荒っぽく、教室のドアを開ける。
教室の中の奴らは、一斉に俺の方を向く。
次に、その奴らの中の何人かが、俺を見て堪えきれなさそうに笑う。
チクショウ、そんなにおかしいか。
雨の日に俺がずぶ濡れてんのが。
今日は最初から雨が降っていたわけじゃない。けど、雲行きは怪しかった。
そんな中、傘を持って出なかった俺は阿呆だろうか。
しかし天気ってのは嫌な奴で、どんなに天気予報が雨だ雨だと言っていても、曇りの日に俺が傘を持って外に出ると、恐ろしいくらいに晴れやがる。
俺が一番嫌なのはそれを見ることだ。
だから俺は今日も傘を持ってこなかった。ある意味、意地。意地が裏目に出て、俺はずぶ濡れになった。
玉砕何回目?
雨の対策は何もない。雨が降らないこと、晴れることを強く信じ、俺は傘もタオルも持ってこなかった。
クラスメイトの何人かがタオルを差し出してきたが、借りるのは嫌だった。
奴らはからかっているのだ。俺が雨男であることを。だから俺に対してタオルの用意なんてもんが出来るんだ。
さて、学校でタオルがあって自然そうな場所と言やあ、どこだ。
保健室か。
保健室のドアを開けると、中の先生がこっちを見た。
「何だい、またアンタかい」
続けて、その先生は呆れ気味に俺にそう言った。
「悪かったッスねぇ、常連じみてて」
「もう…ふてくされてんじゃないよ、ホラ」
先生の投げたタオルを受け取り、俺は頭の髪をぐしゃぐしゃにしながら水をふき取る。
「ぶぇっくしっ!!」
くしゃみ。俺。
「…雨の日の朝は冷えるからねえ。どうする? 休んどくかい?」
「いらね。別に風邪ってわけじゃないし」
服は濡れたままだが、これもふき取るだけで結構マシになる。
「そうかい。ま、あまり無理はするんじゃないよ」
そういう先生にタオルを投げ返し、俺は保健室から教室に戻った。
が、3時限目終了後、俺は再び保健室に戻ってくる羽目になった。
「せんせぇ〜〜……」
「どうした? どこか調子悪いのかい?」
「……頭痛いのと、熱っぽいのと……」
体調を崩した。2時間目から寒気が止まらず、3時限目の後半から頭痛と熱に苛まれて。濡れてたのが良くなかったようだが、なんで今日に限って。
先生は何も言わず、事務的な手つきで体温計を出してきた。
「一応、計っときな」
お約束。体温計を脇に挟み、座ってしばらく待つ。
数分待ってピーピー音が鳴ったら、取り出す。
「……37.4℃」
ついてない。やっぱ熱出てる。微妙だが、あんまり無理出来ないかな。
「どうするの?」
「んー、ちょっと落ち着くまで、ベッド貸してくれませんかね?」
「ああ、いいよ。手前が空いてるから、好きにするといい」
ん? それって、奥はふさがってるってことかい。
「誰か、先に来てんの?」
「ああ、2時限目が終わったすぐ後に女の子が来たんだよ。アンタより体調の崩し方がひどいみたいだから、あんまり刺激しちゃいけないよ」
「……するわけないだろ。俺を何だと思ってんスか」
「稀代の雨男だねえ」
「うっせえ」
笑いながら雨男と言った先生に悪態をつきつつ、俺は保健室の奥に引っ込んだ。
と、ベッドの奥に目をやり、そこで俺は硬直した。
女の子が、ベッドの中央で、体をまっすぐにして、顔も真上を向いて、静かな寝息を立てていた。
表情にあどけなさがあるが、眠っているその子はとても綺麗だった。
見とれたのはほんの一瞬だった。俺も体調が悪くて、あんまり余裕がなかったからだ。
上着を先生に預け、俺もベッドに潜った。
キーン、コーン、カーン、コー………ン。
チャイムが鳴ってる。はっきり聞こえるのは、目が覚めていて意識があるからか、それとも今回に限ってチャイムの音量がいつもよりデカイのか。大概、前者。
枕の上から、ぼうっと天井を見上げていた。
体にはだるさが残ってて、ちょっと無理をすれば動けないことはなかったが、その気はまだなかったので、ベッドに転がったままだった。
「アンタはもう大丈夫なんじゃないのかい?」
