「釣り人」2004年10月号掲載分



開店前のひとときであった、今日の仕込みも一段落して
マグロ釣り仲間コーキの奥さん、ゆきちゃんから借りた
KILLBILLのDVDを見ながら、遅い昼飯をムスムスと食っている時だった。
テレビの画面の中では、ヒロインと強面のおっさん達との
切り合いが始まり、カッキーンなんて緊張が走るカッコイイ場面だった。
その時、店の古ぼけた親子電話の子機が、ルルルルと何時ものように気の抜けた音を発した。
それは、以前にオラのホームページを見て「熊ときのこ」のページを
エッセイ集に使わせてくださいと、お願いされたT社のAさんからの電話だった。

で、その話の内容は「今度の土日をはさんだ三日間、尺やまめと尺鮎釣りで
菊池さんの取材協力していただきたいのですが」という内容だった。
オラは「その三日間の間に、ダイワ鮎マスターズの大会と地元釣具店主催の
雫石川鮎釣り大会のふたつにエントリーしてあるし、ヤマメに関しては
夏やまめ一里一匹って言う格言があるくらいで、ほとんど無理っぽいし
北東北で尺鮎って言われも、それを釣るにはお盆過ぎなきゃ
鮎の固体がでかくならいっていうか、オラは28センチまでしか
釣った事無いし、ご希望にはそえないな〜」みたいなこと言ったのだが
なんだか知らないが話の成り行きで、取材は敢行となってしまった。
それは、目立ちたがりやのオラとしては、全国誌に記事として載るのも
ケッコウ悪くは無い話だと思ったからだ。
それに何事も楽観的に考える、お気楽Manだから。
ウチのかみさんには事あるごとに呆れ半分で「アンタは長生きするよ」って
何時も言われてしまっているから。
そんなオラは今回の取材は「みちのく釣り紀行」みたいな取材になってしまうだろうと
たかをくくって「ど〜にかなるでしょう」と、安うけ合いしてしまったのだった。



その話があって四日後、正確な日程を知らせてきた。
それは大会に影響の無い日程が、これポッチも配慮されてない
オラにとって精神的にも体力的にも容赦の無い強行取材ではあった。
「こりゃあ、今年の鮎釣り大会は捨てなきゃなんないのかなぁ」などと考えながら
とりあえず尺やまめと尺鮎の釣れる場所のリサーチを開始したが
ほとんどの知り合いからは「こんな鮎釣りが面白い時期にやまめ?
それもクソも釣れねえ夏やまめだとぉ!」と鼻にも引っ掛けてくれず

「ましてや尺鮎なんてアンタ、どこに居るってゆ〜の?」って
ケンモホロロノ鼻くそ丸めてマンキンタン。
そ〜だ、盛岡で一番釣り場情報を持っている
釣り道具屋I店のMクンに教えを、請うむりに出かけて行った。
Mクンいわく「尺やまめなら松川で、つい最近までバンバン出ていた」という
にわかには信じられない情報をもらったが、やっぱり尺鮎に関しては100%無理
と言うことだった。
でも今現在で、25センチは釣れる桧木内川のポイントを教えてもらったので、
尺鮎は無理にしても取材日までには26、7センチくらいには
なるだろうと、またまたオラは得意の楽観、希望的観測を持った。
勝手知ったる桧木内川は良いとしても、シバラク顔を出してない
松川にだけはリサーチしに行って見ることにした。

久しぶりに来た松川は、やや増水で薄濁りが入っていた。
川底をひっくり返して、ガサガサと川虫取りをしたが
あっという間の15分くらいでエサ入れが満タンになった。
これだから、魚の固体が大きくなるんだなとつくづく感心した。
さて、1投目からオラの得意な緑色の手作りのウキにツツツ〜ンと軽快な当たりが来て
20センチくらいのヤマメがイージーに釣れた。
これならみっちりと一日やったら、尺も出そうな気がしないでもないと思った。
が、ここで尺やまめを釣ったら、取材当日に釣れる分が無くなると思い
この一匹でカンベンしてやるとばかりに、パタパタと竿を畳んで松川を後にした。

そんなオラは帰りの車中で、この確かな手ごたえにニンマリとし
これらの情報でどちらもうまく行った暁には
I店のMクンにはたっぷりとお礼参りしなきゃなんないなと
捕らぬ狸の皮算用とばかりオラはいつも通りの楽観、調子よく考えてしまった。
ここで切り替えの早くも無いオラは、その来る日までこの件はスパッと忘れるようにして
大会用の雫石川の攻略を煮詰めることにしたのであったが、、、、。

そんなダイワ鮎マスターズの結果は、入る場所は間違い無かったのだが
なにせ御年が50歳になってしまったオラは、その日の為に目の付けていた
ポイントに一目散に走っても走っても、クジ運の悪い後から来た若者達に
次々と抜かれて行く無様さに、アスリート的鮎釣り大会は
今年限りで出場するのやめようかなと、切に思い知らされたのだった。
そんな大水後の白川冷水の中、なんとか4匹釣った時点で
無念の終了のホイッスルがブッ〜〜〜と鳴った。
今年の鮎釣りも終わってしまったという感がした。
KILLBILLのDVDを見た後でもあったので「武士はイサギ良さが肝要」
とばかりに、検量もせずに最後っ屁を撒き散らかしながら大会会場を後にした。
これが後から嫌な思いを知る事になったのではあったのだった。

クソも面白くなかった大会の晩、T社のAクンから「明日の打ち合わせ」
と言う電話が来て「明日何時に出発します?」と聞いてきた。
「そ〜だな、9時ごろってのは、ど〜よ」って言ったら「9時ですか!?」
と聞き返して来た。
「そう9時。早い?」って言ったら「遅いくらいですが、遅い方が私は楽で
イイです」と言って電話が切れた。

