バタイユの書きはじめ
「バタイユの書きはじめ 浮浪者, 「存在の基底」の露出」


アップ : 2000年11月26日
未発表原稿. ある紀要に不採用となったものです. ここに載せるにあたって若干, 加筆・修正をほどこしています.



 ジョルジュ・バタイユは, 書くにあたって, 自分が書いているという事実を意識せずにはいられなかった人であるようだ. 書きはじめるということ, 書くことが妨害される(書けない)ということ, これらは, 書く内容と切り離せない関係をもちながらも, 彼にとってはそれ自体が常に一事実として問題化されていた. それは, 彼が自分の書くものにおいて, ある特異な経験をおこなうことを目指していたからだろう. それを, 書くことそのものとの交流, あるいは書くことそのものにおける交流, とあらかじめ呼んでおこう. その経験がどのように与えられ, どのように書くことの核心における問題となったのかを問うことは, バタイユの「言うことができないもの」をめぐる議論に改めて光を投ずる役に立つのみならず, 我々に共通のものである「書くこと一般」に内在的な問題を明らかにするためにも意味のあることだろう.

 バタイユにおける書くことという主題はすでに多くの研究者によって問題化されてきた. 「目の隠喩」のロラン・バルト01, 「経験と実践」のジュリア・クリステヴァ02, 「ジョルジュ・バタイユの至高なエクリチュール」のベルナール・シシェール03らの名前が想起される. だが, 彼らがけっして明瞭には問うてこなかったものがここでは問題となる. すなわち, 書くことそのものが, 書くことそのものにおいて, どのように与えられ, 問題の場となるか, ということである. したがって, 原抑圧を前提する心理の深層を想定する読解も, 特定の主題に依拠した読解も, ここでは問題にならない. 書くということそのものがバタイユによってどのように書かれるのか, ということが問題なのだ.

 問題が先鋭化するのはとりわけ, 書きはじめにおいてであるように思われる. ここで言う書きはじめは, 語の最も広い意味に取ることができる. テクストの冒頭句, テクストの最初の着想, 理論の展開にあたって最初に導入される諸概念, などのすべてだ. しかじかの時間生きていたバタイユという人物が最初に書くことと直面した出来事そのものも, それがバタイユによって書かれている限りにおいて, 考慮に入れることができるだろう. これらは, それぞれの仕方で, ある同一の印象のまわりをめぐっているように思われる. それを, バタイユにおける「書きはじめの一般経済」と呼んでみよう. これを広範に問うのが我々の当面の大きな課題である.

 ここでは, 問題の一端を垣間見るために, バタイユ自身が書く者(書けない者)へと逆説的に生成する舞台を細かく検討してみることにする. 次いで, その検討をより広範な視野のうちに位置づけることを試みよう.




 バタイユにとっての, 書くことのパトスの純粋な形象の一つに, あまり重要視されていないが, 浮浪者がある.

 バタイユは少なくとも二度, 浮浪者を, あるいは悲惨な者を, 明らかな主題にして語っている. バタイユにとって, 浮浪者の実存は, それを書くということと, あるいは端的に書くことそのものと, 常に結びついていると思われる04.

 1933年1月に出された『クリティック・ソシアル』誌の第7号には, 『呪われた部分1』(1949年)に原型を提供することになる「濫費の観念」が発表されているが, この同じ号のためにバタイユは書評もいくつか書いている. そのうちの一つが, ルイ‐フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』(1932年)への書評である. 「悲惨は苦しみであるのみならず, 人間の多くの形式の基礎にある. 文学はその価値を意味するという機能を持っている」というくだりではじまる短いテクストで, バタイユは, かつては宗教によって引き受けられていた, 悲惨を価値づけるという機能が, 今や, 書くことにおいて生きられることによって文学へと直に到来する, と指摘する.

 セリーヌのすでに名高いこの小説は, 一人の人間が, 物語の流れに属している人間の悲惨の各々の像においていわば現前している自分自身の死ととりもつ様々な関係の描写と見なすことができる. [...] 今日, この悲惨を, 最悪の荒廃—汚物から死まで, 卑猥から犯罪まで—をも除外せずに意識するということは, もはや人間存在を高位の勢力を前にして侮辱する欲求を意味するのではない. 悲惨の意識はもはや, 外的であったり貴族的であったりするのではない. それは生きられるのだ. その意識はもはや神の権威をも, 父の権威をさえ参照しない. その反対に, 悲惨の意識は, ある兄弟性の原則となった. [...] 人間たちの不幸に偉大さを借りながら自分は悲惨な者たちから異質なままでいるゾラの滑稽な遊びをやっている時ではもはやない. 『夜の果てへの旅』を孤立させ, 人間的意義をこれに与えているのは, 悲惨によって人間性の外に投げ出された者たちとともに実践された生のやりとり—生死のやりとり, 死と失墜のやりとり—である. その失墜とは, 兄弟性ということが, 個人的に過ぎる諸要求や意識を断念して悲惨の諸要求や意識を自分のものとし, つまりは大多数の人々の実存の諸要求や意識を自分のものとすることである時に, 兄弟性の基礎にある, そのような失墜のことである05.

 ここで「兄弟性」と呼ばれているものは, 排除されている大多数の者たち(しばしば量的には大多数である少数者)に共感し苦しみを共にすることに限定されない. 「悲惨を意識すること」が「生きられる」というのは必然的に一つの実践であり, それはこの場合は書くという実践なのである. 悲惨はここでは, 書かれもするし, それ自体が自ずと書きもしている. その行為が「人間的」たりえる理由は, このテクストだけでは明確ではないが, おそらく, 属性を剥奪され「人間性の外に投げ出され」るという経験, 「失墜」の経験が, バタイユにとっては逆説的に, 人間において共同性を創設するものとみなされているから, ということなのだろう.

 おそらく, 後年, バタイユが道で出逢うことを想像する人物も, そうした「失墜」のなかにある人間である.

