「お前のホームページは、いつどこが更新してるのか分からない」って
常ずねロムっている連中に文句を言われ続けている。

まぁ、俺としちゃあ「見たいヤツだけ見ればイイジャン」っていう
スタンスでいたのだけれども、この頃とみに言われるし。

それと、去年の夏に始めたブログなんだけど
まったく何事にも飽きやすいオイラは
自分でも思ったとおり次の年、鮎釣りシーズンが来る前に
ブログを閉じちゃったワケ。
これがまた、各方面から「このうえなく、いいかげんで力の抜けた
ブログを楽しみにしてたのに」って言われたので
その内に再開しようかなと思ってはいた。

で今回また、ダルビッシュも使ってるアメーバブログで
再開しようかと思ったのだけれども
どうもアレは煽りがキツくてねぇ。
来客人数が棒グラフになって掲示されたり
カテゴリー別の順位、総合順位なんか付けられたりして
だんだんと「書かなきゃなんないゾ」っていう強迫観念に襲われるし。

今度始める時は、オイラなりのゆったりと牛歩の歩みで
ツラツラと書き込むブログ的そして
ホームページの更新ページとして、書き込んでいこうかなと思い立ち
「小にゃにゃぷす」っていうページを起こしてみたって言うわけだ。

この小にゃにゃぷす、一定期間過ぎた与太話はホームページに移行の予定。

だから、みなみなさま過度の更新を期待せずに気長にヨロヨロしくね。

                                         2010・9・15








のまちゃん、さようなら。

ヤマドリ猟も終わり、鴨猟にと移った2月のはじめ
散々攻めまくった岩手山麓に、鴨の姿が見えなくなったので
大きく迂回して北上川に出猟してみた。
で、首尾よく今シーズンお初のタカブーをサクッと頂き。

その帰り道、リンゴ農家のゴンちゃまの家に寄った。
それはゴンちゃまブログの中で、ワカサギ釣りの時使う
氷上に穴を開けるためのボッシュ充電式インパクトドリル
これを、たいそう自慢をしていたからである。
だから、どれほどモノか確かめたくて寄って見たのである。

着くなりゴンちゃまから、ワカサギ釣りの熱い思いを語られ
それを聞いていたオイラまでもが、ワカサギを釣った気分になった。

その気分のままに「2月の15日で狩猟が終了するから
その日以降にワカサギ釣り誘っておくれよ」と、勢いで頼んだ。
もちろんゴンちゃまは二つ返事でOKのサイン。
帰りに美味しいリンゴを貰って家路についた。

迎えた2月の15日をもって、鴨猟も良い感じで終わり
今シーズンの猟も無事に終えた。

さっそくオイラは、ボート小屋の奥のほうに仕舞ってある
ワカサギの釣り道具が入った箱を探し、引っ張り出した。

箱の蓋を開けると20ウン年前のまま錆びることなく
そっくりとしていた。
これを小さめのクーラーボックスに移し替え
岩洞湖のワカサギ釣りの準備は整った。

と、間も無くして、ゴンちゃまから岩洞湖へのお誘い。
午前5時半に小石川に集合とのこと。

で、電話を切ったわけだが、遊魚券とワカサギのえさウジムシはどうすっぺかと
ゴンちゃまに電話を掛けなおすと
「岩洞湖の周りの、どこの店も4時には開いてるよ」ですと。
へ〜、いまどきの岩洞湖は千客万来なのだなぁと思った。

朝4時に目覚まし時計をセットして寝て間も無く
「起きろー」のベルで目を覚ます。
喰うものを食って、出すものを出して
たっぷりと厚着をしてから更に、ダウンスーツを着込み寒さ対策は万全。

車に乗り込み出発するも、窓の霜がなかなか融けません。
かなり冷え込んだ朝って言うか夜だし。
多分マイナス10度は超えているはず。
なんたって本州で一番。最低気温を観測する極寒の地へ向かっているのだから。

真っ暗闇の岩洞湖手前、なにやらチカチカのネオンが
「オイデ、おいで」とオイラを誘ってます。

誘われるように店の中に入って遊魚券とウジムシを調達。

お会計のママは、ヒナにもマレなる美人で可愛いくて若い。
そのお店の若ママの手をギュッと握り
じゃなく、お釣りを握り締め小石川に向かいます。

小石川では、ゴンちゃまとその仲間達のお出むかへ。
さっそく、ちっちゃなクーラーボックスを肩に掛け出発準備完了。

それに引き換えゴンちゃまと、その仲間達。
大きなプラスティック製の赤いソリの上に
これでもかと言わんばかりに、山のように道具を積み込みます。
たいそうな大所帯です。

そんなソリを引っ張りながら岩洞湖のど真ん中
山立てをして、だいたいの場所を決めます。
って、俺じゃないけど。

そしてゴンちゃまがオモムロに取り出したのが
ボッシュの37ボルト充電式インパクトドリル。
その先に付いているのが、直径20センチの穴を掘るドリルの刃。
これを氷面に当てて、スイッチオンであっという間の3秒。
その氷の厚さは50センチ。
いとも簡単に穴が開きました。

俺っちが、ワカサギ釣りをしていた頃は
手動ドリルでエンヤこらドッコイのヤレヤレで
5分以上掛かって穴を開けてたモンだったがね。
隔世の感があります。

それからが凄い。
なんと、魚群探知機を取り出して、その穴に突っ込みます。
「あ〜、ワカサギの魚影が薄いです」だと。
ぶったまげます。
こんな世界に誰がした。
って感じです。

そうやって37ボルトのボッシュでギュイーンと穴を開けては
魚群探知機を入れるの繰り返しで
あっという間に、ワカサギの魚影が濃い場所を突き止めます。

それからが、コレマタ凄い事になる。

ガス圧で自立するテントを出し、あっという間に設営完了。
このテントに潜り込むのじゃなく、大きいテントなので立ったままスルりと入る。
その中で、ガスストーブを炊く。
まぁ、ナント暖かくて快適な事、この上ない。
厚着をしてきたんだが、あまりにも着込んでるから暑いくらいだ。


オイラの頃はガッチリと防寒対策して
吹きさっらしの岩洞湖の上、素のまま凍える体と手で氷上釣り。
帰る頃には、骨の髄まで冷え切ってしまい震えが止まりません。
さらに、帰りの車のドアーを開けようとしても
手の指先が、凍傷一歩手前でまったく感覚がありません。
なのでポケットから鍵を取り出すのが、ようやっとで
その鍵を両手で、はさんで持って車のドアーの鍵穴に差し込むのがたいへん。
そして、その鍵を回すのがこれまた一苦労のテンボウです。


30年前のオイラ、自慢の髭が凍ちゃってます。

そして家路に付くのだが、車の暖房が効き始めると
釣りをしながら飲んだ、寒さ対策のウイスキーが急に回り始める。
だんだんと意識も飛んで、脳みそも解け始めます。
そして吹きさらしの極寒の地で骨の髄まで凍ってしまった体が
徐々にユルユルと解け始めてくるのだ。

家に付くころには、寒さで緊張し続けた筋肉が解れてドッと疲れが出てくる。
そして、モウロウとした意識の中で強烈な眠気が襲ってくるのが
当時の岩洞湖でのワカサギ釣りだった。


という訳で現代のワカサギ釣りはテント中。
その中でストーブの上にヤカンを載せてコーヒーを沸かしたり
カップラーメンを作ったり、スルメを焼いたりするわけ。
隣のテントでは、鍋焼きウドンを作ったりしてるわけ。
って、遠足かっ。

もちろんゴンちゃまは朝、こ早っくからグビっと焼酎を喰らいます。
帰る夕時までには覚めるように二合で寸止め。
物足りなそうな顔で、スルメを齧っています。
いつもなら、運転手付きなので、ヘベレケになるまで飲むのだそう。
まさに、居酒屋「岩洞湖」状態。

それでも、竿先を見つめる顔は戦闘モード。

お昼もすぎたころ、ワカサギの当たりも遠のいたので
オイラは皆様より一足先に帰らせていただきます。
店の準備がありますもので。

で、その結果オイラたったの15匹。
その他の面々は50から80匹。
その釣果は月とスッポン、雲泥の差。

朝一、テント中を視察に来た、隣のテント組のヨースケ様。
オイラの釣り道具を見た途端
目を点にして「戦後の道具か」だと。

そういう皆様の道具立ては、ワカサギ釣り如きに、なんと電動リール。
竿はと言えば、穂先がペナペナでワカサギの
ちっちゃな当たりでも取れるフィネス仕様。

さらにその竿がくの字に曲がっていて
素早い合わせをクレられるスピード首振り仕様。
仕掛けに至っては、PEラインの0.3号だと。

対しましてオイラの道具は、スピニングリールに2号のナイロン糸。
竿はバキバキの太い穂先。
オモリは2号ときたもんだ。
まさに、竹槍で突っ込んでいく日本兵みたいな。

こうなると、まったくうなだれません。
あがる土俵が違いすぎます。
何から何まで、革新すぎます現代のワカサギ釣り。

で、ヨースケさんから、お情けのワカサギを戴いて家路に付きます。

その帰り道、我が愛車「のまちゃん」のボンネットから
煙がボウボウと吹き出ます。
「やべっ」と思ったが、行きつけの整備工場がスグそこってのが
せめてもの救い。

さっそく見てもらうと、タペットカバーからのオイルが漏れて
エキゾーズトパイプにオイルが垂れての発煙。

クーラント液の減りが早いので、ついでに水回りも見てもらうと
ウオーターポンプの付け根からの水漏れ。

さらに走行距離20万キロなので、この際一緒にタイミングベルト交換だと。
「だいたいね、安く上げても修理代は8万円くらいかな」だと。

家に帰って妻に話すと「スクラップ寸前の車なんだから、この際廃車にして
別の車に買い替えた方がいいんじゃない」ですと。

オイラはムキになって「治して乗るのだ」と、言い張る。

そんなオイラの周りの皆々様方からは、愛車「のまちゃん」を見るなり
「走るんですか?この車」とか「スモーキーな色の車ですね」とか
「何十年前の車ですか?」とか、誹謗中傷雨アラレの言われ放題。
だから、オイラはムキになって「走らなくなるまで修理して乗るのだ」
と宣言しているからなのだ。

そんな事を友人に話ししたら「あのくらい古い車だと、一旦故障が始まると
次々と故障が発生するぞ、換えたほうが絶対に安くつくぞ」ですと。

「そっかなぁ」と思い直し、初代スズキ エスクード ノマドを探す事になる。

方々に「スズキ エスクード ノマドの初代の物は無いか」と尋ねまわるが
「今のスズキ エスクード ノマドが、もはや3代目のモデルなので
数十年前のスズキ エスクード ノマドの初代は見当たりません。」との事。
ソーーダネ。


スズキGSX1100刀っていう、モンスターバイクがあるが
その奇抜なデザインをしたのが、ドイツのインダストリアルデザイナー
ハンス・ムート。   
その先鋭的なデザインは、世のバイクキチガイから絶賛された。

そのハンス・ムートがデザインした車がスズキ エスクード ノマド。
その車が発売になった途端、オイラは一発で気に入り新車で購入。

その四角いシルエットと直線的なデザインは、オイラの心を未だに鷲掴み。
って、オイラは、車たるもの四角く無ければならない派。
日産で言えば、箱スカとかブルーバード510。
TOYOTAで言えば、コロナRTシリーズ。
日産のバックドアーが観音開きの、初代サファリのロールーフなんかはシビレる。
それと、一モデル前のジープ チェロキー リミテッド 4WDなんかはツボにはまる。

このスズキ エスクード ノマドも箱型なんだけど、どこか垢抜けているし
安定感を醸しだしている台形型のフォルムもドツボだ。
だからオイラがお爺ちゃんになって、車の免許を返納するまで
このスズキ エスクード ノマド初期モデルに、こだわり続けるんだ。

そんな1台目のスズキ エスクード ノマドは新車で購入。
これに12年乗ったが、入れていたオートバックスの指定オイルが安ものなのか
20万キロを目の前に、エンジンがオシャカになって買い替えたのが
今回、岩洞湖の帰り道で煙を吐いたのが、2台目のスズキ エスクード ノマド。
もちろん中古車で、平成3年式の中古を茨城から取り寄せ
今年の一月で丁度7年乗った。

それに、オイラみたいに狩猟で使う車は四駆が必須条件。
ハンターの間では圧倒的にジムニーのボロい中古車を買って使う人が多い。
ジムニーは軽自動車規格なので、林道や狭い山道で使い勝手が良いからだ。

ジムニーの中古車っていうくらいだから
考えられないような山道をガンガン行くし、ハンパない過酷で荒い使い方をする。
それに泥くるっめの犬も、載せなくちゃならないし。
それを新車で猟に行けるかと考えたら、絶対に行けないのだ。

30年前にジムニーの2サイクルJ12っていうヤツに乗っていたが
昼飯を食ってから山道を、このジムニーで乗ると
胃の中の食い物が暴れて吐き戻しそうになるし
最高速度が70キロっていうのも辛かった。

ま、今のジムニーは4サイクルだし、車体規格も大きくなっているので
そんな事は、軽減されているだろうが。
やはりオイラ的には、ジムニーをチョイスするという選択肢はまったく無い。

かといって、パジェロやランドクルーザーは大きすぎて、岩手の猟には適さない。
なので、スズキ エスクード ノマドくらいの、長さが4mくらいの大きさが
使い勝手いいっていう理由もある。
が、一番は金が無いって事。

という訳で困った時の神頼み、インターネット検索するも
東北・関東近辺には、初代スズキ エスクード ノマドの在庫は無し。

でも検索中に「どんな状態のスズキ エスクード ノマドでも買い取り」
っていう、広告を見つけた。
試しに電話すると「煙を吐こうが、水が漏れようが買い取ります」ですと。
とりあえずメールで画像を送ると「査定額6万円」とでた。
えっ〜、ですよね。
フェンダーもバキっと逝ってるのにねぇ〜。
たぶん舟に積まれて、東南アジア方面に輸出されるんだろうなぁ。

ここで、ふと思い出した。
たしか、スズキ エスクード ノマドをOEMでマツダから出した
プロシード アバンテっていうモデルが有ったはずだと気づき
検索に掛けると「ありましたっ!」
それも隣の青森県に。


のまちゃんに、ればちゃん異父姉妹。

さっそくメールで問い合わせ。
マツダ プロシード レバンテ TD31W  平成7年式。
16年前の車が28万円。
チョイと高いなぁ。

それは3000台しか生産されなかった希少ジーゼルターボエンジン仕様。
それに、電動ウインチ付きと来たもんだ。

売り手の話によると、電動ウインチだけでも28万円の価値はあるのだと言い張った。
でもそこはそれ、値切って26万円で手打ち。
鮎竿より安いっ。


んで、カミさんに「やっぱり、中古車を買う」と言ったら
「車を治して乗るって言ってたのは、冗談かと思ってた」ですと。
 
という訳でカミさんから20万円もらい、東警察署に申請した車庫証明を受けとり
その足で、車を買いに東北新幹線「はやて」に乗って八戸と向かいます。

で、八戸駅前で待つこと30分。
キャリアカーに積まれた、3代目になる「のまちゃん」登場です。

16年前のオバンなれどツートンカラーも鮮やか、ケッコウな美人さんです。
キャリアカーから下ろすためエンジンを掛けます。
ジーゼルエンジンにしては、カラカラ言わず大人しめのオバンです。

長さと巾がスズキ エスクード ノマドより、チョッピリあるせいか
いがいとグラマラス。
運転席に座った感じも、ボリューム感が増している。

走り出してみた感覚は、シットリとしたハンドリングで剛性がある感じで○。
後からエンジンルームを開けてみたが、スズキ エスクード ノマドには無い
ストラットバーが入っていた。
これが、剛性感に寄与しているんだなと納得。
それに、トレッドが60mm広がっているから、シットリとした操縦感なんだな。

八戸駅前で無事に取引が終わり一路、盛岡へと向かいます。

16年前の車のインプレッションなんて、聴きたくも無いでしょうが一応ね。

スズキ エスクード ノマドのガソリンエンジンのような
停車状態からのクイック感は無し。
さりとて、鈍重というような感じもないので普通に使える。

が、一旦走り出して2000回転以上にエンジンが回り始めると
ジーゼルエンジンの、かったるさは感じらず快適にまわる。
回る割には、室内にジーゼル特有のノッキング音が入ってこないのも良い感じ。

以前乗った事のあるジーゼルエンジンの車。
ISUZUのビッグホーンやダッツンのダブルピックのような
アクセルペダルのベタ踏みなんて事は、まったく無く、普通に走る。
っていうか、スズキ エスクード ノマドよりトルクフルなので
かえって、アクセルペダルの踏み量は少ない感じ。
トルクが太くてフラット、それに良い具合にターボが効いているんだね。

4号線を南下して行くと、奥中山の峠を越えなければならないのだが
その登りの坂道も、アクセルペダルを踏み込むこと無く
オーバードライブに入れたまま、ドカドカドカと重戦車のように進む。

なので長距離をかけた場合、アクセルペダルの微調整は一切せずに
一定の踏み込み量をキープしていくだけ良い。
ジーゼルエンジンとトルクコンバーターの相性もバッチリなんだね。
んだっから、楽っちゃ〜楽だね運転が。

燃費のほどは、まだ分からないが
八戸で満タンにして盛岡に着いて約100km
燃料メーターの針はピクリとも下がらなかった。

40年前に、内燃機関のオットーサイクルについてススキノ大学で学んだ。
いちおう自動車整備士のペーパー免許は持ってるんで。
そのなかで、ガソリンエンジンの効率は20%
ジーゼルエンジンの効率は30%と、学んだ薄い記憶がある。

簡単にゆうと、100リッターのガソリンをくう車は
その80リッターのガソリンを、熱と摩擦(転がり抵抗とか風抵抗)に消費してしまう。
だから、実質ガソリン20リッター分の働きしかしないのだ。

対してディーゼルエンジンでは、軽油30リッター分の働きをするから
ガソリン車に比べて、三割以上は効率がいいという事になる。

アラブ方面の政権不安から来る原油の長期予測から割り出した
ガソリンリッターあたり予測価格は220円まで上昇すると言われてるので
いくらかでも、安くあがるのジーゼルは有り難いと思うのだ。



それとフォルクスワーゲンのゴルフ並みのシートの硬さは
腰痛持ちの身としては、たいへん気に入ったシートだ。
盛岡までの2時間半、腰の痛みも発生せずに運転できたのはウレシイ。

そんなこんなで、日ごろお世話になっている整備工場へ乗って行き工場長に見せたら
「アンタも好きねぇ、とことんエスクードにこだわるだね」と言われた。

しばらく、エスクード談義をして、それじゃぁと言う事でエンジンを掛けて出発間際
工場長に「チョットチョット」と止められた。
「もしかして、ジーゼル?」と言われ「ボンネットを開けてみて」という事で開けたら
「ふ〜ん、結構エスクードを見てきたけどジーゼルは初めて見た」と言った。

「このエンジン、マツダのRFっていう型で、耐久性に定評あるエンジンだよ」
そして走行距離をみて「15万キロか、ようやく慣らし運転が終わったくらいだな」と言われた。
工場長の話だと50万キロは軽く走るらしい。

マツダ プロシード レバンテなれど、元は初代スズキ エスクード ノマド。
どちらも型式表示は同じくTD31W
これに乗れるのは、多分これが最後だと思うので
労わりながら乗ろうかと思っております。

2011/3/7





Urei 1620

幼稚園の年長の頃かなぁ
50センチ四方で高さが1mくらいの
木の枠で囲われている、ラジオも聞けるレコードプレーヤーが
家の二階、大部屋の隅にあった。

亡くなった親父が、これで民謡を聞きまくっていた。
78回転のSPレコードから出てくる音がスレてくると
虫ピンの10倍くらい太い銀色に光るレコード針を、茶色のブリキケースから取り出し
トーンアームの先にある太いネジを回し、針を差し替えては聞いていた。

そのレコードプレーヤー脇に、みかん箱を持ってきて
その上に乗っかり、音を聞くとは無しに高速で回転するレコードに
見入ってたオイラは、そばでジッとして目を回していた。

そのレコードプレーヤーで、6歳年上の姉が童謡
「可愛い可愛い魚屋さん」とか「赤とんぼ」などを掛けて聞いていたのを
オイラは、そばでジッとして聞いていた。

その姉が中学に上がってビートルズにハマった。
じぶんの部屋で、思う存分聞きたいから
東芝の卓上レコードプレーヤーを父親に買ってもらった。

それからは、45回転のドーナッツ盤のレコードを、ものすごい勢いで買ってきた。
その中でもビートルズが大好きだったようで
「プリーズプリーズミー」とか「「シーラブズユー」とかは
ヘビーリピートし、レコード盤が擦り切れるほど聞いていたのを
オイラは、そばでジッとして聞いていた。


ある日突然、佐々木電気と胸に刺繍の入った作業服を着た人が二人やってきて
「ステレオをお持ちしましたっ」と、大きなダンボール箱をドガドガと
家の玄関の廊下に置いた。

それは、レコードが擦り切れるほど
卓上プレーヤー聞きまくっていた姉を見かねた親父が
こっそりと東大通りにあった佐々木電気から密かに買ったステレオだった。

そのダンボールの箱には音符記号のマークが書かれ
コロンビアと言う文字と、ステレオと言う文字が大きく書かれていた。

その店員達は「ここでいいですか」と、ダンボールから大きなスピーカー2個と
これまた馬鹿でかい本体を取り出し、説明書もロクに読まずに配線した。
と言ったって、スピーカーコードを繋ぐだけだったが。
さすが、プロは違うなぁと、オイラはそばでジッとして見ていた。

そのステレオ、置いた面積たたみ一畳ぶんはある、ドでかさだった。

さっそく、姉貴が大事にしていたジュリーアンドリュースとクリストファーブラマーが歌っている
「エーデルワイス」を持ち出してきて、店員に掛けてもらった。

右側からはジュリーアンドリュースが、左からはクリストファーブラマーが
分かれて聞こえてくるのには、ステレオだとわかっちゃいるが
ジッとして聞いていたオイラは感動した。


そんな佐々木電気も去年の春、オーディファンに惜しまれながら閉店した。


そんな小学4年生のオイラが最初に買ったレコードが
ウイーン少年合唱団の「美しき青きドナウ」って言うヤツ。

ラジオから流れてきた、その音楽に聞きほれてしまい
「凄い音楽があるよ」と親父に言ったら
小遣いさえ、ろくにくれもしなかった親父が
財布からポンと岩倉具視が載っている紺色の500円札円出してくれ
「おつりはチャンと持って来るように」と念をおされた。

それを握り締めて、中の橋のたもとにあった「東山堂楽器店」に行って
「美しき青きドナウ」のドーナッツ盤を買ってきた。
が、レコードに針を落としてみると
歌が入ってないオーケストラ演奏だけのレコードだった。

急いで東山堂楽器店に戻り「歌の入っているヤツに交換してくれ」と言ったら
「一回聞いたレコードの返品は出来ない」と断られた。
家に戻り親父に、その事を話したら
黙ってレコードを袋に入れて、黒い自転車に乗って行った。

しばらくして戻って来た親父の手には
ウイーン少年合唱団の「美しき青きドナウ」が入った袋を提げていた。
親父は言った
「レコード買うときは、題名はモチロンだが
演奏者の両方を確かめてから買うんだぞ」と、念を押して手渡してくれた。

そんな親父は「何々のレコードが欲しい」というと
気前よく400円、ポンと出してくれた。
こうしてオイラのレコード収集がスタートした。


中学に入った頃の世の中は、グループサウンズが全盛期。
ラジオとかテレビの歌謡曲トップ10みたいな番組では
タイガースとテンプターズは、他の追従を許さないほどの人気。

特にタイガースの沢田研二は、女の子たちに絶大な人気を誇っていた。
そんな中学生のオイラが見ても、中性的な魅力とセクシーさが溢れていた
沢田研二はカッコいいなぁと見ていた。
もちろんレコードも買った。


高校に入るとフォークソングが、爆発的に流行し
吉田拓郎は、誰も超えれないフォークの神様みたいな存在だった。
だから、猫も杓子も、オイラもアンタもフォークギターを抱えて
「結婚しようよ〜♪」と歌っていたもんだ。

この時代は、ドーナッツ盤からランクアップしLP盤を買うようになったが
それが2000円チョイもする。
だから一ヶ月の小遣いは一発で吹っ飛んでしまうのだが
親父に「LPレコードが欲しい」というと、黙って千円札二枚出してくれた。
音楽にだけは、何も言わず黙って金を出してくれる父親だった。


その頃、ラジオのFMから流れてくる音楽を録音するには
オープンリールのテープレコーダーでマイクを使い
ラジオのスピーカーの前から流れてくる音を拾ったもんだ。


しばらくして、ようやく一般庶民でも手に入れるくらいの値段になった
ラジオ付きカセットテープレコーダーが、広く売られるようになり
もちろんオイラも父親にネダって手に入れた。

それで、リリィとか淺川マキの、アンダーグランドフォークソングを
エアーチェックしまくっていた。


はれて親元を離れて、札幌のススキノ大学に入った頃。
同じ教室の友達に誘われて行ったのが「歌声喫茶」
ブラックニッカを飲みながらフォークソングを歌う所だったが
初めて飲むウイスキーに酔っ払ってしまい、青白い顔でゲロゲロと吐きながら
ゴムタイヤの地下鉄に乗って、平岸の下宿に帰っていたもんだ。

ほどなくして、同じ教室の悪友に誘われていったのが「踊り場」
ディスコが流行るまえは、踊り場と言った。
ここは歌声喫茶と違って、ブラックニッカをガンガン飲んでも
汗だくになって踊るので、アルコールが抜けてしまうのか
ゲロを吐くくらい酔っ払う事は無かった。

踊り場とディスコと違う点は、生バンドと生歌で踊るか
レコードで踊るかの違いだ。
そんな行きつけの生な踊り場は「パレ」
ディスコっぽくて、レコードで踊れて安全な(喧嘩が無い)所がマックスとかアトラス。
そして、喧嘩が日常茶飯事な激悪踊り場が「シャカマンダラ」なんていう感じだったかなぁ。

その当時の「踊り場」と言う所は、大人の社交場的な雰囲気もあったので
マンボとかチャチャなんかも演奏され
スーツをビシッと決めた男女が踊ったりしてもいた。

だから、ヘタクソなバンドが出たときは
ホールには人影が無くなり、寂しい風がソヨソヨと吹いていた。
そんなススキノのバンドのレベルは非常に高かった。

そんなススキノの踊り場でのダントツの人気歌手が
後に演歌デビューする細川たかしさんだった。
あの細川たかしさんがダンスソングを歌って
それで踊るなんて、今じゃ考えられない豪華な話だ。

踊り場で流れてきたのがスティービーワンダーの「迷信」。
この音楽に、ここまでのオイラの音楽観が180度転換された。
それまで井上揚水、命のオイラがモロクも崩れ去って
モータウンサウンドに、どんどんハマッていくのだった。


その頃、自動車っていうものを手に入れた。
と言っても父親にネダって買ってもらったものだが。

その頃の軽自動車には、車検が無いという特典があった。
学生の身に分相応と言う事で、スズキフロンテ360っていう
白い軽自動車を買ってもらった。
これは空冷2サイクル3気筒、360ccの非力で煙をバカスカ出す自動車。
中古で10万円だった。
でも、心はウキウキで幸せだった。

その当時の車のカーステレオは
一方通行のバカでかい8トラックというテープカセットが主流だった。
でもオイラの車には、その当時最先端のパイオニアのカセットカーステレオ
ロンサムカーボーイを、きばって付けた。

これで、女の子とドライブするわけだが
そのとき車内で流す音楽を、俺なりにミックスしたカセットテープを作り
デートの間中流した。

その当時はまだ、ノンストップミュージックなんていう概念は無かったので
ただ好きな曲だけを、ブツブツと途切れさせながら詰め込んだ。
っていうか、アップテンポな曲は外しスローテンポなソウルを
パンパンに詰め込んだカセットテープだった。
もちろん、下心ありありの選曲だ。


で、ススキノ大学を卒業し就職し、はれて社会人になるわけだが
さっそく、初任給を持ってダイエーの家電コーナーに行き
20万円の予算でオーディオ組んで、月賦で揃えた。
が、金を掛けた割にはショボイ音しか出なくて、なんだかガッカリもした。

それから金を貯めてはオーディオに注ぎ込む、音バカ道まっしぐら。


縦社会の組織に嫌気が差し、会社勤めに見切りをつけ
料理職人になるべく東京に修行に出た。

東京に着いて間も無く、ソニーからウォークマンが発売された。

これは再生専用で録音機能が無い、小さいカセットプレーヤー。
スピーカーも付いていないので、ヘッドフォンで聞くしかないモノだ。
でも、どこでもドアーみたいな画期的なカセットプレーヤーだった。

これが爆発的に流行ってしまい、渋谷の西武百貨店に注文するが
1ヶ月待ちというくらい、人気プレーヤーだった。

これのヘッドフォーンを掛けて街中を歩くのが、当時の最先端のファッションだった。
中にはヘッドフォーンを掛けて、歩きながら踊っている馬鹿がいた。
って、俺のことだが。
そしてディスコ時代の幕開けがやってきて、猫も杓子も踊り狂うわけだ。

東京での料理修行時代、新入りはデッシャップ前で頑張っていた。
でも、早くストーブ前に上がりたいと思ったオイラは
休み時間まで削って働き、早くチーフに認めてもらおうと
真剣にまな板に向き合っていた。

そんなオイラは朝8時に出勤し、22時まで働いているにもかかわらず
それから、新宿のツバキとか2丁目のブラックボックスに行き
朝明るくなり掛けまで踊り狂って、また8時には出勤なんて言う毎日だった。

たまの休みの日には、ちょいと遠征して元赤坂のムゲンとかビブロスとかに
行っていたが、まもなくその舞台は六本木、新宿へと移っていくのだった。

だから今では考えられない、ほとんど寝た記憶が無い東京修行時代。

その修行時代、調理場の隅で流しているラジオを弄くりまわし
何とはなしに聞いたFEN。
これがまた、米国駐留軍放送なので米国の最先端音楽が掛かり放題。
時はまさにアダルトコンテンポラリーミュージックが花盛りの頃だった。

厨房に流すバックグランドミュージックはFENと決めたが
すぐに先輩に周波数を替えれてしまい、悔しい思いもした。
でも役が上がるにつれて、ラジオのFENを独占する率が上昇し嬉しかった。


そして盛岡に帰って店を開くわけだが
夜、盛岡の街に出歩いても華やかなディスコなんてのは無い。
あったとしても、フロアーがシーンと静まり返って寒くて寂しいものだった。

さりとてスナックに行っても、田舎臭いホステス相手に飲んでも
ウイスキーが不味くなるばかりだった。
だから夜の遊びにキッパリと別れを告げ、アウトドアーに走るのであった。

それでも近くの「内丸レコード」という輸入レコード屋に行っては
お気に入りのレコードを買いまくり、家でバーボンを飲みながら聞いていた。
この時代は、ブラックコンテンポラリーとか、クロスオーバー、フュージョン
などを聞きまくっていた。

そして、コンパクトディスクプレーヤー、CDの時代がやってきた。
オイラはイの一番に飛びついた。
その音を聞いたときはブッ飛んだ。

なぜなら80万近くも出して、ようやく納得できるオーディオを
完成させたと思ったら、このCDプレヤーひとつで同じ音が出たからである。
それからのオイラは、女性ボーカルのジャズにハマリだしCDを集め出した。


開店から15年経った頃、K君というアルバイトが入ってきた。
内丸レコード店から買ってきたばかりのレコードを目ざとく見つけたKくん
「借りて行って良いですか」と言うので
「傷を付けないようにナ」と持たせてやった。

次の出番の日、レコードとカセットテープを持ってきて
「借りたレコードでミックステープを作ってきました」と言った。
それは切れ目が無く、続けて演奏されているカセットテープだった。
彼曰く「僕の趣味はDジェなんです」と言った。

俺の中でのDジェとはTBSラジオの「なっちゃん、ちゃこちゃん」とか
日本放送の「オールナイトニッポン」の
亀ちゃんっていうイメージしかないのだが
彼が言うDジェとは、1時間という枠内で音楽をつなぎ
一つの音楽として完成させる人の事を言うのだそうだ。
つまり「レコードセレクター」みたいなもんだと言った。

「ふーん、そんな遊びもあるんだな」と言ったら
「東京ではDジェという職業が成立している」と言った。

クラブと言えば、オッパイの大きなキレイなおねいさんがいて
ステージでは、品の良いストリップショーをやっていて
バカ高い値段でブランデーを飲む所っていうオイラの認識なんだが
どうやら違うらしい。

切れ目無くレコード繋いで、フロアーで踊る客を気持ちよくさせ
ノリノリで踊らせる人の事を言うらしいのだった。

そんなKくんは服飾関係の世界に入りたいと、東京の専門学校に行った。

それから5年後、K君が「盛岡でDジェしに帰って来た」と店に顔を出した。
「例のクラブっていうやつか」と聞いたら、そうみたいだった。
興味津々のオイラは「連れて行けや」と
47歳にして初めてクラブという所に行ってみた。

薄暗い地下にあるdaiと言う所で
「シロクマナイト」というイベント。
行ってみて「ん〜大昔、遊んでいた頃のブラックボックスみたいな所だな」
と思った。

最初に登場したのがSHIRO氏。
その方のかけるレコードがこれまた、クロスオーバーとかフュージョンとかに
分類されるような音楽で、K君によれば「ハウス」というジャンルの音楽なそうだ。
と思って聞いていたら、ダンダンとノリの良いサンバ系の音楽に移って行き
気が付いたらオイラは、若者を蹴散らしウイスキーグラス片手に踊っていたのであった。

これ一発でハウスが、大のお気に入りになった。
さっそくshiroさんに弟子入りをした。

そうそう、K君は「KUMA」名義でHIPHOPを回していた。
これはパス。

オイラの持っているターンテーブルは
ベルト駆動のトーレンスのTD520なので
繋ぎには不向きなターンテーブル。

shiroさんに聞いて、さっそくテクニクスのダイレクトドライブ
SL1200MK3を2台買ったはいいが
この二台を繋ぐミキサーっていうのがいるのだそうだ。

なにがいいのかshiroさんに聞いたら迷わず言った。
「Urei1620」と。
「幾らくらいで買えますか」と聞いたら
「38万円は用意しとかなくちゃな」と言いった。

なぜなら、Ureiの会社はあっという間にJBLに吸収されたのだそうで
その生産台数たったの4600台。
いまじゃ伝説のミキサーとして名高いんだそうだ。

ハウスセレクターを目指すならコレしかないのだそうだ。
その平均中古値段38万円。
無理っしょ。

というわけで、サンザン迷った挙句
KORGで出していたkaossミキサーを買った。
ショップの話だと「とにかく遊べるミキサー」と言った。

別にプロを目指しているわけではないので
遊べるミキサーKAOSSミキサーにしたのだった。


EQはもちろんの事、80種類のエフェクトがタッチパッドで掛けれるし
サンプラーも有りぃで、ほんとに遊べるミキサーだ。


というわけで、ハウスのレコードを集め始めるわけだが
そのハウスの中でも、オイラ的に気持ちの良いディープハウス系の音をコレクトする事にした。
でもKAOSミキサーでは、Urei1620のような音は再現出来ない。

そういう思いがダンダン募るとUREI1620が、無性に欲しくなるわけ。
そのミキサーが奏でる音は、まさにディープハウス向けのジューシーな音色だからだ。
そして曲と曲の混ざり具合も絶妙で、ノリの良さを存分に味わえる。

これがkaosミキサーで曲を繋げてみると
音的にもurei1620のような、温かみのある音は出てこないし
どうしても、曲と曲が重なり合うって言う感じだ。
ヘタクソに曲と曲を繋げてしまうと、こ汚い感じの音に聞こえてしまうのだ。

それに引き換え、 shiroさんがUrei1620でレコードを繋げると
コーシーとクリープが違和感なく混ざるように、自然に曲と曲とが混ざるのだ。
もちろん、そのレコードを繋ぐ腕が良いのは分かるのだが、、、。
コレを聞いたら欲しくないワケには行かないUREI1620。


インターネットで暇があればUrei1620の情報を集めていると
ミキサーとしてでなく、オーディオのプリアンプとしての評価も、高いのには驚いた。




この生産数が少ないUreiの中でも、シリアルナンバーが1000番台までの初期モデルのUreiは
特に音が良いと言われ、普通に40万後半で取引されている。
これがデッドストック状態の新品同様のUreiとなると
希少価値も加わって、その取引価格は恐ろしいまでになる。
その価値「青空天井」

さらに、Urei1620を発売するに当たって、プロモーション用の
「シルバーパネルバージョン」が、あるのを知った。
Urei1620のなかでも限定200台しか生産されなかったらしい。

だから1000番台の上を行くのがコレ、というか見たことも無いって言うUMA状態の
Urei、シルバーパネルバージョン。

高音質の1000番台なんてもんじゃないっていうくらい希少品。
コイツが日本に有ると言う事だけで「銀河系の奇跡」としか言いようが無いシロモノ。

オーディオ界の常識として店頭展示品(プローモーション用)のヤツは
メーカーがキッチリとエージングしてから出荷すると言われているし
更に部品一つ一つも吟味するらしい。
この流れがシリアルナンバー1000番台くらいまで続くんだそうだ。

つまり商業ベースに乗るまでは、利益を度外視しコストを掛けるが
乗ってしまえば、コスト削減っていう、利益追求となるわけだ。

だからオイラは、ureiにどうせ高い金を出すのだったら
この200台限定シルバーパネルバージョンと決めた。
コレを探すべくアンテナをイーベイまでに張り巡らすも
なかなか網に掛かって来ないまま8年が経った。

その間に上物のブラックパネルのUrei1620は値上がりして行き
その値段今じゃ40万円。
そりゃそーだ、世界で4600台しか無い代物
それが年月を経てば経つほど、壊れたりして数が減って希少になっていくからなぁ。


いつものようにYAHOOのオークションを、だらだらと見てたら
シルバーパネルバージョンの出品があった。
即決だったので、慌てて言い値でクリック。

その日から手元に届くまで5日間。
8年間待ち続け、恋焦がれたUrei1620の事を思うとこの間
眠れない日が続き、デパスを飲まなければ眠れないほどだった。

そしてついに盛岡にシルバーパネルのUrei1620がやって来るわけだ。
家の玄関のポストに不在通知書がピラっと入っていた。
オイラは慌てて、その紙切れを持ち黒猫ヤマトの営業所に飛んで行った。

段ボール箱を大切に抱きかかえながら車に積み込み、ダッシュで家に戻りセッティング。
その前にシリアルナンバーを確認するが、ほんなもんありません。
売り物じゃ無いものにシリアルナンバーは付けないのかなと
良い方にと解釈する事にした。


じゃ〜ん

さっそく、お気に入りのHouseの有名Remixer、Kerri Chandlerの
「Are You Going With Me?」のレコードにORTOFONのconcorde Goldの針を落としてみる。
出だしのPat Methenyのエレキギターが、今までに無い何とも言えない音色を発色。
Urei1620を通しただけで、こんな劇的に音が変わるとは思わなんだ。
ヒザが笑った。

それは厚みのある音というか、例えれば真空管のアンプにも似たような
温かみのある音というか、真空管以上に真空管の音に思えるその音に
オイラの脳みそは、はるか火星までブッ飛んだ。

続いて、女性ジャズボーカリストのSalena Jonesの
「Stormy Weather」を、掛けてみる事にする。

これは、あのオーディオ評論の大御所
長岡鉄雄さんがオーディオ機器を聞き比べるとき掛ける音楽だ。

今まではスピーカーはB&W805に、管球アンプのLUX35と80
ターンテーブルはThorensのTD520、にDENONのDL103LCU。
これが、オイラなりのジャズを聞く時のシステム。
これで、たいへん満足していたんだが、、。


B&W805


LUX35


LUX80

ThorensのTD520&DENONのDL103LCU

それとは別に,、Deep House用として
SL1200mk3に、ORTOFONのconcorde Gold、urei1620のミキサーを経由して
AMCRON(アムクロン・CROWN D−45(200V駆動)に。
そしてスピーカーはPioneerのS9500というようなシステムだ。

レコードにオルトフォン コンコルド ゴールドの針を落とした。
Salenaが歌い始めた。
まるで目の前で歌っているような、その艶やかな臨場感。
思わずゾクッと身震いがし、サブイボが全身に立った。

さらに、一般的なオーディオシステムでは、盤音のポテンシャルを引き出せない
Stevie Wonderの「Key of Life」に針を落としてみる。
それは今まで聞いた事が無い、音の輪郭が空間に浮き出てきた。

まさにUrei1620は、ただのディスコミキサーではない
レコードの原音は聞いた事が無いから分からないが
たぶん原音を忠実再現する、プリアンプだと思うのだった。
そのくらいに思える劇的、音の変化だ。

そして、Ella FitzgeralkdがEllis Lankinsのピアノ伴奏だけ歌う
Songs in a mellow moodに針を落としてみる。
オイラのすぐ目の前でElla 姉さんのブレスが吹き掛かります。
ななななんだ、この音の立体感というか臨場感は。
Ellis兄さんのピアノも控えめながらも艶やかにElla姉さんの後ろで囁きます。
飲んでいたブラックニッカのロックが、響の21年と思えるほどに
オイラの脳みそを狂わせるのだった。

もう一つ嬉しい事が重なった。
それは、パイオニアのS9500のスピーカーなのだが
今までの感想としては、低音に締りが無い、ボヤケたスピーカーだと思っていたのだが
Urei1620を通して最終的に、このスピーカーから出てくる音は
艶やかな中音と、澄み切った高音
そして締った低音ながら、広い音場を作り出した事だ。
このスピーカーに組み込まれているElectronic Bass Driveシステムが
Urei1620で、ようやく日の目を見ることになったのだ。




このUrei1620、最新のオーディオシステムみたいな
聞き疲れするような感はまったく無く
いつまでも、聞いていられる感じは「マキストーブ」の暖かさに通じるものがある。
試しにCDを通してみても、レコード並みとは行かないが聞き疲れはしなかった。

一般的に、音の入り口「カートリッジ」と、出口の「スピーカー」で
オーディオの音色は決まると言われているんだが
ミキサーというかプリアンプひとつで、こんなにも音色が変わるものなのかと
いま、こうして驚きながら聞き込んでいる最中だ。

で、更なる音を求めて、100ボルトから115ボルトに昇圧してureiを駆動してみると
なななんと、全体的に張りがでたのには、大満足。


でもってこのUrei1620、米国での当時の価格は日本円にして12万円。
それが、日本に輸入され「ディスコミキサー」として売られた価格が15万円前後。

その中身を見た、弱電メーカーの技術陣は「3万円あれば同じのが作れる」と
言ったらしいが「じゃあ、レプリカを作ればイイジャン」って事になる。

ほんとうにUrei1620のレプリカを作ったメーカーが3社くらいある。
が、そのままの回路図で作っては見たものの
オリジナルUrei1620の音には、ほど遠かった。
と、ちまたのDJ達のインプレッションにある。
だから、レプリカが発売になる度に、オリジナルの値が上がって行くのは当然の事だった。

今回のオークションの出品者には悪いのだけれども
「百万で買い戻す」と言われてもオイラの答えはNO。
なので、コイツを手に入れたオイラの舞い上がりようは分かるっしょ。



お馴染みさんが店内に入った途端「音変わりました?」と言われた。
オイラは思わずニヤリとしたのは、言うまでも無い。
もちろん、そのくらいの人だから、あとはオーディオ談義で日が暮れる。

もうひとつの出来事
マツタケのスパゲティーをオーダーし、食べ終わったイチゲンさん
帰り際のレジ前で「ボリュームを少し上げてみてくれませんか」と言った。
こん時もオイラの鼻の穴は思いっきり広がっていたのも、言うまでも無い。
で、会計を終わったあと、カウンターに座りなおして、オーディオ談義で朝日が登る。


更に、だ〜れも居ない閉店間際の店内で
久しぶりに「ダニエル・リカーリ」のスキャットでも聴こうかとレコードを取り出し回し始めたとき
一人の老男性が「まだ食事はイイですか?」と、言いながら入ってきた。
レコードは、そのまま回しオーダーを作り、テーブルにサーブした時
「サントリーホールと同じ音が出てますね」と、歯が浮くようなお世辞をもらった。

オイラはサントリーホールに行った事が無いので
色々とホールの事などたずねたら、サントリーホールはホールでも
バックエントランス方の音と同じ音なのらしい。
それはシューボックス型のホール設計でステージを挟むように後ろと前に分かれている
後方座席の方と同じ音が出ているのだそうだが、喜んでいいのか?