次の日ホテルにA君を迎えに行った。
松川に行きすがら「武士の遊び事は朝9時をもって良しとする」なんて
訳のわかんないこと言って、煙に巻いてやったが
そんな松川の尺やまめにオラが煙をまかられるとは
目糞べっこも思ってもみなかったのであった。

「ところで菊池さん、マスターズの釣果はマイナス2匹だったんですよね」と聞いて来た。
「んにゃ、4匹釣ったよ」と言ったら「取材に言った当社のCからの報告では
マイナス2匹って報告もらいましたよ」と言った。
「あぁ、あれはね、オラの周りではオラ以上に鮎を上げられていたような気がしたのでので
4匹じゃ無理だと思って、検量をパスしてトットとケツまくって帰ったからだよ」と言った。
「チョッと待ってくださいよ菊池さん、オトリ鮎込みの合計6匹って決勝進出ボーダーライン
だったような気がしたなあ」と言いながら、携帯を取り出し確認しようとした。
そんなゲロッパな話聞いたとたん、脳味噌の血液がすぅ〜と引けた状態に
陥ってしまったオラは、うろたえながら「ちょっと待ったぁ、今確認してもしそーだったら
これからのヤマメ釣りにリキが入いんなくなっちゃうので止めてくれない?」と
今にも消え入りそうな声でA君に言った。
松川に着くまでのあいだ「ボーダーラインは6匹」ってフレーズが
頭の中でぐるぐるとヘビーリピートされていた。

着いた松川は3日前のやる気のでる状態には程遠く、チャラチャラのトーメイ。
思いっきりヤマメの釣れそうな感じはしなかった。
っていうか、もはや釣る気が失せていたオラだった。
でも、せっかく松川まで来たのだからI店のMクンから聞いた
尺やまめポイントを一通り流してはみたが、ウンともスンとも言わない沈黙川。
って、そりゃそーだ。
こんなにドピーカンで渇水じゃあなァ。
次のポイントに移動がてら「夏やまめは一里一匹、ましてや尺やまめは無理だから
明日の鮎釣り大会の後に行く桧木内川の大鮎に期待しましょうよ」と
Aくんに言ったら「鮎は来年の発刊分に回すので
ど〜にか尺やまめでお願いしますよォ」と無理難題を言いやがった。
「無理なもんはむりだよな〜」とオラは独り言のように言い返した。
次のポイントでは、あまりの猛暑のためか地元のワラシャンドが
川の脇に積んであるテトラポットの上からバッチャンボッチャンと
飛び込んでは、歓声を上げながら泳いで遊んでいた。
そんな光景にオラはやる気を無くして、潔く松川を諦めることにしてやった。

最後の神頼み的川、ダム下に賭けることにして高速を南下した。
その道すがらAクンは言った「菊池さんの釣り方って、今まで取材してきた
釣り人と違いポイントの見切り方、流し方そして仕掛けが独特で
これは記事になりますね」と言ったので、オラは
「じゃあこれで記事をまとめればイイじゃん」と心の中で言いかえした。
着いたダム下は松川とは正反対に増水濁り冷水でヤマメにはイイなと思い
期待しながら釣り始めたが、期待とは裏腹にウンともスンともいわない貧乏河川。
集中力のパラメーターもウンともスンとも言わないエンプティー。
武士はここで「季節が合わない」などと言ってイサギヨクやまめ釣りは止めにした。
A君とは夜にオラの店で明日の打ち合わせをすることにしてホテルまで送った。

一休みしてから店に来たAくん、アルコールが回った消え入りそうな声で言った。
「いつもの取材は日帰り強行取材が当たり前で、不況の今の時代
泊まりが付いた取材はほとんどもらえないんですよォ。」
「今回は泊まりを付けてもらったのは、編集部の期待が大きくて
好結果を期待しての事なので、手ぶらでは帰れないんですよォ」と力なく言った。
それを聞いた瞬間オラは、か弱いデリカシイの塊のような心臓に
グサリと鉄杭を打ち込まれたような気がした。
「そっか、尺やまめが釣れなかったら、指の一本も切り落として
落とし前を付けなきゃなんないんだな」と、カラカイ半分で言い返し
I店のMクンから保険の意味で借りてきた、今年の6月4日に釣れた
他人の34.5センチのヤマメの魚拓と、その時撮ったチェキの写真を出したが
そんなんじゃ、話にならないって顔をしワインをグビッとあおった。
「困ったな〜」と、空をさまようような目をしたAクンの顔色は土色になってしまい
力なく帰り仕度を始めた。
オラは少しアルコールの入って考えがまとまらないクルクル頭で適当に考えて
とりあえず何の脈絡も無く4時出発と宣言した。
それは当日、雫石川釣り大会の前に嫌な仕事をやっつけてしまおうという魂胆だし
オラ的には大会が終わって集中力が切れた時点で
大会名物のトン汁を食うと、やる気の起きないシェスタモードに
突入するのが分かり切った事だからである。
会計を終えて、太いが寂しく貧相になったA君の後姿を見送った。
店のドアーが閉まりカランコロンとカウベルが鳴り響いた。
それはプロジェクトXの始まりの音でもであった。

最後の粘っていた客が、ようやく帰った頃「ここで、尺やまめをキッチリと
釣り上げて見せたら、キット漢が上がるぜ」と、ナンの脈絡も無く急に思い立ち
A君に「朝3時に迎えに行く」と勇ましく携帯し、朝一番勝負に出る事にした。

オラ的には、ヤマメだろうが、桜鱒だろうが、9時からが釣り時と思っていたが
やっぱり、他人から聞き及んだ実釣における統計的な話では
朝まずメと夕まずめが、一番大物が釣れる確率が高いと聞かされており
つねづねそ〜かなとも感じていたからである。
たかがヤマメごときで3時起きってのはオラ的には許せないのだが
漢が立つか立たないかのインポ勝負なので、背に腹は変えられず
とりあえず3時の超早立ち早漏勝負に打って出る事にした。