 私が通りでこの通行人に出逢うとすると, 私は, 私が全面的に関心を失った, 判明な対象としての彼に向きあうかもしれない. だが私は, 私が望むなら, 同類としての彼に向きあうこともできる. 任意の通行者のもつ対象としての性格を彼において少なくとも部分的に否定するなら, そう言える. 突然私が, 彼のうちにもはや, 私が交流できまた交流すべきでもある主体しか見ず, 主体的に彼に関することを何であれ異質なものとは見ずに, 彼を兄弟のように見なすとすれば, 私のしていることはそうである. ある意味では, 兄弟は判明な対象を指すのだが, この対象はまさに, この対象を対象として定義するものの否定を含んでいる. これは私にとっての対象だ, これは私ではない, これは私という主体ではない, しかし, 彼は私の兄弟だ, と言えば, それによって私は, 彼が私という主体同類だ, ということを確信する. したがって私は, はじめに私に対して現れた主体対象との関係を否定する. 私のこの否定は私の兄弟と私との間に主体主体との関係を定義づける. これは第一の関係を抹消するのではなく, 乗り越える06.

 この, 虚構としての兄弟性は, 数行先では, 語の狭い意味での兄弟性が指す「血の結びつき」と「同じ本性をもつ, 一切の人間と私との間で捉えられる結びつき」とも言われている. バタイユにおける「同類」の論理とでも呼べるものは, ヘーゲル的な承認の弁証法のあからさまな影響下にあるが(しかし, ヘーゲル弁証法に対するバタイユの立場の特異性は, ここでの議論の展開とは違って, 「乗り越える」ことの不可能性に身を置くこととしての「使い道のない否定性」によって規定されていたはずだ07), それでもその論理が, セリーヌの書きものにおいて実践され生きられているとされた「悲惨」ないし「失墜」の論理とどの程度まで基礎を分けもっているかを見てとることはできる. ここでバタイユがぎこちなく「主体対象との関係の否定」と表現しているのは, 虚構としてにせよあらかじめ措定されている主体や対象のもつはずの個々の「人間性」からの我々の排除としての, 「私」と「通行人」との間の共同性の創設のことである. バタイユによれば, 我々が「兄弟」であることを意識するということと, 「悲惨を意識する」ということは, 同じである. そのことは, この「通行人」が悲惨のうちにある者であると想定すれば明らかである08.

 それでは, 兄弟性における悲惨の意識は, 書くこととどのような関係をもつのだろうか? 浮浪者についてバタイユが語っているもう一つのテクストを検討すれば, この問題をより明晰に思考することができるだろう.

 1951年5月に出された『クリティック』誌の第48号にバタイユは, サミュエル・ベケット『モロイ』(1951年)を論じた書評「モロイの沈黙」を発表している. このテクストを詳細に見ることにしよう. 彼はこうはじめている.

『モロイ』の作者が我々に物語るのは, いわば, 世界の事物のなかでも最も公然と堪えがたいものである. そこにあるのは度外れた気まぐれのみであり, そこでは一切が常軌を逸した気まぐれなものであり, おそらくそこでは一切が下劣である. しかしこの下劣さは驚異的である. より正確に言えば, 『モロイ』とは, 驚異的な下劣さのことである09.

 ここで『モロイ』の書きものそのものと同一のものとされている「驚異的な下劣さ」というのが, 浮浪者の実存に他ならない. それは「最も公然と堪えがたい」. すなわち, 誰もにとってそれは共通に堪えがたいのであり, つまり, ここで我々の共同性をなしているのはその堪えがたさに他ならない. その堪えがたさは一切の現実に基底を与えている現実, 「純粋状態にある現実」である.

『モロイ』が露出させているのは単に現実なのではなく, 純粋状態にある現実なのである. それは, 最も貧しく最も必然的な現実である. それは, 我々に絶えず自ずと提起されるが, その恐ろしさが我々を絶えず引き離し, 我々が見ることを拒否し, 我々がそこに没しないように絶えず努力し, 不安という捉えがたい形式のもとにおいてのみ我々に知られている, あの現実である10.

 その現実を「生(?)11」として生きるのが, まさしく浮浪者である.

 言ってみれば, 私もあなたも彼 [モロイ] に出逢ったことがあるのだ. 我々は, 恐怖を帯びた羨望に捉えられて, 道の隅で彼に出逢った. ぼろ服につきものの美しさ, まなざしの弛緩と無関心, 汚れの積年の滲み込み, それらによって成り立っているあの無名の形象. 彼は, つまるところ途方に暮れた存在であり, 我々の誰もがそうである企ての, 残骸状態である...12.

「我々の誰もがそうである企て」とは, 生ないし存在と呼ばれているもののことである. 「残骸状態」にあるそれが, 逆説的に, 剥き出しの共同性を創設する. それは類的な人間性である. 「存在の基底」とも呼ばれるそれはあまりに一般的かつおおまかなので, これに名を与えることはできない.

 この, 存在の基底ないし残滓である現実には, 何かひどく一般的なところがあり, 我々が時として出逢うがすぐに見失ってしまったあの浮浪者たちには何か本質的にひどく不分明なところがあるので, 我々は彼らより無名のものを想像することがないほどだ. 今私の書いた浮浪者という名も彼らを裏切っているほどである. しかし, 悲惨な者という名も, 浮浪者という名より規定されるところが少ないという利点はあるが, それでも, それより裏切りが少ないということもないだろう. そこにあるのはまさしく存在の基底であり(だが「存在の基底」という表現だけではそれを規定することはできないだろう), 我々は次のように躊躇いなく言う. それに我々は名を与えることができない, それは不分明であり必然的であり捉えがたい, それは沈黙だ, それだけだ, と. 自分の能力のなさゆえに我々が浮浪者悲惨な者と名指しているものは, 実は名指せないものであり(だが, 名指せないというのもやはり我々を混乱させる語だ), それは死者に劣らず口を閉ざしている13.

 名指せないものをめぐる困難はバタイユの思考において珍しいものではない14. その基礎的な困難は, 我々が実のところこの基底を, 我々の出発点としての存在の起源としているわけではなく, この基底が存在の失墜においてしか与えられず, したがって我々が何であれ基底から語りはじめなおすということが権利上できない, ということに由来している.

 たとえば, ここで「浮浪者」の実存と同一のものとされている「沈黙」について, あるいはそれと同等とされる「剥き出しであること, 没すること, 哀願すること」について彼は, 他の場所で次のように書いている.