という事で、世のオヤジ達はオーディオに激しく反応する人種だと改めて分かった。


ネットの中で、あるお方が言っていたが
「作った当時の部品で、奇跡的に成り立っているミキサーがurei1620」

別のお方は
「微妙なバランスで成り立っているミキサーurei1620は
女の子で言えば、ブスなのに可愛いって子がいるじゃん
それと、同じなのがurei1620だ」と、語っていた。

そんなオイラは今、UREI1620を持てた事で幸福感でいっぱいだ。
それは雪融けと同時に芽を吹き出し、いち早く黄色い可愛い花を咲かせる福寿草と同じ
いままで集めてきたレコードの命が
Urei1620によって一気に息を吹き返したみたいに
イイ音を出してくれているからだ。
だからオイラはUREI 1620の前で、ジッとしないで聞いている。

2011・3・1



DOPE REAL MODEL3300l

サクラマス釣りに行きたいんですけれども
震災被害、これから来るであろう放射能汚染拡大の
恐怖などを考えると、、、な状況。

それに、このタイミングで川に浸かり
棒っ切れを振り回していたりなんかしている所を
知り合いにいに見つかったりんなかしたもんだら
死ぬま言われ続け、ヒンシュクを買うのは目に見えているん。

それにオイラが今出来ることはと考えたら
募金して燃料を控える事ぐらいしかできない。
だから家に引きこもり、日々モンモンとしてる毎日なんです。
が、ところがドッコイそこはそれ、キッチリと遊んでいるわけで。

それは8年間待ちつづけて手に入れた
UREI1620シルバーモデルがそばにあればこそ。

毎日家で、古いレコードを引っ張り出しては
UREIの艶やかな音に酔いしれ
ドップリと、頭のてっぺんまで音に浸かっている毎日。

そんな悦楽の日を過ごしてると
このタマラナイ感情を誰かに話したいワケで
そうなるとMaryちゃんに言うしかないなと
UREI1620、一発目のMixを、たずさえてMother行くことにした。

するとMaryちゃんは「その歳で、よくぞUREI1620を買ったな」
みたいな事を言うわけ。
「歳は関係ねぇだろ」と、思ったが
そこはそれ、俺もいい大人なんで「笑ってコラエテ」みたいな。

それに追い討ちをかけるようにMaryちゃんは言う
「UREI1620を買ったんなら、次はアイソレーターを買わなくちゃね」
と言うのだ。 

しょうじきな話、UREI1620の音に満腹状態なオイラは
レコードの原音を忠実に再生するであろうUrei1620
これにオマケで付いているイコライザーで
変に音源をイジクルような事はしたくないナと思っていた。
だからアイソレーターなんて、まったく欲しくないのだ。

続けざまにMaryちゃんは言った。
「Urei1620に合わせるアイソなら
キックとベースを劇的にブーストする、DOPE REAL MODEL3300だべ」と。

「キックとベースかぁ」でも、ディスコじゃねぇ〜んだから
そんなもんはイラナイと思ったオイラなのだ。

前に使っていたKorgのKaosミキサー
横フェーダーでMixすると、どうもシックリとこなくて
縦フェーダーでMixするのだが、それでも満足いかなくて
HiとMidとLowのイコライザーを総動員してMixしていた。

これでも、思うようには行かなくて
オイラ的には、音の劣化はEQにありと考えていた。
ましてやアイソレーターなんて、いらないモノと思っていた。
それとブーストなんて、音を劣悪にするだけのモノと
決め付けていたからなのだ。

そこらへんの事情をMaryちゃんに言ったら
「あのね、音を劣化させるアイソなんて無いですから」と言った。
これで、ちょいと酔いが覚めたオイラは
「Dope Real」「Dope Real」と唱えながら
ふらふらと歩きながら寒い夜空の下、家路につくわけだ。

毎日家でUrei1620をイジくってMixして遊んでいると
慣れが出てきて、チョイとばかし余裕が出てくるわけで。

KorgのKaosミキサーで遊んでいた頃
暇な時間帯とかノリに入ると、フェーダーはモチロンの事
色んなエフェクターを掛けて遊ぶわけだが
Urei1620には、そんな気の利いたエフェクターみたいなものは無くて
しょぼいHiとLowのイコライザーしかなく欲求不満が出てくる。
そこで浮かんでくるのがMaryちゃんが言っていたDope Realのこと。

レコーディングやPA操作における
計算しつくされた綿密なEQ操作じゃなくて
ただ単にMixして遊ぶ時のイコライザーが欲しくなるわけだ。
っそう、思い込むとまたしても出ました「欲しい欲しい虫」

でもねぇ〜高いだんよねぇ、このDOPE REAL MODEL3300のアイソレーター。
で、困った時のインターネット。
グーグルで検索していると
アルファレコーディングスタジオの4バンドアイソレーターが
次世代のアイソレーターと、たいへん良いとの評判がったっていた。

いっぽうドープリアルの評判はと言えば
「マニアック過ぎて、一般人には合わないと思う」という意見が。

で、このDope Real、今現在生産は無しとの事。
なんせ、このDOPE REAL MODEL3300、札幌の弱小家内手工業メーカーが
一個一個手作りしてるアイソレーターなので
次の入荷は、まったく持って未定というか、不明との事。

で、このDope Realの製作コンセプトが
「Urei1620の為のアイソレーター」なのだそうだ。
こんな謳い文句ならば、Urei1620のオーナーとしては
絶対買わなくちゃと思うオイラ。
っていうよりも、限定とか廃盤とかという
プレミアムっていう、ウタイモンクに弱いオイラがいたりする。

どこかにDOPE REAL MODEL3300は、ないかと続けて検索していると
「希少Dope Real、一個のみ在庫。早いもん勝ち!」
っていうショップが見つかった。
このショップの「希少」というウタイ文句に載せられて
ついウッカリと購買というボタンを押してしまうワケだ。
まっ、本当の所は、うっかりでは無いのだけれどもね。


人間からサルに後退していくのはプレシャスホール


で、世の中の混乱のなか、届いたDOPE REAL MODEL3300
この本体の薄さに「ほんまかいな、こんなんで○○万円か?」と
ガッカリするオイラ。
と思いながらセッティング開始。

セッティングついでに、Urei1620からハム音が鳴り出していたので
たぶん、ハンダ割れが発生しているだろうという素人診断
裏ブタを開けて見る事にした。
噂には聞いていたが、なんとスカスカの内部構造。
とてもウン十万もする、器械とは思えない部品構成。
でも、コンデンサーにしろトランスにしろ抵抗にしろ
ビンテージたっぷりの色合いをして。

オイラがちっちゃい頃
トランジスターラジオを分解した時
朱色のコンデンサーやら水色の抵抗、黒い3本足のトランジスター
茶色いいトランスなど、カラフルな部品達の思い出が込み上げて来るよう。

それらが、雑然と立っているエポキシサイトの基盤裏を見てみると
なんとまぁヘタクソなハンダ付け。
オイラでもやらない、まるで鳥のクソ状態のハンダのテンコ盛り。
さすがだな、不器用なアメリカ人。

これじゃ、ハンダ自体が抵抗になるのじゃないかと思い
工具箱からハンダゴテを取り出し、再ハンダ付けを兼ねながら
余計なハンダを取り除く事にした。

まぁ釣りの道具にしろ、鉄砲のアクセサリーにしろ何でもかんでも
俺流にカスタマイズするのが好きでもありまして
コレもオイラにとっては、趣味の中の一つの流儀でもある。

で、組みあがったシステムに電流を通し
くるくる回るレコードに針を落としてみる。

をっと、心なしか音全域に透明感が出た感じがした。

次はDoop Realに電源を入れ、LowとMidとHightの
つまみをグリグリといじくって見る。



出てきた音は霞がかかって「なんだかなぁ〜、失敗かなぁ〜」と思ったしだいで。

「クソ踏んじゃったな」と思いつつ、グリグリといじくり回して3時間
音に薄い幕が掛かっているような感じが、次第に薄れていきます。
「あっ、そうか。エージングだ」と、思いつく。

電気を通して、本体の温度が上がってくると
うすらコンデンサーとかトランスやらの電子部品のいい香りが漂って来るDoopのReal.。
.こういう真新しい器械は、エージングしなけりゃイイ音が出ないんだよね。
と、エージング、エージングと唱えながら、電源を入れっぱなしで一晩寝かしてみた。

さて次の日、レコードに針を落とします。
ウォー、滅茶苦茶イイ音してんジャン。

これのバイパススイッチを切ったり繋げたりして、音の出具合を見てみた。
このスイッチを切った状態で聞くとモロ、Urei1620。
当たり前か。

コレをオンにしてみると、音に固いゴムのような厚みが増すボリューム感。

アイソレーターのツマミをいじくってみる。
Lowのツマミをグリグリといじると、ウッドベースの鳴りが腹の底から響く。
Midのツマミをグリグリといじると、ボーカルの息づかいまでもが前に出てくる。
Hightのツマミをグリグリといじると、今まで聞こえてこなかったハイハットが
シャリンシャリンと、前に出てきます。
こりゃ、楽しいねぇ〜。

試しに、いろんなジャンルのレコードを引っ張り出し
ターンテーブルに載せて針を落とす。
そして出てくる音を、DOPE REAL MODEL3300でグリグリと解剖してみると
「へぇ〜、この音楽に、こんな音が乗っかっていたんだ」と驚く。
ん〜、滅茶苦茶オモロ。

オイラはオーディオケーブル如きにン十万も出す
ピュアーオーディオ派じゃなくて
っていうか、そんな大金無いし
ましてやクラッシックを聞くわけでも無く
ジャズは好きだが、ジャズに浸るマニアでもないし
あらゆる音楽に手を出し、広く浅く聞く派。

それにLPレコードを回しても、A面を聞いてからB面をフルに聞く
そんな生真面目な音楽ファンでもなく
好きな曲だけをチョイスし、ターンテーブルに載せて聞く。
出てきた音楽に酔いしれながら、ただ単にレコードがクルクル回るのを
いつまでも見ているのが大好き派だ。

そんなオイラが寝食を忘れて、音遊びに熱中。
そして夢中にさせるDOPE REAL MODEL3300恐るべし。

これで完全に「ダイワ鮎競技スペシャルT90」購入の目は消えたな。


まんぞく、まんぞく

2011/4/30






エクストラベース・ヘッドフォーン

昨晩、シンシンと降り積もった雪のかき出しをした。
ついでに隣の老婦人が一人で住んでいる玄関前の雪も
ザーザーっと、スノースコップで除けていると
「いつもすいませんねぇ」と、病んでいる腰を摩りながら老婦人が出てきた。
いつもの事ながら、他愛のない話なんかをチョコチョコとした。



で、いつも大きな音でレコードを回しているんで
「レコードの音うるさくないですか?」と尋ねてみた。

「私んところは、聞こえないけど向こう隣りの家では
時たま夜中にドンドンっていう音がして、うるさい時があると言っていたよ」
そして「お向こうさんは、3階で寝ているので
あんたトコの天井から音が漏れてくるじゃないのかなぁ」と言った。

さらに、後ろ隣2軒向こうの兄貴が「ちょっと、うるさいんですけど」
そして「キックの音しか聞こえないんだけど、これがまた気に障る」と
やんわりと抗議に来られた事も、その老婦人に喋ったら
「○○ちゃんは、バンド組んでギンギン音出ししてるくせに
生意気なこと言うね」と笑ってはいたが、その心境は計れない。

ほんで、両お隣りさんとは、めったに会うことがないので
「夜遅くの音出しは控えますんで、よろしく言っといて下さい」
と言い、キューっと小さくなって店に引っ込んだ。

と言うわけで気兼ねなくレコード聴く時は
いつもより2時間ほど早く店に出てきて
まだ明るい内に思いっきりボリューム全開で、レコード回すことにした。



でもなぁ、やっぱり、暗くなってエロイ雰囲気が出る丑三つ時
アルコールを入れながら、ヨイヨイ気分でレコード回し
「大きな音に包まれてレコードを聴きたいなぁ」と、思うえば思うほど
ストレスがどんどん溜まってくる。

しかたなく、レコードを繋ぐ時のヘッドフォーンを
装着しボリュームを上げて聴く。

このテクニクスのDJフォーンは、かれこれ10年近く使っているし
何回も床に落としたりして、スピーカーの駆動磁石とか
コーンがヘタって来たような音しか出なくなったので
買い換える事にした。


どうせ買うなら、重低音がビシバシでるヘッドフォーンがないかと
困った時のグーグル頼みで「ヘッドホーン、重低音、大音量、クラブ」
で、検索してみる。

すると「ソニーのMOR−XB1000、エクストラベース・ヘッドフォーン」
がヒットした。
これはヒョッとして当たりかなと、ニタっとした。

で、アマゾンや価格コムの口コミやらのインプレッションで
このヘッドホーンの評判はと、確かめてみる事にする。

で開いてみると「悪いと言う人7割、良いという人3割」
その悪いと評価した人たちの、音響環境を調べてみると
携帯プレーヤーでの使用がほとんどだった。
良いという人の音楽環境を調べてみると
整ったオーディオ環境での使用だった。

という事は、それなりの出力のあるアンプを使わないと
このヘッドフォーンの実力が発揮できないようなのである。

もしかしたら、このヘッドホーンの実力を存分に発揮するためには
ヘッドホーンアンプを買わなくちゃなんないのなかなとも思った。

でも、オイラのUREI1620のプリアンプならば
たぶん大丈夫と、素人考えに思ったわけだ。

その仕様を見てみると、このヘッドフォーンのコーン部分が直径が7センチと
これまでのヘッドフォーンの常識から並外れた、異常な大きさなのである。
例えれば、小さめのCDラジカセのスピーカーコーンと同じくらいの大きさだ。


レギュラーサイズのヘッドホーンと比べてみると、その馬鹿でかさワカル。

肝心の価格を調べてみる。
その実勢価格22000円くらいだった。
でも、どの店舗も「在庫無し」の表示。

じゃぁと言うことでYahooのオークションを覗くと
18000円とかのスタート価格。
これじゃ、新品を買ったほうが良いに決まっている。
だって、どこの誰か分からないヤツの
くさい頭にのかっていたりしたらヤダし。

と言うわけで、ネットで散々探し回ったら、新品ありのサイトがあり
結構安めの価格を掲示していたので、この量販店に注文を出す。
が、届いたメールは「メーカーの発送待ち」との事だ。
そんなに人気商品なのかぁ?

オイラは「無い物ねだり」「欲しいと思ったらスグ欲しい」
っていう性分なので、多少、高くても欲しいものは欲しい。

それでメーカーのネット販売に電話を掛けてみる。
するとオペレーターのお姉ぃさんが
「この商品はインドネシアの大洪水で工場が稼動していないので
 出荷が、いつになるか今のところ分からない」と言い
「工場が復帰しだい生産を始めます」と、謝った。

な〜るほど、そういうワケだったのね。

でも、こうなると今迄以上に欲しくなるのがオイラの悪い癖。
じゃぁと言うことで、チョイと危ないオークションでもと
また覗いてみるが、今一、ピンと来るブツがない。

で、「中古」でググってみると、なんと一発ヒット。
それは大手量販店の中古在庫表に、本日の日付けで「新品同様」の掲載があった。
もちろん、速攻でポチっとな。

来るのが待ちどうしいったらありゃしない。

次の次の日、佐川の兄ちゃんが「マイドー」と運んできた。

包装紙をビリビリと破り、手にとって箱からブツを出す。
ほぼ新品のブツを手に取ると
「ひぇ〜、馬鹿デカ」
頭に載せてみます。
「重い」
でも、イヤーパッドに低反発フォームマットを使っているので
装着感は、とてもソフトで耳が包まれる感じが気持ちいい。



装着したままで、鏡で見てみると
馬鹿でかいヘッドフォーンのおかげか
顔のでかいオイラでも小顔効果抜群です。

さっそくurei1620のヘッドホンジャックに差し込む。

お気に入りのハウスのレコードを回す。

ウオォォォッ。

今まで使っていたテクニクスのヘッドホーンと比べモノにならないくらい
とてつもなくイイ音が出てます。

重低音を売りにしているヘッドホーンだが、中音部から高音部の繋がりも良く
綺麗にまとまって締まった音が出てます。

ちなみにジャズボーカルを聞いてみても
重低音重視の音構成ホーンだから、ボーカルが引っ込んで聞こえるだろう
っていう先入観で聞いてみたが
継ぎ目の無いボーカルが、引っ込んで聞こえるわけでもなく
ましてや、出しゃばる事も無く、いい感じで音の広がりが出ています。

ほいで次はミニマルハウスのレコードを回し
徐々にボリュームを上げていきます。

Ureiのダイヤルで4に上げると、キックの重低音で脳が揺れ動き始めます。
まるで、クラブのスピーカー前って感じで、脳内アドレナリンが吹き出ます。

それから、半目盛り上げるとグワングワンと脳ばかりでなく
目玉も激しく揺れ、壁に掛けているカレンダーの文字が震えて見えません。

で、シラフじゃなんだからっていう訳で
アルコールを入れヨイヨイ加減になってから
BPMが128くらいから上ののアゲアゲハウスのレコードを回してみる。

をををっ、脳内でクラブのホール環境がバッチシ出来上がります。
さらにボリュームを上げると、キックの四つ打ちで完璧にトリップできます。
という事は、家に居ながらにしてクラブを堪能できるって事。

そして「こりゃ、BPM的にオイラ好みの音楽じゃないな」と思ったレコードでも
改めて、このヘッドホーンで掛けて聞いてみると
「んっ、このレコード案外イイじゃん」っていう聞きなおしが
けっこう出てきたりして、メチャクチャ楽しいぃ。

だからオイラは一発で、このヘッドホーンのトリコになります。
そして完全に家に引きこもります。

だって、クラブに行ってもオイラの好き系の音楽を掛けている率は異常に少ない。
オイラが好きなのはハウスなんだが
このハウスだって色んなジャンルがあって
ミニマルハウス、テックハウス、ジャズハウス、チルアウトハウス、アシッドハウスとか、、、、
とにかくハウスの範囲は広すぎる。
でもオイラは、ディープハウスが大好物。
その中でもボーカルハウス寄りが好きだったりするからだ。

で、クラブに行っても、いちばん我慢ならねぇのが
DJ自身が自分の選曲に酔ってしまったり
小難しいワケのわからない曲ばかり掛けて
「ど〜だ、俺の研ぎ澄まされた選曲に付いて来れるか」みたいな
マスターベーションDJが、回してたりした日にゃ最悪。
「もういいや、帰りたい」って感じ。

いつだったか、行きつけのクラブの店主に
「あ〜らKIKIさん、まだ居たの?」と言われたときが有ったが
そりゃ〜、オイラの感性にビシッと来るレコードを回すDJが居たら
いつまでも、アルコールをカッくらいながら踊りたいっていうのが本音でしょう?
まっ、そんな奇跡的なDJは、あまり居ませんけどね。

そんな賭けをしなきゃなんない、クラブに行くんだったら
このヘッドホンを掛けて、自分好みの気持ち良いレコードで
脳内爆音に包まれながら、酔っ払うほうが3千倍気持ちいいってもんです。
 
で、このヘッドホーンで今一番ハマっているおすすめのレコードは
Joe Claussell先生「Cravin」Remix。
これは両面ともXB1000で、完璧にイっちゃいます。


2012・4・10










ラジウス

早春の美味フキノトウで作ったジャジャ味噌をウドンに乗っけて食べる昼ごはん。
食べ終わった後には、お約束のチータンタンのスープで〆る。

満腹になった後はマッタリとパソコンの前に陣取り、YOUTUBEを開く。
CHRIS&NINAのBANANAを見ていたというか、聞いていた。
その時、グラグラグラっときた。
「地震かぁ」と思いつつも、耐震済みの家屋に住んでいる安心感からか
余裕で、そのままYOUTUBEを開いたままでいた。

が、いっこうと揺れが収まる気配が無い。
その強い揺れのまま「これは、やばい」と思いつつ
二階の踊り場の開け戸から、外をのぞくと目の前の横断歩道橋が
グワングワンと激しく揺れてるじゃないの。

「こりゃ大変な事になった」と思いつつ5分。
ようやく揺れが収まった。

パソコンの前に行くと、電源が落ちていた。
こんなに強い揺れが長く続いたんじゃ、発電所か変電所がヤラレタなと思った。
素人考えでも復旧には、かなり時間が掛かると考えた。
とりあえず、明るいうちにボート小屋に行き
キャンプ道具を引っ張り出して点検をする事にした。

その中で煮炊きする道具「ラジウス」を取り出し、ケロシンを補充。
ポコポコと軽く2回ばかしポンピング。
バーナーの火口からケロシンをチューっと、そうだなぁ10ccくらい出したら
火力調節のツマミを緩めて、ケロシンの出を止める。
そしてマッチ棒を摺り、火を着け
マッチ棒を火芯として、抽出したケロシンの中に浸し
ロウソクの原理でプレヒート。



あっそうそう、ケロシンって大昔の山岳部員が使う山言葉で「灯油」の事。
ラジュースとかラジウスって言うのも山言葉で、今風に言うと「クッキングストーブ」の事。
正確に言うと、クッキングストーブのメーカー名なんだけどね。
って言うオイラは昔、外遊びが高じての山岳部員だった。

本来ならプレヒートの受け皿には、固形燃料か燃料用アルコールを満たし
それに火を着けてプレヒートっていうのが、正しい使い方なのだが
なるべくでも荷物の量を減らす為、アルコールを持たないのが山屋の流儀。
だから、ケロシンを燃やすと真っ黒い煤が出まくって
テントの中じゅう臭くなるのも構わず使ったもんだ。

で、岩手山なんかに登って8合目。
ご飯を炊きます。
が、標高があるので沸点が100度に達しません。
当然、焚きあがった御飯はメッコ飯。
でも、重い荷物を背負って散々歩いた後なので、猛烈に腹が減っているわけ。
だからメッコ飯でも喉に、なんとか通ります。

メッコ飯っていうのも、分からなんだろうなぁ、今の人は。
メッコ飯って、超〜アルデンテな御飯てな感じかな。
カッコよく言えば、、、。

ぶっちゃけ、かなり腹が減ってなきゃ喰えない「生煮えの御飯」なのだ。

そんな当時からコールマンのシングルストーブもあったが
こちらの方は値段が高いホワイトガソリンを焚く、お大名仕様なので
貧乏な山屋には人気が無かった。

このラジウス、使って40年にもなるんだなぁ。
いろんな思い出が詰まってるが、いまだに現役で使っている。

その当時のラジウスには、メーカーが5、6種類くらいあって
国産ではホープマナスルが超〜有名で、山岳部御用達のラジウスだった。

今でもそうなんだが、格好から入るオイラは、ちょいとばかしオゴって
ドイツ製のペトロマックスの小さい方のハンディーを買った。
一人でバックパッキングして、縦走に使うのには足りていたが
皆でワイワイとやるキャンプには、一つだけでは足りず
一回り大きいジャイアントも買い足した。

このペトロマックス社、今ではラジウスを生産終了。
でもレトロなランタンだけは作っていて、生きながらえているようだ。
って言うわけで、今でも生産されているラジウスは「ホープマナスル」だけらしい。

このペトロマックスのラジウス。
収めるケースはブリキ製の青い缶っていうのもオシャレだが
取っ手が針金っていうのが、おおいに泣かせる昭和世代。


上がハンディーで、下がジャイアント


オイラの子供が小学生の頃、夏休みには二泊三日くらいで家族サービス。
って言う名の、オイラだけがハシャイでいたキャンプ。
今は無き、流されてしまった高田松原の海にキャンプに行ったりもした。

キャンプ場に着くと、黄色い生地の三角テントを組み立て
その上にフライシートという、雨漏り対策のシートを張る。
折り畳みスコップを組み立てて、そのテントの周りに側溝を掘って洪水対策。
そしてゴム引きの分厚い、グランドシートをテントの中に敷いて湿気対策完了。

日も暮れて夕闇が迫る頃、キャンプ場の炊事場に行って飯を作るわけだが
キャンプ場に備え付けの炊事場には誰もいない。
全面貸切で、チョイとうれしい。
が寂しい。

オイラが若い時の炊事場は、めちゃくちゃ混んでいて順番待ちだったりした。
そのドサクサに紛れて、女の子に「醤油を貸してください」
なんていう口実を付けては、よくナンパしたりしたもんだったがなぁ。

で、周りを見わたすと、テントといえばロッジタイプの大きなテント。
その前で、コールマンのツーバーナーの脚付きを組み立て備え付け
なにやらダッチオーブンで煮込んでいたり、焼いたりしていたりする。
その側には、大きな白いポリタンクに蛇口が付いた給水ボックス。
それにディレクターチェアーなんかに腰掛け、ワインを飲んだりしてたりして
なんだか、アメリカの中流家庭気取りのオートキャンプが花盛りだった頃だ。

それに引き換えキクチ家だけは、なんだか貧乏くさいホームレス仕様。
でもブルーシートにダンボールじゃない分だけ、まだマシか。

なんていう郷愁にかられながら、停電の夕飯に備える。
店はモチロン臨時休業。

まだ、悲惨な大津波の情報が入ってこない時間だった。
だから、なんかワクワクしながらキャンプ気分でいるのはオイラだけ。

日も暮れて真っ暗な中、ハリケーンのランプに火をともす。
これもケロシンで燃やすヤツなんだけど
山屋は燃料を一種類に決め、肩に担ぐ「キスリング」の軽量化を計るのだ。
なんたって万国共通燃料は、灯油と決まってますから。
使った次の日、キスリングのサイドポケットの蓋にぶら下げ持ち歩くが
多少ケロシン漏れ散り、ケロシン臭くなってしまうキスリング。


たまにはいいモンですねぇランタンの灯り

「キスリング」って、デイパックの親分みたいな大きいものだが
パタゴニアのアコンカグアのような、カッコいい背の高いバックッパクではない。
テントと同じようにキスリングももテント生地で出来ていて
今見ると妙にダサいが、山屋臭さがブンブン感じる無骨さがタマラナイ。
それに、背中から雨のように染み出る汗が
キスリングに染み込んだ男臭さもタマラナイっていうか、辟易。

この臭いキスリングを担いだ人を、後ろから見ると
大きなサブポケットが、両側に張り出すように付いているもんだから
縦よりも横幅のほうがあって、カニのように見える。
だから「カニ族」なんていうバックパッカーが、昔は居た。


さてラジウスに火を付けます。
グォーっという、轟音を立てながら青い炎を吹き出すラウース。
なんだか大きなその音は、地震で真っ暗になってしまったキッチンに
メッポウ心強い音を響かせた。




大地震その日は、けっこう寒い夜だった。
家に備え付けのボイラー式暖房、ホットマンは電気が無ければただの箱。

そこでラジウスに丸めた金網を載せれば、暖房器具に早代わり。
山屋は一つのもので色んな使い方を、日夜考え続けているのだ。



「をい、携帯ガスコンロは無いのかな?」って。
そんなヤワなもの、キクチ家にはありまへん。
有ったとしてもそんなもん
ガスボンベがいつでも店頭に有るとは限らないから
有ったとしても、要りません。
キッパリ。

だってラジウスが、クッキングストーブの中で最強と思えるからなのだ。
どんなに寒くても、お湯を完璧に早く沸かせるパワーは凄いとしか言えないし頼もしい。

20年以上も前の、岩洞湖でのワカサギ釣り。
この頃は、テントの中でワカサギを釣るっていう方法は考えられなかった時代。
本州一番の極寒の地は、昼でも平気でマイナス15度なんていう温度を記録する
いてつく氷の上で、素のまんまの釣り。

このマイナス二ケタ台での寒さの中
かじかんだ手で、なんとかラジュースに火を点ける。
そして、ワカサギ釣りの餌を買う次いでに、一緒に買ってきたはイイが
アルミの薄い鍋の中の鍋焼きウドンは、ウスラ凍っている。
それを取り出し、ワカサギを釣っている直径20センチの穴から
岩洞湖の水をシェラカップで汲み上げ、ウドン鍋の中に投入。
それをラジウスの上に載せる。
この時も、勢いよく「ゴォー」っという音を聞くと
なんだかホッとしたもんだ。



それに手が、かじかんだ時もラジウスに火を着け
金網ボールを載せ暖を取ったり、コーシーを沸かしたり
シェラカップに入れたポン酒を、ラジュースの上に載せ
熱燗なんかも作ったりして。

これが、ガス式のクッキングストーブだと、こうは行かないっていうか
マイナス二ケタ台では、まず火が着きません。
あまりの寒さにガスボンベの中の液体ガスが気化できないで液のまま。
だから、自分の腹の中にガスボンベを入れ暖め気化させ、てようやく着火したガスコンロ。
この火力が弱いガスボンベを暖め、気化を促すヒート板を使うっていう手もあるが
それでもマイナス二桁台の気温では、弱々しい火で
横風に吹かれると、あっけなく消えてしまう。
この点ラジュースは横風にもメッポウ強く、よほどの風でなければ消えないのだ。
だから、極寒の野外で使うのには大変よろしいラジュース。


ひっさしぶりに2月の終わり、ワカサギ釣りにとゴちゃまに誘われた。
それもテントの中での快適、お大臣遊び。
この日の朝一番の気温はマイナス15度。
ゴンちゃまが取り出しましたガスボンベ式のストーブ
ハタしてどうなる事やらと見守っていると
チャンと仕事をしてくれます。

テントの中、無風状態だとガスボンベもOKなのですね。。
っていうか、今どきのガスボンベは20うん年前に比べたら
性能が上がっているのかもしれないね、オイラが知らないだけで。


という訳で停電の間も、ご飯も炊けたし暖かい味噌汁も飲めたラジウース。
流通が滞ってしまっても、燃料の心配をしなくていいラジウス。
手が煤で真っ黒になって灯油臭くなっても、いまだに使うレトロなラジウス。
音がうるさくてしょうがないが、それが逆に心強かったりするラジウス。
壊れたりしても、真鍮製なので蝋付けで治ったりするラジウス。
俺と一緒に、おおよそ半世紀歩んできた仲だし
なんたってユーフォーみたいなボディーが魅力的な、ラジュースだしな。




2011/5/6


















サクラマスぅぅぅぅ



大震災の為、大幅自粛というわけで
今シーズンのサクラマス釣りは、大幅に遅れてのスタートとなった。
って言うか、ならざるおえなかった。
というか、三陸海岸沿いに流れ込む河川への釣行は遠慮する事にした。

そうするとラストチャンスは、6月1日サクラマス釣り解禁となる秋田の河川。
その照準を西の方向に合わせる事にした。

5月31日、ッパッパカと店を9時に閉めて
デパスを飲んで、目覚まし時計を午前一時にセット。
気合を入れないで、床につく。

丑三つ時の午前一時、目覚まし時計が鳴く小鳥のサエズリが遠くで聞こえ始めた。
さっき寝たばかりなのにと思いながら「あ〜、起きなきゃなんないなぁ」と
薄い意識の中で、目覚まし時計のボタンを押した。
それがイケなかったのだ。
遠い意識の中では起きたつもりが、そのまま寝てしまったのだ。
「あっ!」と、気づいて、布団を蹴飛ばしたのが午前2時半。
出遅れてしまった。
と、慌てて車を出す。

気付けの紅茶をガブガブ飲み、デパスの解毒をしながら西の方向に急ぐ。
現地に着いたのが5時過ぎ。
近くのコンビニでサクラマスの遊魚券を3500円で購入。
川に急ぐと、川の中の一級ポイント中州には釣り人が、、、、、、、。

「まっ、しゃあねぇな」と、釣り支度をして川の中に入る。
中州に着き情報を尋ねると「まぁまぁだね」と
ストリンガーに繋がれた、サクラマスを見せつけられる。

やっぱりな「解禁日はバージンポイントにルアーを先に投げた者が勝ち」
と相場は決まっている。

仕方が無いので、次のポイントにと車を走らせるが
どこもココも、釣り人でバージンポイントなんて有りゃしません。
「今日は勝負が有ったな」と悟りつつ、ガバガバヤリマンポイントに
ルアーを投げるも沈黙。
こうなりゃ、明日の朝一番に掛ける事にして、早々と昼前に帰路につく。

6月1日、この日もッパッパカと店を9時に閉めて
デパスを飲んで、目覚まし時計を午前一時にセット。
今日は気合を入れて床につく。

丑三つ時の午前一時、目覚まし時計が鳴く小鳥のサエズリが遠くで聞こえ始めた。
さっき寝たばかりなのにと思ったが「今日はバッチシ起きるぞ」と
気合を入れて布団を蹴飛ばした。

今日も気付けの紅茶をガブガブ飲み、飲んだデパスの解毒をしながら
西へと川に急ぐ。
現地に着いたのが3時半、まだ真っ暗だ。
取るのも取りあえず、釣り支度をしポイントにと気が急く。
川岸には先客が居たが、車の中でグッスリと睡眠中のようだ。

先客を起こさないように、静か〜に釣り支度をする。
まだ真っ暗な川岸の雑草の中を高輝度ペンライトで照らしながら
草を掻き分け、川岸を目指す。
そして中州を目指し真っ暗な川の中を、滑って転ばないように慎重に進む。

中州に着き30分もした頃、ようやく小鳥のサエズリが聞こえ始め
遠くの稜線が薄っすらと見え始めた。
さてと、始めますかとルアーを投げ始めるとする。

すると釣り人がジャブジャブと、中州を目指して集って来た。
その中の釣り人が「え〜、もう居るんですかぁ」と言い
もう一人の釣り人が「昨日から中州で野宿してたんですかぁ」と言った。
朝からボケをカマスのもアレなんで、笑ってスルー。

ルアーを投げ始めるが、まったく反応無し。

しばらくすると、下流の釣り人にサクラマスがヒット。
大きく竿をしならせています。
上手くイナした竿サバキを見ていると、かなりヤリ込んでいる人と見た。
その竿のシナリ具合から、60センチは有るとオイラはふんだ。

それにしても、手こずっている様子だ。
で、バカでかいタモ網に納まったサクラマスを見に行ったら
60センチどころの話じゃない。
70センチに近いな、とみた。
釣り人は満面の笑みを浮かべながら、釣ったサクラマスにメジャーを当てた。
その大きさ66センチ。
一緒に来た仲間に、サクラマスを抱いた写真を撮ってもらってドヤ顔。

先にポイントに着たのにm他人に先に釣られて悔しいがオイラではあるが
いっくらいの大人なんで「おめでとう」と祝福。
すると、釣り人は「ありがとう」と言いながら
ななな〜〜んと、サクラマスをリリースするんじゃ、あーりませんか。

思わずオイラは「もったいねぇ〜な〜」と、口が滑ってしまった。
すると釣り人は「俺たちの釣りクラブは、釣りあげたサクラマスは
全部リリースが基本ですから」と言った。
その意外な言葉に釣られたオイラも「そ〜ですよね」と
ガラにも無い事を言ってしまった。

気を取り直してルアーを投げ始めるも、次はオイラの上流に居る釣り人にヒット。
「なななんでぇ、俺じゃねぇのか?」と思いながらも
上流の釣り人が、サクラマスとヤリトリしながら下がってくるので
場所を空けてやる事にした。

この釣り人もヤリ慣れている竿サバキなので、安心して見てられるタモアミ操作。
さっき揚がったサクラマスより一回り小さいが50センチ後半と見た。
メジャーを当ててみると58センチ。
イイくらいのサクラマスでしょ。
「おめでとう」と祝福。
これもまた、写真撮影の後、優しく川の中にリリースだと。


オイラの場合、サクラマスは小さかろうが、痩せているだろうが
せ〜んぶ持ち帰り。
あんなに苦労して釣ったっていう事もあるが
あの美味しい鱒の頭の味を堪能しないなんてモッタイ無いと思うからだ。
だからリリースなんてのは、もってのほかだ。

じゃぁ、サクラマスをリリースした事無いのかと言われると
自ら進んでリリースした事は無いのだけれども
「自動リリース」って言いうのは、たくさん有る。

昨今のサクラマス釣りは、直径80センチもある大きなタモアミを
肩に背負うっていうのは当たり前の事だが
オイラがサクラマス釣りを始めた30年前は
背負える大きなタモアミなんて無かった頃で
セイゼイ直径30センチ止まりの、タモアミしか無い時代だった。

だから掛かったサクラマスを取り込むときに
ルアーのフックが、タモ枠や網の上部に引っ掛かってしまい
その抵抗でサクラマスが暴れた弾みで針が外れ
そのままバイバイなんて事が、まま有った。

だから、危険なタモアミを使わないで
ギャフを使ってサクラマスを引っ掛け
川から揚げるという釣り人も居たくらいだ。


そんな自動リリースの中で、いまだに記憶に残っている事がある。

それは、ようやく釣り上げたサクラマス。
その大きさ、ようやくサクラマスと言える50センチオーバー。
※50センチ以下のサクラマスは、われわれサクラマス釣り仲間では
「シュードスモルト」と言って、銀毛ヤマメの部類に入ると定義されている。
だから、サクラマスは50センチを超えなければサクラマスとは言わない。
キッパリ。
あれだな、魚体の重さでブリかワラサか名称が分かれるのとおんなじだ。

で、あっけなくタモアミの中に納まったサクラマス。
それとタモアミにルアーのフックが複雑に絡み合い、外すのがひどい。
しょうがないので、岸辺の砂地に上げてサクラマスの外し方をする。
ようやく外したサクラマスは、スグにエラにナイフを入れて血抜きをし
続いて腹を割いて内蔵を取り出す。

昨今のサクラマスをリリースしない、持ち帰り派の釣り人は
ストリンガーにサクラマスを繋いで、帰る時まで生かして置くのが普通らしいが
そうしてストレスを与えると、魚の味がドンドン悪くなるなる。

話は変わるが、ガラスの生簀に泳がせて置いた魚を
網ですくっての「活け作り」
コレなんかは、ストレスが掛かかりまくった、最低な魚の食い方。

さらに言うと、鯛やヒラメなどの白身の魚は血抜きを完璧にし
衛生に注意を払い、サクにとって定温で3日目が
グリコーゲンやイノシン酸、乳酸などの旨味が増してくるので
この食べ方が一番美味しい食べ方だ。
というのは、船釣りマンの定説。
だから活け作りなんて言う料理は、ほとんど美味しく無い魚の食べ方だと思うぞ。
けども、ワラサなんかは、ゴリゴリの青臭いのが良しとして
早食いする食文化が、南の方にはあるみたい。

だからオイラは何時も、魚は釣り上げた時点でエラにナイフを入れ
血抜きをし、完璧に〆る。
そうすると、身にも血が回らず生臭さも出ないので美味しく戴けるのだ。

更に言うと「神経抜き」という、〆方をする釣り人も居る。
血抜きまでは一緒だが、それから延髄に沿ってある神経の本流に
ピアノ線を通して、神経を抜くという作業を加えるのだ。
こうする事によって、死後硬直を無くし美味しい肉質にするのだという。
オイラはそこまではしないけどね。

コレに反して、意外と外れないのが「スレ掛かり」のマスだ。
背中だの腹だのに針掛かりした鱒は、口掛かりの鱒では考えれない
猛烈なファイトをし、外れるんじゃないかと思うほどだが
コレが意外と外れないものなのだ。

このサクラマスに火を通してみると
塩鮭よりもずっと薄い皮に「よ〜く針が外れないものなんだな」と
その皮と身の間にあるコラーゲンと
たいへん美味なる鱒脂に舌ツツミを打つ事になる。




話を戻す。
血抜きをし、腹を割いたサクラマス。
表面に砂も付いていたので、川の中に漬けて手のひらで優しくコスろうとした
その瞬間、手のひらの中からスルリとサクラマスが抜けて行き
ユラユラと尻尾を振って川の底にと滑って行った。

エラも内臓も無いサクラマスが泳いで行くのを呆然と見送ったオイラ。
まさか、エラも内蔵もないって言う事はだ
心臓も無い魚が泳ぐとは思っても見ません。

しばらく寒風吹きすさぶ川原に、呆然と立ち尽くすも
気を取り直して下流の岸辺に打ち上げられていないか
くまなく探し回ったって言うのは、笑えない事実だ。

まぁ、よ〜く考えてみると
活け作りにした魚の尾っぽがヒラヒラと動き、口がパクパクと開くのだから
まっ、心臓が無いサクラマスが泳いで行く事は有りえない事も無い。

だから、それ以降
少々、血で汚れていようとも川の中では洗わず
そのままゴミ袋に入れ車に戻り、即クーラーボックスに入れて氷詰めにする。

そんな事を考えながら、自慢の自作ミノー「シカー」を投げたり
昨シーズン伝え聞いた秘策のミノーを投げたり
17グラムのチヌークもどきのスプーンを投げたりして竿を振っていたわけだが
オイラの竿だけはシーンと無言のまま。
すると又、下流に居る釣り人の竿にサクラマスがヒットするわけ。

「なんでオイラにはサクラマスが掛からないんだ?」と自問自答。
だから、下流に居る釣り人に、近寄って見に行く元気も無くなってしまった。

遠く目にも見て、50センチ後半と見受けられた。
また、デジカメをベストのポケットから取り出して撮影後
大事そうに優しくリリースしていた。

その後すぐに、オイラの上流に居た釣り人にサクラマスがヒットし
オイラの所までやり取りしながら下って来た。
ガッカリし無気力になったままオイラは退いてあげて
そのやり取りを下流に見守った。

これも、かなりの引きを見せていて、タモアミに納まった魚体は60センチオーバー。
もちろん撮影の儀式を終った後は、優しくリリースだと。

そして上流に戻り際、オイラの横をすり抜けていく時「いくらあった」と聞くと
「63センチ」との事。
思わず「いいなぁ〜」と、愚痴っちゃったオイラ。
「そのうち釣れますよぅ」と、慰めの言葉を貰って
更にミジメ〜。

それから、周りの皆様にサクラマスの当たりも無くなった午前7時。
「今日は終ったな」と、誰かが大きな声で言った。
「はぁ〜、そうやね」と、心の中で呟いた瞬間
ヤブレ雑巾がルアーに引っ掛かったような当たり。

そうサクラマスです。
待望のサクラマスがオイラのロッドにヒットです。
チョイとヤリトリするも「なんか手応えが無いな〜」という弱々しさ。
心の中で「頼むから、マルタとかニゴイの外道では有りませんように」と祈る。

そして「鱒だったら50センチはギリでも越してくれよ」と願うも
足元によってきたのは、どう見ても40センチ半ばの小物のサクラマス。

ワラワラと寄って来た釣り人。
タモアミに入れたサクラマスを見て、寄って来た皆さんは沈黙。
絶対、心の中で「小っせいサクラマス」と言ってるに違いない。
っていうか、オイラでも心の中で「小っせい」と思ったからな。
だから「小っせいサクラマス」と、自ら小さい声で宣言した。

手の掌を当てると、二マタギとチョッと。
オイラの手の平のスパンは20センチだから45センチのサクラマスという事になる。
オイラの定義ではシュードスモルト、銀毛ヤマメの仲間だ。
でも、小さいが体高はあったので、美味そうな「サクラマス」だと思うことにした。
でも、周りの皆さんの目が気になって、〆る訳には行きません。

はやくコイツラ、どっかに行かないかな思ってはいたが
オイラの後方で、お喋りが始まって居なくなる雰囲気がありません。
それもそのはず、早朝も過ぎて通勤通学の人々が行きかう国道沿いを見ていると
サクラマス釣りの時間帯は、もう終ってしまったという雰囲気なのだから
おしゃべりは止まらない。

「リリースが基本です」と言った釣り人に「ですよねぇ」と言った手前上
リリースしなきゃなんない流れが出来上がってしまっている。
それも45センチの小物じゃ、とてもじゃないが持って行ける雰囲気じゃないし
「当然リリース」という空気がこの場に流れてます。

そんなオイラは涙をこらえ唇を噛んで、生まれて初めて
サクラマス釣り史上初めての自らの意思でのリリース敢行。
なにかしら手が震えていたって言うのは、恥ずかしながら事実です。
だから、こんな小物をデジカメに残すっていう気はまったく有りませんです。


ようやく、サクラマスのリリースショックから立ち直れそうになった
今だから笑って語れるのだ。

秋田県のサクラマス解禁日から2、3日経つと
そう簡単に易々と釣れるサクラマスは釣り切られて居なくなります。
後は歴戦練磨のヤリテババァの鱒だけが残って、まず釣れません。

そして気温も25度を超えるようになり、川の水温も16度を超えて生温くなると
サクラマスは深場に落ちてしまい、あっという間に釣れなくなってしまって終了。

なんか今年はカスカスのリリースの失意で終わったサクラマス釣りだったなぁ。
と、思いつつ馴染みの魚屋さんでキングサーモンの落としを買って食べたのである。
2011/6/11



 









R.I.P Whitney






三昔前。
晴れて、親元から離れて札幌に旅立ったオイラ。
その年の夏休み、これ幸いと札幌で遊び倒そうしたが
悪友たちが里帰りし、遊んでくれる友がいなくなり
しょうがなく、里帰りしたオイラだった。

高校生の時までは、吉田拓郎、井上陽水とかの
日常を写し取ったフォークソングに狂っていたのだが
すすき野で遊び始めたオイラは、ソウルミュージックにハマリ
4畳半フォークソングは、なんだかダサく感じはじめた頃だった。

夏休み、盛岡に帰っては見たものの、踊り場なんていうもんは無くて
スナック片隅に置いてあるミュージックボックスに100円硬貨を投入して
ミュージックボックス相手に踊っていたのだったが
どうもねぇ、物足りないっていうか、ゼンゼン面白くともなんともない。
でも、それしかないのだから、しょうがなく踊っていた。
そんな、しょうがなく踊っている顔馴染みも出来て
ソレはソレでおもしろかったな当時。

で、レコードもソウル系のモノを集めだしたのは言うまでも無い事。
佐々木電気とか東山堂っていうレコードを扱っている店に
暇をもてあましているお昼過ぎに入りびだっては
ソウル系のレコードを漁っていたのだが
ソウル系のレコードの入荷枚数は少なくて、あっという間に店を出る羽目に。

で、東山堂で見つけたマイアミソウルのコンピアルバムを
小脇に抱え家に帰ろうとしたとき、道向こうから
スラリとした美少女が歩いてきた。
「あ、マユミちゃんだ」と、気付いたオイラ。

マユミちゃんもオイラに気づいたような素振りを見せたが
そこはそれ、幼馴染み同士ゆえのテレが有って
ソワソワしながら、声も掛けれず、ただ、すれ違った。

そんなマユミちゃんの小学生の頃は、運動抜群の女の子で
体育係のイベントでは、必ず選出されるくらいのスター選手だった。

オイラはと言えば、まさに運動オンチで、運動会の練習が始まると憂鬱な日が続く。
特に球技系はマッタク駄目で、雪合戦なんていう遊びは大の苦手。

唯一、人並みに動けるのが水泳の時間だけ。
夏休みのプールの回り番時間、町内の子ども会では物足りず
ほかの町内の時間帯でも構わず、昼飯を挟んで午前と午後の
一日2回城南小学校のプールに通っていたがそれでも物足りない。

その当時、山岸小学校にはプールが無くて
中津川を堰き止めて作った、簡易プールがあった。
午前と午後のプール番をこなしたオイラは
そのあと山賀橋プールに直行、日が暮れるまで浸かっていた。

何たって、カジカとカニを掴めるプールなんて滅多に無いからな。
そんな、川遊びは高校生になっても続き
5月の連休早々、川に潜って魚を追いかけたというくらいの川潜り馬鹿。
このように超偏執的な行動はADHD児童の特徴らしい。



そんな運動音痴が「ADHD」という、脳と筋肉の伝達回路が形成されていない
「運動障害児」だと解明できたのは、ツイ最近の事だ。

さらに、変声期を迎えるのも遅くて、高校に入ってもキンキン声でいたのは
オイラだけで、どチビの小太り肥満体でもあった。

3年生の終わりの冬休みの事。
それが終わりに近づいた頃。
夜寝ているとき、あらゆる体中の骨がギシギシと唸りだし
体中の関節が痛くて目が覚めたくらいだった。
皮も剥けてきて、歩くと擦れる刺激で先っちょがコソバユかった。
そんな突然ことにオイラは、原因不明の病気で死ぬかと思った。

冬休みが終わって、高校の教室に入った時
級友達に「背がエライ高くなったナ」とか「声が野太くなった」と言われた。
そんなオイラは、級友達の背が低くなってしまったと錯覚するくらいの急変だった。
キクチくん覚醒の時が来たのだ。


それからは、自分でもビックリするくらい体が機敏に動くようになり
頭で考えなくても体が勝手に機敏に動くし
脳でイメージした通りに運動すると、体もそれに連動するようになった。

札幌の大学では高速キャッチボールの球も怖くなくなり
バスケのボールも奪いに行きシュートするくらいになった。
走っても速いとまではいかないが、人並みのタイム出せるようになり
オイラ自身ビックリもしたもんだ。
だから、このまま進化を続けていくと
なんかの種目でオリンピックに出られるんじゃないかと勘違いするキクチくん。
それは変声期を迎えて、脳と筋肉の伝達回路が繋がったという事らしい。
今ではそれが解明され「発育障害」という「ADHD」でもあったのだ。

同じADHDでも「学習障害児童」という障害もあって
こちらの方は、脳の前頭葉がフリーズしてしまう障害。
これの対処法は、常に覚せい剤を常用しなければならないという
非常にやっかいなモノらしい。
これも、大人になるにしたがい前頭葉が活性化される人も、稀にいるらしい。

それと「ジャイアン症候群」というADHDもあるらしくて
これは他人にメッタヤタラに暴力を振るうと言うモノらしいが
小学生とか中学のころ、ムヤミヤタラと他人を攻撃する奴がいたが
どうもそれが、そうらしい。

そういう脳機能障害を、全部ひっくるめて
今では「ADHD」というカテゴリーに当てはめてしまうらしい。
つまりオイラはADHDの「発育&運動障害児」だったという事だ。

人づてに聞いた話によると
アメリカ人で、やたらとテンションが上がりまくっている映像を良く見かけるが
あれも、ADHDのなせる業らしい。
アメリカ人の1/3はADHDだという話もある。




で、話は小学生時代に戻る。
年中スポーツをこなしているんでスタイル抜群
そして小麦色のキリッとした端正な顔、そして笑顔が可愛いマユミちゃん。

学校を休んでポートボールの対外試合で遠征したマユミちゃん。
次の日、教室に戻って来た時、薬指に指輪を嵌めてきた。
「な〜んだよソレ、大人のマネして」とカラかったら
「対戦相手に記念に貰ったのよ」と言った。
よ〜く見ると、ただのビニール製の管のような指輪だった。

その指輪を外し「ちあきくんにあげる」と言って、オイラの人薬指に嵌めてくれた。
オイラは、顔に血が上って真っ赤っかになったのは、言われなくても分かったくらいで
「顔から火が吹く」とは、こういう事を言うのだったな。
 
オイラの初恋は、白梅幼稚園の時の大和先生だったから
これは間違いなくセカンドラブだ。


そんなオイラは正月、家の近くの坂で
トタンで仕上げた高速仕様に作り上げたソリに乗って
ビュンビュン滑って、ソリ遊びに夢中。
そこに突然現れたマユミちゃんとアツコちゃん。
そえはそれは綺麗な振袖姿で、まぶしいくらいの姿だった。

新年のお祝いに、オイラの家に尋ねて来てくれたのだった。
ソリ遊びに夢中になっていたオイラは
なんだか大人びたマユミちゃんとアツコちゃんを見て
「ソリ遊びに夢中になっているオイラは、なんてガキなんだろ」と引け目も感じた。

そんな、お二人さんを従えて家へと歩いている途中
町内で「ベッピンさん」と、言われていたミナコちゃんとバッタリ遭遇。
ミナコちゃんは「んんんんっ!」と咳払いの連発を発した。
それを見たマユミちゃんとアツコちゃんは
「や〜ね、あの子」とか言って、自分たちは綺麗な振袖姿で
アドバンテージを取ってるもんだから、余裕のコメント。
オイラは女の静かな戦いに、チョッとビビった。

そんなセカンドラブのマユミちゃんとは別々の学区だったので
中学では、お別れになってしまった。

でも高校は同じ学校になって、オイラは内心「やったぁ」と思ったが
学校内でスレ違うマユミちゃんは、オイラの事をマッタクの無視状態。
オイラもソレにつられて、無関心を装ったのだった。
そんなウブな時代だったのよ、その当時は。。





んで、話は大学時代に戻って、その年の冬。
くそ寒い札幌を逃げ出して実家に帰ると
元々はオイラの部屋だった2階から、ホイットニーヒューストンの歌声がしてきた。

それは、死んだオヤジが掛けていたレコードからの音だった。
バタバタと二階に上がり、階段の踊り場の壁を見ると
ホイットニーが、ハーレーダビットソンに横掛けしている
モノクロのポスターが目に入った。
んで、そのポスターを見た瞬間「マユミちゃんが居た」と思った。

それは、親父がホイットニーのファーストレコードを予約し
その特典で戴いたアリスタレーベルのプレミアムポスターだった。

そんな親父とホイットニーの歌声を聞きながら
なにかと話しているうちに、自分の若い頃の話を話し始めた。

要約すれば、大東亜戦争が始まる直前、サントリーと名乗る前の会社に
醸造検査技師として入社、そして満州のチンタオに渡った親父。

その当時、各国の商社、工場が集まっていた国際都市チンタオ。
その歓楽街のダンスホールにハマって毎夜、繰り出したそうだ。

ダンスホールに行くと壁際に女の子が立っていて
気に入った娘が居ると、声を掛けて一曲50セントで
一緒に踊ってくれるシステムなのだそうだ
なんていう話も、聞かしてくれた。 

そんな親父が、「ホイットニーの歌声は人類の宝だ」と言った。
でも、その後、マライヤキャリーが出て来た時もソー言ったな。

オイラ的にはバリバリのソウルが大好きだったので
ホイットニーの、ポップス寄りの歌は、あんまり好きではなった。

でも、モノクロのポスターを見て「マユミちゃんがいる」と思った途端
ホイットニーのファンになったのは言うまでも無い。





で、それから暫くしてボディーガードっていう映画が公開になり
行き付けのスナックの女の子と映画館に行った。
まぁ、なんていうか、男の中にあるロマンをクスグル物語で泣けた。
って、言う事を彼女にすると「げぇっ」と言われた。
一緒に観てたくせに。

それと「タイタニックなんか、すんげぇ泣ける映画だったよね」
なんて、言うと女は皆ドン引き。

「アルマゲドンもイイよね」なんて言った日にゃ、白い目で見られる。
分かっちゃいねぇんだよな、男心の中にある乙女心を


スーエンサーでも、そんな感じの事をWネクタイの出川が喋ったら
周りの十代の娘たちは「そんなの有り得ない」とか
「夢を見過ぎている」とか、メチャクチャ苛められていた。
ロマンを求めすぎる男と、現実を見据える女との溝は
永遠に深くて暗いものだ。


2012・2・11、ホイットニーが、オーバードーズで死んでしまっった。
KING OF POPSのマイコーも薬中で死んじゃった。
そんな米国のショービジネスの世界、薬に頼らなけらばなら無いほど
過酷で熾烈で、ストレスが溜まる世界なんだなと思った。

んで、年収がウン十億
そりゃ、毎日がドンちゃん騒ぎのパーリィーになっちゃよな。
で、もっともっと、楽しい事は無いかと刺激を追い求めると
アルコールじゃ、物足りなくなっちゃうんだろうな。
ほいで、取り巻きの悪いヤツらが「クスリ」を勧めるわけ。
みたいな事になっちまうんだろうな、たぶん。。

高いヤクに手を出せない、かつかつの庶民生活が一番幸せかもね。





今こうして、ホイットニーのレコードに針を落として聞いている訳なんだが
改めて、その歌唱力、表現力、声圧には圧倒されるし
なんだか、一時代が終わってしまった寂寥感が迫ってくるのはオイラだけかね。

2012・2・16














戦後の道具

11月15日から始まった狩猟期間
2月の15日で終猟となる。




これまでのシーズンだと、毎朝の5時に起きて
取るのも取り合えず、13時くらいまで
一心不乱に山の中をガサガサと駆けずり回っていた。

だから狩猟期間が終わると
鉄砲を担いで走り回っていた緊張感とか、高揚感とかが
いきなりプッツンと切れてしまう。
だからか、精神的にも体力的にも疲れがドッと出て
一日中コンコンと寝ている状態が、桜の花が咲く頃まで続いていた。

平成22年度の狩猟に入ると、狩猟に対する過渡期を越えたのか
朝の5時に起きて山に行くのは、解禁して1週間くらいなもんで
あとは、7時過ぎくらいから、ゆっくりと出猟。
だから狩猟期間が終わっても、そんなに疲労感が残らなかった。

んで、禁猟となってから時間が余り、暇をもて余すわけで
そんじゃ、しばらくぶりにワカサギ釣りにでも行ってみようかなと
鮎釣りの大会で、お知り合いになったゴンちゃまに
「ワカサギ釣りしたいんですけど」と、お伺いを立ててみたら
「よかろう」の一言で、岩洞湖にワカサギ釣りに行く事となった。

それはゴンちゃまの「釣りブログ」を見ていると
夏はモチロン、仕事そっちのけで鮎の竿を毎日、担いでるし。
厳冬期には、ほとんど仕事をしないで
岩洞湖に穴を開けまくって、ワカサギ釣りばかりしている。
さらにはヒコーキに乗って、北海道に渡ってまで
ワカサギのケツを追っているというくらいのワカサギ釣り狂い。