チョッと寝過ごして3時半になってしまったが、携帯でA君をホテルから呼び出した。
そんなA君はホテルの玄関から出てきて、あさっての方向に歩いて行ってので
車のクラクションをビビビィィっと派手に鳴らし、呼び返した。
大ヤマメ勝負を掛ける竜川に行きすがら、車中の中はアキラメの空気が充満していたが
オラ的には、なんだか知らんけどヤケに高揚した気分が、心の片隅で支配してもいた。

その川に付いて、いざ川虫を取ろうとして石をひっくり返してみたが
大水が出た後なのかクロマダラカゲロウさえ、タモの中に入ないんでやんの。
でも、ミミズはI店のM君から買っていたので、大物はミミズに弱いなんて
勝手に思い込むことにし、川虫はキッパリと諦めミミズで勝負を掛ける事にした。

めざすポイントで仕掛け巻きから、コロコロと糸を解いていったら
アリャマ、竿の尻より1メートル短いでやんの。
しまった、昨日の酔っ払った勢いで作った仕掛けが短かった。
ピーヨラッタン、トッピンパラリのプゥ〜ウで、後の祭り。
仕方ないから、このままで勝負に打って出る事にした。
そんな一投目から、ウキにクククッという軽快な当たり。
期待に胸とチムポが膨らんだ。



二投目、水面でボッキしたウキがツンとばかりに沈んだその刹那
オラの黄金の右腕がバッシとばかりに反応し、合わせをくれた。
上がってきたヤマメは25センチくらいのスリムなヤマメだった。
が、だんだん良くなる法華の太鼓と思い込み、次は大ヤマメだぁ〜とばかりに
三投目、振り込んだウキがピンと急激に止まった。
これはでかいヤマメだと、直感したオラはスイープ&ステディーに
グゥーっと合わせをくれてやったら、ドギュンという派手な当たりが
手のひらまで伝わってきた。
これはヤバイと思ったオラは、下流にビューッと遁走するデカヤマメに付いて
川原をガラガラと全力疾走で駈けヤマメより下手に回り走った。
なんたって、手尻が無いっていうか、手尻がマイナスなもんで
ラインが切られる確率が異常に高いのが分かり切っていたのだからだ。
脇の下から冷汗を流しながら、岸沿いにデカヤマメを誘導し応戦した。
そして川から上がってきたヤマメは、でかいと言うよりは
太いと言った方がピッタシの推定尺やまめだった。




やったぁ〜とB君を探して見たら、はるか遠くの方で重そうなカメラバッグを担いで
こちらの方へとオッチラオッチラと、だるそうに歩いて来る所であった。
「お〜ぃ、釣れたぞぃ〜」と大声で叫んだら、いきなりその足取りが軽やかになり
ニコニコしながら小走りでやって来た。

肩から下げたゴアテックス製の自然に冷えるクリールの中を見せた。
もちろんその中には25センチと尺やまめが入っている訳で
それを見るなりA君「これで堂々と編集室に帰れる」と破顔で笑った。
その後は、ヤマメの写真撮影会が始まり、巻尺を取り出し正確に寸取りした結果
30センチジャストの一応尺やまめだった。
取り込む瞬間を撮り逃したA君のご指導で、取り込みの再現とかの
ヤラセ撮影も済まして、無事に夏の尺やまめ釣りの取材を終えた。



その後は7時から始まる雫石鮎釣り大会には、まだ余裕があったので
違う場所を攻めてみた。
しかし大きいのは釣れず、15センチくらいのヤマメの入れ掛かりに合い、面白くないので
「今日の尺やまめ釣りはこの辺でカンベンしてやる」とばかりに、武士は止めといてやった。

その足で鮎釣り大会会場に行ったら、首から下げている餌箱を指差して
「をいをい、今日は鮎釣り大会でヤマメのエサ釣り大会じゃねえぞ」と
役員からかわれてしまったが、エッヘンとばかりに現物を見せたら
みんな押し黙ってしまった。
「今日はこれでミンナ運を使い果たしてしまったようだから
大会優勝は無いな」と、いつも減らず口を叩くT店のO氏に言われてしまった。
じっさいの話、大会中に鮎は入れ掛りりにならずに14位の体たらくで終わった。
でも、オラの後ろで取材がてら一部始終を観戦していたA君。
オラの乱暴な友鮎の扱いにビックリしていたが、友鮎の元気良さに変に感心したようで
「友鮎の扱いも凄いですけど、その背バリ、モノ凄い威力ですね」と、妙に感心していた。
そして続けて言った「いろんな鮎釣り取材をしてきたが
これほど威力のある背バリは見たこと無い」と言って
遊動鼻環背バリ一式購入希望と相成り「毎度ありぃ〜」で
川原でオラは商売をしてしまった。

大会の表彰式も終わって、毎年恒例のボリボリがいっぱい入った豚汁を
汗をかきながらフーフーと食べながらA君は「今日の大会の画像を使って来年度分の
みちのくの鮎釣り取材としますので、桧木内川の鮎釣り取材は
無しという事にしましょうよ」と言った。
オラは大会名物の豚汁を3杯も、目いっぱい食ったので腹いっぱい。
もはや戦闘能力はゼロだったので、渡りに船で「そーしましょう」と言った。

駅まで見送る道すがらA君は「ウキを使って、おもりを噛ませないヤマメ釣りは
見た事無いし、アロハ着て麦藁帽子の鮎釣りも見た事無い」って、半分笑いながら言った。
オラはなんだか誉められたような、落とされたような妙な気分になっちまったのだ。

