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「在日米軍再編」と「米空母艦載機移転問題」』 田村順玄(岩国市議/リムピース岩国)

■基地と同居する感覚
 山口県岩国市。木造5連のアーチ「錦帯橋」が架かる清流・錦川の河口デルタに、642ヘクタールという広大な面積を占有する米海兵隊岩国基地がある。05年9月までは574ヘクタールであったが、国の基地滑走路移設事業で一部竣工した面積を加え、現在の広さになった。08年度、事業が完了する時点では780ヘクタール余の巨大基地となる。この基地は旧海軍の航空隊施設を終戦後連合軍が接収、51年の日米安保条約締結後から在日米軍基地として提供された。62年からは正式な海兵隊基地となり、今日まで44年間、いすわり続けている。現在は米軍のジェット戦闘機や海上自衛隊の対潜哨戒機など合計100機近い航空機が配置されている。
 岩国市は広島からわずか40キロメートル、人口11万人の地方小都市である。繊維・製紙・石油化学などの企業が立地し、瀬戸内海臨海工業地帯の一角を占める。しかしこれらの企業は基地滑走路の北側延長線上に立地し、たえず航空機騒音や事故の危険と隣り合わせてきた。事実、基地のすぐ北側で操業する帝人滑竝総H場は上空制限で生産活動を大きく抑えられ、ここ何十年間も新たな企業展開が出来ず衰退を余儀なくされてきた。
 もちろん基地周辺に生活する住民の騒音被害は筆舌に尽くしがたく、住宅防音工事などの施策は有っても抜本的な解決には至っていない。基地が無ければ…と願う市民がほとんどでありながら、だからといって基地を撤去させようという市民の総意にまでは発展せず、基地と自然に同居させられた感覚のまま、戦後60年間が経過した。
 革新団体の基地撤去闘争も目に見えるような成果は無く、時間のみが経過した68年、福岡県・板付基地でファントムジェット戦闘機が九州大学に墜落した。これを機に岩国市民も同様の事故を危惧、基地の移転要望が盛り上がっていった。
 しかし、岩国基地をどこか他の場所へ移転させようという市民の署名や議会決議など、機運はいくらかは盛り上がったが、この思いはいつのまにか一部の基地容認勢力によってすり替えられる。事故や騒音の軽減、事業による街の経済の活性化などをにらんだ「基地沖合移設事業」という構想が始まったのだ。以来28年間、行政や政党・議会や自治会など市民組織まで巻き込みながら、事業実現への取り組みが続いた。
 そして92年9月、構想は正式に国直轄、総事業費2,400億円(当初は1,600億円)という一大プロジェクトで実施されることが決まる。岩国市民はこの事業に「悲願」という枕詞までつけ歓迎、4年後の96年6月、工事はスタートした。国は「岩国基地滑走路移設事業」とネーミングし、現在の滑走路から1キロメートル海側へ新滑走路建設、併せて旧海軍時代から引き継いできた地上施設のほとんどを移転新築する工事を進めた。費用はすべて国の「思いやり予算」である。貴重な藻場や干潟を潰し213ヘクタールもの海面が埋め立てられていった。着工から10年、すでに約2,000億円の税金が投入され、そのほぼ100パーセントが「官製談合」という入札システムにより、巨大ゼネコンの懐へ入っていった。
 地域住民の騒音軽減や、事故の危険を回避するために、という素朴な願いからスタートしたこの事業が、政治家や防衛施設庁・ゼネコンの食い物にされた上に、2本の滑走路と水深が13メートルという巨大岸壁まで備えた巨大基地に再生リフォームされているのだ。その帰結が今回、新たに大きな災厄となった「米軍再編−厚木艦載機部隊移転案」である。