「そんなに夢中になるもんかね、あんなチッチャイさかな」
と思いながらゴンちゃまのブログを眺めていたオイラ。
だから「大の男を夢中にさせる近代ワカサギ釣りとは?」
という、冷やかし半分の興味も沸いたってわけだ。

一応、30年前にワカサギ釣りを始めるには始めてはいたんだが
なんせ最低気温が本州一ときて
マイナス20度超えもフツーにある岩洞湖。
そんな吹きっさらしの氷上
遮蔽物も、何もない素のままでの「露天商・ワカサギ釣り」
だから、せいぜい頑張っても2時間くらいが限度。





釣りを終わって、帰りの車の鍵をポケットから出すのに一苦労。
その鍵を持とうにも、指先が凍ってしまい持てないテンボウ状態。
だからドアーの鍵穴にキーを入れようにも入れれないんで
両手を使って鍵を挟み持ち、なんとか鍵穴に入れる。

で、入れた鍵は回せないくらい指が凍って力が入らない凍傷寸前。
しかたないので、両手グーで鍵を挟みなおし
力を入れながら、なんとか鍵を回し車の中に入る。
そして、感覚が麻痺している右手を左手で持つようにして
なんとかエンジンのセルモーターを回す。

帰りの車の中、ヒーター全開で山道を降りて行くのだが
骨の髄まで凍っている体は、なかなか暖まらない。
そしてヒーター口に当てていた指が暖まり、血が勢いよく回り始めると
指に膨張感が出てきて、痛痒くなってくる。

そして一時間くらい走り家に付く頃、ようやく体が温まる。
と、凍り付いていた体中の筋肉が融け始めると
キラウエラ火山の如き疲れがドッと大噴出。
居ても立っても居られないそんな、どうにもならない気だるさが
猛烈に襲って思考回路が止まるのだ。

まっ、あの頃オイラは20代だったので
それをもモノともせず、岩洞湖に週三で通っていたものだ。
その頃の釣果は釣ってもセイゼイ50匹くらい。
まっ、20匹越えたら良しとした釣りだった。

それが30代に入ると「テントを張ればイイのじゃ」と気付き
高校時代、山岳部員だった頃のテント引っ張り出す。

このテントは、今のような軽量ナイロン製じゃなく
黄色くて分厚い木綿の布地で出来ている、くそ重たい家型テント。
これを張るわけだが
これがまた、吹きすさぶ氷上の上での設営は、ほとんど面倒。
一人じゃ無理。
なので、だんだん岩洞湖への足が遠のいて行く。

そうこうしている内に、ユーミン姉ぇさんのブリザードを聞きながら
スキーにハマリ込み、ワカサギ釣りはオイラの趣味から外れていく。

さらに狩猟に嵌まり込むと完全に、ワカサギ釣りってなんなの?状態。
そんな経緯があるから、久しぶりのワカサギ釣りに
正直なところ誘っていただいたのに、ちっとも心躍らず。

で、ゴンちゃまと待ち合わせの岩洞湖湖畔の小石川駐車場に午前4時に付く。
すると、オイラの事を待ちわびていたゴンちゃまが
キラキラと空中を漂っているダイヤモンドダストのなか
イソイソと釣り支度をしていた。



で、その装備、馬鹿でかい赤いソリに道具がビッシリ。
「たかがワカサギ釣り、そんなに道具がいるもんなのか」
っていうくらいの、大盛り山盛りテンコ盛り。





外気温マイナス25度、凍て付く寒風を突いてポイントに着くと
最初に取り出したのが、自動車の電装関係では世界的に名高い
ドイツ製ボッシュ社の充動式ドリル。
それも36ボルト駆動の世界最高峰モデル。 

その先に、アイスドリルを取り付けスイッチオン。
ガリガリっと、アッという間に穴が開きます。
その駆動時間3秒。

てか、オイラがワカサギ釣りを始めた頃は
まだ岩洞湖漁協が発足しておらず、ヤリタイ放題の無法地帯。
だから、ツルハシやら馬鹿長い鉄の棒で、ゴッツンゴッツンと氷を砕き
直径60センチあまりの穴を開けるのが普通。
中には風呂桶くらいの大きな穴を開け
数人が仕掛けを垂らすなんてのがフツーにあった。
そして釣りを終わって放置されクソ大きい穴は薄い氷が張り
非常に危ない落とし穴になったりした。

でも、何事もカッコウから入るオイラは
ノルウェイ製のケッコウ値が張るアイスドリルを持っていたので
ツルハシ片手のドカチン野郎羨望のマナザシを受けながら
これ見よがしに、グリグリとアイスドリルを回し
スマートに、そして気分良く氷に穴を開けていた。
そんなオイラを見て、図々しいヤカラが
アイスドリルをヨク借りに来たもんだ。

でもって、本州一寒い岩洞湖の氷の厚さは60センチ以上。
だから、手動アイスドリルでは連続3個以上の穴開けは
腕が上がってしまい無理。

それがねぇ、ゴンちゃまの電動ドリルの威力は
パンダ型の電動カキ氷器で、カキ氷を作る以上の早さで穴が開く。
そして、そしてだ、なんと開けた穴に魚群探知機を入れる。
これを繰り返し、一番魚影の濃いところ探し歩くのだ。
たかがワカサギ釣り如きに魚群探知機。
オイラはびっくらコキます。 
「はぁ」っていう声しか出ませんです。

で、魚群探知機の反応が良いワカサギを釣る穴が決まったら
テント張るわけなんだが、これがまた30秒で設営可能できる
ワカサギ釣り専用六角テント。
まっ、さっきの魚群探知機に比べたら、まったく驚きはしませんけどね。



この六角型テント、その居住空間の広いのなんのって
テントの中で相撲がとれます。
そこに、発泡スチロールの敷きマットを敷き詰めて
さらにカセットボンベのストーブなんか炊くから、暖かいのなんのって。
外の気温がマイナス20度だなんてウソみたい。

で、次に取り出した釣り道具。
それが電動リール付きの竿だってよ。
さすが、大農園主。
たかがワカサギ釣りに金を掛けるケタが一般人と丸が一桁違います。
と、思ったら周りの皆様方も、同じような装備でアキレカエリます。

一緒に来た隣のテントから這い出して来た、チーポテのおっさん。
オイラの30年前のワカサギ釣りセットを見た途端
「戦後のタックルだっ」と、きわめて失礼な言葉を、のたまわった。

そんなオイラの戦後のタックルと言えば
スピニングリールにゴキゴキのグラスファイバーの穂先
道糸が2号のナイロン糸に、2号の針と2号のオモリって感じ。

対する今時の近代仕掛けは、ミニ4駆のモーターを流用した電動リールに
微妙な当たりも取れる薄っぺらい穂先。
そして道糸がPEの0.1号、それに0.2号のフロロカーボンのハリス。
針が米粒の1/3くらいしかない0.5号の秋田キツネの針。
そしてオモリが0.3号だと。
当然、釣果は貧民と大富豪のくらい、差が付きます。

よ〜く考えてみると、体長5センチの魚なんだから
仕掛けは、そんなモンでいいはずなんだけど
でもそれは、プラス気温のテント内だから出来る仕掛けだ。

それに対し戦後の仕掛けは、吹きさっらしの露天での釣り
アッという間に凍ってしまう竿やら仕掛けから
氷をバキバキとムシリ取っても大丈夫な仕掛け優先なんだな。
 
何から何まで30年前のワカサギ釣りからは想像できません。
という事で、たかが5センチくらいの木っ端サカナに
「湯水の如く金を掛ける近代ワカサギ釣り」
そんな投資金額の元を取れないワカサギ釣りを
存分に堪能させて頂きましたってわけ。

という事で、穴を開けた氷に顔を近付けた姿勢のまま
ワカサギの喰いの反応が出る穂先を、ジッと長時間見ているわけで
そんな格好が腰に良い訳ございません。
時間と経つとともに、腰が悲鳴を上げます。

案の定、次の日からギックリゴシ寸前。
ロキソニンの介ノ字貼りで、腰痛との戦いです。
たかがワカサギ釣りで、ぎっくり腰になったんじゃ話しになりません。
んで、その一回限りで近代ワカサギ釣りに行くのは止める事にした。



平成23年秋、クマタカの勧めでフェイスブックを始めた。
まもなくオイラにからんできたのが、ご近所在住のKimちゃん。

彼は狂が付くほどの鮎釣り師らしいが、ワカサギ釣りも狂が付くほどらしい。
だから「岩洞湖のワカサギ釣りが解禁したら行きましょうよ」と
誘われるんだが、あまり気乗りのしないオイラを見て
「氷に穴を開けて、テントを張るまで車の中で寝ていてください」
とまで言われ続けたんじゃ〜、行くしかないっしょ。


平成23年11月15日狩猟が始まった。
最初の3日くらいは、5時起きで出発していたんだが
その後は9時出発と例年に比べたら、ほとんど殺気がたりません。



それは、ある程度山を見切る力が付いてきたんで
そう急かなくても、ヤマドリを見つける事ができるようになったし
なんたって、銀ちゃんの猟芸が完璧に出来上がったのが大きい。

そんな狩猟、稼働時間が減ったので猟果が落ちるかなと思ったが
そんな事は無く、平年並みの猟果。

開けて1月15日でヤマドリ禁猟となって
鴨猟となると更に10時出発とか、11時出発なんていう社長出勤。
それでも、確実に鴨は獲れるから「オイラって天才?」みたいな。
だから「いつでも獲れる鴨」なんて思い込んじゃいます。

狩猟期間は法定で決まっていて年間90日だけ。
それで毎日7時間山の中を駆けずり回る事12年。
そろそろ、いいかなぁって脱力した感がある平成23年度の1月20日。
岩洞湖の氷が完璧に張ったのでワカサギ釣り解禁となった。

さっそくkimちゃんのお誘い。
そんな満腹感がある狩猟は一応置いといて
ワカサギ釣りにと、岩洞湖に出かけたってワケだ。
本当の所、あまり気乗りがしないワカサギ釣りなんだがね。

行ったはいいが、唯一の懸念材料「腰痛ヘルニア」
やっぱり、ワカサギ釣りを終える頃には、腰が居ても立っても痛くなる。
なんで、この釣りはヤッパリ勘弁かなと。

次の週も誘われるわけだが、そこでハタと思いつく。
「痛くなる前に湿布薬ロキソニンを貼っていけばイイジャン」と。
玄関を出る前にロキソニンを貼ってみた。
すると読み通り腰は痛くはなるが、そんな苦しくも無くスグに治った。

それを常連さんの外科の先生に話したら
「シップ薬は炎症を起こしてから効く薬であって
なんとも無い状態で貼っても意味が無い、それはフラシーボ効果かもしれんな」
と言われた。

でもフラシーボ含みの腰痛対策が、オイラ的に出来たので毎週月曜日
kimちゃんの休みに合わせての岩洞湖通い。

そうすると、あまり気乗りしないワカサギ釣りだが
顔を付き合わせる距離で数を競うなんて、他の釣りでは味わえない事だし
毎回、Kimちゃんにトリプルスコアーを付けられると
徐々にではあるが、オイラの中のエンジンが掛かるわけ。

それプラス、鮎釣りとフェイスブック繋がりの
papaさんや、nigoさんと交えてのワカサギ釣り。
釣りの話はモチロンの事、「ドジ話」とか「バカ話」や「エロ話」
軽口の応酬で、テント内は異常に盛り上がったりなんかして。
で、どのくらい盛り上がるかって言うてぇと
用足しにテントの外に出ると、うちらのテントだけが
やけにウルサイっていうくらい湖面に響き渡っていて
周りのテントの方々には、かなりヒンシュクもん。
って言うか、一番ウルサイのはkimちゃんなんですけどね。

こうして釣りをしながら与太話できるなんてのは
ワカサギ釣りならではだし。
これはこれで楽しいし。
それでチョイとばかしワカサギ釣りにハマルって行くわけ。

そうこうしている内に、岩洞湖の氷が解け始める3月の25日
氷上釣りが終わりとなる事が決定した途端
へそ曲がりのオイラは「ワカサギ釣り」に、激しく燃えるのだ。

でも寒い思いをしてまで、ワカサギ釣りはしたくないので
とりあえず、ワカサギ釣り用テントは絶対に確保しなければと
市内の大きな釣り道具屋に行くと「春の渓流釣り祭り」みたいな。
で、釣具屋のワカサギ釣りコーナーは大幅に縮小。
ましてや、ワカサギ釣り用テントなんて、最終バーゲンで売り切った後。

ならばと、岩洞湖ワカサギ釣りの草分け的存在の老舗ビーバー釣具に行く。
やはり、あるねぇ。
と言うわけで「ワカサギテント」購入。
社長いわく「あと3日で禁漁なのに買うの?」
だって、欲しいのは欲しいんだもん。
おまけで社長自作の岩洞湖スペシャルの仕掛けを貰ったが、、、、、。

そして15年ぶりにエリクソンの手動アイスドリルを納屋から引っ張り出し
ナマクラになっていた刃を外し、砥石で刃先をカリンカリンに仕上げる。 
準備は万端抜かりなし。

ほいで、kimちゃんには内緒で
こっそりと次の日、岩洞湖に出かける。
最初の穴は、岩洞湖ワカサギ釣り解禁当初
kimちゃんに連れられて行った家族計画村の丸秘ポイント。

前来た時は、確かこの辺だったなと、携帯GPSを頼りにポイントを定め
アイスドリルの刃先を確認しながらゴリゴリと回す。
良い具合にドリルの刃は研ぎが効いて、快調に穴が開きます。

そして、ワカサギテントの初張り。
アッという間にテント設営完了。
その所要時間5秒。
驚きの速さ。
イイもん買いました。





さっそく、この丸秘ポイントに仕掛けを垂らす。
アッという間に仕掛けが底に着きます。
その水深、2m有るか無いかの浅さ。
あれから2ヶ月も経つと、満水状態だった岩洞湖の水位が
発電放流のためなのか、ガクンと落ちていた。

で、てっちゃん謹製「岩洞湖スペシャル」の竿はピクリとも動かず。

そう言えばワカサギ釣りの名手NIGO氏が
「俺は魚群探知機はいらない、湖岸周りの地形を見れば
ワカサギが釣れるポイントが分かる」と、豪語していたので
オイラもそれに習って、テントから出て湖岸周りを見渡し
底水が動いていそうな所を、岸沿いの地形から大体の見当を付け
50mほどテントから離れた所に ガリガリっと穴を開ける。

で、テントを畳まないで、そのまま持ち上げカタツムリ移動。
そして、中の荷物もそのまま持ち上げ移動。
風が無いから簡単に移動できるが、元場所との3往復はケッコウ疲れる。
しかし、新たに開けた穴も沈黙。

またしてもテントから這い出し、湖岸周りを見渡すと
100mほど離れた所に、黄色いテントがポツンと一張り有って
なにやら怪しい、釣れ釣れ雰囲気がブンブン。





そのテントから10m離れたところに、おじゃま虫でシャリシャリと穴を掘る。
が、さすがに3個目の穴あけは辛いものがある。
休み休み、アイスドリルのハンドルを回す。
なんたって70センチに届こうかという氷に穴を開けるのだから腕は上がる。

こんどは遠いのでテントを畳みます。
その所要時間3秒。
あっと言う間だ。
建てても3秒、畳んでも3秒、ナマラいんでねぇのワカサギ専用テント。
そして、大移動。
かなり疲れるがワカサギを釣りたい一心で、元居た場所と3往復。
が、この穴もワカサギの反応は無し。

こうなったら、2週間前に良い思いをした「ウラ岩洞に移動してやる」と心に決めた。
なんか面倒くさいと思いながらも道具を仕舞い、テントを畳んで背負子に入れ
大移動開始するもジャクジャクの雪道に、ゼイゼエイと息が切れてしまう。





「ここからウラ岩洞に行くには車で移動し、そこから一時間以上は歩かなければ」
と、考えたら急に嫌になった。
最初の意気込みは、どこへやら。
釣りたい一心の気持ちは失せてしまい、止める事にした。

んで、このワンドで一番大きそうな沢が流れ込んだ跡
リバーチャネルの見当を付けて
「釣れても釣れなくても、この場所で心中」と、腹をくくる事にする。

今日4個目の穴あけ開始。
最初だけ調子がよくグイングインと回すがスグに腕が上がり
休み休み息を切らしてフラフラ腰くだけ。
時間をかけて穴は開けたが、もはやハッハッハッと酸欠のヨレヨレ。
一休みしてからテントを設営。
釣り始めます。
仕掛けが底に着くやいなや、今日最初の一匹目がポンと釣れます。
何だか妙に、うれしい。
腰の渋さ、腕のダルさもどこへやら。

それから、ポツリポツリのスローな釣れ方に
「ビーバー謹製ワカサギ仕掛け1.5号」に見切りを付け
がまかつ「F1みちのくワカサギ岩洞湖0.5号」にチェ〜ンジ。
するとエンジンが一気に掛かりだし、バシバシと休むヒマ無し。

でも、4個も分厚い氷に穴を開けた疲れからか
腰がキリキリと悲鳴をあげはじめた。
なんだかギックリゴシの予感がするので
釣れ続いてはいるが、切り上げる事にした。
釣れたワカサギを勘定してみると
ウラギャンドウ以来の100匹超えで、114匹。
生涯ワカサギ釣り最高記録更新だぜ。





レンチャンは無理っぽいから、一日置いて腰の調子を見ながら
岩洞湖ワカサギ釣り禁漁になる最終日、イソイソと出掛ける。

おとといの釣れ釣れの穴は山立てしていたんで
寸分の狂いも無く、同じポイントにゴリゴリっと、穴を開けます。

仕掛けを入れたとたん、竿先がピクッと動きます。
やっぱりだす。
良い感じでポンポンと釣れてはいたが昼間近、ワカサギの当たりがピタリと止んだ。
それもあって、腰が痛くなる前に上がりとした。
その数134匹。
出来すぎの最高釣果更新。

で、気分が良いオイラは心に決めた。
「来シーズンまでには充電式インパクトドリルを買うぞ」と。

で、ゴンちゃまのボッシュ36ボルト充電式インパクドリルは5万円オーバーの代物。
これは、4名さまで裏岩洞湖に行ったとき目の当たりしたが
一個の充電池で岩洞湖の60センチオーバーの氷に50個ほど穴を開けていた。
それでも魚群探知機の反応が良い所は見つけたれず
さらに、予備の充電池に交換して穴を開け始めていたが
kimチームは、釣りたい心が早っていたので、適当な穴で釣り始めた。

さらにと、良い所を求めて穴を開けていたゴンチームは結局
100個近くの穴を開けたところで、電池切れで終了。
で、知り合いからハンドドリルを借りて穴を開けていたという
「あんた達、何しに岩洞湖に来てるの?」状態で、かなり笑える。

このボッシュ36ボルト充電式インパクドリルを貸してもらって
どんなもんかと試し掘りしてみたが、この充電式インパクドリル
けっこうな重量感があり、非弱なオイラには、ちょいとヘビーな持ち重り。

なので、この半分くらいの数の穴を開けれれば良いから
もうちょっと軽くて安いモノをと、ネットで調べてみると
氷に穴を開けられる、現実的なギリギリの最低ラインの
充電インパクトドリルが18ボルトが最低ラインらしい。
でも、極寒の岩洞湖ではボルト降下が発生し
本来の18ボルトの出力は出では、チョイと非力らしい。
だから使えるのは、20ボルトの充電インパクトドリルらしいと
人柱になって、インプレッションを書いてくれた方々の談。

それでも、この20ボルトのインパクトドライバードリルは
「4万円オーバー」が、国内相場みたいだった。
で、これを個人的に輸入しドリルアダプターを付けたセット物でも
4万円オーバーとのこと。
でもコレにはオイラのイニシエのアイスドリルには適合しません。
だから、最新アイスドリルを買って下さい。
だって。

「そんなぁ、キツイなぁ」と「ワカサギ釣り如きに」と沈思黙考。




ちょいと安くはなったが、まだまだ円高傾向なんで
「自分で輸入すりゃいいんだ」と思い付いたってわけだ。
で、一ヶ月掛かって届いたブツがこれ。





DEWALT 20v(デウォルト20ボルト)DCD785C2
その総重量1.5kgという軽さと、コンパクトな本体がウレシイ。
オイラが去年買ったマキタの12ボルト充電ドリルより軽いのには驚き。
そしてその値段、国内流通価格の半分以下だ。

さて、このインパクトドリルとアイスドリルを
どうやって接続するかが問題だ。
という事で、ネットで調べていると、同じような思案している人が居て
「長尺ボルトを、間に噛ませると良い」と、説いていたので
それに見合う長尺ボルトを買ってきて、アイスドリル本体と長尺ボルトを凝視する。
前述の方は、無理やりドリル本体に長尺ボルトを打ち込んでいたが
これでは、持ち運びにチョイとばかし長くて不便と考えていたら
「そうっか、アイスドリル側の穴にタップを切ればインじゃねの」と思いつく。

さっそくタップを手に入れ、アイスドリル側の穴にネジをたてます。
ついでだから、届いたばかりのインパクトドリルにタップを装着し
躊躇せず、いっきにネジを立てます。

さらに、充電インパクトドライバーのチャックが緩んで
アイスドリルがスルッと氷の穴に落ちないように
長尺ボルトに氷穴ストッパーアッセンブリを差し込む。

そして、緩み止めナットを噛まして、グルグルと回して完了。
完璧に出来ました。
見てくれは悪いけど、オイラ的には満足の一品です。



30年前のアイスドリルが、最先端アイスドリルとしてよみがり。



で、ラスト2日間使ったのが「てっちゃんスペシャル穂先」
かなり敏感な穂先が、すてきな穂先だ。
でもこれは電動リール式ワカサギ竿用に作られた可変式穂先なので
オイラが使っているスピニングリール式ワカサギ竿には
ちょいとシックリと、来ないような気がした。



これが「てっちゃんスペシャル」オイラのワカサギ竿作りのベースがコレ。


それはスピニングリール式ワカサギ竿に取り付けるリールの
スプール径が大きくて、竿ガイドとの干渉角度の関係上
可変お辞儀仕様には出来ない。
だから、てっちゃんスペシャルのワカサギ竿を水平持ちにすると
ガイドの数が多すぎて、その重さが竿の適正負荷加重を超えてしまい
繊細な穂先を生かすことが出来ないのである。
だからワカサギが疑いながらソッと餌をクワえただけの
微妙な当たりが明確に表れないのだ。
なので、これに見合う穂先を作らねばと思ったしだい。

もう一点、電動リール式ワカサギ竿には丁度良い長さなんだろうが
スピニングリール式ワカサギ竿は、竿の全長が足りない。
なのでバットガイドの位置が近すぎて、糸の抵抗が大きく出が悪いのだ。

この2点を踏まえて、ワカサギ釣りが終わったと言うのに
ワカサギ釣り穂先作りに燃えてっていうか
ハマリ込んでしまったのだ。

竿作りと言えば、フライフィッシングではフライタイイングという
毛針を作る工程も楽しみの一つだが
「ロッドビルディング」という竿を作る楽しみもある。
まっ、ここまで来れば「狂」が付く釣りバカだがね。

このロッドビルディング、既製のグラファイトブランクを使って
塗装を施しガイドを取り付け、リールシートも取り付け
自分好みのカスタムデザインの竿を作る。

でもオイラは、このグラファイトブランクも作りたいと思った。
が、これだけは、それなりの設備と機械が無ければ作れない。
だから、既製のグラファイトブランクを買って
削ってみたり、塗装を分厚く塗ったり、もしくは塗らなかったり
ガイドを増やしてみたり減らしてみたり。
さらには、グラスのブランクを切ってティップ部に繋いでみたり
バッド部をグラスの柔軟なブランクで作ってみたり。
竿の調子を自分なりに変えてみたりもした。
が、ブランク素材そのものの素性は変えられずに意気消沈。
モヤモヤとした気分にもなったりもした。

じゃぁと言うことで、マッタクの無から作れる6枚貼り合わせの
竹竿に挑戦したりもしたが、竹竿は故障が多くて実用にはあまり適さない。
ま、雰囲気を楽しむっていう部分だけは、グラファイトの竿よりは趣はあるがね。

その点、ワカサギ竿はマッタクの無から作り出せるっていう点が面白い。
その素材、竹はモチロンの事、ペットボトルのスチロールとか、A4ファイルとか
下敷きとか、レントゲンフィルムとか、極端に言えば化学紙だってOKだ。
なんたって体長10センチにも満たない魚なんで、耐久性を考えなくてもいいし
振り込むという、竿に求められる大きな要素も無いから
ありとあらゆる物が、ワカサギ竿の素材となりえるのだ。

んで昨今、巷で噂になっている「ワカサギの屁をも感知する穂先」っていう
ラミネート加工の穂先が流行っているようなので
それをマネッコして作ることにした。

それは、100ミクロン厚のラミネートフィルムを5mmの幅でカット。
それを順々に張り合わせ、竹の子状にアイロンで熱圧着するというモノ。
オイラ目指すのは「ワカサギのゲップが分かる穂先」

言ってみれば「がまかつファインスペスペシャル」に
ソリッド穂先を装着した感じを、オイラ的にイメージした竿だ。
平たく言うと、ヘナヘナな穂先にしっかりとした元竿っていう感じで仕上げて行く。
そうして極限まで減らしたガイドで、ヘナヘナ感の竿の特性を殺さないようにした。

そんな感じで、道路の雪も融け春めいて来たっていうのに
「ア〜でもないコ〜でもない」と、ワカサギ釣り穂先を
シコシコと作っている今日この頃ってわけだ。



これが「ワカサギゲッパー23枚貼り」

自分で作っておいて言うのもなんだが、耐久性は考えていないので
「壊れて当然」と言うことで、このくらいの数は揃えていなければならないと思う。
果たして、その答えは来年に持ち越し。




これが噂の「nigoスペシャル」素材はワイパーという事だけは分かっているが
このアクティブサスのアクションを作り出す、その削り方とかの詳細は企業秘密なそうだ。
これは貰ったばかりなので、試し釣りは出来ないでいる未知の竿だがカナリ期待できそうだ。

という事で、あと9ヶ月で岩洞湖ワカサギ氷上釣りが解禁となる。


2012/04/13












20回来て一回のアタリしかない巨べら釣り


2011・5・9

朝もやが晴れ渡る湖畔で静かに竿を振っている老人。
日がな一日、ゆっくりと竿を振り、太陽が山並みの峰に沈むまで悠然と糸を垂れている。
ってな感じで見られている「フナ釣り」だと、オイラもそう思っていた。

40歳を目の前にした30も半ば頃「鮎の友釣り」とか「シーバス釣り」
「渓流のフライフィッシング」とか「海のルアーフィッシング」とか
果たしてこのまま歳をとった時、足腰が言うことを利いてくれ
アクティブな釣りを続けられているのだろうかと疑問に思った事があった。

そんな思いを巡らせたら「凛とした老人」が、朝もやが晴れていく湖畔
その岸辺に自然に溶け込むかのように座り込み静かに竿を振る。
そしてヘラブナを自分の思い通りにコントロールして釣っている自分が見えた。
ような気がした。

だから、そんな歳になった時、慌ててヘラフナ釣りをしたら
竿操作もママならない、初心者の自分がいるなんて事を考えたら、かっこ悪いなと思った。
だから、その時までには湖畔に座り糸を垂れているだけで一編の絵になるような
ヘラブナ釣りジジィになりたいと決意した。

だから取るのも取りあえず、ヘラフナ釣りでは有名な「はとば釣具店」に行き
色々とレクチャーを受け、道具を揃えた。
そして、はとば釣具店の社長に無理を言って釣り場に連れて行ってもらい
ヘラフナ釣りを始めるのだが、ヘラブナを毎年放流している池には連れてってはもらえず
野池とかダム湖とかの、ヘラブナが自然繁殖しているような所にしか連れてってもらえなかった。
そんなワケで、ヘラブナの姿を見ないまま、ヘラブナ釣りの第一歩を踏み出したってワケだ。

まだまだ、血の気の盛んな30台半ばのオイラ、そんな修行僧みたいな釣りはしたくないんで
はとば釣具の社長には内緒でヘラブナの放流が盛んな池に通い始めるのは当然の成り行きだ。

そこでは、周りに居るヘラブナ釣り師の一挙手一動の操作を盗みながら
見よう見まねで、放流ヘラブナの釣りを始めた。
そんな放流池でのヘラブナ釣りをやってみると予想だにしなかった事が一杯あった。
まず、溜まり池の中で泳いでいるヘラブナを、他人よりもいかに自分の所に寄せるかという
問題が出てくるわけで、それには岸辺の地形とか、風による貯め池の流れを読み
ヘラブナが周遊しているルートを考えポイントを決め座台を決めたり。
さらに、朝一の湖面に突如として表れる「もじり」っていう
勢いあまったヘラブナが水面でジャンプする仕草を探すって事から始めるのを覚えていく。

つまりヘラブナ釣り師は漠然と釣り場を決めるわけでは無く
その豊富な経験から割り出した場所を決め座台を設定してるのだ。
でも、計算ずくでは割り切れないものもあり
いわゆる野生の感っていうか、直感も必要なわけで
案外センシティブな部分もある釣りだと思った。

そして、ヘラブナを寄せるためのエサ作りってのが、これまた大変な作業だと実感した。
ヘラブナの食性は「植物性プランクトン」と言われているのだが
そんな植物性プランクトンなんていうモノは、釣りエサにはなり得ない。
だから代用として、マッシュポテトとか、麩を主原料とし色々な味付けをした配合エサを使うわけ。

そんなエサに水を含ませながら手でかき混ぜ調節していく。
そして浮きの上がり方のスピード遅い場合は水を足して、柔らかくしてみたり
逆にエサの融け落ちが速い場合は、粉末のエサを足して硬くしてみたりと
絶えず、微調整を繰り返しながら、ヘラブナに飽きられないようにしていく
し、自分に有ったエサを打ち返すリズムを作ったりする。

そんなエサ作りだが、慣れてくるとエサを手で触っただけで解け具合いが分かってくる。
そうしてヘラブナが寄った時、水中でエサの融けるスピードを色々と調節したりと
ヘラブナ釣りは傍から見るとただノンビリと釣り糸を垂れているんじゃなく
見掛けとは大違い数ある魚釣りのなかで、こんなに忙しい釣りも無いと感じた。
それは、ただ単に周りに居る釣り人より、いっぱい魚を釣りたいが為なのである。
まっ、言ってみれば「お山の大将」なりたいっていう競争心をあおる釣り。

そんな放流が盛んな池では、例会と称して「ヘラブナ釣り」の競技会が行われるし
日本一を決める決める釣具メーカー主催の競技会もいくつもある。
そして人と争って結果「名人」なんて呼ばれたりして
メーカーの「思う壺」に、ハマッて、釣り竿がドンドン増えていったりするわけだ。

溜まり池でのヘラブナ釣り。今一納得できないのが
釣れて来るヘラブナの引きがマッタク手ごたえが無いう事。
さらに、狭い溜まりの中で暮らしているから、皮膚病を持っている汚い病気ブナとか
針傷がある傷痍べらだったりして、心の底から「釣ったど〜」では喜べなかった。

だから、自然派の釣り師を自負している自分には、いくらヘラブナを釣っても
いまいち満足できなかった放流ベラ釣り。
そんなヘラブナをコントロールできるようになると、放流ベラは一先ず置いといて
自然繁殖している綺麗なヘラブナがいる湖や、北上川の緩く溜まっている淵に
足が徐々に向かっていくのは当然事だった。



2012・5・21

で、通っているうちに、たまに釣れる湖の地ベラや北上川ベラは
強烈な引きで釣り座から落ちそうになるし
なんたって、釣れて来るヘラブナのその美しい事ったら言葉では言い表せない
その魚体はまさに墨で描いたようなモノクロームなコントラストと
無骨な魚体には、あたかも日本の美の様式を見るようなのだ。


そんな湖で繁殖を繰り返したヘラブナは、ため池の放流ヘラブナと違って
圧倒的に数が少ないって事もあるが、それ以上に野生のヘラブナは用心深く
いくらエサを打っても寄ってこないものなのだ。
「太平洋に爪楊枝」とは、まさに野ベラ釣りの為にある、空しい言葉だと思った。

そのヘラブナのエサを延々と打っている時間は早いときでも2時間。
そんな簡単にヘラブナが寄るのはマレで、エサを打って3時間って言うのが普通。
もちろんその間、水面に浮かんでいるウキになんも変化が現れない。
だから、3時間以上のエサ打ちはオイラの我慢時間を越してしまうので、潔く帰る事にしている。
土日祝祭日しかいけないヘラブナ釣り師達は、5時間は普通にエサを打っているらしい。
それでも釣れないと文句は吐かないのが野ベラ師。


そんな空虚な時間がだけが無意味に過ぎていったあたり
「チクリ」とウキに変化があった日にゃ「心臓バクバク」
でも、本命じゃなくハヤだったり、野鯉だったりする場合がよくある。

で、そんな長時間座禅を組んで修行しているみたいなヘラブナ釣り、何が面白いって、
まず普段は見られない動物が普通に見られるっていうのがウレシイ。
それは、いったん釣り座を構えると最低3時間はその場を動かないでエサを打ち続けるので
自然の空気と同化してしまうのか、動物達からは、危険なモノと認識されないみたいで
春先は、冬眠から覚めた亀が、手の届く岸辺でノンビリ甲羅干しを始めたり
ヒキガエルや、ウシガエルが繁殖活動にいそしんでゲロゲロと足元で鳴いたり、交尾したり。
カルガモが、枯れススキの間に巣を作り、姿をかくして卵を温めていたりして。

夏がやってくると、構えた釣り座の脚にトンボのヤゴが這い上がってきて羽化の準備。
小学生の頃の理科の本では知っているが、あんな醜いヤゴから
あんなスマートで綺麗なトンボになるまでの工程は、目を見張るものがあるし。

またある時は、岸辺に構えている釣り座に向かって、シマヘビとかアオダイショウが泳いできたり
川ネズミが器用に水底を歩いていったり。
岸辺ではイタチが遠巻きに歩いて行ったり、キツネが跳んでいったり

三段角を誇らしげに見せびらかした馬鹿でかい顔のオス鹿が
悠々と釣り座の後ろ斜面をガサガサと通り過ぎたり
カモシカなんて、ふつうに歩いているし

驚きは、2m越すくらいの羽を広げたイヌワシが
羽ばたき一つせず湖畔の谷間を音も無く滑空していたりする。
そんなNHKの自然紀行ばりの映像が、生で見れるっていうのが
実にたのしい湖や川のヘラブナ釣り。。

危険な話ではツキノワグマが対岸から泳いで向かって来たってのは
、ヘラブナ釣り師からは、よく効く話。
オイラは、熊との遭遇は何回かはあるが、ヘラブナ釣りではまだ熊との遭遇は無い。
そんな熊遭遇の話を詳しく聞くと、ん十万のヘラ竿をブン投げて車ま急いで逃げ帰ったりした恐怖話は
他人事だからじつに面白い。

鉄砲ブチの間では凶暴な動物と認識されているアナグマっていう
見た目は可愛いムジナが居るんだけど
そいつが岸辺を歩いて行ったりした時はケッコウ緊張するし。

釣り場に行くまでの道すがら、スズメバチがホバリングして
カチカチと声を出して脅かされ、背中に冷や水がスーッと流れたり。
一番気持ち悪いのは、陸ヒルが自分と同じくらいの目の高さの粘土質の斜面で
頭をもたげていたりしてた時はゾッとするが
それはそれで、思っても見ない動物達に出会えるって言う事があって
次は何が来るかというアンビリバボーなヘラブナ釣り。  

そんなヘラブナっていう魚は、戦前戦中戦後の食糧難の時代。
重要なタンパク源として、日本在来種のマブナの身を沢山取れるよう品種改良した結果
写真を見ても分かるとおり、鯛みたいな幅広い魚となった。
だが、戦後の食料事情が急速に改善されると、見向きもされなくなってしまう。
が、その体講から分かるとおり引きも強く、姿が美しいので釣魚として人気が高まった魚だ。

そんなヘラブナを釣る竿だけは、いまだに和竿と呼ばれている竹の竿が現役である。
釣り竿と言えば、50年前は10円くじ屋の店先にあった
ドブロクを作って置いておく縦長の壷に、無造作に立て掛けられていた竹の一本竿が
たしか、20円くらいだった。
そして、一本の竿に仕舞える3本継ぎの竿があったが
これはチョイとばかし高くて150円くらいだった。

オイラが成人式を終えた頃、釣り道具屋に通うようになると
各メーカーのグラスファイバー製の竿が、ショーケースの棚にカラフルに並んでいた。
そうなると、一日中持つのには辛い持ち重り感がする竹竿は見向きもされなくなった。
それから暫く経ってカーボン素材の竿が出てくるようになると
竿は飛躍的に軽くなり、グラスファイバー製の竿が釣具屋の店頭からあっという間に消えていく。

が、ヘラブナ釣りの世界だけは竹の竿が静かに支持され今に続いている。
その理由として、竿の持ち重りという点ではヘラブナ釣りの場合
竿受けという支持機を使うので、重さがマッタク問題にならないというのが
竹の竿が廃れないで残っている理由の一つ。

それにもましてヘラブナ竿は美術工芸品と呼ばれる相応しい日本の美の壷と言われる世界を構築して行き
持っているだけ満足してしまう所有欲を、いたく刺激させられる。

モチロン美術工芸品としてだけではなく、現代ヘラブナ釣りにも対応していくわけで
それは竹の竿は反発力の少なさを武器として、掛かったヘラブナが暴れないでスムースに
そしして静かに手元まで寄って来る性能が支持されている。
なので、ハリスを細く出来るので、当然エサの食いも良いという利点も兼ね備えているときた。

それに反してカーボン素材の竿は軽いという点では竹素材の竿とは比べようも無いくらい軽いのだが
宇宙船に多用されるNASAご用達のカーボン素材は強度が鉄の三倍いというくらいだから
その反発力もすざまじくて、掛かった魚の暴れ方もすざまじい。
なので引き寄せるも、魚が暴れてしまい糸が切れたりするのが欠点だ。

こうして、おいしい魚を釣っている合間を縫って、なかなか釣れない野ベラを追って楽しんでいる
そんなオイラは、もいうじき還暦になるんだが、30台半に決意した
「カッコいいヘラブナ釣りじじぃ」の域に達しつつある今日この頃である。


2012・5・31


















Kim Hair

去年のお盆過ぎ、クマが来てカウンターに座ったのはいいが
ずーっと、ケイタイを弄くっている。
よく見るとケイタイじゃなくアイフォンだったり。

なんか知らねぇ〜けど、オイラの顔写真を撮って
ポコポコやっているわけで、オイラは「俺の話も聞けよ」と言ったら
「マスターもフェイスブックやったら」とクマタカは言った。
そして、アイフォーンをオイラの目の前に差し出して
「これがあったらPCは要らねぇ」と言い
あ〜だこ〜だとフェイスブックの説明をし始めた。
最後に「おれの友達になりたがっている待機150人はいる」と豪語。

と言うわけで、目新しいモノが大好物なオイラは乗り遅れまいと
クマが帰ったすぐ後にフェイスブックに登録し
クマのお友達になるわけだ。



で、このフェイスブック、アクセスフィルターが有って
嫌なヤツはエンガチョできるわけ。
なんでダレカレが見れるわけではないというのがウリ。
そんなのもアリかなと思ってチンタラ始めたら
お友達のリクエストが、とうとつにやって来るわけだ。

それがキム。
誰?それ。
と思ったら、紺屋町の三バカ「安酒屋のおばちゃんに手を出すバカオヤジ」の
近くででやっているキムヘアーの美容師だったわけ。

そーいや、砂子沢の山奥に行く途中、橋を渡ったトコにある
ノータリン犬がやけに吼えまくる家の前にワンボックスが止まっていて
「おりゃ、先に山に入られたか?」とおもいつつ車をチェックすると
その窓ガラスに「kim hair」っていうカッティングシールが貼って有るのを
何度か見ていたので「あ〜あの車の持ち主か」と合点がいった。

で、何度かのやり取りでオイラの店にやって来るってわけ。
鼻が高くて目が逝っている、いわゆる「紺屋町いちのイケメン」
これじゃ違反でしょっ!
店のお客さんがほっとけませんって。

で、釣りの話をさせたら、鮎釣り、ワカサギ釣り、ヤマメ釣りを語り始めるんだが
特に鮎つりに熱く語り始めるんで
「じゃあ、来シーズンの釣りに一緒に行こうね」と、社交辞令で口約束する。
キム曰く「俺は瀬の釣りには絶対の自信がある」と
オイラの店に来る度に豪語するわけ。
「ハイハイ、アンタは瀬釣りの帝王ね」と
軽くあしらって話を合わせる営業努力。

でも何だか憎めないのがキムのキャラ
音楽の話も女の話も、何とかオヤジが付いて行けるレベルなんでっていうか
ジジィに合わしてくれてるだけかもしれんかもと思いつつ
その年が明けて、行きたくもない極寒の地に誘われ
嫌々「ワカサギ釣り」再デビューしたってわけだ。
まぁその現代釣法、30年前とはエライ違いでビックリ。




毎回行くたびに大差を着けれると面白くないわけで
徐々にワカサギ釣りにハマって行っく。
ついには岩洞湖禁漁寸前にワカサギテントを買ってしまう羽目に
鮎釣りが始まるっていうのに、電動ドリルは買うはデプスファインダーは揃えるはで
キムのトラップにまんまとハマルったのだなオイラは。




で、六月の栃木の鮎釣り解禁日に「鬼怒川に行こう」と執拗に誘われるのだが
オイラ的には、鮎釣りに入ったら一日も休まず川に通いたい衝動に駆られる
「寸止め」は嫌いなタイプなひと。

なんで、磯の黒鯛釣りとかは大変魅力的な釣りなんだけれども
いままで何度と無く友人に誘われもしたが
毎日行けない環境なので、オイラはイイやみたいな。
なんの趣味でもそうなんだが、とにかく「毎日、四六時中、出来る」ってのが条件だ。

だから六月の鬼怒川鮎解禁日に行ったとしてもそれから岩手の解禁日まで
一ヶ月もジッと間を待っていられるくらい、お地蔵さんじゃないんでお断り。
それに昔のテスター仲間から「鬼怒川に鮎が見えない」って聞いていたし。

それより初夏を迎えた盛岡周辺の六月は、ヤマメ釣りシーズンマックスに突入するわけだが
オイラは尺ヤマメを何本か釣ってフェイスブックに画像を載せても載せても
キムは喰らい付いて来ないので
「あ〜、それくらいのレベルのヒトね」と、ランクダウン。




そんなダウン小僧と岩手の鮎釣りの解禁を迎える前になった。
いそがずゆっくりと雫石川に向かって、まったりと竿を出すわけだが
一発目のポイント選び。
キムは、ここ最高の瀬肩のポイントを横切って瀬に行くわけ。

「へぇ〜、この瀬肩を無視して行くのかよ?」と、その評価10点満点中0.2点。
そのおかげでオイラはこの場所で釣りが出来て入れ掛かり。
エッヘンとオイラの一人勝ちと思いながら、帰り間際計量したら
キムもソコソコどこかで釣ってやんの。
聞けば、瀬を釣り下ったとの事。
あながち瀬釣りで見下してはイケナイやつと思ったしだい。



その日から仕事が終わると、オイラの店に毎日飲みに来て色々と質問してくる。
これほどまでにシツコク鮎釣りの仕掛けや釣り方なんかを
聞いてくるヒトは、今までまず居なかった。
し、キムも自営業だから時間はどうにでもなるんで
土日以外は、ほとんど毎日一緒に鮎のケツを追いかけるようになった。

他人の話を良く聞くっちゃ〜聞くんだが、自分に関係ないものは皆スルーなキム
そんなキムでもオイラから聞き出したことは、素直に疑いもせず実行するので
ヘタな事は教えられないなと思い、キムと真剣に対峙することにした。

それよりキムの機動力は半端無く
ほっとけば隣の河川に行ってしまったのかと思うほどの脚力。
これだけは脱帽。
感心した。
っていうか、オイラには無い技っていうか、このフットワークの軽さ。
だから、なんぼでも女の子にモテ放題なんだなと納得。

で、ダイワ鮎マスターズ北東北大会に向けてキムと雫石川に通う。
大会当日、天はキムに味方した。
渇水続きだった雫石川が一転豪雨によって増水したのだ。
こうなると、不発続きだった瀬が爆発するわけ。
じゃぁ、お前も瀬に行けばイイジャンって事になるが
オイラは密かに鮎が溜まっているポイント把握していたので
そこに直行したのだが、トラブルの連続で、、、、。
と言い訳。




キムはキッチリと数を揃えて決勝に進むわけだが
決勝でも己の釣りスタイルを通したが見事に散る。
まぁ、第三者的にはどのようにでも言えるのだが
誰も敬遠する場所の狙いはイイのだから
もう少し緻密な瀬の釣りをしたらブロック大会に進めたんじゃないかと思ったしだい。
この荒削りな釣りを修正したら、大きく化ける可能性が大とも思った。
その評価10点満点中5点と一気に上がった。




鮎釣りを始めて30年チョイ
いちおう、釣具メーカーのサポートも受けた事もあるし
ちょっとは上手いかな程度なんだけど
この30年、昼の仕事をなげうって鮎釣りをし蓄積したノウハウを
この子にみんな譲ってみようかなとも思ったマスターズ。

そんなオイラはドマイナーな雫石川漁協主催「葛根田川鮎釣り大会」に出て3位。
とりあえず、なんの大会でもシングル入賞は年に一つは取るという目標は達成。
なんとか面目を保つ。

で、8月に入ってもオイラは雫石川に通い営業用の鮎を捕っていた。
そして今シーズンのメインイベント「TOYOTA CUP」に狙いを定めるのだが
ワケの分からないブロック別けに屈し準決勝で敗退。

で、ちょっと腐っていた所にキムちゃんが「北上川で爆釣!」
なんてブログをアップし始めた。
が「あんな釣っても喰えない鮎釣って、どこが面白ぇの」と、相手にしない事にした。

お盆近くになって、ここ一ヶ月雨が一粒も降らない日が続くと
さすがに放流量の多い雫石川も鮎がナーバスになり釣れなくなってくるわけで
ちょっとばかし爆釣続きの気になる北上川。

という事で、キム兄ちゃんに「北上川に連れてけ」と催促。
するとキム兄ちゃんは口には出さないが
あからさまに「このジジィ、北上川で鮎掛けれるのか?」っていう顔をした。

まぁココだけの話し、自慢話になるんだが
25年前まではバリバリのがま鮎党だった。
そんなかでも、高塚靖弘さんの天竜川激流釣りに憧れ
北上川とか米代川の激流を求めてミッチリ通った経緯もあるし
それからして、須合正一いわゆる「領」の釣りにも憧れ真似た。

そして遡上の良くない年の雄物川水系の玉川の荒瀬で毎日
22,3センチの鮎を相手に「ツバメ返し」をバシバシ決めて遊んでいた。
そんなオイラを見た遊魚券売りのオッサンが目を丸くしていた。
オッサンに「ツバメ返しって言うんだぜ」と言ったら
青い鮎タイツと青いアロハシャツの組み合わせたオイラのいでたちを見て
ポツリと「青い稲妻抜きだ」と言われた事もある激流派でもあったんだぞと。


ジャージで鮎釣りすんの?って、なわけねぇだろ。。


1989年のダイワ鮎マスターズ鬼怒川大会にエントリーしてから競技指向となり
青い装束を脱ぎ捨て、自重380gの豪竿を畳んで
まんまとダイワの策略にはまってしまうのだ。
そして何本も競技スペシャルの竿を買っては折って
いまだに貧乏しているっていうワケだ。


ほんで、解禁日からキムと一緒に行ってた川がチャラチャラの竜川ときてたから
「チャラオヤジに、はたして激流の北上川で鮎釣れんの?」と思ったのだろう。
そう思ってんのなら、そう思わしたろとオイラは腹の中でホクソ笑んだ。

んで次の日、自転車に乗って表れたオイラを見たキムは
バカにしたような目をしてニヤリと鼻で笑いやがった。
オイラは「ふふふ」と腹の中で笑ってやった。

ノコノコと付いて行った振りをして、着いた場所がキムの取って置きのポイント。
で、取り出したのが、物干し竿みたいな太い棒切れのような竿。
それに天井糸のような水中糸に、ゴワゴワの中ハリスに付いている逆針りが
10号の長良と来ているもんだから、近代釣法に見事に逆らった仕様。
キムのバカにした笑いから、ホントの笑いを取ってしまったのだ。

まぁ普通に考えてもキムの仕様はメタルラインに9.5mのスリムな竿
そうだなぁ戦闘機に例えると180億もする「F22Aラプター」
それに引き換えオイラの竿は、ゼロ戦を撃破したF6Fヘルキャット。
それをビシバシ向かへ撃った「紫電改」みたいなレトロ仕様だから笑えたかもね。

そして荒瀬の稲妻抜きではタモを使わないのがオイラのスタイルなので
鮎ベルトにタモを挿さないオイラを見て「タモは使わなくていいんですか」と
またしてもキムはニヤリやがった。
その奥には「北上川を甘く見やがって、先週行った米代川のトロ瀬とは違うぜっ」
というのが手に取るように分る顔をしやがった。
っていうか、いちいち分かり易い表情をするのがキムだ。

「この辺りでやれば」と言われてキムの入ったポイントの上流に立ち込んだ。
久しぶりに鮎タイツを履いて、鮎足袋でしっかりと足元を決めたつもりだが
北上川の流れに立ち込んでみると、そうとう底流れがきつくて
幾度と無く足をすくわれ流されそうになりなる。




そりゃそうだ、あの当時の体重は70kgちかく有ったし若かったし
いまでは体重が60kgを切っているし、60歳だし。
と言い訳しながらも、どうにか川底に踏ん張って
天井糸のような水中糸に大玉を噛まして流れに鮎を打ち込む。
すると「ガガガーン」と一発で針掛かり。
グイっと溜めて、ヘイヘイヘイィっと奇声を上げ
高々と稲妻返しを決めテッサンで処理。
それを見ていたキムは目を丸くして見ています。
たぶん。。

こうして、この日の半日、北上川で稲妻釣りをしたわけだが
その後のキムは尊敬のマナザシでオイラの事を見るようになったのが笑えた。
近代釣法が鮎つりの全部だと思ったら大間違いなんだよと。

でもオイラの優位性はココまで、キムの吸収力はすざまじいものが有って
「砂漠に水を撒く」とはこの事だ。
そいで次々とオイラの仕掛けはモチロンの事、技も自分のモノにしてしまうし
それにあの脅威的な機動力もんだから
オイラは、どうやっても釣り負ける。

でも米代川の岩盤瀬に行った時は痛快だった。
キムは相変わらず、年寄りの事を敬うっていう心一つもない
一番良いポイントに我先にと飛んでいく無慈悲なキム。

確かにその岩盤の切れ目の瀬頭は良い所なんだけども
「違うんだなぁ」そこから20メーター上にある岬が
絶対のポイントなんですけども。
って、これも30年蓄積してきたポイント選びの技。

