「なんっで、あんたがここにいるのよっ!!」
そう叫ばずにはいられなかった。ここは、あたしも浩都くんも来たことのない場所のはずなのに。そんな場所に、どうしてあいつが出てくるの。
その疑問にナオキはあっさりと、それでいて少なくともあたしにとっては最低な答えを返してきた。
「悪いが、後つけさせてもらったんだよー。お前、今日なんかおかしかったからよー。とか思ってたら、お前、俺よりそんなガキのほうがいーのかよ」
言いながら、もうナオキは目の前まで歩み寄ってきて――いきなり浩都くんの胸倉を引っ張り上げた。
「ちょ、やめてっ!!」
あたしは声を張り上げた。浩都くんは胸倉の手を振り解こうとしていたが、足が宙に浮いていてどうにもならなさそうだった。
「お前、まさかこんなガキが好みだったなんてなぁ。俺のが劣るってか。あームカつくわー」
そういうナオキの言葉は、あくまでもあたしに向けられている――ていうか、浩都くんを全然見ていない。
「離しなさいってばっ!!」
叫ぶ。掴みかかる。力の限り抵抗する――けれど、ナオキにはあっさり弾かれた。もう片方の腕1本で、あたしは吹っ飛ばされて河原に尻餅をついてしまった。
「ったく。おいこら、ガキのくせに俺のモンに手ェ出してんじゃねェぞ、ガキが」
ナオキはそんな身勝手なことを言いながら、川のほうへと歩いていく。浩都くんは未だに胸倉を掴まれ吊り上げられて、喋れないままじたばたしている――ちょっと待ってよ。まさか。
「あんた、待ちなさいよ! 何する気!?」
あたしは弾かれたように再び駆け出した。やばい。このまま放っておいたら、本当にやばい。なのに、危機感も空しく、あたしはまた振り払われた。
「ちょっと黙ってろ。このガキに思い知らせてやるだけだからよ」
言って、川の岸でナオキは足を止める。右手で胸倉を掴んだまま、左手で浩都くんの右足を掴んでいる――だめだ。だめだ。だめだったら。
「やめてっ!!」
反射的に、叫んでいた。けれどそれも意味なく、浩都くんの体が川の中へと放り込まれた。
子供だと言っても、浩都くんは軽いわけじゃない。だから放り投げられても、体がそんなに飛んだわけじゃない――けれど、着地もできなくて。バランスを崩して、浩都くんは背中から川の中に落ちてしまった。
わけのわからないことを叫びながら、あたしは浩都くんを救い出そうと、懲りずに駆け出していた。
「おーっと。どこ行こうってんだ」
「離してっ!!」
ナオキが無理矢理抱きついてきた。もがこうとしても、両腕ごと捕まえられていて、まともな身動きができない。しかもナオキはそのまま後ろに押し込んでいく。川の様子も見えない。
「離しなさいよっ!! アンタにかかわってる暇なんかないのよっ!!」
「よく言うぜ。昨日は好きに触らせてくれたじゃねーかよ。え?」
「そんなの今と関係ないでしょうがっ!! 離しなさいっ!!」
「うるせェ。俺はお前の道具じゃ無ェ、お前が俺の道具なんだ」
まともな神経じゃ出てこないようなことをナオキが口走った時、あたしは鉄道橋の柱にまで追い詰められていた。息が詰まる。同じように、ナオキの言葉に対してあたしは言葉を詰まらせていた。
ものすごく反論したい。けれど、昨日の行為は今のあたしには痛すぎた。ナオキの好きにさせたことで、ある意味であたしも満たされていた。自分自身を道具みたいにする一方で、あたしの方もナオキを利用したという風に思えなくもない。
けれど。確かに痛いけど、そんなことが今なんだというんだろう。あたしの心が痛いよりも、今はずっとずっとやばいことがある。
「あんたこそうるさいのよっ。離せったら!!」
また昨日と同じように、ナオキはあたしの体のあちこちを舐めるように触る。違うのは、あたしの方がまったく身動きが取れないこと。けれど、そんなことにも構っていられない。確かにあたし自身、こんなのは気持ち悪くって嫌だけれど。それよりもっと嫌なことがある。
こうしている間にも、浩都くんが危ないことになっているかもしれない。彼が川に放り込まれてから、様子がちっとも見えない。たまらなく不安で。助ける意思がありそうなのは、あたししかいない。あたしがどうにかしなきゃならない。
だけど。どれだけそう思っても、そして本気で精一杯抵抗しても、ナオキに対して歯が立たなさ過ぎて。されるがままの中で、涙が出そうになった。
「離れろっ!!」
その声は、突然だった。どこから聞こえたのか、誰のものだったのか。わからずにいて、戸惑って。あたしは首だけをきょろきょろさせた。
間近に、虚を突かれたというように別方向を向いているナオキの顔があって。あたしもその視線の先に目をやった。
小さな人影。小さく見えたけれど、今において、一番必要な人――それは、漂くんだった。
「なんだよテメェ……あー、確かこいつと一緒に保健室で寝てたよなァ、あの病弱クンか?」
ナオキはそう言いながら漂くんに近づいていく。明らかに相手を見下しているような口調と態度。漂くんが心配になった――けれど、今はそれよりも気にしなくちゃいけないことがある。
