをエリートに差し向けることができる。一〇〇人のエリートの中からに一人将来の日本を背負う超エリートが育つ。これがゆとり教育の本当の目的だ」というのです。これは三浦さん一人には限りません。私の取材に対して、ほとんどの教育改革にかかわっている人が、言葉は違っていますが同じような内容の話しをしました。
その後OECDの学力調査で日本の子どもたちの学力がそれまでの世界のトップクラスから一七位に落ちていることが判明しました。その対策として文部省は授業内容の削減分を復元しました。しかしそれは「すべての子どもに教えのは三割カットのままで、あとは子どもの習熟度別に選択的に教える」というもので、本質は変わっていません。
ゆとり教育以外でも、現在の教育改革は、選択と集中という大企業のビジネスのロジックに貫かれてしまっています。品川区にみられるように、小・中一貫校、中・高一貫校でもエリート教育のための差別選別が強力に進められようとしています。取材した実感からいうと現在の為政者、官僚、財界人には勉強ができる子しか視野にないということです。
究極の言葉があります。二〇〇二年当時の首相の諮問機関である教育改革国民会議の座長の江崎玲於奈さんが「就学時検診のときに血を採りたい。そうすればその子どもが持っている能力が全部わかる。能力がある子にはきちんと教える。そうでない子にはそれなりに」というのです。さらに「教育には、環境と遺伝の二つの要素があるのは承知しているが、環境を重視するのは共産党だ。私は遺伝を重視する優生学思想だ」というのです。優生学というのはナチスドイツがユダヤ人や障害者を殺したときに使ったエセ科学です。ナチスドイツの亡霊が六〇年たってこの日本でよみがえろうとしています。
これが教育改革なのです。子どもの頃から差別し「どうせおまえはできが悪いのだから、上のいうことを黙って聞いて働け。クビになっても文句を言うな」と。それが、教育基本法や憲法との関連で、最終的には、お国のために命を捧げろということになります。戦時中の国民学校と同じことです。これは、今のアメリカの教育界と同じです。小泉政権のあらゆる「構造改革」はみな「元々恵まれた人はさらに有利に。そうでない人は、今までかろうじて与えられていたチャンスさえ奪われる」という点で一貫しています。
(文責・関西共同行動 星川洋史)


関西共同行動ニュース No41