そんなAくんを送る途中、「もう良いですよねェ」と言いながら
例のマスターズの決勝ボーダーラインの確認を携帯していた。
その話では7匹合計がボーダーラインだったそ〜だ。
じゃぁ、あの時の根掛かり放流が無かったら決勝に残れたのかな〜と
良くある釣りに付きものの「タラレバ話」で考えてしまった。
まあいいや、オラの周りで釣れていたって事は、やっぱ場所的選択
は間違い無かったのだから。
と、プラス思考で思う事にして、鮎釣り大会の事は忘れることにした。

駅にA君を見送って、ふうぅヤレヤレと思ったその時
「そうだ、超究極のヤマメ釣り」っていう、ページを作ろうかなと急に思い立ったのだった。




オラのヤマメ釣りはドライフライによるフライフィッシングが事の始まりである。
この釣りでは、水面上の流れてくる餌を、ヤマメたちはかなり高い
パーセンテージで意識しているのだな〜と、学習した。
次がニンフによるフライフィッシングだ。
ドライフライばかりやってると、その魔力に取りつかれ
水中での毛ばり釣りに自信が無くなってくるものだが
今から23年前にあった盛岡初のフライフィッシングプロショップで
一時流行したインジケーターを使ったニンフフィッシングが思い出される。
これでは、インジケーターが水面下の釣りをイージーにしてくれる事を学んだ。
これを発展させて、リーダーをウキに見立ててもっとイージーに
ニンフフィッシングをする事も、覚えた。
そうこうしている内に、365日毎日川に行ってはフライロッドを振るものだから
7,8年でこの釣りに飽きが来てしまったのであった。



そんな時、衝撃的やまめの餌釣りの教習本がフィッシング社から
別冊という形で発売になった。
それが釣聖、伊藤稔名人が表した「究極のやまめ釣り」である。
これでは、ヤマメの釣れるポイントの解説に目を丸くした。
いわゆるICパターンとYパターンのヤマメの就餌点の解説である。
ドライフライをやってきて、なんとなく分かっているつもりの事を
理論付けて解説したのには舌を巻いた。
生来ずうずうしいオラは伊藤稔宅にズケズケと押しかけて
じっさいに釣る所を見さしてもらって、頭の中で理解していた事を
しっかりと確認したのであった。

その次に出会ったヤマメ釣りは自称職漁師、ヒカリ釣りの梅さんのウキ釣りであった。
この梅さんのヒカリ釣りの単位は、魚篭一つ二つの世界じゃなく
肥料袋一つ二つの世界で、その理論と技術力には尊敬に値しないが
覚えていて損は無い物だと思って勉強した。
そんな梅さんは、盛岡流し毛ばりを使わせても名人で
フライフィッシングをかじっていたオラは
梅さんに流し毛ばりの針を巻いてあげたりして
自分自身もこの毛ばり釣りに少しずつ傾倒していったのだった。
この毛ばりのシステムはこうだ。
ウキ下は水生昆虫のニンフ時代からイマージャー
ウキから上の部分は、ダンそしてアダルトスピナーを模している。
つまり各ステージを一つの仕掛けで完璧に表現しており
先人は、よくぞここまでシステム化したなと、感心した。
そんないろんなヤマメ釣り方を堪能してきたオラであった。



結局は伊藤稔氏が提案した「ナチュラルドリフトによるえさ釣り」に帰したのだが
その、釣法の極意であるオモリの使い分けに辟易というか、面倒ぐさがり屋のオラは
オモリを一々変えるのが面倒くさくて徐々に興味は薄れていった。
そんなナチュラルドリフト釣法も忘れ去った頃、島崎憲一郎氏が考案した
ダイレクトニンフなるモノに共感を覚えたのであった。
先ほども言ったが、生来ずうずうしいオラは島崎氏の経営する大宮の中華料理店に電話して
島崎氏本人を電話口に引っ張り出す事に成功し、微に入り細に入り聞き出そうとしたが
それは取り越し苦労と言うもので、電話口に出た島崎氏は30分間一人で勝手に
しゃべりまくって、一方的に電話を切られてしまったが、それは充分に過ぎるくらいに
納得のいく理論展開話ではあった。
そんなダイレクトニンフ釣法を会得したオラは、並み居るフライフィッシャーマンと
勝負をしてみたが、「負ける気がまったくしない」ほどの威力に自分自身舌を巻いてしまった。
それの極め付けは、地元TV局の番組で「春を感じる時」とか言うお題で
早春のヤマメ釣りの取材があり、主役はオラではなかったが
押さえの切り札的釣り人と言う事で、白羽の矢が立った。
主役の釣り人は気のおけない人だったので、遠慮は要らなかった。
彼の歩いた後からバンバン魚を抜いて見せたので、途中で緊急ミーティングがあり
主役交代と相成りオラがこの取材のトリを取る事になった。
もちろんビシバシと釣り上げて、完膚なきまでに川の中から魚を抜き上げて見せた。

あまりにも釣れ過ぎる、そんなダイレクトニンフにも飽きてしまったオラは
次に渓流のミノーイングにハマッてしまい
せこせことキャストを繰り返しては、イイカタのヤマメをビシバシ抜いたが
これまたイージーな釣りで、人間に有利すぎるリールを使う道具立ての釣りは
オラが思ってたとおり、単純すぎて面白みに欠け、すぐに飽きてしまいトットと止めた。

ブラックバス釣りではNBC岩手チャプターを、全戦全勝までは行かないまでも
手堅く戦い抜いてシリーズチャンピョンをパーフェクトにもぎ取ったオラは
このバス釣りから学んだノーシンカーの釣りのテイストも
(パラレルにフォールして行くベイトには、プレデターはナチュラルにバイトして来る事)
組み入れたヤマメの餌釣りの新展開を編み出したのであった。
そんなイロンなヤマメ釣りをして来た集大成として
いろいろな釣りの良いとこ取りして独自に編み出したのが
円錐ウキを使ってのオモリを使わない餌釣りである。