そんな声がかかったかと思うと、いきなり先生の顔が視界に現れてビックリした。
「何を驚いてるの。で、調子はどうなんだい?」
「え? ああ…まあ、結構落ち着いたと思う。まだちょっと全身だるいけど」
「そりゃそうだろうね。結構長い時間爆睡してたよ、アンタは。ちなみに今は放課後ね」
「は? もうそんな時間!?」
しまった。一眠りして、昼休みに家に帰ろうと思ったんだが。先生に目覚まし頼んどくんだった。しかし今更だ、もう。
ふと気になって、隣のベッドに寝てる女の子の方に視線を向けてみた。
――やはり彼女は綺麗なまま、正しい姿勢を全く崩さず、静かに眠っていた。
「この子はもっと長いんだけど……それにしても、動いてるのは胸だけだよ。呼吸しかしてないんだ。寝つきの良さはかなりのもんだねえ、あんたと違って」
「…なんだよ、それ。寝てたってそれなりに動くじゃん、普通は」
「アンタは動きすぎね。20回は寝返りうってたよ」
黙らされた。20回は確かに多い。
寝相が悪い、くらいの自覚はあったが、今まで人に見られたことはあんまりない。
厳密に言うと結果だけは見られているが、眠っている最中を見られるなんてことはそれこそ滅多にない。自分の寝相の悪さを、俺はこの時改めて実感した。
――そう思う俺のそばで、女の子は相変わらず綺麗な姿を全く崩すことなく眠っている。
なんとなく、綿の詰まった箱に収められて、大切に保管されている人形、というイメージが沸いた。実際に寝てるのは人形のわけないんだが。
「気になるのかい?」
いきなり先生に指摘されてギョッとした。
「なんだよ、いきなり」
「アンタ、さっきからそこの子にチラチラ視線やってるからねぇ。思っただけさ」
「…いや、綺麗だな、って。なんか漠然とそう思って」
「この子が?」
それ以外に何があると言わんばかりとまではいかないが、俺は頷いた。
「一目惚れかい?」
さっきよりギョッとした。不意を突かれたのと、内容とに。
「変なこと言うな。今時、一目惚れなんてそうあるわけないだろ」
「ふ〜ん……内心図星だったりしてねぇ」
「からかってんのかっ」
急に馬鹿馬鹿しさを覚えた。さっさと保健室を出てしまったほうが良さそうだ。
「んじゃ先生、俺もう帰るから」
「もういいのかい? 外はまだ雨降ってるよ」
「いい。いくらなんでも今日は居すぎたし」
「…ほう、そうかい。ああ、コレ用紙ね。じゃ、気をつけて帰んなさい」
言葉の最初に何らかの含みを感じたんだが、それは気にしないことにする。
授業の病欠を証明する用紙を受け取り、俺は逃げるように保健室を出た。
が、すぐに校舎の出入口で立ち往生することになった。
雨が降ってることは知っていた。が、その雨の中を走り抜けて平気でいられるほど体調が回復していないということを、すっかり忘れていた。
体調崩したのが保健室に行った理由なのに。――先生が変なこと言うからだ、と思った。
どうしたものか。雨はそこそこに大降りで、止む気配はない。
今、身体を濡らすと確実に体調に障るだろうが、もうそれは仕方がないか。
あれこれ考えながら雨の前で立ち止まってる俺の横を、他の学生が次々と傘を差して雨の中に歩き出していく。
身体には障らないが、少し気に障る光景だった。自分の雨男っぷりが心底嫌になる。
気に障る光景を眺めながら雨の前で立ち止まっている以外に、俺には出来る事がないのだった。
他の人間が。
傘を差す音。…じりじり。
雨の中を歩いていく光景。…じりじり。
また、傘を差す音。…じりじり。
また、雨の中を歩いていく光景。…じりじり。
次々と、傘を差す音。…じりじり。
次々と、雨の中を歩いていく光景。…じりじり。
じりじり。じりじりじり。俺はずっと、そんな音を聞いていた。
気のせいかもしれないけれど、じりじりという音がずっと俺には聞こえていた。
「……あの」
俺がずっと聞いていたじりじりという音に、突然そんな声が混じった。
気付くのに遅れ、少しだけ間があった。それから俺は、俯いていた顔を上げた。