 それら [剥き出しであること, 没すること, 哀願すること] は, 言い逃れから逃れることに結びついているとはいえ, 諸認識の領域を延長する以上は, 言い逃れの状態に還元される. 我々においての言説の働きとはそうしたものである. この困難は次のように表現される. 沈黙という語もやはり物音である, 語るということはそれ自体, 自分が認識していると想像することであり, もう認識したくないのなら, もはや語ってはならない, と15.

「通りを這い我々を魅惑するあの残骸が告知している, 人間性のあの不在16」, つまり浮浪者の「生(?)」とは, したがって, 語ることを絶対的に停止させるものであると同時に, 語ることをそれ自体がすでに触発してもいる.

 もちろん, 作者ベケット, あるいは語り手(一人称小説の形式をとる第一部では語り手でもあるモロイ, あるいは第二部でモロイの代わりに語り手となるジャック・モランという男)と, 「浮浪者」「悲惨な者」「名指せないもの」と呼ばれるモロイ本人の実存との間に, あらかじめ無条件に共同性が創設されるわけではない. あるいは, その共同性は, 単にそれを書くことによって創設されるのではない. バタイユはこのことにはきちんと留保を設けている.

 以下の本質的な点をここではっきりさせておこう. すなわち, サミュエル・ベケットが, 私の言うこの「存在の基底」とか「人間性の不在」とかを叙述しようという意図をもっていた, と考える理由はない, ということである. モリエールがアルパゴンを吝嗇家の一形象にし, アルセストを人間嫌いの一形象にしようと欲したように, 彼がモロイを浮浪者の一形象にしようと欲したというのは, 私にはありそうもないことに思える17.

 セリーヌ『夜の果てへの旅』を論じながら, バタイユはやはり, セリーヌの実践とゾラの「滑稽な遊び」との決定的な差異にこだわっていた. ゾラは「人間たちの不幸に偉大さを借りながら自分は悲惨な者たちから異質なままでいる」というのだ. セリーヌないしバルダミュと, ベケットないしモロイには, この, 言説にあっての基礎的な差異が, 幾分欠けている(全面的な欠如は, 物音の感覚能力の絶対的欠如としての沈黙に帰着する). この幾分の欠如がまさに, セリーヌと主人公バルダミュとの, あるいはベケットと主人公モロイとの同一性の問題という, 無意味に帰着すると見える問題を引き寄せもする. 誰もが言及するあのセリーヌの文体ないし言葉遣いについてバタイユは何も語っていないが, その代わりに, ベケットの言葉遣いについて彼は, それを, この同一性へ至るための鍵として提示している. おそらくこれはセリーヌにも適用することのできる議論だ.

 言語活動の持つ創造的暴力に, たぶん片目を開いてはいるのだろうが盲目の風を装って, 与えられている信頼が, 確かに, サミュエル・ベケットとモリエールとを分離する深淵をまさに定置している. だが, この深淵は, 基底においては, 人間嫌いや吝嗇家と, モロイの, 人間性の不在および無形の性格とを分離している深淵と似たものなのではないか? この不在には, 言語活動のしまりのない流れだけが到達する力をもつというわけだろう [...]. それと逆に言えば, こういうことなのかもしれない. もはや書きものを自分の意図を表現する手段へと還元せず, 所与の可能性に応えることを受け容れる, 文筆家の放棄は, しかし, 雑然として, 語の群れの大洋の動揺を横断するこの奥深い流れのなかで, 自分から, 自分の屈服している運命の重みのもとで, 不在という無形の形象に到達するのだ, と18.

 (文体に関してのこの考察がバタイユ自身の文学的な書きものに適用されるかどうかを問うためには, また別の考察をおこなわなければならない. )

 さて, これを特定の文体と呼ぶことはおそらく妥当なのだろうが, それも, 文体が, 形式との関係を問われない限りにおいてである. というのは, ここでの文体は, 形式としての文体から, 無形なものへの「失墜」でもあるからだ. つまり, 形式から幾分失墜した文体をもつ書きものは, そのこと自体によって, 書くことと浮浪者との間に共同性を創設する. ここでは, 書く者は書くことにおいて, 書くことに似ることを通じて, 書かれているものと兄弟性を交流しあう. さらに言えば, 書かれているものはそこにおいて「私が交流できまた交流すべきでもある主体」へと生成し, つまり「私という主体同類」となっているのだから, その交流は, 書かれているものとの間でなされる, とさえ言えない. ここでの交流とは, 書かれているものが, 単に書かれてあるものであることをやめ, 書くということそのものを通じて, 書かれるものに似る, ということに他ならない.

 ところで, もしそれが, 浮浪者を, ある特定の, したがってしかじかの規定をもった, 失墜の一形式としてとらえることであるなら, それを書くということは, 書くこと一般への問いを構成することがないだろう. それは, 文学における一個別事例ということになるだろう. しかし, 反復になるが, バタイユは浮浪者を「存在の基底」と呼んでいる. ということは, ここでは, 書くことそのものが「何かひどく一般的なところ」のあるものとなる, あるいはそうでなければならない, ということである. 書くことの基底を露出することが問題なのだ.

 ところで, バタイユにおける言説をめぐる逆説は, ほとんど常に, 現実的なもの(あるいは「経験」)に照らした場合の, 言説に対する嫌悪として解釈されてきた. 先に挙げた「沈黙という語もやはり物音である」という警句がすでにそのように読まれてきたし, その読解がもっともでないわけではない. バタイユは実のところ, ベケットの言説が, 言説である限りは, それが沈黙や死と関わるとしても, その迂回にとどまるしかない, と主張している. このことは, バタイユの基礎的な身振りの一つを構成している.

 さもなければ, 死は, それ自体からして, 様々の見せかけによってけっして和らげられたことのないあの極めつけの沈黙ということになる. それに対して, 文学は, 場違いな言葉の波を沈黙に沿わせる. この沈黙は, 死の意味と同じ意味をもつものと主張されるにしても, 死のパロディ以外ではない. だが, これは真の言語活動でもない. つまり, 文学はすでに沈黙と同じ意味を奥底に置いてはもっているのかもしれないが, 沈黙という最後の一歩の前で後ずさるのだ. 同様に, このモロイは, 死を体現しているものではあるが, 正確に言えば死者ではない19.