■NLP実施の密約
 国は従来から、大きな障害もなく新たな基地施設を理想的に展開させる切り札の場所として、岩国基地に目を付けてきたフシがある。事業着工の4年前、92年6月に発覚した「密約」がある。現在の防衛施設庁次長(戸田量弘氏)を国側の筆頭者にした、国、県・市の実務者で結んだ「合意議事録」では、新滑走路完成後、岩国での空母艦載機のNLP(夜間離発着訓練)実施を前提としていたのだ。(別紙「合意議事録」・・・都合割愛)
 米軍は厚木基地から1,200q離れた硫黄島でのNLPを嫌がった。新たな訓練場所を模索した国は、岩国基地の新施設に目をつけた。当時の地元行政関係者は、長きにわたる事業要望の切り札として、これを容認すれば実施のゴーサインが出るともくろんだ。そして防衛施設庁はこの地元からの手形をもとに、大蔵省(当時)の腰を上げさせたという筋書きだ。
 この「密約」締結後から漁業補償がまとまり、アセスや埋め立て手続きが完了、毎年度200億円を超える国家予算が投入され、工事がスタートした。そして何よりも特筆すべきは、この事業で整備されることで、岩国基地が米軍再編の受け皿となっていったことである。
 滑走路移設事業と連動して、もう一つ大きな問題がある。「愛宕山新住宅市街地開発事業」である。102ヘクタールの山林をはぎ取り、運び出した土砂2,240万立方メートルを滑走路移設事業の埋め立てに使う。そして土砂を運び出した山林を住宅用地として販売し、新市街地を作るという構想だった。しかしこの構想も現在進行中で有りながら、すでに破綻したのも同様の状況である。おそらく売れ残るであろう用地は、厚木艦載機部隊の米兵住宅用地として、新たな米軍提供施設になるのでは、という心配が現実化しつつある。総事業費851億円の巨大プロジェクトである。

■市長の白紙撤回要求と市長包囲網
 厚木基地の空母艦載機部隊を岩国へ移転させるという今回の国の提案は、全国それぞれの基地へパッケージとして提案されているその他の案件と同様に重たく、地元・岩国市民は大きく反発している。事実、現在の海兵隊航空機部隊に加え、厚木・艦載機部隊の57機が追加配備されれば、海上自衛隊の17機を厚木へ移転させるというバーターがあるものの、総計約130機という極東では最大級の巨大基地に変質してしまう。
 岩国市議会は昨年6月、全会一致で「今以上の基地機能強化には反対する。」という決議を上げた。多くの市民団体も立ち上がり、短期間に6万人を超える市民の反対署名が集約された。井原勝介・岩国市長は中央政府へ頻繁に足を運び、情報の開示と計画反対を訴えた。
 しかし国は昨年10月29日、事前の説明や協議をまったくせず、米国との協議で決定した「再編案」を地元に一方的に提示した。これまで報道されてきた内容とほとんど同じ、当初から危惧してきた通りの提案内容であった。
 市長は今回の「再編案」に対し、白紙撤回を求めるスタンスを崩さず、市民への対応や国への対置を貫いている。そうした中で国は1月20日、地元が出した質問への回答と説明を行うため、市議会の「全員協議会」に出席してきた。この席で質問に答えた防衛庁の職員は、「提案内容の修正は考えていない」と明言した。
 その答弁を聞いた桑原敏幸岩国市議会議長は、「議会決議や多数の岩国市民の反対意思、市長の白紙撤回という主張にも係わらず、国は明確に計画を変更しないと言った。新たな道を模索する時が来たと実感した。」とこれまでの姿勢を翻す発言を行った。そして、「3月20日に合併を控え、財政的にも切迫した岩国の今後を思えば別の道も考えなくてはいけない」と、井原市長とは意見が違うことを強調した。こうした動きに、市長の姿勢は多いに揺らいだ。
 岩国市は周辺8市町村による合併協議が整い、3月20日には合併して新岩国市が誕生することが決まっている。3月19日に市長の身分が無くなる井原市長は、失職前に首長としての責任ある方針を市民に示し、3月下旬にも出される「最終報告」までに地元の意向をハッキリ示しておきたいと主張した。2月上旬には議会へその旨を伝える手順であったが、議長はこれを断り、市長の発言の場が無くなった。しかし岩国市には2年前に成立していた常設の「住民投票条例」があった。市長の発議で住民投票の実施をすることができる。最後の切り札である。市長の動向に周辺からは大きな反発が起きた。市議会の定数28名中、4会派(23人)の代表は、住民投票実施の発議を止めるよう、申し入れを行うこととなった。さらに周辺自治体首長や議会代表も決議書を突きつけるなど、市長包囲網が出来事態は混乱した。
 しかし、すでに問題解決の手段は市民一人一人の意見を聞く、この方法しか無いとの市長の意思はかたく2月7日、住民投票の発議書が提出された。