眠り姫がいた。
眠り姫が、ややおどおどして伏し目がちにして、俺を見ていた。
「……なんか、用?」
用向きは知らないが、この女の子は俺のことを知っているのだろう。保健室の先生が教えたに違いない。
「あ…いえ、その…」
「なんもないなら早く帰ったほうがいい。体調良くないんだろ? それに俺に関わるとロクなことがないから」
本当に。俺はその気などないのに、豪雨が寄ってくる。そして傘があろうとなかろうとずぶ濡れになる。
「あの……私のこと、心配してくれたんですよね?」
一瞬、目が点になった。初対面で何言ってる、この子は。
しかも、心配したっつーより、ありゃあただ見とれてただけなんだが。
「それ、誰が言ったんだ?」
「え、保健室の先生ですけど…」
余計な事言いやがったな、あのオバハンっ。しかし否定するのも出来ない。心配の対象は目の前なわけだし。
「? どうかしたんですか?」
「あ、いや、なんでもない」
本当になんでもない。なんでもないはず。焦ってるのはおかしい。
「で、なんか用?」
「お礼、って言うのも何ですけど、家まで送らせてもらっていいですか?」
また一瞬目が点になった。それから、
「いい、いい、いい、いい、いらない、いらない。お互いに、っつーかお前さんの方が体調悪いだろ。それなのに世話焼かすわけにいかねーって」
俺は彼女の申し出を必死に断りに出た。気持ちはメチャありがたいんだが。
「でも、このままだとあなたはずっとここで立ち往生、っていうことになっちゃいませんか?」
「つーか、お前さんに心配させるくらいなら、濡れてでもさっさと家帰ってりゃよかったよ」
しかしそれはどうやら許されないらしい。『無理はいけません』と、女の子が目で訴えている。
「「…………」」
結局、お互いにしばらく見つめあった後、俺のほうが折れることになった。
それはつまり、俺は家に帰り着くまで、彼女に付き添ってもらうことになったということ。……くっっ。
道中、眠り姫は意外にお喋りで、俺にいろんな事を話した。
触発されたかどうかは分からないが、俺もいろいろと喋った。
お互いの素性やら勉強やら遊びやら誰が好きで誰が嫌いやら、まぁ、今時の学生が話すんだろうなと思うことをいろいろ喋った。
妙。とにかく妙な感じだった。雨に降られて体調崩し、保健室行ってこの眠り姫の姿を拝み、帰り際に眠り姫と相合傘で喋って帰る。簡単にまとめるとこうなる。
知り合い方からしてもう変だった。
けど、特に悪い感じはしない。雨も気にならない。
……雨を気にしないでいるというのは随分久しぶりのことのような気がする。
悪い感じがしないどころか、いい感じ?
「あ、そこの右曲がったら俺んちはもうすぐだから、そこまででいい」
「わかりました」
あんまり付き合わせるわけにもいかない。正直、この子には俺よりも自分の事を心配してほしかった。
で、俺が指定した交差点のところで、彼女とは別れることになった。その際、
「また、会いませんか?」
女の子はそう言った。頷いたら約束になりそうだ。
一緒に歩くのが悪い気しないなら、再会の約束を取り付けるのも悪いものじゃないだろう、多分。
「いつ会う?」
唐突にそう切り返すと、彼女は戸惑った顔をした。今更ながら、起きているときの眠り姫はおっちょこちょいな面があるように見えた。
「あわてんなって。こういう妙な縁があるんなら、そのうち嫌でもまた会うさ」
これは心底そう思う。この眠り姫とはこれで終わりという気がしない。
が、彼女は俺の言った事がよくわからなさそうだった。わかってもわからなくても、どっちでも構わなかったが。
「そんじゃ、また」
「……はい」
雨男と眠り姫は別れた。とりあえず、また会うことを約束しつつ。
ただ、出来れば今度は今日よりもう少しでもマシな形で会えるように、と俺は願わずにいられなかった。
晴れ空の下で会わせてくれと願おうかとも思ったが、それはやめた。
それは叶わない願いだ。
なぜなら、俺は雨男なのだから。