「ちーっす」
 軽音部の部室――第2音楽室(第1音楽室のすぐ隣、というか控え室みたいな教室だ)のドアを開けると同時に、先に集まっていた人間が一斉にこっちを向いた。
「来た来た。用事終わったのか?」
 真っ先に声をかけてきたのはやっぱり白共だった。まあなんとかと答えつつ見渡すと、今日は参加メンバー全員が集まっているようだった――文化祭のメインステージは軽音楽部と僕だけでやるけれど、後夜祭になるとこれに加えて吹奏楽部から二人ほど助っ人に来てもらう段取りになっている。つまり参加メンバー全員と言った場合は後夜祭メンバーが揃っているということだ。
 ちょうどいいやと肩をすくめてから、僕は話を切り出そうと軽く息を整えた。
「ついさっき思いついたこと、あるんだけど。話、していい?」
 なんだぁ、と白共が身を乗り出してきたのに合わせるように、全員の視線が僕に集まる。眺めながら、僕は適当に椅子を持ってきて腰を下ろした。
「ライブの模様、なんとかして保存できないかな。DVDとかCDとかっていう形で」
「え、マジで? お前、そんなことしたいの?」
「……つーか、お前がそれを言うのかよ。昨日まで『どうしてもって言うから』的な感じでやってたくせに」
 白共が興奮気味の反応をしたのは予想できたけれど、その直後に冷ややかな声が聞こえてきた。そっちのほうが気になって視線を向けると、相川のむっとした表情が目に入った――相川はストイックに取り組むタイプとでもいうのか、メンバーの中では最も真面目に練習をこなしている印象のあるベース担当の男子だ。本人もその辺にこだわりがあるようで、最初に顔を合わせたときには『なんでいきなりシロート連れてくんだよ』と厳しいことを言われた記憶がある。要するに、僕は相川にあまり気にいられていないらしい。
「言ってんじゃん、ついさっき思いついたって。昨日の時点じゃ頭になかったんだよ」
「は、じゃあ今日からはやる気出しますってか。現金なこと言いやがって」
「おいこら、やめろよお前ら、てかゲン、つっかかんなって! ワリ、咲良」
 慌てて白共が仲裁に入り、相川は不満そうな表情のままでいながらも静かになった。
「あー、でもな。なんでまた急にんなこと考えたんだ? 理由、聞かせてくんね?」
「あー、えっと……個人的な理由、なんだけど。もし保存できたらさ、持ってってやりたいんだ」
「え、誰に誰に!?」
 誰に、という声があからさまに興味津々と言わんばかりだったので、思わず笑ってしまった。振り向くと、バンドメンバー紅一点の斉藤がものすごい笑顔で待ち構えていた。こういう話が好きなんだろうか、彼女は。
「……細川」
 少しのためらいを挟んでから、僕は名前を出した――去年の秋に起きた事件のせいで心を病んでしまい、今も病院生活を送っている、僕らと同い年の女の子の名前だった。
 部室内はしばらくの間、静かになった。誰もが、なんとも言えなさそうな顔をしている。白共は何かを言おうと口をぱくぱくさせるが言葉が出てこないようで、相川はばつの悪そうな表情を浮かべていて、斉藤はさっきの興味津々から一転『しまった』という顔で――どことなく沈んだ雰囲気になってしまい、やめときゃよかったと思いかけた時。
「……ありっちゃあ、ありなんじゃないかな、それ。オレは賛成」
 見透かしてたのかと一瞬思ってしまうようなタイミングでそう言ったのは、ドラム担当の湖島だった。沈黙の後の第一声ということもあってか、僕を含めた他全員が湖島を見た。
「別に理由はなんでもいいけど、保存するってこと自体はまた面白いことだと思うしさ。放送部の連中に頼んでみるとかすればいんじゃね?」
「っておいユウ、何勝手に話進めてんだよ!? ダイシもエリも、いーのか!?」
「いいと思うよ、私は」
「俺も。てか一番部外者ポジションの咲良の提案なんだから、尊重してもいーだろ」
「アンタが連れてきたのに部外者呼ばわりはひどいでしょー」
「それもそーだな、あはは」
 さりげなく漫才が成立しているように見えたせいか、僕は思わず笑ってしまった。その一方、唯一食ってかかった相川も結局は多数決的な決定にしょうがねぇなと溜息をつき、従うことになった。
「……さっきの言葉の続きじゃないけどな、コレ言いだしっぺお前なんだから、手ェ抜くなよ」
「抜かないってば。僕としても、ちゃんとした理由ができたことだしね」
 それでも相川は何かの意地なのか、僕に対してつんとした態度を崩さなかったけれど、僕も余裕を持って応じることができた――その矢先、横から突然。
「お前って意外とイイヤツだったんだな、咲良」
 今度はほとんど不意打ちと言ってもいいようなタイミングで、湖島がそんなことを口にした。
「え、や、ちょ、待て、いきなり言うないきなりっ」
「いや、でもそう思ったんだもんオレ」
「思ったからって……びっくりするだろー!?」
「あらら、咲良ク〜ン、顔あっかいよー?」
「え、うわ、マジだ。うわーなんか珍しいモン見たなーオイー」
「うるさいだまれやめてホントもうやめろああもうお前のせいじゃんかよコラー!?」
「いってェ!? 叩くなよ、なんだよオレ褒めたんだぜー!?」
 結局この日はせっかく全員揃っていたというのに、練習にならなかった。
 その後どういう経緯があったか覚えてないが、恥ずかしさのあまり僕が部室から逃げ出してしまったせいということだけは確かだった。残ったメンバーがお喋りで過ごしたのか音合わせをしたのかそれともいったい何をしていたのか――僕は知らない。