さて、その道具だが、柔らかい渓流竿が要る。
っても、ハエ竿のようなものでは、盛岡流し毛ばりじゃないんだからチト困る。
なんたって、オモリ無しの仕掛けだからパラボリックに曲がる竿で
柔らかく投餌したいが為であるが、これといった決め手になる竿は未だに無い。
が、しいて使っているのが、がまかつyの旭仙峰である。
これの3,4番あたり節の瞬発力のあるっていうか、復元力強い竿が理想なのだが、、、。
それに0.3号フロロカーボンライン直結で針までの長さはチョンチョンである。
それに万能袖の7〜5号をセットして水深と同じくらいの所に自家製円錐ウキをセットして
完了という、まことにもってアッケラカンと簡単な道具立てである。

振込みの基本は回し振り込みであるが、回し始めから前半は竿全体の
パワーを使いエサの軌道を修正しながら振り回すのだが
後半の竿の軌跡加減は3.4番あたりの節に
仕事をさせるように餌を振回すのだ。
そのエサとウキが水面に落ちる瞬間は、流れに対して
餌とウキが同じ地点に落ちるように、タックキャストを駆使するのだ。
又は、カーブキャストのアンダースローの感じでも良い。
一番わかりやすく言うと、ヘラブナ釣りの醍醐味のひとつにカッツケ釣りって言うのがあるでしょ。
このカッツケ釣りで一番重要なのがウキ下直下にエサを振り落とす事なのだ。
このカッツケの速攻の釣りの極意、ウキ直下のエサ落としとまったく同じ感覚だってことだ。
流れに馴染んだ仕掛けは、水面上でウキは静かに立つはずだ。
その為の円錐ウキで、エサが水に馴染んでナチュラルドリフトしている時は
エサの引き込む抵抗で円錐ウキは足を下にして流れていく。
反対にエサが水に馴染まないで、ドラッグが掛ったまま流されていると
ウキ足が引っ張られてしまい、ウキがせわしなく動き横になって流されて行く。
だからマルウキは遠目では、水に馴染んでいるかいないか
そのカタチゆえに分からないし何がナンだかイメージわかないので使わないのである。
そんなエサ仕掛けが水に馴染まない場合は、円錐ウキがおネンネしてる。
これをド〜にか修正するときはウキをメンディングして
強引にエサを馴染ませるのだ。
あっそうそう、この振込みで一番大事なのが波の読みである。
イワユル女波にグチョっといやらしく、餌を挿入するのだ。
くわえ込む波なので、睾丸じゃなかったオモリは要らないのだ。
そのオモリだが、これがまったく使わないのではなく
波の速さと水深などを考慮して、ガンダマ1号くらいの物は
使うときもあるので、必ず用意されたし。
そんなウキに当たりがあれば、止まるか引き込まれるはずだ。
でもこれの場合は、小物に多い当たり方で、大物の場合はウキがビューっとばかりに
走るか、まったくウキに当たりは出ずにそのままナチュラルドリフトして行くはずだ。


ビギナーに浮き釣りを教えるときには、視認性が高い赤色の方が良い。

この釣りで良い点は、風に強いってことだ。
振り込んだウキは水面の張力によって水面に張り付いているので
どんな風が吹こうが微動だにしないから楽な釣りができるのだ。
と言う事はだ、川面に覆い被さってる柳の木の下。
ここに定位している、やる気満々のデカヤマメ君にウキ無しでは投餌は難しいが
こんな小難しいポイントに居るヤマメでも、ウキ釣りの場合は
そのポイントの上流から流し込めるので、いとも簡単に攻略出来るって言うもんだ。

それと、ナチュラルドリフト釣法の場合6メーターの竿では
餌は竿尻から5メートル沖合いの地点を流れていくはずだ。
ほれ、糸と竿の角度で立ち気味の二等辺三角形の形になるからだな。
でも、これの釣り方の場合は6メーターの竿の場合10メートル先を流す事ができる。
ほれ、ウキがある為にべたーっとした二等辺三角形の形を成すからだよ。
わかるぅ?。
後はね、自分の立っている所より上流を確実に釣る事ができる。
これはミャク釣りでは出来ない芸当だ。
マア、無理すれば出来ない事はないが、かなり難しい。
いわゆるドライフライでよく使うアップストリームキャストが楽に出来て
尚且つ自然に流せるって言う点が、このウキ釣りでは大事なウリで
誰でも簡単に出来ちゃうんだなコレガ。
何が大事かって?。
ヤマメに自分の気配が伝わらない位置が、ヤマメの定位している所より
真後ろが一番人間の気配が殺せるからだ。
だからヒネタやまめには恐ろしく良く効く。

ここで何故オモリを付けないでフカセ釣りみたいにして釣るのか
と、これを読んでいる貴方は思っている事でしょう。
それは、海から上ってくる桜鱒のミノーイングしても
夜の帝王スズキのミノーイングにしろ
海の頂上マグロのミノーイングでも、いずれも水面下勝負の釣りだ。
つまり活性の高い魚を狙って釣り歩くRan&Ganフィッシングだからだ。
このノーシンカーのウキ釣りも、活性の高いヤマメを釣り歩く釣法なのだ。
だからハッキリ言って、底でじぃっとしているヤマメは相手にしない。
っていうか、相手にしてもらえない。
料理人的見地から言えば、底にへばり付いている春先のまずいヤマメよりは
雪どけ水が終わってから、水生昆虫たちが活発に羽化したり
陸生昆虫が岸からポロンと転げ落ちてきたり
樹からポチョンと芋虫などが落っこちてきたりして
それをタラフク食べている、ベストコンデションな豊満山女魚だけを
選んで狙うからでもある。
つまり、美食的釣りでもあるな、これは。
ま,実際にそ〜だからしょうがない。