 ところで, バタイユの議論の外見に逆らって, ここで問題になっている言語活動がそのような言説ではない, と考えることが許されないだろうか? 「沈黙という語もやはり物音である」という銘句を逆転して, 「どのような言説も幾分は沈黙である」と言うこともできるかもしれない. その沈黙とは, 書くことにおける類的なもののことであり, それにかろうじて到達するには, やはり書くこと(の失敗)を通過することからはじめるしかない.

 問題になるのは, まったくの死ではなく, 生のなかにある死である. それは, 生きているはずのもののなかにある, 実存における一般的なものとしての死のことである. 完膚無きまでに死ぬには, 幾分は生きていなければならない. バタイユの警句として最も知られているものの一つ「エロティシズムとは死においてまでもなされる生の称揚である20」は, もちろん明らかに, ちょうどこの負の極に位置させることのできる断言である. だが, このベケット論でとりあえずは生の側に置かれた書くことが死の側に置かれ, エロティシズムが「存在の基底」に置かれれば, 議論はほとんど相似している. つまり, ここにおける生/死は, 相互に置換可能な, 反発しあう二極をなしている. 「存在の基底」が死に属すれば(とはいえそれは生における死—浮浪者の実存—であり, そうでなければ死は何ものでもない), 書くことは生であるし, 「存在の基底」が生に属すれば(とはいえそれは死における生—エロティシズム—であり, そうでなければ生は何ものでもない), 書くことは死である.

 書くことは, このようにして, 生/死の様態における相対的な対立項を自ら提供することによって, その二様態が実のところ原初的に不分明である地帯を提示する. その地帯とは, 書くことの対象(生もしくは死)が, 幾分の反対物(死もしくは生)でもある, ということが露出する場であり, したがってそれは「存在の基底」の露出する場である. 書くことは, 自らが「存在の基底」の相対物として与えられることによって, 「存在の基底」をそれ自体において相対的なものとする. しかもその作用は, 一挙に, 事後的なものとして与えられるのであり, どちらかが他方に先行するということもない. それらは共に一撃のうちに与えられることによって, 書くことに先行する書かれるべき経験と, 存在の基底(存在の失墜)に先行する存在の充溢とを遡行的に措定し, しかし即座にこれらを失墜させ, 変わり果てさせる. そのような場はそれ自体, 書くことそのものの露出する地帯でもある. その地帯にあって, 「存在」と「書くこと」とがそれぞれに, 失墜(形式を失うこと)を通じて, 自分において露出する類的なものを明らかにし, その露出によって, その二者の間に共同性が創設される.

 つまり, 書くことを通じての共同性とは, 一方では存在の失墜への, 他方では書くことの失墜への, 不可能な, 共通の生成のことである(存在の失墜は, 生における死であってもよいし, 死における生であってもよい).

 それが不可能だということは, 『モロイ』の場合には, 小説技法について言えば, 語り手の交代と, 二番目の語り手による虚構の告白とによって明らかにされている. このことも, バタイユが説明している.

 忠実でない [...] 作者が, 自分が嘘をついていることを明かし, 「そこで私は家に帰って, 「真夜中だ. 雨が窓ガラスを打っている」と書いた. 真夜中ではなかった. 雨は降っていなかった」という語で自分の本を終わらせるのは, モロイというのが作者ではないからである. 実を言えば, 仮に作者がモロイであるのなら, 彼には明かすべきことは何もない. というのは, モロイには, 書くことなど何もないからだ21.

 第二部はジャック・モランという語り手によるモロイ探索の行程の物語であるが, それは「真夜中だ. 雨が窓ガラスを打っている」という語で始まっている. つまり, 対象として語られるべきことなど, 物語という形式においては—物語の内容においてではない—, 結局は何も起こらなかった, ということだ.

 この, 物語という形式における, 悲惨との絶望的な共同性は, こう定式化されることができる. 「作者が, 自分の書いていることへの無関心に蝕まれながら書くということ22」. そこでの, 生を腐食された「書く者」の形象とは, 必然的に到達された, 書くことという世界における浮浪者の形象に他ならない.

 ところで, このテクスト「モロイの沈黙」は, 実を言えば, この「書く者」の形象を浮き彫りにするにあたって特権的な位置を占めている(実は, この特権的な位置のゆえに, 我々はこのテクストを検討することにしたのだ). というのは, そこでバタイユは, 自分が小説を書きはじめることを, 浮浪者との出逢いと不可分なものとして語る, テクスト全体から浮きあがった奇妙な注記を付しているからである. 以下がその全文である.

 私は非常に若い頃, 一人の浮浪者と長い会話をしたことを憶い出す. 私は, 小さな乗り換え駅で列車を待つために一夜を過ごしたのだが, その会話はその夜の大部分を費やしてなされたのだった. もちろん, 彼は列車を待っていたのではない. 彼は待合い室を雨露をしのぐために使っていただけだった. 朝になると, 彼は私と別れ, カフェを用意しに荒れ野に出ていった. これは, 私がここで語っている存在 [問題になっている「浮浪者」の実存] とは正確には同じものではなかった. 彼はおしゃべりでさえあった. たぶん, 私よりおしゃべりだっただろう. 彼は自分の生に満足しているように見え, 老いた彼は, 称賛の念をもって彼の話を聞く15歳の少年であった私に, 自分の幸福を表現するのを愉しんでいた. しかしそれにしても, 彼が私に残した追想は, 彼が私に今も与えている驚きの恐怖とともに, 私に獣たちの沈黙を思わせることをやめない. (彼との出逢いは私にひどく衝撃を与えたので, それから間もなく私は, 野外で彼に出逢った一人の男が, たぶん自分の犠牲者の動物性に到達しようという希望から, 彼を殺す, という小説を書きはじめたほどだった. )—また別の時であるが, 私は友人たちと車に乗っていた. 我々は昼日中に森のなかで, 道の端に, いわば降り注ぐ雨のなかで水浸しになっているような具合に, 草のなかに伸びた男を見つけた. 彼は眠ってはいなかった. たぶん彼は病気だったのだろう. 男は我々の質問に応えなかった. 我々は彼に, 病院まで連れていこうかと提案した. 私の記憶では, 彼はやはり応えなかった. あるいは, 拒否を示すために曖昧に唸って, 応えてくれようとしたのだったかもしれない23.

