「明るくなった、よね?」
お昼休み、給食食べ終わってぼーっとしてたら、そんな声をかけられた。
「そう?」
いつもの調子のつもりで返事をしつつふり向いてみると、となりの机に里柚ちゃんが座ってた。
「うん、そんな感じするよ?」
「そっかなー。わかんない」
おれが首をかたむけてみせると、里柚ちゃんはおかしそうにくすくす笑った。でも、おれはわかんないままできょとんとしたけど、言われたことに悪い気はしなかった。
学校はあんまり好きじゃないけど、でもこういうひとときも学校にしかないわけで。今住んでる家とくらべるとささやかな感じがするけど、里柚ちゃんとしゃべるのは楽しかった――似たもの同士のにおいがするから、というのが最初になかよくなった理由だったりしたけれど、今はおたがいに軽く話す分には関係なかったりする。
里柚ちゃんもあんまり友達っていうのがいないらしくて、おれ以外のクラスメイトと会話してるところを見たことがない。でもっておれも里柚ちゃん以外と会話をしたことがほとんどない。担任の先生と保健室の宮月先生、それに里柚ちゃんの3人しか、学校での話し相手はいなかった。
これでほかに何もなかったら、おれは学校生活をまだ楽しめていたかもしれないんだけど。
「さーくーらーいー、付き合えよー」
わざとらしくいやな感じの声がかかった。里柚ちゃんがいる以上、無視してるわけにいかないのでとりあえずふり向く。最初に目についたのは天沼(あまぬま)の顔で、後ろに何人かがいっしょにいた。そいつらはみんなおんなじようににやにやしていて、気持ち悪い。いちおう、その集団の中では天沼が一番強いから、そういうことになっているらしい。とは言っても、おれには天沼のどこが強いんだかさっぱりわからないけれど。
「やだ。お前なんかきらいだって言ってんじゃん」
「そりゃねーだろー。せっかく歩みよってやってんだからさー」
言いながら天沼は勝手におれの手を引こうとする。それをふりはらうのもすっかり習慣になっちゃっているのが、なんだかゆううつな感じだった。
「やだよ。お前ら、どーせおれとなかよくする気なんかないくせに」
「決めつけんなよなー。お前どーせ家帰っても親いないくせに。さびしーだろ?」
このせりふ、最初に言われた時はものすごくむかついた。確かにおれは1人だった。さびしかったのも本当だった。明らかにこっちを怒らせるのが目的みたいな口調でそれを言われ、まんまとはめられたこともあった。だけどあまりにも繰り返してくるもんだから、いちいち怒るのもうっとうしくなって、それといっしょにこいつら自体にもものすごく興味がなくなっていった。
で、けっきょく今はこっちの返す言葉も決まり文句ってやつになる。
「さびしいほうがずっとまし」
昔は本当だったけど、今はちょっとウソになる。相変わらず親がいないような状態なのはほんとだけど、かわりって言うのは何だけど、帰る場所には漂にーちゃんと観沙ねーちゃんがいるし、ときどき草那ねーちゃんとも会う。前よりはぜんぜんさびしくない。ただ、それでもこいつらとかかわるよりはさびしいほうがましだとは、今も思う。
「んなこと言うなー。俺らはさびしいのいやだし、せっかく仲間に入れてやろーってんのによ。調子乗んなお前」
今度はむなぐらのほうに手がのびてくる。いいかげんワンパターンすぎるなーとぼんやり思いながら、その手もふりはらう。後ろで里柚ちゃんがおろおろし始めているのがちょっといやだった。里柚ちゃん自体がいやなんじゃなくて、おれは早く会話にもどりたいのに。
「調子乗んなってなんだよ。おれがなにしようとおれの勝手じゃん。そっちにめーわくかけてないじゃんかよ」
「うるせーよ、おとなしく言うこと聞けこのヤロウっ!!」
「だっ……!! いってーなー!!!」
いきなり顔をなぐられた。実際痛かったけど、それ以上におおげさな声でおれは叫んだ。そしたら、
「コラァ、お前ら何やってんだ!! 喧嘩すんな!!!」
大人の怒った声が飛んできた。ふり向いたら、ちょうど担任の倉吉(くらよし)先生がかけこむようにこっちにやってきているところだった。
「だ、だってせんせー、桜井が遊びに誘ってもいやだって言うから」
「うっさいなー! お前らおれと遊びたいんじゃなくておれで遊びたいんだろー!!」
「あーもうわかったわかった、詳しい話は後で聞いてやるから……まずは個人面談だ。桜井、お前職員室来い。天沼、お前も後で呼ぶからな。逃げるなよ?」
「え、なんでおれまで!?」
「文句言うな!!」
先生がどなると、思いっきりびくっとする。そんな天沼のすごくいやそうな顔を見てから、おれははーいとおとなしく返事をして倉吉先生の後についていった。
「大丈夫か? いちおう後で診てもらいな」
職員室の先生の机の前で、心配そうな声をかけられた。それにおれはこくんと首をかたむけただけで返事した。
「悪いな、お前まで悪者にして」
「いいです。たぶんおれも悪いとこありますから」
ふつうに見れば、せっかくさそわれたのに付き合わなかったおれが悪いのかもしれない。だからけんかになるんだろうって感じ。だけど、天沼のさそいにはぜったいに乗りたくなかった。
