ヒュウ――――ドン、パパパン。
打ち上げ花火を私なりに擬音化すると、こうなる。そんな風に音を立てながら、夜空に花火が打ち上げられている。
綺麗ね、と隣で妻が呟いた。どこか、うっとりしている風だ。
同意というより、ただその妻の声に誘われたかのように、私は頷いていた。
一方で、背中に背負った2歳の息子は、花火を見て嬉しそうにはしゃいでいる。
町内の、毎年恒例の花火大会だった。
規模は小さいが、それでも町内の人間のほとんどが花火を楽しみに集まってくる。
花火自体は何かしら特別なものがあるわけではない。
まっすぐに打ち上げられ、空高くに美しくも広大な炎の円を描く。
工程は素朴なもので、しかしながらこれが多くの人々を魅了していた。
私たちも魅了されていた。周囲と同じように、黒い夜空に光り閃く白い花火を眺めては、幸せな気分に浸っていた。
ヒュウ――――ドン、パパパン。
花火の音が響く。続いて、どよめきのような歓声が人々の間に響く。心地よい響きだった。美しき花火に人々は心を奪われている。
この時の火は、間違いなく我々にとって美しいものであるのだろう。
しかし、そうでない時もある。
――――時として、火は我々に猛威を振るうこともある。
人が火に直接触れれば、やけどを負うだろう。
樹木が火に触れれば、その樹木は喰らいつくされ、より大きな火が出来上がるだろう。
そして、木材で作られた家屋に火が触れれば、たちどころにその火はすべてを喰らいつくす化け物となるだろう。
――――私はその化け物が現れた時、それを退治することを生業としている。
妙な表現になってしまったが、いわゆる消防士である。
消防士に志願した動機の源は、今となっては極めて不純だと苦笑せずにはいられない。
線香花火で大はしゃぎをし、火を好きになり、火に最も近い人種として連想したのが消防士だった、と思っていた覚えがある。
しかし動機はともあれ、かなり早くから――――中学生にもならないうちから、私は消防士への道を歩もうと決めていた。
動機について、本格的に勉強を重ねるうちに、火への認識が徐々に変わっていく自分がいることを自覚として感じていた。
――――消防士にとって、火とは消しつくさねばならないものである。それが人々に被害や悲鳴をもたらすものである限り。
幸いというべきか、消防士になるまでのステップには特に問題はなかった。
消防学校に入り、そしてそこでいろいろな講義や訓練を通して学ぶ日々。
それは決して楽なものではなかったが、同時に一人前に近づいてゆく実感があり、楽しむことが出来た。
しかし、その時はまだ、私の抱いていた火への認識は、一度火がつくとすぐさま燃え尽きてしまう紙のような、ぺらぺらなものでしかなかった。
それを思い知らされたのは初出動の時だった。
町内の一軒家の火事の知らせを受け、直ちに現場へと急行した。
――――この時抱いていた、消防士として確固たるものであるはずの火消しの意識が、現場に到着し、一軒家を焼き尽くす炎を目の当たりにした瞬間。
ぐらり。
そう大きく揺らいでしまったことをはっきりと感じた。
そこで目にした炎は、家屋という1つの大きな塊をすっぽり覆いつくし――――飲み込みつくし、なお周囲までも喰らいつくさんとする、強大な化け物だった。
人智を超えているようにすら見える、あまりの強大さに、私は圧倒されてしまい、消防学校で覚えたはずの火消しの手順を、何一つ上手くこなすことが出来なかった。
結局、その炎を完全に鎮火させるのに要した時間は、約6時間と非常に長いものとなった。
終わっても、押し寄せたものは虚脱感だった。
炎が燃え盛った後に残ったのは、家屋としての原形をとどめず、そのほとんどが黒く炭化した、『死んでしまった木材』の山だった。
私は改めて火の恐ろしさを知り、そして自分の浅はかさを恥じた。
――――どれだけ目の前の火が強大であろうと、そして立ち向かうことがどれだけ無謀であろうと、消防士は火という化け物に対し、後に退くことは許されないのだ。
そして一度火が猛威を振るい始めれば、後に残る結末はほぼ無残なものでしかない。
それを事実としてしっかり受け止めなければならない。
それが、消防士の敵としての、火の在り方だった。
しかし、消防士の敵となることがなければ、火とは非常に有用なものである。
子供の頃、母が料理をする時に、当たり前のように火を使っているのを見ていたし、今の妻とてそれは同じことだ。
また今ではあまり見かけないが、焚き火をして暖を取るといったことも出来るし、さらには工業の分野でも火の使用は当たり前のことであろう。
私が挙げるだけでもたくさんの例が出てくるほど、火というものは様々な方法で実用的に使われている。
また、実用的なだけではなく、芸術としても火は使うことが出来る。
今、私たちの目の前で光り閃く花火のように。
そしてその火のアートに美しさや迫力が備わっているならば、それは消防士である私ですらも虜にするのだろう。
おそらく、この花火大会にやってきた誰もがそうであるように。
火は、使い方によっていろいろな形を取る。生活になくてはならないもの、人々を魅了する芸術的なもの。
これらは人々には歓迎されるだろう。
しかしながら、私にとって一番身近なのは、人々に牙を剥き、放っておけばすべてを喰らいつくすであろう、魔物と言うに等しい火なのである。
その魔物の火の恐ろしさを思い出しながら、私は花火を見上げる。
そして、火に対して恐ろしさでなく、魅力、そして親しみを感じようとする。
消防士としての私は、火と戦い、火を消すことを義務とする。
だからこそ、消防士としてではない私は、火を愛し、火とともにありたいと、そう願う。
ひっきりなしに打ち上げられ、そのたびに夜空で綺麗な円を描く花火を、私は妻、息子とともに、心が洗われる思いで眺めていた。
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