 括弧内に記された, 15歳のバタイユによるこの小説の計画は, バタイユが自ら記している限りでの, 最初の小説の計画である. さらには, 最初の書きものの計画である.

 それまでの少年バタイユと広義での「書くこと」とを結びつける逸話としては, 学校でノートをきちんと取れなかったこと24, 自分の前の席の友達のシャツにインクで染みをつけて遊んだこと25, あるいは(これは憶測だが)自分の手にペンを突き立てて痛みに堪えたこと26, このくらいしかない. 何かに触発されて, つまり自発性を喚び起こされてテクストを書くこと(書くことの可能性それ自体に触発されて書くことをも含む)を狭義の書くこととするなら, 後年のバタイユの追想において不意に語られたこの小説の書きはじめは, まさに, 彼の書くことの端緒である—彼の記憶においてそうであるというのにすぎないにしても—, と言うことができる. 奇妙なことだが, おそらくこのことは今まで指摘されたことがない27.

 彼が「書く」ということを明確な問いの対象とするのはそれから間もなくのことのようだ. バタイユはある自伝の試みに, 「1914年にはすでに, この世界で自分のすべきことは書くことであり, なかでも特に, 逆説的な哲学を練りあげることだ, ということを疑っていない28」と書いている. したがって, 少なくともそれ以降は確実に, 書くということがそれとして, 自らの生との関係で意識されることになる. (ここで問題になっている生とは, 実際のバタイユの生ではなく, バタイユが自らの生がそうであると記憶し, なぞり, 発明するもの, つまり, 彼の書きものと何らかの関係をもつ限りでの彼の生のことである29. )

 ここで確認しておきたいのは, 書かれ, 想起され, あるいは抑圧されたもの30としてのバタイユの生における書くことそのもののはじまりにあって, それが生の課題として意識される前からすでに, 浮浪者との, つまり「存在の基底」との関わりにおいて, 書きはじめが捉えられている, ということである.

 浮浪者の実存は, 彼に, 書きはじめさせた. そこではすでに, 対象としての何かを書く, という, 純朴な欲求に発するのではない身振りが開始されている. その開始は, 書くことそれ自体を, 浮浪者の「存在の基底」と交流する場として, また「存在の基底」そのものとして捉え, これに参与することによってなされている. ここにおいて, 書くことは, はじめから, 書きはじめにおいて, それ自体を問題にする.

 バタイユの想起する限りでの, この最初の小説の計画をきちんと読めば, このことはさらに明らかである. 浮浪者の, 後年彼が「存在の基底」と呼ぶことになる実存の何が彼を捉え, あるいは彼を排除したのか? 「獣たちの沈黙」が, である. この沈黙は, 彼に, 書くことを通じてこれに接近することを強制した, と言っていいだろう. それは, 沈黙による, 沈黙への接近の, 強いられた要請だ. しかも, その接近自体が沈黙でなければならない, という不可能な命令がそこには含まれている. そして, 「彼との出逢いは私にひどく衝撃を与えたので, それから間もなく私は, 野外で彼に出逢った一人の男が, たぶん自分の犠牲者の動物性に到達しようという希望から, 彼を殺す, という小説を書きはじめたほどだった. 」 この, 浮浪者を殺す男の身振りは, ちょうどそのまま, 若いバタイユが, その小説自体を書く身振りに等しいのではないだろうか? 「動物性」への到達への強迫, それは, はじまることへの, はじめることへの強迫だ. はじまり(動物の沈黙)に書かせられてあるということを書きはじめることで, 生における書くことをはじめるバタイユの身振りの過激性は, 明瞭きわまりない. バタイユにとって, 書くことは, 彼が書きはじめされられている以上, 書くことにあって書くことを問うこと以外ではありえなかった.

 この小説は結局, 書きはじめられるだけにとどまり, バタイユがこれを完成することはなかった. 男が浮浪者を殺すことはなかった. 思うに, これは必然である. すでに述べたとおり, 書くことが強制されているにもかかわらず, 書くことができないという仕方でしかそれを書くことはできないという状況にあって, 人は, 書きはじめるということしかできない. したがって, 書くことは, 書きはじめを常に通過しそこにとどまる以上, 失敗を予告されている. その事実が, というより, その失敗の予告のなかに身を置くことが, あらゆる言説に幾分あるらしいあの沈黙に身を置くことである, と言えるかもしれない. そのようにして, 浮浪者の実存は, 書く者バタイユと, 交流するのだ. ここでは, その問題は, 書きはじめるということにおいて収束する.




 想定できる誤解を避けるために, その動物性への強迫が, 人間性という主題なしにはありえないということを強調しておくべきかもしれない. それは, 我々に共通の, すべての言説における沈黙が言語活動を前提するのと同様である. バタイユが, 至高の経験に対して歪曲しかおこなわない言説というものの存在に対して常に嫌悪を示していることはよく知られているが, このことは必ずしもこの考察との矛盾を帰結しない. 知性における知性の沈黙と, それを知性によって表象することの不可能性を知性の基底として扱うことが問題なのであって, 知性を問題の圏域から抹消することが問題なのではない31.

 この, 言語活動における「存在の基底」を問題にするということが, 文学作品において, あるいはさらに広く, 書かれるものにおいて, どのような意味をもつのかを, より一般的に考察することで, 我々のおこなったバタイユ読解を位置づけなおし, このテクストを終えることにする.

 ヤーコブソンとボガトゥイリョフの論文「創造の一特定形態としての民間伝承32」に依拠しながらジョルジョ・アガンベンが文学創造の意味について論じている「起源と忘却33」の一節が参考になる.

