「……というようなことがあったんだけど……、と」
 翌日、場所は変わって放課後の屋上。僕はそこにヤッツンこと矢島啓太を呼び出して、昨日のことをありのまま話していた。ものすごく短く言うならば、宮月に迫られた、と。案の定、啓太はうろたえた表情を見せた。
「やっぱり、宮月さんってお前のほうがいいのかなぁ……咲良?」
「本人に聞けよそんなの。ていうかそうかもねって答えてほしいのかよ、そっちは」
「そ、そういうわけじゃない、けどよぉ……でもなんか、お前のが良さげな雰囲気じゃんよ、それよー」
 情けない声を返されたので軽くイラッとくる。堂々と宮月の彼氏でいていい立場のはずなのに、どうしてコイツはこうも弱気なんだろう――その原因の一部には明らかに僕が絡んでいるわけだけど。
 僕が去年の秋に大怪我で入院していた間に、啓太が宮月に告白したことから、二人は付き合い始めたらしい――学年が上がった今もそういう関係でいるはずなのに、傍目にはとてもじゃないがそうは見えない雰囲気だった。
 宮月が彼氏持ちという立場でもまったく気にせず他の男子とくっつきたがる(相手は大抵が僕で、しかもこっちが止めないと行きつくところまで行きそうなので結構困る)というのも多少はあるだろうけれど、一番の原因は啓太のほうが萎縮気味になってしまっていることだと思う。
「言ってんじゃんよー。宮月さん、お前と一緒の時が一番楽しそうなんだもん」
 そんなことを言いながらすでに泣きそうな顔をしているが、同情する気も起こらないどころかムカムカしてくる。こうして説教するたびに返され、いい加減聞き飽きた言い訳だからだ。
「あのなぁ、そういうことばっか言ってると、持ってくぞ、ホント……っていうか逆だ、僕が持ってかれる、宮月に」
 いくら僕といる時が楽しそうだと言っても、あくまでも僕のほうから彼女を持っていくつもりはない。が、昨日の行為を思い出しただけでも、周りからは逆の可能性があるように見えてしまうだろう。彼女が啓太から僕に乗り換えるという可能性――ただ、
「そっちがしっかり捕まえとけば、おとなしく捕まったままでいてくれると思うよ、宮月は」
 何も難しいことじゃない。捕まえると言ってもやっちまえとかもっと見せつけろとかそういうことじゃなく、ただ一緒にいる時間を多くするだけで十分なのに、啓太はそれをしない。だから彼女はふらふらと漂って、僕のところに流れてきてしまうのだ。
 くっつくなら僕じゃなくてヤッツンにだろ、的な内容を宮月にも言ったことがある。しかし返事は『矢島くんだと恥ずかしがっちゃうから』とだいたいが昨日返されたようなのと同じ内容ばかりで、そう言いながら僕と身体を重ねるのに何ら悪びれた様子を見せない。
 宮月にも時々いろいろ言いはするけれど、無駄だろうなと思う。そもそも素直に聞いてくれるような性格をしていないだろうなというのがひとつ、言って聞くようならそもそも彼女は僕のところに来ないだろうなというのがふたつ、そして――彼女は多分、言うとおりにしないだけで理解はしてくれているだろうというのがみっつ、実はこれが一番大きい。
 うかうかしてると持ってくぞと(あるいは持ってかれるぞと)説教のたびに言いはするものの、彼女はあっさりと誰かに乗り換えそうな素振りを見せておきながら、実はそう簡単に立ち位置を動いたりしない人だ、と僕は思っている。そしてもうひとつ、手を振ればちゃんと答えてくれる人だ、とも。
 多分彼女は彼氏としての啓太に対し、あくまでも自分からは動かずに、啓太が手を引っ張ってくれるのを待っているんだろう。僕のところに来てくっつきたがるのは、単にそういう行為が好きだからというのもあるんだろうけど、そうすることで啓太が自分を奪いにくることを期待しているというのもおそらくあると思う。
 もっとも、宮月は今のところ気にした様子はないが、彼女の意に反して啓太は『オレじゃ駄目なのか』と思い込んで萎縮してしまっているわけで――最初は宮月にも非があるかもしれないと僕は思ったが、結局のところ僕から見れば非は全部啓太のほうにあるのだ。
「な、何だよ、目が怖ェよちょっと」
「そっちがウジウジしてるからだろ! ホントに本気で好きなんだったらしっかり捕まえとけよ離すなよ、自分で勝手に怯えてんじゃねえよほんっとにもうっ……!!」
 考えているうちに相当苛立ってしまったらしく、声が荒々しくなっていたのが自分でわかった。啓太の肩がびくっと跳ねたのが見えた。
「頼むよ……これ、前の時も言ったじゃん……僕、何も難しいこと言ってるつもりないんだからさ……」
 続けて出た声はなんだか疲れていた。このあたりで、なんで僕がこうやって口出ししなきゃいけないんだろう、という思いがいつも頭の中をよぎっていて、今回も例に洩れずそうなっていた。返ってきた「わ、わかったよぅ」という啓太の声は情けなさが五割増しくらいに聞こえた。本当にわかってんのかお前。
 今日は校門で待たしてあるからわかったんならさっさと行け、と背中を張り飛ばしながら言って啓太を屋上から追い出して――ひとりになって、僕ははぁと溜息をついた。
 本当、何のためにこんなことやってんだろう――目を閉じて、少し考えた。
 宮月は義理でなく啓太のことを好きだという。啓太も本当に宮月のことが好きだという。けれど啓太が弱気なせいで、宮月は僕のところに来ては誤解を招きかねない行動に出て、それがまた余計に啓太を弱気にする――なんだか僕が絡んで悪循環になっている気がして、ああ、それが嫌だからなんとかしようとしてるのかという結論になる、けれど。
『やっぱり、宮月さんってお前のほうがいいのかなぁ……咲良?』
 啓太の言葉が頭の中をよぎり、可能性自体はあると思ったものの、少なくとも今の時点では僕と宮月は恋人関係にならないよう、二人で話し合って決めていた。
 その理由――そこに考えが及んだ時、あることを思いついた。その思いつきは、これから向かう先の面々に協力してもらわないと、実現できそうにないことだった。
 今日は少し遅れると言っておいたけど、そろそろ行かなきゃな――気持ちを切り替えるように咳払いをひとつして、僕は屋上を後にした。