13.集まった3人

 浩都と宮月が風呂に入った直後に、姉さんが帰ってきた。買い物袋を提げている様子はなかったので、大学から帰ってきたところらしい。ほっとしつつ事情を説明すると、さすがにちょっと難色を示したのか渋い顔をされたが、宮月には連絡させるようにとの念押しつきで許してもらえた――結局、この人の優しさに僕は甘えっぱなしでいる気がする。というか、この人なくして僕の行動も成り立たないというか。かすかに胸の中がちくりと痛んだけれど、それでも今はとことん利用させてもらおうと思った。
 姉さんは大切な存在だけど、浩都と宮月の存在も僕の中では大きなものになりつつあったから。



「いただきまーす」
 声が2つ、そろって響いた。宮月と浩都の2人だ――妙に息が合っているのは気のせいか、それとも風呂の中で意気投合したのか。
 食卓上にはまたオムライスが出ていた。話したときは渋い顔をしたけれど、なんだかんだ言って人前では料理の腕を自慢したくもなったのだろうか、姉さんは。いや、ただの自慢じゃなくて、自分の得意料理でお客さんにも喜んでほしい、そういう思いが一番強いんだろうと思うけれど。
 それはともかく、声はそろっていても、2人の食べ方は全然違った。浩都はこないだからもそうだけど、ちゃんと料理を味わっているのかわからない、落ち着きのない早食いだった。それに対して宮月はというと、冷静に考えればまあ普通だよなと思わなくもないけれど、浩都と比較してみるとそれ以上に落ち着いて、ちゃんと味わって食べてるなっていうのがよくわかる風だった。その風で、オムライスを一口食べると。
「あ……美味しい、すっごい美味しいです! あたしのより全然っ!!」
 途端に落ち着きがなくなったというか、興奮しだしたというか。けれど、それだけ感嘆しているんだっていうのがこれ以上なくわかる。
「あら、あなたも料理好きなの?」
「はい、あたし母さんと2人暮らしだから、手伝うんですけど。こんなに美味しくできないです。うわー」
「よかった。気に入ってもらえたみたいね?」
「ええ、すっごく。って、浩都くん、もうちょっと落ち着いて食べなよ、もったいないでしょ!」
「えー、だって美味しいんだもー! おねえちゃんこそ、早く食べなきゃ冷めちゃうよー?」
「ああもう、お皿の周り汚れてるじゃないの!」
 宮月が一番よく喋る――というか、今日の食卓の会話は宮月を中心に進んでいるみたいだった。姉さんの料理に憧れているようなふうに話したり、浩都の行儀の悪さを注意したり。食べるより先にそういうことに注意が向いてせわしないけれど、見ていてなんだか和まずにいられない感じだった。
 多分、これは当たり前の光景の1つ、なんだろう。「親」にあたる大人がいないのはちょっと異質だけど、他の家庭とそうそう変わりはしないもののはずだ。
 それでも。浩都にも、宮月にも。どころか、今まで2人きりでしか食卓にいなかった姉さんと僕にとっても初めての、食卓での団欒だった。そしてそれは、和やかで暖かく、幸せが胸の中にゆっくりと広がっていくのを、噛みしめて感じられるひとときだった。
 こういうものも、決して悪くはない。むしろ、少しでも長く感じていたい。和やかで賑やかな食卓のかたわらで、僕はそんなことを切実に、でもささやかに願った。












