1987年8月の第1週、これで3回目の北海道釣り三昧旅行だ。
去年までは、北海道に遅い春がやって来て、雪代水が収まる5月中旬に
ピンシャンのレインボートラウトをフライフィッシングで狙いに
そして、おまけで家族のサービスを兼ねて来ていた。
さっさと家族サービスを済ましたオラはと言えば、尻別川の瑠産から南京極あたりをフライロッドを振り回しつつ
朝から晩までレインボーやヤマメのケツを追い掛け回していたのであった。
しかし今回は、かみさんの「夏の北海道もイイよ」っていう話もあったし
「北海道の清々しい空気の中で、げっぷが出るくらいウニを喰らえるヨ」とも言っていたから
たまには夏に北海道旅行ってのも悪くは無いなと思い急遽家族旅行の日程を変更する事にしたのだった。

そんな夏の北海道にも鮎はいるらしいとは聞いていたのだが、疑心暗鬼の半信半疑。
「フライロッド片手に遊び回った尻別川や朱太川に、本当に鮎はいるのかな〜」と、不安な気持ちを抱きつつ
家族の邪魔を買いながらも、車のトランクを満杯にしてしまう鮎の道具一式を車に積んで
北海道旅行へと出発したは8月の始めの事であります。

盛岡を発つこと10時間、やっとこさ着きましたヤマメの宝庫、モトイ鮎の宝庫、朱太川。
イブニングライズで何時もイイ思いをする、黒松内町に入ってすぐ
熱郛小学校跡前の護岸の上から朱太川をのぞき込みました。
そこら一帯は中トロのあまり深くない淵になっている泳がせ釣り派にはたまらないポイントになっている。
その中を、わくわくとした気持ちと、不安な気持ちを抱きつつ
ハタシテ北の野鮎ちゃんは居るのかなと、オソルオソル首を伸ばし覗いて見たのだった。
そのトロ場の川底は岩盤で、その切れ目切れ目に頭大の石が転がっており
その石周りにはピンポン大の石が綺麗に敷き詰められている、鮎師なら誰でも思わずごっくんの川底だ。
そんな川底の石は曇りが一つとして無く
小豆大の小石までみんなピカピカと完璧に磨かれているんだな。
それも川岸のギリギリのアズキ大の小石までもだ。
「ヤッタぜ」と期待に胸が膨らんだその時
ギランと鈍い金色の光が沖で走ったかと思ったら、もうそこいらじゅう
掛け頃の抜き頃のアユが縄張り争いの真っ最中。
オラの心臓はドッキンコと充血発射三秒前。
薄い脳味噌からは一気にアドレナリンがドピュっと射精。
これでオラは完全に舞い上がっちまいました。
もう、いてもたっても居られません。
サッソクお荷物(カミサンと子供)を送り届け、取るのも取り合えずっていうか
降ろすのを降ろし、このポイントへと車を返したのは、いうまでもない事。

でもチョット待てヨ、友アユはどっから調達すんべかな 

というのが大問題であったが、一応こうなるのではないかと思い
必殺アユルアーも持ってきているし、あんなにアユがいるんであれば
最後の手段、あまり得意じゃないがガラ掛けのセットもある事だしな
等と考えながら、はやる気持ちを抑えての運転はモチロン速度オーヴァー。

ちょうど白炭地区の一本瀬が見えて来る川岸に
一台の札幌ナンバーの白い車が止まってました。
もしかしたら、そこに居る鮎釣り師から種鮎が調達できるんじゃないか
という淡い期待を持ちつつ、川岸に降りて様子をうかがう事にした。

川岸に生えている柳の林を越すと、いましたねぇアユ釣りの格好をした人が。
早速オラも車まで引き返し、速攻でウエダーを履き突撃準備OK。
そして河原の石ににケツマズキきそうになりながらも川の中に飛び込み
その釣りをしている人の所へと吹っ飛んで行ったのである。
いそぐ心を押し殺しながら、外観は平静を装い「今日の釣れ具合はどんなモンですか」と
何気にその釣り人にたずねてみたのであった。
返ってきた言葉が、「今日はワヤだな、まだ一匹も掛らなくてアズマシクねぇ」と来たもんだ。
てことはダ、分けてもらえるアユは無いって事か。
ガチョーン ヘナヘナと勇み汁が抜けてしまったオラでありました。