オイラはニヤニヤしながら、このポイントをサクッと戴きます。
案の定、一発目の流しから当たりがあります。
が、載りません。
回収してみると、なぜか針先ボンボ。
で、針先ピカピカの矢島にチェンジ。
二発目、プンという当たり。
載りまへん。
回収してみると、針先が開いています。
ふ〜ん、でかいね。
と、長良10号にすぐさまチェンジ。
これから決まりだし順調に掛けて行きます。




先々週キムが見ている手前上、北上川の荒瀬で掛かり鮎とも一緒に高く飛ばそうと
無理して竿に変な力を加えたら、3番目の根元からポッキリと逝ってしまったのだ。
さっそくメーカーにメールして「部品は有るか」と尋ねたら
もはや経年たち過ぎて、在庫は無いとの事。
そりゃそーだね、20年前の竿だし。

故須合正一さんのツバメ返しは自分を中芯にして
種掛かり鮎とも回すような抜きなんだが
オイラの稲妻抜きは自分の頭の真上を、二匹の鮎共々天高く飛ばし
その弾道がピークのところでSTOPをバシッと掛けるやり方。
なので、抜きのタイミングを誤ると、相当な負荷が竿に掛かる抜きなのだ。

と言う事で、竹の子継ぎにして自分で修理したんだが
その全長8m40cmから7m50cmになってしまった。
総重量は相変わらず380g。

なので一番攻めたいポイントに届きません。
まぁ、流されるの覚悟を上で立ち込んだとしても、一歩も二歩も足りないだなコレが。
と、ジリジリしていたところに
タイミング良く表れたのがキム兄ちゃん。
聞くとボウズとの事。

キムの脚力と9m50センチの竿を持ってすれば
あの絶好のポイントに居る巨鮎に届くと確信したので
愛弟子キムに譲る事にした。

アーしろコーしろと口うるさく指示を出す。
「うるせいなぁオヤジ」とも言わないで、素直にオイラの言うとおり友鮎を誘導するキム。
まもなく、9.5mの竿が満月。
ヤッパリ来ましたね。
で、タモに入れたのが28センチ鮎。
キムはチョー喜んでます。

オイラは「そこだ」と言った通りのポイントでデカ鮎が釣れたんで
オイラの眼力も「まだまだ捨てたもんじゃないな」と思ったしだい。

そこで調子付いたオイラは
「あそこのポイントはアーでコーだから絶対に獲る」
とキムに絶対的宣言してから竿を出してみる事に。
ほいでキッチリと仕事見せてやり低い鼻は高々。
なもんで帰りの車中では威張り放題のオヤジであった。

まぁ、こうやって一夏をキムと一緒に川で過ごした訳なんだけども
解禁当初のキムと比べると、まだまだ荒さがあるのだけれども
今のキムは間違いない無く10点満点中7点に昇格。
確実に地元名人級にはなっている。

だからオイラはキムの「黒子になってもいいかな」という思いもあるが
どっこいソーは逝かないっていう気持ちはモチロンある。
来シーズン「再生、青い稲妻」に負けるなよキム。




それに、キムとその周りに居る次世代の鮎釣り師の熱き思いは
十分に熱くオジサンに伝わった夏でもあったな。

あとねキムの粗野で口汚いしゃべり方が移ってしまい
「渋いオジサマ」路線から大きく外ずれ
店の営業的にはマズイなとおもった秋なのだ。







2012/9/25



サクラマス釣り

サクラマスは岩手沿岸の水産関系の人たちにとって
秋の鮭漁につぐ春のドル箱的存在なそうである。
3.11の震災後直ぐ、定置網漁をいち早く始めた漁協があったが
それはまさにサクラマス漁に焦点を合わせた漁だと
網元の親方がニュースの中で語っていた。

ちなみにハシリのサクラマスは
キロ当たり浜値で8000円は下らない高級魚で本マグロ並み。
だから岩手の魚屋ではまず目にすることは無く、ほとんどが築地直送になるそうだ。
そんな高値が付く魚。どのくらい美味い魚かと言うとオイラ料理心の師匠
帝国ホテルのムッシュ村上さんがご存命の頃
函館の老舗ホテルで開催された晩餐会でのメインディッシュに
肉ではなく「サクラマスのポワレ」が、出されたと言ううことでも分かる。

このサクラマスはどうゆう魚っていうと
雌のヤマメの稚魚が(なかにはオカマのヤマメもいるらしいが...。
1年間川で過ごした後2年目の春
群れを作って雪代水に乗って一気に海に下って行くらしい。
そして海に下った雌ヤマメが、小魚やエビをたらふく食べている頃
川に残っているヤマメは水生昆虫やアリなどを食して日々細々と暮らしている。
そんなヤマメ達はオスばかりで、川で一人ヤマメくらし。
だから「ヤマメぐらし」から「ヤモメくらし」と呼ぶようになったと。
ホントかどうかは知らないが、なんかの釣り雑誌にそう書いてあった。

それで、海に下った雌ヤマメは海を回遊し
小魚や小エビを食して鮭並みの体躯になって
生まれた川やそうで無い川に上るが
生まれた川に戻る回帰率はすこぶる悪いらしい。
だから釣り人ならでは、お目に掛かれる魚なんですけど
岩手のルアーフィッシングしている釣り人には、これまた「憧れの魚」である。
なんたって、サクラマス釣りを始めて10年
いまだに手にした事が無いっていう釣り人はザラに居る。

かくゆうオイラも30年前にサクラマス釣りを始めたわけだが
それから手にするまでには8年掛かった。
っていうくらい、幻の魚ではあるんだけども
サクラマス釣りを始めたその日にサクラマスを手にするという
まことにラッキーな釣り人もいる。
っていうことは、不確実要素が大きい釣魚で、釣れるパターンを考え計算しながら釣る
理論派の釣り人からは、釣れる要素が見当たらないので敬遠される魚でもある。

ところで、みなさん「鮭石」って知ってますか?
そう、縄文式時代に建てられた石の表面に彫られた鮭の豊漁を祈願した鮭の石堀り紋様。
近年の調査研究結果で、コレはどうも「鮭」では無く「サクラマス」だと言われ始めている。
それは、鮭が上ってこれない山奥地での「鮭石」発見が相次いだからだ。

秋になって、釣が暇になった時、川をのぞいて歩いてみたが
盛岡市の中津川に例にとると
浅岸にある取水堰堤より上に鮭のホリ(産卵床)が見当たらないが
幾多の堰堤を乗り越えて中津川の魚の遡上最終地点でもある
大志田の奥にあるバカに高い魚止め堰堤下には
サクラマスのホリだけが見られるって言う点でも合点がいく。
そのくらい、とてつもない遡上パワーを秘めているのがサクラマス。

そんなサクラマスだが、早春の海から遡上し直ぐそこ2kmくらいで釣った
サクラマスの胃の中にイワシが入っていた事があったが
それ以外の時期に釣ったサクラマスの胃にエサとなるものが入っていたためしがない。
それは、石巻の河口から延々と200kmも上ってきた
盛岡市内を流れている北上川のサクラマスの胃の中を見ても何も無い。
っていうか、その胃は退化し、腸と胃の区別が付かないくらいに小さくなっている。
だから胃の中にエサが入ってたのを見たこと無いっていうのが物凄く不思議で
どこにそんな遡上パワーを秘めているのかっていう事だ。

こんな状態で、秋の産卵時期まで川で過ごすのだそうだから、さらに驚きだ。
学術的にも川に遡上したサクラマスには
消化能力は無いといのが定説では無いけれども通説なそうだ。

胃の中を見ても残留物が無いってゆうことは
食欲からくる捕食活動が無いって言うことで
なので釣りとして成り立たないハズだが
他を排他するというか行動はあるみたいなので
リアクションで喰わせるという技術がいる釣りだとも言える。

それはルアー釣りでも、ミミズを使った釣りでも同じで
どうリアクションさせて喰わせるかというのがポイントなのではあるが
リアクションを上手く操作しても、その誘いになかなか乗って来ない魚でもあり
その排他行動スイッチが入る過程はいまだに解明されていない。

つまり、居ても掛からない魚なのだ。

オイラはジンクリアーな透明度の高い川で
ジッとしていたサクラマスを見ながら散々ルアーを投げてみた。
まったくの無反応状態のサクラマスだが
なんかの拍子かは分からないが
いきなりりルアーを追い出すって事を幾度となく経験している。

ちなみに今年の秋田県のサクラマス解禁日。
他人よりも先にとニンマリとしながら
まだ真っ暗な午前3時に懐中電灯頼りに川を横切って
中州にとたどり着いたわけだが、もはや先行者がいて一番良い場所は取れれてしまい
3級ポイントにしか入れなった。
だから、夜明けからルアーをキャストするも
マッタク無反応で「今年の解禁日はダメか」と思ったとき
目を付けていたポイントの釣り人が
釣れないままにこのポイントを諦めて移動したその瞬間
オイラはサクッとそのポイントに入って一投目、見事にサクラマスをゲット。

そのくらい、不確定要素が強すぎる釣りでもあるサクラマス釣り。
これからも分かるとおり、なんの魚釣りでもそうなんだけれども
釣るという技術以上に「運」が、他の魚釣りより大きくいる魚って言うことも間違いない。
まっ、例えればパチンコに似たような釣りだから
ギャンブル鱒にバカは大いに燃えるのである。
これがサクラマスがなかなか釣れない理由。

そして、食欲から来る捕食活動ではないので、針が上手く口に針掛かりせず
掛かっても、よくバレてしまう原因だと、定義付けられる。

なかなか釣れないサクラマスを釣った時の感動は未だに衰えず。
それ以上に。サクラマスの美味にはヤラレル。
そんな各河川のサクラマスを釣ったり貰ったりしてずいぶん食べ比べてみた。
その結果。
大体は河口から4km位までの区間で取れた奴が、一番美味い。
それも尾っぽの付け根とか、尻ビレのアタリにシーライスと呼ばれている米粒のような
寄生虫が引っ付いてる桜鱒が特に美味い。
※このシーライスという寄生虫は、人体に影響が無い寄生虫と言われてる。

虫は虫でもでも何が怖いって、そりゃサクラマスの身の中に入っている事がヨク有る
「アニサキサス」という、イカとかに良く入っているダニみたいな寄生虫が一番怖い。
オイラの周りでも結構、この虫を飲み込んでしまい胃壁をガリガリと食い千切られ
、あまりの痛さに七転八倒大変な事になっている。

その対処法は、内視鏡で胃壁に取り付いている虫を一つずつ取る事をしたらいしが
近年では痛み止めを飲み、胃液で虫がヤラレのを待つのが主流なそうだ。
ちなみに、この虫を飲んでも、十人中皆がヤラレるわけもなく大丈夫な人もいて
十人が十人、胃壁に喰い付かれる訳ではないらしい。
が、くれぐれもイカや秋刀魚、そして桜鱒は刺身で食べないように。
どうしても喰いたい、というならな
一旦凍らしてから食べる「ルイベ」っていうの調理法が安全策らしい。

そのサクラマスが海から遡上してくるその頃って、ちょうど桜が満開になる頃なので
「桜マス」とも呼ばれいるらしい
川に入って卵巣が発達してくると、体表に鮮やかなピンク色が浮き上がってくるので
「桜色マス」とも言われいるらしい。

どんなふうに美味いかって?言うと、それは旨みのある上品な脂だと言い切る。
それも皮と身の間にある上品な混じりっけの無い繊細な脂がグラーブの白とメチャクチャ合う。
そんじゃ川に上ってくる前の、海で泳いでいる桜鱒はもっと美味いんじゃないかと
津軽海峡で捕ってきたデブッとしたサクラマスを、よだれを流しながら食してみた。
でも、そのお味は脂がきつ過ぎて味に締まりも無い。
盛岡弁で言うトコロの「ドヘンとした味」
川に入って、絶食しはじめ幾分脂が落ちたのが美味いっていうのは、猟師の間では定説。

そんなサクラマスは特に頭と皮が絶品。
昭和天皇が来道したおり、朝食に桜鱒のカマに近い部位の塩焼きが出て
それを食べておられた時、お付きの者に「皮が三寸のモノは無いのかね」と尋ねられたそうナ。
どんな魚でも頭と皮が美味いんだが、桜鱒ほど、頭がうまい魚は無い。
だからサクラマスを裁くとき、頭と胴を切り離す場合、
胸鰭後ろに包丁をいれ大きく頭を切り落とす。
それを兜割にして塩を多めに振り、ショッパ目にして焼いて喰う。
コレが大事で、鮭とか鱒は薄塩で食べると、その味に締りが無いが
強めの塩をしてくうと、鮭科独特の味が際立ち美味しさが倍増する。

これを調理するときのコツは火をとうし過ぎない事です。
北海道の川漁師の言い伝えにこういう言葉があります。
「鱒の身は馬の鼻息で焼ける」と。

という事で多分の話だが、この身に乗った脂が
春に海から川に遡上し産卵時期まで生きながらえる
活力源となっているんじゃないかなと思う。


岩手日報タブロイド版2012・8・1掲載文








スズキとシーバス

オレンジ色のナトリウム灯が煌々と照らすシーバース。
そこに着けられた貨物船は巨体を揺らすことなくゆっくりと
巨大エンジンを唸らせ、その排気ガスに蒸せた鼻腔を刺激する。
そして、シーバースから延々と陸に伸びていくパイプラインからは
時折「プシュッ」と何かの生き物のように弁から息を吐く。

狙っている大物の気配が無い、こんな夜更けのシーバースを
夢遊病者のように徘徊していると、時折り眠気が襲ってくる頭の中は
まるで映画ブレードランナーのインナーシティに
迷い込んだかのような錯覚に陥る状況にある自分が好きである。

そんな秋田港に大物を狙いに行き着く時間は仕事を終え午前2時を回っている。

その大物を狙う釣り方はオレンジ色のナトリウム灯の明かりと
その対象物が織り成す影の境目を狙って小魚に似せたルアーをキャストし
さも弱った小魚のように演出し、物陰に潜むモノを誘引するように引いてくる。
するとそこに潜んでいる大物は「これぞ食べ頃」とばかりに大きな口を開け襲い掛かってくる。

それらを狙うポイントはシーバースはもちろんの事
港内の障害物、小さな桟橋だったり貯木している大きな丸太だったり
岸に舫わている船のまわりっだり、大きな浮遊している障害物回りが織り成す影との境だだ。
そこへ順繰りにそして丁寧にルアーを投げて探っていく。
そして暗がりにに潜むのが大物を誘い出すのがシーバス釣り。


本命は朝日が昇る前の薄暮の時間帯
俗に言われる「朝まずめ」といわれる釣りの好時間帯。
それは太陽が顔を出す直前小魚たちが
海面に漂うプランクトンをここぞとばかりに群れで荒喰いする。
そんな小魚を狙って大物は物陰から這い出し狂ったように小魚の群れに襲い掛かる。
ここへ海面直下泳ぎ回る小魚に似せたミノープラグというルアーをキャストし
先程とは違う引き方でクイックイッという小気味良いアクションを掛けて大物を仕留めるのだ。
そんなオイラは大物、スズキを狙って秋田港に一日おきに通う。

もちろん朝方の帰り道では居眠り運転寸前になる。
そんな時は路肩の駐車帯に車を止め運転席を倒して横になる。
頭がシートの枕に付くか付かないかの瞬間、眠りに落ちる。
そしてフと目が覚める
自分的には5時間くらい寝たつもりなんだが
時計を見ると30分くらいしか寝てない
でも、頭の中はすっきりとしてるから不思議だ。
こんな生活を一日おきに繰り返していると普段の生活のリズムが狂ってしまい
体調ももちろん不規則となり便秘に怠っててしまう。

そうまでしても、つい通ってしまうのが海の大物のスズキ釣り
川や湖ではまず出会得ないくらいの大きさ、1mを軽く超える固体も居る。
そんなスズキ釣り、いまでは「シーバスフィッシング」と洋風にいう。
つまり針掛かりした時のファイトの仕方がブラックバスのように暴れまくから
海のブラックバス「シーバス」と海のルアーの開拓者 故西山徹氏が名付けた。

シーバスがミノープラグに喰らい付くと、それを振り解こうとし
海面から踊り出てジャンプするのはモチロンの事
尾びれで水面を叩きながらジャンプ繰り返すさまが
まるで魚が海面を歩いているようにも見えるので「テールウォーク」という。
とにかくそのファイトっぷりが、釣り人をそしてオイラを狂喜乱舞させる。
だから毎日でも通ってしまいたい衝動に駆られる。

しかし残念なことに湾内のスズキは船から排出される排気ガスや
積み替えの時こぼれ落ちる重油や軽油等にに汚染され
身が石油臭くて食べれたものじゃない
だからキャッチアンドリリース
あくまでも釣るだけのゲームとしてのシーバスフィッシング。

これとは反対に三陸の海に流れ込む河川の河口で釣れたスズキは
外洋性のためメチャクチャ美味しい。
どのくらい美味いかって言うと、お爺ちゃんやお婆ちゃんが美味しい料理を称して
「クルミの味がする」というが、まさにその通り
旨みが濃縮された脂質がまさに堪えられない。
さらに視覚的にいうと
白身の魚なんだが醤油に漬けた身に醤油が載らないくらいのサラっと系の極旨の脂だ。

三陸のスズキを狙うときは
外洋に面した河口域の防波堤にうず高く積まれたテトラポットの先端部に立ち
川の流れと海の流れが交差するポイントに群れるオゲェや
産卵を終えた落ち鮎が河口部に流れ付き
川から海に吐き出される境界線を狙ってルアーを投げるのだ。

海に突き出たテトラポットに時折襲ってくる「与太波」には注意しなくてはならない。
これを喰らうと足元をすくわれそうになる事もあるが、確実に濡れネズミになる。
そんな海の圧力に屈せず三陸海岸に面した先端に立たないと
滅多なことでは出会う事が出来ないのが三陸スズキ。

手にする事のできる確率は、10回ほど海に通って一回のスズキの当たりが有るか無いか。
そして3回に2回は外洋性の魚独特の激しいファイトでミノープラグの針から外れる
いわゆる「バラシ」が発生する。
つまり30日通わないと釣れないのが三陸のスズキだ。
それに引き換え、秋田港のスズキは釣れない時(ぼうず)の方が少ない。

そんなオイラは秋田港のスズキ釣りは「シーバスフィッシング」と呼ぶが
三陸のスズキはシーバスとは言わないで「スズキ釣り」と区別している。
そんな三陸のスズキはしばらく口にしてない。

岩手日報タブロイド版、2012・9・30掲載文


Pioneer DJM 2000 Nexus



店が開ける前には、毎日仕込みをするわけだが
その仕込みするまえに、urei1620を手に入れてから2時間ほど早く店に行き
ニヤニヤしながらレコードを回す日々。
すると、うちのオバァちゃんが不審そうに
「近ごろ、店に行く時間が早くなったんじゃないか」と言った。

ん十万かけてオーディオを買ったなんて言った日にゃ
かみさんの耳まで届くことになるんで、口が裂けても言えません。
「レコード回して、釣りの仕掛けを作りながら音楽鑑賞だよ」とだけ言っておいた。
あながちウソじゃないし。



そうしてレコードを回していると「ミックスCD」なるものを
作りたくなってくるのは当然の事。
さっそくオーディオキャプチャーをamazonで買って
大好きな曲を繋ぎ、ミックスCDを作り始める。

そして自分で作ったミックスCDを車に持ち込んで聞く。
微妙に、時にはダイナミックにMIXがズレていて、一人で笑っちまう。
だから余計に、熱が入ってしまう MIX CD作り。

そうこうしてる内に、たまたま上手に出来上がったミックスCD。
それを、みんなに自慢したくて配り始めるのは当然のこと。

知り合い、友達、店に来てくれたお客さまなどなど
手当たりしだい、方々に配り始める。

で、しばらくして店が始まる直前、players cafeの店長が店にやってきて
「ちあきさん、うちで回してみませんか」とのお誘い。
もちろん断る理由も無く、こちらこそ「ぜひ」という事で、話は進んだ。
そこはアコガレのDAISHI DANCE、KAWASAKIさんも回している
盛岡のHOUSEと言えばココというくらいのクラブだ。

そう、方々に配ったCDが認められた瞬間だ。
と、勝手に解釈。
男、還暦でクラブDJ、デビューとなったしだい。



最初のDJはPlayers Cafeでの「ヴォイス」というディープハウス縛りのイベント。
この時、使い慣れているUrei1620とドープリアルを自分で持ち込みDJ。
なので、ミスも無く、なんなくイベント終了。

撤収のとき、主催のM氏に「どこでまわしてるんですか」
と聞かれたのは嬉しかったナァ。
「いや、今日がDJデビューです」と答えたんだが
ビギナーDJとは思われなかった分、余計にうれしい初夜だった。

で、この長年続いているイベント、主催者のM氏が仕事で忙しくなり
オイラが呼ばれたのを最後に、立ち消えになってしまったのだ。

で、しばらくしてクラブの店長に「ちあきさん、イベント持って見ませんか」
と言われた。
もちろん断る理由も無く、Urei1620とドープリアル持ち込みで
「club kiki house」という、ボーカルハウスを主体に回すイベントを
発進したのだったのだが
クラブ人脈が無いままの見切り発車。



そんな中、わざわざ来てくれた、お客様に失礼が無いよう手を抜かず、
少ないお客様ながらも全力で回していった。
それが認められたのかどうかは分からないが
他の人のイベントの時に呼ばれた時は、オイラひっそり嬉し涙。



そんな話が流れていったのか、MAD DISCOというクラブからも
是非とのお声掛けがあり、もちろん諸手を挙げて参加。
その前にオイラを拾ってくれたクラブの店長ヒロユキさんに
仁義を通さなきゃならないんで、お許し得てからの参加。



こちらMAD DISCOでは、長年の夢であった70年代80年代の
soul&discoのイベント「STUDIO 54」を
Urei1620とドープリアル持ち込みでやらしてもらっているところだ。



Players Cafeでの大きなイベントに、たまたまお呼ばれした時
この店常設のミキサーは、パイオニアDJM。



これのフェーダーはスライダーでのミキシング。
urei1620のローターリーとは使い勝手が違いすぎて戸惑うわけ。
っていうか、ワールドワイド的に今時のクラブでは
パイオニアのDJMが標準装備なのだそうだ。

これから先、お呼ばれDJの時まごつかないでMIXできるよう
ここで奮発してパイオニアDJM2000nexusをバッサリと注文。

まっ、DJM900nexusでも良かったんだがね。
釣り竿でもそうなんだが、最終的にはハイエンドの物に買い換えるのが
目に見えていたので、思い切ったってわけ。

趣味には徹底的に金を掛けるが、自動車は20年前の中古車という選択。

待ちに待って届いたPioneer DJM 2000 Nexus。
その箱は馬鹿でかく、期待感がおおいに膨らみパンパン。
箱から取り出した、その大きなボディーにドカーーンと圧倒される。



さっそく電源プラグをコンセントにプスリと挿す。
ピカピカときらびやかなスイッチのイルミネーションが発色。
youtubeでみたF15ファントムジェット機の
コックピットみたいでカッチョええ。

音を通すと、透き通った音が出るが、硬い音。
エージングしてないので、当たり前か。
というわけで、エージングが終わるまで
Pioneer DJM 2000 Nexusからの出力をurei1620に繋げる。
と、まさにureiサウンドで納得。



で、一ヶ月ほど前に、うちの店でやって頂いた
盛岡のカリスマHOUSE DJ SHIROさん主催の
アフターヌーンパーティー「magic」
この時のゲストは、DJ「calm」さん。
うちの店の機材で大丈夫なのかと心配した。

セッティング当日CALMさん、カウンターの隅に放って置いた
LUX80のパワーアンプを指して
これを生かしてイベントしてみたいという。



何も知らないオイラはチョと不安。
大丈夫かぁ、30年前の真空管アンプでと思った。
セッティングに長く掛かりそうなので、オイラは一旦、家へ帰り飯を食って出直す。




戻ってみると、タコ女たちが綺麗に店の外を飾っていて
「えっ、オイラの店」みたいな。
店内もきらびやかに華やいでいる。




ちょうど、店内ではサウンドチェックの真っ最中。
ドレドレと聞いてみると
なななな〜〜〜んと、今まで聴いたことがないようなクリアーな音が出てます。
今回はミキサーを使わずに、プリアンプでのBUCK TO BUCK。
ブツ切りミックスなのだそう。
これを称して「マンキューソスタイル」というのだそうだ。
そんなミックスには興味が無いんでスルー。



それよりもスピーカーからの出音が半端無いからです。

ここぞとばかりに失礼をかえりみずCALMさんを質問攻めにした。
それは、motherのMARYちゃんから
「CALMさんは機材のセッティングに非常にこだわるdjだ」と聞いていたからだ。
だから、ここぞとばかりに聞きまくったのだ。。

その内容は手持ちの2セットのスピーカー同時セッティングから始まり
お眠り状態だったLUX MANの真空管パワーアンプへの接続とか
多岐にわたるオーディオのセッティングを教えていただいた。

無事にそして華やかにmagicのイベントが終了した。

後日、さっそく教えていただいた事を全部、忠実に再現してみた。

それは、ORTOFONのconcorde GoldからPioneer DJM 2000 Nexus
そしてurei1620を通して出力を2系統取り出し2台のパワーアンプへ。

管球アンプのLUX80のパワーアンプからは
パイオニアのスピーカーS9500を前駆動。
二台目はCROWN45パワーアンプを介して
B&Wのスピーカー805は反転駆動するというCALMシステムの構築。

レコードに針を落とした瞬間、文句の付けようのない素敵な音が店内に響き渡った。
calmさん的に言うと「厚みのある音がスパンと飛んでくる」みたいな。
さすが、音にうるさいCALMさん直々のご指導だけはあった。

で、Pioneer DJM 2000 Nexusのエージングも、そろそろ出来上がっただろうと
urei1620を通さずPioneer DJM 2000 Nexus単体で
LUX80のパワーアンプに繋いで聞いてみた。

をををっ、今までの音に無かったクリアーな音が出てます。
特にデトロイト系のHOUSEを掛けたらたまりません。
さすがのレジェンドミキサーurei1620も
このパイオニアの DJM 2000 Nexusミキサーの前では終わってしまったのか。
はたまた過去の遺物かと思わされた。
さすがです。パイオニアのハイエンドミキサー。
思わず、スピーカーに挟まれて踊ってしまいます。


しか〜し、聞き込むにつれてスピーカーからの出音が
耳の鼓膜を突き破って三半規管に、もろに刺さるような感覚に襲われます。
一般的な表現で「聞き疲れする音」っていう音のですかね。

ちゅう事で、 DJM 2000 Nexusミキサーとパワーアンプの間にurei1620を噛ませます。
やっぱり、イイ音でます。
暖かい音っていうか、メローな音というか。
特にボーカル系のHOUSEは、耳で聞こえる音とゆうより
体にホンワリと響く音ってな感じかなぁ。
アナログ同士、バッチりと合うのがCDよりやはりレコード
で、マスタリングもアナログなら言う事が無いくらいの出音。
だからか、ダンシングばかりでなく、リスリング的に使っても
聞き疲れしない出音のurei1620。
やっぱり手放せません。
だてに定価の3倍の値を付けるプレミアムビンテージミキサーじゃありません。
恐るべしです。

手にしてみて、この2台のミキサーの性格は、正反対の音の出方だと結論が出た。
その操作も、urei1620は少しぐらいアバウトな繋ぎでも許される
だから、ヨッパーDJにはうってつけ。

方やエフェクターの充実ぶりには驚きのPioneer DJM 2000 Nexus。
この説明書は一切読んでいない。
なぜかって言うと、面倒くさいってのもあるが
なに事もトライアンドエラーで、あ〜でもない、こ〜でもないと
いじくり回しながら、覚えていくのがオレ流。

だから「エっ〜、ここを回すとこんな音になるんだ」という
小さな発見をする毎日が楽しいのだ。
それに、CDJ2000でもそうなんだが、打楽器としても遊べる感じもいいし
ヘッドフォン内で、BPMを合わせられるから
ドタ付かない、完璧な繋ぎができるのもウレシイ。



そんなPioneer DJM 2000 Nexus、まだまだ何に使うか分からないツマミがある。
と言うわけで、底なし沼にハマリ込んでしまって40年のオーディオ道
 

遊びに来てくれたPlayers Cafeのヒロユキさんが、呆れた顔して言った。
「説明書、読みましょうよ」と。

そして帰り際、言い残していった。
「盛岡で一番充実しているブースだ」と。

お世辞でもウレシイ一言だった。

2013/4/30


たどりついてしまったコレを眺めているだけで酒が飲める







どうしろと言うのだ、早春賦



昨年の11月15日に始まった狩猟。
寒風吹きすさぶ野山を駆け巡り、翌年2月15で終猟。
そして、息つく暇もなく氷上のワカサギ釣りに突入。
かの地は氷点下12度から15度は当たり前。
時にはマイナス20度まで下がる本州一の極寒ゾーン
そこは岩洞湖。



まだ暗い、朝と言うにはほど遠い湖岸に立つ。
ヘッドライトに照らされたそこは
空気中に含まれる水蒸気が凍って光輝く
キラキラデコレーションの世界。
いわゆるダイヤモンドダストと言うらしい。
で、この釣りが終わるのが3月の20日ころ。
  


それが終われば、一冬中の凍った体が徐々に解けはじめ
体中の筋肉が弛緩し猛烈な睡魔に襲われ、ほとんど寝たきり状態の毎日。

4月の半ば川に雪代水が出始めるころ
知り合いの釣り師たちから
「ヒカリが釣れたよ」「40上のヘラブナが釣れたよ」とか
「桜鱒が釣れたよ」と情報が入り始める。
そろそろ気合を入れ「オレも釣りに行くか」とは思うんだが
なかなか目が覚めないまま、鬱々と布団のなかでまどろんでいる早春。

そして、雪代水が落ち着き川の状態が平水に戻る5月の連休のころ
ようやく腑抜けの体にも春の息吹が充満し「釣欲」が湧き出てくる。
と、同時に野山に山菜も芽吹き始める。

今まで閉めきっていた部屋のカーテンを1/3ほど開けたままにし寝床に着く。
朝日が差し込んで来ると同時に目が徐々に覚めるようにとだ。
そんな、まどろんでいる時間帯
ヒカリ釣りか、40上ヘラブナ狙いか、桜鱒狙いか、
はたまた山菜採りかと迷っているうちに
じょじょに脳みそが覚醒しはじめるっていう寸法だ。


めったに無いが、夜が明ける前に目が覚めた日は
何が何でも一シーズンに一本は釣りたい「桜鱒狙い」に出かけるわけだが
この桜鱒なかなか釣れない事でチョー有名。
だから「桜鱒釣り」とは呼べない。

なんでかって言うと、第一に沿岸漁師の春漁のドル箱的存在の魚。
ハシリの桜鱒、あの築地の競りに掛かると
キロ当たり8000円の値をタタキだす魚。
だから海の漁師たちの、海岸スレスレの岬まわりとか、近くの沖根まわりとか
桜鱒の回遊ルートに張られた定置網で隈なく捕る桜鱒漁が盛んになる。
なので生まれ故郷の河口までたどり着く桜鱒は、かなり少ない。

さらに追い討ちをかけるように川に遡上してくる桜鱒を狙い
川漁師が河口といわず、あらゆる所に幾重にも張る刺し網が
桜鱒の遡上を塞ごうとしている。
結果、釣り師の目の前に姿をあらわす桜鱒は絶対量が少ないときている。

さらに最悪なのが、川に上がってきた桜鱒は、積極的に口を使ってくれず
そうは簡単に釣れない厄介な魚ときている。
つまり居ても掛からないというわけ。
だから理詰めで追求していく釣り師や
計算立てて、あらゆる手法を駆使して釣る頭脳派の釣り師には嫌われる魚でもある。
一言で言えば「宝くじ」みたいな運がに左右される釣り。

それででもなんとか釣ろうと思えば、寝る暇はもちろんの事
メシ食う暇さえあったら川に行って竿を振るという
なかば確立を上げる方法論でしか釣れない魚でもある。

そんな桜鱒、いったん川に上り始めると餌を食わないとされている。
だから、うまく口に針掛かりしても、捕食で食ってくるわけではないので
「針外れ」いわゆるバラシが、他の魚に比べ多発する魚でもある。
だから運よく針掛かりしても、めったに手には出来ない魚。

なので、運よくキャッチできた時の感動は、他の魚釣りには無いものがある。
「ようやく巡り合えた赤い糸」みたいな、、、。

それに広大な三陸の海に比べたら小便溜まりみたいな川の流れ中から
かるく50センチを超える魚体を手にしたときの驚きと感動は計り知れない。
釣りというよりは狩りに近いのかもしれない。

それにもまして、特筆すべきは「美味い」魚だという事。
シャケとは違い、うろこまでが美味しい魚ときて
生臭い川魚とは思えない上品な味に、舌はしびれる頬は痛くなる。

そして雪代水が落ち着くと同時に、岩手の桜鱒釣りのピークは終わりを告げる。

それで桜鱒を手にできなかった岩手の桜鱒釣り師に
とっておきのモーニングサービスが有るんだなコレガ。
それが6月1日からの秋田県各河川での桜鱒釣りの解禁って事だ。

冬から春と海が荒れ狂う日本海は、定置網漁には適さないのか
三陸の海に比べ定置網が少ないせいなのかは、オレには分からないが
秋田各河川に遡上する桜鱒の数は、三陸河川に比べ圧倒的にに多い。
だから秋田県の桜鱒釣りの場合「桜鱒狙い」ではなく「桜鱒釣り」となるわけ。

なのだが、5月の三陸河川の桜鱒の白銀色の光り輝くような魚体とは違い
6月の秋田県の桜鱒には薄っらと虹模様が浮き出ている。
いわゆる婚姻色なのだそうだ。
この色合いが薄桃色にも見えているから桜色の鱒といわれる所存。

そんな虹を掴むような、具体策が無い釣りが桜鱒釣りだのだ.

岩手日報タブロイド版2013・05・09掲載文







2013、へらへら男

年がら年中釣れ、そこそこ遊んでくれる魚がヘラブナだ。
でも一番、気持ちよく釣れはじまるシーズンは
桜の花が散り始めたころからがスタートだ。

でも、その気になれば、池に氷が張ってもヘラブナは釣れる。
だからトチ狂ったヘラブナ釣り師は
池の氷が張った朝に、荒縄で結んだ太い薪を
張ったばかりの池の氷の上に何回も投げ入れて
自分だけが竿を出せるスペースを確保するのだ
それを毎日休み無く続ける。
こうすると春、氷が解けるまでまで
自分専用のヘラブナ釣りポイント出来上がるっていう寸法だ。

でも極寒でのヘラブナの動きは鈍く、ウキの目印に出る「食い当たり」は
5mmも動けば上等だ。
だから、自分が居る台座からウキまで5,6mしか離れてない至近距離でも
双眼鏡を使って、食い当たりを的確に掴んで行く努力が必要だ。
だが、それよりも寒さとの戦いには苦労させられる。

それが春とともに気温が上って行くと水温も上がる
当然ヘラブナの活性も上がり、産卵シーズンも迫ってくる。
人間のオスでもそうなんだが、食欲よりも性欲のほうが勝るんで
魚が見えているんだけど、釣れないっていう現象が起きる。

でも、なかには食欲を優先するメタボなオバサンも居るわけで
痛快な喰い当たりがウキの目印に出て
ヘラブナ釣りの醍醐味を味わえるようになる季節が到来する。

そんなヘラブナは、そこらへんにいるフナの突然変異種同士を
掛け合わせて作り出した人工魚でもある。
戦後はその見事な体高からも分かるように、食用として全国に広まったらしいが
それよりも、そのゲーム性の高さに魅了された釣り人によって
各地に放流されそうだ。
元もとは日本固有種のゲンゴロウフナなので
ゲリラ放流には当てはまらないらしい。

それと、戦後高度成長期
むやみやたらと、無意味に作られた各地の政治的いまだに続いている利権ダム。
その完成式のお祝いのセレモニーとして
鯉と共にヘラブナも放流された。

そのくらい釣り人を狂わせるくらい面白いゲームフィッシュなので
ヘラブナ専用の釣堀りが首都圏近辺には沢山ある。
でも、ここ岩手県には一箇所もない。
だから、ヘラブナ釣り同好会の方々が自費放流した
ため池でのヘラブナ釣りが、岩手県では一般的である。

しかし、変態ヘラブナ師による
放流実績のまったく無いく
個体数が極めて少ない、ダム湖での野べら釣りも一部で行われている。
その魅力は、だた広いダム湖を縦横無尽に泳ぎ回って
餌となるプランクトンをたらふく食っているヘラブナなので
体高、幅とも尋常じゃない大きさに成長してる。
その体格から来る強烈無比な引きと、手ごたえ十分すぎる重い引きに
は管理池では味わえないものだ。

だから一回でも、その引きを味わうと
どっぷりとハマってしまう野生のヘラブナ釣り。
でも、なかなか釣れないイワユル「ボーズ」覚悟の釣りでもある。
そういう「野べら釣り」というマゾ的なジャンルも確立されている。

もっと過激なのが、川の流れでのヘラブナ釣りだ。
この周辺で言うと、北上川がその戦場となる。
川の流れの中で育ったヘラブナは
大河の重い流れの中を逆らいながら泳いでいる。
だから、ダム湖のメタボチックなヘラブナとは違い
引き締まった魚体は長距離ランナーを彷彿とさせるものだ。

その砲弾型の引き締まったマッスルな魚体からも分かるように
針掛かりしたヘラブナは、重い流れを味方に付けながら
尋常じゃない引きを展開する。
竹竿を極限まで曲げるその様に、ヘラブナ釣師の脳内と言わず
体中にはアドレナリンが駆け巡のだ。

野生にしろ、ため池放流にしろ、ヘラブナは何でも食べるとされているが
主に植物性プランクトンを常食しているので
それに似せた粒子の細かい餌が必要となる。
そんな細粒な餌は、針に付けられない。
そこで先人たちが編み出した餌がジャガイモだ。

そんなヘラブナを釣るために、ジャガイモを湯でこぼし
細粒になるまで練ったマッシュポテトが主体で
あとは細かく砕いた麩とかが用いられてきたが
いまではヘラブナ専用の練り餌が市販されているから
それを水に溶いて掻き回すだけで、簡単に作れてしまう。

だから、だれでも取っ付きやすい、お勧めの釣りではある。
が、ハマったら抜け出せない、中毒になる釣りでもあるから注意なのだ。.


岩手日報タブロイド版2013・06・09掲載文







2013、チョイとフライで遊んでみた


今年の初、ミッジングでの尺山女魚



今年初、インジケーターンフでの40岩魚







落ち込む晩夏




7月になると、鮎の友釣りが大好きな輩は、居ても立っても居られず
仕事に手を付けられない状態に陥る。
そんな鮎の友釣りって「今日は20匹釣ったぞ、30匹釣った」とかの
数釣りの競い合い自慢大会になっちまう。

が、それとは別に「大鮎狙い」という、鮎の友釣りのジャンルもある。
白波渦巻く激流を我が物顔に縄張りを持つ大鮎とか
大河の深淵に潜む巨鮎に狙いを定め、数釣りには一切目もくれず
ただひたすら、まだ見ぬ巨鮎をストイックまでにボーズ覚悟でねらう
「大鮎釣り師」という存在。

一昔半前になるのだが、ある釣具メーカーのテスターをしていた時
全国のテスター仲間内だけの大鮎ダービーって言うのがあった。

これを契機にオイラは、大会志向の数釣りから一転して
大鮎師としての第一歩を踏み出したってワケだ。

日本一の花火が打ち上がる辺りを流れる秋田の河川
何時もの年なら大挙して海から上ってくる天然鮎で
川中溢れかえってしまうほど河川であるはず。
だが、この年に限って、まったく鮎の姿、影すら見えない年であった。
だから、鮎釣り師でごったがえす河原には
鮎釣り師の姿が、まったく見えない年であった。

そこでハタと考えた賢いキクチ君。
県の河川漁業規定によって遊魚券徴収の為には
大量、少量にかかわらず鮎は必ず放流しなければならいはず
なので、まったく鮎が居ないわけではない。
ちゅうことは放流鮎は、大量遡上してくる天然鮎との餌の競合が無いって事だ。
そうなると、鮎一匹あたりの餌となる珪藻、藍藻を
独り占めするテリトリーが無駄に広いっていうことだ。
そうなると、大鮎巨鮎に育つ確立が上る、ちゅうことだな。

サンサンと降り注ぐ太陽の光で、川の中にある石の表面に生える珪藻、藍藻。
鮎はこの珪藻、藍藻を下顎で舐め取る。
これをだけで一年魚である鮎が
30センチにまでに大きくなるのは脅威の栄養食だ。
これに目を付けたワケでもないだろうが
未来の宇宙空間生活での人類の食料として研究している学者もいるみたいだし
さらには、この珪藻藍藻の油分を取り出してガソリンを作る構想も
実現に向けて、かなりのスピードで進んでいるらしい。

っつうワケで、その河川に狙いを定める事にした。

お盆の帰省ラッシュが一段落付いた頃
釣れない釣れないと言われ続けていた、その河川にリサーチに行ってみた。

川原に着いてみると何時もなら岩手県ナンバーで溢れかえっている川原には
人っ子一人居ません。
やっぱりなと、一人ほくそ笑みます。

で、取るのもとりあえず、もどかしく鮎釣り支度を始めます。

そして川原に飛び降りて、竿を川に差します。
波立ち白泡渦巻く川面に友鮎を慎重に沈め引きます。

すると「ピンッ」という、野鮎の当たりが竿を通して握る手に伝わります。
してやったりとニヤリとしますが、竿は一直線のまま。
ちゅことは、針が野鮎に刺さってません。
おかしいなと、手元に友鮎を引き寄せてみると中ハリスが切れてます。
これは、野鮎の追いが激しいか、大きな野鮎が針掛かりした時に見舞われる現象。

仕掛けを一回り太いのに換えて再挑戦です。

すると、野鮎が鮎竿をガクンとへし曲げます。
その野鮎の遁走を食い止めるために、竿を満月に絞ります。
が、その刹那、鮎竿は一直線の棒切れ状態に戻ってしまいます。
そう、高切れです。
下衆な言い方で「親子ドンブリ」発生です。

鮎釣りは友鮎という囮の鮎を引っぱって、川の中で縄張りを持つ野鮎挑発し
体当たりに来るところを、うまく針掛かりさせる釣り。

高切れという状態は、友鮎と、その掛かった野鮎の引きに耐え切れず
糸が上の部分から切れてしまう事。
イコール 一匹の鮎を付けたのに、高切れしてしまうとマイナス一となってしまう
他の釣りではありえない状況に陥る釣りである。
それを称して「親子ドンブリ」という。

まっ、それは想定内、友鮎は4匹用意しているし
持ってきた仕掛けの中で一番太いのに代える、かしこいキクチクン。
おもむろに二匹目の友鮎をセットして、白泡渦巻く激流れに友鮎をぶち込むも
あっけなく、ギュイーーーンのブッチン。

友鮎は4匹持ってきているんで余裕のよっちゃん。
が、果て諸ともギュィーーーンのブッチン。

ここまで、大きな鮎が掛かるとは思いませんでした。
ナメテマシタ、大鮎釣り。
「今日はこの辺で勘弁してやる」と捨て台詞を川原に残して敗走。

家に帰って「ここまでヤル?」ちゅうくらいの太仕掛けを作ります。
明けて次の日、友鮎を6匹携えて、出陣です。

急ぐ心鎮めながら、川原に降り立ちます。
大鮎最強仕掛けに友鮎をセットし、激流に友鮎を馴染ませます。
すると「ガツーーーーン」という手に来る当たりとともに
最強鮎竿が、満月に曲がります。
その強烈な引きに、どうしようもなく友鮎と掛かり鮎もろとも
長い長い一本瀬を下り下ります。
で、最後に流れが緩くなった淵に二匹の鮎を落とし込み慎重に引き寄せます。

そして網に入れた鮎。
巨大です。
オイラの手のひらのスパン19センチ
当てて計ってみると、それが一回と半分くらい
尺に迫る勢いです。

これを袋網に入れて急流を遡り
元いた所まで汗だくになって戻ります
その距離100m。
そして掛かった野鮎を友鮎にして、激流にぶち込みます。
間髪居れず強烈な引きに豪竿を満月に絞ります。
そして長い一本瀬を掛かり鮎とともに下ります。
落ち込みの淵で寄せて、鮎を二匹回収です。
そして元の場所に戻るを5回ほど繰り返した時点で
オイラ、クタクタ、体力はエンプティーです。

こうして手にした6匹の鮎、一番大きな鮎、計測すると28センチです。
さっそく、テスター本部に自己申告。
並み居る全国の名手を相手に、自己最高記録28センチでも
勝ち目は無いなと思った。
が、8月の終わり、本部の集計を見てみると
ななななな〜〜〜〜んと、オイラがtopで独走中。
9月になっても、そのまま先行逃げ切り。
10月1日をもって結果発表。
で、大鮎ダービー優勝。
晴天の霹靂とはこの事じゃ。

でも、よく考えてみると並み居る全国競技大会優勝レベルのテスターたちは
大鮎になんか眼中になく、ただひたすら数を狙っての釣行なので
こんな結果がでたんだなと自己分析。
そう思うと、少し落ち込んだ晩夏ではあった。

2013・8.3 岩手日報タブロイド版掲載




秋の夜長は

岩手県の内水面の遊魚は9月いっぱいで禁猟となる。
と、手持ちぶたさの釣り人は、禁猟期間が無い三陸海岸の海釣りへと
出かけるのが常だ。

が、3.11の大震災後は、さすがに三陸海岸に釣りに出かける気は起きなかった。

あれから3年もたったので、そろそろ三陸海岸での海釣りを
解禁してもいいかなと思う今日この頃。

案外、地元の方々の話を聞くと
震災前のように、釣り人がいっぱい来てくれると
何かしらの経済効果を生むので、遠慮しないで来て欲しいという声も
ちらほら聞こえて来る。

そんな三陸海岸の釣りモノと言えば
主役はアイナメとドンコとソイの釣りだ。

その中でも「北国の鯛」とも呼ばれるソイって言う魚。
見た目は、真っ黒い魚体に、大きな目と口
背中にはトゲトゲの凶悪な背ビレ。
どう見ても鯛には見えないし、美味そうにも見えない魚なんだけど
上品な白身の魚の刺身として、鯛にも比較される由縁だ。
が、オイラ的には腹開きにし塩焼きにして喰うのが
一番美味いなとおもう。

そんなソイは、三陸沿岸のいたる所に生息している。
昼は岩陰とかの障害物周りで惰眠を貪っているらしく
まったくではないが、針掛かりしない。

ソイの大きな目を見れば分かるとおり夜間、活発に餌の捕食にと動き回る魚だ。
そして大きな口を見れば分かるとおり何でも食い付く悪食の魚なので
エラゴ、アオイソメ、イワゴカイ、イカ、ブラックタイガーなどなど
なんの餌でも釣れるが、一番手っ取り早く簡単に食い付いてくるのが
サンマを三枚におろした切り身を短冊状に切り分けるとそれがソイの餌だ。

でもサンマの切り身では脂でヌルヌルと手が汚れるし
生臭い臭いも手に付くので気持ちのいいモノではない。
かと言って、ヌルが嫌だからと言って塩付けしてから使ってもいいが
脂が焼けたようになり、イマイチ食いが悪いような気がするのは俺だけか。

だから今では、ソフトルアーとかワームと呼ばれる
ソフトプラスチックで出来ている軟体生物状のルアーを
餌の代わりに付けて釣る釣りが、臭わないし手が汚れないし
なんたって、餌の準備をしなくていいので
人気の釣りになっているのだ。

でもサンマの切り身と違って生餌ではないので
放って置いても針掛かりはしない。
なのでこのルアーを竿先でフワフワとかクイックイッっていう
生命体のアクションを付けてやると、これを生きた餌だと勘違いしたソイが
バクッと食い付いてくるって言う寸法だ。
つまりイメージとしては、ブラックバスのワームフィッシングと
同じ釣り方で間違いは無い。

でもルアーフィッシングだからと言うんで
遠くへと投げるイメージがあるのだけれども
あんがい足元の岸壁スレスレに居ついている場合が
けっこうな確立である。
よく考えると、岸壁は魚達にとって大きな障害物物なので
魚の居つき易い漁礁なのである。
だから、なにもルアーを遠くに投げ入れる事はない。

ポイっと投げ入れて
チョンチョンとアクションを付けると簡単にいソイが食い付いつき釣れたりして
お手軽ちゃあ、お手軽な釣りが、ソイのルアー釣りだ。

だから面白すぎて気が付くと、朝日が昇る時間まで釣っていたりする。
帰り道の眠たい事ったらありゃしない。
事故らないように、仮眠をとりながら帰る。
こんなお手軽で面白い夜間のソイ釣りが、盛岡から三陸の海へと向かう道すがら
峠道がアイスバーンになるまで続くのだった。

ただ夜間の釣りなので、足元には要注意。
以前、足に絡まったワイヤーが跳ねて、額を割った事があった。
今現在、三陸漁港の復興作業中なので、工事の鉄骨やワイヤーなどが
張っていたりするだろうから、そこは十分注意して釣りをして欲しい。
もちろん、ライフジャケットは必須アイテムだ。



ソイを狙うルアーたち

ソイを狙うときは「ソフトルアー」と呼ばれるプラスティック製の柔らかいルアーを使う。
その種類は、星の数ほどあるが、ブラックバスフィッシングコーナーの
山積み大安売りコーナーで見つければ、それでいいと思う。
なんたって、海底の障害物に引っ掛けて無くしてしまう釣りだからね。

それにジグヘッドと呼ばれる、針とオモリが一緒になった針に差して使う。
これも値段が高いジグヘッドなくても、中通しオモリに糸を通して針を結び
それにソフトルアーを通しても大丈夫だ。
魚は値段が高い安いは分からないから。

それを、キャストしたら、ゆっくりと、そーだなぁ
一秒間に20センチくらい速さでゆっくりとリールを巻く。
これを繰り返す。
それでも魚の当たりが無いようだったら、ソフトルアーをバルキーなモノにチェンジしてみる。
一番手っ取り早いのが、フラグラブと呼ばれるソフトルアーに替えてみるとイイ結果がでる確率が高い。
でも値段が張るので、安売りのソフトルアーに、タコベイトと呼ばれるビニールルアーを
コンドームのように使い被せてもいい。
とにかくボリュームを出して、アピール度を出す。
それで、たいていは答えが出るはずだ。

それでも釣れない渋い時は、オモリを軽くして行く。
そして糸も細くして行くと、ルアーの落下速度がゆっくりとなり、水中で漂うような感じになると
ソイに対してのアピール度が増す。
底に落ちたルアーを口にくわえた時の違和感が無くなる
なのでチョボチョボと突っつくだけの当たりが無くなり
パックリとくわえ込む当たりが明確に出るって寸法だ。
さらに、投げるにも苦労するような極小ルアーを使ってみるのも手だ。