そんな春先は低水温の中でも異常に活性が高くて、コンデションも良い桜鱒の幼魚ヒカリを狙う。
なんたって、春の水っぽくて美味くないヤマメなどと比べ様もないほど美味いから、そっち専門に狙う。
が、そんな美味いヒカリも、近年なぜかあまり釣れなくなったな〜。
最近の素人筋の釣り人は、木っ端ヤマメをもってしてヒカリだと自慢してるが
笑止千万!
ヒカリも木っ端ヤマメの区別も出来んようじゃな。
一から出直して来いってもんだ。
そんなウキ釣りは美味いヒカリを釣る道具立ての一つでもあるのだ。

オラ的山女魚ウキ釣超技方法は、美味い鱒を釣る手建てでもあるのだ。







「釣り人」2005年12月号掲載分



北東北の遅い鮎の放流が終わる頃、6月の始めのインディアンサマーデイ。
雫石川にヤマメ釣りに行こうと急に思い立ったが
家で飼っている銀ちゃんのお散歩と言うか
狩猟芸向上の特訓があり、朝一で川に跳んで行けない事情があった。
それならばと、銀ちゃんを連れての釣りも、たまには良いかなと思い
家来を引きつれての、桃太郎釣りと相成った。
それに今から行く雫石川は見晴らしのきく渓相なので
銀ちゃんの挙動も逐一把握できるしね。
何たって藪からのボサ川じゃないので
山ダニが犬の体に引っ付かないので衛生的だしね。
と言う事で向かうは去年釣り人社の取材で、一発勝負の尺やまめを出し
気分の良い思いをしたポイントにとりあえず向かう事にした。

その前に何の道具立てで川を攻めるか、決めなければならなかった。
エサ釣りは銀ちゃんのスピードに付いて行くにはテンポが鈍いからこれはパス。
フライフィッシングでドライフィッシングはどうかなと考えたが
これもエサ釣り同様かそれ以上に集中力が入るので
銀ちゃんに指示を与えながら釣り上がるには
チョト無理があるってもんだからこれもパス。
どちらの釣りでも犬に構わないで、釣りに集中してしまうと
犬自体も主人の指示が無いものだから自分勝手に行動してしまい
来る狩猟解禁日に、犬はご主人の事なんかほったらかしにして勝手に山を狩ってしまう
いわゆるセルフハンティングと呼ばれる悪癖が付いてしまうので
常日頃からあらゆるレンジでの犬を呼び戻す訓練を密に行わなければならないのだ。
そうなるとケッコウ気を抜いて釣ることができるルアーしかないなと、結論は出た
それに雫石川の渓相は障害物があまり無いフラットな流れなので
キャストを正確に行えば、後はよそ見しながらでもリーリングが出来るからなと思った。
でも、いざと言う時のためにエサ釣りの道具と
フライフィッシングのタックルは車に積むことにした。
オッと忘れちゃ行けない銀ちゃんを積み忘れるところだった。

岩手山を源流とする葛根田川と秋田駒ケ岳を源流とする竜川が合流して
雫石川と言う名の川になるのだが、その合流点に行くのには
俺の家から45分で行けるお手軽なポイントだ。
一発目は竜川を攻める事にして銀ちゃんを車から降ろして
車の側で「座れ」の後「待て」の号令を掛けて待機させる。
もちろんノーリードでだ。
これも立派な訓練の一つで持久と我慢を植え付けるのだ。

さてとルアー釣りの準備をしようと思った時「やっぱりここはエサ釣りで川の様子を見てみよう」
とスケベ心がムラムラと湧いてきた。
こんな事は俺には良くある事で、場所選びにしてもその日の朝に決めていたはずの場所が
車の運転中に急に思い立つ所があって、別の場所に替えてしまうって事もまま有る。
この勘に頼った場所選びは失敗する時もあるが、八割方はうまく行く場合が多いので
自分の感を信用するって事が漁とか猟にはより大事な事じゃないかと常ずね思っている。
だから釣りに行く時は、ルアー、フライ、エサと3種混合で車に積んで行く事が多い。
そんなルアーとかフライなら生きエサじゃないのでどうにでもなるが
エサ釣りの場合は読んで字の如く、生きエサが必要となるからチョト厄介ではある。
だから氷を詰めたクーラーボックスの中には「ビン詰めのイクラ」は常備品である。
それと「りんたろうみみず」も必須品目だ。
俺の知り合いは車のトランクの中に黒土を入れたポリバケツと移植ヘラと
割ばしを積んでおき、農免道路の脇に積んである堆肥を移植ヘラで掘り起こし
中から出てきたミミズを割り箸で摘んで確保し、トランクに積んである
ポリバケツの中で飼っているのだ。
だから、いつなんどきでも臨戦体制なのだと威張っているツワモノがいる。
俺の車にはとランクが無いのでそこまではやってない。
「川虫があるじゃないか」と言われるかもしれないが、ヤマメの好ポイントを
目の前にしてのエサ捕りは精神的にあまり良くないし
冷たい水の中に手を突っ込むのも嫌だから、俺的には川虫は使わないのだ。

さてと、エサ釣りの用意が出来たし出発するとするかと
銀ちゃんにマテの解除「よし」の命令を掛けた。
銀ちゃんは車から離れてボサ道を川原に出ると俺のほうを向いて
「どちらに行くんだ」という顔をして俺の指示を待った。
俺流の渓流の攻め方は、なんの釣り方でも釣り上りが基本だ。
1メートルくらいの川幅しかない所でのルアー釣りと
大河のサクラマス釣りのルアー釣りに限っては釣り下りである。
目線を合わせ、左に指差しをして「左」の掛け声で銀ちゃんは川原を上って行った。
その後を付いていくように俺も川原を上って行き、目指すポイントへと急いだ。

釣り場での攻略の仕方には色々な方法論があるが、俺は一番良いポイントをいの一番に攻める。
人によっては、一番ポイントを外して回りの2級3級ポイントから攻めて行き
最後に一番ポイントを攻め、川の中を綺麗に掃除するという人がいるが
俺の性分では、それは出来ない。
とにかく一発大物勝負に出てダメならそのポイントは潔く諦める。
それが漢の釣りというものだ。

