闘いの歴史

 

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執行委員長 : 佐々木 仁

 

はじめに

 京王電鉄株式会社(京王電鉄)が行ったバス部門分社化のリストラの施策に対し、京王電鉄に働く労働者は、京王電鉄労働組合がリストラを承認する中で、京王電鉄労働組合を脱退して、新しい労働組合(全国建設交通一般労働組合東京と本部京王新労働組合・京王新労)を作って闘いました。

 京王新労は、京王電鉄による熾烈な組織攻撃の中で団結を維持し、支援共闘を軸に闘いました。

 2004年12月7日、京王電鉄分社化リストラについて、京王新労及び京王電鉄リストラ反対闘争支援共闘会議(支援共闘会議)は、京王手電鉄との間で争議解決の協定書に調印し、あわせて東京高等裁判所で和解を成立させ、3年に及ぶ分社化リストラ争議を勝利解決しました。

 政府・財界が構造改革・規制緩和政策を推進し、事業再編リストラが国策として行われているといっても過言でない中での勝利です。

 

バス部門の分社化リストラとの闘いのはじまり

 2000年4月、東京西部に鉄道・バス等の事業を展開する私鉄大手の京王電鉄は、「バス事業再生・勝ち残り策」というバス部門の分社化リストラを提案しました。京王電鉄が100%出資して子会社を設立した上でバス部門をこの子会社に営業譲渡し、バス事業は継続しながら労働条件だけが大幅にダウンするというものでした。史上空前の利益を更新し続ける大企業が分社化・営業譲渡を利用して労働条件の大幅な引き下げを行うことについてバス労働者の怒りが広がりました。

 京王電鉄の労働者たちは「労働者が主人公となる労働運動を進める京王労働者の会」に結集し職場新聞の発行、学習会、署名運動などを旺盛に展開しました。また組合役員選挙に打って出て分会三役に当選するなどの成果をあげてきました。

 自由法曹団東京支部はリストラ提案から1ヵ月後には提案の撤回を求める意見書を発表し京王電鉄と労働組合へ提出しました。

 「京王電鉄のバス部門分社化に反対し、利用者の安全を守り、京王電鉄労働者を激励する会」(会長 角瀬保雄法政大学教授)も結成され利用者の立場からの公共交通としてのこのリストラに反対する運動が組織されました。しかし、既存の組合が提案に合意するに至り新労組が結成されました。その後、「支援共闘」「利用者の会」も結成され闘いが展開されることになりました。

 

京王電鉄の新労組への熾烈な攻撃  

 京王電鉄は京王新労に対し、巨額の黒字を計上する会社が大幅な賃金引下げを行う必要性を全く説明しないままで、就業規則改定を強行しました。

 また京王電鉄は京王新郎と組合員が、就業規則の改定に合意しないとして、賃金差別を中心とした組合差別を中心とした組織攻撃をかけてきました。2001年冬季一時金の不支給から始まり、2002年一時金の一年間不支給や支給額の差別を行いました。2003年、2004年と差別を続けました。定期昇給も新労組組合員には実施されませんでした。

 2002年8月には、子会社への営業譲渡に際しては「京王電鉄には貴方たちの仕事ない」と仕事を取り上げて34人全員に自宅待機命令を行い、12月には6名の組合員を指名して異職種への突然の出向命令を出し「命令だ従わないのか」と凄みました。この出向命令を拒否すると賃金不払を強行するなど徹底した兵糧攻めを行いました。

京王新労と支援共闘会議のたたかい

 2002年7月には支援共闘会議を結成し、京王新労と支援共闘会議は、広範な労働組合や地域住民の支援を受けて果敢な戦いを展開してきました。

(1)支援共闘を軸にした運動

 運動では、2002年8月の自宅多岐命令により仕事が取り上げられてからは一日も欠かさず連日本社前で就労闘争を展開しました。関係当局への働きかけ、背景資本要請や国会での追及を行いました。数百名規模の集会やデモを4回、6回に及んだ京王本社前座り込みの開催、京王前駅宣伝や高尾山口駅などの京王電鉄の沿線での宣伝などを活発に展開しました。

 賃金不払いの攻撃には京王電鉄の社長、取締役らの6件の事件で2回刑事告発も行い、書類送検をさせ、会社を追い詰めました。

 一時金遅延や差別、自宅待機命令、そして異職種京王運輸への一方的な出向命令拒否による賃金不支給は、組合と組合員にとって大きな経済的困難を伴うものでしたが、前途の労働者・労働組合の支援を受けて生活支援基金の債券を発行して生活支援体制を確立して闘いました。

(2)9人の常任弁護団と共に適格な法廷闘争

 闘いの中で法廷闘争はその迅速な手続き、的確な判断により闘いのそれぞれの局面で組合員を励まし団結を維持することに役立ちました。

 会社は新労組結成直後の2001年一時金不支給の組織攻撃を行いました。支給日に支給されないことを確認して即日に仮処分手続きをとり、都労委への不当労働行為救済申立を行うという弁護団の機敏な動きにより8割支給を実施させることが出来ました。残り2割についても本袖戦いましたが、敗訴してしまいました。しかし、控訴した高裁で和解勧告が出され闘争解決のきっかけになりました。

 2002年一時金では仮処分の手続きを、就業規則の一方的不利益変更では本訴を提起しました。また、自宅待機命令に対しても本訴を提起し、6名に対する異業種への出向命令でも都労委で実行確保の申立を行って法的に闘争を支えました。