もう一つ持って行くルアーは、ミノープラグと呼ばれるハードルアー。
これを使うシュチュエーションは、満月の夜とか夜明け寸前の薄明かりの中。
ソイの口を見ても分かるように、下あごが突き出ている。
って事は、海底から上を意識していて、付き上げるように泳ぎ上り獲物をくわえる。
だから海面付近を意識する薄明かりの時間はミノープラグを使うといい。

このエキサイトな釣り方を覚えると、けっこう病み付きになる。
満月とか、夜明け寸前でもない時でもミノープラグを使いたい時は
漁港とか、国道脇の常夜灯が照らす海面付近を狙うとおもしろいのだ。

2013・9.30 岩手日報タブロイド版掲載







ワカサギ釣り 今昔物語

岩手の夏らしい夏って、よくて8月いっぱいがいいところ。
その中でも熱帯夜と言われる日はほとんどない。
そんな快適な夏、鮎の友釣りに勤しんでいると
あっという間に秋になってしまう。
しょうがないのでキノコ採りなどしていると霜が降りて
ここから半年はストーブを焚く寒い季節に入る。
 
そんな、冬のど真ん中の楽しみの釣りは「ワカサギ釣り」だ。
なかでも、岩洞湖ならではのテントを張ってストーブを焚いての
快適な氷上ワカサギ釣りほど楽しいものは無い。

ワカサギ釣りを始めた当初って、25年も前の事だが
その頃はマイナス15度は軽く越す極寒のなか、テントも張らず素のまま
防寒着を何枚も着込んで、湖面を猛烈な勢いで襲ってくるブリザードに
手をかじかませながら、氷上に穴を開け糸を垂れていると
その穴は直ぐに氷が張ってしまうので、その薄氷を取り除きながらの釣り。

小一時間も竿を握っている手は、しだいに感覚が無くなり
ワカサギ針に餌の紅サシを付けることも出来なくなってくる。
それでも頑張って2時間ほど釣りを続行。
言わば、一種の荒修行みたいなM的釣りをしていたものだった。

顔の皮膚の感覚も無くなったころが止め時。
釣り道具を綺麗に片付けようにも、手が言う事を利かず、片付けられなく
椅子の代わりにしていたクーラーボックスにポイポイと放おり投げ入れ撤収。

道端に止めていた車の鍵を開けようにも、手はキーを持つ事すら出来なくなってる。
そんなボンボになったグーの両手でキーを挟むように持ち
何とか車のキーを回し、ドアを開けヒーター全開で帰路につく。

極寒の岩洞湖を後に、当時は除雪も完璧ではない荒い峠道を慎重に下り
市街地に付く頃、車のヒーター全開で、ようやく温たまる。
寒さで緊張していた体中の筋肉も解け始め
凍っていた体の骨の髄も、徐々に緩んでくる。
すると、とてつもない倦怠感と疲労感と眠気が襲ってくるのだ。

そうまでして、極寒の地に足を運ぶのは
甘さえ感じるほどの身と、腹の微かな苦味のバランスがたまらない
岩洞湖の美味しいワカサギを喰いたいからだ。

が、冬季の狩猟を始めた15年前頃から岩洞湖から足が遠のき
ワカサギ釣りを忘れた今頃。
近くに住んでいるワカサギ釣り狂いの友から
「岩洞湖のワカサギ釣り」を執拗に誘われた。
が、あんな寒い思いはしたくないので、かたくなに断っていた。

その友いわく「テントを張ってストーブを焚くので、まったく寒くは無い」
との言葉に釣られて「ま、いっかぁ」と出かけた15年ぶりの岩洞湖。

行ってみての感想
ワカサギ釣りを始めた当初とはまったく違う
驚くべき異次元のワカサギ釣りだった。

まず、氷上に穴を開けるのが驚愕の充電式電動ドリルでクイーンと一発5秒。
「疲れない、早い、いっぱい穴を開けられる」の楽々三拍子ときている。

その昔は、鉄の棒やツルハシで、ガッツンガッツンと力技で50センチ四方の穴開けた。
人によっちゃあ1、5メーター四方もある大きな穴を開けて何人かで釣っていた。
だから、その穴に薄氷が張って、ブリザードが薄っすらと積もれば落とし穴。
よく、人が落ちていたものだ。
その頃でもアイスドリルは存在していたが電動では無く手動だった。
アイスフィッシング専用のアイスドリルでも、力は要るんで一生懸命回していた。
だから、3個も穴を開けるとヘトヘトになった。
そのくらい岩洞湖の氷の厚さと硬さは手強い。

お次は、その開けた穴30個から50個
知人は100個も穴を空けまくってドリルの電池切れを起こしていた。
その穴に片っ端から魚群探知機を仕掛け入れて行き
ワカサギの群れがいっぱい写る所を探す。
昔は「出たとこ勝負の運任せのポイント選び」で
氷の穴あけも、3個から5個ぐらいが限度だったので、ボーズの日もあった。

と、ここまでは、まだ太陽が上っていない薄暗い朝なので
寒いったらありゃしない。
15年前と同じ。

ワカサギの群れがたくさん写っている穴が決まったら、そこにテントを立てる。
その中で、ストーブを焚く。
マイナス20度近い時は、もう1台増設して焚く。
狭い空間なので、あっと言う間に暖まる。
なので、開けた穴に薄氷が張ることも無い。
さらに道具立ては、電動ワカサギ竿ときて
釣りがスピーディーで楽で疲れない。

こんな近代ワカサギ釣りではボーズはほとんど無い。
しかも100匹越えなんていう、15年前では考えられない
途方も無い釣果は、あたりまえにある。

そんな岩洞湖のワカサギ釣り。
なにが楽しいって、テント中ではコーヒーもたてれるし
腹が減れば、ラーメンだって、鍋だって作れる。
お腹がいっぱいになれば、発砲スチロールのマットの上で昼寝も出来る。
こりゃ、ほとんど遠足だね。

気軽に行ける岩洞湖
お気軽な気分で釣りが出来る今時のワカサギ釣りは
厳冬期だからこその、たのしい一押しのアウトドアーではあるな。

2013・11・.30 岩手日報タブロイド版掲載




狩猟を始めたわけ

冬の楽しみは、フライフィッシングで使う毛ばりを巻く、フライタイイング。
そう、川は凍りつき禁漁の期間だからこそ、気が急くことなくゆったりとした気分で
毛鉤りを巻けるシーズンでなのである。





ストーブをガンガン焚いた暖かい部屋で、オンザロックを舐めながら
ヤマブキの花が咲く5月、あの川でオイラが巻いたパラシュート型のフライに
バシャっと派手に水面から飛び出してきた白い斑点がきれいな岩魚とか。
栗の花が匂う6月、水棲昆虫たちが川面から這い上がって羽化し
川の周辺は、いろんなカゲロウやトビケラが成虫となって飛び交い
モヤモヤ状態になっているんだが
水面を流れていく、オイラの毛鉤りには目もくれない紫色の妖艶なヤマメたちは
豊富に川の上流から流れてくる昆虫の何かを特定し偏食しているからだ。
そんな悔しい思いをした事とかが頭の中に浮かんで
来期こそはと、白と黒が交互に交じり合った羽を巻いたり
茶色の羽を巻いたり、米粒くらいしかない極少のミッジフライを巻いたして
妄想の中の川釣りに浸って、時間の経つのも忘れて毛鉤を巻く冬なのである。

その毛鉤を巻くときの材料は、毛鉤専用種の鶏の毛だったり鴨の毛だ。
なかには、北極熊の白くて長い毛とか、仔アザラシのキラキラと透明感のある毛
しまいには極楽鳥の芸術的な色合いの羽だったりする訳だが
これらはみんな、ワシントン条約で輸入を禁止されているものだ。
この条約が締結される前に、国内でストックされていたものが
時たま、市場に放出される。
もちろん、その値段はホントかっていうくらい高い。

ちょっとオタクが入ったフライフィッシャーマン達は
金に糸目を付けず、国内と言わず外国から密かに輸入したりしている。
それの頂点に立つのが、英国で生まれ、芸術の息まで達したサーモンフライ。
その名前の通り、産卵のために川を遡ってきた鮭を釣るためのフライで
彼らは、繁殖行動しか頭に無いので、食欲とかでは口を使わない。
そんな気難しい鮭を釣る為に、反射的に口を使わせて釣る為に
派手派手に着飾った毛ばりを作ったのが、サーモンフライの始まりだ。

それが高じて、世界中の珍しい鳥や動物の毛を
英国貴族たちは財力と権力にものを言わせて取り寄せる。
いかに手に入らない珍しい毛でサーモンフライを作るかっていう
そんな世界もある。

この辺りのフライフィッシャーマンたちが巻くフライは
毛に張りのある毛ばり専用種の鶏の羽が一般的に用いられてきたが
近年はキュドカナール、略してCDCと呼ばれる毛が多用されている。
その毛は、マガモの尻の穴の周りの毛と言われているが
実は鴨の毛づくろいの時、自分シッポの上にある脂線というところから
自分の口ばしで脂肪を搾り出し、それを満遍なく体中に塗りたくり
防水と防寒の対策をしているのだ。
だから、雪吹きすさぶなか、川面に平気で浮かんでいられるのだ。
それに、自前のダウンを羽の下に沢山蓄えているのも強みだ。





その脂線の周りに生えている毛がCDCと呼ばれるフワフワとした
いかにも頼りない風情の、ケサランパサランっぽい、はかない毛だ。
その毛で毛鉤りを巻くと、なまめかしい妖精と言ったスタイルに仕上がるから不思議だ。
それと脂線の周りに生えているだけあって
脂質が毛に染み込んでいるためなのか撥水性が異常に高い。
なので、ドライフライフィッシングという
水面に毛ばりを浮かせ、流れてくる虫に似せて釣る釣りには
まことにもってこいなマテリアルなのだ。

その毛もランクが色々あって、やはり整った毛は異常に値が張る。
北上川といわず、中津川や雫石川に沢山浮かんで居る鴨。
それを撃ち取れれば、自分が納得できる最高品質のCDCを簡単に手に入れれるなと思った。

春も過ぎて暑くなってきた日に、水面を流れてくるモノなら選びもせず
ノー天気になんでも食らい付いてくる岩魚を釣りに農道を進んでいくと
田んぼのクロからメタリックな色合いの雉のオスが出てきて
あの目玉の周りの真紅の毛が欲しいなと思ったり。
さらに源流めざして林道を進んで行くと
オッパが1mくらいもある赤茶色の大きな鳥が歩いているのに遭遇するわけ。
その長いオッパは、フェザントテールと銅線だけのマテリアルで作る
英国のフランクソーヤ氏によって考案された「ソーヤニンフ」と呼ばれる必殺フライ。
これは川の中で生活しているカゲロウの幼虫に似せたもので
このバリエーションの一つにモッテコイのマテリアルだと常々思っていたのもあるし。

そんな山奥に行く途中、色々な動物に出会うわけで
きれいな黄色と言うか薄い黄金色のテンの毛も魅力的だし
野うさぎのフワフワした毛も手に入れたいともおもっていたからだ。

これらの遭遇が重なりあい、その思いが厚くなってきた頃
無性に狩りをしたくなった。
というのが、僕が狩猟を始めたワケ。。



ワカピー



生魚とチーズ、取り合わせの悪さ感がはんぱ無いが意外や以外ぞ。


本州で最も低い気温を毎年記録するのが去年から盛岡市となった藪川。
その中でも特に寒いと恐れられているのが「岩洞湖」と呼ばれている
ロックヒルのダム湖である。

日本各地の湖の富栄養化が進み、水質汚染が問題になっているが
岩洞湖の周辺には民家が無い。
それに、まわりには家畜が飼われている場所が無い。
ってことは、汚物水が一切流れ込まないので
水質は誠にもって綺麗の一言。

ワカサギ釣りでは、仔細かつ微妙な当たりを捕らなければならないので
ご飯を食べている片時も、片手は必ず竿を握っていなければならない。
が、オイラは釣る間を惜しみながらも、ワカサギを釣る穴から
岩洞湖の水を汲んでコーヒーを立てるのが俺の岩洞湖の朝の流儀だ。

それを一緒に来た仲間に振舞うと
ズズズっと一口すうと必ず「ウメェ」と
白い息と供に独り言のように吐く。
お世辞で言うなら「おいしいですね」だろうが
「ウメェ」と言われた日にゃ、コーヒーを立てた方は嬉しいってもんだ。
まぁ、マイナス 二ケタ台の環境で飲むっていうのも差し引いても美味い。
だから裏岩洞流の家元、千家を名乗っているのだ。

こんなだから、ここで捕れるワカサギの味は言わなくても想像できると思う。
あえて言ってみれば、一般に言われる生臭さは無い。
ワカサギ独特の青臭さはあるが、手に何時までも残る臭さではない。
味はというと、苦味が強いとされるワカサギだが
岩洞湖のワカサギの腹は、ほのかな苦味だ。
それより身に甘みがあるので、一口食べただけで
他のワカサギとは別物だと誰でも分かる。

そんな美味を求めて東北各地と言わず、関東周辺からも
アイスバーンや積雪を物ともせず、釣り人がやって来る。
実際は福島第一原発の放射能拡散で、福島周辺の湖が汚染されてしまった
っていう、状況もあるんだろうけどね。

そんな甘みなワカサギ、ピザの具にしてもなんら問題は無い。
というか、メチャクチャ美味しい
ピザにすると風味的にはアンチョビみたいな感じだが
塩気はもちろん無い。
これをピザ一枚に18匹入れてある。
18匹というと、すごい量と思われるが、小はマッチ棒サイズなので
六つ切りにした一片に3匹は入れないと
俺の舌が黙ちゃいないって言うことだ。
 
ただ量産はできない。
それは市場には絶対に出回らない魚だからだ。
喰いたければ自分で釣れということだ。

それにこの釣りには危険がいっぱいだ。
毎年というか、一週間に一度は必ず救急車が迎えに来る。
それは極寒を省みず、寒さ対策でテント内で小型のストーブ炊くので
換気を怠って一酸化中毒になる人が後を立たない。

ワカサギ釣り師の知人友人たちの、一酸化中毒で意識を失いそうになったとか
頭がガンガンして痛くなったとかの話はよく聞く。
気づかない内にやられるらしい。

オイラの愛車は20年前の古いやつなので、よく故障する。
そんなオンボロ車でも、嫌な顔をせずに快く直してくれる自動車工場の工場長。
彼も極寒の岩洞湖の氷上テントの中で一酸化中毒死。
時間が経っていたので、凍ったままの状態で発見された。

あと、湖底から湧き水が出ている所は、湖水が縦に回流しているので
氷が薄くなっている落とし穴状態。
簡単にパリンと、湖に落ちるらしい。
落ちた穴の周りの氷の上に水が上がってしまって
アイスバーン状態になり、ツルツルすべって這い上がろうとしても
這い上がれないアリ地獄なそうだ。
氷上には、なにも掴まるものが無いし。
運よく発見されても、ミイラ取りがミイラになるという落水の連鎖になるので
落ちた現場には近寄れないという事情もある。
知らない間に死んでしまう一酸化中毒と違って
こちらはタイタニック的拷問に近いとおもうぞ。

たかがマッチ棒サイズの魚釣りだが
危険が危なくてデンジャラスな釣りがワカサギ釣り。
だから、こころして食べるように。





銀ちゃんのこと
  

銀ちゃんが初めて捕った獲物 生後5ヶ月



一般的にイングリッシュポインターは10年生きれば長生きだと言われている。
ペット犬のだいたいは大型犬で13年、小型の犬で15年くらいだと言われている。
なんでイングリッシュポインターだけが、短命なのかちゅうと
元々の原産国は名前の通り英国。
かの地の狩場は、広大な草原や牧草地なそうだ。
その中に点々とあるブッシュ地帯に潜んでいる、コジュケイやウズラ
キジ類の匂いを嗅ぎ分け、探し出すために作られたのがイングリッシュポインターなのだそうだ。
そのブッシュの中に潜んでいる鳥を素早く特定し
その直前で、相撲の制限時間いっぱいの仕切りのように四つに睨み合ように鳥と対峙し
その場に獲物を押さえつけて置く。
これが「ポイント」という。
だから名前がイングリッシュポインターとなったわけ。
ちなみにイングリッシュセッターって言うのは、ポイントしない代わりに
腹ばい気味に伏せのような型で「セット」するから、そういう名前が付いたそうだ。

広い高原を高速でサーチするイングリッシュポインターの後を
狩人は馬に乗って追うくらいなそうだから
どのくらい速いか分かろうかというもんだ。
だから貴族たちは金に糸目を付けず
いかにスピードと長距離性能を併せ持つ犬を作り出す事に普請したという。


オイラが物心ついた小さい時から、いつの時でも必ず犬が居た家だった。
べつに貴族でもなんでもない中流家庭だが
そんななかで、ポインターは初めて飼った犬種だ。

そいつは子犬のくせに、とにかく歩くという事を知らない犬で
とにかく全力疾走したがる。
だから、掛け声をいつでも掛けながらスピードをセーブさせることだけに専念し
それだけの訓練に明け暮れた。
それは歳を取ってからもずっとだ。
そんなだから、心臓に負担が掛かり過ぎて
最後には僧帽弁閉鎖不全症にて終了なのだそうだ。

うちに来てから、まる一歳をすぎて、実質的な狩猟最初の年。
ためしに伐採跡の見通しの聞く山に連れて行き放してみた。
なんの臭いを捕ったかは分からないが、たぶんカモシカだと思うが
何も指示を与えず放っておいてみた。
米粒の半分くらいの大きさにしか見えなくなる遥か遠くまで走り去った。
その走力にタマゲタというか呆れてしまった。
だから、込み入った山に連れて行くのには、迷子にしてしまう可能性が高いと判断し
狩猟元年は見通しの利くところを選んで猟に連れて行った。
少々キジが獲れた。
一歳にしては上出来だった。
  

雫石の川原で雉狙い





2年目の猟期、呼び戻しも大体出来上がったので
その走りを見たさに草原の際の林に潜むキジを狙いに岩手山の麓の行く。
走力にモノを言わせて縦横無尽に草原と林地帯の際をを疾走するその姿は
白いミサイルと化し、見てるオイラはその疾走感溢れる走りに
惚れ惚れと酔いしれた。

でも制御不能のミサイルは高原をも突っ切って林に入り込み、見失うこともシバシバで
いかにその行動範囲を狭めるかという訓練は大事だなと再確認した。
さらに、呼び戻しを徹底的に仕込んだ。
2年目、昨シーズンの3倍、キジが獲れた。

猟期3年目、その呼び戻しが完璧に出来上がった。
なので、ようやくヤマドリを狙いに、山奥の込み入った猟場に連れて行った。
そこは草原と違って、キジとかウサギ、獣の匂いがムンムンしているらしく
銀ちゃんのテンションは上りっぱなしなのが、手に取るように分かった。
やはりというか、なんというか、鹿かカモシカか何かは分からないが
その臭いを追って見失ってしまい、待ちぼうけを一時間も喰らいった。
オイラは非常にイラつき腹が立ったころ
オイラの腹の中を察したのか、申し訳なそうに、上目遣いで戻ってきた。

ここで、思いっきりケツを蹴り上げたいところだが
せっかく戻ってきたのだから
その戻るという行為を、褒めてやらなければならないなと考え
思いっきり体を撫で回し、褒めちぎってやった。

こうして、待ちぼうけを喰らいながら、気長に猟を楽しむ事にした。
とは言ってみたものの、あんがい気短いオイラは待つよりは
追いかけて山を走ったほうが性分に合うので、負けじと走り回った。
コレを見ていた鉄砲の師匠は言った。
「そんなに犬を追い立てたら、犬のほうは落ち着いて猟が出来ないじゃないか」と。
でもそれがオイラと銀ちゃんの狩猟スタイルになってしまっていたので
師匠の忠告を無視し、山野を走りに走り回った。

しまいには師匠は「俺はここに居て、ヤマドリが下ってくるのを待ち受けているから
先に犬と一緒に行って来い」と呆れ半分に言われた。
この年はキジのほかに、ヤマドリも獲れた。



川井村でヤマドリ


4年目の猟期
いつでもと言うわけではないが、条件が揃えば
獲物の目の前でガッチリとポイントするのは朝飯前の事だけど
そのポイント一旦解いて、獲物の後ろへと回り込み再度ポイントする
鳥猟犬の至高の技と言われるラウンドを7回に一回、時たま見せるようになった。

なぜそのような事をするかと言えば
犬は鉄砲を構えている人を確認(ご主人様とは限らず、身近に鉄砲を構えている人)
その人が撃ちやすいように、鳥を飛び出させる角度を一瞬にして割り出し回り込む技。

でも、鉄砲撃ちとしては
犬がそこまでお膳立てしてくれると外すワケにもいかない。
一撃必中の射撃をせねばならず、かえって緊張する技。

このラウンドしてからの打ち落とす確率は10%にも満たないオイラは
いわゆる下手の鉄砲ぶちっていうやつだ。

こうして喰ってうまいヤマドリ撃ちに、どんどん傾いていった。
だって、キジ狙いで里山あたりで鉄砲を担いでウロついていると
お百姓さんに嫌な顔されるくらいならいい方で
しまいには、激怒されることもあったりして
キジ猟から遠のき始めた年でもあった。



岩泉でヤマドリ




イングリッシュポインターは水鳥猟はできない犬と断言されている。
オイラはそれに挑戦しようとしたわけでもないが
夏の暑い盛り、銀ちゃんがあまりにもゼイゼイするので
クールダウンにでもと川に引き入れることにした。
大きくなってからだと無理っぽいんで、銀ちゃんが小さい時から
川に連れて行き一緒に水遊びをし「水は怖くない、むしろ面白いぞ」と
一緒に川遊びしながらモノを投げては、持って来るように泳ぐことを教え込んだ。
それは以前飼ってた犬がフラットコーテッドレトリバーっていう
めっぽう水に強い犬種だったんで、その延長線上で遊びに取り入れたってわけだ。
だから獲物が川に落ちると、気温が一桁代でも川の中に入り込み
100m向こう岸に落ちて流れて行く獲物をくわえて持ってくるような
水性イングリッシュポインターになった。



水に弱いイングリッシュポインターなれど
  銀ちゃんはラブラドールレトリバーなみに働く。




たまに激流一本瀬に飲み込まれ、銀ちゃんの姿が沈んで見えなくなっても
はるか下流でポッカリ浮かんで泳でる。
まさか獲物は放してるよなと見ると、獲物をしっかりと咥え込んで
川から上ってくるような、レトリバーも顔負けの回収を見せる。

でもさすがに、気温がマイナスになると「クイーン」とか岸辺で鳴いて
前足を川に付けるか付けないか迷ってるそんな時は
ケツをポンと蹴ってやり、川の中に入って泳ぐ切っ掛けを作ってやった。
そんなだから、川から上って岸辺を走っていると
胸の辺りからの雫が、ツララみたいに凍り付いている事もあった。

そんな銀ちゃんを見て
「イングリッシュポインターを水鳥猟の回収犬にしてるヤツは見たことない」って
行き会う狩人に、呆れ半分でよく言われた。



外したキジの飛んで、降りた場所を確認
  こんな事をする犬、見たことがないとも、言わしめた。




5年目の猟期
ちょうど使用期限の折り返しにあたる年。
完璧に仕上がった銀ちゃんではあるが、ヤマドリに限っては打ち落とすと
オイラの目が届かないで所で捕らえた場合
まるっと完食してしまうという、グルメな犬になってしまった。
だからヤマドリ猟の場合は、撃ち落したと思ったらヨーイドンで
獲物が落ちた地点に、銀ちゃんとの競走になってしまう。

それに引き換え鴨などの水鳥の場合
犬かきで一生懸命泳いで回収してくるのだから
獲物を放さないと思いきや、岸辺に放りなげるようにオェっと吐き出す。
だから、止めが入ってない獲物だと、また歩き出し逃げようとしたりする。
きっと鴨は彼の口に合わないんだろう。



銀ちゃんを見た先輩ハンターが、イングリッシュポインターに
  あるまじき足だと言わしめた筋肉。
  毎日、山を駆け巡ぐった結果。






そうして、6年目7年目8年目とキジ鴨ヤマドリの取れる数が異常に伸びて行った。 

9回目の猟期が終わる頃から、口の周りとか目の周りに白髪が目立つようになった。
そして、この年の夏は、小屋の中で寝てばっかりいるようになった。
「歳とったんだなぁ」と感じた。

普段の散歩は家の近くを流れている中津川の川原に連れて行く。
そこには石垣を登ってショートカットするポイントがあるんだが
いつもなら、ひと飛びで掛け上がるのだが、この頃からヨイショみたいなお爺さん。

猟期が始まって、いつもの沢にトライした時、倒木がらみの急斜面
足元がおぼつかないで、グラっとしたりして。

滅多にというか、いちハンター、一生に一度でも
  出会えれば良いと言われる ヤマシギ とヤマドリ。




「うちの犬も10才になったよ」って、師匠に言ったら
「猟犬つぅもんはな、自分の死期が来ると、オヤジからそーっと離れるように
林の中や藪中、そして山の奥へと消えて行くから、後を追っちゃダメだぞ」と言われた。
それは、猟犬としてのプライド。
死んだ姿を見られたくないという事らしい。
そんな衰えた姿が重なった事もあって「今猟期それが来るかもしれないナ」
と、オイラは覚悟を決めた。

筋力は衰えたんだが、その猟芸は燻し銀のような渋い芸を見せた。
それを見ているだけでもオイラはシビレたが
相変わらず鉄砲の弾は、あさっての方に飛んで行くのか、ヤマドリは落ちなかった。


これを文にすると、キジやヤマドリ猟をやったことが無い人には
意味不明になると思うが、オレの脳味噌にガッツリ焼き付いたので書いてみる。

県道から川をまたいだ橋を渡ると林道となる地点で銀ちゃんを
車の後ろに積んである木箱から降ろす。
そんな銀ちゃんは、ひとしきり体を震わせ背伸びをしたところで
「走ってもいいか?」みたいな顔をするのだが一応「待て」の号令を掛ける。
そして、オイラが車に乗り込んでギアを入れアクセルを踏むと同時に
銀親分は、ギャロップ走法で走り出すっていう塩梅だ。

その後を車でクネクネと続く林道を見失わない程度の距離を保ちつつ
付いて行くってのが、オイラだけ楽チンな猟法。
まさにランアンドガンじゃね。
狭い林道で、たまにすれ違う軽トラに乗ったオジちゃんが
目を丸くして見ているのが面白かったりする。

獲物の気配が無い時は、このままの状態でヒトヤマ超える事も幾度とあるワケだが。
それでも銀ちゃんは息がまったく切れず、どんな勾配の坂でも
30キロのスピードをキープして走るバケモノ犬だったが
今猟期のスピードは5キロ落ちて25キロのスピードになった。
ホントに歳を取ったなと感じた。

このランアンドガンだが
師匠には「そったな事やってるとポインターが本来持ってる突っ走る犬に逆戻りするぞ」
って、言われ続けたが、徹底的に仕込んだ呼び戻しのせいか、そんな事も無く
オイラが歩けばそれなりにオイラの歩進に合わせて捜索するから
変幻自在なスピードと、オヤジとの距離を保つ犬に仕上がっていると
オイラ自慢の猟犬なのだ。

ランアンドガンで林道をギャロップで走っている最中
獲物の匂いを感じるとビタンと急ブレーキ
自慢の鼻先で、臭いの先というか元を確認し
薄ければ薄いなりに枝沢を上って行くし
その匂いの元が近ければ、ソロソロと距離を詰めポイントする。
まったく楽な猟法

でガッツリ話に戻る。
銀ちゃんのギャロップ走法に付いて行く。
林道から外れたところにある伐採した跡地
商品にならなかった木っ端を積んである所に差し掛かった時
よく米国の漫画で猛ダッシュしているライオンとかトラとかが
前足を立て土けむりを上げて急ブレーキを掛けている場面があるが
それとまったく同じく、濡れた林道だったのでさすがに土煙は上らなかったが
そんな感じで急ブレーキ。

こういう場合、確実に居ます。
それも近距離です。
っていうか、目の前かもしれません。

そこは慌てず騒がず、忍者のようにオイラは車から降りて
林道脇のブッシュの中に立ちます。

銃カバーを外し、44マグナム#5のカートリッジをガチャリと装填。

銀ちゃんは木っ端がうず高く積まさった真正面にポイントしてます。
ド迫力のポイントです。
その姿は、頭は肩より低く、そして鼻先は獲物の匂いがする方へ
心持高めに保持し首を傾げるように、ほんの少し傾いている。
そして前足の付け根から肩に掛けての筋肉と言わず
全身の筋肉が硬直したいうか、力が入り膨張して微動だにしません。

その前頭葉先端部から尻尾の先までは一直線。
その尻尾は微動だにしません。
まさに英系イングリッシュポインターの矢のような雄姿のポイントです。
って、英系ってなぜ言うかというと
コレに対して米系っていうイングリッシュポインターが存在していて
こちらの地は果てしなく広く、地平線まで続くような草原や荒野で走らせるため
イングリッシュポインターを改良に改良を加えて
大陸弾道弾ロケットのように突っ走る犬を作り上げたという血統種。

人間はその後をジープで追いかけるか、馬で追いかけるというのが
米系イングリッシュポインターのハンティングスタイル。
で、その米系イングリッシュポインターのポイント姿は
尻尾がピンとアンテナのように立っているのが特徴。
だから一目瞭然、英系か米系か
その尻尾のたち具合で、はっきりとその血統の違いが分かる。
 
例えてみれば、銀ちゃんの気迫溢れるそのポイント姿は
あのヤンチャ坊主の市川海老蔵が演ずる「暫」
あの ニラミにも似た姿、っていうか
相撲の大一番、最後の仕切り四つになって睨み合う姿にも似ている。

これで、獲物をガッチリとその場に押さえ付け、獲物と呼吸を合わせます。
その呼吸が乱れた時、犬は獲物に襲い掛かります。
が、あちらも必死なのだが、空中に飛び立てるという最終手段があるので
その間合いを手玉に取り
一瞬にして「ドビドビ」と地響きがするような派手な羽音を立てながら飛び立ちます。

このヤマドリは、よっぽどの事が無い限り、飛ぶ鳥ではないのです。
鶏と同じく地面を這ってエサを取る鳥だからです。
それに、山には熊鷹とかイヌワシの猛禽類が虎視眈々と目を光らせているので
不用意に飛ぶと捕まってしまうからでもあります。

来る極寒の季節に備えて、たらふく木の実や草の実を食べているヤマドリは
黄色いバターのような色の脂がのり、体が重たくなっているので
余計に力強く羽ばたかなければならないのか
そういう馬鹿デカイ羽音が出るのだ。

一瞬の時が来るのを、息を潜め静かに待っている鉄砲ぶちには
その羽音は非常に、心臓に悪い。
だから極度の緊張プラスその羽音で心臓が破裂しそうになり弾を外すわけだ。

で、オイラは心臓がバクバクと脈打ち、緊張します。
ここまで銀親分にガッチリとポイントされると、外すワケには行きませんから余計に。
すると、銀ちゃんはポイント解きます。
その木っ端の山真正面から、右に回りこんで行きます。
そして木っ端山の裏に入っていきます。

で、出たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ〜

ラウンドっていう鳥猟犬、最高峰の技です。 

このラウンドっていうのは、犬がガッチリとポイント。
そして、その後ろとか脇にオヤジは銃を構えて立ってるわけ
ポイントした犬は周囲の地形と状況から分析し
ここから獲物に向かって、つ込んでいくと
獲物が左か右か真後ろかどちらに飛ぶか分からないと判断。

だから、オヤジが撃ち易いように一方方向に飛び出させようと
獲物の背後に回りこみポイントし
獲物との間合いを計り、飛び込みのチャンスを伺うわけだ。
柔道で言えば、小内刈りからの巴投げみたいな。
だから犬にラウンドされたら
鉄砲ぶちはその場から一歩たりとも動いてはいけないのだ。

だから犬にコレをやられたら、さらに絶対に外すワケには行きません。
心臓バクバクどころか、口の中がカラッカラに乾きます。
で、その時が突然やって来るわけで、一羽飛び立ちました。
ヤマドリのオスです。
小ぶりです。
年子です。
続けて2羽同時に飛び立ちます。
本当に撃ちごろ良く飛び立ちます。
クレー射撃で言えば6番射台の角度です。
で、引き金を引きます。
落ちません。
なんで?
と、思う間も無く2発目を掛けます。
が、落ちません。
3羽が左向こうの林の中に飛び込んで行きざま3発目を撃ち込みます。
確実に落としたと思ったが落ちません。

第三者的に分析解説すると
腰の回転がまったく無いからです。
突然目の前に爆音とともに現れる鳥を見てしまい
狙い撃つという意識が高すぎと言うこと。
こうなっては国体級の名手でも落ちないのが動的射撃。

完璧な猟芸を見せた銀ちゃんは、ヘッタピィなオイラに構わず
一直線にその林に向かって走ります。
が、林の手前で大きく回りこむように左の林脇を駆け上がります。
オイラも負けじと走ります。
走りに走ります。
この林を180度くらい回り込んだ所でポイントします。
次は絶対外すことは許されません。

オイラの方をチラッと見た銀親分は、ポイントを解きます。
またかよ。
ラウンド。。
やだな。

さらに走り回り込み240度回り込んだ所で、ガケ下に向かってポイントです。
その時、ワンと一鳴きしてガケ下に飛び込んで行きます。
出ました。
オスのヤマドリ一羽。
またも3発掛けますが、落ちません。
さらに左向こうの林の中に飛んで行きました。

ポイント&ラウンド これを2回もしてもらって、この体たらく。
銀親分に合わせる顔がありません。

飛んだ方向をしっかり見届けた銀親分はガケをよじ登らず
ガケを飛び降りたそのままの方向から林を抜け出て
オイラの事を見るわけでもなく横をすり抜け
ヤマドリが飛び去った左の林の方へと走ります。
オイラも走ります。

狭い林道を進むと、小さな沢が流れ落ちているV字の小さな谷を
とんでもないスピードで駆け上がって行きます。

オイラは、その入り口で鉄砲を構えて、ヤマドリの沢下りに備えます。

このヤマドリの沢下りってのは、犬に追い詰められ逃げ場を失った
ヤマドリは一気に上空に飛び立ち、そこからの落下スピードを身に付けながら羽ばたき
重力を味方につけ一気に沢を下って来ます。
そのスピード100km/hとも言われます。
だから、ヤマドリをそのモノを撃っても当たりません。
そのモノを撃ったとしても、良くてもヤマドリのオッパの先っちょ0.04mm
チョッピリとも当たりません。

だからヤマドリの飛んで行く方向の、少なくても3m先を撃たなければなりません。
つまり、獲物の姿が何も無い空間に向かって撃たなければならない。
これって、大変勇気が入る事です。

なので静的射撃、スラグやライフルの標的射撃の練習をすると
的をキッチリと狙って引き金を引く癖が付くわけで
だからショットガンでは重大なダメ癖が付いてしまいます。

以前フェイスブックに射撃姿勢をアップした時、現役の自衛隊隊員から
力が入っているだの、なんだのだって、クレームを付けられた事がありました。
それはあくまでも、89式小銃での動かない黒丸やら赤丸を息を殺して狙うからで
ショットガンでの射撃は、上半身固定の腰回しからの的外しの流し撃ちなので 
「アンタ分かっちゃいねぇよ」なのよね。
さらに言えば、89式の5.5mmのちゃっちいカービンの反動とちがって
オイラの弾は、皆が嫌がる激反動の44gヘビーマグナムですからネっと。
まっ、どっちにしても当てれない、ヘタッピーおやじなんだけれどもね。

で、このヤマドリの沢下り、正直な話ほどんど当たったためしがありません。
でも、一応構えて待ちます。
銀親分の一吼えがありました。
ヤマドリが飛びだった合図です。

林が立て込んでて、ヤマドリを捕らえる空間が少ししかありません。
だから見えた瞬間、空間の端っこを撃たなければなりません。
自信はまったくありません。

オイラの予想通り、飛んで来ましたが大外れ。
速すぎます。
本当に速すぎます。
東北新幹線 はやて の最高速くらいです。

という2連続ポイントからのラウンドそして沢下りと
ヤマドリ猟の猟芸全部を見せてくれた銀親分は
獲物を口に出来ない不平不満を言わず
オイラのの歩調に合わせて又、淡々とヤマドリの捜索を始めます。
頭がさがります。
ほんとに。
不甲斐ないオヤジでごめんね。
っていうのが、秒読み前の一世一代の晴れ猟芸でした。





豪雪の岩手山の麓にある溜池で、極寒なれど果敢に攻める



次の日の猟を終え、店に出て家に帰ったのが0時半
銀ちゃんのお食事の時間です。
毎度の事で、銀親分は尻尾を振ってワンワンと吼え「食い物よこせっ」って言う
根性汚し犬じゃないんだなコレがまた。
スタンドにエサボールを置き、メシだぞって声を掛けなければ出てこない犬なんだな。
なんちゅうか、彼の興味は猟しかありませんっていう犬。
あとはどうでも良いやってくらいしか動きません。
だから、居るんだか居ないんだか分からない犬。
水道の検針の職員が来ても一応吼えて番犬のお仕事しましたよ
くらいでしか吼えません。
それも、小屋の中で横になりながらです。
興味のあるもの以外は果て流すっていうオイラに似たのかもしらん。

この日は声を掛けても出てきません。
しょうがないので、小屋を蹴ってみます。
たいていはコレで嫌々出来ますが、ウゥウゥゥって文句言って出てきません。

寒い時期は小屋の入り口に板を張って狭めて、さらにジーパンを切った
風除けのカーテンを下げているので、それをめくって見ると横になったまま
目だけ動かして嫌々をしているんで、エサをそのまま置いて家に入ります。

エサを食わないなんて、今まで一度もありません。
不安がよぎります。
来るのが来たか、と思いました。

次の朝、エサボールを確認すると、一口も食べてません。
ジーパンをめくって見ると、小屋の奥でクルっと丸まって目だけこっちを見ます。
エサを替えてスタンドに置きますが、なんの変化も無い日が4日続きます。

師匠が言っていた猟犬の死に様って「山に入ったまま見えなくなる」
っていう代わりに、断食をして死ぬと決めた銀ちゃん。
その猟犬としての威厳に触れない無い様に、そっとしておきます。

逝く前の日
小屋から出てきた銀ちゃん、よろよろです。
最後の挨拶に出て来てやったって感じです。
銀ちゃんらしい最後の、お別れの挨拶です。

次の朝、おばぁちゃんの「小屋の中で死んでるよ」の声で起き上がり見に行くと
死後硬直なのか、丸まって寝ているはずの銀ちゃんの手足が
ピンと伸た姿で横たわってました。

だれにも迷惑かけず
まるで、髭剃り機が、ゥィー…と電池切れになるように逝った銀。
武士の腹切りにも似て、アッパレとしか言いようが無い潔い最期だった。
2013年12月2日早朝 没












優勝だぜ.運だけど。



        ワカサギ釣りも、とうに終わった3月の末。
漁港に繋いでいるサッパ船に、春のドカ雪が降り積もり
湿った重い雪で転覆してしたなんてのが新聞の記事になる。
そんな頃、ようやくルアーロッドのガイドも昼間に限り凍らなくなって
ストレス無く釣りが出来るようになるが
寒がりのオイラは考えただけでブルっと震え、まだいいかなって感じ。
そんな釣モードになってない体には、早起きは辛いときている。
だから明るくなっても
「このまま暖かい布団の中で惰眠をむさぼってるほうがいいかな」
なんて思ったりもするが
でも、そうも言ってられない事情があるわけ。
それが桜鱒釣り。

目覚まし時計のベルが鳴る午前4時。
ウツウツと覚め切らない頭の中で「この寒い中、桜鱒釣りに行くのか?
「いや、このまま暖かい布団の中で眠りの続き
なんて延々と自問自答が始まる。
と、薄ら明るくなって、カァカァとカラスの鳴き声がうるさくなって来ると
しょうがなく重い気分と痛い腰をいたわりながら起き上がり
その惰性で三陸河川へとハンドルを握り、グダグダと車を走らせる。

そんな桜鱒釣り、
寒風吹きすさぶ川原はクソ寒い。
そんな寒さと戦いながらの釣り結果は、いうまでも無くゼロ。
コツンともググッとも。なんも反応も無いのは毎度のこと。
海から遡上してくる鮭みたいな大きな桜鱒
そう簡単には釣らせてくれないから、しょうがないなと自己納得。
寒さから解き放たれる帰りの車の中、暖かいこと、この上ない。
寒さで固まっていた体が緩く解けてくると、眠気が襲ってくる。
そんな眠気と戦いながら、フワフワとハンドルを握りながら帰途に着く。

そんなボーズを喰らいながらも、回数を重ねないと釣れないのが桜鱒。
つまり出会える確率上げるためには
何回も足を運ばなければならないっていうわけだ。
人によっては10年通っても釣れないなんてのはザラな釣りが桜鱒。
まぁ執念みたいなものが必要な釣りだな桜鱒。

で、4月の終わり
雪解けの川の水が増水して落ち着く頃、かの北の大地
北海道の沿岸に大量の桜鱒が回遊
連日大釣りの便りが俺の耳にも聞こえて来た。
そう聞くと居ても立っても居られなくなるのが桜鱒釣師。
エ〜イママヨとばかりに3泊4日の短期勝負で
北海道サクラマス釣りを強行する。

津軽海峡を越え車を走らせると日陰になった国道にはまだ
小汚い雪が小高く残っている。
北の家に着くと、その目の前は海。
磯場と砂浜がうまい具合に重なり合う、いかにもっていう場所が続く所だ。
取るのも取りあえず、車の中から三桁は軽く越すスティンガーを取り出し前浜に出る。
投げるミノーは、ショアーサクラマス北海道限定販売と言われる
ショアーラインシャイナー オオナゴ バージョン
これを水平線を目指してルアーをブン投げる。
ブン投げる。
カスっとも、当たりません。
たまに当たったかと思うと、昆布の切れっぱし。
北海道に渡って来てまでコレかよ。
大いなる意気込みが、意気消沈寸前。
初日からトホホです。

気合で起きた二日目、朝日が上る前に浜に立つ。
が、底冷えが半端無く体の震えが止まらない。
なんたって駐車している車のウインドウには
カリカリの霜がビッシリだからな
いかに冷えているか分かろうかってもんだ。

そなだからルアーロッドのガイドが当たり前に凍り付く。
俺のイグジストにはPEラインが巻かさっている。
このPEラインは、これまた直ぐに水を吸って凍ってしまうという代物
ラインとガイドが一瞬にして凍り付き、簡単に切れてしまう。
もちろん、一本2000円近くのショアーラインシャイナーだけがピューン。
こういう時に限って、とんでもなく飛んで行くんです。
いつもこのくらい飛んで行けば良いのになと思うくらい飛んで行きます。
寒さのせいもだけど、目から涙がチョチョ切れます。

朝日が上って体の震えが止まる頃
続々とルアーマンが浜に下りて来て
ルアーをボッチャンボッチャンと投げ込みます。
が、誰一人としてルアーロッドが曲がらないサクラマス釣り。
もちろん、俺のロッドも曲がらない。
腹も減ったし見切りをつけ、浜から上がって北の家に向かい朝飯にありつく。

あったかいアサリの味噌汁、フーフーいいながら飲み
岩海苔の上に暖かいご飯を乗せ
その上に生ウニをたっぷり乗せてガブリといく。
サクラマスの釣れない鬱憤が、口内の至福のひと時で紛らわされる。
そして、食後のお茶を飲みながらストーブの暖かさに包まれると
一気に眠気が襲う。
意識が遠のきながらここで一眠りと、ストーブの脇で横になる。
二時間ほどでバッチリ目が覚め、やる気充填完了て再度桜鱒釣りに挑戦。

相変わらず前浜にはルアーマンがズラっと並んでて
オレの入る所が無い.
しょうがないので磯場に向かいます。
磯場も人だらけで、無理くり空いている所に入ってルアーをキャスト。
まったく反応無し。

あまりにも無反応なので、現地聞き取り調査開始。
人の良さそうな人を見つけ聞く。
札幌から来たというルアーマンいわく
ここの所、あまり釣れてないとの事。

で、色々と話して打ち解けていく内に
「さっきからアンタの釣りを見ていたんだが
そういうキャストじゃ釣れないよ」と言われた。
「そうじゃなく、こうキャストした方がサクラマスとの出会いの確率が上るよ」
と、実践を交えながらショアーからの北のサクラマスの釣り方を教えてもらった。
な〜るほど。
ショアーのサクラマスの習性に見合ったキャストなんだなと納得。
それと、サクラマス釣り必携のタモの事についても教えてもらった。
はたから見ると、エッ〜みたいなカッコ悪いタモなんだけど
聞けば聞くほど理にかなったタモだ。
改めて考えてみると長尺釣りのヘラダモみたいなもんだな。

まぁそんなマッタリした感じの中でキャスト再開ですが無反応。
時間と金を掛けて、わざわざ津軽海峡を渡って来たのに
あれだけ釣れ盛っていたサクラマスが、ココに来て釣れて無いなんて
どんだけ釣り運が悪いのかと泣きが入る。

昼飯を喰ってから、今度はグレーゾーンの河口を直撃。
いきなり竿を振るんじゃなく、現地聞き取りから始めるが
今日も一本も上ってないとの事。



そんな無駄話の中、数日前に、ここの河口の砂州に立ち込んでいた
ルアーマンが、河口の払い出しの波に押され流されたとの事。
幸いにも、そのルアーマンはライフジャケットを身に着けていたので
海の水を飲まなくてすんだそうだ。
そして沖の網にうまく引っ掛かっていた所を救助されたそうだ。
あと5分遅れていたら体温低下で死亡確定だったそうだ。
そんな危険も伴うサクラマス釣り。

オイラはウエイダーにノーライフジャケットだったんで
立ち込みは、膝下くらいで止めといて、ルアーを投げ続ける。
しばらく投げていると、ルアーがポチャンと落ちた目の前に
黒光りする海坊主がヌゥーっと現れた。
ギャーっと目が点になったのは言うまでも無い。
蛸じゃね〜し、シャチでもない。
ラッコでもないし、近くの釣り人に聞くと北海のトドなそうで
桜鱒とかホッケを食べに来ているんだとか。
こんなのが居ては、釣りにならないと言うので潔く退散。
で、二日目終わり。

虎の子の三日目。
北海のトドが来ているという事は、サクラマスが回遊していると言うこと。
確信を持って札幌釣り師から教えてもらった通りのキャスト開始。
相変わらず底冷えがする朝。
あまりの寒さに、いったんキャストするのを止める。
体が動きません。
そのくらい寒いです。
膝がガタガタと震え、止まりません。

早く太陽が顔を出さないかなと竿を岸に置き、手をこすりながら足踏みします。
しばらくして朝日が昇ると、徐々に寒さが和らいで来るのが分かる。
これほど太陽の陽の有りがたさを感じるときは無い。
やる気も出てきたんでキャスト開始です。
とその時、昆布でも引っ掛かったような当たりだが
ググっと生命反応あり。
そしてグングンとロッドを曲げる。



ホッケじゃ無いよなぁと半信半疑で慎重に引き寄せてくると
白銀の横パッラが光る。
やったじゃないの、サクラマス。
ショアーのサクラマスは、あまり引か無いと聞いていたけど
やはり思ってたほどの走りは無いですね。
川に上った桜鱒もそうですけど、あの魚体のわりには引きが弱い魚。

お初のショアーからの海サクラなので、慎重にタモに取り込みます。
札幌の釣り人に教えてもらった例のタモは無いので
しくじらないようジックリと弱らせてサクラマスをタモに誘導。
ケッコウでかいです。
慎重には慎重を重ねてネットイン。
タモの中で暴れるたびにサクラマスの魚体が網にこすれて
ハラハラと白銀色の鱗が剥がれ落ちます。
この鱗の散り方が桜の花びらが散るのにも似ているから桜マス。

これが北海道のサクラマスかと、感無量でタモの中の魚体を改めて見直す。
顔が緩むのがわかります。
最終日ギリギリで釣ったサクラマス。
わざわざ津軽海峡を渡って来た甲斐が有ったというもんだ。
なんだか肩の荷が降りホッとしたってのが本音。



で、本州の家に戻り、北のサクラマス釣り師に教えてもらった
かっこ悪いタモを買って、北海道のショアーからのサクラマスを釣った
幸運そのままの勢いで三陸河川に出撃です。
っていうか、三陸河川の諜報部員が秘密裏に情報を流してくれたからです。
ここに来て、桜鱒が大量に遡上してきたようだとの連絡。

俄然やる気が出ます。
キキミノーのフック確認して布団に入ります。
自分的桜鱒の実績が高いポイントに、カラスが起きる以前に直行。
気が抜けるほどあっけなく4投目で釣れます。
さすが、三陸河川の桜鱒釣りに特化したキキミノー。
小さいけど今さっき、海から上って来たばかりの丸まると太った桜鱒です。
で、カッコ悪いタモの出番です。
非常にグーです。
タモ入れ時、失敗する確率が高い桜鱒釣りにはモッテコイだと実感。



続けてもう一発当たりが。
だが、針には乗らず。
諜報部員が流してくれた情報通り、おのぼりさんの団体さん。
居ますねぇ。
こういう時は、眠たがろうが疲れていようが
無理をしてでもレンチャンで通うのが、桜鱒釣りの鉄則。
変なやる気汁が、体中に出まくっているんで
次の日もカラスが鳴き始める夜明けの前の前に家を出る。
昨日とまったく同じポイント入る。
これまた身構える前に、あっけなく3投目で来ます。
キキミノー凄し。
まぁ、こんなもんです。
桜鱒釣りって。。
釣れないと言ったらホントに釣れない魚なんですが
桜鱒の釣り運が回って来た時は、エッみたいに
あっけなく釣れる魚です。
腕がどうのこうのって言う釣りではありません。
桜鱒運と出撃回数との勝負です。
それと自分的実績ポイントの蓄積も
そう簡単に釣らせてくれない時間帯
日にち帯でもモチベーションを保つ上で非常に大事です。
あとはキキミノーは必須かな。



という、気分がたいへんよろしい5月。
釣道具屋に自慢しに行ったら
「サンライン&上州屋 渓流釣り大会」のポスターが張っていたんで
優勝する気満々でエントリーする事にした。
なんたって、釣り運が回ってきてるから勝算ありと踏んだのだ。
釣り方は、えさ釣り、ルアー釣り、毛ばり釣りの三つ巴戦なそうで
イワナかヤマメの二匹合計重量で争う大会だそう。
もちろん、えさ釣りに分がありますが
そこを運が回って来ているルアー釣りで挑戦です。
もちろんヤマメキラーの誉れも名高いキキミノーで挑戦です。



さっそくプラクティスの開始。
その最中、とんでもない魚に出会います。
幅広のイワナです。
軽く50センチを越すの大物です。
たぶん御所湖から遡上してきたイワナじゃないのかなぁ。
一瞬 持ち帰って喰うおうと思いましたが、今度の大会でまたコレが釣れたら
この一匹だけでも重量優勝間違いなしだったので即リリースです。
さすが「ヤマメのエサ」と巷で囁かれるキキミノー。
 アーンド絶好調の俺。