 説話を口にしたり神話を物語ったりする者にとっては, 自分の言葉 (parole) の起源という問題は立たない. 説話はそれを口にする者に常に先立って存在し, 神話は神話を語る者に常に先行している. 口誦詩の研究に独自の貢献をもたらしたアメリカの学派—ミルマン・パリーとマルセル・ジュースを先駆者とする—の用語を用いれば, ここで問題になっているのは, 実演 (performance) であって, 作者であること (authorship) ではない. 吟唱詩人は自分の詠む詩の演者であって作者ではない.

 文学作品の状況はこれとはまったく異なっている. ここでは, 文筆家は自分の言葉 (parole) を, 自分に先立つ「別の場」から受け取るのではなく, 自分がこれを発明し創造する. 文筆家は自分の言葉 (parole) の作者であって, 単に演者なのではない.

 ヤーコブソンとボガトゥイリョフは, 「創造の一特定形態としての民間伝承」に関する研究において, 口承作品と文学作品の間のこの基礎的な対立を, 言語 (langue) と言葉 (parole) という言語学上の対立をなす用語に翻訳した. 彼らはこう言っている. 「民間伝承作品は, それを物語る者の視点からすれば, 言語 (langue) 上の一事実を表象している. 語り手は, これを変形したりそこに新しい要素を導入したりして, これをより詩的なものとしたり時代の趣味に合わせたりすることは常にできるが, とはいえそれは非個人的なものであり, 語り手とは独立して生きている. この反対に, 文学作品の作者にとっては, 文学作品は言葉 (parole) 上の一事実を表象している. それは, ア・プリオリに作者に引き渡される, 先立って存在している所与ではなく, 個人によって創造されなければならない何かなのである. 」

 吟唱詩人にとって, 自分の語りの起源が問題を構成しないのは, その語りが, 生きた伝承から言語 (langue) 上の一事実として彼に伝えられているものであり, 自分もその伝承という鎖の部分をなす一つの環でしかないからである. その反対に, 文学の言語 (langue) なるものは欠けている. 文学作品の作者は, —作品に関して—言語 (langue) が不在ないし未知であるような言葉 (parole) を発しなければならない, という逆説的な状況に身を置いている34.

 続けてアガンベンは, この, 自らの起源の不在を自らの起源として正当化する文学的創造のありかたについての学が創設される必要があると説く. この問題を先鋭化した文筆家として彼は, 「破壊が私のベアトリーチェだった35」と言うマラルメを挙げている. 文学における「霊感」(inspiration) (「ベアトリーチェ」はその象徴である)の問題は, それ自体が「文学的な言葉 (parole) の起源のなさを指し示すもの36」であり, マラルメに至ってそれが絶対的に経験されることになる. そこに現れるのは, 語るということだけが剥き出しになる言語的経験である. それを, 不在である言語 (langue) を経験すること, と言うこともできるだろう37.

 ミシェル・フーコーの言う, 「私は書く」という命題の逆説があらわにするものはそれに相当するが38, それが人間の存在の類的基底をなす共通の経験であるということはフーコーのテクストにおいてはそれほど明らかではない. バタイユを読むことによって明らかになるのは, その「私は話す」という経験が体現する「存在の根底」が, 我々に共通のものである, という事実である. したがって, バタイユの言う, 「「自己そのもの」とは世界から自ずを隔絶する主体ではなく, 交流の場, 主体と対象との融合の場である39」「人間とは思考(言語活動)のことである40」という, バタイユの言説嫌悪を考えに入れると互いに異質なものに思えもする二命題は, 両者を, 共同的なもの(浮浪者の露出する「存在の根底」)の経験を指し示すものとして読むことができる. 書くことにおいて経験を伝承する—ないしは交流させる—のが彼の書きものの向かうところである時に, 任意の「第三者41」(読者)との間に残されるのは, 言語活動において言われることではなく, 言語が存在するという事実だけだ. 彼にとっては, 言語が存在するというこの事実そのものを言説とはっきり区別することが困難だったため, 彼はこれを「企図を通じて企図の領野から脱すること42」という逆説的な定式で語ることを余儀なくされた43. ところが, 実を言えば彼の「経験」は, 笑いであれ性的忘我であれ, この言語の基底そのものの露出なのである44.

 書きはじめにおいてはそれが集約的に問題化されざるをえない. なぜなら, 書きはじめてしまえば, 書かれたものによって, 書くということの基底は即座に覆われてしまうからだ. しかし, 繰り返すが, 言うことのできない経験を表明するのに言語活動が適していない, ということではない. 言語活動は, 自らが語っているということを語るのに権利上向いていない, ということである.

 語の狭い意味における「書きはじめ」を論じたテクストはすでに少なくない. 語り論 (narratologie), 社会的批評 (sociocritique), 主題論 (thématique) など, 多くの解釈格子が様々の仕方で「書きはじめ」を論ずるために適用されてきた45. しかし, 我々の論じる意味での「書きはじめ」の逆説を扱おうとしたテクストは極めて少ない46.

 不可能な経験を語るという形をとった特異な「霊感」がどのような逆説的解決を求めることになったのか, という形で問いを立てなおせば, ジョルジュ・バタイユが「書く」ということをどのように位置づけていたのかをさらにはっきりさせることができるし, バタイユの言う「経験」をさらに交流させることができるに違いない. 浮浪者との出逢いによって露出させられた「存在の基底」を「書く」という問題と彼がどう向きあったかを辿る, という, 我々がここでおこなった作業は, この問題への一接近をなす.

 書きはじめにおいてこの存在の基底と向きあうという出来事は, バタイユにおいて, これからも繰り返し見て取ることができる. 彼の書きものにおいて常に残る未解決の場は, ここに集約すると言うことができるかもしれない. 我々のこれからの作業は, 様々な「書きはじめ」の場において彼がどのような暫定的解決を見出だしていったかを辿り, これを批判的に検討することに存するだろう47.



注 :

01. Roland Barthes, «La métaphore de l'œil», in Critique, nos 195–196, Paris, Minuit, août–septembre 1963, pp. 770–777.

02. Julia Kristeva, «L’expérience et la pratique» (1972), in Polylogue, Paris, Seuil, 1977, pp. 107–136.

03. Bernard Sichère, «L’écriture souveraine de Georges Bataille», in Tel quel, no 93, Paris, Seuil, 1982, pp. 58–75.

04. 以下に詳説するテクストの他にも, 浮浪者の登場する箇所がある. たとえば以下. Georges Bataille, Lascaux ou la naissance de l’art (1955), in Œuvres complètes, t. IX, Paris, Gallimard, 1979, p. 23.