ナオキが離れたのをいいことに、あたしは全速力で川へと走った――初めて浩都くんの様子を知る。彼は溺れそうになりながらも、必死に手足をばたつかせていた。パニック状態かもしれない。早く助けなきゃと思って、自分が制服のままなのもかまっていられなかった。
あたしは水しぶきを盛大にあげながら、浩都くんを目指して川の中に駆け込んだ。
******
体が導いた先にあったものは、気分の悪い光景だった。
遠くの、川のほうでは誰かが溺れている。まだ沈んじゃいなかったけれど。一方、全然別の方向では男が女に無理矢理迫ってて、女は本気で嫌がってる。
男以外は誰だかすぐにわかった。溺れてるのは浩都で、嫌がっているのは宮月で。だからなおさら気分が悪かった。
僕が割り込むと、男は露骨に嫌悪感をあらわにしてこっちに歩み寄ってくる。その隙に、宮月は浩都に向かって駆け出した。たぶん状況からして、任せるしかないだろう。
「なーんの用だよ。せっかくいーところだったのによォ」
そんな言葉が聞こえたころには、男はもう間近まで迫ってきていて――こっちが言葉を返す前に、いきなり殴りかかってきた。とは言っても予備動作からしてみえみえだったので、後ろに下がって避けるのも難しくはなかったけれど。
僕が大人しく殴られなかったせいか、男は露骨に不満をあらわにした表情で続ける。
「あいつも行っちまったし、ぜーんぶ台無しだ。ムカついてしょうがねェ」
あくまでもその口調は気だるそうながら、傲慢さに満ちていた。自分さえよければいいという意思しか伝わってこないほど。そしてなおも殴りかかってくる。これもまた当たらないけれど。
最初は返事を返そうかと思ったけど、二言めを聞いた時にはそんな気にもなれなかった。くだらなくて、どうしようもなくて――怒りしか覚えようがなくて。
制裁を下さねばならない。ただそう思った。
「ったくよー。おまけにてめーは大人しく殴られてくんねーし。何様だ? あ?」
呆れさせられるしかないような言葉をなおも吐いて、三度そいつは殴りかかってくる。相変わらず大振りでみえみえ――姿勢を低くしてかわすと同時に、僕は前に踏み込んだ。結果、ショルダータックルみたいな形になり、大げさだろと思ってしまうくらいに、相手の体が後ろに吹っ飛んだ。背中を打ったか、盛大な咳き込みが聞こえてきた。その間に歩み寄る。
「後悔、してもらわないとね」
ただ一言、それだけを落とした。そう、こいつには後悔してもらわないといけない。まだたった数日の付き合いでしかないけれど、すでに僕にとって大切になっている存在に、手を出したことを。そして、その思い上がった精神を。
「っ……ヤロォッ!!」
怒りに顔を歪めて、立ち上がりながらそのまま跳びかかってくる。単純な直進だった。左右どちらかに動けばことは済む――わりと体は大きいし、自分からふっかけてきたくせに、こいつ、喧嘩はそんなに強くないみたいだった。右に避けたついでに、左足をちょっと差し出してひっかけてやる。そしたら前のめりになって盛大に転んだ。その隙に今度は離れて間合いを取る。ついでに、川にいる宮月と浩都を後ろに控えた位置に移動する。突っ伏した状態から足を掴まれても困るし、やぶれかぶれとか言って人質作戦に出られるのもまた困るから。
相手をすればするほど向こうは怒り狂い、こっちは制裁意識が薄れていく。そうして、最後には向こうが動かなくなるまで、相手をしていた。
******
昨日、会話とかしていた時の漂くんの印象を、今になって思い出してみる。その時は細いっていうか華奢っていうか――少なくとも、強そうって感じじゃなかった。むしろそういう様子なんて見当たらなかったって言ってもいいくらい。
だから今目の前で起こっていることに、あたしは驚きを隠せなかった。その漂くんが、ひとまわり以上も体格のいいナオキを当たり前のように翻弄していることに。
彼って、強かったんだ。
その驚きに呆然としているのは、あたしだけじゃないらしい。
「……漂にーちゃん、すっげー」
浩都くんのつぶやきが聞こえた――溺れかけていたところをなんとか川岸まで引っ張り込んだ。意識は失ってなくて、すごくほっとした。
本当なら浩都くんもあたしも、すぐに着替えるべきなのだろう。2人とも今、濡れ鼠状態だから。このままでいたら風邪を引く、っていうのは少なくともあたしはわかりきっている。
けれど、わかってはいても気にならなくなってしまうくらい、今は漂くんの奮闘――っていうか遊戯かな、それを見ていたかった。あくどい心理かもしれないけど、憎いヤツが今さんざん遊ばれているのを見るのは、正直言ってすごく気持ちがいいのだ。それも、あたしだけじゃなくて浩都くんにまで危害を加えるようなヤツだったから、なおさら。
浩都くんはどう思ってるかわからない――できればあたしよりは純真でいてほしい――けれど、なんだか興奮までしているような感じで、目の前の喧嘩を見ていた。
結局、あたしたち濡れ鼠2匹は、ナオキに襲われた不安や怒りなんてさっぱり忘れ去って、目の前の光景に胸を躍らせていたのだった。
PREV NEXT
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
BACK NOVELTOP SITETOP