大きな手ごたえを感じつつ渓流釣り大会本番当日。
大会出場者の顔ぶれを見ると、ダイワのテスターやら
シマノテスター、ラインメーカーのテスターなど。
それに鮎釣大会でもよく見かける、そうそうたるエサ釣りメンバーです。
まっ、あの大イワナを釣れば優勝間違いなしなんで
こちとら余裕ぶっこいでましたがね。

スタートと同時に一目散にその場所にぶっ飛びます。
でも、あの大イワナの姿はありません。
当たり前です。
痛い目にあっている魚はしばらくは釣れないってのは定説。
っていうか、御所ダムに戻ったんでしょう。
しょうがないので、第二ポイントの大場所に移動。
 
一投目からキキミノーを追ってイイ型のヤマメが追ってきますが
ルアーをくわえません。
そこでいったん間をおき、一回り大きいキキミノーを投入です。
一般的にはミノーを小さくして行くのが常道ですが
オレ的対処法は、一回り小さいミノーを投げないのがスレた魚の釣り方。
つまり、捕食相手ではなく競争相手だとアッピールするわけだ。
「そーらみたことか」って感じで簡単にヒット。
この場合、バイトと言うよりもアタックの当たりなんで
慎重に鮎タモに取り込みます。
  


で、この鮎タモ。
非常に使い勝手がいい。
まずタモ枠が39センチですので、たいていの魚はスッポリ。
なんならアベレージサイズの桜鱒でも入ります。
それと、網の目が細かいので魚のヒレが割けません。
ちゅうことは、コンデンションの良くない不味そうな魚は
ヒレを傷めないで、お帰り頂く事が出来るという事。
それと生きたままのピチピチ魚をカメラで撮るのって
暴れ逃げ出しそうになったりと大変ですが
このタモだと、タモの中で暴れても逃げ出せないので
余裕を持って綺麗なままの姿を写すことが出来るんです。
見た目はカッコ悪いですけど、ルアー釣りもフライフィッシングでも
もちろんエサ釣りでも鮎タモ大好き人間。
見てくれより実を取るのキャッチアンドイート派にはお勧め。

で、すくったヤマメでかいです。
それに、やけに幅広です。
っていう事は、重量が掛かると言う事なので、キッカーフィッシュ間違い無し。
内心ニンマリ。
もう一匹釣れば優勝の可能性が大いに広がります。
なので、もう一匹もう一匹と祈りながらの釣り続行。

で、来たのが尺くらいのイワナ。
これまた慎重に取り込み、リミットメイク成功。

大会締め切り時間にはまだありますが、余裕のよっちゃんで早上がり。
釣魚は生きたままの検量が必須なので、ブクを掛けて大会会場まで持ってくと
釣り仲間達も早上がりで雑談中。
内心ニタニタしながら、何食わぬ顔でその雑談に加わってから
おもむろに検量場に持ち込みます。

ブクを掛けたクーラーボックスから尺イワナをだして検量します。
ここまでは検量場のギャラリーたちは無反応。
次に尺ヤマメを取り出すとギャラリーから「でかい」とか
「ぶっといヤマメだ」なんて歓声が上ります。
透明アクリルの検量箱に入れると、さらに「おおっ〜」と歓声が上がります。
このアクリル箱のレンズ効果か、余計に太さが際立つからです。
この歓声からすると、手ごたえ十分だと確信したしだい。


いよいよ表彰式です。
8位から順番に名前が呼ばれます。
3位の発表ですが、呼ばれません。
2位の発表でも呼ばれません。
ちゅうことは、優勝確定だなと 内心ほくそ笑み。
「優勝は重量差ブッチギリで菊池千秋さんです」の呼び出しです。
ムフフフです。



ルンルンで駆け寄った久しぶりの表彰台の一番高い所は
やはり気分が良くウレシイもんです。
乗りに乗っている時はこんなもんです。
釣り大会なんて腕よりも運です。
その運を逃がさないように取り込むのが腕かもしらんけどな。



この勢いのままで鮎マスターズも行けるかと思ったが
ルアーでの釣りは禁止だし。
って事で、思ってたとおり釣り運もここまでとなったしだい。
まぁそんなには簡単にブロックには行かせたもらいませんでしたね。
2010.6.11








くまたかのこと




海岸にいたクソガキにボッコボコにされた亀を助けたわけじゃないが
ビーチでぶっこみ釣りをしたりビールを飲んだり焼肉したり
同じビーチはビーチでもビーチ林の間を流れる川や湖で釣りをしたり
竜宮城の音姫たちやドンコ、ナマコに囲まれてテキーラを飲んだり踊ったり
レコード回したり、ふと気づけば手元が見えなくなってきたのは
玉手箱を開けたからじゃない、ただ単に歳をとっていたからだ。
と同時にKIKI-HOUSEも35年経っていたわけで
そんじゃ玉手箱を開ける一夜の竜宮城をやってみようかなと
声を掛けたのが熊谷隆志



彼と出会ったのが彼が高校3年の冬
それまでバイトしてた子の友達繋がりで使うことになった。
会った瞬間、アッこの子と出会った事があるとフラッシュバックじゃないけど
脳裏に鮮明に浮かんだ。
それはエアーデルテリアのスターシャと中津川の川べりを散歩していた時
鍛冶屋の路地から出てきた自転車に釣道具を積んでいた子だと。
なぜにフラッシュバックしたかは分からない。
ここの川べりには平面テトラが入っていて、ガキどもが乗りやすい。
俺がガキの頃も、このテトラの上に乗っかって瀬虫をエサにしたカジカ釣りや
冬のヘザッコのスガワリをした、いわばオイラの釣りの原点場所でもあるからかもしれない。

そんな彼にはホールの仕事をしてもらったが、まぁ俺の指導通りには動かない子で
ある意味好き勝手に泳がせて、お客の反応を見るのも面白いかなと
自由にさせておいた。
その間いろんな武勇伝を聞かせれるわけだが
俺の知らない世界観を持ったやつだなと、調子に乗らせ聞き出していた。
ここでは話せない、あんな話こんな話ばかりなので書けないが。

彼の家族が来たときなんか、高校に入ったばかりの弟に無理やり
バドワイザーを飲ませ、顔色をわるくさせていた
そんな彼を家族の誰もが止めないのは熊谷家の家風なのか
暴れん坊の彼を刺激させないように、だんまりを決めていたのかは
俺は知らないが、だねと笑って見ていたのはナイショの話。

カウンター上の内丸レコードから買ってきた輸入レコードを見た彼は
借りて行って良いですか?と言うので
傷を付けないようにナと持たせてやった。
次の日、レコードとカセットテープを持ってきて
借りたレコードでミックステープを作ってきましたと言った。
それは切れ目が無く曲が続くカセットテープだった。
彼は僕の趣味はDJなんですと言った。
俺の中でのDJとはTBSラジオの「なっちゃん、ちゃこちゃん」とか
日本放送の「オールナイトニッポン」の亀ちゃんっていうイメージしかないのだが
彼が言うDJとは、1時間という枠内で音楽をつなぎ
一つの音楽として完成させる人の事を言うのだそうだ。
ふーん、そんな遊びもあるんだなと言ったら
遊びじゃなく、東京ではDJという職業が成立していると言い張った。
クラブと言えば、オッパイの大きなキレイなおねいさんがいて
バカ高い値段でブランデーを飲む所っていうオイラの認識なんだが
どうやら違うらしい。

店のバイト期間3ヶ月を終わって、どこに行くのか聞くと
まったく聞いた事もないファッションデザインの学校との事。
あ〜、チャラチャラ系の職業目指すのね。
この子には合っているかもと、さらに聞くと
専攻がマーチャンダイザーだかなんだか知らないが
どうやら流通関係の専攻科らしかった。
そのチョイスの仕方も変わって面白いヤツだと、ここで認定。
俺は馬鹿な人間は嫌いだが面白い人間は大好きだ。

クマタカの後釜も友達つながりでバイトに入ってもらったが
こちらさんは、いたって真面目で頭の良い医大生
クマタカとは間逆のひと。
その医大生からの熊谷隆志情報が入るわけだが
クマタカが留学でフランスに渡ったとの事。
そのクマタカを頼りに友達連がフランス観光に行ったという話。
おフランスといえばムール貝とワインちゅうことで
市場で買ってきたムール貝でホームパーティーを開くが
クマタカ一人除いて全員ムール貝に当たり、のた打ち回ったって言う話を聞いて
クマタカのふっ散らかす豪快な喰い方を見て知っていたので、無双なヤツだなと認定。

次にクマタカの情報を聞いたのは、彼の家族が店に来た時で
彼の妹がファッション雑誌を胸に抱え目を輝かせながら
お兄ちゃんがジュノンって言う雑誌のモデルなんだよ〜と見せてくれた。
あれ?スタイリストになったとかならないとか聞いたんですけどと言ったら
モデルにスカウトされたんだと。
今の風貌からは想像できないが
当時はスレンダーなイケメンスタイリストでモテまくってたらしい。
それよりも誰にでもだが、女性に対はさらに押しの強さが際立ってたっていう方が大きいと思うのだが。

次に彼と会っ たときは、スキンヘッドに頭の上だけドレッドヘアーにして
さらにトグロを巻かせたモヒカンだってのにはたまげた。
その時は盛岡のクラブでDJをするから来てとは言われたが
その頃の俺はオートバイのトライアル競技にはまっていたんで
かる〜く聞き流した。

次に会った時はグランドキャニオンとかいうブランドを立ち上げた時で
へぇ〜洋服のブランドを起こしたのかと、ちょっとたまげた。
彼の場合は、たまげたばかりなので、たまげたに不感症になっていたが
裏原宿系の頂点に君臨したってのを風の便りに聞いた時はヤッパリなと。

次に会った時はソニー出版社から出した写真集を小脇に抱えて登場
とりあえず俺もカメラ小僧だったので見せてもらった。
スピード感のある彼らしい乱暴な画だったが
その中でも時が止まった画もあるんで、面白いなとは思った。
それはアメリカの風景写真集なのだが
なぜか小泉今日子とかドラゴンアッシュのボーカルの画が合ったのには
違和感があった。
どうやら営業上の理由らしいのだが、クマタカらしくないなと思った。

次に会った時は、グランドキャニオンのブランド名からGDCと代えたときだった。
DJしに帰って来たと店に顔を出した。
例のクラブっていうやつかと聞いたら、そうみたいだった。
オイラはアルコールの勢いもあって「連れて行けや」と
49歳にして初めてクラブという所に行ってみた。

最初に登場したのがDJ shiro。
いきなり、コオロギの鳴く音が延々と続いたので???
そして、続けてかけるレコードがクロスオーバーとかフュージョンに
分類されるような音楽で、クマタカに聞くと
「ハウス」というジャンルの音楽なのだそうだ。
そしてノリの良いサンバ系の音楽に移って行き
気が付いたらオイラは、若者を蹴散らしウイスキーグラス片手に踊っていた。
それから、ものすごい勢いでハウスのレコードは集めるは
機材を集めるは、あっという間に貯金通帳の数字が減っていった。
昼は釣り、狩猟、夜はおたくDJ、店が終わればクラブ活動という毎日
しまいには、ピーカフェのマネージャー寛之さんの耳に俺のMixCDが耳に止まり
58歳でクラブDJデビュー
初イベントに招いてもらったdj Miyanoさんに、どこで回しているんですか?
と聞かれた時は嬉しかったなぁ。
今はMAD DISCOで「STUDIO54」のイベントを
奇数月で持たしてもらってるのは大変ありがたいことです。

ついこの間、息子より若い二十歳の子に
MOTHERでゲストDJしてくれませんかと言われた時は
ものすごく嬉しかった。
 
次に会った時は、服のデザインはもちろんの事
テイストの違うショップも幾店も持ちつつ
スタイリングもこなしつつレイクタホ名義でファッションフォトグラファーとして
日本の三本指に入る地位を獲得していた。
ここまでくると、たまげたは無く「そうだろうな」に変わった。
DJとしても活躍し、djランク付けで大沢伸一と並んで東の横綱の称号を得ていた。
さらにバイヤーとしても飛び回り、電話するとニューヨークに居たとかで
月の半分は海外を飛び回っているので、通話料を気にしつつケイタイは早めに切る。

さらには無類の植物好きが高じてガーデンプランニング留まらず更には店舗設計と
その有り余る芸術センスをほとぼらせつつ
ここでは書き切れないほど、いろんな方面で活躍中。
それもそのはず、彼の祖父は芸大の教授で、母は南部鉄瓶のフラグシップ
鈴木盛久16代目という、芸術一家の血統を受け付いているからだ。



2015/3/13







チーム 王ちゃ

猟期が始まり、いつものシーズンと同じように山を駆け回ったが
銀ちゃんの足取りに、けつまずくような動作が垣間見られた。
ポインターの寿命は10歳と言われていたので、今猟期持てばいいのかな
とも思った2011年12月2日早朝、お婆ちゃんの「銀 死んでるよ」の声で起きた。
その日の前3日から絶食を始めた銀。
二日目、無理に小屋から出してドッグフードを食わそうとすると唸った。
師匠に話すと、ただ一言「猟犬としてのプライドを尊重しろ」
つまり、ヨロヨロになって無様な姿で死んで逝く様を見せたくないと言う事らしい。
だから、声も掛けず、そーっとしておく事にした。
三日目の昼、よろよろと小屋から出てきた銀。
俺の目を見て「山を走り回って楽しかったぜ、ありがとなオヤジ」と言って
また、小屋に引きこもった。
そんな銀ちゃんは苦しみもせず、誰にも迷惑掛けず
線香花火のパチパチとはじけた赤い玉が最後にポトっと落ちるように
あっというまに逝ったわけだが、ここで悲しんでばかりもいられない。
それはヤマドリやキジ、カモを獲らなければならないからだ
なんたって、当店のフラグシップ的メニューとしての
ジビエ(狩人が獲ってくる野禽)料理の食材を確保しなければならないからだ。

それと、銀ちゃんが逝ってしまった心の隙間を埋めるには
次の新しいペットを飼うのが一番の薬だからだ。
うちの店の近くにあった居酒屋のママが言っていた言葉
「男の穴は新しい男で埋めるしかない」って言うのもあって
次の相棒をすぐに探すことに躊躇はなかった。

銀ちゃんとチームを組んで10年間ほど狩猟した俺だが
今まで飼った犬種の中でイングリッシュポインターという犬種に惚れ込んだ俺は
迷うことなく、次の犬もイングリッシュポインターだと決めた。
そのワケは、走ってるその姿は流れるような疾走感あふれたチータのような走りに
魅了されたっていうのが一番大きな理由だが
それに、性格も家人には優しいのはモチロンのこと他人にもフレンドリー。
無駄吠えが無いっていうか、必要最低限の事しかしない。
不審者が来ると吠えるが、いちおう番犬の仕事はしてやってるって感じで
小屋の中で仕方なく吠えるってのが笑える。
こんなだから家にいるときは癒し系のマッタリ感が、気に障らなくていい。
それが猟野に放たれると一転して狩猟塊が炎の塊鬼となって疾駆する
そのギャップがたまらなくいい。



で、銀ちゃんを亡くした瞬間から方々に電話をかけ探したが
季節が季節だけに雌犬の発情期からのズレがあり「今はいない」とのこと
でも山口県に1才半のオスがいると連絡を受けたが
俺的には犬は子犬の時の可愛らしさと言ったら
この上ないほど可愛いんで、その時期を一緒に遊べないなんて嫌だからお断り。

ここで、ふと思い付いた人がいた。
それは5年前くらいかな、銀ちゃんと北上川の川原で鴨猟していた時出会った人だ。
鴨猟の帰りしな、遠くの田の脇に2トントラックが止まっていて
その周りで白い犬が数等戯れていた。
オイラは「は〜ん、ラブラドルレトリバーの繁殖家の散歩だな」と思った。

まぁいいやと、近寄って見るとそれは皆イングリッシュポインターだった。
その数、トラックに積んでいる犬も合わせると12頭。
たまげてしまったっていうか、圧倒された。
それがまた12頭全部、オヤジの命令一つでテキパキ動くのに驚いた。
同好の由、話が弾むかとおもったが、そうではなかった。
見知らぬ俺に高圧的な態度と威圧的な言動をとりやがって嫌なやつだなと思った。
でも大人のオイラは、多分70歳も過ぎた爺に、紳士的に調子よく話を合わせてあげた。
そしたら、気に入られたのか「俺の家に来て見ろ」と言うので
人のイイおいらはノコノコとトラック後を付いて行った

着いた先の家には、さらにイングリッシュポインターが30数頭いた。
あわせて50数頭。
たまげた。
「イングリッシュポインターのブリーダーですか?」と聞いてみたが
そうじゃなく、ハンティングの要素を取り入れたトライアルという競技に
情熱を注ぎ込んだ結果、このくらいの頭数になってしまったという事だった。

このトライアルって言う競技はイギリス発祥の競技なんだが
早い話 原野に隠したボブホワイトっていう鳩を点々と隠し
それを犬に探させるっていう競技だ。
その主流は同じイングリッシュポインターでも米系という
アメリカで改良されたイングリッシュポインターが、今では幅を利かせているそうだが
そこをあえて、英系イングリッシュポインターで挑んで日本一を取る
という野望をもって飼育しているのだそうだ。

まぁフライフィッシングしろゴルフにしろイギリスからアメリカに渡ると
真摯な競技からエクストリーム&エンターテイメントになってしまうからな。

そんな威張りっこ大将の高圧的な態度の人とは
これっきりで会うことも無いだろうなと思いつつ
高慢チキじじいの家を後にした。
という一日を思い出し嫌なやつだけど、ここは背に腹は返られない。
連絡先をもらっていたので駄目元で電話してみたら
相変わらず高圧的な物言いで「まず俺の家に来い」と言われた。
あまり乗り気しないが車を走らせた。

あれから5年も経つと歳とって殺気立った感じは薄らいでいたが
相変わらずその言動は高圧的だった。
それもそのはず、ついに西富士での全日本トライアルでチャンピョン犬を
輩出したとの事でその鼻息は荒かった。
そのチャンピョン犬と同じ母犬から生まれた仔犬がいるとの事だった。
そんな犬だったらさぞかしお高いんでしょうねぇと思った。
だいたいだがチャンピョン犬の血統だと安くて30万円だなとふんだ。

ここで伝家の宝刀を抜くとする。
つまり「褒め殺し」俺の得意技の一つだ。
ここから2時間、ヨイショの持ち上げ連続技を掛け続けた。
このくらい掛けたら良いだろうと
おもむろに「御いくらで分けてもらえますか?」と聞いたら
「お前にならくれてやってもいい」とまで言ってくれたが
「タダで犬をくれてやると、犬を大事にしないヤツが多いから少しばかり貰うか」
と言うので正し聞きすると、ななな〜んと5万円でいいと言った。
2時間ヨイショしつづけた甲斐があった。

気が変わらない内に犬舎に急がせ仔犬を買い取ることにした。
そこにはコロンコロンと太った、この上なく可愛い仔犬が3匹。
その中には銀ちゃんにそっくりな仔犬もいた。
「好きなのもって行け」と言うんで
銀ちゃんの面影が微塵もない仔犬に目を付けた
それは目の色が金色、銀ちゃんは黒色
頭の色は白に茶色のお面、銀ちゃんは白に黒色
銀ちゃんは腰のブラジャー模様だったが、この仔犬尻尾の付けに、おにぎり模様。
んで「「コレにします」と抱き上げたら
ポインター爺さんの顔色がみるみる変わって
「しまった」っていう顔になったのを見逃さないオイラはパッパとお金を払い
有無を言わせないで帰った。

後々からこの事を言ったら
「まさか取って置きの仔犬を選ぶもんだとは思ってなかった」
「前飼っていた犬と同じ色合いの仔を持って行くと思っていて油断した」との事。

子犬を見ただけで将来の働きが分かるものなのか疑問だったので
オイラは「仔犬の状態で良い犬か悪犬か分かるものなのか」と聞いたら
「40年間50頭の犬を飼い続けたら、仔犬を見ただけで分かる」言い切った。
嘘だろうと疑い深いオイラは続けて「その中でもどういう所を見るのですか」
と聞いたら「見るも何も第六感っていうやつかな」と言った。
ま、結局は育ててみなきゃ分からないんだろうなとオイラはそう解釈した。

と言うことで金色の目をした仔犬を車に積もうとしたら
「今からでもスグに猟に使える七歳の犬も付けてやる」って
ポインター爺さんが言ったんだが、七歳の老犬を貰ってもなぁって
イングリッシュポインターは10歳寿命なんで賞味期限間近じゃな。
それに多頭飼いは性に合わないのでヤンワリと辞退させていただきました。

名前は決まってます。
王ちゃんです。
前の犬は銀だったので一気に王将に躍進です。
つまり銀将を超える犬になって欲しいと言う願いも込めてです。
と言うことで平成25年度の狩猟は諦めて仔犬と遊ぶ毎日。
犬が居なくてもどうにかなる鴨猟には連れて行った、散歩がてらでね。



たまたま北上川で撃ち落したカモがうまい具合に陸に落ちたので
王ちゃんを車から降ろして落ちているカモに誘導して
離れて見てるとなんと、カモをくわえて持ってくるんじゃありませんか
日ごろスリッパを投げて持ってこらせる遊びをしていたので効果ありです。
と言う事で銀ちゃんを育てたイングリッシュポインターという犬種の
経験の失敗と成功を糧にして、あせらず冷静に考えながら
遊び中でも訓練を常に意識した。



その中でも「呼び戻し」は、徹底的に仕込む。
コレが完璧にこなせないと、獲物を追った犬が何時までも戻って来ないという
セルフハンティングドッグ(自己中)になってしまい
次々と山を狩っていけなくなるばかりか、迷子犬になってしまうからだ。



そんな王ちゃん、いい具合に育ち、流れの速い川の中に投げ込んだペットボトルも
果敢に泳いで回収するまでになった。
ひと夏を終えて秋を向かえ、いよいよ狩猟解禁です。



狩猟解禁日は土曜日だったので、仕事休みの師匠と一緒に迎えます。
さてどうなることやら。
銀ちゃんもそうだったが、一歳児の子犬には期待できないので
今シーズンの目標はキジ、ヤマドリが、間違って3羽獲れれば良いかな程度に考えていた。

満を持して王ちゃんを山野に放ちます。
行ったり来たりで遊びが入った山狩りというか散歩です。
まっ、ここは期待はせずに犬なりに山を歩きます。
ヤマドリの匂いは無いようです。
気配も感じられません。
平和なもんです。
で、最後に田畑まわりのキジを狙いにぐるっと回って見ます。
田んぼの脇にあるブッシュに来た時
王ちゃんが走り出します。

何かの匂いを捕って、本能がそうさせます。
ブッシュに入った王ちゃんの姿が見えなくなったのを確認して待っていると
王ちゃんのワンワンともキャンキャンとも言えない
悔しそうな鳴き声がしたと思ったら
ブッシュ向こうの笹林からすごい速さでキジが飛んできます。
まったく予想してなかった俺は挙銃が遅れます。
あわてて銃床に頬付けて腰を回して発砲
師匠も同時発砲 当たりません。
その後を猛烈な勢いで王ちゃんが駆けていきます。
獲物の匂いを特定し追い出した初仕事です。
でもねぇ、師弟コンビの腕が悪かったねぇ。

オレの援護態勢で小高い所で王ちゃんの一挙手一投足を見ていた師匠
帰りしなボソッと「当たりかもしれないな」と一言
それは「追い鳴き」の猟芸を見せたことと、撃ち手の方に獲物を出した
と言うことで、猟犬としての必須条件技が二つも出たので
良い犬に当たったなということです。
まぁ今回はたまたま追い鳴きして、たまたま撃ち手の方向に
キジが飛んできただけなんだけどね。
と俺は思ったんだがね。

銀を亡くして一年のブランクを置いての狩猟解禁なので
楽しくて楽しくて毎日早起きし、そそくさと山入りです。
2日目の朝、迎えに行くと小屋から勢いよく飛び出し、今か今かと飛び跳ねます。
首輪に引き綱をセットするのも一苦労なくらいはしゃぎます。
が、その元気も山に放つと2時間くらいで動きが鈍くなります。
そうです。
電池切れです。
それでも、12時まで6時間は山を走らせます。
こんな短時間でバテてもらっちゃ困るんでシゴキです。

3日目の朝も元気良く犬小屋から飛び出してきます。
が、やはり2時間で電池が切れます。

4日目、迎えに行っても小屋から出てきません。
来いと言うと「ハァ、今日も行くんですかぁ?」って言ってるかのように
渋々小屋から出てきますが、強制連行です。

ここ数日だけの山入りなんですけど、みるみる痩せてきた王ちゃん。
狩猟解禁に合わせて一日に4合メシを2回、昼と夜に食わせてるんですが
あばら骨が浮いてきました。
パピィ用のエサではカロリーが不足なよう
これじゃ一冬持たないので、南極犬ソリ用のハイカロリーのエサ
「アクティブ」にチェンジです。

なかなかヤマドリに会えぬまま5日目
オイラ取って置きの乱場。
古民家のあるじに挨拶をし裏山に入らしてもらいます。
30分ほど獣道を登っていくと行き止まりは、十数年前の伐採の時の材木置き場
山を削り取ったように断崖絶壁とまではいかないが
急峻ながけがバックストップになっている所です。
この場所は湧き水も出てて、ちょうど沢の始まりにあたる所で
ヤマドリが石を呑みに降りてくる場所です。
そうです。
鳥達は歯が無いので小粒の石を飲み込んで草の実や木の実と一緒に
砂肝で握り潰す時、小石が歯の役目をし消化しやすいように実を砕くのです。 
ちなみにヤマドリに限っては、ホワイトパワーストーンじゃないけど
石灰石の細かい砂利を好んで飲み込んでることが多い。

この取って置きのポイントに王ちゃんが先に行ってしまうと
俺が到着する前にヤマドリが飛びだってオジャンになってしまうので
古民家からこのバックストップまで
「つけ」の合図を掛けながら上っていくんですが
とにかく跳ね回りたい走りたいっていう欲求欲望を
自己制御しなけりゃならない躾けなので、子犬にとってはかなり辛い指示です。
特にイングリッシュポインターは
原野を突っ走るように作られた犬種なのでなおさらです。
でも、この「つけ」は狩猟を一緒にやっていく上では非常に大事な事なので
しっかりと仕付け服従心も植え付けて置かなくてはならないのだ。

もう一つ重要な合図は「来い」です。
コレが出来ないと、山奥に見えなくなった犬に待ちぼうけを喰らい
次々と猟場を狩っていく事が出来なくなるからです。
あとは我慢の「まて」だな。
「お手」とか「伏せ」とか「ちんちん」なんてのは愛玩犬のあそび。

行き着いたバックストップ広場手前で「よし」の掛け声で「つけ」を解きます。
後はヤマドリの臭いを捕って追い詰めるかが狩猟犬の役目っていうか本能です。
でも、そう何時も何時もヤマドリが居るとは限らないので
期待をこめて王ちゃんを見守ります。

崖下の湧き水あたりを地鼻を使って嗅ぎまわってます。
何かの足跡の匂いを捕ってるんですね、たぶんヤマドリです。
いい感じです。
ここで今度は高鼻を使います。
コレはイングリッシュポインターの得意技で
山の中を漂っている獲物の匂いを
首を伸ばして鼻を高く突き出し匂いを捕る仕草のことです。

空中を漂っている匂いを捕った王ちゃん
右側の斜面ブッシュに入り込みバックストップの上に迂回し登って行きます。
その時、ヤマドリがトビトビと羽音高くバックッストップの頂上辺りから飛び立ち
犬をあざ笑うかのようにゆっくりと銃を構えてる俺の方に滑空してきます。
ここはハヤル心を落ち着けて、銃身のリブに一旦ヤマドリを捕らえてから
銃口をヤマドリに被せてドンと一発。
ドスンと陥落。

王ちゃんは、まだブッシュ斜面でガサゴソしてます。
笛を吹いて呼び寄せ、日ごろ棒の切れ端にヤマドリの羽を巻きつけた
擬似ヤマドリでの訓練通り「もってこい」の合図で探させます。
アッチコッチうろうろしながらも探しあて、ホンマモンのヤマドリを
興奮しながら噛み噛みしてます。
スグには獲物を取り上げないで、気の済むまで噛み噛みさせます。
なんたって初ヤマドリだし、なによりも猟欲向上のためです。
何羽か獲物をカジカジしてくると、そのうち慣れて興奮しなくなるので
そこで初めて「持って来い」で回収の躾を入れます。
まぁ焦らず気長に付き合います。

もちろん、このヤマドリは無残な姿。
いい所だけ切り取って、ヤマドリ蕎麦の具にして食べます。
王ちゃんは噛み噛みはするが、食べはしなかったので一安心です。

これでヤマドリ猟が無事に発進。
あとはどう実戦でどう躾けて行くか慎重に考えながら動く事にする。

次の日、山奥の集落の畑脇にある笹薮で、なんとなくポイントした王ちゃん。
ま、期待もせずに据銃姿勢をとった瞬間、王ちゃんが笹薮に飛び込みます。
と、ガサガサトビトビと羽音高く尾羽が立派なオッパしたオスのヤマドリが
笹薮から飛び出し近くの木の枝に止まります。
でたぁ〜 高度な猟芸「木上げ」発動
この「木上げ」性能の良い和犬の得意技らしいが
洋犬ではそんな話聞いたことがありません。
それを、なんと一歳の王ちゃんが高度な技「木上げ」をするとはすげぇ〜
まぁ、たまたまでしょうけどね。
たまたまでしょう。

立派な尾羽に見とれてないでバンでドサッです。
王ちゃんはと言うと、向こうの笹薮をかましています。
ホイッスルのピッーで呼んでもこないので見ていると
メスのヤマドリが二羽飛び立ちます。
ヤマドリの匂いが笹薮中に充満していて右往左往してるんでしょう
なので笹を掻き分け自分で回収に向かいます。
ずっしりと重たいヤマドリ。
オッパの節を数えます。
12節もあります。
今までの狩猟人生でも12節っていうのは一羽しか獲ってません。
一歳の王ちゃんが古株のオンドリを間髪入れず追い詰め木揚げしたっていう快挙です。
まぁ、たまたまでしょうけどね。
たまたまでしょう。

次の朝、大きな沢伝いの林道を上って行くと平場に出ます。
雪が積もらない間は、鳥たちの餌場です。
そこに王ちゃんを放ちます。
ブッシュの手前でいったん立ち止まりポイントっぽい仕草。
ウン、これは昨日の事を考えると絶対居ますねぇ。
銃を構え据銃体制を整えます。
ブッシュの中に王ちゃんが飛び込んで行きます。
ヤマドリがすぐにでも飛び立つかなと思ったんですが出ません。

だまって見ていると、王ちゃんが駆け回っているとおりに
ブッシュがガサゴソと派手に揺れ動いてます。
こんなにかましたら、ヤマドリはもう飛び出てるハズだなと思い
構えていた銃をおろし、王ちゃんの気の済むまで待つ事にします。
見ているとガサゴソと言うブッシュの揺れがジグザグになって
だんだんオイラの方に迫ってきます。
笑うしかないです。
可笑しいです。
と、オイラが立っている足元のブッシュからヤマドリのオスが走り出て来ます。
をっとコレは「はわせ」という難易度の高い、和犬の猟芸です。
「はわせ」も洋犬ではなかなか出来ない技だと言われてます。
まぁ、たまたまでしょうけどね。
たまたまでしょう。

一瞬オイラと目の合ったヤマドリは素早く飛び立ちます。
余裕をぶっこいていたオイラは、慌てて挙銃します。
が、あまりにも慌てていたせいか、銃床が猟装に引っ掛かり
うまく頬付けができません。
挙銃をやり直しているうちに、ヤマドリは遠くに小さく見えてきます。
え〜いままよとばかり、狙いをつけ発砲。
そのまま獣道沿い右カーブ方向に切れて行きます。
「当たってればいいなぁ」という希望と言うか願望が沸きます。
ヤマドリを追ってブッシュから王ちゃんが出て来ます。
が、ここでヤマドリの匂いが消えているので、不思議そうな顔をします。
 
ま、気を取り直してヤマドリが右カーブを切って行った方向に歩く
もしかして落ちていないかなと、よく辺りを見回しながらです。
ヤマドリに弾が当たってれば、ここら辺かなと右カーブを過ぎた所から
さらに注意深く歩いて行きます。
と、ヤマドリのダウン4枚発見。
草の上にフワッと落ちています。
をっ、これは当たってるなと、期待感が一挙に膨らみます。
王ちゃんに落ちているダウンを嗅がせ、集中力高めさせます。
 
すると、しばらく歩いた所にある伐採の積み木跡だった手前で
王ちゃんが立ち止まります。
でたぁ〜、王ちゃん流の御立ちポイント。
積み木跡まで走り、王ちゃんの後ろで「よし」の掛け声を掛けます。
王ちゃんは朽ちた積み木の間に鼻っ面を突っ込んでます。
更に上半身まで入り込みゴソゴソやってます。
そして引っ張り出したのがヤマドリ。
やりましたねぇ。
興奮も最高潮で噛み噛みです。
存分に噛ませてから「まて」を声掛けし、ボロ雑巾を取り上げます。
ここで、ご褒美に何もあげないと、くわえた獲物を持って逃げてしまうような
卑屈な犬になってしまい、あとあと矯正が難しくなるので
ここではソーセージとかチーズを対価交換で上げるのですが
残念なことに忘れて持ってこなかったんで
ヤマドリの肛門からハンティングナイフの鍵棒を入れて
腸を引っ張り出し、ご褒美で与えます。

も一つ今シーズンから試した始めた事がうまくいった。
それでは実証検証
撃った場所からヤマドリに当たったカーブは、その距離にして50mはあった。
一般的にキジ、ヤマドリに使う5号弾の有効射程距離は30mと言われている。
だから当たったとしても落ちないんだが、オイラは今猟期から3号と言う
高い高度を飛ぶカモに使う強装弾をキジ、ヤマドリ猟にも使ってみた。
何故に使うかと言うと、いちいち狩猟鳥で弾の号数を変えるのは面倒くさいし
それに管理も面倒。
それなら、一番強い弾を使うカモに合わせて、ヒヨドリだろうがムクドリだろうが
なんでも3号一つと決めれば迷うこともなくなるなと思ったし
それよりも、半矢といって弾は獲物に当たっているが致命傷にならず
飛ばれて行くか、這って逃げられてしまう。
結局は狐や狸のエサになってしまうって事にならないようにと
強装弾にしたってわけだ。
それに、師匠からマタギは細かい玉は使わないとも聞いていたからだ。

笑い話のような話だけどキツネは高みの見物で下手な鳥撃ちだとわかると
その人の車を覚えて、その車からハンターが降りて来ると遠巻きに付いて回るそうだ。
そして銃声を聞くと大喜びで、半矢の獲物を頂戴するっていう寸法なそうだ。


国道に車を乗り捨て、獣道を歩いていくと谷あいのヤマドリの付き場に着く。
ここでヤマドリの匂いを捕った王ちゃん、獣道から谷にスルスルと下りて行き
立ち止まりのポイントです。
ところがポイントを解き、谷を少し下り左に大きく迂回すように斜面を登って行き
谷の方、つまり下を見下すようにポイント。
おおおっ出たぁ「ラウンド」
まさに至高の猟芸といわれている技だ。
でも疑い深いオイラは「まさか一歳でやるかぁ?」と半信半疑で挙銃です。

もしコレがラウンドだったら、絶対に外す事は許されません。
なんたって、オヤジが撃ち易いようにヤマドリを出そうというんですから。
これで外したら、オヤジへの信頼度ガタ落ちですから。
オイラは王ちゃんがポイント解いてヤマドリをフラッシュさせる前に
頭の中でシュミレーションです。
3回ほどシュミレーションしたところで、王ちゃんがポイント姿勢から
谷底方向に向かって跳びはねます。
その瞬間、ドビドビと谷じゅうに響き渡る羽音を立てて
大きなヤマドリが飛び立ちます。

俺が立っている高度と同じ高度で、真っすぐ玉砕覚悟でつ込んで来るヤマドリ
撃ち易いようで、ほんとのところ、当てるのは非常に難しい飛行線です。
ま、そこはうまく落としましたけどね。
っていうか、一歳児がラウンドを見せるとは。
ま、たまたまでしょうけどね。
たまたまでしょうと、言ってる場合じゃありません。
ここまでに出したヤマドリ、キジの八割以上
撃ち手である俺の方に出してるし
一歳にして獲れたキジ、ヤマドリも十本の指で足りません。
ハッキリ言ってコレは、たまたまじゃなく天才です。
持って生まれたっていうやつだなと思ったし
ポインター爺さんが年月をかけ心血注いで作り上げた結果
全日本チャンピョンを獲得した犬の兄弟だけはある
さすがの血統の成せる業だなと痛感した。
それと、初めての猟を見ただけで「名犬」と看破した師匠の眼力にも恐れ入った。

でも「名犬短命」って猟犬の世界では言われているから気を付けなきゃな。



と言うわけで、王ちゃんとの呼吸も合ってきたし
王ちゃんが一歳児とは考えないで、王ちゃんの行動を信じれるようになったんで
クリスマスイブの日に、はれて襲名です。
「チーム王ちゃ」
と言うことで、年末の忙しさと風邪をひいた事もあって
チョいとばかしや山入りが出来ないでいたが
3日置いて「チーム王ちゃ」発進です。
この頃になると王ちゃは体が仕上がりバテ知らず。
寒い朝、小屋から出て今か今かと待っている王ちゃの首輪からリードを外し「待て」
「よし」の号令を聞くや否や、かっ飛んで
車の後部に積んである箱に飛び乗り、勢い余って箱に頭をぶつけるのが毎日。

国道から逸れて林道を進み、行き止まりに車を置いて歩きます。
しばらく獣道を行くと、二股の別れ沢に入ります。
右の沢に入りすぐ、大きなヤマドリの真新しい足跡が
雪の上に放射状に行ったり来たりしてます。
居ますね〜
王ちゃはステップを刻みながら慎重にストップを入れながら上って行きます。
確率変動アップモードです。

と、突然走り出し沢を駆け上ります。
その時ヤマドリが飛び出し急降下です。
一発目、腰の回転が効かず大外れです。
二発目はトラップ体制が決まって発砲。
が、林の中のブッシュに入った所での発砲だったので
当たっているかどうかは分からない。
が、その時、羽毛が何枚か林の中で舞ったので
確実に当たってはいるなと確信した。
ここでも大玉3号弾の威力が発揮されたと思う。
それは、濃いブッシュだと無理かもしれないが薄いブッシュだと
そのブッシュを貫通して獲物に当たるんではないかという憶測の元、検証中。
 
その羽毛が舞った地点に急ぎ、斜面を駆け上ろうかと思ったが
ここで、この斜面を登るとヤマドリを追う格好になるので逃げられてしまうと考え
沢の二股の地点まで下がり、反対の沢の斜面から上り
王ちゃとハサミ撃ちという戦法をとることにした。

見失った地点まで慎重にコマを進めるが気配は無し。
王ちゃもやって来てウロウロするが匂い線を確定することはできないでいる。
が、ここら辺を通っていることは、王ちゃの捜索スタイルから察する事が出来る。
と、王ちゃはスルスルと反対側の沢の方へ降りて行く。
匂い線を辿っているようだ。
王ちゃの近くに行ってみようと、斜面を降りて行くその時
沢沿いの獣道を走って逃げていく、大きな雄鶏を発見。

あの走りから見て、軽症の傷羽折れ程度の傷しか負ってないなと思った。
ここから撃って仕留める事も出来たが
王ちゃにヤマドリの遁走を経験してもらいたく、見逃す事にして降りて行く。
王ちゃは獣道脇の倒木の下を一生懸命、捜索していた。
ヤマドリは、この倒木の下に一旦は身を潜めていたんだなと思った。

オイラはヤマドリの足跡を追ってみた。
すると急反転した足跡があり、そのまま沢に下りて行ったようだ。
ここからは王ちゃの出番です。
ホイッスルを吹き呼び寄せ、足跡を嗅がせます。
後は王ちゃの鼻に掛けます。

この地点から、林道を作った時の沢に置いてある土管の入り口までの間を
ウロウロしますが、特定までは至ってないようです。
すると王ちゃは、ここの操作を切り上げ獣道上ってきます。
そして土管の向こう側に回ります。
そしてそのまま沢を下り、ヤマドリが出た最初に入った沢との合流点まで下ります。

合流してからは大きな流れになって
また林道工事の時の大きな土管に吸い込まれるように流れ込んでいます。
土管と土管の区間の捜査をさっさと切り上げた王ちゃは
大きな土管の下流にドンドン歩を進めています。
 
そして、この合わさった流れが本流に流れ込む手前の
笹薮が川岸に被さってる所に王ちゃは沢から突っ込ますが
しばらくすると、それを解いて岸に上がり
笹薮の上に積もった雪を鼻で払いのけ
真上のほうから突っ込んでいます。
用心のため、オイラは沢側のさっき王ちゃが突っ込んで行った所を
ブロックし、ヤマドリが出てきたら見逃さないようにした。
でもそれは杞憂で、王ちゃはしっかりとヤマドリを咥えて雪穴から出て来ます。
ここまでの捜索行動を見ていると、すごいとしか言いようがありません。

二つの沢が合わさって太い流れの中をヤマドリは泳いで遁走したはずなのに
それを追って行く鼻はすごいなと思ったし
大きな土管の中を泳いでヤマドリは下って行ったのだが
王ちゃはその土管の中は通らないで反対側に行くという
ショートカット術というか、その賢さにはたまげた。
というわけで手にしたヤマドリ、狡猾さに長けた十節の古羽。
さすがの古羽も王ちゃの前では赤子同然だったな。

で、店に持ち帰り解体検証です。
弾は竜骨突起手前で止まっていた。
っていうことは、2発目の当たった距離は20メーターくらいの距離
この距離で強装弾が当たれば薄い竜骨突起くらいは貫通します。
それが止まっていたということは、当たる前にブッシュの枯葉を貫通し
殺傷威力が半減してからヤマドリに当たったっていう証拠だ。
俺が推測していた通り、ヤマドリにも3号の弾で正解だったというわけだ。



ポインター爺さんから電話があって「たまには犬を見せに来い」って言うもんだから
年明け早々「ポインター 爺さん犬舎」にたずねて行った。
「どれ、どのくらいの猟犬になったか見に行くか」という事で
今まで猟区となっていた村に行く事になった。
ここは今まで猟区となっていて、県内の狩猟許可証ではハンティングができなく
あらたに猟区入猟税を払わなければならない区間となっていたのだが
県南海沿いで勢力を伸ばした本州鹿が攻めてきて
田畑の作物を荒らし回り作物の収穫がゼロとなり、百姓は田畑を作る気力も無く
村としてもお手上げ状態、行政もどうにも対処できなくなり
開放したっていう、今更解禁かよっていう訳あり区間だ。

そこでヤマドリを狙いに行ったわけだが
王ちゃの追跡能力、突き止め能力そして、疲れを知らない底なしのスタミナで
山野を駆け巡るさまを見たポインター爺さんからは
「トライアル競技で全日本を充分狙える」と、お墨付きを頂いた。
ま、俺としちゃ、あまりトライアル競技には関心がないんだけどね。

いつものオイラの行動パターン
朝の6時に起きて猟場に着くのが7時半ころ
それから12時半くらいまで、山の中を駆け巡っているのだが
王ちゃの予想外の活躍で順調すぎる猟果に恵まれすぎて
後半は10時ごろ家を出て12時半には切り上げる自主規制を引いたほど。
っていうか、よる年波に耐えかねて寒さの緩む頃合を計って出猟したってのもある。
 
猟を終確実に言えることは、王ちゃのもともと持っている血統の良さもさる事ながら
銀ちゃんと一緒に鉄砲を担いで山々を駆け巡った経験を踏まえて
イングリッシュポインターという犬種の気質、行動パターンそして
その性能を充分把握したってのもある。
つまり銀ちゃんを躾ける過程での失敗した事や、上手くいった事柄を踏まえた上で
王ちゃにフィードバックし、育てたってのが一番かもしれない。
あとは、
毎年の事だけどヤマドリ、キジの猟期2ヶ月間休み無く山に連れ出したっていうのもある。



水が苦手なイングリッシュポインターと言われているが
レトリバー犬種の得意技 水鳥猟の回収も、完璧にこなす 王ちゃ。





スプーク
                  
店のシャッターを降ろし、自宅へと帰る。
寝静まった二階へボトルを抱えてそーっと上り、我が部屋に電燈を点ける。
酔いが回ったら、そのまま寝れるようにベッドを整えてから
大ぶりのグラスに目いっぱいの氷をいれ
ジャックダニエルをなみなみと注ぐ。
そのグラスを片手にパソコンのスイッチを入れる。
メールをチェックし、FBとTWITTER をチェック。
んで、エロサイトをかる〜く流して見るも
かわり映えのしないAV女優に飽きる。

いつものYAHOOのオークションをのぞく。
やっぱり、面白いねぇヤフオク。
まずはバイクのカテゴリーからのぞく。
ををっー、GASGASとかベータのトライアルマシンを見ると
とーい昔のトライアルライダーだった頃の記憶がよみがえり
ま直角を乗り越えたり、馬の背を渡ったり、ターンを決めたりと
しばらくトライアル競技に夢中だった頃の妄想にフケったり。

そのまた、とーい昔、競争族をやってた頃に
乗っていたカワサキのRS750が150万円越え。
ひょえー、売らないで持っていればなぁとか
思ったりして、妄想の世界にドップリと浸り楽しむ。

と、そろそと酔いも回ってきたころ
何気なくプレジャーボートのカテゴリーに移動。
お目当ては、荒波も蹴散らすフィッシングボート。
宝くじで3億円当たった気分で、次々と見ていく。

いいねぇ、マグロ釣りに丁度いい27フィートのボートが
たったの1400万円だとか
30フィートも越える長さだとキャビンが広くてクルージングにいいなぁとか
デッキの広さも完璧などと
もはや、フィッシングクルーザーボートのオーナーになった気分。

次はバスボートのカテゴリーに移動。
250馬力のチャレンジャーがフル装備で280万円、安いっ!とか
200馬力のスキーターが220万円、これもいいな。
これらで八郎潟をかっ飛ばしたら、面白いだろうなとか妄想は尽きない。

FRPバスボートのオークションページをスクロールして行き
俺でも手が出る価格帯に入ったとき、ひときわ目に付いたボートが出てきた。
それがポパイの「スプーク」という、FRPのバスボート。
へぇ〜ポパイで、こんなボート売ってたんだなぁと感心して見る。

ならばと、このボートのインプレをネットで探してのぞくと
「安定が悪い」という評判が、やけに目に付く。
その代り、スピードは出るし波切りが良いとの評判で
琵琶湖で使う12ftクラスのボートで、湖面が荒れてても
唯一帰って来れるバスボートがスプークだとの評判。

アルミボートで琵琶湖に出るという事は死を意味するそう。
そんな琵琶湖は海と同じくらい荒れまくる湖らしくて
何十艇とバスボートが湖底に沈んでいるそうだ。

このポパイのスプーク、もともとはYAMAHAで出していた
「フィッシュ12」という、海でのファミリーフィッシングを想定して
作りあげたボートに目を付けたポパイが
ハーフフラットデッキにして売り出したモノだという
な〜んちゃってバスボートという情報を得た。
さらに特筆すべきは、大きいライブウェルが装備。
海釣り用のボートだから当たり前か。

で、出品されているスプークはハーフフラットデッキから
フルハイデッキにカスタムしてあって気分はスキーター。
後から思ったのだが、実際に使ってみてフルハイデッキ化は
横幅の少ないスプークには、ぜったい必要な改造だなと思った。

そしてエンジンも9.9PSじゃなく10PSが載っているのも魅力。
0.1馬力しか違わないのだが、調べてみると8馬力のエンジンをチューンして
9.8馬力にしたエンジンと、15馬力のエンジンをデチューンし10馬力にした
エンジンの二通りのセッテイングがあるみたいだが
もちろんデチューンした10馬力のエンジンの方が排気量が多いので
当然トルクの厚みがあるという事だ。
船外機は、特に小馬力タイプのモノは馬力よりも
トルク重視の方が良いに決まっている。
キャビった時とんでもない回転が上がる事でも分かるように
回転数を上げて馬力を稼ぐエンジンよりも
全回転域でトルクを発生するエンジンの方が船外機として優秀といえるのだ。

さらに船体はフルラッピングしているので、やぼったいフィッシュ12の船体が
スポーティーに化粧されていてカッコいいと俺の目に映った。
魚探2個装備で、エレキもモーターガイドのFW54Vが装備。
もちろん、トレーラー付で、なにひとつ買い増しする物がない
フルギアセットっていうのも魅力だった。

そんな魅力的なボートを画面越しに見て無性に欲しいと物欲が沸いてくる。
酒で麻痺した頭で、思わずポチっとしたのは言うまでも無いこと。
落札したのは秋だったので、ひと冬預かってもらう事も
快く承諾していただいた持ち主で良かった。
それも屋根付きのガレージで。

で、雪も降る気配がなくなった4月
人気がまったく無いレトロなプロシード レバンテに
ヒッチメンバーを取り付けでもするかと思ったが
その前に積算メーターが20万キロオーバーしたので
タイミングチェーンその他を交換に家の近くの修理工場に出す。



入院から帰って来たレバンテちゃんと、手始めにサクラマス狙いで遠征。
その帰りの峠でラジエター付近から、もうもうと白煙が上がる。
急いで路肩に寄せ、ボンネットを開けるとラジエターが逝ってます。
ってか、こんな日に限ってケータイを積むのを忘れてるんです。
が、ちょうどタイミングよく後ろから付いてきた車がM&Mの岩館氏。
彼に頼んで電波が届く所で、タイミングチェーンを交換した修理工場に
電話してもらい、絶体絶命の一髪を脱したのであった。
ありがとね 岩館ちゃん。
で、その修理工場の対処が、路肩に残っている薄汚くなったグレーの雪を
エンジン回りに詰めながら、峠を越えるという力技。
それで、なんとかなるもんですねぇ。



でもね、その修理代とタイミングチェーン交換代あわせて
この中古レバンテを2台買える金額になった。
やっちまったなと思ったが、中古車市場で見る事ができない不人気車種だし
なんたって、あのハンス・ムートデザインの
この角角感が大好きなんでしょうがないと自己納得。

これで不安なくボートを引き取りに関東まで
高速使って行けると思った安心代だな、とも思う事にした。

で、いよいよ受け取りに息子一号と霞ヶ浦方面に出動。
初対面のスプークオーナーさん、俺が思ってた通り、たいへん心地よい人でした。
ボートを載せたトレーラーを車に連結すると
ポパイのスプークの船体色とレバンテの車体色が
偶然にも一致したってのは、思ってもみない嬉しいアンビリだった。



これを引っ張って盛岡まで帰る、初牽引運転。
愛車のレバンテのエンジンが、トルクフルなディーゼルなんで
下道、高速道路でも余裕で牽引できたのはナイス。
でも、自宅に入る直角30メーター路地にバックで入れるのが
思いっきり難しいのなんのって。
息子一号に誘導されながらでも、ひじょーに難しい。
ハンドル操作を考える脳みそが、こんがらがって来る。
脇下汗をかきながらヒィヒィ言いながらなんとか納める。