「事件の日」も、そろそろ終わろうとしていた。
 蛍光灯が点いていて、部屋は明るい。その中に、僕と宮月の2人だけ。浩都はすでに、姉さんの部屋で一緒に眠っていると思う。
 時間的には、もう昨日になっているけれど。まだこうして起きているから、その実感はない。深夜、時計の短針は12時より右に行っていた。
 ちなみに宮月はすでに家に連絡を入れていた。曰く、親からは夕食の用意を買ってしまっていると言われたのに対し、きちんと謝りつつもその分は明日に回してくれと頼んでいた。案外すんなりと納得してもらえたらしい。そんなこんなで、宮月も今日、泊り込むことになった。
「ほんとにいろいろ世話かけちゃって。ごめんねー」
 本当にごめんと思っているのか疑わしくなるような、のほほんとした宮月の口調が、上から降ってきた――彼女にベッドを譲り、僕は部屋の床の上でタオルケットを数枚かぶって雑魚寝している。
「別に。てか大して気にしてないだろ」
「んー、まあ今更気にしても、っていうのはあるけど……何も、ベッドまで譲ってくれなくたっていいのに」
「気にすんな。どっちだって今更大差ないし」
 ベッドは普段あるから使っているだけで、雑魚寝に抵抗はないし、連れ込んでおきながら自分がベッドで相手が雑魚寝っていうのはひどく相手をぞんざいに扱っている気がして、なんとなく嫌だった――けれど、相手の目から見るとまた印象として違うものなんだろうか。
 とにかく、気にするくらいならさっさと眠ってほしかったし、僕も眠りたかったけれど。宮月は何か話したそうにしながら、実際にはあまり話しても意味のなさそうなことを喋る。その時の口調はどこかぎこちなくて、「こんなこと話したいんじゃなくて」っていうのがにじみ出ているような風に聞こえた。
 焦らず、急かさず。のんびりと待つことにしていた。時間ならまだいくらでもあると思うから。言いたいことがあるなら素直に言えばいい、とは思うけど。なかなか出来ない人間もいるのだろう。恥ずかしくてついつい遠まわしになる、そういうこともあるだろう――などと、妙に達観したような気分で、ぼんやりと僕は待っていた。
 やがて、ため息が聞こえた。「だめだぁ……」という呟きも聞こえた。
「最初っから単刀直入なほうがよかったんだなー……あー、それってすごい恥ずかしいのに」
 ――悪いことをしたかもしれない。宮月は遠まわしにものを言おうとしていたらしい。なのに、そっけない答えを返して道を塞いだのは、僕のほう。単刀直入でも遠まわしでも、伝えやすい形で伝えられれば、本人にとっては一番楽だろうに。
 ともかく、単刀直入に何を言うつもりなんだろうと、僕はベッドの上の宮月の顔を見た。
「……、抱いて?」
 告げられたのは、たった一言――だけど、たくさんの意味がこめられていて、重みのある言葉。だからこそか、聞いて頷いたというよりは、その言葉に束縛され、突き動かされるようにして、僕はベッドに上がった。
 宮月は体を起こし、座り込む格好になった。僕も同じように座り込んだ。顔の高さがちょうど合った。そのまま、お互いに何を言うでもなく抱き合って、一緒に倒れこんだ。2人分の衝撃で、ベッドがぎしぎしと軋んだ。
 そのまま、僕は抱きしめる手を離さず、力を強めていった。息が詰まるのか、苦しげな声が漏れつつも、向こうも抱いてくる力を徐々に強めてくる。
 気持ちが昂ぶる。いつの間にか自分のほうから、もっと寄り添いたいと思うようになる。それが当たり前のことみたいに、僕は自分から顔を寄せ――抱き合ったまま宮月に口付けをしていた。
「んっ……」
 驚きからなのか、息苦しさからなのか。宮月のほうから声が漏れたけれど、自分が何をされているかを理解するような間があったあと、向こうからも顔を寄せてきた。お互いに寄せ合うほどに、口付けは深くなる。互いに、相手の息を吸う。
 それ以上の特別なことは、何もしなかった。必要ないと思った。抱き合い、口付けて、ただそのままでいる。それだけでも、僕は宮月と繋がっていることを、ごく当たり前のように強く実感していた。






























 またしても、白い空間の中に僕はいた。



 ただし今回は最初から他に誰もいないというわけじゃない。向かって右に宮月が、向かって左に浩都がいた。僕を含めて、3人とものんびりと座り込んでいる。ちょうどひとりひとりを頂点にして三角形を作り上げ、体はその三角形の中心に向けていた。そして、それぞれが顔を見合わせてはきょとんとするばかりだった。



「漂、にーちゃん、と、草那、ねーちゃん…………これ、何?」



 最初に口を開いたのは、浩都だった。状況を飲み込もうとするように、やけに言葉の区切りが多い。



「……何だろう、ね」



 次に、疑問に答えたくても答えられないような呆然とした様子で、宮月が呟いた。多分、浩都の疑問は、僕ら3人が共通して抱えているもので。今の時点では誰も答えを持っていない。
 だからそれはひとまず置いておくことにして、僕は3人の中で最後に口を開いた。






「……この空間、これ自体は初めてじゃないだろ?」






 僕は初めてじゃない。あとの2人はどうか――質問というより、確認に近い形だった。少なくとも僕は以前にもこの白い空間に迷い込んで、しかもその中で宮月と浩都の2人を見かけたことがあったのだ。そして今こうしているのなら、2人も同じような夢を見たことがあるかもしれない。確証はないけれど、なぜか強い確信が僕にはあった。



 そしてそれに間違いはなかった。2人は弱々しくも、頷いてきたから。












「……じゃあ、ここにいる草那ねーちゃん、にせもの?」

「え、ちょっと。にせものって何よ」

 続けて出てきた浩都の言葉に、宮月は不満そうに返した。すると浩都は素直にごめんなさいと謝ってから、自分の見た夢について話した。夢の中で宮月と出会ったこと、その宮月は自分を偽者だと言いながらも、現実で本物の宮月と話すように優しく諭したのだということを、浩都なりの言葉で説明した。
 宮月は半信半疑の顔をしていたが、浩都が「じゃあ今のおねえちゃんはほんものなの?」と訊ねてくると、少し唸りながらも多分本物だと思うと返し、それが納得に繋がったのか表情を緩めた。ついでに不快を表したことを素直に謝っていた――浩都が夢を見たのはこの1度きりだったらしい。






