ああ、神さま! なんという運命のいたずらをなさるのでしょう!
あたしは今日も普通に家を出て学校に向かおうとしただけなのに、いつもの道には悪漢たちが待ち構えていて、なすすべもなく捕らわれてしまったのです。
しかもその用意周到なことといったら! 複数で挟み撃ちにされ、後ろから抱きすくめられて口にハンカチを当てられたと思ったときにはもう、あたしは意識をなくしてしまいました。
しばらくしてやっとその意識を取り戻したとき、あたしは手と足をきつく縛られた状態で、石の敷き詰まった河原の上に転がされていたのです。そして顔を上げれば、あたしをさらった悪漢たちがにやにやと下卑た笑みを浮かべながらこちらを見ているではありませんか! しかもその数の多さと言えば、十人以上はいるでしょうか。ということは汚い視線の数がそれだけあるということです! どうしてあたしがそんな嫌らしい男たちの慰み者にならなくてはならないのでしょうか!
ああもしかして神さま、あなたはあたしに嫉妬していらっしゃるのでしょうか! あたしがあまりにも美しいからそれを妬み、このような汚らわしい男たちにとことんとことんとこっっっっとん汚されてしまえと、そういうことなのでしょうか!
ひどいです、ひどいのです神さま! 神さまなのにそんな狭量なことをなさらないでください! それともこれは何かの試練なのでしょうか、それにしたって手足が使えなくてはどうしようもありません、どうしろというのですか!
ああ、神さま、神さま! どうかご慈悲を! こんな品性のかけらも感じられないゴリラのような、いやゴリラにも劣るケダモノのような男たちにこのままなすすべもなく好きなようにされてしまうのは嫌です普通に嫌です! あとゴリラさんごめんなさいこんな男たちとの比較対象にしてしまって本当ごめんなさい!
「……なあ直樹、この女、馬鹿か?」
「さあな、わけがわからんのは確かだが……おい宮月、お前、何考えてやがる」
「何よ、ノリ悪いわね。暇だから悲劇のヒロイン気取ってみてるだけじゃないの」
「それにしては毒がたっぷり入ってやがんなァ……お前、俺ら怒らせても何もトクしねーだろーが」
「おとなしくブルブルガタガタ震えてるよりはマシよ。それに何か言ってないと寝そうなんだもん」
「寝そう、だと……何余裕ぶってやがんだ、気にくわねぇ」
「別にぃ〜。どうせ何もできないから何が来ようと座して待つ、ってトコかしら」
繰り返すけれど、相手は十人以上もいて、しかも全員男で。そしてあたしは手足を縛られてまともに動けない。これで勝ち目があるはずがない。勝ち目がないなら無駄にもがいても疲れるだけだし――相手の顔を見ていると、そんなことをするのが馬鹿馬鹿しくなってくるというのもあったりする。
リーダー格は、ちょうど一年前にこの場所――鉄道橋の下の河川敷で漂くんにボッコボコのコテンパンにされた男、ナオキこと藤浦直樹だった。一応漂くんと出会う前、あたしはこいつと付き合っていたことがあるけれど、そんな関係はとっくの昔に破綻している。
「ていうかさ、もう一年も前のことじゃない、あたしとアンタの関係なんて。今更どうしようってのよ」
「うるせぇ、やっと準備が整ったんだ。まずはアイツに復讐してからだ」
「復讐、ねえ……最初から漂くんが狙いだったわけ? わざわざ一年もかけてその準備ってやつをしてまで、そんなに腹立つの?」
言いながら、あくまであたしは復讐の対象じゃないんだろうかとちょっと首を傾げた。こんな風に捕らえておいて、少なくとも今は何もする気がないらしい――あたしは漂くんをおびきよせる餌、というわけか。その証拠とでも言うように、お前はケリがついてからだとナオキから言葉が返ってきた。
それはそれで憂鬱なものがある。餌ということは、漂くんには知らせたのだろう。そうなれば彼は絶対にここに来てしまうだろう、あたしを助けに。それも、他の人を巻き込むまいとして、ひとりで。
彼が実は喧嘩が強いのは知っているけれど、どうなるかについては今回の場合、不安のほうが大きかった。ナオキたちは人数でもって漂くんをつぶそうとしていて、十人以上も数を揃えてきた。よってたかってなんて軟弱だと文句を言ってやることもできただろうけど、今更そんなのは通用しないだろう。
少し前に彼に言った言葉を思い出して、あたしは向こうに気づかれないように小さく溜息をついた。こんな状況で助けに来られるくらいだったら、見捨ててほしいなと本気で思った。もしかしたらナオキはあたしに対しては直接どうこうするんじゃなく、一対多数で漂くんを叩きつぶすところを見せつける形で復讐しようとしているのかもしれない――その時あたしは漂くんが抵抗できないように人質にされるかもしれないもしそんなことになったら――
初めて、体が震えた。嫌過ぎる状況を想像してしまったせいだ。そんなことになるくらいなら今すぐ襲われたほうがマシな気すらしてきた。彼が駆けつけた頃にはいっそ気を回す必要なんてないくらいにボロボロになっているみたいな、あたしのことはいいから漂くん逃げて、みたいな――彼が絶対にそれをしない、できない人間だということもあたしはよく知っていて、あまりのどうしようもなさに溜息が出るばかりだった。