「仲良くしてもらいたいもんだがな。……まあ、お前は悪くないさ。あっちがなんとかならない限り、お前としちゃどうしようもないだろ」
そう言って顔だけゆるく笑いながら、先生はおれの頭をぽんとなでる。
「……すいません」
「今から謝ってどうする。後で天沼と一緒に説教だからな。まあ、我慢しろ」
そう言いながらよけいに頭をぽんぽんする。そこから感じられるものがあまりにもやさしくて、だからこそおれは先生にものすごくごめんなさいな気分だった。
だって、天沼とのことも、本当はおれの問題なのに、先生にどうにかしてもらわないとしのげない。力のない自分がなさけない――おれの生活は変わったけど、まだ、そこだけは変わっていなかった。
少しくらい、1人で何かができるようになりたい。強く、強く、そう思った。
「大丈夫?」
宮月先生からもそんな声をかけられた。職員室で天沼といっしょに――少なくともおれは形だけ――思いっきり怒られた。で、おれは今、天沼になぐられたほっぺたにしっぷをはってもらってる。
「だいじょーぶ、です」
「そう? ……はい、家に帰ったら貼り替えてもらいなさいね」
ひんやりとした感じで、気分がおちついてくる。いすにすわって先生と向かい合ったまま、おれはだまっていた。
「……また、喧嘩だったのね?」
ため息のあとに声が続く。そこはウソをついてもしょうがないので、おとなしくこくんとする。
「話は聞いてるけど……どうして仲良くできないのかしらね」
「……おれが、親のいない子どもだからって、言う」
おなじことを、もう何回も聞かれた。おれももう何回も答えた。天沼がおれにまとわりついてきたときのさいしょの言葉は、「親なし子ども」だった。そこからけんかになって、今もなかよくできないでいる。
それに、おれも先生も、今となってはなかよくできない原因がおれに親がいないからじゃないことをわかっていた――天沼が、ただおれで遊びたいだけで、最初からなかよくしようって思ってない。
最近はおれも、追いはらうやり方を覚えた。向こうは大勢でからんでくるから、正面からぶつかるよりは助けを呼んだほうがかんたんだった。けど、それで怒られてもあいつらはなぜかこりなくて、またしばらくしたらおれにからんでくる。そしてまた怒られる。ずーっとくり返す。
「……つらかったら、頼ってもいいのよ? 娘には黙っておくけどね」
そう聞いて、おれは頭を下げた。先生のむすめさん――草那ねーちゃんもこのあたりに住んでいて、最近は時々顔を合わせたりする。クラスメイトよりすごくなかよしだと思う。
「うん……でも、たよりたくないもん。これ、おれの問題です」
長い間解決できないまま今まで来てしまってるけれど、それでもこのくらいの問題は自分で解決しなきゃいけないことだと思った。
子どもあつかいは、正直言っていやだ。けれど、宮月先生や漂にーちゃんなんかは、おれなんかよりもずっと力がある。その人たちにできておれにできないことっていうのは、たくさんあると思う。
だけど、だからって何もかもまかせきりにはしてられない。おれの力でできそうなことは、おれだけでやらないといけない――誰かにたよることが、今ではできるようになった。だからこそ、こんなこと考えるようになったんだろうか。
「……どうしてもつらくなったら、いらっしゃいね。それまでは、先生も何も言わないから」
「……ありがとう、ございます」
先生はいつでもやさしかった。いつもはあまえてばかりだけど、今はそれがすごくありがたく思えて、おれは頭を下げた。
「……それ、誰にやられたんだ?」
家に帰って顔を合わせて、最初に聞いた言葉がそれだった。漂にーちゃんはおれの顔のしっぷを見て、顔をしわくちゃにしている。ああもう、心配する人の多いことー。
「んー。気にしないでー」
「気になるってば。いじめられてるのか?」
しかもなんか宮月先生よりも心配されてるっぽい。たぶんこの人、もし親になったら、子どもにべったりするタイプかもしれない。
「漂にーちゃんにはかんけーないし」
おれはできるだけそっけなくそう言った。実際、漂にーちゃんには本当に関係のないことなのだ。
「……意地張るなよ。言っただろ、何かあったときは頼っていいって」
「たよってばっかじゃ、だめだもん」
宮月先生にも言ったけど、これはおれの問題なのだ。それに、おれひとりでできそうなことは、できるだけおれひとりでやらないと、だめになると思う。
「おれ、たしかに子どもだけど。自分でできることは自分でやりたいもん」
できるだけきっぱりと、おれは言った。ひとりでがんばるって決めたんだから、これ以上ああだこうだと言ってほしくない。
漂にーちゃんはため息をついた。しょうがないな、って感じに。
「……あんまり無理すんなよ? どうにもできなくなったら、その時こそ頼っていいから」
「うん。……あのね、しっぷ、あたらしーやつ、ない?」
「貼り替えか? ……ちょっとこっち来て」
言うと、漂にーちゃんは家の奥、リビングのほうに歩いていった。おれはそれについていく――問題をどうにかするのにはたよらないけれど、こういうところは思いっきりたよらせてもらうよー、とおれは心の中でつぶやいた。