「……ちー、す……」
「ちーす……なんだよそんなグダって入ってくんじゃねーよだらしねーぞもう一週間経つってのによ」
「いやゲン、お前毒飛ばしすぎだって。わかって言ってんだろしかも息継ぎナシで」
 まったく、終わってもタチ悪いのな。呆れ気味にゲンに突っ込みつつ、俺は咲良を部室に迎え入れた。ゲンの言うとおり、確かに文化祭が終わってから一週間以上が経ち、全部片付けられて元の日々に戻りつつあるわけだが――大変な思いをする羽目になったのが約一名いる。
 代休を一日挟んだ翌日以降、咲良は学校のあちこちで女子に捕まっては質問攻めに遭っているらしい。宮月さんとはどうなのとか今フリーなのとか付き合ってくださいとか大概そんな内容で、しかも言ってくる相手はほぼ全員が押しが強いので、断るのにいちいち苦労しているそうだ。しかもそれが女子には断るにしても優しいと映るらしく、女を振ってなお評判が上がるという変な循環構造を生み出している。本人にしたら悪循環なのかもしれないが、傍から見れば悪循環と言っていいのか微妙なトコだ。
 言わば咲良をめぐって学年を問わず女子の間で取り合いになっているようなもので、当人にとっては疲れる状況以外の何ものでもないわけで――放課後、咲良はへろへろになった状態でウチの部室にやってくる。
 今日もヤツは部室に入ってきて扉を閉めると、そのまま床に仰向けでごろんと転がってしまった。椅子に座る気力もないらしい。ゲンは不快そうに眉を寄せたが、文句自体は何も言わなかった。俺も俺で、咎める気にはならなかった――ただ本人には決して言わないが、なんで俺らんトコには女子来ねえんだろってゲンと愚痴りあったことがある。やっぱバンドってのはボーカルが一番目立つもんだよなって意味では、あの後夜祭は大成功だったと自信持って言えるけど、俺らも咲良も同じくらい頑張ったのにこの差は何だと思ったりする。まあ冗談半分だけどな。
「……あのさ、来たばっかりで悪いんだけど……寝て、いい? 眠い……」
「あー、しゃあねえな、まあゆっくりしろや。籍も入れてもらったしな」
「踏まれても文句言うんじゃねえぞ」
「いや、踏むなよゲン」
 申し訳なさそうな表情を一瞬向けたあと、すぐに咲良は目を閉じて眠る体勢に入った。それから十数分程度で早くも寝息が聞こえてくる――なんかホント相当疲れてんな、と思わず苦笑が漏れた。
 本当はこんなことのために正式に入部してもらったわけじゃないんだがなと思いつつも、やっぱり咎める気は起こらなかった。入部してもらったって言っても、別にギターを弾いてもらおうとか何か楽器覚えてもらおうとか、そういう意図は少なくとも俺にはなかった。ただ、咲良の持つ声を近くに留めておきたかっただけだ。文化祭限りじゃもったいないと思ったし、部にいてもらったほうが付き合いやすいだろうというだけだ。
 ただ、勧誘の際はゲンが前に言っていたことを考えてもみた――誰かのことばっか優先して、のくだりだ。入ってくれって言ったから入っただとゲンがマジ切れしそうだったので、やり方を考えないといけなかった……のだが、言い始めてわりとすんなりOKの返事をもらってしまったのが実情だったりする。
 というのも、あのステージは咲良本人にとっても楽しいものだったらしい。一口に楽しいとは言うが、今まで知らなかったハイテンションな自分を目の当たりにしたとか、自分がハイになればなるほど目の前も盛り上がっていくのがすごく気持ちよかったとか、とにかく力を出し尽くしたというか完全燃焼できてスッキリしたとか、詳しく説明するとなかなかに長い――最終的に、
『もしまたそういう機会があったらやってみたいし、いいかな』
 ヤツの顔のあの嬉しそうな表情と声でこんなこと言われて断れるヤツがいたらマジ見てみたいわ――要するに勧誘したのは俺の側だったはずが、いつのまにか向こうからの懇願にすりかわっていたという話だ。そして俺は断れず、さらにゲンも文句を言うことができず、咲良は正式に軽音楽部の部員となったのだった。
 もっとも当分の間、咲良は部員としての活動はできそうになく――理由は今言ったとおり。女子の咲良争奪戦が落ち着かないことには、本人は何もできやしない。身体の疲れはさすがに取れただろうと思うが、今度は精神的なところで疲れてしまっている。でなきゃ部室の固い床の上に寝転がって、たった十数分で夢の世界に旅立てるわけがないだろう。
 今もすうすうと静かな寝息を立てながら、無防備な寝顔を晒している。さっきは踏むなとゲンに言ったが、実際のところ踏んでも起きなさそうに見えなくもない。さすがにそれはないだろうが、とにかく眠りが深そうで、起こすのがためらわれる雰囲気ではあった。
 しかしどうしたもんか。咲良がこうやって寝てしまっていると、音が出しにくい――実はこの悩みは文化祭直後から浮かび上がっていて、つまり咲良は文化祭直後からほぼ毎日部室で寝込んでいるということで――かといってやめてくれとも言えないので困ったもんだ。ゲンなら言いそうな気もするが、なんだかんだで咲良の事情を汲んでいるようで何も言わない。結局のところ、俺たちは何もせずにぼんやりと過ごすしかないのである。
 けれどただそれだけの日ならわざわざ今みたいに語ったりしないわけで――


 ピンポンパンポン――


『二年三組、咲良漂くん、咲良漂くん。二年三組、宮月草那さん、宮月草那さん。放送室までお越しください。繰り返します、二年三組、咲良漂くん、宮月草那さん、放送室までお越しください』


 放送が流れた。聞き覚えのある声だが、マイク越しのせいか特定はできない。ただ、放課後にもかかわらず、呼び出した二人がまだ学校にいると確信した喋り方をしていた。実際、そのうちの一人は今おもいっきりウチで寝てるわけだが。
「どーすんだ、ダイシ」
「あー……とりあえず俺が代理で行くわ。ゲン、悪いけど誰か来たら……咲良目当ての女子だったら適当に相手して帰ってもらってくれな」
「ったく……わかったよ」
 不満そうにしながらもゲンは頷いた。なんつーか最後まで素直じゃねぇなー、とうっかり口に出しそうになったがそれはこらえた。だって聞かれたらぜってー殴られんじゃん。
 というわけで、とりあえず俺は放送部へと足を向けた。用件は多分アレのことだろうから、戻ったらさすがに咲良起こしてやらんとなーとちょっと考えた。