あのこは今日も綺麗だなあ、と思う。
楽しみが1つあると、それだけで高校生活というものがすんげぇ楽しくなる。
俺もそのクチだったりする。
好きなコが俺にはいる。
そのコのことを思うだけで胸は張り裂けそうになるし、学校に来るのもメチャメチャウキウキする。
っても、片思い。
どころか、話したこともなかったりする。
いっつも、俺は彼女のことを遠巻きに見てるだけ。
彼女の名は柚月美弥(ゆづき みや)。高2、美術部所属。
美術部は週1回、火曜日が休みなんだが、柚月はその日も活動教室で絵を描いている。
キャンバスと向き合った彼女が教室の窓から差す夕焼け光に照らされる姿は、もうそれはどきりとするほど綺麗だ。ただでさえ綺麗なのに。
それを俺は教室の引き戸の影に隠れてじっと見つめては、身をよじらせんばかりに悶えてたりする。……後で我に返ってからいっつも思うんだよな。「アブネェ」って。
しかーし!!!
見つめてるだけ、も今日までだ。
今日は、今日こそは踏み越えてやんだ。教室の引き戸という名のボーダーライン!!
今日こそは踏み込んでやんだ。彼女のいる教室という名の美しい空間へ!!!
要約すると。今日こそ告ってやる、ってやつだ。
もともと見てるだけなんてのは俺の性に合わねェんだってんだ。
が。
決意したはいいが、それでも実際実行するとなるとやたらと勇気がいるということを、俺は今、身をもって実感――しまくっていた。
ってか、なんでこんな身体固くなってんだ……つか、重い、重いよ足……!!
しかも顔火照って滅茶苦茶早いし、心臓の鼓動も早いのわかるし音だってはっきり聞こえるし……。
あああ、足どころか身体動かねェ……!!!
「? 誰?」
!!!!!!
……教室の中から声。
俺は誰が見てもわかるほどのギクシャクっぷり。
おそるおそる顔を上げると――柚月の顔がこっち向いてた。
……やっべぇ、スゲー格好悪いとこ見られた!!?
「……お、おっす」
うあぁ、なんか声まで上ずってるよ、俺!!
「あ、ひょっとして……石村君?」
ッハー!! 名前出されてるし!! 俺、ただいま大混乱デース。
――ちなみに石村ってのは俺。本名、石村隆太(いしむら りゅうた)。
「あ、あぁ……し、知ってんの、俺のこと?」
「有名だよ? 陸上部のエースなんでしょ」
うおぉ、言うな、言わないで、俺、マジ舞い上がりそう……!!!
「そ、そそそ、そうなんだ……有名なんだ、俺……し、知らなかったなァ〜」
うーわ。もうまともに喋れてすらいねェや俺。
好きなコの前ってこんな緊張するもんだったとは……。
「ところで、何か用?」
幸いにも、柚月は俺の動揺っぷりには触れないでくれた。そして、そう話を振ってきた。
「え、えっと……あ」
ふと、キャンバスの方に目が留まった。
見たとたん、何故か心が落ち着いたように思った。
この教室が紅い色に覆われているのは、夕焼けのせいだと思ったが、キャンバスに描かれた絵はもとからそんな色だった。
そして、キャンバスの絵はとても綺麗な夕焼けだ、そう思った。
「……綺麗だな、これ」
さっきまでとはうって変わって、落ち着いた声色で、俺は思ったことを言った。
彼女は、ふっと微笑んだ。その瞬間を俺は見た。
――今までは恋焦がれも混じっていたように思うけど、今は心底から思う。
綺麗だ。
そしてそれを見たとき、今の自分が、かつてないほど落ち着いていることに気づく。
今だ。
「……柚月さん」
「ん?」
「俺、あなたのことが好きです」
言った。
言っちまった。
さっきちょっと落ち着いた心臓が、また鼓動を早め始めた。
それでも、教室に入ろうとしたときよりは断然、落ち着いてたんだが。
柚月はくすりと笑った。
「やっぱりねー」
「え、何が?」
反射的に聞き返すが、なんとなくわかっていた。……気づいてたんだ、やっぱ、俺が見てたの。
「そこの引き戸のところでさ、ずっと見てたでしょ?」
……、少し恥ずかしくなったが、俺ははっきりと頷いた。
「……ごめん。気分悪かったに決まってるよな」
「ううん。ほんのちょっと、集中が乱れたりもしたけど。……けど、嬉しさもあったし。好かれてるっていいなぁ、って」
心臓の鼓動が、1回だけ、大きな音を響かせた。
「でも、好きでいてくれるのは嬉しいんだけど。……ごめんなさい」
――え?
「……あたし、美大目指してるんだけどね。そこに、好きな人がいるんだ。だから、ごめんね」
はっきりと理由まで告げられて、俺は間違いなくショックを受けていた。
「……そう、なんだ。じゃあ、仕方ないよな。悪かった、今日のはなかったことにしてくれないか」
なのに、ひどく落ち着いて喋ることが出来た。
柚月は首を振った。それから、言った。
「絵、褒めてくれてありがとね。少なくとも、それだけはなかったことにはできないもの」
そして、彼女は満面の笑顔を俺に向けた。
癒された気がした。けれど、同時に切なかった。
翌日。
「ヨォーーーーーイ……」
ピィッ。
俺は100メートルの距離を全力疾走していた。
秋頃以降は日が暮れるのは早く、部活に打ち込んでる今時に、もう俺は夕焼け空の下にいた。
「ハァッ、ハァッ……」
「おい、隆太! お前、すげぇじゃん! 今のタイム、新記録だぞ!」
息を切らす俺に向かって、計測してた奴が驚き混じりに声をかけてきた。
「……、何秒?」
「10秒83。お前、10秒台って初めてじゃねえか! すげぇよ!」
「……、そっか」
あんまり実感湧かなかった。ただ、昨日のことを忘れたくて、夢中になって走ったからだ。
部活。陸上。俺が今、一番のめりこめること。やなこと辛いことを、全部忘れていけそうなこと。
「けどさ。お前、昨日居なかったよな。で、今日コレってことは……今回も駄目だったのか?」
けど、今計測してた友人のこの言葉で、俺は昨日の出来事を思い出させられた。
「……ああ。駄目だったさ」
「そっかー。まったく、変なばらし方だよなー。女にフラれた次の日に好記録マークしてくるって」
俺はそんな人間だった。俺が陸上部のエースでいられるのは、どうも鬱憤晴らしの際に現れるエネルギーが普通の人間より大きいかららしい。
「……今日は調子いいみたいだ。とことんまでやるぞ!」
俺が叫ぶと、友人は苦笑してから頷いた。
そしてこの日、俺は何度も何度も走り続けた。夕日を正面に望んだ100メートルを。
夕日に向かって、走り続けたのだった。