針にミミズをチョン掛けにし一投目、白泡が消えかかるY字ポイントの少し上に投餌。
うまい具合にミミズが着水し、続いて同じポイントにタラの木の髄で作ったウキがポチャンと落ちた。
そう俺のヤマメの餌釣りはウキ釣りなのである。
フライフィッシング的に言うとニンフのインジケーターと同じ考え方であるが
これにナチュラルドリフトの餌釣りを加味し、ダイレクトニンフで締めた考え方の釣りである。
とまあ偉そうな事を書いたがウキに変化は現れず、沈黙のままに流れ去っていった。
3度目の投餌で今度はイクラの餌に付け替えて流してみるがこれまた沈黙。
4度目の投餌が終わったところで、上流方面から銀ちゃんが戻って
俺の顔を見上げ指示を待ったので「おすわり」の指示を出し待機させたその時
竿を持つ手の平にクククッという魚の手応えが来た。
だが俺は合わせは繰れない。俺のあらゆる釣り方には合わせという言葉は無い。
ほとんど掛かり魚の抵抗で針掛かりさせるのが常套手段だ。
だから針先の切れには充分吟味する。
そんな俺でも唯一あわせるのはヘラ釣りの時だけだ。
で、今回のような釣れ方は「釣れた」と言う。
だから俺は面白くない。
やっぱり「釣った」がいい。
竿を上げて、ぶら下がって釣れて来たのは七寸の岩魚君だ。
ご当地の釣り師は岩魚の事を「やまどじょう」とか「びっき」とか言って相手にしない。
だからあんまり嬉しくないが、一応銀ちゃんには「釣れたぞ」と威張ってみせた。
この一等地のポイントでこんなモノしか出ないのなら、先は思いやられるなとガッカリしたが
犬の訓練のオマケと考え直し竿を振る事にした。
1時間半も釣り上り岩魚でも尺を越えれば良いかナと思ったが
来るのはハヤと木端岩魚ばかりでヤマメの来る気配は無かった。
飽きてきたので、ここ竜川を諦めて次は葛根田川を攻める事にした。
はるか遠く上流に行った銀ちゃんを、ホイッスルの一笛で呼び戻し車に戻る事にした。
車に釣り道具と銀ちゃんを積んで、合流点対岸へと向かった。

葛根田川に向かう車の中で「今度はルアー釣り」だなと、ただなんとなく頭に浮かんだ。
というか、竜川での餌釣りの調子が良くなかったからかもしれない。
着いた先の合流点の川岸はボサが生い茂っていてダニが心配だったが構わず
銀ちゃんを車から降ろし「マテ」の号令を掛け待機させたその時
ボサの向こうから「ギャワンギャワン」という雄キジの繁殖期特有の泣き声が聞こえてきた。
その泣き声を聞いた途端銀ちゃんは、肩から胸に掛けての筋肉をピクンと震わせた。
俺は間髪置かず「よし」の号令を掛けて、キジを追わせた。
ボサに突っ込んで行った銀ちゃんを見届け「上手く俺の方へ出してくれるかな」と期待した。
が、「キェケーン」という鳴き声とともに、ボサ向こうに雄キジが飛んで行くのが見えた。
その後から「ちぇっ」というような顔をした銀ちゃんが現れたので
「キジを出すには出したんだからエライッ」と誉め、体中をさすってやった。

ルアーの仕度を終えて銀ちゃんと供に合流点のポイントに川原を急いだ。
今日は先ほどの竜川の件からも分かるように岩魚の日のような気がしたので
ラインの先には必殺岩魚キラーのハスルアー7gゴールドを結んだ。
ルアーを5投目くらいしたら、30メートルに上流行った銀ちゃんが川に入り出すのが見えた。
なにやら上流から何かが流れて来たらしいのだ。
銀ちゃんはポインターと言って、鳥を見つけるのが仕事で、撃ち落した鳥を専門に回収する
レトリバー種ではないのだが、昨シーズンの鴨猟で回収して来ると俺が大変喜ぶのを見て
今は鳥を発見して追い出して、撃ち落した鳥を回収する万能犬になったのだ。
そんな銀ちゃんを見ていると、自分の体と同じくらいの大きさの枯れ枝のような物を咥えているのが見えた。
そばに行って見るとそれは、インディオの女達がマメと殻を選別する時のようなザルだったが
ザルはザルでもやけに間隔が空いたスカスカのザルで、何のために使うのか分からないザルだった。
銀ちゃんからもらったザルを手にとって見ると、シナリの良い笹くらいの太さの枝で
放射状に縄で綺麗に編んでいて、それは大きなクマデのようでもあった。
何に使うかはカイモク見当もつかない代物だったが、手に取ったそれは作り手の
気迫みたいなものが伝わるモノだったので、家に持って帰ろうと思い川原の大石の上に置いた。

