韓国の旅 2003年(5) 珍島
神秘の海割れーポンお婆さん物語
朝鮮時代の初期、孫同知という者が流配地の済州島に行く途中、船が沈没してしまいました。
幸い虎洞という村(今の回洞)にたどり着き生き延びた孫同知はその村に住み付きました。
富時この村には人喰い虎が頻繁に現れ虎洞と言う名もこれに因んで名付けられたそうです。
やがて村の人達は虎を恐れ村を離れることにし皆、今の義新面の茅島(モド)に移りました。
しかしその引っ越しの騒ぎに紛れ、ポンお婆さんだけが取り残されてしまいました。
ひとりぼっちになったポンお婆さんは別れた家族のことが懐かしくてたまりませんでした。
そして別れた家族にあえるようにと毎日、龍王様に祈り続けました。すると陰暦の3月初め
夢に龍王様が現れ次のように言いました。 「明日、虹の橋を架けるから渡ればよい」
そこで次の日ポンお婆さんは茅島から一番近い海辺で祈っているといきなり虎洞と
茅島の間の海水が引いて海の底が現れ道になりました。
この光景を見た村の人達は銅羅と太鼓を鳴らしながらお婆さんを迎えに虎洞に駆け寄りました。
しかし龍王様に祈りを捧げていたお婆さんは「私の祈りがかなって海が開きお前達にあえてよかった、
もう心残りはない」と言って力つき、その場で息を引き取ってしまいました。
これを見た村の人達は祭祀を捧げ、毎年お婆さんを祭る事にしたそうです。
霊登祭に願いをこめて祈りを捧げると願いが叶うと言われており、特に子宝に恵まれない人や
縁結びに効き目があると伝えられます。
釜山を午後9時40分を出発、午前4時45分には終点の木浦に到着。改札を出るとタクシー乗車の日本語での勧誘、
私は断りました。先ずはバス停探し。バス停はあるものの何処から乗るのかわかりません。コンビニの前にパトカー。
ハングルはわかりませんが、珍島へ行きたい事を示しました。警察官はタクシーをと言う感じでしたが私はNOを示し
バスを示しました。警察官はパス、教えてくれないのかと想ったら日本ではバスも韓国ではパスでした。警察官は、
パトカーの後部扉を開け乗るように示しました。パトカーに乗ると、コンビニで買ったと想われる、おにぎりを差し出して
くれました。私は遠慮しました。パトカーは走り出し、珍島へ行くバスのターミナルまで乗せて行き、バスの切符を買わせ
バス乗り場と時間を教えてパトカーに戻り始めました。私は「カムサハムニダ」の言葉を使いましたが、気持ちが
伝わったか疑問です。帰りはバスターミナルから木浦の駅まで歩きましたが、3km前後は有りました。
本当に有りがたい気持ちでした。
バスの待ち時間で、うどんを食べバスに乗車、約1時間で珍島のバスターミナル。