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『デリダ, 異境から』に関する覚え書き
『図書新聞』no 2614, 2003年1月10日, pp. 1–2.


以下のフィルム評です. サファ・ファティ『デリダ, 異境から』1999年.


 フランス語の「d’ailleurs」は, 「そもそも」や「それに」にほぼ対応する日常的表現で, しかじかの議論に対してそれまでとは違う論拠を付加するために用いられる. 「おまえは風邪だし, それに夜ももう遅いから, 寝なさい」というばあいの「それに」だ. しかし, 単語ごとに意味を理解することが本義に近づくことだとする因習的な構えをあえて取るなら, この表現の本義は「どこか他のところから」だと言える. 論拠の付加という「派生的」意味もここから説明できる. じじつ, この表現はその「本義」のほうで用いられることも多い. ある一般的な辞書によると, これは「広告に用いられると異郷趣味を, さらにはこの大地のものならぬ (神話的な) 起源をも喚起する」という.

 題というものは一般に, 多かれ少なかれ広告的だ. このサファ・ファティ監督のフィルム (1999年) の原題『D’ailleurs, Derrida』は, 以上の雑駁な考察をふまえれば, 次の3つの意味に取れるだろう. 1. デリダの思考についてはすでに一定の了解があると想定される. それに対して, それとは異なる論拠を付加しよう. 2. 付加される論拠とはじつは, 他のところからのデリダ自身の (ないし彼の思考の) 到来のことだ. 3. 題に対しては, 因習的な広告的効果を期待することも多少は許されよう. それなら, デリダ自身の存在に異郷趣味を, さらにはこの大地のものならぬ (神話的な) 起源をまとわせるのも, 遊びとしては悪くない.

 この「どこか他のところから」には, また別のものへの参照もありそうだ. 1999年に発表されたこのフィルムの受容は, それまでのデリダの活動, とりわけ最近のデリダの関心事への参照をふまえてなされることが想定されうる. 注意深い—熱心な, 執念深い, さらには興味本位の?—読者であれば, これが『他者の単一言語使用』(1996年) が最初に発表されたシンポジウムへの目配せだということに気づくかもしれない. E・グリッサンらが組織して1992年に開かれたそのシンポジウムは, 「どこか他のところからのこだま」と題されていた....

 フィルムを見る前に, 題だけから想像できるだろうことを事後的に再構成するとすれば, 以上でほぼすべてだろう. 先入見なしにフィルムを見なければならないと頑なに主張する人は, この短文を読むのをここでやめてかまわない.

 ところで, そのような人は, フィルムをその場で見ること自体を通じて何らかの純粋な心的経験—美の享受, 興奮, 沈思, 夢想その他—が得られるという信仰をもっているのだろう. 狭義の情報を提供することがフィルムの第一の目的だと想定されるばあいにも, その情報がフィルムを見るという経験のうちに与えられるときにどのような心的経験をともなうかが重要だとされるのだろう. だが, そのような期待は, 少なくともこのフィルムに対しては, むなしい.

 では, これはどのようなフィルムか? デリダがさまざまな場で, いくつかの主題について, 多かれ少なかれ即興で, ばあいによっては監督と対話しながら語ったもののモンタージュ, 以上だ. デリダの友人J‐L・ナンシーへのインタヴュー (自分の心臓移植の経験や異質なもの一般などについて, 『侵入者』[2000年] を書くよりも前に簡潔にではあるが, デリダの思考と関わらせつつ語っている) と, デリダ本人による講義 (1998–99年度の第1回とおぼしい) の撮影のみが例外だ. ほぼ徹頭徹尾デリダが語り続けているフィルムだと言っていい.