05. G. Bataille, «Louis-Ferdinand CELINE : Voyage au bout de la nuit» (1933), in Œuvres complètes, t. I, Paris, Gallimard, 1970 (1973), pp. 321–322.

06. G. Bataille, La souveraineté (1953–1954), in Œuvres complètes, t. VIII, Paris, Gallimard, 1976, p. 289.

07. G. Bataille, «(Lettre à X., chargé d’un cours sur Hegel...)» (1937), in Le coupable, in Œuvres complètes, t. V, Paris, Gallimard, 1973, pp. 369–371; voir aussi G. Bataille, Choix de lettres (Michel Surya, éd.), Paris, Gallimard, 1997, pp. 131–136.

08. この, 通りすがりという以外の特性をもたない人物についての考察は, 他の箇所にも現れる. たとえば以下には, 地球の対蹠点に位置する人物が登場している. G. Bataille, L’expérience intérieure (1943, 1954), in Œuvres complètes, t. V (op. cit.), pp. 31–33.

09. G. Bataille, «Le silence de Molloy» (1951), in Œuvres complètes, t. XII, Paris, Gallimard, 1988, p. 85.

10. Ibid.

11. Ibid., p. 86.

12. Ibid., p. 85.

13. Ibid., pp. 85–86.

14. Cf. G. Bataille, L’expérience intérieure (op. cit.), p. 16 : 「私が「私は神を見た」と決然と言うとすると, 私の見るところのものは変わってしまう. 構想不可能な未知のもの [...] の代わりに, 死んだ対象, 神学者のものがあることになる—そして, 未知のものはこれに隷属してしまう. [...]」; Ibid., p. 25 : 「重要なのはもはや風についての言表ではなく, 風である. 」 他随所.

15. Ibid., p. 25.

16. G. Bataille, «Le silence de Molloy» (op. cit.), p. 86.

17. Ibid., p. 87.

18. Ibid.

19. Ibid., p. 88.

20. G. Bataille, L’érotisme (1957), in Œuvres complètes, t. X, Gallimard, 1987, p. 17.

21. G. Bataille, «Le silence de Molloy» (op. cit.), p. 93.

22. Ibid., p. 94.

23. Ibid., p. 86.

24. Cf. G. Bataille, Méthode de méditation (1947), in Œuvres complètes, t. V (op. cit.), p. 210. 「13歳(?)」の少年バタイユは「書き取りができなかった」(強調バタイユ), とある.

25. Cf. G. Bataille, «L’art primitif» (1930), in Œuvres complètes, t. I (op. cit.), p. 252.

26. Cf. G. Bataille, Le bleu du ciel (1934–1935), in Œuvres complètes, t. III, Paris, Gallimard, 1971, p. 454. これは小説中の述懐であり, これを事実と推測しているのはミシェル・シュリヤである. Cf. M. Surya, Georges Bataille, la mort à l'œuvre (op. cit.), p. 26.

27. バタイユの書きもののはじめの栄誉は, バタイユが死ぬまで存在に言及したことのなかった『ランスのノートル‐ダム』(Notre-Dame de Rheims, 1918) か, 偽名で出された『眼球譚』(Lord Auch, Histoire de l’œil, 1927), あるいはその間に書かれ廃棄されたらしい『愉快で冷笑的な男』(Le joyeux cynique, 1923), または『WC』(W.-C., 1926)(大部分が廃棄されたが, その一部「ダーティ」(Dirty)が『空の青』(Le bleu du ciel, 1934–1935, 1957) に統合された)に帰せられてきた. この少年時代の逸話については不明瞭な点が多い. シュリヤは『愉快で冷笑的な男』の執筆の試みがこれに相当するという推測を, 以下に挙げるアルフレッド・メトローの未亡人の回想期から導き出している. しかし, 『愉快で冷笑的な男』ははるかに後, 20台なかばに試みられていたはずだ. 浮浪者との出逢いは10年にもわたって強迫観念となっていたのだろうか? そうであっても不思議ではないが, とはいえ謎が解決するわけでもない. Cf. Fernande Schulmann, «Une amitié, deux disparus», in Esprit, no 322, Paris, Minuit, novembre 1963, pp. 671–673.

28. G. Bataille, «Notice autobiographique» (1958?), in Œuvres complètes, t. VII, Paris, Gallimard, 1976, p. 459.

29. 動物から人間の意識への移行の物語(『宗教の理論』(Théorie de la religion, 1948))や芸術の誕生の物語(『ラスコー』(Lascaux, 1955))といったものが虚構であることに疑いはない(彼自身そう語っている. Cf. G. Bataille, Théorie de la religion (1948), in Œuvres complètes, t. VII (op. cit.), pp. 293–294.). だが, 人間の意識がもつ, はじまりへの方向づけというものが不可避であることが, 意識の存在自体に書き込まれている以上, それらの問題について, 単に伝承を語るのではなく, 伝承を発明し, つまりは神話を発明することが要請されることにも不思議はない. その, 神話を発明するということ, はじまりを書くということは, バタイユの主要な身振りの一つである. だがもちろん, それは単なるはじまりの発明ではなく, はじまりの不可能性や困難さとしてのはじまりの発明である.

30. 『ランスのノートル‐ダム』という書きはじめを抑圧することにバタイユのすべての書きものの身振りが由来するというのが, 『ランスのノートル‐ダム』を発掘して紹介したドゥニ・オリエの仮説である. Cf. Denis Hollier, «“Notre-Dame de Rheims” (2)», in La prise de la Concorde, Paris, Gallimard, 1974 (1993), pp. 45–52. それはその主張の圏内では正しいが, バタイユの生において, それより前に書き込まれた「書きもの」が存在するということについては説明する力をもたない. したがって, それについては新たな解釈を与えなければならない. 我々が試みるのがそれである.

