夏ってのは嫌いだ。暑いから嫌いだ。暑すぎるから嫌いだ。
 もう、どこにいてもサウナの中にいるような気分になってくる。サウナは嫌いなのに。だから夏という季節は最悪だ。
 そんで、暑すぎて何もかもやってられなくなるから、この時期に何やっても成果が上がらないのも気分をいっそう悪くさせる。

 なんで夏は暑いんだ。暑いことに意味なんてあるのか。そんなことを考える。
 でも答えは出ない。答えが出ないと言うことは何で夏が暑いのか、それについて納得のいく理由が見つからないことになる。
 結果、余計に腹が立っただけ。
 でもそんなの知ったことかと言わんばかりにやっぱり夏は暑い。
 チクショウ。夏って奴は何様なんだってんだ、ホントにチクショウ。









「……ねえ、人の真正面でそんなあからさまにイライラしてる顔されると、すごく気分悪いんだけど」
「実際こっちはイライラしてんだよ、どうしろってんだ。お前、今から5度くらい気温下げてくれるわけ?」
「無茶言わないでよぉ。誰だって暑いのは一緒なんだから、もうちょっと我慢出来ないの?」
「とっくに限界超えてるっつーの! あーもー、あちーあちーあちー、腹立つぁーくそー、何でクーラー無ェんだよこの部屋ー」
「わがまま言わないでよ、今言ったって無いものは無いんだから」
「ケチくせーのなぁお前んとこって」
「……ケチ臭くって……悪うございましたねぇっ!!」
「うげっ!! く、首絞めんのやめろ、暴力反対……!!!」

 ぶくぶくぶく。

「もう!!」
「ッゲッホッ、ゲッホゲッホッ……殺す気かお前!!」
「何よ、文句言うのが悪いのよ。だいたい、そっちがあたしの家で勉強会やろうって言い出したんじゃないの」
「………………うっせい」



 炎天下、幼なじみ――小宮舞衣(こみや まい)の家の中でそんなやりとり。
 普通、この時期は学生は夏休みだーっつってはしゃいでるんだろうが、高校3年生はそうもいかなかったりする。
 受験勉強。これがかなり面倒臭い。
 親は遊びを許してくんねーし、外出だって一苦労。普通は塾行く時以外の外出は禁止だったり。
 今日は友達ん家に勉強しに行くっつったら特例で出してくれたけど。
 そんで、俺――加倉雅浩(かぐら まさひろ)は今、こうして幼なじみと一緒に受験勉強を進めてたりするわけだが―――。









「っあー、ホンットやってらんねー」
「もう、またそれ? もう3回目だよ?」
「しょーがねーだろ。こうも暑いと、やる気なんか出ねえっての。今日なんか、最高気温37度とか言ってなかったか?」
「言ってたけど、だからってどうしようもないでしょ?」
「うー、そーだけどよー。どうしようもねェことほど余計に愚痴りたくなったりしねェか?」
「なんで? カッコ悪いだけじゃない」
「……はっきり言うな、はっきり……」
「暑いのは確かだけどねー。愚痴言って和らぐものでもないから、言ったってしょうがないでしょ?」
「……わかってるよ、そんなもん。でもな、言わずにいられねェ時だってあるんだよ、少なくとも俺にはよ」
「それ、後ろ向きって言うんだよ。そんなんじゃ、余計に今の時期がつらくなるだけだと思うけどなぁ」
「………………、トドメ刺すな……」



 舞衣にずけずけと言われて余計に気が滅入り、俺は教科書、参考書、ノート、シャーペンを放り出して後ろの壁にもたれかかった。
 本当に暑い。暑すぎて、だるい。
 加えて、舞衣の部屋の中には扇風機しかない。そんなもんで和らぐような暑さじゃないことは、とうの昔に身体が理解していた。



















 ミィーーーーーーーーンミンミンミンミンミンミンミンミンミィーーーーーーーーーー

 ミィーーーーーーーーンミンミンミンミンミンミンミンミンミィーーーーーーーーーー



「……元気なもんだなーおい」
「何? 雅くんが元気無さすぎるだけなんじゃないの?」
「……お前なぁ……あー、そーじゃなくて。蝉だよ」
「蝉? ……が、どうかしたの?」
「よくもこんなクソ暑い時期に、ああも元気にやかましく鳴いてられんなぁって。おかげで余計に暑苦しいってーの」
「……、そんなの毎年のことじゃない。なんで今になって気にしたりなんかするわけ? それに、別に蝉が鳴いたから暑いってわけじゃないでしょ」
「気分的に暑苦しいってもんだ」
「それ、そう思うから暑苦しく感じるってだけだよ。だいたい、雅くんグチグチ言い過ぎなのよ。言ってる暇があったら勉強だよっ」
「…………お前はお前で、もうちょっとくらい気にした方がいーと思うぞ…………」
「? 何か言った?」
「……何も」


 ミィーーーーーーーーンミンミンミンミンミンミンミンミンミィーーーーーーーーーー


「はぁ……うっせえなあ…………」










 こっちが不快感に満ちている事も知らず、蝉はミーミー鳴いている。
 思えば、蝉の生き様ってのは結構気楽なもんだ。夏になって地面から出てきて、そんで木に止まって1週間鳴いたら終わり。やることが少なくって気楽そうなことこの上ない。
 その鳴き声がやかましくてこっちはイライラするんだが、生き様が気楽そうだってことを考え合わせると、まずます蝉が憎らしい存在に思えてきた。
 チクショウ、鳴くだけならやろうと思えばこっちにだって簡単に出来ることなのに。