ちょい待てよ、ここにいる釣り人はまだアユを釣って無いと言うてるのに
ちゃんと糸の先にはアユがついているのではないか。
という事は、どっからか友アユを調達しているのに違い無いはずだと思い

「アノ〜この近くで友アユを分けてくれる所なんて無いですよね〜」と
恐る恐るその釣り人に尋ねてみた。 
その釣り人は何気にカル〜ク言い放ちました。
「黒松内の町の中にある菅原自転車店に行けば、鮎なんかなんぼでもあるんでナイカイ」と。
それを聞いた途端居ても立っても居られなくなったオラは
その自転車屋さんを目指し黒松内の町へと又も速度オーバー。



在ったぞ在ったぞ自転車屋が、ガラス越しに覗くと釣具店もかねている店だったのだ。
どこの田舎でもそうなんだが、種鮎屋とか釣具屋って自転車屋とか
床屋さんの片手間ってのがよくあるな。
「こりゃまた、いいねいいねぇ〜雰囲気が」と思いながらお店に入っていくと
その店内のほとんどの商品ががアユの用品で占められているのです。
内地では見掛けなくなった友船なんかあったりして思わずニヤリです。

奥から気だるそうに出てきた親父に「あの〜トモ鮎を分けてくれませんか」と尋ねたら
ハイハイのニコニコ返事で商売商売、道路を隔てた向の生け簀へと案内されました。
地下水を汲み上げ循環してる生け簀の中には、沢山の鮎が泳いでいました。
それもピチピチ元気のデカ鮎ちゃんがわんさか。
でも生け簀の中の鮎は傷を持った鮎ばかりだったので
店の親父に 「養殖鮎は、いないんですかねぇ」と尋ねたら
「あ〜そうだよ、この中の鮎は全部、天然の掛け鮎だよ」と店のオヤジは言った。
こんなに沢山のの鮎を、どうやって集めるのかチョット疑問だったので
「どうやって鮎を集めているんですか」と尋ねたら
「鮎漁師の石黒さんという方が、一人で鮎を掛けて持ってくるんだ」との返事。
「フ〜ン一人でこんなに釣って来るんだ」と思えば、ますます高まる朱太川への期待。

ぴちぴち元気の良い鮎ばかりだったので、とりあえず1匹だけ譲ってもらい
マッ黄黄の野鮎が群れていた熱郛ポイントへまっしぐら。
それを川に入れた途端、5メートル先から背中の真っ黒い野鮎が
ガッツーン、グルングルンでバシャバシャのピューでドッスン。
後は悦楽、極楽の狂乱の世界へとドップシと
へどが出るくらい川に浸かる一週間でなのでした。

でわでわ朱太川の説明など、以前に釣り人社に送った原稿のサワリ等を
ちょこっと書いときますかね。

明治天皇献上の北海道一番の極上鮎、自然卵放流も盛んで
天然遡上もおおいに期待できる名川である

と言われていたらしい。



豊平川

日本で、鮎の生息する川の北限は余市川であると、北海道では一般的に言われている。
が、札幌の中古車屋UFOのおじさんに言わせれば、「そんな事はネエえぞ!
わが街、札幌のど真ん中を流れている豊平川だ。」と語っていたが
これにはチョット訳ありのようだった。