「い〜い顔だ、もっと悩め苦しめ。俺がどんだけムカついてるか、わかってもらおうじゃねェか。そんなもんじゃ足んねェがな」
声がして視線を向けると、グループの先頭でにやにやと笑うナオキの姿が映った。ひどく楽しげで嫌らしげで、癪に障る笑顔――ああ、やっぱりあたしも復讐の対象なのかと気づかされ、そうなると付き合うのが馬鹿馬鹿しくなって、あたしはナオキから顔を背けた。
「おい、直樹! 来たぞ! ひとりだ!」
グループのひとりが知らせにきた。とうとう来てしまったと、あたしはまた溜息をついた。わかったと一言返して、ナオキたちは相手に向かって身構える。男どもの間を縫うようにして、その方向に視線を向けると――
漂くんが、こちらにむかってゆっくりと歩いてくるのが見えた。制服姿で、ひとりで、何も持たない丸腰で――なぜか頼りなく見えてしまって。
けれどきっと彼は、あたしのそんな不安になどこれっぽっちも気づいていないのだ。どういう状況であろうと、捕らわれたあたしを助け出すことしか、今の彼の頭の中にはないのだろう。罠だろうと勝ち目がなかろうと、他の人の手を借りようともせず、たったひとりで――盲目的なくらい、たったひとりでやろうとしてしまうひとなのだ。
結局彼が来てしまった以上、あたしは足を引っ張らないように黙って祈ることしかできなくなった。彼ができるだけ傷つかないことを、願うしかなかった。
神さま、神さま、神さま。
お願いですから漂くんに何もしないでください、無事でいさせてあげてください。
それだけを、強く願った。
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十二、三人。よくもまあこれだけ集めたもんだというか、それだけのツテがコイツにあったのかというか――とりあえずそこは驚いたが、だからどうだというわけでもない。やることは変わらない――全員叩きつぶして、宮月を連れ帰る。それだけ。
先頭に立つ男――藤浦は、たぶん人数で圧倒している余裕からだろうか最初はにやにやしていたけれど、僕が動じてやらないでいると途端に苛々し始めた。短気なヤツ。
「お前、ちょっとはびびれ。勝てると思ってんのか?」
「別に、ひとりでかかってこれないようなヤツにびびんなきゃいけない理由がないね」
「ヤロウ……ぜってーワビ入れさせてやんよ! 行くぞお前ら!!」
キレた声を合図にして、一斉に向こうが動いた。さてどうしようかさすがにこのまま真正面から迎え撃つのは馬鹿みたいだなぁ――わりとのんびりそんなことを考えつつ、僕は相手に背を向けて逃げた。向かってきた相手がそのまま後ろを追ってくるのを確認しながら。逃げんのか、待ちやがれ――飛んでくる罵声があまりにも予想通りなので、逃げながらこっそり笑ってしまった。
「囲め! お前ら、囲め!」
藤浦が指示を飛ばす。そんな簡単なことくらいそこまで怒鳴らなくてもみんなわかるだろと内心で突っ込みながら、僕は壁にもたれてとりあえず囲みができるのを眺めていた。
そうそう時間がかかるもんでもなく、あっという間に包囲網は完成する。視線を一身に浴びて、僕は肩をすくめてみせた。
「……何、考えてやがんだ」
この状況でも余裕を崩さず振る舞ってみせる僕を警戒したのか、藤浦の声は慎重だった。そして誰も手を出しにこない。馬鹿にしてくるんじゃないかなーと思っていたが、予想が外れるのはちょっとつまらない。
とりあえず訊ねられてるので改めて思い描くと、とりあえず壁を背にしておけば多少動きにくくはなるものの、背後を取られることはないから警戒する範囲が減る、というただそれだけ――それが僕の考えだが、
「普通そういうこと聞いたって、言うわけないことくらい気づいたほうがいいよ?」
敵に返してやるのはこういう言葉で十分だ。そしてまた――馬鹿の一つ覚えっていうのはちょっと違うかなぁ――藤浦はキレた声でやっちまえ、と言った。
これで時代劇の殺陣みたいにひとりずつ来てくれたらラクなのになぁと思うものの、そんなことあるわけなく。先行して三人が同時に殴りかかってきて――僕は、しゃがんだ。
「いいぃっ……!?」
結果、三人が殴りつけたのは僕じゃなくて後ろのコンクリート、それも力いっぱい――そして大悶絶。これだけでも下手すると骨にひびが入るくらいはあると思うけどどうだろう。
だけど容赦なんかしてやらない。悶絶する三人は完全に無防備だったので、そいつらの股間に一発ずつトーキックを入れてやった。これで一丁、いや三丁上がりっと。
「……もうちょっとくらい知恵持っとけよなー……面白すぎ」
言って、くすくすと笑う。笑いながら、ああこれって宮月の普段の笑い方だよな、僕にも出来たのかと妙に意外に思ってみたりする。
で、こう来られて向こうがいきり立たないわけがない――面識多いわけでもないのにもはや断定系で言ってしまえるあたり、こいつら単純すぎだと思う。
現在、三人やっつけて、こちらはいまだ無傷。戦果は順調です。