さっそく、お近くの四十四田ダムに浮かべてみる。
が、その前に国土交通省のスロープを借りなきゃいけないので
登録しに行くと、一日2艇限定の貸し出しスロープなのだそうだ。
ハハーン、だからNBC岩手チャプターが消滅してしまったんだな。
ま、どっちにしろオイラは平日出艇なので問題ない。



満水の四十四田ダムに船を降ろすが、ここでも牽引車のバックに手こずる。
息子一号の手を借りて、なんとかダム湖に浮いたスプーク。
浮かんでいる船体、いがいとカッコいい。
乗船し、マーキュリー10HPの船外機も
スターター三引っ張りであっけなく掛かる。
いきなりフルスロットルで進むが、これまた気分よく進む進む。
これがトルクプアーな9.9HPだと、こうは進まないらしい。

帰り際、風の方向が突如として変わり突風になる。
そんなウサギが跳んでいる湖面で、フルスロットルして帰るも
スプレーが掛からない走破性にはたまげたな。
ランドーに乗っていた時も、こんな場面に出会った事があったが
岸沿いの緩やかな波を選び、デッドスローで波を一つ一つ乗り越えながら
冷や汗をかき、やっとの思いで帰着した時のことを思い出した事を考えると
雲泥の差、さすが世界のYAMAHA製ではある。

さてとエレキを降ろして、ポイント攻略。
いやにエレキのフットコントロールが重いなと。
そのまま何回か使っていたのだが、脚が痛くなってかなわないなと
ふとエレキのシャフトを見たれば
何やら訳のわからない黒いモノが付いていたので
ためしに取ってみると
ケーカイにクルクルとエレキが回る回る。
そーだったのか、この黒いモノは、なんとかトロールって言うやつで
くるくる回らないようにするモノだったんだなと。

で、このエレキ56ポンドなのだが、スプークを牽引する力は余裕。
これもスプークの波切の良さがなせる技であるな。

でもこの波切の良さがアダとなって
安定性が悪い悪いと言われているポパイのスプークだ。

もともとバランス感覚が非常に悪いオイラ
さらに歳をとって、それに輪を掛けてバランスが悪くなってきたのだが
船上でコケル事もなく、もちろん落水もせずで
俺的には安定性が、言うほど悪いとは思はないね。
ちなみに、前乗っていた船はランドー、これに乗っていたから
そう思うのかもしれんね。

あとね、狭い狭いと言われているスプークなのだが
そんなに狭いとは感じられないなぁ。
二人乗っても、ロッドとかのタックルもじゃまにならないし。
これも前オーナーがフルハイデッキにカスタムにしてあるからなのだな。

で、本題のブラックバス釣りにはいる
が、いろんなポイントに、いろんなルアーを突っ込み、BBの反応を見るが
まったくもって、うんともすんとも言わない。
これが9日、10日と続くと、だんだんやる気が失せてくる。



いろいろなポイントを巡っていると
ヘラフナのスポーニングが始まっているようで
ゴミだまりや、冠水した柳などのブッシュで盛んに叩いている。
ならば、釣れないバス釣りは一旦置いといてヘラブナ釣りに急遽変更。
はたきは無いものの、ヘラブナの回遊は見られたので
ヘラスイミーとマッハのバラケに、いもグルで投餌開始。
狙った通り45センチの巨べらをゲット うれしいねぇ。
と、良い思いをしたので、また四十四田ダムブラックバス攻略。
でも、何一つとして反応はなし。
萎える。

息子一号が、岩手チャプターに参戦してた人に聞いた方が良いと言うが
俺的には、人に聞いてする釣りよりも、自分であーだのこーだの言いながら
釣るのが性に合っているので、軽く聞き流した。
が、これが2週間も続くと流石のオレも萎えてしまった。
なので、しかたなく岩手チャプターのAOYじゅんちゃんに聞く事にした。

要約すると
四十四田ダムは5月の後半にならないと釣れないらしい。
それまでは、一日一本出れば良い方らしい。
でも、出れば50オーバーらしい。
釣れる場所は、フラットな砂利底のスポーニング絡みのワンドらしい。
という事で、教えてもらったワンドに絞り攻めることにした。

が、ウンともスンとも言わない。
それでも、しつここく通っていたら
息子1号のロッドがグンニャリと曲がった。

「よしっ!俺がランディングネットですくってやる、慎重に!」と言ったのに
田辺のノリちゃんに心酔している息子一号は
ハンドランディングすると言って聞かない。
ハイ、あっけなくフックアウト。
だ か ら 言ったでしょ。
と、猛省を促す。
推定55は軽〜くオーバーのビッグママだったのになぁ。
これが、だいたい釣り始めてから20日目くらいの出来事。
ここまで、二人ともノーヒット ノーバイトでの一発
いや〜、もったいない もったいない。

また、しこしこと釣りを始めるが、ノーヒット。
あれから8日目に、息子一号のロッドが曲がる 曲がる。
今度はオヤジの言う事を聞いて
ランディングネットを使って無事に取り込んでやる。
これまた、55センチのビッグママ。
岩手チャプターAOYのじゅんちゃんが言った通り
春先はなかなかバイトは無いけど、出ればデカいと言ったそのとうりだった。
オイラはノーヒットノーバイト。



そんな萎えまくる四十四田ダムのブラックバス釣りを喰らってばっかりじゃ
オイラ発狂するんで、息子一号のゼファーフローターを借り
ブラックバス最後の楽園へと出撃。
30後半から40アップのバスが、普通に釣れるし
ちっちゃいワームを使えば数が出るし
四十四田ダムのうっぷん晴らしには、たいへん良いお口直し所だ。
今シーズン息子一号は3月のクソ寒いときに、60ちょいのバスを出したし
50オーバーも2匹釣っているくらいのバスの楽園だ。



そんな良い思いをする楽園釣りからの四十四田ダムに出撃するも無反応。
だから船を出しても、ほとんどデッキの上で昼寝を決め込んでいたら
鮎釣りが始まる7月になって、四十四田ダム零釣果のまま前半戦終了となった。


 


と言うわけで、鮎釣りモード全開で7月を突っ走ります。
ずーっと出続けている鮎マスターズも、自分の中での最低ライン
決勝までは残れたんで、良しとする。
8月2日、他のクラブ大会に、お呼ばれし出場するも
何気ない浅瀬で、つまづき膝を強打してしまう。
痛いのなんのって、流れの中で膝を突いたまま
そーだなぁ3分くらい痛みをこらえながら、その場で石になる。
ようやく立ち上がるも、左足を地に着くと激痛が襲うその足で
川原の堤防の斜面をなんとか這い上り、駐車場までの距離100メートル
ビッコを引き、立ち止まりながら20分くらいかけて車に辿りつき
クラブ大会は棄権し右足で運転し帰る。
家に戻り保険証を持ち、市の広報で休日当番医を探し
担当の外科病院に、お婆ちゃんの杖を借りビッコ引きながら行く。

膝カブのお皿に少々のヒビと膝関節強打とのレントゲン診断結果。
湿布薬と痛み止めと炎症止めをもらって帰るも
左足を着くと、激痛が走る。
痛いのなんのって。
当然 鮎釣りは出来ない体になってしまった。
ホントなら8月の太陽を浴びてマックロになりながら
まっき黄の鮎を追っているはずなんだがなぁと悔やみ
ジリジリとベッドで過ごす毎日、もう発狂寸前。
だが、ここで考えを変え狩猟が始まるまでには
無理をしないで、しっかりと養生すると心に決めた。

8月18日、鬱病突入のオレを心配してくれたキム平君が
鮎釣りの身の回りの世話を全部してくれるから一緒に行こうと誘ってくれた。
良い弟子を持ったなぁと、今年二度目の鮎釣り解禁。
でも、膝カブが痛くて、思うように河原を歩き回れない。
まぁ無理をして元に戻ったら、元も子もないんで
この日以降、鮎釣りは自粛。
だなんて、思っていたら、下腹部に異様な張りの違和感が。
パンツを脱いで見てみると、チンポの脇がポコっと膨らんでいた。
脱腸かなとネットで調べると「鼠径ヘルニア」思った通り脱腸確定。
内臓を包んでいる腹膜が何かの拍子で破れ、そこから腸が飛び出す
薬では治らない病気というか怪我らしい。

さらにネットで調べた鼠径ヘルニア専門医をたずねて行く。
診断結果は、やっぱり鼠径ヘルニアという事で
重いものを持ったり、立ち仕事が多かったりする人に多い職業病だと
特に中高年に多いので老化とも言えるとの事で手術確定。
だが、手術順番待ちで10月半ばになるんだと。
それまで、下腹部の張りと仲よくしてなきゃなんないのか。

実際、川の中で鮎釣りをしていると、下腹部に重い張り痛みが出てくるので
腰ベルトを巻き、チンポの脇にタオルを丸めて腸が出てこないよう対処したが
膝は痛いは下腹部は張るはで、満身創痍で鮎釣りをするも釣果は伸びず。

9月4日に手術キャンセル空きが出たので、急遽滑り込ませてもらう。
皆さん興味の手術前の陰毛剃りなんだが、残念ながら今どきパイパン剃りは無いそう。
へその周りを少々刈り取るくらいで
かわいい新人看護婦からの剃毛は、おおいに期待外れに終わった。
何でかって言うと、手術自体は大した事が無いっていうか
その医学の進歩には驚いた。
それは3センチくらいの穴をヘソに一ヶ所開けるだけの
単管腹鏡下手術というもので、そこから内視鏡みたいな装置を入れ
修復するTEP法手術だからパイパン剃りは無いのだ。
次の日の朝、カテーテルっていうチンポの穴から小便管を引き抜く。
これが痛いの何のって、尿路結石を排出する時くらいの痛さだった。
ちなみに女の人にはチンポが無いので痛くないそうだ。

それを引き抜くと、自由に立って歩き回れるくらいの手術の進歩には驚いた。
感染症を防ぐ様子見ということでの入院生活が続くが、ひじょーに飽きたったな。
とくに、昼間はゴンゴンと寝ているくせに
消灯になると、うめいたり叫んだりナースコール連発する老人が多くて辟易。
病院の好意で個室に入れてもらったが、それでもうるさくて寝れない。
早く死ねばいいのになんて、思ったら不謹慎ですけど
俺がそーなったら一気に殺してほしいし延命治療はいらないと思った。

晴れて退院するも、一ヶ月は大人しくしている事と言われ、鮎釣り終了宣告。
俺の夏はそこで終わってしまった。

抜糸も要らない手術跡の傷が癒えた9月22日
息子一号の手を借りてバス釣りを開始する。
が、船を快調にビュンビュン飛ばしている最中にT3SVとロッドセットを落とす。
何から何まで、ついてない夏。
ちょっと遅く来た厄年かぁ、一度あることは二度三度というから
気を付けなくてわ、などと考えながら
ストラクチャーをゲーリーさんでトレースしていたら 
ゴゴゴーンと来たのがこれ。



2015.6.7








デウォルトからのマキタ ワカサギ 充電ドリル 4台目


右のが、大失敗のただの充電ドライバー、売っちゃいましたけどね。



何年前だったかは忘れたが
誰かの鮎釣りの人のホームページだったかブログだったか
どっちだか忘れたが、ワカサギ釣りのシーズンインの頃ログっていたら
分厚く張った岩洞湖の氷に、ボッシュの36ボルト充電ドリルで
穴を開けるみたいな事が書いてあった。

その昔、分厚い岩洞湖の氷に手動で穴を開けるのに苦労していた
非力なオイラはピクッと反応した。
って、はるか昔にやっていた極寒のワカサギ釣り話ではありますが
思い出してみるも、あの身も心も凍ってしまうワカサギ釣りをするのは
もう真っ平御免みたいな感じで読んでいた。
でも、岩洞湖のあの分厚い氷にシュルシュルっと穴を開けるのは
痛快だろうなとも思った。
べつにワカサギ釣りを、再開しようとは思わなかったけど
充電ドリルで氷に穴を開けてみたい衝動に激しく駆られたっていうの本当のところ。

それから何年かたって、木村洋平という若者とFBを通じて仲よくなったんだが
執拗に岩洞湖のワカサギ釣りに誘われた。
あのくそ寒い岩洞湖には二度と行きたくないと
やんわりと断っていたんだが、氷上にテントを張るまで
車の中で待機していてください。
なかでランタンとストーブ炊いて、暖かくなったら呼びますから
とまで言われたんじゃあ、行くしかないっしょ。

30年くらい前にやっていた道具を、納屋の奥の隅から取出し
中身を確かめないまま木村君の車に持ち込み、岩洞湖の上に乗った。
まず場所を決めるのは魚探で確認してからという周到さ。
昔なら当てずっぽうに穴を2,3個開けというか、非力なんで3個が限界。
掘った穴、出たとこ勝負みたいな感じでやっていた。
腰に悪い手動穴掘りは若い洋平君にマカして、オイラは魚探持ち係り。
場所が決まったらテントを張ると言っても、ワカサギ専用テント。
まぁ、昔の事を思い出したら近代ワカサギ釣りは快適そのもの。
ランタンは炊くはガソリンストーブは炊くはで、テントの中はハワイ。
そのなかで木村君はビールを飲むのであります。
昔なら、考えられないっしょ。
なんたって露店でカジカム手を白金カイロでだましだましだったからね。

そして魚探で魚群の出入りを見ながら釣るってのも面白い。
そういう釣行を何度も繰り返していくうちに
オイラもドップリとワカサギ釣りにハマるのでした。
その年のワカサギのブログを見ていると
デウォルトという米国製のスズメバチ色の充電ドリルで
湖氷に穴を開けるのが流行ってきていた。

あ〜そうだ、あの時に見ていたホームページの穴あけドリルだなぁ
と、オイラの購買意欲指数がビョ〜ンと上がった。
もちろん、あの時のボッシュの36ボルト充電ドリルドライバーてのも
まだあったが、くそ重いし、がさばるので
こちらの20ボルトのデウォルトのやつに人気集中みたいだ。

ワカサギ釣りが終わった頃にどうしても欲しくなった。
たかが充電ドリルのくせに高い値だったんで
個人輸入してみることにした。
国内売り出し価格の半値以下で買えた。
そのドリルを持って、早く氷はらねぇかな岩洞湖と待ちに待った。
それに付けるアイスドリルは青い30年前のモノ。
これにコンクリートボルトでアダプターを作って装着。
なんたって、アイスドリルアダプターだけでも8000円するんで自作。

いよいよワカサギ釣り解禁日
黄色と黒のスズメバチカラーのデウォルトとコンクリーボルト自作アダプターと
30年前のアイスドリルを持って岩洞湖の氷上に出動。
でも、なぜか上手く穴が開きません。
そう、アダプターのセンターが取れてなくてアイスドリルが暴れるんです。
岩洞湖から帰ってから、金槌でトントンと叩いては微妙なセンター出し。
それを持って岩洞湖の氷上に、また立つ。
でも、思い描いたようには氷に穴が開きません。
どうやら、岩洞湖仕様のドリルとは機種が違うみたいだった。
俺が輸入したヤツは充電ドリルで、岩洞湖で盛んに幅を利かせていたのは
充電振動ドリルだったんですぅ。
ガクッ。
値段も違うがパワーもちがってたんですね。  
今から輸入じゃ間に合わなそうなので
輸入販売元のタコちゃんから買う事にしたんです。
この際、平刃の青いアイスドリルも丸刃の黒いアイスドリルに変更
それに付随するアダプターも一緒に新調したってわけ。
それを持って、いざ出陣岩洞湖。
ギュイーンギュイーンと快調に回り、穴がドンドン掘れます。
が、そんなに釣果は伸びません。
魚探の読みが甘いからです。

このデウォルトの充電振動ドリル 穴あけに気を使います。
氷にトッカかリがつくまでにドリルが暴れます。
その際に丸刃が手裏剣のように跳んできて
たいへん高価な防寒長くつに裂き傷が付きます。
足も一緒に切れられそうで恐いです。
もう少し回転が低くてトルクのあるドリルがあればなぁと思います。

そんな時、鮎釣り仲間のオヤビンが片手で氷に穴を開けてます。
両手抱え持ちのデウォルトでは考えられません。
ナニ製かと聞くと、パナソニックとのこと。
それも振動ドリルじゃなく、ただのドリルタイプ。
さらにアイスドリルは平刃だというんです。
ちょこっと貸してもらい穴を開けてみます。
回転数が低いのにトルク感がたっぷり。
シュルシュルと簡単に穴が開きます。
でもオイラには買ったばっかりのデウォルトがあるんで我慢します。
自分のドリルに持ち変えると、更にパナソニックのドリルの方が
断然いいなぁと更に痛感されます。

この年のワカサギ釣り終盤、穴を開けている最中にドリルからアダプターが抜け
アダプターの十字セフティーバーだけ残して
アイスドリルは穴に吸い込まれるように、消えてしまいました。
なんなんねん、何のためのセフティー十字バーやねん。
しょうがないので、青いアイスドリルに、またまた登場願います。
平刃に高速回転のデウォルト、たいへん相性が悪いです。
ネズミ花火のように暴れ回り丸刃の3倍危険です。
お気に入りのジーベックのスパイクブーツも裂くし
お気に入りのバフィンのツンドラがほんの少しばかりだけど裂けて、お〜恐。


今年のワカサギ釣りシーズン始まり
しょっぱなから、平刃との相性が悪いのか
はたまた、自作のアダプターが悪いのか、穴あけの調子がでません。
そんな時、洋平君が友達から借りてきたというマキタの充電ドリル。
ちょいと持つと、その自重デウォルトより軽くて持ち運びに楽そう。
さっそくボタンを押して氷面にあてて回してみると、トルク感がたっぷりとあるし
回転数も低くいので、ねらった所にスルスルと入っていくんで安心安全。
欲しくなります、ぜったいに欲しくなりました。
と思ったら最後、速攻でアマゾンに注文したってのは言うまでもない。
ついでに、青系の色が大好きな俺にピッタリのプロックスの丸刃のアイスドリルと
それにはまる、プロックスのアダプターも注文。

さすがアマゾン。
次の日の夜には手元に届きます。
もちろん次の朝っていうか夜明け前には
岩洞湖に穴を掘っている自分が居ました。
気持ちよくショリショリってカキ氷マシーンのように軽快な音で掘れます。
もうその音を聞くだけで、無性に楽しくなります。
充電ドリル3台目で、ようやく自分にぴったりのモノが手に入りましたね。

ちゅうことで、マキタの充電ドリルドライバーのいいトコロは
さっきも書いた通り、低速回転なのにトルクたっぷりなので
最後に待ち構えている不意の真氷りでも、ショリショリと進み
回転ストップの手首捻挫が避けられる。
その時に起こるバッテリーショートも、切電機能が付いているというお利口さん。
充電器がシッカリとしたもので、冷却ファンまで付いているという優れもの。
さらに、電気機器では大敵の水分に強いという、防滴防塵仕様。
これは実証済みです。
KIKI-HOUSE CUP ワカサギ2016の1戦目
台風並みの超低気圧が直撃した岩洞湖で、暴風雨の中2時間ほど
マキタの充電ドリルにカバーもつけず、俺の頭も雨まみれで掘っていたわけですが
なんの故障も発生しなかったんで、自信を持ってお奨め、僕のお墨付きです。
ちなみにこの日は、ただ立っているだけで滑り流されるほどの強風なのに
いつまでも穴を掘っていたんで、更に強くなった暴風雨でテント開こうとするも
テントの骨折で設営できずで、しょっぱなから大会棄権という笑えなさ。

不具合なとこ無ぇのかちゅうと、イイとこばかりじゃなく有るんです。
チャックの精度が高すぎるのか、チャックの刃が鋭いのかは分かりませんが
必要以上にドリルアダプターを噛んでしまう傾向が強いです。
プロックスのアダプターの材質が、柔らかいのかもしれん。
あまりにも噛みすぎて、パイプレンチでようやく外したっていう事もありましたが
釣りに行く前にチャックの中にLSベルハンマー スプレーを吹き付けで対処しております。
そんな感じで、楽しい穴掘り2時間、苦行のワカサギ釣り釣り2時間みたいな
湖氷に穴を必要以上に掘っているオヤジです。

あ、いっときますが、デウォルトが悪いと言っているワケではありませんよ。
自作のコンクリートボルト改アダプターのセンター出しがうまくいってないのか
平刃のアイスドリルとの相性が悪かったのかもしれません。
他のデウォルト使っている人たちは快調に掘ってるんで
ただ単に俺には使いこなせなかったというのかもしれません。
気を悪くしないでねタコちゃん。

で、あまりにも気に入ったんでヤフオクでマキタを閲覧中
あまりの安さのマキタ電ドリ発見。
それも振動タイプ。
でも米国からの輸入モデル。
まぁ、振動タイプも有ってもいいかなってんで、つい即決をポチっとな。
っていう事で、ただ今わかさぎ用電ドリ3台所有中。




ガーミン

オイラがガキの頃、隣の家の大きな柿の木に、無数の小鳥がやってきた。
雪が降り積もった頃になると、空気銃を持ったオジサン達がやってきて
パンと撃っては、その空気銃を真ん中からヘシ折り曲げて
ガチンガチンとポンピングしながら、銃へ空気を充填していた。
そしてまた、パンっと撃ってもイッコウに落ちてこない小鳥。
こども心にも、空気銃ってパチンコとおんなじだぁ
なかなか鳥に当たらないもんだなって思いながらみていた。
だから、空気銃を持っている大人を少しばかり、心の中で馬鹿にしていた。
それに引き替え、家の近くの岩山っていう丘みたいな山があるんだけど
そこでは、白黒のブチのカッコいい犬を連れたオジさんが
バンバ ンって散弾銃を鳴らし、緑色も鮮やかなキジを獲っていたのにはアコガレ。
もちろん、そのオヤジの後を付け回し、黄色や赤や青の殻の薬きょうを
コレクションして悦に入っていた。
だからいつかは俺もハンターになるんだと決めていた。
大人になったが、狩猟を始める前に田瀬湖のルアー釣りにハマり
そしてフライフィッシングにハマり、鮎釣りにハマったのだが
それだけに止まらず八郎潟のブラックバス
遡上のサクラマス釣り、スズキ釣り、ヘラブナ釣り、カレイ釣り
そして今で言うトコロのロックフィッシュときて、タラ、メヌケ釣り、ジギング
しまいにはキャスティングでのマグロ釣りまで、やっていたものだから
ハンティングの世界に入る時間が、まったく無かった。
狙っていたキャスティングのマグロに出会えずくさっていたころ
ウエブの世界を見回っていたら、高性能空気銃を発見。
200気圧の空気を高圧タンクから銃に充填し、鉛弾を発射するわけだが
その威力ハンパなく、装薬銃に引けを取らない威力に
即座にコロッといった俺。
てなわけで、大枚はたいで買ったのが空気銃じゃなく
エアーライフルって言う、気安く空気銃とは言えない凶暴で高価な銃。
その銃を担いで歩き回るのだが、今まで遊んできた水の中の獲物と違って
空を飛ぶ陸の動物の生態っていうか行動パターンは全く分からない
そんな右も左も全くワケのわからない狩猟の世界に入り込んだのだが
農道を車で流して獲物のキジを探して見るもまったくキジのキの字も見当 たりません。
たまさか出会う百姓の爺さまに聞くと、鉄砲始まる前はそこらへんでチョコチョコと
歩いているんだが、鉄砲が始まると見えなくなると言って
鉄砲が終わるとまたひょこひょこと、そこらじゅう雉が歩き回っていると言った。
そんなんで、しつこく農道を流してるとキジの姿が見えるようになり
あ〜そんなトコロに隠れていたのだったんだねキジ君
てな感じで探せるようになった。
それに引き替え鴨は団体さんで居るんだけど、これがまた銃を持って歩くと
なかなか射程距離に入らしてもらえず苦戦するわけ。
だから物陰に隠れての、じっと我慢の子での待ちの猟
でも俺的には、あまり好きではない我慢戦。
で、ハンティングの流れとして滅多に目にすることが できない
ヤマドリを獲ってみたい衝動に駆られるわけで
それには犬を使っての探索&追い込みでなければ、臆病で用心深いヤマドリを
手にすることはできない。
なので散弾銃を手にするも当然な流れなわけなのですが
エアーライフルと違って、こればっかりは経験豊かな先達に
教えを乞わなくちゃニッチもサッチ行かないんで
細い糸を手繰るように伝手を手繰って、先輩方に弟子入りするわけだ。
キジ猟と違って、車で流せば探せるってもんじゃなく
てめぇの足が資本で、行った事もないまったく知らない田舎の奥のそのまた奥
とにかく知らない山道っていうか獣道を歩くわけで
土地勘っていうか物覚が悪いオイラは
せっかくヤマドリがいるトコロを案内してもらっても
そ の場に行くのに、景色が似たような農免道路を
あっち行ったりコッチで曲がったりとカックンカックンと行くもんだから
車を置いて山に入るトコロに二度と辿り着けない。
なもんでGPSなるモノを買わなきゃいかんという事で買ってみた。
それがガーミンの廉価版、黄色いボディーのポケナビってやつを買った。
最小限の機能しかなく(あたりまえか)地図の表示も無し。
だから、先輩諸氏に案内され車を置いたトコロをウエイティングポイントにし
先輩方に気づかれないように、そっとボタンをおしてチェック完了。
次に一人で行くときは、大体のトコロまで行ったら
チェックしてたポイントを呼び出し、ナビ表示の→を頼りに
自動車で進むっていうわけだ。
これで上手くい ったので、先輩に連れられて行ったキノコ採りにも活用。
そっと、車を置いたトコロでボタンを押すのはモチロンこと
キノコの生えていた所も、見えないようにポケットの中でポチっと押す。
でも次の年、教えてもらった先輩を出し抜き
高価なキノコうえっこが生えているポイントをポケナビ頼りに山を登って行く
だいたいのトコロからキノコを探しながらゆっくりと歩くと
まぁ、まともに方位を示さないポケナビ。
結構な早足で山道をゼイゼイ言いながら歩くと
なんとか方位を示し、到着しましたって言う表示がでても
まったくウエッコは見当たらず、まったく見当違いの所を表示するわけ。
その誤差少なくて5メートル、多いと二けた台にもなりそうな曖昧さ。
なので歩きで のピンポイント捜索には使えないポケナビ、とわかった。
でもまぁ、キノコの生えている所の近くには
居るっていう事だけの情報は得られるから良しとする。
ちなみに今どきのGPSは電子3軸コンパスを搭載してるんで
のったり歩きでも、いい感じで方位表示するのだそうだ。
それに、アメリカのGPSプラスロシアのGPS信号をキャッチするのだそうで
精度は格段に上がっているとの事、さらに日本のたった一台しか打ち上げてない
GPS衛星も、時間帯によっちゃあキャッチできるそうなので
あからさまに精度は上がっているらしい。
このGPS、もともとは軍事目的で開発されたそうなので
GPS信号は敢てあいまいにしているのだそうで
まっ、早えー話それを解除すれば寸分狂わず表示するのだ そうだがね。
ほら、イスラムの奴等なんかに使われたくないんだろうな。
次は春のヒメタケ採りにも持ってみたんだが
この薄暗いヒメタケ林の中に入ってしまうと
西も東も分からなくってしまうオイラ。
ましてや、曇りなどのお天道様が出てない日にゃ
お日様頼りはできないんで迷う事必至。
そうゆう所こそGPSはきっと役に立つと思っていたら
ヒメタケ林の中ではポケナビの受信感度が悪すぎて
まったく使い物ならず、なので電子コンパス機能もダメ。
そんな時に限って、小雨だと来たもんだから
アッチじゃない、コッチじゃないって迷うに迷ったわけだが
連れてって戴いた山の先輩の長年の経験だけで
なんとか車までたどり着いた時は、ほんとにホッとしたもんだ。

だから次回からは磁石を持って入林した。
そうやって、いろんな経験を積みながら
色んなお宝のウエイティングポイントが増えて行った。
そしてワカサギ釣りを再開した時にも、山タテが毎回当たらないオイラは
黄色いポケナビを持って行き、良い思いをしたテント場でポチっとログる。
次に行くときは、早足でポケナビの精度を上げ行くわけだが
もちろん前回良い思いをした穴にはピタッとは、たどり着けません。
間もなく到着ですって表示がでたら、そこから10歩ほど歩くと
大体のポイントにたどり着け場合があるってのが経験から分かったので
オオザッパなのだが、案外と重宝できたのだった



で、一昨日使い始めて15年くらいかな突然液晶がブラックアウト。
機体に 入っているお宝ポイントは、みんな消滅したのでがっかりした。
そろそろ機種変更しようかなと思ってた矢先だった。
こういう感だけは当たるオイラは、宝くじには大当たりしない。



で、買ったのがetrex 30x
そりゃ〜、あれから15年も経っているんで技術は進むし
値段も高いんで、高性能なのは言うまでもない。
使ってみては、衛星キャッチが異常に早い。
そのナビ精度は1メートル以内、最短で50センチを切る
だから、ワカサギの大当たりの穴はパーペキに探せる。
機能も多岐にわたり、いろいろ楽しめる大人のおもちゃだなコリャ。
それと、こまか過ぎて笑えないのだが、アラームの音が小さくて心地よいから
目ざまし時計の警告音みたいな大きな音で飛び起きる事もなく
心臓にやさしいってのがイイ。
まぁ、今どきのアイフォンにはGPS機能があるんで
要らないちゃあ、要らないのだけれども
オイラは未だにガラケーだし
シャー専用機みたいに、それだけに特化しカッコ いいみたいな。
ただ、ローガンにはツライ小さな液晶画面。




協賛依頼書

盛岡市でキキハウスという飲食店を経営しています 菊池千秋といいます。
今年二回目の岩洞湖でのワカサギ釣り大会をひらきます。
参加してくれる若い人たちに、景品をとおもい協賛を戴ければなというお願いです。

大会主催の経緯と趣旨説明
以下 私のホームページからの抜粋

夏と言えば鮎釣り
この鮎釣りで、人生を半分捨ててしまった俺がいる。 

そんな蒸し暑い夏の夜、クマから勧められて始めたフェイスブック。
ほどなくしてフェイスブックで木村洋平なる者から、お友達申請がきた。
そこから、木村洋平君の繋がりでオイラの歳の半分くらいの
鮎釣りをする若い子たちとも、お友達になった。
その木村洋平くんとは、特に仲よくしてもらったっていうか
鮎釣りに半生を掛けてきたオイラの鮎釣りのノウハウを聞き出しに
接近してきたんで、そこを承 知で鮎釣りに一緒に出かけた。

でも、ここ十数年ビデオも見ず、本も読まず
独自でやって来た鮎釣りなので、ほかの人から見ればオヤっ?みたいな鮎釣りが
キム平くんの役にたったのか、ならないのかは分からない。

釣り道具屋に足りなくなった鮎の仕掛けのパーツを買いに行った。
が、俺が愛用している逆針の号数が無かった。
代わりになるものが無いかアレヤコレヤ探して見るも
商品のパッケージの裏面の説明が読み取れません。
そう、老眼です。

しょうがないので、近くに居たお客さんに
恥を忍んで読んでもらう事にした。
で、恐る恐るお声がけした訳なのだが
「アロハ先生でしょう、いつも先生のブログ楽しく拝見してましたよ〜」
って、言われたわけ 。
てか、俺のブログじゃなく木村洋平くんのブログなんだけどね。
とも思ったが、話の流れを断ち切らないよう
薄笑いしながら「ど〜も」と、ご挨拶。

それを皮切りに、釣り道具屋に小間物を買いに行くたびに
「ブログ見てますよ〜」とか「たのしそうだね〜」
って、知らない人からのお声が掛かり始めたのであった。

思うに、鮎の釣り人としての俺と言う人間を認識してくれて
嬉しいと思う反面、俺はある意味ゾッーとした。
たとえばの話だが
釣りに行った先の河原にハリケースが落ちていたとしても
ネコババは絶対に出来ないなと思ったからだ。

そんなオイラ、頭の中は中二のままだけど
時は残酷なもので、とうとう白髪交じりの還暦を越えた。
そんなオイラだが、木村洋平君に負けじと野鮎を求め河原を駆け
急な流れの中に突撃して行くんだが
30才半ばの木村洋平くんの、体力、動体バランスには
還暦過ぎたオイラは、とーていかないません。
っていうか、チョットした石につまづいたり
流れに足を取られそうになったりと、己の歳を痛感させられます。

そこで歳とった今の俺に何が出来るんだろうと考えながら鮎釣りをしていたの時の事
全国区の鮎マスターズで勝ち抜くのは至難のわざ
ピカっと閃いた。
ダイワ鮎マスターズに27年出場しているが、全国大会に行けるのは夢の又夢
そんな難易度が高い全国規模の鮎釣り大会優勝は無理だとしても
地元での鮎釣り大会を開き、優勝の喜びを若い子たちに味あわせてあげたい
との思いと、これからの鮎マスターズなどの大きな大会における試合運びと慣れを
後押しできればいいなとおもい
KIKI-HOUSE CUP鮎ちゅうのを唐突に思いついたってわけだ。

ただの仲良し組合の、なぁなぁ大会ってのは嫌なので
まじで戦える大会にしたいと考え
手にしてみたいなと思える優勝カップを買い揃え
俺は本気なんだぞと、若い人たちの戦いモードを高めることにした。
もちろんオイラは、若い鮎釣り師を蹴散らして優勝目指しているのは内緒。

そんな思いつきを行きつけの釣具屋さんに話をしたら
協賛の品を出していただけるっていう話がとんとん拍子で進んだし
お米を出していただける、百姓の友達がいたり
ジュースを提供して戴く友がいたりしたので
中途半端な大会にしてはダメだなと、更に思った次第だ。

なので鮎釣りシーズンに最低3回は大会を開き
運だけ勝負ではなく、確実な実力と鮎釣りに掛ける熱心さが無ければ
優勝をもぎ取れない大会にしようと考えた。

でもね 、皆さまは土日祝日休みのサラリーマン。
大切な休日を、草大会に費やす時間は無いだろうなとは思ったが
青森県、埼玉県からの鮎釣り師も参戦してくれたりして
熱心な若い鮎釣り師が集ってくれた。
たいして宣伝も何もしない無名な草大会に出てくれた若い子たちの
鮎釣りに掛ける思いは大いに感じ取った第一回大会だった。

今現在、川を見渡せば逆ピラミッドを形成している鮎釣り人口図。
この年代的に衰退の一歩を辿りはじめた鮎釣りに、若いエネルギーを感じ
おおいに明るい未来のひと筋の光明を見た第一回大会でもあった。

そんな木村洋平君に誘われて、近代ワカサギ釣りに手を出したんだが
それが面白いのなんのって、はまっちゃった訳であります。

じゃあ、この際だからKIKI HOUSE CUP ワカサギもやっちゃいますか
というわけで、KIKI-HOUSE CUP鮎と同時に始めたワカサギ釣り大会。
これもマジで勝負する大会に高めたかったので
短いワカサギ氷上釣り期間のなかで、鮎釣り大会と同じく三回開き
運だけ勝負ではなく、確実な実力と洞察力と熱心さが無ければ
優勝をもぎ取れない大会にしようと考えた。
そこで氷上の釣りをイメージした、水色の大理石の優勝カップを揃えてみた。



このワカサギ釣り、難しくて金のかかる鮎釣りと違って、誰でも簡単に釣れるし
お金も鮎釣り入門に比べたら1/10以下で始められるっていう
入り口の敷居が低い釣り。
だから鮎釣り大会と違って、思っても見ない大勢の方々に参加していただき
女性の参加者もありの親子参加もあったし
あのワカサギ釣り界の有名人、本山博之氏の参加もあって
第一回KIKI-HOUSE CUPワカサギ大会は大いに盛り上がるのでした。

そこまでの情熱と夢をこめて、参加していただく方々に答える形で2015年
二回目のKIKI-HOUSE CUP鮎大会はポスターを作ることを思いついた。

さてサイズがA2版のポスターを作ることにしたのだが
印刷所からイラストレーターでなけれ ば入稿できないって言われ
老眼と痴呆に鞭打って四苦八苦しながらも、どうにか作成し
ダメ出しを何回も喰らいながらも
第二回目の KIKI-HOUSE CUP鮎2015のポスターが出来上がり
華々しくスタートしたのだったが
二年目のKIKI HOUSE CUP鮎を目の前にして
ローカルの鮎釣り大会に招待され、浅瀬を飛び回っている最中に
川底に思い切りニードロップ。
痛いのなんのって、しばらく立ち上がれません。
ようやく立ち上がるも、激痛が走ります。
これはダメだと感じ取った俺は途中棄権。
河原においてある車まで100メーターもない距離なれど
痛くて痛くて15分くらいかけて、半泣きで戻るのだった。

日曜日だったので市の広報で、休日担当外科病院をさがし車を走らせた。
診断の結果、ひちゃかぶのお皿にヒビという事で要安静という診断結果。
もちろん、大好きな鮎釣りにも行けません。
生首をジンワリと絞められ、生き地獄状態の夏。

一戦、二戦は河原の木陰で観戦。
でも最終戦は、片足を引きずりながらもオイラも参戦。
片足が痛くて言う事を聞かないオイラ、シックハックしている底掛かりの鮎、
若い選手が何も言わずに外してくれたりして、大会を開いてよかったなぁ
痛切に思った次第だ。

なによりも良かったのは、岩手放送の番組「フィッシュオンいわて」の
大会取材を受け、若い鮎釣り師たちは、おおいに喜んだのは
おれも非常に嬉しかった。



というわけで、2016年二回目のKIKI-HOUSE CUPワカサギ大会
印刷屋さんの協賛もいただき10枚のポスターを頼んだのに
25枚も送ってくださったし、岩手日報にKIKI-HOUSE CUPワカサギの
告知記事を載せていただいたし
岩手放送の番組「フィッシュオンいわて」の大会取材予定も入ったので
盛り上がるのではないかと、いまからワクワクしている次第。





協賛各社御礼

KIKI-HOUSE CUP ワカサギ 2016 



第一戦は、暖冬のため氷の状態が悪すぎで、岩洞湖解禁ならなかったので
中止となりました。
なので不本意ながらも、残る2戦での戦いで岩洞湖名人を決めざるおえませんでした。

来たる第二戦2月14日の大会は暴風雨の中、範囲を限定したレスト下で行いました。
普通だったら中止になるほどの天候の中、私の独断で強行開催致しました。
それでも18名のワカサギ釣り中毒者が集まってくれ
主催者としてはたいへん嬉しかったのは言うまでもありません。
その中でも女性が2名と女の子一名さまが荒天の中、果敢に挑戦してくれたのは
嬉しかったのを通り越して、ビックリしました。

結果は、バリバスモニターの浅沼氏か澤口氏の優勝との下馬評を覆し
宮城からのおいで下さった大森光也弥氏が95匹で18ポイント獲得しました。
2位は浅沼貴博、3位は澤口信となり
この上位三名での岩洞湖名人争いが、ほぼ決まりました。

ちなみに主催の私は、穴掘りに時間をかけ過ぎ
暴風雨がさらに激しくなる中(立っていると、そのままの格好でスーッと流される)
テント設営ができず、初っ端から棄権という不本意な結果となりました。

ちなみに協賛各社様からのお品は、ずぶ濡れになりながらも最後まで戦い抜いた
今回の参加者に敬意を表して、全ての品を配りました。

続く第三戦は3月6日、まぁまぁの天候にも恵まれて開催しましたが
イマイチ釣果が思わしくない対岸A看板から小屋までの区間限定で行いました。
そして、今大会より大会結果の仕様をかえることにした。
今まで通り尾数は自己申告なんだけれども
ヘラでもバスでも鮎でも魚を取り出し見せる瞬間が盛り上がるので
釣った魚を袋に入れたまま持ち込み、会場に並べ置いてからの自己申告としました。
同尾数の場合は、玉入れと同じように同時カウント再検量としました。

それと、名人のなかには魚はもういらないと聞きますので
おみやげが少ない人とかに進呈するという仕様にしました。

で、対岸A看板から小屋までの区間限定で15名で行いましたが
魚は居るのだけれども、なかなか喰ってくれないという厳しい状況の中
優勝は澤口信の45匹、2位は浅沼貴博38匹、3位は菊池千秋37匹となり
総合ポイントは同率ポイントで澤口信と浅沼貴博となりましたが
総尾数で浅沼貴博の第二回シリーズ戦優勝となり、二代目岩洞湖名人となりました。

前回の大会で配り切ったので景品が無い大会だったのだけれども
個人的に色々な品を提供されて戴き、大変ありがたい大会になりました。
その中でもお酒が3本集まり、これらは最後のお楽しみジャンケン大会で
たいへん盛り上がったっていうのは言うまでもありません。

という事で延べ人数が33名のシリーズ戦が、とどこうりなく終えました。
岩洞湖レストハウスさま、キャスティング及び大橋店長様、HB101さま
名前を出さないでくれという各3社さま
出場者からのご提供は
栗田氏、浅沼氏、藤原氏、松本氏、吉沢氏、佐々木氏、高橋氏
以上の協賛の皆さまのご提供のお品、たいへんありがとうございました。

及び、岩手日報社大会告知、岩手放送大会取材ありがとうございました。
菊池千秋







ホンデックス



と、言うわけでマキタの充電ドリルを手に入れてからは
快調に2時間は穴掘りをするのだが、思ったようにいい穴に恵まれません。
それは魚探が表す湖底画像がイマイチ分からないかなと思っている今日この頃。

月曜日はキムと岩洞湖に行く曜日なのだが、キムの持ってる魚探がHONDEXのHE51C
これに9度の振動子の組み合わせ。
この魚探の画像を見ていると、だいたいの底の映像が頭に浮かぶ。
もちろん、いちいちうるさいキムの解説付きだから、そう感じるのかもしれんが。

オイラの魚探はアマゾンから取り寄せたHONDEX PS500C。
これだと、底の黄色い表示が部がワカサギなのか、はたまた流木の沈んだモノなのか
ただの底の起伏なのか、ほとんど見分けがつかない。
それもそのはず、深度300メートルまで探れる魚探なので、使う場所が間違っているのか
岩洞湖の20メーター底付近の画像は、ほとんどアイマイにしか映らない。
ま、液晶画像の解析能力が低いオイラの脳が悪いのかは、わからん。
ちなみに、使っている振動子はVexilar Tri-Beam 振動子、もちろんAmazonの並行輸入品。
これを8度での組み合わせの相性が悪いのかもしれんな。

で、アサターの紹介で顔見知りになったキーラ。
去年の大会の時、テント中をのぞいて魚探を見たら、今まで見た事が無い表示画像。
なんたって、オイラの魚探ルーツはブラックバスのボートからで
友人のバスボートに付いてたデプスファインダーとか
オイラのアルミボートに付けていたデプスファインダーとか
いま持っているFRPのボートとかのデプスファインダーを色々と見ていたので
イマイチその魚探映像に馴染めなかったのが、その時の印象。

そして今年、バリバスカップワカサギ岩洞湖大会の下見に漁協前に車を止めたら
駐車場でキーラとバッタリと一緒になった。
彼は常に大会上位に顔を並べるツワモノなので
無理言ってキーラの大会下見に付いて行く事にした。
キーラは惜しげもなく、バリバスカップの狭いエリア内の好ポイントを教えてくれた。
その時使っていた魚探が去年の大会中にチラッと見たHONDEXのHE 57C。

あの時は分からなかったが、今回はキーラの解説付きでHE-57Cの表示画像を見ていたら
手に取るように、ワカサギの出入りが分かるし、障害物とわかさぎの違いも一目瞭然。
更に、仕掛けが落ちて行くのはPS−500Cでも分かったが
その仕掛けを持ち上げると、それに付いてくるワカサギも分かるという超魚探。
一匹一匹が手に取るように分かる感じの映像に目を見張った。

モチロン、さっそく家に帰るなりパソコンを開き検索してみると
HE57Cはブラックバス専用機なのだそうで、湖底の変化を見るのに特化した仕様なのだそうだ。
それには、どの機種にも付いていないクリーンライン機能。
ウィードの判別や、微妙な底質差の判別が可能になるという
コントラスト調整機能みたいな仕様なのだそうだ。
その探る範囲も30メーターまでの深度が成せるワザか。
それだから克明に湖底表示画像を示すのだなと納得。

それにブラックバス専用機と聞いちゃ、バサーなオイラとしては買わなくちゃとなる。
Amazonをチェックして、お約束のヤフオク。
へん、まったく人気が無いのねHE57C。
競争相手がいないまま、そのまま落札。
で、まんまと買ってしまったHE57C。

これには9度の振動子がベストマッチングだと、タコちゃんから教えてもらった。
そんなタコちゃんは、HONDEX HE-57Cを買い続けて3台目なのだそうだから
その説得力は強力だが、ケッコウへそ曲がりなオイラはVexilar Tri-Beamの振動子を
そのまま使いまわすことにした。
なんたって3種のビーム角、ナロー側指向角8度、ミドル12度、ワイド20度を
ワンタッチ切替可能できるという優れものだから、これを使いこなさないわけにはいかない。
ちなみにオイラがよく釣る深さの20メーターの深さでの探れる直径範囲は
8度では湖底の直下直径2.7メートル範囲を映し出す。
12度では4メートルの直径、20度では7メートルの直径範囲なそうだ。

買い換えた魚探、簡単にその効果を言えば、この魚探と振動子にしてから釣果が倍になった。
ここは釣れるポイント、釣れないポイントが分かるようになったからだ。
HE−500Cの場合、う〜ん この反応あたりでイイかぁとアイマイな判断基準で
ポイント決めして、大ハズレみたいなのを喰らっていたのだが
HE-57Cだと ココしかないという判断ができるようになったからだ。
という事で、KIKI-HOUSE CUPの最終戦で3位に入れたので
増々HE57Cが好きになった。

という事で僕の判断基準画像はコレだ。
設定はキーラの助言を守ってオートは、みな解除。
ゲインは19 クリーンラインは全開という設定。
Tri-Beamの振動子は8度でビーム。
岩洞湖でオイラがよく釣る20メーター前後という話です。


ね、サルでも分かる画像でしょう

この画像だけを見ると爆釣確実、大漁モード。
200匹は確実に行くかと思っちゃいますが
ところがどっこい一年未満のマッチ棒サイズのチッサイ魚のチョー大群反応で
その中にデカワカサギも混じっているという画像がほとんどだ。
このチッサイわかさぎを釣るには、かなりな腕前を持っていないと釣れない。
小さすぎるゆえの、アタリからの針掛かりがソートー難しい。

ただし、だれも湖面に穴をを空けてないないバージン穴だという限定では
ちっさいサイズのワカサギに交じってるデカワカサギを大漁狙い撃ちできる。
僕のワカサギ釣り時間帯はチャイムが湖面に響き渡った7時あたりから
10時ころには止めるという腰に優しい釣り時間で
数的に言うと90とか100匹くらいか。

が、二度目にこの穴で釣り糸を垂れると釣果激減必至
魚探の反応だけを見ると、相変わらずの爆釣モードなのだが
前回釣ってしまったデカワカサギが少なくなった分、40匹も釣れればイイほうか。
もちろん二回目のこの穴も前回にも増してアタリは頻繁に有るのだが
針掛かりしないとか宙バレが多発とかいう、チビわかさぎ現象が起きる。
ま、澤口&アサタークラスの名人だと、それをも釣ってしまうのだろうけどね。

こりずに夢よもう一度で3回目ともなる、ぶかぶか穴に竿を突っ込むと
かすかにチビわかさぎの群れの中に混じっている抱卵ワカサギのデカいモノが
たまーに釣れる程度で、ほとんどストレスがたまる
数的にいうと18匹程度か。
でも、魚探の映像は相変わらず、爆釣モード画像を表わしているのだがね。
だから3度目はマッタク無いと言っていい。
つまり、誰かが穴を掘って竿を入れた後家穴や人妻穴を狙う場合
この画像が出たら、だまされないように要注意だ。




それに引き替え、この画像は僕の大好きな釣れ釣れモードの画像です。
バージン穴でも、後家穴でも人妻穴でも自分の竿を穴に突っ込むと釣れます。
ま、釣れ釣れと言っても70匹くらいの話ですけどダブルありぃーのトリプルもね。
今はこの二つのパターンの丁か半かだけの識別で
穴を掘りつつポイント選んでいる今日この頃。

以上オレの独断と偏見の上で無理やり成り立たせている
仮説なので参考にしないようにね。

そして、まだまだHE57C&Tri-Beamの振動子を使いこなしているとは言えないので
来年の岩洞湖ワカサギ釣り解禁が待ちどうしい春です。

2016・03・20



鮎じっちゃんの事

雫石川でダイワ鮎マスターズが、初めて開催された。
それまでは、ダイワ鮎マスターズに出ようと思うと
関東地区大会の鬼怒川まで足をのばさなきゃならない大会だった。
まぁ、結局は赤い色の帽子をもらうだけで、予選突破は遙か彼方の話。
アコガレの決勝進出の白い帽子を被れるのはいつの事やらだった。

それが、地元ちかくの雫石川で開催されることになった。
関東大会では到底獲れる気がしなかった白い帽子を
この大会で運よく被れたものだからオイラは変に勘違いし
いつしか俺もダイワのテスターにと燃え始め
徹底的に竜川を釣り歩いてた頃。

「雫石川の鮎釣りに毎日行くのもいいけど、雫石の神経質で弱い引きの鮎より
天然アユのズコーンという当たりとギュイーンと糸鳴りがする
強い引きを味わいに秋田に行ったらどうだ」
と、ビーバーの社長に言われた。

秋田県の川と言えば米代川。
あの川、場所にもよるけど、ほとんど北上川と同じ匂いがする
お世辞にもキレイな川ですねとは言えない川。
数が釣れて引きの強いのは認めるが
とうてい食べる気にはならない鮎を釣ってもしょうがないと思い
「ううん」と生返事。
が、ビーバーの社長の口から出たのは玉川と言う名の川。
玉川って言えば、田沢湖近くを流れている小川。
あんなチッサイ川で鮎釣りだなんて、と思ってたら
そっちの玉川じゃなく、桧木内川が玉川に合流してからの本流の事だった。

という事で、まずはビーバーの社長に教えてもらった下延橋に行く前に
釣りと言えば、魚止めである滝直下とかダム下を狙うのがセオリーなんで
松倉頭首工下流の松倉橋に行ってみた。
その橋から川の中をのぞくと、川の中の石が岸際ギリギリまでピッカピカで
鮎が反転するキラリンという閃光が、そんじょそこらじゅうに走ってます。
そんな松倉橋ですが、その橋の上下見渡す限り、だれも釣り人が居ません。
はやる心を鎮めながら、ビーバー社長推薦の下延橋に行く事にしますが
その橋に行く道が、カックン カックンと折れ曲がる細い道で
下延橋に着くまで、迷いに迷います。
ようやく着いた下延橋。
その、ダンプカーが激しく行き交う橋の上から川をのぞくと
さっき行った松倉橋の光景と同様に鮎がキラリンキラリンと光ってます。
見渡す限りだたぴろい下流域の河原には釣り人は誰もいません。
川の中をよくよくのぞくと、その水質は淀みなく綺麗な流れで
これなら釣った鮎も充分食べれるなと思った。