その余市川から南、道南のほとんどの川には、天然遡上した鮎が生息していると言われている。
しかし全部が全部、それらの川で友釣りができるかと言えば、そうでもないのだから気をつけてね、内地の皆さん。
何しろサケマス保護のための北海道内水面漁場管理委員会保護指定(なんたら長ったらしい名称だ)によって
全面全魚種禁漁の設定河川がほとんどなので
実際にあゆの友釣りが可能な河川は数えるくらいしかない。
「あ〜もったいね〜な」と思うのはオラだけでしょうか。
ちなみにある禁漁河川にチョコッと寄って見たところ、ヨダレが流れっぱなしだったのは言うまでも在りません。
モチロン竿なんぞ出してはいませんから?。
足元から泳ぎだした友鮎めがけて、キカン坊鮎が二匹三匹と突っ掛けて
たやすく釣れる天然鮎、なんて感じなんだがナぁ?。

そんな中で、余市川は古くから鮎の放流実績もあるところで、鮎はこの町の名物となっています。
84年に、がまかつのインストラクター大西満さんが、「へらブナのように体高のある北限の鮎」として
鮎釣りのムック本に書いていた事が、オラの頼りない記憶の片隅に強烈に残っていて
北の果てアユロマンの火がチロチロと燃え始め続けたのであった。
この近くに90年から始まったダイワ鮎マスターズ全国大会の会場で
一躍有名河川となった道南の母なる河、尻別川がある。

そんな鮎釣りで有名な余市川と尻別川の中にあって朱太川は
あまり目立たない河川では有りますが
オラはこの川に一発で魅せられてしまい、87年から毎年訪れるようになった川なのだ。

この川は尻別川の南に位置する川で、その水源は太平洋の内浦湾海岸線からすぐの礼文華峠より発し
支流を集めながら、ちょうど北海道の首の部分に見える所をスパッと斬るように西の方へと横断して
流れる事50キロ余り、日本海の寿都湾にと注ぐオモシロイ川であ〜る。どこがじゃ
だ か ら、源流元は目と鼻の先の太平洋側に流れ込まないで
北海道の地を横断して日本海に流れ込んでいるって事がだよ。

古くから天然鮎、ヤマメの宝庫
として知る人_ゾ知る川であったらしい。
それと川魚グルメ達の舌をうならせる味の良さで、全道の鮎釣り師だけに知られるところであるらしい。
明治天皇が来道の折りに「北海道の鮎はこれだ」と太鼓判を押した天皇献上鮎でもあったそうだが
これはフルすぎ!な話だ。

では、釣り場解説
友釣りのできる一般的な場所として、上流は大成地区の観音橋から下流がイイと言われているらしい。
下流は作開地区下の実橋あたりまでが釣り易い。
この区間十数カ所に200kgの稚鮎が放流されているようだが謎だ?。
又、そのほかに作開地区での、落ち鮎からの人工受精後の
3000万粒の実績もあるというが、はたしてどんなもんでしょ?。

北海道の夏は寒い。ほんとに寒いうそでない。
昼間少々暑くても日が蔭り始めると、いきなし涼しい風が吹いてくる。
なんてって、オラは雨でもないのにカッパを着て鮎釣りしてんだぞ
そんな気候だからどうしても朝一番の鮎の追いは鈍いのだ。
だから、とうとうと流れるこの川には数少ない瀬の中心部を狙うのがセオリーであろう。
が、俺は構わずトロ瀬を攻める。

昼も過ぎると川の水もだいぶ温み、トロ場を中心に活発な追いが始まるのだ。
だがそれと共に浜風が容赦なく吹きまくる。
値段ばかり高くてヤワな高級鮎竿は折れちまうくらいの強風だぞ。
なんたって、ここの名物キャラクターに「風太君」って名前が付くくらいの風の町だからな。

透明度の高い川であるにもかかわらず、前あたりの鮎の様子が見えず
いきなり2匹の鮎の乱舞が始まるのが常だ。
と言っても、鮎釣りに前当たりなんてのは無い。
前当たりって思っているのは、ただ掛け針が刺さらないで針外れだけの事だ。
それだけ追いが良いって事だ〜な。
そして一気に目印が吹っ飛び、朝の釣りがウソのような鮎釣りが展開し
オラの心も吹っ飛ぶのだよ。
そしてとどめは3時ごろから始まる瀬落ちでの、息も付けないほどの
狂気の入れ掛かりショーが始まり、これでオラは完全に舞い上がってしまい
天国へと昇天しちまうんだナ。
でも、ここ数年は例の冷水病とやらの影響で、めっきりと釣れなくなってしまい
昔のあの狂喜の鮎釣りショーは影を潜めてしまっている。
カナシー、ヒジョーに悲しい。