 今までも, デリダの声を聞くことはできた. 彼の書くもののなかに聴き取れる音調 (彼のエクリチュールを通じて響くと想定される「声」) についてはとりあえず措くとしても, 『亡き灰』(1987年) や『割礼告白』(1993年) の作者朗読はカセットの形で販売されているし, さまざまな場での講演や発言で彼の語りをじかに耳にする機会もしだいに多くなっている. 毎水曜日の講義も広く公衆に開かれており, 自由に聴講している日本語使用者も今では少なくない. じじつ, 講義のシークエンスで聴講者に向けられたキャメラは, 聴講者の国際的多様性を示すためであるかのように, 東アジア系らしい人々の姿を多く捉えてもいる. つまり, その気になれば, 彼の声を聞くことはそれほど難しくはないし, 姿をじかに見ることも珍しくないのだ. このフィルムが何らかの価値をもつとしても, それは明らかに, デリダの声や現前が定着されているがゆえにではない.

 モンタージュにも特殊なところはない. アルジェリアとおぼしい土地を走っていたはずのデリダの自動車が次のカットでは彼がかつて講義をおこなったパリの学校の前の街路を走っているといったつなぎかたは思わせぶりだが, 見る側がこのような単純な操作に対して過大な意味を与える必要はないだろう. むしろ重要なのは, モンタージュがデリダの一連の語り (サウンド・トラック) の流れを切らないようにおこなわれ, 画面がそれに寄り添うようにつながれているということのほうだ. このフィルムをめぐって監督とデリダが共同で出版した本『言葉を撮る』(2000年) の題を見ても, このことを彼らが意識していることは窺える.

 すでに稀少ではないデリダの声がそれほど奇異でないモンタージュによって綴られているこのフィルムをどのように見るか? 私には, 3つの平凡な点がむしろ良いものと思えた.

 第1は, デリダが, キャメラという暫定的な相手を前にして, ある程度は作られたものではあるにせよ, リラックスした話し言葉のリズムで語っているという点だ. わかりやすい言葉を選びながら, とはいえ無用に乱暴な要約は避け, 彼は『声と現象』『エクリチュールと差異』『グラマトロジーについて』(いずれも1967年) の時期から今にいたる自分の思考が同一性の喪失や異質なものなどへの共通の関心に特徴づけられていることを語り—じつは「どこか他のところから」がその簡潔な別名であることはフィルムの冒頭ですでに示される—, 最近の関心事が1つまた1つと素描される.

 したがって第2は, それらの関心事—秘密, 割礼, 赦し, 責任, 歓待, 亡霊など—がたがいに緩く結びつけられつつ説明されているという点だ. その意味でこのフィルムは, 前述の『他者の単一言語使用』や『割礼告白』のほか, 『アポリア』(1994年) , 『歓待について』(1997年) , 『言葉にのって』(1999年) における議論のいくつかと密接にかかわっている. したがってこのフィルムは, 最近のデリダの思考の大きな見取り図を漠然とであれ想像するには有用であるし, ばあいによっては, 彼の最近の議論に取り組むにあたっての入り口にもなるだろう.

 最後になるが第3は, 奇を衒わないモンタージュゆえに, 語りに対してありうべき図版が付されるところをじかに見ることができるという点だ. 『割礼告白』に登場するエル・グレコ『オルガス伯爵の埋葬』(1586年) の逸話がその壁画を前にして語られるところがその典型だが, この試みは他にもさまざまな可能性を想像させてくれる. たとえば, スライド映写を多用した講義をデリダがおこなっているような夢想に誘われなくもない.

 以上だ. つまるところ, 明かされるべく想定されている秘密など, ここにはない. デリダ邸の屋根裏書庫の映像や, 彼が愛用していることで知られるマッキントッシュの映像は, 問題となる秘密がそこにはないということをよくわからせてくれる. むしろ, フィルムを見た人は, 彼の本にあらためて向き合う必要をこそ感じるだろう. それも, 異郷趣味に満ちた秘密を求めてではなく, フィルムとは異なるさらなる論拠を求めて, 「どこか他のところから」の思考を求めて, である.



(ここに再録するにあたり, 句読点その他のタイポグラフィに変更を加えました.)