橋の上を見ると橋の上流に止めてある川船の脇で
竿を盛んに振っている爺さまがいた。
それを見て思った、地元の爺さま漁師が竿を出しているんだから
ビーバーの社長が言うとおり、この付近で間違いないナとおもい
爺さんにひと言声をかけてから竿を出す事にした。
が、返ってきた言葉は方言がきつく1/3くらいしか話しの内容が分からなかった。

うん、うんと適当にうなずきながら、いよいよ初めての川で竿を出します。
友鮎に鼻環を通してそっと放すやいなや
16センチくらいのマッキキの鮎が、待ったなしで足元近くで釣れます。
それまで雫石川の神経質な放流鮎ばかり釣っていたオイラは
イージーに釣れる天然100%の鮎の当たりと引き
そして釣れる数に一発でほれ込み、この日を境に毎日通わなくてはと思い
方言のきつい鮎釣爺ちゃまに遊魚年券の売っている所をどうにか聞き出したが
北仙は分かったのだが、中仙の年券を扱っている所は分からなく
迷いに迷ってたどり着いた保険屋からどうにか買うことができ
北仙、中仙と歩きたおしての鮎釣りざんまいが始まった。

中仙で竿を出していると、川に農機具を洗いに来る百姓に
「何を釣っているんだ」聞かれ「鮎に決まってるべ」と言うと
「この川に鮎が居るってがっ」と言われたくらい
その当時は鮎釣り未開の川だった。
今では想像できないが、見渡す限り鮎釣り師が見えないのだ。

そんな、だた広い北仙の下延橋上流に繋がれている川船のそばで
唯一、鮎を引っ掛けている爺っちゃんに毎日顔をだし挨拶し
ちょいとばかしカラカイながら
爺っちゃんのそばで鮎をバンバン抜いては遊んでいた。
そんな今は昔の玉川の川漁師の爺っちゃんに
写真を撮っていいか?と言うと、愛竿を抱えポーズをとってくれた。
今回のポスターに使ういい写真何かないのかなと
アルバムを開いた、その時の写真がポロっと出てきたので
今回ポスターに使ってみた。











釣りロマンを求めて

八っちゃんとは川でのサクラマス釣りで仲良くなった。
そんなサクラマス釣りを通して
僕の釣り仲間が徐々に増えて行くんだが
時がたつにつれ結婚を機に釣りをしなくなったりとか
役職がついて仕事が忙しくなったとかで
サクラマス釣り同好会会員は一人欠け二人欠けと
あれから35年も経つと、古くからのサクラマス釣り仲間は
河原から見えなくなり、川でルアーを投げている古い釣り人は
オイラ一人だけとなった。

そりゃそーだがさぁ、あまりにも不確実性が高く
運がよけりゃっていう部分が大半を占める釣りなので
アホらしくてやってられない釣り
それが川でのサクラマス釣りだ。
だから、元サクラマス釣り師たちは
確実性の高い趣味に走るようになるのは当然のこと。
まっ、自分的には釣れない釣りも又よしとし
宝くじに当たるくらいな確立程度と考えているサクラマス釣り。

15年前くらいになるが、マグロのオフショアーキャスティングと
ジギングちゅう釣りを始めた大森君というサクラマス釣り同好会会員がいた。
それにツラれて八っちゃんと俺も始めることになった。
マグロのキャスティングでの釣りっちゅうもんも
これまたかなりの確率で運に左右される釣り。

何でかって言うと、船でのキャスティングはミヨシが一等地なので
一時間交代で時計回りに順番が回って来るシステムなのだが
自分がミヨシに立つ番に限って海は沈黙したままで
自分以外の人がミヨシに立った時に限ってイワシの洗濯機ナブラが立ったり。
それよりもマグロのナブラ自体そうあるモノでもなく
これまた不確実性が高い釣りなのである。
高い仕立て乗船料を払い手ぶらで帰る、むなしい釣りでもある。

まぁ?八っちゃんは強運の持ち主なので
サクラマスにしろマグロにしろ、あっけなく釣ってしまう。
運が良いなと言うと、腕だよウデと言われてしまう。
ギャフン。
それと、ハイパワーのロッドで重量級のミノーを揺れ動く船の上で
何にも掴まらないでのダブルハンドキャスティングは
元々、平衡感覚が弱いオイラには無理っぽかった。
それに引き替え、ジギングは船側板に膝カブを押し付け平衡を保てるから
無理なくロッド操作ができる。
だからバランス感覚が鈍いオイラでも無理ではなかった。

なんと言っても、マグロと違ってウジャウジャいるワラサがターゲットなので
これはこれで面白かったし、ブリワラが掛かると淡水では味わえない
強烈な引きで腰が痛くなるほどエキサイティングでパワーあふれる釣りに痺れた。
が、当時のロッドはゴキゴキに固いモノばかりで
もともと腕力と握力が無いオイラには、その固い竿を扱いきれず
すぐに腕が疲れてしまい俺の釣りではないなと密かに思った次第。
分かりやすく言うと、中世の奴隷船のオール漕ぎみたいな。
なので、だんだんにジギングからも遠ざかっていった。

6年くらい前から八っちゃんに「ママスのジギングやろうぜ」
と言われ続けていたが、三陸大震災を喰らったその年を境に
海の釣りは止めようと決め、マグロのキャスティングやジギングのタックル
メヌケやメバルの胴付竿や電動リール、ヒラメのムーチング釣りのタックルとか
あらゆる海のタックルをヤフオクで処分してしまったので
丁寧にお断り申し上げたのだが、4年くらい前にディープライナーの
テスターになったばかりの八っちゃん曰く
「お前の大好きなバス釣りのタックルでも出来るからママスのジギングをやろう」
と誘われていたのだった。

俺もバカだから。その気になって釣り道具屋に行き
とりあえず、ディープライナーの高価なジグを3本購入し
今どきのジギングロッドを触ってみる。
なるほど、そのロッドは、俺が思ってたより柔い設定のロッドだったので
ブラックバス釣りのロッドでも行けるなと思ったしだい。

ネットでジギングロッドのサイトを見ていると
スロージギングなるモノが盛り上がってきた頃だった。
このスロージギングロッドは、あくまでもジグを操る繊細なロッドなので
魚を掛けてからは、もう竿としての機能はまったく無い竿みたいだった。
なので負荷を掛けないようにやり取りをしないと
折れるみたいなインプレッションが、よく書いてあった。

それに比べたらバスロッドは、ジグロッドには求められないキャストという
非常に大事なキャスタビリティ―が求められるし
着水したルアーを自由自在にコントロールする竿のドライバビリティ―も大事な点。
さらにブラックバスのショートバイトをキャッチするセンシビリティー
掛けたバスをいなす粘り腰、そして利き腕だけでは
掛けた50センチアップのブラックバスを抜けないので
もう一方の手をロッドに添えて、一気に船のデッキに抜き上げるリフティングパワーもいる。
ここでロッドの骨折が起こるようだと、試合リズムに乗れないし
張り詰めていた集中力が途切れてしまう
そんな多種多様な負荷を掛けつづけるロッドがブラックバスのロッドなのだ。

なんたってブラックバス釣りの本場アメリカでは
3日間に渡って開かれるプロトーナメントが多数開催され
なかには4dayなんていう長丁場なものまであり
それらの大会は年間を通して行われる、いわゆるツアートーナメントになっている。

有力フィッシャーマンにはテレビカメラが同船し生中継をしているくらい
ベースボールやバスケットボール並みの人気なそうだ。
毎日の重量計算発表時はドーム球場を借り切って開かれ
何千人、何万人の観客が見守るなか
自動車で牽引されたバスボートに乗った有名選手が次々とあらわれ
ライブウエルから取出すブラックバス。
一匹また一匹とビッグバス、ビッグウエイトで盛り上がるくらい
エンターテイメント化しているのがツアートーナメントの華
ウエイインショーだ。

そうゆう大会にはフツーに1000万円から2000万円の賞金が掛かっているので
簡単に折れる竿は相手にされないし
先に書いたバスロッドの条件を完璧にクリアーしていなければ
バスプロフィッシャーマンに使ってもらえないという厳しい現実がある。

リリース禁止だの規制だらけの日本国のバストーナメントに嫌気をさした選手たちは
大きな夢があるアメリカのトーナメントに参戦しているのが現実だ。
まさに釣り人が叶えられるアメリカンドリームがそこにあるのだ。

そんなアメリカのバス釣りの世界では、州単位の行政が税金を使って
バスの養殖そして放流にとがんばっている。
それは何を意味しているのかと言えば、それに見合ったお金が入ってくると言うこと
つまりバス釣りにおける経済効果が半端なく高いと言うことを意味してる。

そんな州行政も、ただムヤミにブラックバスを放しているわけでもなく
もともと川だった所を堰き止めたダム湖に限ってブラックバスを放流しているのだ。
なぜなら人為的に川の生態系を壊したダム湖には
自然湖のように元々あった生態系と言うものは
ダム湖には存在しないからである

んでもって
僕は川での大ヤマメ狙いのスモールミノーイングや
ショアーからロックフィッシュ、オフショアのエビテン
ウルトラライトジギングとか、ありとあらゆる釣りに
折れない粘り腰なのに繊細な操作ができるバスロッドを使っている。
なので、魚とのやり取りだけで折れてしまうジギングロッドを買うよりは
バスロッドを改造してジギングロッドにした方が良いと自分の中で結論がでた。
余りあるほどある納戸の中のバスロッドから、ミディアムハードタイプ
5.8フィートのジグロッドを選び出し、改造を始めることにした。
 


まずは、グリップの取り外し。
ブランクに傷を付けないようにカッターナイフと木工ヤスリを使って
慎重に取り外すのだが、カッタルイのは、どうも性分に合わないので
大胆にペンチでグリップをグリグリと剥ぎ取っていく。
細かいこたぁ〜気にしない性分でもあるので
少しくらいのコスリ傷は気にしない気にしない
チャッチャカチャッチャカと作業を進める。

ブランクだけになったロッドに、今度はフォアグリップを取り付け
リールシートを取り付け、つぎにベイトグリップを取り付けるのだが
このリールシートにはトリガーなる突起物が付いている。
オイラはコレがあると、ロッドともにリールをパーミングする時
邪魔になるし指が痛くなるので
あらゆるベイトロッドのグリップトリガーは削り取ってしまうのが俺の流儀だ。

だいぶ前だが、NBCのチャプターに参戦していた時に
オイラの船の上に置いてあったエバーグリーンのウォーリアーや
メガバスのF5のツンツルテンのリールシートを見た参加選手に
なんちゅーことするのと目を丸くさせ、僕は密かに笑っていたものだ。
なのでトリガーはいらないので
迷うことなくスピニングロッド用のリールシートをチョイス。
ちゅうことで、あっという間にできあがり。



あとは船に乗るばかりになったのだが、イマイチ本気になれなくて
ママスのジギングに誘われるも、行かないままホッタラカシにしていた。
それから4年ほど経ったころ、鮎釣り仲間のキム平君に
ママス(海に居るサクラマスで非常に市場評価が高い魚)の
ジギングしましょうよと誘われた。

そう言えば4年前に自作魔改造したジギングロッドがあるので
行こうかと言う話がまとまったのだ。
ソルト用のリールは売ってしまったので、ブラックバスでの使わなくった
海水で錆びても惜しくないチームダイワの空色のリールを代用。
これにPEラインの1号を200m巻いて、よしとする。

キム平も僕も初めてのマスジギングなので、手ほどきをしてくれる先生役には
ママスのジギングを前から誘われ続けていたで八っちゃんを招聘したんで百人力、心強い。
爆釣を期待して大船渡は崎浜へと向かった。
そして今回の遊漁船は崎浜のママスジギング船の荒神丸だ。
そんな大きい期待とは裏腹にウンともスンとも言わないジギング
ママスはサクラマスなだけあって、やはり手ごわい。
結局 船中八ちゃんだけが一匹釣れたという結果。
まっ、オイラ渾身制作のバスロッド改ジギングロッドのシャクリ時の
曲がり具合を見て、八ちゃんにその竿いい感じだなと言われたのが
せめてもの救いだった。

重い空気が充満してる帰りの車の中、キム平くんが「ママスが釣れるまで通う」
って宣言したので、俺もこのまま終わるのもシャクなので「うん」と返事した。
で、次に乗ったが同じ崎浜の竜神丸
偶然を装うって、同船になったのがニャンコせんせ。
KIKI-HOUSEクラブ構成員が3人となっての出船。
なんかいい予感。
僕らを乗せて竜神丸、5時半出船。
崎浜のママスポイントに着くなり、早くも同船者から「来たっー」
って言う声が上がります。
ほどなくして、若さに任せてギュンギュンとシャクっているキム平君にも
待望のママスが掛かります。
そして、ビュンビュンと飛ばしているニャンコせんせにも掛かります。
他の同船者にも掛かります、掛かります。
船中ママス祭りです。
キム平君2本目のママスを掛け、吠えとります。
ニャンコせんせも2本目ゲット、静かに吠えとります。
船中ママス祭り絶賛続行中です。
が、オイラには掛かりましぇ〜ン。
それを見かねた船長は「俺のジグを使え、必ず釣れっから」と
お借りしたジグをシャクリます。
が、うんともすんとも言いません。
そうこうしてる内に遊漁船は沖上がりと言って、終了の時間12時です。
が、船長は「あと一時間延長してやっからがんばれ」とひと言。
でもオイラは釣れる気がしないので「ギブアップです。上がってください」と一言。
という事で船中オイラだけボーズ。
と言う悲しい結果。
帰り際、船長が海中に吊るされた籠を水揚げし
「好きなだけホヤ持ってけ」って、励ましてくれた。
なので、ちょっと欲張ってクーラーに入れたが
「全部持ってけ」と、大盤振る舞いの景気のいいお言葉頂戴した。
ほろ苦い味が口中に広がる中にも甘みがある美味しいホヤ
涙チョチョ切れながら食べるのでした。

帰りの車中、なんだか嫌な思い出がよみがえってきたぞ。
それは28歳の時(3昔前)川でのサクラマス釣りをフライフィッシングで始めたんだが
それからしばらくたってルアー釣りの方が場所とり的に制約が無いんで
急遽ルアーマンに変身し川に通い始めたが、アタリすらないボーズ連ちゃんが当たり前の釣り
カスッとも言わない無情のサクラマス釣り。
それでも川に通い続けたのは、毎週ダレか彼かに
「一緒にサクラマス釣りに行こう」って誘われていたからだ。
そしてなぜか一緒に行った友人だけが釣れるという悔しさ満載の釣行が続くのだった。
俺はしばらく知らなかったが、俺がいない裏では密かにルアーマンたちから
「ラッキーマスター」と呼ばれていたのだった。
それは俺とサクラマス狙いに行くと必ず釣れるというジンクス。
ある意味 人気者だった。

スプーンでののルアーフィッシングから
その当時はミノーでのサクラマス釣りは一般的ではなかった
だからどうせ釣れないのなら、ミノーによるルアーつりに転向した。
それも自作ミノーでサクラマス釣りにだ。
HMKLもどきから始まって、色々と作ってはスイムテストがてらのサクラマス釣り。
当然つれるわけも無く、むなしい時間が経っていった。
それが8年目でようやく開花し、爆釣ミノーにたどり着いて進撃の巨人ってわけだ。


R・シカー2000 Chill out model

それが脳裏に蘇った大船渡の綾里から出るママスジギング船、竜神丸。
海のサクラマス釣りでも、そーくるのかと少しばかりがっかりもした。


気を取り直して買い足しのジグを買いに釣具店行くと
この話で店員は盛り上がっているわけで。
だれだ、面白おかしくチクったのわっ!
まっ、人の不幸は蜜の味だからしょうがねぇ〜か。
という事でママスのジギングは、ひとまず第一章が終わった。


第二章は宮古でママスが上がり始めたと言う情報が流れた。
釣具屋にブラックバスの1/0のフックを買いに行ったとき
店長代理が「明日ゆたか丸に予約を入れたよ〜」という悪魔のササヤキ。
じゃ俺も乗るから一名追加ね、ついでにジギングの名手である店長代理の
お手ほどきをお願いするのであります。

という事で宮古のゆたか丸に乗船するも
店長代理がオイラのジギングタックルを冷ややかな目で見ている。
だってリールが電動リールそれも2台セットで
手動リールは無しだもんね。
オイラがまえに海釣りをしていたころ、意味は無いんだけど
超小型の電動リールを常々欲しいなと思っていたので
密かに手に入れておいたのだ。
ちゅう事で、ぶっとい電源ケーブルはリールから垂れさがり足元にはバッテリー
ギヤ比が4.6:1のチョー遅い手巻きでテキトーにシャクリます。

竿先から垂れている往年の名作ジグ
シーフラワーを使っているのを見ていた店長代理
今どきそんな古いジグ使ってる人いないよみたいな目で
誤ったジグチョイスの鋭い指摘。
いちおう以前に八ちゃんがディープライナーのテスターになったお祝いに買ってあった
店長代理お奨めのディープライナ150gにチェンジ。

そしてシャクリ方のお手本を見せていただいて、それをマネをします。
そのシャクリはワンピッチジャークとかいうものです。
これって僕がジガーだった昔頃、マリアのラ・フェスタを使って底物ジギングをやってた時の
ジグ操作と同じじゃね〜か、今時は中層でもこの操作をするのかと思いつつ
ワンピッチジャークもどきでシャクってると
グっというゴミでも引っかかった川のサクラマスと同様のアタリが来ます。
後は電動リールのスイッチオンで、楽々巻き上げで人生初のママス取り込みます。
これで気が楽になったんで、でたらめワンッピチジャークでテキトーにシャクります。


ほどなくしてケムシカジカ、アイナメを取り込みつつ



2本目のママスもゲット。
こうなると調子付いたオイラの暴走は止まりません。
ギンギンと派手にシャクると次はワラサがゴツンときます。
続いて、やけに重い引きの割には上がって来るんで不思議に思っていたら



一本のジグに二匹のワラサが掛かっていて笑いが止まりません。
その時、船長がオイラのところに駆け寄って来て
「電動リールで電源を入れないで、いい加減な手巻きでシャクって
普通の手巻きリール以上に釣る人初めて見だ」
みたいな、うれしいお言葉を頂戴しつつワラサをポンポン追加していったのだ。
という事で多彩な魚種と念願のママスを釣って竿頭、意気揚々での帰還につく。
「あ〜おもしろかったなぁ」と思いつつ帰りの船中、余裕のよっちゃんで昼寝。



大漁旗をなびかせた船から車まで運ぶクーラーの重さに
万年ギクッリ腰もちのオイラ、悲鳴をこらえながら運ぶのもコレまた楽し。


帰ってフェイスブックに101水産の水揚げを載せると各方面から嫉妬の嵐。
これもまた快感だぁ〜.
それを見ていたキム平くんが、いつもロックフィシュフィッシングで
乗せていただいている匠丸の船長を口説いてママスジギング船に仕立ててもらったとの報告。

ここでも、オイラ暴走しちゃいます。
モチロンいい加減な出鱈目ワンピッチジャークです。
船中ママスは一本も来なかったのだが、やや大きめのアイナメ
小っちゃいスーコ、サンバンメ、ワラサ3本と竿頭ちゃいます。
という事で、10数年ぶりに始めたジギングに見事にハマったオイラ。


船長はもちろん、怪しい面々が乗っているので船中捜索される匠丸
逮捕者はキム平だけか?


ちゅうことでジギングと打ち込んでネットを検索していると
「スロージギングロッドロング」
というジャンルの竿があるのを発見。
これもまたまたひらめいたのだ。
十数年前に岩手チャプターで年間優勝を決めたときのタクティクス
ニーリングロッドでのディープクランキング。
その時のロッド、8フィートが使えそうと直感。



ロッドを手に取り構想と段取りを練ります。
今回はロングロッドなんだから8フィート長さを十分生かすために
リールシートとグリップを削り取らないで
エクステンショングリップを取り付けての改造という
お手軽な案に落ち着きました。
さっそく取り掛かります。
グリップの切断です。
 


いちおう僕はフライマンでもあるんで、ロッドビルドもお手のもの。
だからビルディングの工具やら材料には困りません。
今回はリールシートを削り取らないで、そのまま使う事にしたんで
グリップは1/3を残して切断です。
これには細かい刃が付いたロッドビルディングの専用ノコギリを使います。
これだと、硬いグラファイトでもひび割れが発生せず綺麗に切れます。



切断断面のコルクの角をとります。
そにはロッドブランクの穴が空いとります。
その穴に合うようなエクステンションロッド差し込むというアンバイ。
もちろんトリガーは以前に削ってあるのは言うまでもありません。

ちょっと前にブラックバスパラダイスの湖畔にチクショウーみたいな感じで
折れて捨てられていた安物のルアーロッド



「あ〜バスフィッシャーマンじゃないねゴミ捨て禁止だべ」と見ていたので
あれがまだ有れば切断してエクステンショングリップに使えるなと
ブラックバスパラダイスに釣りがてら、捨てられていた所に行く
泥くるめになって捨てて有ったので、当然拾ってくるわけで。
これのフォアグリップ部をエンドグリップに良いくらいの長さにカットし



面取りをして、バットエンドには小さめのニッケルプレートを装着。
そして差し込み部分を良い感じの長さの所で切断し差し込みますが
ジャッカン細かったので、水引き糸で差し込む径に合う太さに
合うように巻き付けます。



で、10分間硬化のエポキシボンドを混ぜ混ぜして
水引き糸の間にたっぷりと塗りこみ差し込みます。
ということで、構想から制作完成まであっという間に出来上がりっと。
その全長は8フィート7インチというスロージギングロングロッドの完成です。
さて、釣果のほどはと、いまからこころがおどります




でもねぇ、同じ本鱒でも船頭まかせの操船で釣るママスと、自分の感と考えと足で釣る
川のサクラマスの方がロマン度が高いのは言うまでもないんだけどね。


2016・6・31



へらへら男




岩手県、しっかり管理された有料の「箱」と呼ばれるヘラブナ釣りの管理池は無し。
なので、手っ取り早く簡単にヘラブナ釣りができるのは
ヘラブナ釣りクラブ単位で細々と放流をしている池だけだ。
でもクラブの管理池なので堂々とヘラブナ釣りは出来ない。
コソコソ釣るヘラブナ釣りは面白くない。
ちゅうことで、ヘラブナ釣りはダム湖での釣りが主体となる。
もしくは北の大河 北上川の淀みを狙う川ベラ釣りになるのだ。

当初、オイラのヘラブナ釣りの最終目標は「目指せダイワヘラマスターズ」と意気込む。
腕はまず置いといて、気持ちだけはバリバリの競技志向だったので
一匹でもヘラブナが多い雫石のクラブ池に通うのだった。

その頃「速効の釣り」っていうのが全国的に流行りつつあり
オイラも竹足の陽水の速効ウキを揃えて跳び付くのだが
さきにも話したがクラブ会費から捻出した資金での放流なので
速効の釣りが成立できるくらいヘラブナがいない。
それでも、速効の釣りが成立するんじゃないかと淡い期待を持って挑戦するも
ヘラブナの密集からのウキが持つ、なんちゅう速効の釣りは成立しなかったので
あっさりと断念したってわけだ。

それにクラブ池でヘラブナ釣りをしていると「君も当クラブに入らないか」と
やんわりと嫌味を言われるわけで、しょうがなく日本ヘラブナ釣り研究会ちゅう
日本で一番大きな規模を誇る会に入るわけだが
集団行動が苦手なオイラは、一年も経たないうちに脱会してしまうのだった。
それと同時にあれほど熱心に通っていたヘラブナ釣りだったが
全国クラスの競技的釣りが成立しないと分かった時点で
ヘラ釣りの意欲が萎えてしまった。
それでもハトバのおやっさんに誘われて、近くのダム湖には行った。。
 

四十上連発の奥地

それから10数年ほど経った年の初秋
ストーカーっていう、今は無き危ない匂いのする店名のフライフィッシングプロショップの
ヒロムくんがダム湖でヘラ釣りしたいというので、オイラも同行することにしたが
前に使っていた競技用のダイワ五天聖のカーボン竿は、みなオークションで処分していたので
手もとに残っていた竹竿でノタリと釣ることにした。



でもな〜、ダム湖でのヘラブナ釣りは簡単にはいかないぞ〜
厳しいぞ〜
つれないぞ〜
これが有料の管理されている池だったら餌を打ってものの10分も経たないうちにウキがチクっと入る。
クラブ単位での管理池では30分くらい餌を打つと浮子に触りが出始め、間もなくウキがチクッと入る。
ダム湖の場合、その当時は餌を打つが10分もするとジャミ(非対称魚)の来襲がもの凄く
ウキが寝たきっり、まともにウキがたたない。
それでも我慢して餌打ちをしていると、たまに釣れてくるのが
ヤリタナゴだったりハヤ、しまいにはニジマス、なまず。



ヘラブナでこれだったら速効のつりができるんじゃねと思うくらいジャミがウジャめく。
今現在では黒い鱒に小魚が駆逐され2時間たっても
浮子にそれらしいアタリが出ないのが普通になってしまった。
ここで生態系の破壊だなんて言っちゃあだめだよ。
ダム自体こそ川の生態系をぶっ壊した元凶なのだから。

なのでジャミ攻撃に耐えながら1時間半ほど餌を打ちまくっていると
ジャミの攻撃で忙しく振れていたウキの動きが静かになり止まる
それは大型の魚が寄ってきて小魚が蹴散らされた証拠だ。 
その大型魚のほとんどの場合、ヘラブナの集団の場合が多いので期待感が大いに膨らむ。


半兵衛

それから30分経たないうちに、ウキの周りにシュワシュワっという泡がたつ。
ヘラブナ釣り師の間ではこれを「泡付け」という
そしてウキが動き始めて、ツンというアタリを合わせると
上がってきたのが受け口じゃないマブナとのハーフ魚 半べら。
まぁ、ガッカリしたが手応えは感じたので、飽きずに餌を打っていくと
マブナ混じりで、たったの一枚だけだったが、管理池のボロ雑巾のようなヘラではなく
それはそれは美しい水墨画のような平行四辺形の尺べらが釣れ
改めて、野ベラ釣りにハマってしまうのだった。


シオンべら

だけれども、ヘラブナ釣りはあくまでも他の釣りモノが無くなった時に釣るっていう
僕の中での位置づけ。
なので、適当に流しながらの暇つぶしの釣りではあった。
それがだ、ある時を境に「巨べら釣り」に目覚めて行くのだった。
いつものようにウエブでヘラブナ釣りのサイトをサーフィンしていたら
岩手県で巨べらを専門に狙って釣っている人がいることを知った。
画像から見るソレは、見慣れたヘラブナの型ではなく
デップリとしてフグに見えるくらいの迫力のある豚魚だった。
それもそのヘラブナが狙える所は俺の家から10分で行けるダム湖だった。

ヘラブナ釣りの師匠の店、ハトバ釣り具店のおやっさんの所に出向き聞いたら
ヤッパリこの店の常連だった。
それもリトルリーグなみの権威のある「ハトバ少年ヘラブナ釣りクラブ」の出だった。
ヤッターぜとばかりにハトバのおやっさん経由でその方の巨べら釣りのノウハウを聞き出し
巨べら釣りに見合う竿もそろえる事にした。



それは、北上川の巨ベラ用にダイワ伯天弓17尺と、ダム湖の巨ベラ用にダイワ黒炎長元坊の21尺。
聞くところによると、ダム湖の巨べらは神経質なので
離れて餌打ちをしなければならないみたいな話を聞かされたからである。
今となっては、な〜んもそんな事はなく季節を選べば短竿でも十分使えるのだったんだがね。

その季節っていうのが、ヘラブナの産卵シーズンの事だ。
ヘラブナ釣り師の間では「ハタキ」と言われている大助釣りのハイシーズン。
普段のヘラブナは岸沿いを警戒し沖合を周遊しているのだが
ハタキのその時だけは接岸し、岸辺の浮遊物とか冠水植物に
ヘラブナの雌が卵を放卵しオスが射精する。
その時、尻ビレをバタつかせ派手に水しきが上げる。
クロールで泳ぐ時くらいの水しぶに派手に上がるのだ。
それがハタキと言われる最高潮に達した乱交パーティー。
これが鯉の場合は、車のスペア―タイヤを水の中にぶん投げたくらいの水飛沫が上がる。
いきなりコレをやられた日にゃあ、ホントびっくりする。


かへるくんも頑張ってます

岸に寄って来たヘラブナ、そーは簡単には釣れない。
ヘラブナのオスは他のオスに負けないようにドピュッと射精しなければならないので
悠長に飯を喰っているヒマはないのだ。
メスもオスもsexに疲れて一服する時だけに、口を使って美味しい餌を食べる。
そのトキにかけるヘラブナ釣り師。
だから美味い餌を作るのにミキサーを回したりして各自工夫を凝らすのだ。
オイラの師匠は、自分みずから食べてみて餌の配合を考えるくらいだ。


俺の師匠は腹が減ったら迷うことなく喰らう

それと一番大事なことはダム湖と言っても年月が経っているので自然湖みたいなもの。
だから前の年のダム湖が減水している時期に、乱交現場の伸び放題の雑草や
柳などの枝を刈り払い、釣り座を整えて置かなくては来たるシーズン
釣り竿を出せない事になる。
なので、ヘラ師は前の年の晩夏に鎌や剪定ハサミ、草刈り機スコップなどを総動員し
釣れる巨べらを妄想しニヤニヤしながら残暑のなか汗を流し流し釣り座を整えるのだ。
  

ブラジリアンワックス処理済

なんの魚でもそうなんだが、ある程度の大きさになれば
それから一センチ大きくなるのに相当の年月が掛かると言われている。
それと一センチ大きくなると、見た目の迫力も全然違ってくる。
ヘラブナの場合は30センチ前半は尺ベラ、30センチ後半から大助
40センチから上が野ベラ師は「四十上」と称し、いちおう人前で堂々と威張れるサイズ。
これが45センチ超えるには壁が大きく立ちはだかっている。
そう簡単には釣れない45センチオーバー。
更に50センチオーバーちゅうのは少年刑務所の壁くらいの高さがある。
その50オーバーいわゆる巨べらは今もって
他人様が釣ったのも見た事が無いっていうくらいプレミアものだ。


ドスコイ「べら

巨べらが群雄しているダムに足繁なく通って、初めて42センチ釣ったときは舞い上がった。
一緒にいた秋田の友人も「すげぇ、すげぇ」と言ってくれたし。
それからは、なんとなくコツが分かったような気がして
ヘラブナ春爆のときは、毎年コンスタントに四十上を上げれるようになった。
そのコツはと言うと、しつこく一ヶ所のポイントに通い
飽きずに餌打ちをする事かな。
鯉釣りでは一日一寸と言われ、同じポイントに毎日餌打ちして行って
30日目に晴れて尺ものが釣れるちゅう格言があるが
ヘラブナもそうかもしれない。


44べら

という事で、このホットな季節だけは岸沿いを周遊するヘラブナなので
21尺なんていう長竿は釣れるポイント大きく外れるから無用の長物
短竿の方が断然有利なのだった。

勢いで買ってしまった長元坊21尺は出番が無いかと言うと
暇つぶしのヘラブナ釣りの時は、他人様より竿が長いので警戒心の強い野ベラが簡単に釣れたり
駆け上がりの急斜面釣のチョウチン釣りに重宝して使っていたんだが


岩べら

岩洞湖の秋の周遊ベラ釣りに行った時、畳んだままの長元坊を握ったまま
銀閣から転げ落ちた時に、割れはしなかったがコスレ傷が付いてしまった。
21尺で100グラムを切る自重の軽竿なので、竿の作りが鮎竿と同じく良く言えば繊細
悪く言えば竿の肉厚が薄くチョットした事で折れてしまうのだ。
だからコスレ傷の部分から、いつかは折れるんだろうな思っていたら
餌を打ち込んだ時に、コスレの部分から大きなバギーンという爆裂音を立て
真っ二つに、カッターで切ったように見事に折れやがった。
でもな〜、21尺長竿なんだがチョー軽いので18尺感覚で操作できる竿だったし
0.8号のナイロン糸でも70センチの野鯉を引き寄せてキャッチできる粘り腰が気に入ってたので
惜しい気持ちイッパイ涙がチョチョ切れたった。
  


で、春のハタキシーズンでよく使う竿は10尺の短竿「船場」だ。
これはハトバのオヤさん曰く「竹の繊維を練り込んだグラス製の珍しい竿」
この珍しい竿っていう言葉に弱いオイラは即買いしたモノだ。
このヘラ竿、ベナンベナンの胴調子で巨べらが掛かったら苦労するだろうなと思っていたが
あにはからんや軟調子ゆえに、掛かった野ベラが暴れないでイナせるので気に入っている。
短竿なので振り込みも楽だし疲れないし。
でも寄せるのは大変なので長尺の2段柄のタモを使い、沖ですくうようにはしている。



それで今年獲ったのがコレ
ド迫力でしょう?
45センチの壁は越えたんだが、マボロシの50センチ、巨べらにはとどかなかたよ。

さぁ、雑草や枝を刈り払い完璧に釣り座を整地したし
あとはハタキのシーズンが来るまで50オーバーを夢見て寝て待つとするか。

2016/12/30






俺のガキの頃、雨の日が大っ嫌いだった。
何でかって言うと、ただ単に外で遊べないからだ。
それが今だに続いているっていうわけだが。

だから、高校に入学した時の部活選びは、迷うことなく山岳部に入部した。
まぁ部活だから、ハイキングのようにはいかないだろうなと覚悟して入ったが
拍子抜けするくらいゆるく、高総体で優勝を狙うなんてゆう事はこれっぽちもなく
山に入るぞっていう日が待ちどうしいくらい楽しい部活だった。
だからますますのめり込む山登り。

単独行でも山に入れるように小さいテントやグランドシート、シュラフなどと
中央通りの今は無き佐々宗スポーツで揃えたのは楽しい成り行き。
その山用品の中でも、オール真鍮で出来た魔法のランプ型のラジュースは
特にお気に入りの一品。

山の峰々に暗闇迫り冷気が漂いチミモウリョウがバッコしはじめる頃
ラジュースに点火、ゴーッという勇ましい音ともに真っ青な炎が上がり
お湯があっという間に沸く勇ましさは
お手軽無音のガスボンベのコンロには到底出来ない頼もしさだ。
  


そのブラス製のボデーに打ち付けられている文字は
ドイツ語のほかに、なんとアラビア文字が打ち込まれている。
たぶん砂漠の遊牧民たちも、荒涼とした砂漠の真っただ中で
このラジュースで心いやされているんだろうな。

あれからから時は経ち、近代ワカサギ釣りに目覚めるまえの昭和のワカサギ釣り。
極寒の岩洞湖でテントを張ると言うのを知らない時代
凍傷寸前の手での露店釣り。
そこでもラジュースは手を炙って暖をとったり
アルミホイル鍋のうどんセットを煮たりとブリザードの中、大活躍したし
夏の鮎釣り合宿でのキャンプ生活でも、もちろん大活躍した。

そして、テントを張っての近代ワカサギ釣りにハマりつつある今でも
コレを炊くと、いっきに暖かい快適空間がテントに広がる心地よさに
眠気が襲ってくるほど。



そして競技のワカサギ釣りに目覚めていくと
いちいちラジュースの加圧ポンピングするのが面倒臭くなってくる。
というか、釣れ盛っているラッシュ時間にラジュースの炎が小さくなり
ポンピングしなければならない時が来る
そこで釣りのリズムが中断されるのがストレスになってきた。



それにゴーというラジュース独特の音は嫌いじゃないのだが
むしろ頼もしいが、子供の頃、中耳炎をこじらせ耳が聞こえにくい
イワユル難聴気味なので、3月からの鱒のムーチング時
鱒が掛かった時の竿に付けていた鈴がチリンチリンと鳴っても
ラジュースの燃焼音にかき消され、掛かったタイミングを逃す時もシバシバ。
なので、ポンピングがいらない加圧式じゃないストーブが欲しいと思った。

第一候補はコールマンのランタン
これは未明の岩洞湖では手元必須の照明だが
これだけで暖をとるには物足りないっていうか死んじゃいます。
それにホヤが移動のショックなんかで崩れて
使いものにならなくなったらという心配要因は排除しなければならない岩洞湖。

かと言って、ガスボンベ式のコンロじゃ極寒の岩洞湖
完璧に使い物にならないとの評判。
それでも使っている人は、寒冷地仕様のお高いボンベを使うか
2台同時に使ってガスボンベの本体保温に努めるらしい。

だから使えるものと言ったら、ラジュースが売って無い今だったら
コールマンのホワイトガソリンストーブかな。
でも、白ガソリンじゃ毎日岩洞に通ってる身としてはコストが悪るすぎ。
やはり灯油使って音がしないモノは無いかなと探すも、なかなか無い。

家で炊く小型の反射式ストーブを、そのままテントに持ち込み
暖をとっているツワモノもいる。
見たのかって?
はい、赤いプラソリに積んで湖面に降りて行くのをワンシーズンに一回は見かけます。

そこまではなぁ〜と。
困った時のヤフオク。
小型ストーブって検索していると有りましたよ。
中華製の見た目にもちゃっちい対流式ストーブが。
さっそくこのストーブの情報を検索に掛けると
灯油タンクがものすごく熱くなって、いつ爆発してもおかしくないとか
消火しようにも消化しないで、いつまでも燃え残っているとか
このストーブの上から消化しない炎を見てたら眉毛とまつ毛と前髪がもえたとか。
移動中にタンクの中の灯油が全部流れてしまったとか
ほとんど危険物扱い。
その反面、なんでも楽しめる楽観主義者には結構人気者なチャイナストーブ。
オイラは笑ってしまった。
でも興味はつのる。
ってうか、落札してしまいました。
それがコレ。



当然の事ながら、加圧式じゃないので静か〜に燃えとります。
イイじゃないですか。
でも、だんだんとストーブの燃料タンクが放射熱で熱くなってきます。
やっぱりな、期待を裏切らないなチャイナストーブ。
でも、岩洞湖の氷結した湖面に置いで使うので問題は無し。
だがしかし、対流式でも反射式でも灯油ストーブ特有のあの臭さがあります。
まぁ現地で使ってみる事にします。

一番寒くなる2月の初旬のお試し開始。
用心にオイラ愛用のラジュースは持っていきます。
持って行ったその日の朝は暖かいと言っても岩洞湖にしてはですが
マイナス二けたに乗ってない一けた台の朝です。
なので充分この中華製のストーブだけで暖をとれます。
静かに燃えているので、遠くのテントの笑い声や屁の音も聞こえてきます。
っていうか、隣のテントから流れてくるラヂオ
IBC放送の風見アナのキンキン声が気に障るんですけど。

チャイナの使用感として、燃料は加圧式じゃないので
消費量が少ないかと思いきや、ほとんどラジュースと変わらない燃費
思ったより悪い。

それから一週間は暖かい日が続き、中華製のストーブは大活躍してます。
が、ストーブの点火芯は木綿製なので
常に切り揃えておかなくては不完全燃焼が起きます。
揃えないでそのまま使うと、とても臭くて頭が痛くなります。
なので燃え詰まらないグラスファイバーの燃え芯に取り替えますが
チョイとばかし加工がいります。

使い始めてから10日目の朝は、あっ晴れな夜だったので
放射冷却がギッチリと効いて、国道の温度計はマイナス14度
なので湖面は推定マイナス17度。
果たして中華製のストーブは持ちこたえるのか?
背負子から取り出した中華製ストーブ。
本体点火芯の囲いのブリキに薄ら霜が張り付いてるくらい寒いです。
点火です。
しばらく待ってみたものの、まったくテント内の温度が上がりません。
どこでもそうなんだが、この時期一番寒い時間帯は7時ころから8時くらい
なので、ストーブを点けているのに段々寒くなって行きます。。
居たたまれず、ラジュースに点火です。
ゴォーっと言う音と共に、一気にテント内の温度が上がります。
やっぱりな。
頼りになるぜラジュース。



だから岩洞湖の極寒1月と2月はチャイナストーブは使えないなと分かったしだい。
3月に入って岩洞湖の鱒釣りが解禁。
外気温もマイナス二桁いかなくなる岩洞湖。
マス狙いの時は置き竿の先端に付けた鈴がチリンチリンと
鱒が掛かったよ教えてくれる音が、ゴォーと唸り続けるラジュースと違って
中華製のストーブならクリアーに聞き取れるので3月は使えますね。
っていうくらいかな。。





2017・4・20
















今年もクマに

本来ならば鮎釣り全盛期の2017年8月初旬
大雨での大増水でなかなか水が引けず
治まってからは白川状態のなか釣れる鮎が細くて白い鮎。
しばらくして、川の中の石もコケで色ずき、いい感じになって来た
8月も終盤の25日、大鮎を求めて北上川に出撃することにした。

良いポイントだけを撃って行ったが数も出ないし
大鮎も出ない。
やはり8月の前半に見舞われた豪雨で石に付くコケが育たなかったのか。
それでも、瀬の絞り込みの一級ポイントでは25センチの鮎が掛かった。
その中でも、例年の実績のあるポイントで、ようやく27センチ。
この状況下では、良くも出たなと思う鮎を出した。
そして、さぁこれからという時に、またもや大増水に見舞われた。

なので、早々と8月25日で鮎釣りを諦め竿を仕舞った。
これくらい激しい雨の降る8月もなかったし
エアコンも入れないで過ごせた8月も無かったので
キノコの大豊作の年になるのかなと期待大で9月を待った。

期待感を膨らませて入った山なんだけれども雑キノコさえ見えない。
これも季節感の無い夏のせいなのか。
いつもなら方々から流れてくるキノコの情報が流れて来ない。
   

山の木の実

今年の山入りの際のクマ出没情報ではブナの実がならず凶作の年なので
熊には要注意との警告がでていた。
でも里のクリはそんなこともなくたわわに緑色のイガ栗が実っていた。
という事は、クマは深山を諦め里に出没する頻度が高いとみた。


山栗

案の定、鮎釣り場で有名な雫石川下流、盛岡市内を流れている下流部で
頻繁にクマ出没の情報が流れてきた。
そこには盛岡市立高校もあり、登下校時に危ないという事で
地元猟友会に出動要請が出た。
地元猟友会が熊駆除隊を組んで出動し、巻き狩りを行ったところ
やはり目撃情報の多かった高校裏の河原でクマを発見した。
その隊員の一人が発砲したのだが、致命傷にならず逃走かと思いきや
怒り狂った手負いの熊は自分の気配を殺し
密かに自分を撃った猟友会員を定め音もなく襲いかかり
構えた猟銃を一撃でふっとばし隊員を突き飛ばし覆い被さった。
その悲鳴を聞きつけ急いで駆け付けた勢子が
グランドに持ち込んでいる熊めがけて発砲し
なんとか一命をとり止めたらしい。

そんな撃っても倒れない不死身の熊。
そんな話はよく聞く。
だから、撃ち手とクマが近距離で対峙する前に、急所に撃ち込まないと
簡単には倒れないらしい。
それは怒り狂った熊、体内中にアドレナリンが噴出し
心臓に入った弾でさえ致命傷にはならず突進してくるそうだ。
まさに五条大橋の武蔵坊弁慶状態なのだ。

で、その猟友会員は突進してきた手負いのクマに覆い被さるように倒され
頭部に噛み付かれたところで、近くに居た別の猟友会員の至近距離からの一発で
ようやく息絶えたそうだ。
噛み付かれた猟友会会員は、救急車で運ばれ高次救急病院で手術。
お腹の皮膚を額に移植したそうだ。
が、それにも懲りずもせず「クマ退治は止めない」と言っているそうだ。

まぁ他人事だから言えるんだが
熊が出没中で危ないから退治してしまえなんちゅのは
人間的な短絡な考えだと思う。
この事件のあった雫石川の上流では、当たり前のように熊はでる。
実際、俺もオトリ鮎販売している所のすぐ近くで鮎釣りをしていて
場所替えで岸を歩いていると、黒光りする巨体をユッサユッサ揺らしながら
トロット走行している熊と並らんで歩き、目が合ったことが有るが
別に刺激しなければ「お互い見なかったことにしましょうね」みたいな感覚だった。
人家の近くに出る熊はそれなりの秩序を守って行動しているので
こちらの存在さえ示していれば、むやみに襲う事は無いと思う。

知床の大某網をつくろっている漁師の脇を、あの凶暴で名高い肉食のヒグマが
漁師に関心を示さず、当たり前のように通りすぎるっていう事でも分かる。
  

オオシメジ

そんなヤバイ話が聞こえてくるも、美味しいキノコを食べたさに山に出かけるオイラ。
古くからの友人と近場の山に入る。
お目当ては、当地方で大シメジと言われ珍重されているフウセンタケ。
このキノコの茎はそんなに味があるワケではないが
傘の部分は濃厚な出汁がでる。
ラーメンに入れても豚骨のスープに負けないキノコの味がするほどだ。
が、やはり夏の大雨のせいかサッパリ見当たりません。
友人が一本の貧果。
なので、沢伝いに生えるボリボリ採りに変更。
このキノコはあらゆる環境に対応する生命力を持っているので期待は大だ。
沢伝いに探っていくと、背負い籠に8分目くらい採れた。
このキノコは当地方でよく食べられている「芋の子汁」には無くてはならないキノコ。
大シメジほどの出汁は出ないが、そこそこに出る出汁は芋の子との相性は抜群だ。
  

アミコ

友人が「先週アミッコをいっぱい採ったので行ってみないか」と言うんで行く事にする。
そこは友人が住む家の近くっていうか、もろ裏手の山と言うより丘って感じの所。
舗装道路を行くと、山栗が道路の上に落ちていてブチブチと車で踏みながら進む。
そして道路の脇に車を止めて、そのアミッコを背負子いっぱいに採った
という丘に入ることにする。
  


山の七つ道具

山に入る時の七つ道具
熊スプレー、スズメバチスプレー、クマ鈴、ナタ
ガーミンのGPS、AMラヂオに小型ナイフを持つのだが
住宅街の脇の丘に入るのにそれは無いなと思い
まさかの為に熊スプレーだけは持つことにした。
なんたって、この住宅街の西側の方ではクマ出没注意の警告があるのでね。

軽装で丘に分け入るが、キノコのキの字も見当たりません。
その時です。
友人が「ビィビィッって言う声が聞こえなかったか?」とオイラに聞くも
オイラは難聴気味なので聞こえませんって。
猟をしててもヤマドリのドドドっていうホロ打ちを聞いたためしが無いくらいだから。

「そうっか」と生返事をし顔を上げた上の方を見ると
まん丸い黒い顔に、まん丸い大きな黒い耳が二つ付いたモノが見えます。
よく見なくても熊です。
ここで不安が頭によぎります。
山の七つ道具をもってきてません。
辛うじて熊スプレーは持ってきたのだが、熊と組んだ時の最終兵器剣ナタは持ってきません。
熊に出会った人に聞くと「やられるんだったら、最後はナタで戦うしかない」と。
最後の「やるかやられるか」の大勝負で
ナタでクマを撃退したって言うケースは多く聞くからだ。

持って来なかったのはしょうがないので、腰にぶら下げた熊スプレーのケースから
熊スプレーを取り出し、白い安全装置を引き抜き熊スプレーの発射ボタンに指を掛けます。
と、友人が静かに目をそらさずゆっくりと後退し始めました。
僕も熊スプレーを突き出しながら、ゆっくりと後退します。
熊に出会ったところらから道路まで出る距離は15mくらいの短距離ですが
延々と続くような錯覚におそわれ、長くなが〜く感じられます。
黒いシルエットの熊は、微動だにせず止まったままです。
いつ猛ダッシュで襲ってくるかわかりません。
恐怖感との戦いです。
ようやく舗装道路に出て、友人と顔を合わせ言うまでもなく
良かったなと同じ思いで顔を合わせます。
そして、「あの熊は毛を逆立てていたよな」とか
「案外、落ち着いて行動で来たよな」
「やっぱり目をそらさず、ゆっくりと行動できたのが良かったな」とか
「熊スプレーは必携だな」とか自画自賛大会していた時でした
目の前のヤブが揺れ動きガサガサと大きな音を立てたもんだから
慌てて自動車に駆け寄りドアを開け車に入り込んだってのが
今だからこそ笑える一幕。

閑話休題
岩手県での話だが、鹿の農業被害が深刻な問題になっている。
一昔前までは「鹿を獲りたい」と思ったら
三陸町の鹿の猟区まで出向かなくちゃ獲れないって言う遠い感じの獲物だった。
それが、三陸町の保護区で鹿が大量に繁殖し
近隣の畑や田んぼが荒らされてどうにもならなくなり
猟区と保護区を解放し、何でもアリにしたもんだから
保護区でノウノウと過ごしていた鹿たちが 
一転して追われる立場となり、テンでバラバラに猟区から霧散した。
それが原因で、岩手県中に鹿がはびこってしまった原因だとも言われている。

まっ 一番の原因は「ネズミ算的に増えて行く鹿に対して
ネズミ算的に減って行く鉄砲撃ち」という猟友会員の若年層がいないのと
高齢化が進み過ぎた逆ピラミッド構造が
こういう事になった原因かもしれない。

岩手県全体の農業被害が年々ひどくなり過ぎたという事で
遅まきながらも行政が本腰になって鹿駆除に乗りだした。
それは何かと言うと鹿に懸賞金を付けたという事。

なので賞金稼ぎの鉄砲撃ちが登場したってわけだ。
エゾシカと違って、本州鹿は食味で大変劣るのは承知の事実で
「鹿肉あげるよ〜」って、知り合いやらそうじゃない人にも
鹿肉を置いてくるのだけれども
美味しくないのでというか、硬くて獣臭い肉なので
次に持っていくと「イラナイ」と言われる。
だから、賞金稼ぎの鉄砲撃ちは、唯一食べれる背ロースだけ切り取って
残った残滓はそのまんまという事になる。
その残滓は、どーなるのかと言うと
一般的にはキツネやタヌキなどの餌となる。
昨日見かけた鹿の残滓が次の日に行くと半分に
また次に日に行くと、骨だけになっているという
山の小型動物のたくましさにはタマゲル。

さらには雑食だけども鹿を襲って食べるという食性が無かった
月の輪熊までも、鹿の残滓をあさるようになってきた。
そりゃそうだろ、ドングリなどチマチマ喰っているよりは
一気に腹いっぱいになる鹿の残滓なんだもの。
コレは山奥の住民が目撃しているので確かな情報だ。

それによって何が起こるのかって言えば
ブナの実やドングリの不作の年はツキノワグマは
繁殖期を迎えないと言われているが
でも、そんなのには関係無く鹿の残滓を食べ栄養をタップりと付けた
ツキノワグマの繁殖率は上がるということだ。
それによって、古参熊の縄張りからあぶれた若熊はどうなるのかと言えば
町場に降りてくるしかないので「熊が多くなった」って言うのが
原因の一つになっているはずだ。

それに、山村の人々にが言うには
「鹿肉に味をしめた熊が、次に人を襲って食べてしまう事が起きなければいいが」
と言っている。
怖い話ではある。
2017・12・1