 

協定の内容  

 今回の解決協定書は次のような内容です。

(1)新労組組合員全員は京王電鉄の子会社である京王電鉄バス(株)に出向して就労する。

(2)京王電鉄はこの争議により新労組組合員とその家族に影響を与えたことを深く理解する。

(3)将来に向かって正常な労使関係を築き、労働条件に維持のために努力し、労働条件に変更については信義をもって誠実に協議する。

(4)京王電鉄は解決金を支払う。

(5)訴訟・不当労働行為救済申立事件等を和解・取り下げにより終了させる。

今回の和解の意義

 企業による企業再編リストラが一方的に行われることが多い中で、この争議解決には次のような大きな意義があります。

(1)巨額の利益をあげる大企業が100%子会社への営業譲渡という法規制の谷間の脱法的手法を用いた分社化によって一方的に労働条件を引き下げること許さず、労働者の生活と権利を守る大きな成果をあげることが出来ました。

(2)労働者が労働組合を自らの手に取り返し、団結権を行使して闘うことによってこそ労働者の生活と権利を守ることができることを示しました。

(3)労働組合活動に対する不利益取扱や攻撃をはね返し、正常な労使関係を築くことを約束させたことで、大企業の中で複数組合を認めさせ、労働者の団結権を尊重しなければならないことを示しました。

 

たたかいの教訓

1)京王電鉄にはたらく全ての労働者を視野に入れた宣伝や組合への要請、署名運動、討論集会や学習会に系統的に取り組み、多くの職場労働者の理解と共感を得ながらたたかいを展開したことです。このことは、局面ごとに職場の労働者との交流や職場の労働者からの激励が相次いだことにもあらわれました。この源流には、長年にわたり積み重ねられてきた「労働者が主人公の労働運動をめざす京王労働者の会」の活動や職場新聞「みらい21」の発行、学習会や労働基準監督署・国会等を活用した運動などの経験が蓄積されていたことがあります。

2)たたかいの前局面を通じて京王新労が固く団結を守ってたたかいぬいたことです。このために、会社が次々と繰り出す攻撃を基本的にはねかえし、これらをかえって京王新労組のたたかいの有利な条件に転化することが出来ました。2001年冬季一時金不支給はマスコミが大きく報道するなど会社が世論の非難を浴びる結果となりました。2002年8月の自宅待機命令は会社の指定する時間以外の活発な運動の条件となり、本社前では連日就労闘争が展開されました。6名を指名しての一方的な異職種への出向命令は、6名が団結して就労を拒否したため奏功せず、かえって会社は労働委員会において労働者の処遇は団体交渉により解決する旨の約束をせざるを得ませんでした。

3)支援共闘会議を中心に、産別、地域、ローカルセンター、地域住民など広範な理解と支持を得てたたかったことです。一時金不支給や出向命令拒否にともなう賃金不支給の攻撃に対しては、生活支援資金の確立が大きな支えとなりました。就労闘争や度重なる集会・宣伝行動には支援共闘を中心として単組、産別、地域、ローカルセンターが協力して支え、京王資本を包囲していきました。また、新労の組合員は地域の労働運動の活動にも積極的に参加し、支援に応えてきました。

4)会社の分社化リストラ策についての科学的な検討やこれを批判する政策を確立してたたかいました。経営分析の面では、全社的な高収益と史上空前の利益の更新の事実、バス部門の「赤字」が1997年の「構造改革」により短期間に不自然に急増しておりすでに設立されていた「京王バス」への路線遺憾というグループ戦略によるものであることの私的などです。法的には、就業規則の不利益変更の原則的禁止(みちのく銀行事件)や営業譲渡による転籍の拒否に伴う解雇の無効(千代田化工事件)および出向の団体的同意の要件、法人格の濫用、組合依存下の不当労働行為など多くの判例法理を活用し、会社の攻撃の手を縛りました。

(5)マスコミ対応やHPの活用をしたことで、マスコミも注視するたたかいとなり、多摩地区最高額納税会社である会社を追い込む上で大きな力となりました。2001年冬季賞与不支給は各新聞の多摩版に大きく取り上げられました。HPのアクセス数は短期間に数万を超えました。経営側の雑誌には「労働条件引き下げのための分社化は邪道」である旨の論稿が掲載され、ある財界系シンクタンクは弁護団に対して「なぜ京王は失敗したか」の取材に訪れました。NHKテレビは京王新労のたたかいを取材した上これに焦点をあてた報道番組を放映し、会社がこれに抗議する事態となりました。

(6)弁護団は自由法曹団東京支部京王電鉄バス分ノン分社化リストラプロジェクトの意見書(2006.6.7)以降、局面ごとの多くの法的検討や法的手段をとることに全力で取り組み、たたかいを支えました。直接的な共闘はなかったものの、京王電鉄バス営業所助役解雇事件での労働者側全面勝訴判決はこれが大きく報道されたことともあいまって、会社に訴訟リスクを判断させる力となりました。

 

おわりに

 新労組合員は、職場に戻り、新たな労使関係のもとで、利用者のみなさんの安全を守り、労働組合として労働者の労働条件の維持向上と権利擁護のためにこれからも奮闘することを決意しています。今回のたたかいに参加した全ての人々が、このたたかいの教訓を生かして今後も労働運動の発展のために力を尽くすことが求められています。

 

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