31. ジャン‐リュック・ナンシーによるバタイユ読解(『無為の共同性』)におけるバタイユに対する批判の中心は, この種の経験の逆説が, 特権的な共同性(愛する者たちの共同性など)によって解決されるように見える, という点をめぐっている. Cf. Jean-Luc Nancy, La communauté désœuvrée (1983), Paris, Christian Bourgois, 1986 (1990), p. 89 sq. ここでの我々の試みは, ナンシーが脇に除けておいた (pp. 89–90), 言語活動を通じての共同性についてのバタイユの評価を, 浮浪者という一形象を通じて明らかにすることを目指している. それによって, 愛の共同性がその枠内で再評価されうるものである可能性も開かれるだろう. すなわち, 浮浪者の「存在の基底」からはじめる論理においては, 愛する者たちの共同性も芸術家の共同性も, 共同性を思考することの放棄ではなくなる.

32. Roman Jakobson & Petr Bogatyrev, «Die Folklore als eine besondere Form des Schaffens» (1929), in R. Jakobson, Selected Writings, vol. IV (Slavic Epic Studies), Den Haag, Mouton, 1966, pp. 1–15.

33. Giorgio Agamben, «L’origine et l’oubli» (1979), in Image et mémoire, Paris, Hoëbeke, 1998, pp. 45–64.

34. Ibid., pp. 51–53.

35. Stéphane Mallarmé, Œuvres, Paris, Gallimard, «Pléiade», t. I, 1998, p. 717.

36. G. Agamben, «L’origine et l’oubli» (op. cit.), p. 56.

37. 自動記述を論じた以下のテクストでモーリス・ブランショが問題にしているのもこれと同じ問題である. Cf. Maurice Blanchot, «L’inspiration, le manque d’inspiration», in L’espace littéraire, Gallimard, 1955, pp. 233–248.

38. Cf. Michel Foucault, «La folie, l’absence de l’œuvre» (1964), in Dits et écrits, t. I, Paris, Gallimard, 1994, p. 419; «La pensée du dehors» (1966), in Dits et écrits, t. I (op. cit.), pp. 518–520.

39. G. Bataille, L’expérience intérieure (op. cit.), p. 21.

40. G. Bataille, La souveraineté (op. cit.), p. 413.

41. G. Bataille, L’expérience intérieure (op. cit.), p. 75.

42. Ibid., p. 60.

43. 詩的創造に対する, 明らかに相反する二つの立場の同時的表明(しばしば読者を混乱させる)もこのことに由来する. バタイユは, 詩は企図に反するもの, つまり経験に何がしか属するものであると言い (cf. L’expérience intérieure (op. cit.), p. 158), その一方で, 詩は未知のものそのものの経験にはもともと向いていないと言っている (cf. Ibid., p. 17). この問題を集約しているのが, 同時にその双方の意味をもちうる『詩の憎悪』という題であり, これについてはバタイユ自身が注釈を加えている. Cf. G. Bataille, L’impossible (La haine de la poésie, 1947; 1962), in Œuvres complètes, t. III, Paris, Gallimard, 1971, p. 101.

44. バタイユがこうした存在についてまったく語りえていないわけではない. ある箇所では彼は知性を視覚になぞらえ, この「基底」を「盲点」との類比によって語っている. Cf. ibid., p. 129. この点については, プロティノスの「物質」の構想を引きながらこの「基底」のあり方について解明を試みている以下のバタイユ論も参考になる. 西谷修「輝く闇」, 『離脱と移動』せりか書房, 1997, pp. 268–289. 西谷はこれを言語とは直接には結びつけていないが, 我々はいわば, さらに, 言語の物質とでも呼べるものを想定できると考えている. ジャン‐クロード・ミルネールはこれを「語るという事実」(factum loquendi) と呼び, 明確化を試みている. Cf. Jean-Claude Milner, Introduction à une science du langage, Paris, Seuil, 1989, p. 41.

45. 今のところ, 「書きはじめ」論の総括は以下によって与えられており, 書誌も参考になる. Andrea Del Lungo, Gli inizi difficili, Padova, Unipress, 1997. だが, デル・ルンゴは, 我々がここで問題にしている「書きはじめ」については関心がない.

46. 「によってという語によって, したがってこのテクストははじまる」と書きはじめられているフランシス・ポンジュの詩「寓話」を扱うデリダの以下のテクストは, その稀なテクストの一つである. Jacques Derrida, «Psyché : Invention de l’autre» (1984, 1986), in Psyché, Paris, Galilée, 1987, pp. 11–61. なお, バタイユの「書きはじめ」について論じたものに以下があり, 参考になる. Francis Marmande, «Georges Bataille : La main qui meurt», in Daniel Ferrer & Jean-Louis Lebrave (éd.), L’écriture et ses doubles, Paris, CNRS, 1991, pp. 137–173; J.-L. Nancy, «Le mythe interrompu», in La communauté désœuvrée (op. cit.), pp. 107–174. 以下もこの問題を扱おうとしているが, 我々の問題の検討にはまったく利するところがない. Lucette Finas, «Le manuscrit blanc», in Bernhild Boie & Daniel Ferrer (éd.), Genèses du roman contemporain, Paris, CNRS, 1993, pp. 185–200.

47. たとえば, 遺稿『母』の書きはじめは, 「ピエール!」という呼びかけが半睡状態のピエールの耳に届くことではじまっている. この声には「執拗な優しさ」があり, 「もし私が眠っているのなら起こさないほどに優し」いものだ, と書かれている. 一般に語り論では語り手の単一性は疑われることがない(語り手の変更は語り手の存在そのものを複数化するか, あるいは「暗黙の語り手」という高次の審級を導入するか, そのいずれかにすぎないとされる). だが, この, 語り手でもある主人公ピエールが, 起きていても眠っていても聞くはずのなかった声(というのは, 実際にはその声が誰からも発されたものではなく, 最も平凡な解釈によれば幻聴だったからだが)は, まさにそれこそが語るピエールを覚醒させるのであり, 声はピエールが引用して語るものではありえない以上, 語り論の枠の外にしか位置づけられない. この声を, 語りにおける「存在の基底」の声と考えることができる. Cf. G. Bataille, Ma mère (1954–1955?), in Œuvres complètes, t. IV, Gallimard, 1971, p. 179.