参考までに傾向と対策を書いときますね。
ここの川相は早瀬が少しばかりで、ガンガン瀬は無いに等しく
トロとチャラ瀬の連続で、落差の少ない北海道特有の牧歌的な川だ。
いわゆるチョークストリームっぽい川相なので、フライフィッシングに最適であると言える。
フライフィッシングジャーナル同人のサマーキャンプもここで開かれるくらいだからね。
そんなだから立て竿ギンギンマンには、うってつけの川といえるのだヨ。
一生に一回は来て見て損は無い川だ。


2005年改訂版朱太川の解説



積丹半島と弁慶岬に囲まれた寿都湾は遠浅の海岸と
西日がたっぷりと当たる豊饒の海だ。
夏の終わりに産み落とされた鮎の卵から孵化した稚魚は
一冬を穏やかな寿都湾に抱かれて過ごし
雪どけ水が海に流れ込む頃、朱太川へと遡上を始めるのだ。
鮎が豊漁の年は、その年の小女子漁の網に
邪魔者の鮎の稚魚が沢山入ることで占えるそうだ。





栄橋から望む、穏やかな汽水域が広がる朱太川河口部
向こうに見えるのが弁慶岬に続く稜線。
川で無事孵化した稚魚たちが、海水に馴れるための周遊場所。
この場所はチカ釣りが盛んな所でもあり、ノベ竿の握りをチカの鱗で銀白色にして
一生懸命釣っている地元のオヤジが陣取っている橋でもある。
そして9月からの河口は、サンマをエサにした鮭釣りのオヤジが目を血ばらせて
馬鹿でかいウキを見詰めている様は、殺気さえも感じる恐さがある。








2005年現在の実橋から見た上流部。
友釣りが成立するのはここから辺からである。
15年前は容易に川に出られたが、今はこのように柳の木が張り出し
そして背丈の倍もあるイタドリがはびこり、川の流れにたどり着くのは容易じゃないが
下流部のトロッパからの群れ鮎が、いっとき出食みとなる時間帯は
夢のような入れ掛かりが始まるので、是非狙いたい所ではある。





作開地区の丸山橋付近は小石底だが、浮石ではないので充分鮎が狙える。
ここも川に出るのが、背丈以上のイタドリの為に厄介なので
一回川に出たら、川通しに歩いてポイントを狙って行くのが楽で数も稼げる。





観音さまのポイント、バス停で言えば岱下である。
ここら辺は右よりにポイントが続くので、一旦左岸に渡ってから
右岸を狙えば良いんじゃないかなぁ。





観音さま
ここを拝んでから出漁しよう。
大漁が約束されるゾ。





甚九郎と呼ばれる下流部では大人気の一級ポイント。
ここからが 一般的な鮎の友つりが展開される。
だから早めに現場に着き場所を確保したい所だ。
バス停で言えば観音岳





白炭はキャンプを張るくらい友釣りマンに大人気な場所だ。
下流に見える瀬は大鮎が縄張っているので、心して狙いポイントだ。
バス停もズバリ白炭だ。





小山内のブロックポイント。
このブロックの一つ一つに鮎が付いているので、ていねいに探りたい。
このブロックを一つの石と見立てれば良いのだからね。
1989年頃に漁協が中心となって、この場所に鮎の為の大石が
人工的に投入されて良いポイントだったが、今はその面影が無いよなぁ。





ブロックポイントの下流もヨダレモノのポイントが続くので
小山内地区だけで一日が充分つぶれるのだ。





熱郛の止めは、放流鮎も多いらしいので、どんな遡上が悪い年でも鮎はいる。
その年にもよるが、必ず入れ掛かりポイントがどこかに出来ているので
丹念に友アユを泳がせて探りたい。
夕方にはサクラマスがドッポンドッポン言ってる所でもある。