■市民が立ち上がった
 今回の再編問題で住民投票の実施が決まったのは、岩国市が全国で初めてである。市長も、「一生で再びは無いだろう。最初で最後の大きな取り組みだ。市民一人一人の意思で国の思惑に大きな影響を与えることが出来る。住民投票を必ず成功させたい。」と決意を語る。
 「リベラル岩国」という一人会派で活動する筆者は、岩国基地問題ついてこれまで多くの精力を費やし、基地の強化に一貫して反対してきた。議会という場で与えられた課題を解決する役目を持つ中、住民投票こそ、より高度な結論の選択を行う上での手段であり、市民が直接その意思を反映させる最良の手段だ。これは絶対に成功させなければならない。岩国市の住民投票は2月7日、正式にスタートした。艦載機部隊の移転案に「賛成」か「反対」か、いずれかに○をつける二者択一の投票であるが、その投票率が50パーセントに至らない場合は開票しないシステム。投票率50パーセントとは大変高いハードルである。基地に関心の低い周辺地域や、直接利害の無い市民の多くの棄権が危惧された。こうした問題点も併せこれを発議した市長への疑問も大きく、県や周辺自治体からの批判も渦巻いた。
 一方、良心的な市民の動きは活発で住民投票を成功させたいと願う市民団体が幾つも出現した。
 政党や特定勢力が主導してきた「反基地運動」から脱却し、まったく政治色の無い市民が立ち上がったのだ。今回の住民投票を必ず成功させたいという思いは、これまで岩国には無かったものだった。国の基地政策の思惑とも絡んでいる大変重要な課題であると言う認識が市民の中に芽生えてきたのである。
 筆者も参加する「岩国住民投票を成功させる市民の会」(大川 清代表)は市長発議の翌2月8日、思いを同じくする市民有志で早速会を立ち上げ、慌ただしく取り組みを開始した。市内の5万所帯に数回、全戸ビラ入れを行うこと、投票が告示される3月5日には1,500人の大集会の開催を決めた。その日は、これまでに基地問題で集会に参加したことなど無かった多くの市民が五つの木造アーチが連なる「錦帯橋」に集まり、河原には『3・12GO!』の巨大人文字が作られた。
 支援の輪も日に日に広がり、ビラ入れなどの参加者も各地から増えていった。市内には同様の市民団体が幾つも出現し、路地にはポスターやノボリもあちこちに立った。シヨッピングセンターや駅前では街宣車が何台もスピーカから呼びかけを続けた。
 投票日の前日、運動を進めるが理念や組織の違う市民団体に私たち「住民投票を成功させる岩国市民の会」が呼びかけ、一時間の共同集会の開催が実現した。岩国市民会館の大ホールに、特別な事前告知も出来ない前日の呼びかけにも係わらず500人が集まり、なんとしても今回の住民投票を成功させようと訴えた。

■大勝利!過半数の市民が艦載機受け入れ「ノー!」
 市民の投票意識はこのように熱心な市民団体の取り組みを大きく受け止め、着実な効果が生まれてきた。投票日までの期日前投票では8万5000人の有権者の10パーセント余の市民が投票を終える手応え、投票日当日の出足も順調で、時間を追う毎の発表で投票率はどんどん伸びていった。そして投票終了まで4時間も残した16時時点の発表でついに投票率は50パーセントを突破、住民投票は開票されることが決まった。
 最終的に当日の投票率は58.68パーセント、開票の結果は空母艦載機の受け入れに反対する市民の票が実に43,433人。それは有効投票の約90パーセント、しかもそれは全投票資格者の51.30パーセントという完璧な市民の意思表示だった。
 住民投票から一週間後の3月19日、岩国市は合併でこの投票結果が消滅した。しかしこの投票結果は私たち岩国市民にとっては大変意義深いものであり、政府にとっても大変厳しい結果である。関係する全国各地の人々へも、大きな勇気と力を与えた。
 これから、全国の人々がこの結果を共有し、新たな反基地運動のうねりが盛り上がることを期待し、併せ私たち岩国市民もさらに運動を広げ「今以上の基地機能強化反対」を貫き通したい。
 岩国市民はこれまで、基地問題には極めて協力的でおとなしい存在と見られてきた。基地の「機能強化」が課題となるたび、受け入れの判断をしたのは首長だった。騒音被害があるにもかかわらず、損害賠償を求める訴訟は一度も起きていない。基地で生計を立てる人が多い中で、これまで基地問題をタブー視する雰囲気もあった。
 だが、住民投票を契機に、長い間蓄積してきた重圧に対する反発が一気に表出した感じだ。それが、投票資格者の過半数の反対票につながったと言えるだろう。「米軍再編」は今後何十年にわたって地元に影響を与えかねない市民への「災厄」だ。だからこそ、岩国市民一人ひとりが悩み、考えた末に下した「ノー」の結論を、国は最大限尊重する義務がある。これからも、「一方的な押しつけだけは絶対に許されることではない」という岩国からの生の声である。

関西共同行動ニュース No40