「はぁ……」
溜息がこぼれた。もう今日だけで何度目なのかがわからない。それどころか昨日も一昨日も――ほとんど毎日のように、数え切れないくらいのペースで溜息をついている気がする。
「ねえ漂くん、溜息ばっかりついてると幸せが逃げてくって言わない?」
「あー、まあ、聞いたことはあるけど。でも、なー……」
疲れてんだと返したところで、また溜息をついてしまった。もうすっかり癖になってしまっているらしい。
突然、体がぐいーっと、ゆっくりと後ろに引っ張られる。反射的に、僕は両方の肘に力を込めた。ぴったりとくっついた背中同士の感触がぎゅっと強くなり、彼女の上半身がゆっくり傾くと同時に、僕のお尻が浮き上がり、視線が天井を向く。
よほど力を込めて引っ張っているのか、時々小さく彼女の声が洩れ聞こえてくる。逆に僕は肘以外の部分の力を抜いて、彼女に引っ張られるに任せている。背中越しに、彼女の身体が少さく震えているのが伝わってきて、それが心地良くて、ほんの少しだけ目がとろんとしてくる。
その終わりも突然だった。彼女が息を強く吐く(多分、無意識に息を止めていたんだろう)と同時に、浮いていたお尻がすとんと地面に落ちる。頭ががくんとゆれる。そうして僕らの体勢は、肘同士を引っ掛けてつながっている左右対称の背中合わせの姿にもどる。
「忙しいのは聞いてるけどねー。そんなに疲れてる?」
「たぶん。いつまで続くんだろ……」
「え、漂くんのは文化祭までじゃないの?」
「その後も何かあるかもしれないじゃん。はぁ……」
ほらまた、と呆れた声が背中越しに聞こえてきた。癖というやつは本当に無意識に出るものらしい――と思ったところでさらにまた溜息をつきそうになって意識が揺れたあと、どうにか止めた。
別に、忙しいからもう嫌だなんてことは言うつもりはないけれど、疲れてるのは事実だし溜息ついてはいけないなんてこともないし、やらなきゃいけない時にちゃんとやっていさえすればいいんじゃないか、それ以外の時はこうして気を抜いていたって構わないんじゃないか、そうじゃなきゃやってられないよ――そういう風に考えて自分を納得させてみる。
第一、忙しさの始まりは『嫌でもやらなきゃいけない』状況だったのだ。
大けがをして病院生活を送り、一年の二学期をほとんど棒に振ったせいで成績に遅れが出て、それを克服しなければニ年に進級できない――僕と宮月は揃ってそういう状況に追い込まれた。
進級にはいろいろと厳しい条件が出て、三学期は勉強以外のことをした記憶がないくらいだった。補習はもちろんのこと、最終下校時間まで残って勉強していたのがほとんどだったし、休日に登校したことも何回かあった。その甲斐あってなんとか条件をクリアして、僕らは無事にニ年に進級することが出来た。
それを知ったときはやっと忙しさから解放されると思って気が抜けたというか安心したというかそんな感じだったけれど――そういう簡単な流れには乗れなかった。
そもそもは進級が決まったことを祝おうと、終業式の後に宮月が友人を集めてきて遊ぼうと言い出したのが、今まで続く、というか勉強とは違う新しい忙しさのきっかけだったのだ。