熱郛小学校跡のポイント
は粘板岩のトイ状の川底に手ごろな石が沈んでいる
朱太川随一の好漁場だったが近年、砂利で埋まってしまい
釣果が思わしくないが、左岸に流芯がぶつかって掘れているので
そのノリ面をナナメに泳がせていくと、ドッカァンと野鮎が当たるぞ。
15年前までは国道から川底を眺められたが、今は柳の木やらイタドリで
川岸に出ることすら困難だ。




新しく出来た熱郛橋下流も良いポイントが続くが、長竿はチト辛いものがある。





公営住宅裏は、見ての通りヨダレモノの良いポイントでしょう。





公営住宅裏のブロックポイント。
ここも小山内と同様ブロックを丹念に探りたい。
が、石止めのネットが沈んでいるので、野鮎が掛かると親子ドンブリが多発する。
だから太い糸を使い、野鮎が掛ったらウムを言わせないで
かなり強引に引き寄せ、もしくは引き抜かなければならない危険地帯なのだ。





ブロックポイントの上のトロ瀬は左岸に、良い石が入っているので
静かに上に友アユをとばせば、入れ掛かりが始まる。





黒松内消防署裏
川幅が狭くなってくるので、なるべくなら川に入らないで友アユを静かに泳がせたいね。
オラ的には好きくない所ではある。
が、ど〜やら職漁師の石黒さんは、ここより上流を専門に狙って
野アユを釣って稼いでいるらしい。





お次は1991年から頻繁に行くようになった後志利別川



道東にも利別川という名の川があるので、地域名をつけて「後志(しりべし)利別川」となっているのだ。
(原産地称号が付いていてワインみたいだな)
ではサクッと紹介しますか。

ここは長万部から右折して230号線を西へ進むと最上流部のピリカダムがあり
そこから流れていくと今金町を経由して、数年前に奥尻の南西地震と津波で知られるようになった
道南の大成町の近くに河口に持つ川で、総行程80kmの北海道南部の一級河川
比較的大きな川ではあります。
この一級のランク付けされている河川の中で日本一の
綺麗さを誇る清流(俗にゆうBOD値0.3%以下ってヤツですか。)とか言われているらしい。
しかしダムが出来てからは、かなり水質が落ちていると、地元のジッちゃまが嘆いていたけどね。  
                         
        

遡上のかなり良い年は、最上流魚止めのピリカダムまであゆが見られるといわれているが
オラが通い始めてからは、ピリカ周辺であゆを見かけた事はまったく無い。 
このピリカダム下流に瑪瑙橋とゆう名の橋があるが
この地は、その名のとうりメノウの産地と言われチンコベメノウとして
有名だとジモティーは言うが、ホントかなと思うくらいの知名度の無さではある。
(チンコベって言う名のほうがオモシロイと思うがな)

それよりも瀬棚付近の海岸には、メノウと思われる綺麗な石がたくさん打ち揚げられており
おもわず手にとって持って帰ってくる。 
モノの本によると30万円の値がつく石もあるそうだ。
それをブラックバスを飼っている水槽に入れて悦にいっております。
                         
このチンコベからしばらく行くと住吉の堰堤に着きますが
オラとしては、ここから下流部があゆの本格的に狙える場所だと思います。
この住吉堰堤のポイントは函館の友人つねさんが、もっとも得意とするポイントです。
彼とはダイワマスターズ東北大会で知り合うようになる以前から
住吉の橋の上からヨク見かけていたトシベツリバーキーパーではあります。