さてと、ルアーでも投げるかと一投目からググッと小気味良いあたりが合って
上がってきたのが九寸の岩魚っていうか、腹にオレンジの色が入っていない
アメマス系の綺麗な雫石川特有の岩魚が釣れたのだった。
アメマス系の岩魚はあまり美味くないので、即リリース。
二投目もグググッと来て尺オーバーの岩魚。
それからは投げては掛かりのまさしく岩魚の入れ掛かり。
途中、川原を上って来ない俺を探しに銀ちゃんが来たので、釣りを一旦中止して
今度は銀ちゃんに後ろのボサを捜索するように指示を与えてまた釣りを続行。
ヤマドジョウだかビッキと馬鹿にされている岩魚だが、入れ掛かりは愉しいものだ。
でも大きくても尺1寸くらいの大きさで今ひとつだった。
銀ちゃんが戻ってきて「なんもだ」って顔をしたので、また上流へ捜索の指示を出し釣りを続行。
何匹釣ったのかなぁ、30匹は軽く超えただろうなぁ。
近頃では快釣、ヘラ釣りでも滅多に無い白昼夢ではあったな。
野べラ釣りでもそうなんだが、釣っては放すと掛かりヘラが驚いて沖に逃げ出すものだから
それにつられて、せっかく寄せたヘラも一緒になって散らばってしまう。
だから一時ヘラブナを生かしておくフラシは必携なのだが
ここの岩魚はリリースを繰り返しても、そんな事も無く釣れ続いた。
川面の上空、あまり高くないところをカルガモが三羽上流から飛んで来た。
その後を銀ちゃんが上流から跳んで来た。
「あぁやっぱり銀ちゃんが追い出してきた鴨だったんだな」と思った。
そんな岩魚釣りの好調さも鈍ってきた頃だったので釣りを止める事にした。
良い思いをした時は特に切りよく止めるのが明日の釣りに繋がると俺は思っているし
何より、その日の晩酌のアルコールが格別に美味く感じるのだ。
だから俺はヘラブナ釣りでも鮎の友釣りでも、もう少しやれば数が少し伸びると分かってても
満足できた時点でスパッと止める。
そんな俺の釣りを知っている友人のTは「女でもそうなのか」と聞いてきた事があった。
俺はカッコ付けて「あたぼうよっ」とだけ答えた。

大石の上で干していたザルを手にとって車に戻る事にした。
銀ちゃんも久しぶりにキジを追ったので満足げに俺の後ろ前を付いてきた。
家に帰って銀ちゃんと釣り道具と例のザルを下ろしていると
菊池家の知恵袋、お婆ちゃんが庭仕事からやって来たので例のザルを見せた。
お婆ちゃんは「おやまあ、めずらしいねぇ」と手に取り
「馬のクソさらいじゃないかい」と言った。
それは馬が往来を行き来していた時代、道路にクソをボタボタと落として行ったのを
このザルで一気にさらい道路を綺麗にしたそうだ。
そんな馬のクソはゴロゴロとして、火バサミでも掴めるくらいコロンとしたモノだったそうだ。
それに引き換え牛のクソはグッチャグチャとして、さらい難いのだそうだ。



岩魚がガンガン釣れたのは「馬のクソさらい」を拾ったからで
もしかしたら釣りのウンも拾うのかなと思った。
だから俺は縁起担ぎと大漁祈願のお守りとして
釣り道具小屋の入り口の軒下に釘を打ち「馬のクソさらい」を飾った。

次の週、三陸の海にメヌケ釣りに誘われ船に乗った。
仕掛けを底に落とすたびに、ドンコ、ソイ、アイナメ、オキギス、テリと
何かしらが仕掛けに付いてきて、本命のメヌケは初めての二桁を数えた。
それに凄いのは空振りで引き上げてくる途中の仕掛けに
サバまでも喰らい付いて来て驚愕の七色釣りを達成。
一緒に行った友人に「魚種の少ない三陸の船釣りで、よくもまあ多彩に魚を揃えたもんだ」と
呆れられたのだった。
やっぱり「馬のクソさらい」の効力は絶大なもので、釣りウンを片っ端からさらい捲くるのだった。



プロフ

昭和29年11月15日生まれの、まだ若造(狩猟界では)。
生業は大人の隠れ家のマスッタ。
所属クラブは「KIKI‐HOUSE ROD&GAN CLUB」主催。
店が夜営業なのをイイ事に毎日、漁か猟をしている。
ホームグランドは荒れ放題の河川「ホントに1500kg、アユ放流してんの?」という雫石川から
アユ放流300kgというクソ真面目な申告河川、藪からの簗川に移りつつある。
アユ釣りは一時、釣具メーカーMAMIYA-OPのテスター軍団に入れてもらっていたが
大会に出るも鳴かず飛ばずで、メーカーが潰れると同時に自然消滅。
ヤマメ釣ではフライフィッシングで県内隈なく歩いたので、語らせたらチョトうるさい。
ヘラブナは暇つぶし程度にダム湖で野ベラに遊ばれている。
ワカサギ釣りは近くのダム湖で遊んでいるが
狩猟にはまり始めてからは、足が遠のきつつある。
サクラマス釣りには一過言ありすぎで、そのミノ−作りにおいては
ただ古いだけかもしれんが、岩手県では第一人者を自負しまくってる。
それは1987年からミノーを販売していて、全国的に好釣を得ている。
が、その生産数の少なさ(怠け)から幻化しているが、悲しいかなプレミアは付いてはいない。
ブラックバスはNBC岩手チャプターの2000年シリーズチャンピョンも獲っている。
八郎湖周辺には1990年の聡明期よりカヌーを担いで通っていた、バリバリのブラックバス擁護派である。
海はスズキのルアー釣りにおいてもかなりうるさく、体験から割り出したミノーを作り続けていて
水面下をスローに泳ぐというコンセプトミノ-に「時代がようやく追いついて来た」とは
スズキ百釣り男「真ちゃん」の評価。
一応俺の釣りのキャッチフレーズは「ワカサギからマグロまで」という事で
日本海でクロマグロに挑戦中だが、いつ釣れるかは分からないままに
船酔いと戦い、懲りもせずに島に通っているところ。
青物のジギングでは津軽海峡まで足を運んで、店のメニューにしていると自慢するが
「買った方が安い」とはカミサンの評。
この頃は釣れて来る魚の美味さにやられ、八ちゃんに誘われるままに三陸の赤魚釣りに精を出している最中。
と言う事で、「美味いから獲る」っていうのが俺の釣りのポリシーなのだ。
そんな「にゃにゃぷす」という、うんちく話のホームページ展開中。
http://www.geocities.jp/kiki48h
非常に見難いページをモットーに、マジに見たい人だけ見るように作っているので
暇な時にでも寄って見てね。

にゃにゃぷす。