 ミィーーーーーーーーンミンミンミンミンミンミンミンミンミィーーーーーーーーーー


 あまりに蝉がうるさいので、ほんの一瞬、窓を閉めてしまおうかと思った。
 ……が、そうすると後で余計に暑苦しい思いをする羽目になるのは目に見えていた。


 ……どーしようもねーのかよ、チクショウ…………。








「……しょうがないわね。休憩する?」
「んあ?」
「何ボーっとしてんのよ。一息入れるかって聞いてんの」
「あ……お、おう」
「わかった。ちょっと待っててね」



 舞衣が一旦部屋を出て行った後、俺はぱしぱしと自分の頬を2回ほど叩いた。
 ……なんかやばかったなー、今の。意識が朦朧としてたような。ひょっとすると、暑すぎてイライラを通り越しちまったのかも。
 気をしっかり持たないと、下手すると気絶なんてことになるかもしれなかった。……いや、そりゃ言いすぎか。


 ミィーーーーーーーーンミンミンミンミンミンミンミンミンミィーーーーーーーーーー


 相も変わらず蝉は鳴いている。
 考えてみたら、蝉どもはずっと日の下ではっきりと鳴いている(木が作った影に隠れてんのかもしれないが)。
 それを考えた時、さっきとは別のところで蝉の元気さを実感してみたりした。さっきってのは蝉の鳴き声のやかましさを実感した時だが。

 蝉はただ鳴いてりゃいい。精一杯やかましく、鳴ける時はいつも鳴く。その生き様は気楽で、しかも声はやかましくて、結局癪に障る。
 こっちは蝉なんかよりはるかに長生きだし、その分やらなきゃならないことだってうじゃうじゃしてるって言うのに。



「どうぞ〜、よっく冷やした麦茶だよ〜」
「……もうコップ水浸しじゃねェか」
「気にしないの。むしろその方が冷たくて、暑がり雅くんにはちょうどいいんじゃないの〜?」
「あーもう、悪かったなぁ」



 またちょっとした言い合いになった後、俺は麦茶を一口飲んだ。
 口の中に冷たい苦味が広がる。それはとても気持ちが良かった。











 ミィーーーーーーーーンミンミンミンミンミンミンミンミンミィーーーーーーーーーー



「……鳴き止まねェなぁ」
「何、また蝉のこと?」
「楽でいいよなぁ、蝉自身はよ。1週間鳴いてりゃそれで終わりなんだから」
「……何それ。楽だなんて、そんなわけないじゃない」
「何だよ」
「雅くんの言う終わりって、蝉にとっては寿命ってことでしょ? 死ぬってことでしょ? そんなに軽く言えるものじゃないよ」
「それが何だよ、鳴いてるだけなのは変わんねェじゃねェか」

「1週間しか生きられない分、鳴くことに全力を尽くすんだよ。それのどこが悪いの? 短い生の中で何かに全力を尽くさせることすら、雅くんは許してあげないって言うの?」




 知った風なこと言うな、と俺は舞衣に対して思った。――思っただけで口には出さなかった。
 思った直後、俺の考え方もまた、何か知った風だったことに気付かされたからだ。

 蝉は鳴いている。
 それが、舞衣が言うように蝉が全力で生きてることの証だとは限らない。
 かと言って。
 蝉は1週間鳴きつづけている。
 それが、俺が言うように気楽な生き方の証だとも限らないのだ。


 そう思った俺は、舞衣の言葉にこう返した。



「そうとは限らねェだろ。そんなの、俺らに言えたことじゃねーし。蝉自身にしかわからねェこった」

「何よ! やっぱり蝉は全力尽くすなって言うわけ!?」
「いや、訂正する。別に蝉のあれが全力尽くしてるとは限らねェが、かと言って気楽な生き方だとも限らねェからな」



 舞衣は軽く呆然としていたようだった。それを横目に俺は結論付けた。

 『蝉は1週間鳴く事が生き様だ』ということに。それが全力か気楽かまでは、わかったもんじゃなかったが。



「……なんだかなー、煙にまかれた気分」
「終わってみりゃ馬鹿馬鹿しい議論だったなぁ」
「……そーねー、馬鹿馬鹿しいからこれで打ち切りましょ。ついでに休憩もそろそろ終わりにしよっ」
「え、もう? まだもうちょっといーんじゃねーの、ホラ、まだ麦茶残ってるし」
「別に勉強しながらだと飲めないってものでもないんだからね」
「え〜……お前、真面目すぎるんじゃねーかー……?」
「雅くんが不真面目なだけだよ」
「っ、あのなぁ、いっつもいっつもそれで片付けんなよな! しゃーねーだろ暑いんだから!」
「我慢しなさい我慢! 心頭滅却すれば火もまた涼しって言うでしょ」
「んなわけあるかっ!!」














 ミィーーーーーーーーンミンミンミンミンミンミンミンミンミィーーーーーーーーーー





 俺と舞衣の声で普通にやかましい勉強部屋を、蝉は横からさらにやかましくしていたのだった。

 ありふれた、夏のある日のことだった。














NovelBlogProfileBoardMailLinkTop