住吉の橋の上

どんなに遡上の悪い年でもこの場所だけはどうにか釣りになる
言わば魚止めと言っていいような場所だと彼は言ってますが、本当です。
この橋から上の留めまでは岩盤の連続で、上の写真を見てもわかるように
アンバークリームカラーの、オラの経験から言ったら、とてもアユの着きそうも無い色をした岩盤です。
そしてオラが今までに経験した岩盤は、イコールすべるオッカネーなんですが
先の朱太川同様まったくといっていいほど滑らないのです。
これが道南の川の特徴と言えば特徴なのかもしれません。
そして、たいていの川底の岩盤だったら、流に沿うよううに切り立つものなんですが
ここの岩盤は流れに逆らうように切り立っており面食らってしまいます。
だから函館の恒さんから、ここの岩盤攻略法を教えてもらうまでは
まったく数が伸びなっかたのは、いうまでもありません。 



このすぐ下には稲穂のチャラ瀬があり、オラの大好きなとこ。
拳大の石が敷き詰められており、利別川にしては小さい部類のあゆではあるが
数釣りが期待できるとこですね。

奥尻の津波があった年から前後して毎年ここ稲穂の瀬で出会う大成の友つりマンと
争うように、このチャラ瀬を攻めまっくった思い出がよぎります。

その大成の釣り人から聞いた話だが、奥尻の西南沖地震津波は想像を絶するものだったそうで
自分の軒先に泊めていたマイカーが津波で押し流されてしまい
はるか後方の民家の間に突っ立ったまま、塀との間で挟まってしまったとの事です。
ショックのあまりか、この町の人たちは何もやる気が
しばらく起きなかったくらいの放心状態になったそうです。
怖い話ですな。

下流には好ポイント メップ川、通称 種川とゆう支流が流れ込んでいる合流点があります。
ここは川をいじくりまわす以前はとても良いポイントで、頭大の石がごろごろしており利別川では
一番大きなあゆが、それもパワフルとゆう形容詞がぴったしのヤツが釣れる
オラのフェイバリットエリアであった。
今でもモチロン良いポイントではあるが昔の面影はまるっきり無い。
近年ここに住み着くように鮎釣り師が居て、大いに邪魔せはある。



その下流の第一幹線用水路の水門エリアは、瀬つづきの良い流れで
瀬落ちの瀬頭が2ヶ所ほどあり楽しい友釣りの場所であったが
ここも河川改修という名の無駄な公共事業により、ただの平瀬に成り下がってしっまった。
くっそ〜。

ラストのお勧めポイントは、今金町裏にある橋の下流部に、温水が流れ込んでいる瀬があります。
ここがこの利別川、最後の好ポイントです。
この瀬肩では、昼過ぎの地合いが訪れると待った無しの入れ掛りが始まるとこです。
これより下は高低差が無く、また川底の石も細かく、魅力の無い流れではありますが
その昔は西丹羽のサケマスふ化場のあたりまでは、よい石が入った瀬が続いていたそうですが
今は昔の鮎釣り物語。

この両河川にはカッパがいます。
それもネオプレーンの上下をぴっちりと着込んだ奴が。
そして手にはやすを持っています。
そーです。
桜鱒のモグリです。
話を聞いたところ、一潜り5匹だそうです。
春の増水時にルアーを引いたら、物凄い事になりそうですが
モチロン御禁漁魚です。
よいこのみなさんはクレグレモ桜鱒は狙はないように。



北海道の鮎解禁日は7月1日ではあるが、ほとんどの河川の場合
本格的な友釣りのシーズンになるのは7月の4週目あたりからなそうです。
ここ利別川のアユは8月の第1週には、もう腹に子を持ち始めます。

8月の10日前後には朱太川のアユも子を持ち始め
オスはもうさび付いてきます。
早いね〜。
そして8月31日をもって北海道の各河川は禁漁を迎え
北のアユ釣りは短い短い夏でクライマックスとなってしまうのである。
カナシすぎるぅ〜。





2000年の北海道の鮎釣り事情は、ごく少量の内地の冷水病の持った養殖鮎を入れたばかりに
北の天然鮎に飛び火してしまい、一日頑張っても20匹ってトコでした。

はっきり言って北海道の鮎河川に内地の養殖鮎は必要ないというか、絶対入れてほしくない。
太古の昔から連綿と続いている、最北の天然鮎だけでいい。
と思うのは私だけでしょうかね、にゃにゃぷす。。

2000/8/15