気が抜けている。
これでもかってくらい気が抜けている。
大学生の夏休みは長いが、その休みの大半を、外に出るでもなく勉強するでもなく、家の中でごろごろしながら過ごしている。
その内容はと言えばあまりにもだらしがない。
特に何をするでもなく深夜まで起きているかと思えば、昼間、普通の人間の活動時間帯を爆睡していたり。あまりにも無駄の多い時間の使い方。
とても来年に就職を控えた人間のソレじゃあないだろうと、自分でも思う。
こんなんじゃ駄目だと思っていつつも、修正する気にはなれない。
特に今は、つい最近まで忙しすぎたんだからいいじゃねえかという思いが、心の中にずっしりと根を下ろしている。
――1ヶ月前まで、就職活動に明け暮れていた。
去年の秋の終わりから始めたその活動は、夏休みの前半にまで食い込んで、とてつもない疲労感を俺にもたらしていた。
夏場にもなって、背広まできっちり着込んだスーツ姿で会社を訪問し、説明会に参加したり、筆記試験や面接を受けたりした。
せめて春までにどこでもいいから内定が取れてりゃあ、こんな思いをすることはなかったのかもしれないが、取れなかったから夏場まで食い込んでいるわけで。
今年は記録的な猛暑だと、どこのニュースも言う。
そんな中、人事の人間の前では暑さからのいらつきをひたすら隠して、誠実さ・明るさという仮面を自分に貼り付けて、必死になってアピールする。
――誠実さだとか明るさだとか、そんなもの普段の俺にはないし、人事の人間の前でのそれは表面だけを取り繕ったようなもので、本心じゃない。
それでも、それを見抜かれてしまうとその時点でアウトなので、バレないようにひたすら神経質になって隠し通さなきゃならない。
ただでさえ暑すぎて溜まりに溜まっている疲労がさらに増加する。
それでも、諦めるわけにはいかなかった。大学を卒業した後はフリーターですなんてのは嫌だったから。
具体的にどうしたいという展望もなかったが、それでも来年の春にはちゃんとした社会人でいたかったから。それだけは切実に思っていた。
そしてそれが通じたのか、最終的にはどこかの企業に内定をもらえて、苦労が報われたと言うに相応しい至福感を味わい――
凄まじく気が抜けた。
忙しすぎた反動か、それとも本来の生活ペースに戻っちまっただけなのか。
夏休みの間、ごろごろしているだけで一歩も家から出ないで、惰眠を貪っている。
社会人には規則正しい生活が求められるというのに、今の俺はあまりにもそれとはかけ離れていた。
しかも悪いと分かっていて正すには力が足りないのか、最初からその気がないのか、それすらもわからなくなっていた。
そんな生活を続けすぎて、時間の感覚さえあやふやになっていた。
今日が何月何日何曜日だかわからないとか、朝の7時のつもりで起きたら夕方の7時だったとか、なんだか人として最低なサイクルを過ごしている。
――何やってんだろう、俺。
毎日のように、ただただそれだけを思う。
多分、今の俺は世界で一番最低な人間なんじゃないだろうか。そんなことが頭をよぎった。
突然、携帯が鳴り響いた。
しかもその音は誰かからの電話だった。メールならともかく、そっちは随分、前に聞いたのがいつだったか覚えてないほど久しぶりの音だった。
電話に出る前に、誰からなのかを見る――登録してあったその名前に何かがどきりとした。
就職活動が終わる直前、忙しさの合間を縫って告白した女の名前だった。
「はい、もしもし?」
「もしもし?」
「てかお前何やっとんねん、こんな夜中によ。後ろ騒がしいし」
そいつは今、半年に1度友達と集まるんだと言って関東の方に出かけていった。
時期的には就職活動が終わる直前だったとは言え、その当時はまだいつ終わるかの希望も持てなくて、俺はそいつについて行けなかった。
もともとが向こうの友達の集まりだったからなおさら――友達の友達は、赤の他人。
生粋の関西人である俺とは違い、その友人たちは通う大学は遠く離れているものの、同郷でとても仲がいいのだと言う。
そう聞いて、ますます俺には入り込む余地がなかった。
相手にも言ったが、電話の向こうは騒がしく、楽しそうだ。深夜の1時を過ぎているにもかかわらず。
向こう楽しそうだなと思った瞬間に、今の自分の寂しさを不意に強く実感してしまう。
だが、電話なので向こうはそんな俺の気持ちはわからない。
――わかるわけねえか、と後で強く思った。というのも――
「わたしのこと、好き?」
一番に飛んできたのがそんな言葉だった。状況にあまりにもそぐわないんじゃねえかと思った。
なんで友達のところに遊びに行った女からいきなり電話されてそんなことを言われるんだ、と。
「……好きやぞ。言うたやんけ。なんやねん、信用されてへんのかい俺!」
なんだかわからないが必死になって、俺はそう返す。――就職活動の中で、素をさらけ出して告白した言葉に、俺の中では偽りはないはずなのだ。
それなのに、向こうから聞き返されてどうしてこうも戸惑っちまうのか。
「ほんまに?」
「ああもう、マジやって! てか今すっげえ恥ずいねんけどー!?」
「ずっと?」
ずっと、と言われてぎくりとなる。
確かに好きだと言ったが、これからもずっとそうでいられるかという保証は、実は今の俺にはできなかった。
就職活動が終わって、あまりにもふがいない生活を送っている身として。
また、社会人というものが何なのかを全く知らなくて、怯えを抱えている身として。
この先のことがまったくわからない。だから、保証はできない。
――保証はできない、んだけど。
「……あー、ずっとや。ずっとや!」
勢いで、そう言っていた。怯えがあろうがふがいなかろうが、ここで言わなきゃ意味がないと思って。
言ってから少し間があって、続いて響いてきたのは笑い声。
「……なんっやねん、人が必死こいてんのに笑うなや!!」
「ごめーん。わたし今酔ってるー」
「はあ!? 飲んどんかいや!! ああもう、からかうな人をっ!!」
必死になって反論すると、笑い声が大きくなる。
実際どうなのか知らないが、後ろの声まで余計騒がしく聞こえてくるのは気のせいか、俺の疑いすぎなのか?
「もうええか? そんだけか? 切るぞ?」
「うん、ごめんー。ほなねー」
最後に向こうからも関西弁がちらっと出た。それを聞いて、俺は電話を切った。
ドキドキしすぎて疲れ果てたか、俺はその場にへたり込んだ。
やっぱり俺はあいつが好きなのだ。
どんなに体たらくであっても、何かに怯えるような小心者であっても、結局俺はあいつが好きなのだ。
世界で一番最低な人間にだって、好きな女はいるものなのだ。
今年で人生22周年ながらそんなことは前までなかったけれど、今は確かにその気持ちが心の中にある。
そういうあたりも青春って言っていいのなら。
今、俺の目の前にも青春はやってきた。
逃がさないように。
その青春を、悔いなく過ごせますように。
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