writer’s notes
「執筆ノート 『アガンベンの名を借りて』」
『三田評論』no. 1202 (慶應義塾, 2016年7月), p. 96.


 古代ローマでは, ある種の違反を犯した者は法に則って処罰されず, その代わりに「ホモ・サケル」(聖なる人間) たるべしと宣告されたという. これによって, 彼はあらゆる法の適用を外される. したがって, 彼はたとえば死刑にはならない. だが逆に言うと, 彼を誰が殺害しても, それは法的には殺人にならない.

 この奇妙な法制度がじつは珍しいものではないと考えたのが, 現代イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンである. 彼は主著『ホモ・サケル』で, ホモ・サケルのような例外を産出することこそが主権の働きだとしている. 通常, 主権というものは法をあまねく適用する権力として理解されているが, じつはそうではなく, 主権は自らの法の適用から外す対象を決める能力によって定義づけられる, というのである.

 さらに, 当の主権者自身も自らを法の適用から外すことで自己定義する. この能力が法制度のなかで定式化されれば「有事」「緊急事態」などとなる.『例外状態』では, そのような「法を凌駕する法」が法学や哲学において考えられてこなかった様子が批判的に辿られている.

 このようなアガンベンの著作と向きあってきた私の目には, 安倍晋三政権の一連の企ては, 行政が立法や司法というくびきから自らを解放して例外を融通無碍に決める主権を強引に確保しようとするプロセスとして映っている. 明らかに違憲の新安保法制が成立させられたとき, 政体は事実上変更され, 主権の座は人民から内閣へと移されてしまった. はっきり言っておくが, こんな無法を私は黙認するわけにはいかない.

 本書は, 私がこれまでに書いてきたアガンベンに関する諸論考を1冊にまとめたものである. じつのところ, 主権という問題設定以外を論じているページも少なくない. だが, 正直に言ってまずお読みいただきたいのは, 末尾に収録した「『ホモ・サケル』, 『例外状態』, 新安保法制」という書き下ろしの論考である.

 参院選より前に刊行したことで,「何もせずに非道を座視してしまった」という最悪の後悔は避けることができた. ただ, 内戦はまだまだ続きそうである. 何ができるか, さらに考えていこうと思っている.