 続いて、宮月の話を聞いた。宮月が夢を見たのもただの1度きり、初めて僕と保健室で出会う直前のことだったらしい。その日は僕と同じように頭痛を感じていて、授業にはなんとか全部出たものの、家まで帰るには気力が持たず保健室の世話になったこと。ベッドを借りて寝転がるとすぐさま眠りに落ちて夢を見たこと――夢の内容はというと、宮月は夢の中で何かどうしようもない危機感を抱えていて、しかしある人の姿を見つけた時に急にその危機感が取り払われ、すごく安心したところで目が覚めた、というものだったらしい。例えるなら、典型的な「白馬の王子様」パターンというやつだろうか。






 2人の話を聞いて、僕は首を傾げた。2人は1度ずつだけ、夢を見た――僕だけが、2度も夢を見た。また、宮月に至っては夢を見る直前に頭痛を感じたと言うが、僕はそれ以外でも何度か頭痛があり、ひどい時には倒れて気を失いもした。この違いは何だ。
 とりあえず、2人が自分の事情を話した後だったので、僕もそういったことを2人に説明した――倒れたのを目の前で見た浩都は不安そうな顔をしたが、宮月は思案顔だった。心当たりがあるのだろうか。
 しばらく様子をうかがっていると、やがて宮月はぽつりと呟いた。






「……あたしの……せい、なのかな」






 その言葉は、内容としては薄々ながらもそうだろうなと思った。けれど口に出してその可能性を言うことはできない。口調が、自分を責めるものだったから。
 むしろ、気にしてほしくないことで。そう思うまでもなく、僕は慰めるように宮月の肩に触れていた。



「……怒らないの?」



「怒りようがないだろ。そもそも、嫌がらせとかそういう意図でこんなことができるもんじゃないし……そういうつもり、ないよね?」






 問いかける口調で締めてみた。ないだろう、と断言したいところではあったけれど、こればっかりは宮月の心の問題だったから。僕が決め付けることはできないわけで。
 宮月はきょとんとしていたが、やがてゆるく頷き、微笑んだ。



「……ごめんなさい」



 笑みながらもそう言った。謝らなくてもと言いかけて、なんとか飲み下す。
 いちいち指摘しなくても、済んでしまうならそれでいいのかもしれない。












「……いーふんいき?」












 子供らしくない突っつくような声が横から飛んできた。見ると、浩都が妙な視線をこっちに向けている。



「え、ちょっ……そ、そうなの?」



 なぜか宮月の慌てた声が返る。いい雰囲気とか、宮月がそうなる理由とか、何なんだろうと思って僕は首を傾げた。



「いーふんいきー」



 言葉とは裏腹になぜか不満そうな表情を見せたかと思うと、浩都はいきなり僕に抱きついてきた。勢いが容赦なかったせいで、普通に一瞬息を詰まらせて後ろに倒れてしまった。



「あー、ずるいっ! あたしもっ!!」



 仰向けになってるところに叫び声が聞こえ、体に乗っかっている重みがさらに増した――浩都の体に被さって、宮月が乗っかってきた。



「ちょ、待て、待って、ぐるじ……っ!!」



 まともに喋れなかった。苦しすぎる。息もままならなくて、みっともなくじたばたした。






 ……これって夢じゃなかったっけ。だとしても、軽い悪夢だこんなの。






























 結局、相談をするつもりが、最終的にはただのじゃれあいになってしまい、この状態になる根本的な原因っていうのはわかりそうもなかった。というか僕も含めて、誰もそれを追及する気はないみたいだった。それを決定的なものにしたのが、



「こうしてるだけで十分だよね、わかんなくたって」



 宮月のこの言葉だった。個人的には煮え切らないものもあるのだが、浩都は一も二もなく同意していたし、確かにわかったところで何か意味があるようにも思えなかった。












 これから先でこういうことが起こるのかどうかはわからないが、起こったからといって大した問題でもないし、起こらないのなら向こう、現実でこうして集まればいい。
 むしろ3人だけの秘密の繋がりだ、と宮月は嬉しそうに言った。すると浩都は秘密の共有という点が気に入ったのか、嬉しそうにはしゃいでいた――結論が出たのはいい。2人が楽しそうなのも、まだいい。けれど。



「……重いんだけどー」



 息が詰まるような体勢ではなくなっているものの、相変わらず2人は僕の体の上にのしかかっていた。起き上がれないし、動けないし、2人分だから重い。
 抗議しても、2人とも退いてくれる様子はさっぱり無い。どころか、逆に寄り添ってきては、



「気持ちいーもん」
「離れたくないよねー」



 言葉こそ違うが、口をそろえて返してくる。のほほんとした物言いが、逆に言っても聞いてくれないことを強く感じさせる――あるいは僕のほうが、不満を口に出しつつも、実際には全然不満なんてこともない、と思っているのかもしれない。






 夢の中、真っ白い空間の中で、ただただ3人はじゃれあいながら時を過ごしていたのだった。













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